55 / 61
第四章
[第54話]決断
しおりを挟む
第二待機所では、早めの夕食を終えた天使たちが、定期連絡の時間を待ち侘びていた。
毎日、陽が落ちてから夕食後に、騎士団と天使団は連絡を取り合い、互いの無事を確認する。
アリューシャの力を借りられないため、声だけの通信となるが、それでも安心感は得られるものだ。
特に今回は大きな地震もあり、天使たちは騎士たちの安否が気になっていた。
時間が迫ってくると、リスンクとミラドネは所定の場所で定期連絡の準備を始める。
水晶玉が備えられた置き台の前に二人が座ると、その真向かいにセルティアが座り、天使たちが取り囲むように集まった。
リスンクが手を翳す水晶玉に皆が注目していると、玉が淡い光を放ちだし、僅かに声が届き始める。
「あ、聞こえてきましたぁ!」
思わず大きな声を上げてしまったティファーシャに、皆が静かにするよう指もとに人差し指を当てる。
『…やぁ、麗しの天使は元気なようだね。皆無事かな?』
しっかりとティファーシャの声が拾われた様子に、何人かの天使たちは小さく吹き出した。
しかしセルティアは、ルシュアの戯けた挨拶に聞こえよがしに大きな溜息をつく。
「こちらは皆無事です。そちらもその様子なら大丈夫そうですね…と、言ってもいいのでしょうか?いろいろと尋常ではない事態が起きているようですが…」
予想通りの返事に、ルシュアは思わず破願した。
地震後の調査をムードラが欠かさない筈もない。
恐らく異常事態については情報を共有するまでもなく、知っていると思っていた。
「その通りだな。すぐに本題に入ろう。…と言っても、どこまで話していいものか…。今そこには、全員揃っているのか?」
『えぇ…揃っております。ただ、全ての事情を知っているのは護衛の騎士様たちと天使団長のみです。…なので、これを機に全員に知ってもらいたいと思っています』
セルティアの言葉に、天使たちがざわめく声が聞こえてきた。
『静かになさい。大事な話の途中です』
動揺する天使たちに静まるよう、キシリカが促している。
恐らく全ての事実を伝えるのを懸念し、天使団長たちで話し合い、他の天使たちには無難な事だけ伝えていたのだろう。
その様子にルシュアは小さく苦笑した。
第三待機所も癒しの施しを受けているワグナ以外、騎士たちは皆近くに揃っている。
これからの行程を全員の耳に入れるには丁度良い。
ルシュアは各隊長と目を合わせて頷き、口を開いた。
「解った。では全て話そう。…皆が周知の通り、朝から大きな地震があった。…その影響かは判らないが、我々がこれから目指す、第四待機所の途中にある山頂が…姿を変えるほど、崩れているのが確認できた」
水晶玉の向こうから動揺の声が聞こえてくる。
それを諫めるセオルトとクシュカの声も僅かに届いてきた。
その騒ぎが落ち着くのを待ち、ルシュアは続ける。
「我々はマーラを追い詰めている途中だったが…この不測の事態が起きたため深入りせず、今回は止む無く『足止め』をすることにした」
あれから第三待機所に戻った騎士たちの中から、ルシュア、イルギア、メルティオが、術師のゴルディと共に再び森へ戻って『足止め』を行った。
その帰りに上空から偵察を行うと、まるで近くの『大穴』に吸い込まれたかのように、山頂が姿を消していたのが確認できた。
その時の事を思い出し、ルシュアはイルギアを目で探した。
あの後、急に口数が少なくなり、何か独り言を呟いているのが気になっていたのだが…。
『こちらも遠くから、山頂の変化は確認できた。そして上空から第二待機所近辺を見たところ、小さな亀裂も見つかった。それがどうもその大穴に続いている気がしてな…気になっているんだ』
水晶玉越しにムードラの声が聞こえてきて、ルシュアは話に引き戻された。
「あぁ、亀裂はこちらも確認した。無くなった山頂と大穴付近から南北に大きく伸びていた。そちらまで続いている可能性もあるな…」
『それで、今後はどうなりますか?足止めを行ったのなら、その付近での魔物は全て封印したことになりますね?もう浄化の行程に入れるのでしたら、私たちは明日中に荷物をまとめ、明後日にでもここを発つことはできますが…』
「………」
セルティアの提案に一瞬返答を躊躇った。
行程の変更は隊長・副隊長会議で決めたことだが、どこかに迷いがあった。
言い淀む隙に、騎士たちから微かなざわめきが起こり始め、ルシュアは再び口を開いた。
上に立つ者が迷っていては、皆を不安にさせる。
『…そうだな…。そうしてくれるか?それから、君たちが到着するまで、我々はここで待つことにした。本来なら、次の待機所に移動するところだが、ここに留まって、もう少し調査をしておきたい』
「…解りました」
ルシュアからの行程の変更を聞いて、若い天使の何人かは表情が明るくなった。
この天災の中、しかも大闇祓いが終わるまで会えないと思っていた騎士たちに、数日後に再会できると思うと心強い。
サフォーネはその意味が解らず、トハーチェやクローヌに説明してもらうと、デュークに会えると知って、嬉しそうに目を輝かせた。
天使たちの喜ぶ声に釣られて笑みが零れたルシュアだが、言い難そうに言葉を続けた。
『あぁ、それから…ファズリカ』
その声に、ファズリカの心臓が跳ね上がる。
直接名前を呼ばれるということは、あまり良くない知らせに決まっている。
動揺しながらも、水晶玉の前に膝を進めると、神妙な顔で「はい、ここにおります」と答えた。
『ワグナが深手を負った。命に別状は無いが、ここに来た時に君を驚かせる訳にも行かないしな…』
ファズリカは一瞬息を呑んだが、気丈に振舞い、返事をした。
「…そうでしたか…。承知しました。…その…ワグナは…?」
誰かに付き添われながら、近付いてくる気配が水晶玉越しに伝わってくる。
『…ファズリカ…』
聞こえてきた声に涙が溢れてきた。
『…すまない…式の当日は…少し、貫禄のある顔になってるかもしれないが…』
「…もぉ、馬鹿なことを…。…生きていてくれて…何よりです…」
苦しそうではあるが、生きている。
それだけでどれだけ救われるか…。
涙を堪えるファズリカの背中を、キシリカとエルジュが優しく摩った。
次の待機所に移る時、現待機所は15年後に備え、片付けと結界を施す必要がある。
定期連絡を終えた天使団は、明日に備えて早めに休むことにした。
「アリューシャ様、騎士団より緊急の連絡が入りました」
蒼の聖殿で待機している術師から報告があると、アリューシャは夜具の上にストールを羽織り、急いで小会議室の水晶玉の前へ歩み寄る。
ババ様と二人の長老もやってきた。
『やぁ、親愛なる又従兄妹殿。聖殿は変わらずか?長の容体は?』
「…こっちは変わらずよ…長はまだ臥せっているけど…安定してる…。ていうか、こんな時間に連絡ってことは、そっちは何かあったのね?みんな無事なの?」
聖殿へはある程度決まった時刻に連絡をすることにしているが、それは毎日ではない。
セルティアに続き、察しの良いアリューシャの言葉にルシュアは苦笑した。
『負傷者は数名居るが、みんな無事だ』
ルシュアは待機所内を見渡す。
既に殆どの騎士たちが寝静まっていた。
部下たちを先に休ませ、隊長、副隊長で再度会議を行った結果、聖殿に協力を仰ぐことにしたのだ。
「行程の変更を知らせる。実は今朝、こちらでは激しい地震が起き、第三待機所から第四待機所の間にある一番高い山頂が消滅した。その因果関係は不明だが、追跡中の魔物を足止めにし、我々は第三待機所にて数日調査を行うことにした。明後日、天使団も合流予定だ」
『え…えぇ?何それ…』
前代未聞の報告にアリューシャが言葉を失い、長老たちは息を呑んだ。
ババ様は眉をしかめながら問いかける。
「その付近には、確か大穴がありましたね…噴火などは起きていませんね?」
『はい。大穴の言い伝えは、遥か昔に起きた噴火の跡ではないかと言われているようですが…今回の地震でその兆候はありません』
連峰で噴火などあれば、それはたちまち大陸中で騒ぎになるだろう。
ただ、『大穴』を中心に異変が起きているのは間違いない。
ルシュアはそう感じていた。
「…大穴について、ババ様は他に何かご存知ですか?もしくは、長からお聞きしていませんか…」
前回の蒼の聖殿の大闇祓いは約45年前。
当時の騎士団や天使団所属の者たちは、既に亡くなっていたり、連絡が取れない者が多い。
エターニャにおいては既に引退していた時期だったので実体験は無いが、長のイフーダはさらにその前の大闇祓いに総隊長として参戦している。
当時の話は、ルシュアも長から直接聞いた事はあるが、『大穴』や地震についてはほぼ語られなかった。
今、尋ねようにもそれが叶わないのが悔やまれる。
『そうですね…噴火跡だという言い伝えと、あの付近に差し掛かると体調を崩すことがある、としか…』
「……やはり、そうですか…」
ババ様の言葉に、イルギアの様子を思い出した。
あの後、イルギアを見つけ、話しかけてみるといつもの状態に戻っていたが、ひょっとしたら今の話と通じるものがあるかもしれない。
『…でもそれって、疲労が蓄積される頃も相まって、みたいな話じゃないの?』
アリューシャの言うことも一説としてあるのだが、真相は分かっていない。
「解った…その辺も注意して調査を行おう。すまないが長老方、大闇祓いの記録以外に、大穴や地震の事で参考になる文献がないか調べて頂きたい。…それからアリューシャ。祖人の王と連絡が取れないだろうか?」
『!』
ルシュアの言葉にアリューシャもピンときた。
前回の大闇祓いの体験者から話を聞ければ、何か分かるかもしれない。
『わかったわ。連絡してみる』
『儂たちも何か解れば、すぐに連絡を入れよう。くれぐれも無理をするでないぞ?』
心強い味方の存在に、ルシュアもほっと胸を撫でおろす。
「頼みます。それでは…」
通信を切り、遅い時間までつき合わせた術師のシルベアに労いの言葉を掛ける。
シルベアは頭を下げると、自分の寝床へと下がっていった。
それと入れ替わるように、デュークが近づいてきた。
「遅くまでお疲れさん」
その手には暖かい飲み物が入った器が二つあり、差し出された一つをルシュアは口の端を上げて受け取った。
「お前こそ、こんな時間まで何をしていた?」
「天使たちを迎えるにあたって、もう一度この辺を調査しておきたいと思って…」
「一人でか?」
「…いや、カルニスや、トマークたちも協力してくれた。先にもう休ませたが…」
「すっかり、面倒見のいい兄貴分だな」
その言葉に複雑な笑みを浮かべながら、デュークは飲み物を口にした。
ルシュアは受け取った器の中を見つめて溜息を零す。
「私は…間違っているか…?本来なら、私たちの身を投げ打ってでも、大闇祓いを成功させるべきかもしれないのに…この行程になってしまっては、期間内での務めも難しい。下手をすると、途中でこの大役を投げ打つことになるかもしれない…」
ルシュアの言葉に耳を傾けていたデュークは、軽く息をつく。
「もともとこの大闇祓いは、誰から頼まれている、というものではない。俺たちの先祖がその威信を掛けて始めただけの行事だ…。…正直言って俺は、その行事にそこまで犠牲を払う必要は無いと思っている。例え成功させたとしても、魔烟は無くならない。俺たちが無理してその数を失えば、これから先、もっと人々が苦しむことになる…。現に、過去の大闇祓いでも完遂はできてないじゃないか…」
「存外、冷静だな…」
「冷静も何も…お前だって、本音はそうだろ?一番大事なのは身近にいる大切な人たちを護ることだ。それに、誰も反対しなかったってことは、皆も同じ気持ちなんだろ」
デュークはそう言い捨てると、その場を後にした。
その背中を見ながら、ルシュアは安堵の笑みを浮かべた。
王都や近隣の都市町村は収穫祭を迎える時期で、城も街も何かと人が忙しく動き回っている。
祖人の王も祭りの貴賓として街に出向いたり、各都市や町からの要人の謁見に奔走していた。
そして、一日の終わりには、王の執務室隣りにある会議所で、王の正体を知る幹部だけで報告会が行われる。
王の隣に側近のフノラが座り、反対隣りには同じく側近で軍人のアラヌスが座る。
アラヌスは前王の統治に反対する軍の総指揮官で、フノラの姉の夫、つまり義兄になる。
王と同じ軍服を纏い、軍人らしく短く刈った金髪の生え際、左の額から左頬にかけて残っている傷跡は十数年前の内戦の時に受けたものだ。
向かいの席には術師頭のイエシェ、その隣には兄妹で諜報員を務めるサンシンとコトネが座る。
二人は普段、執事長と侍女頭を装っており、城内で不審なことがあれば、すぐにフノラの元へ報告に出向く。
30代半ばのサンシンは、黒い前髪を伸ばして顔の表情を半分隠し、一見何を考えているか分からないが、10代の頃から内戦に加わり、現王への忠誠心は高い。
黒く長い髪を一束の三つ編みにしながら弄っているコトネは20代後半。内戦当時はまだ幼かったが、兄の勤めを理解し、同じ道を選んだ。
王室の資産を管理するギラルグが、全員を見渡せる場所に座り、会議の展開によってその予算を弾き出す。オールバックにした灰色の髪に分厚いメガネをかけた、堅く真面目な30代後半の男である。
実際に政治を動かすのは、各省を束ねる大臣たちなのだが、それを影で操作しているのが王の傍に仕える彼らになる。
初代の王は大陸中に蔓延る賊問題を無視し、王都の私腹を肥やすための政治にしか力を入れなかった。
現大臣の中には、前王の頃から務めている者も居て、その頃のやり方が根付いている者も居るため、各方面から目を光らせている。
その日の、それぞれの持ち場からの状況と報告が述べられていく中、術師頭に順番が回ってきた。
「本日、昼前頃でしたか…蒼の聖殿、精霊の巫女より、王への伝言を承りました」
イエシェの報告に、王の顔色が変わった。
「蒼の聖殿から連絡があったのか?何故その場で報告しないのだ」
「も、申し訳ありません…。謁見中ということもありましたし…。その、フノラ殿には報告したのですが…」
「急ぎ伝えることではないと判断し、この場での報告を申し付けました」
フノラが毅然と言うと、王は私情を絡めていたことに気づいて咳払いをした。
「そうであったか…。それで、何と申していたのだ」
「はい。王の都合が付く時に、蒼の騎士団総隊長殿が知恵をお借りしたい、と…」
「知恵…?」
「何やら連峰に異変が起きたとのことで…」
「……」
羽根人たちの大闇祓いは王都が関与するものではない。
本来なら協力を仰がれたところで、拒否をしても問題にはならない…というよりも、むしろ協力するのは不自然なものになる。
考え込む王の様子にフノラは咳払いと共に口を開いた。
「蒼の天使団には、私たちの管理下にある再生の天使も属しております。故に、彼に何かあったら王都の損失にも繋がりましょう。明日の夜でしたら時間が有ります。そこで連絡を取るのは如何でしょうか?」
「そうであるな…。解った。イエシェ、手筈を整えておいてくれ」
「承知致しました」
イエシェは頭を下げ、王の機嫌を損ねなかったことにほっとした表情で、フノラに感謝を伝える。
フノラにとって、王の機嫌を操作するのは然程難しくはないことだが、既に過去のものとなった羽根人たちの行事に、王が直面するのに不安を覚える。
(厄介なことにならなければ良いけど…)
聖殿と連絡を取ってから、二回目の夜が明けた。
騎士たちは前日に続き、天使たちの到着に備えた屋外待機所の設営と、近辺調査を行う。
ルシュアから命令を受けた近辺調査隊は、クーガル、マーツ、ミガセ、ムガサ、ヴィーガル、トマーク、エルーレ、ルファラ、セディムの九名。
地震の影響で山道などに危険な場所があれば整備し、万が一魔物の存在を確認したときは深追いせず、『足止め』をするように指示した。
屋外待機所を設営するのは、全員が待機所で過ごすには無理が生じるためだ。
力仕事に長けているジャンシェンと、統率力のあるセンゲルに現場を仕切らせることにした。
二人が組めば、騎士たちが過ごせるくらいの待機所は、天使団が到着するまでには設営できるだろう。
調査隊を見送り、設営班の作業を眺めていたルシュアだったが、ふと思い立って辺りに声を掛けた。
「…デューク、シャウザ、ルーゼル…あとは…メルティオ、イルギア…これから私と一緒に『大穴』付近の調査を頼みたい」
祖人の王から連絡がないまま調査を実行することに迷いもあったが、少しでも情報が欲しかった。
命じられた者たちが作業の手を止め、それぞれ返事をする中、イルギアの顔色が変わる。
大穴に近づいたとき、言い知れぬ不快感があった。
血の気が引き、頭痛がし、幻聴のようなものも聞こえた。再びそこへ近づくのは気が進まない。
「…ルシュア隊長…その…」
言い難そうにしながら一歩前に出るが、デュークの姿を視界に捉えると、イルギアは弱音を吐く自分が許せなかった。
「…どうした?やはり、気分が優れないか?」
「いえ、大丈夫です」
イルギアはそう答えると剣を手にし、支度を始める。
大穴調査隊の準備が整うと、ルシュアはセンゲルに留守を任せ、5人と共に出発した。
一方、天使団は早朝から第二待機所を出て、第三待機所への山道を進んでいた。
先頭の馬車をムードラ、二台目をノルシュ、三台目をトッティワが操り、ディランガは状況に応じて前方や後方の偵察を担った。
各馬車には浄清の天使、術師、癒しの天使たちが、ほぼ10名ずつに分かれて乗り込んでいる。
サフォーネはクローヌやトハーチェと一緒に三台目の馬車に乗っていた。
「本当に仲が良いですね、あなた達は…」
同じ馬車に乗ったキシリカが、同期の三人組を微笑ましく見つめる。
「ぼくたち、馬が合う、というか…一緒に居ても苦じゃないので」
最初はサフォーネを煙たがっていた筈のクローヌの言葉に、トハーチェはくすくすと笑った。
「それは良いことです。私も仲の良い同期は居ましたが…皆もうとっくに引退してしまいましたからね…。時々便りはあるものの、やはり寂しいものです…」
「…あの…キシリカ様は、やはり大闇祓いの後、引退なさるのですか?」
トハーチェが寂しそうに問いかけると、クローヌも神妙な顔をした。
サフォーネはその会話のやり取りをただじっと聞いている。
もし自分が若くして子を宿していれば、15、6歳の彼らは、それくらいの年頃の子供たちである。
キシリカは愛しさを覚えながら、三人の顔をじっと見つめた。
「そうですね…。エターニャ様が引退された年齢まで頑張りたいとは思っていましたが…。そこまで続けるには相当の鍛錬が必要です。私にはそれが無理だと感じましたので…大闇祓いはちょうどいい節目、なのですよ」
そう言うとそれぞれの頭を優しく撫でながら、キシリカは言葉を続けた。
「こうやって、あなた方のような未来ある天使たちの誕生を見届けられて、私も安心して引退できます」
トハーチェはその優しい手と言葉に薄く涙を浮かべると、キシリカに抱き着いた。
それを見たサフォーネも一緒になって抱き着く様子に戸惑うクローヌを、キシリカは優しく抱き寄せる。
「いつまでも仲良く、頑張るのですよ?あなた達が将来、この天使団を支えていくのですからね?」
キシリカと同じ天使団で副官を務めるザンカーロが、その様子にもらい泣きをしていると、第二天使団の上位天使、ニハルノが黙って手布を差し出した。
「す…すまない」
「もっとしっかりなさってください?キシリカ様を始め、エルジュ様、ファズリカ様もご引退されるのですから…。ここは数少ない男性陣に頑張って頂きたいのですよ?」
いつも冷静沈着で無口なニハルノから珍しく励まされたザンカーロは、その手布で涙を拭った。
三人もの天使団長が引退をするあと、恐らく任期十年以上のニハルノやクシュカ、それからザンカーロが次代の天使団長になるのは予測がつく。
「わ、解っている…。だが、キシリカ様のような御方が引退されるのは本当に惜しいのだ…。お前もそう思うだろう?」
「そんなこと、わざわざ言わなくとも…。皆が思っていることです」
ニハルノは三人の新米天使たちを抱きしめているキシリカを見つめ、そっと涙を拭った。
~つづく~
毎日、陽が落ちてから夕食後に、騎士団と天使団は連絡を取り合い、互いの無事を確認する。
アリューシャの力を借りられないため、声だけの通信となるが、それでも安心感は得られるものだ。
特に今回は大きな地震もあり、天使たちは騎士たちの安否が気になっていた。
時間が迫ってくると、リスンクとミラドネは所定の場所で定期連絡の準備を始める。
水晶玉が備えられた置き台の前に二人が座ると、その真向かいにセルティアが座り、天使たちが取り囲むように集まった。
リスンクが手を翳す水晶玉に皆が注目していると、玉が淡い光を放ちだし、僅かに声が届き始める。
「あ、聞こえてきましたぁ!」
思わず大きな声を上げてしまったティファーシャに、皆が静かにするよう指もとに人差し指を当てる。
『…やぁ、麗しの天使は元気なようだね。皆無事かな?』
しっかりとティファーシャの声が拾われた様子に、何人かの天使たちは小さく吹き出した。
しかしセルティアは、ルシュアの戯けた挨拶に聞こえよがしに大きな溜息をつく。
「こちらは皆無事です。そちらもその様子なら大丈夫そうですね…と、言ってもいいのでしょうか?いろいろと尋常ではない事態が起きているようですが…」
予想通りの返事に、ルシュアは思わず破願した。
地震後の調査をムードラが欠かさない筈もない。
恐らく異常事態については情報を共有するまでもなく、知っていると思っていた。
「その通りだな。すぐに本題に入ろう。…と言っても、どこまで話していいものか…。今そこには、全員揃っているのか?」
『えぇ…揃っております。ただ、全ての事情を知っているのは護衛の騎士様たちと天使団長のみです。…なので、これを機に全員に知ってもらいたいと思っています』
セルティアの言葉に、天使たちがざわめく声が聞こえてきた。
『静かになさい。大事な話の途中です』
動揺する天使たちに静まるよう、キシリカが促している。
恐らく全ての事実を伝えるのを懸念し、天使団長たちで話し合い、他の天使たちには無難な事だけ伝えていたのだろう。
その様子にルシュアは小さく苦笑した。
第三待機所も癒しの施しを受けているワグナ以外、騎士たちは皆近くに揃っている。
これからの行程を全員の耳に入れるには丁度良い。
ルシュアは各隊長と目を合わせて頷き、口を開いた。
「解った。では全て話そう。…皆が周知の通り、朝から大きな地震があった。…その影響かは判らないが、我々がこれから目指す、第四待機所の途中にある山頂が…姿を変えるほど、崩れているのが確認できた」
水晶玉の向こうから動揺の声が聞こえてくる。
それを諫めるセオルトとクシュカの声も僅かに届いてきた。
その騒ぎが落ち着くのを待ち、ルシュアは続ける。
「我々はマーラを追い詰めている途中だったが…この不測の事態が起きたため深入りせず、今回は止む無く『足止め』をすることにした」
あれから第三待機所に戻った騎士たちの中から、ルシュア、イルギア、メルティオが、術師のゴルディと共に再び森へ戻って『足止め』を行った。
その帰りに上空から偵察を行うと、まるで近くの『大穴』に吸い込まれたかのように、山頂が姿を消していたのが確認できた。
その時の事を思い出し、ルシュアはイルギアを目で探した。
あの後、急に口数が少なくなり、何か独り言を呟いているのが気になっていたのだが…。
『こちらも遠くから、山頂の変化は確認できた。そして上空から第二待機所近辺を見たところ、小さな亀裂も見つかった。それがどうもその大穴に続いている気がしてな…気になっているんだ』
水晶玉越しにムードラの声が聞こえてきて、ルシュアは話に引き戻された。
「あぁ、亀裂はこちらも確認した。無くなった山頂と大穴付近から南北に大きく伸びていた。そちらまで続いている可能性もあるな…」
『それで、今後はどうなりますか?足止めを行ったのなら、その付近での魔物は全て封印したことになりますね?もう浄化の行程に入れるのでしたら、私たちは明日中に荷物をまとめ、明後日にでもここを発つことはできますが…』
「………」
セルティアの提案に一瞬返答を躊躇った。
行程の変更は隊長・副隊長会議で決めたことだが、どこかに迷いがあった。
言い淀む隙に、騎士たちから微かなざわめきが起こり始め、ルシュアは再び口を開いた。
上に立つ者が迷っていては、皆を不安にさせる。
『…そうだな…。そうしてくれるか?それから、君たちが到着するまで、我々はここで待つことにした。本来なら、次の待機所に移動するところだが、ここに留まって、もう少し調査をしておきたい』
「…解りました」
ルシュアからの行程の変更を聞いて、若い天使の何人かは表情が明るくなった。
この天災の中、しかも大闇祓いが終わるまで会えないと思っていた騎士たちに、数日後に再会できると思うと心強い。
サフォーネはその意味が解らず、トハーチェやクローヌに説明してもらうと、デュークに会えると知って、嬉しそうに目を輝かせた。
天使たちの喜ぶ声に釣られて笑みが零れたルシュアだが、言い難そうに言葉を続けた。
『あぁ、それから…ファズリカ』
その声に、ファズリカの心臓が跳ね上がる。
直接名前を呼ばれるということは、あまり良くない知らせに決まっている。
動揺しながらも、水晶玉の前に膝を進めると、神妙な顔で「はい、ここにおります」と答えた。
『ワグナが深手を負った。命に別状は無いが、ここに来た時に君を驚かせる訳にも行かないしな…』
ファズリカは一瞬息を呑んだが、気丈に振舞い、返事をした。
「…そうでしたか…。承知しました。…その…ワグナは…?」
誰かに付き添われながら、近付いてくる気配が水晶玉越しに伝わってくる。
『…ファズリカ…』
聞こえてきた声に涙が溢れてきた。
『…すまない…式の当日は…少し、貫禄のある顔になってるかもしれないが…』
「…もぉ、馬鹿なことを…。…生きていてくれて…何よりです…」
苦しそうではあるが、生きている。
それだけでどれだけ救われるか…。
涙を堪えるファズリカの背中を、キシリカとエルジュが優しく摩った。
次の待機所に移る時、現待機所は15年後に備え、片付けと結界を施す必要がある。
定期連絡を終えた天使団は、明日に備えて早めに休むことにした。
「アリューシャ様、騎士団より緊急の連絡が入りました」
蒼の聖殿で待機している術師から報告があると、アリューシャは夜具の上にストールを羽織り、急いで小会議室の水晶玉の前へ歩み寄る。
ババ様と二人の長老もやってきた。
『やぁ、親愛なる又従兄妹殿。聖殿は変わらずか?長の容体は?』
「…こっちは変わらずよ…長はまだ臥せっているけど…安定してる…。ていうか、こんな時間に連絡ってことは、そっちは何かあったのね?みんな無事なの?」
聖殿へはある程度決まった時刻に連絡をすることにしているが、それは毎日ではない。
セルティアに続き、察しの良いアリューシャの言葉にルシュアは苦笑した。
『負傷者は数名居るが、みんな無事だ』
ルシュアは待機所内を見渡す。
既に殆どの騎士たちが寝静まっていた。
部下たちを先に休ませ、隊長、副隊長で再度会議を行った結果、聖殿に協力を仰ぐことにしたのだ。
「行程の変更を知らせる。実は今朝、こちらでは激しい地震が起き、第三待機所から第四待機所の間にある一番高い山頂が消滅した。その因果関係は不明だが、追跡中の魔物を足止めにし、我々は第三待機所にて数日調査を行うことにした。明後日、天使団も合流予定だ」
『え…えぇ?何それ…』
前代未聞の報告にアリューシャが言葉を失い、長老たちは息を呑んだ。
ババ様は眉をしかめながら問いかける。
「その付近には、確か大穴がありましたね…噴火などは起きていませんね?」
『はい。大穴の言い伝えは、遥か昔に起きた噴火の跡ではないかと言われているようですが…今回の地震でその兆候はありません』
連峰で噴火などあれば、それはたちまち大陸中で騒ぎになるだろう。
ただ、『大穴』を中心に異変が起きているのは間違いない。
ルシュアはそう感じていた。
「…大穴について、ババ様は他に何かご存知ですか?もしくは、長からお聞きしていませんか…」
前回の蒼の聖殿の大闇祓いは約45年前。
当時の騎士団や天使団所属の者たちは、既に亡くなっていたり、連絡が取れない者が多い。
エターニャにおいては既に引退していた時期だったので実体験は無いが、長のイフーダはさらにその前の大闇祓いに総隊長として参戦している。
当時の話は、ルシュアも長から直接聞いた事はあるが、『大穴』や地震についてはほぼ語られなかった。
今、尋ねようにもそれが叶わないのが悔やまれる。
『そうですね…噴火跡だという言い伝えと、あの付近に差し掛かると体調を崩すことがある、としか…』
「……やはり、そうですか…」
ババ様の言葉に、イルギアの様子を思い出した。
あの後、イルギアを見つけ、話しかけてみるといつもの状態に戻っていたが、ひょっとしたら今の話と通じるものがあるかもしれない。
『…でもそれって、疲労が蓄積される頃も相まって、みたいな話じゃないの?』
アリューシャの言うことも一説としてあるのだが、真相は分かっていない。
「解った…その辺も注意して調査を行おう。すまないが長老方、大闇祓いの記録以外に、大穴や地震の事で参考になる文献がないか調べて頂きたい。…それからアリューシャ。祖人の王と連絡が取れないだろうか?」
『!』
ルシュアの言葉にアリューシャもピンときた。
前回の大闇祓いの体験者から話を聞ければ、何か分かるかもしれない。
『わかったわ。連絡してみる』
『儂たちも何か解れば、すぐに連絡を入れよう。くれぐれも無理をするでないぞ?』
心強い味方の存在に、ルシュアもほっと胸を撫でおろす。
「頼みます。それでは…」
通信を切り、遅い時間までつき合わせた術師のシルベアに労いの言葉を掛ける。
シルベアは頭を下げると、自分の寝床へと下がっていった。
それと入れ替わるように、デュークが近づいてきた。
「遅くまでお疲れさん」
その手には暖かい飲み物が入った器が二つあり、差し出された一つをルシュアは口の端を上げて受け取った。
「お前こそ、こんな時間まで何をしていた?」
「天使たちを迎えるにあたって、もう一度この辺を調査しておきたいと思って…」
「一人でか?」
「…いや、カルニスや、トマークたちも協力してくれた。先にもう休ませたが…」
「すっかり、面倒見のいい兄貴分だな」
その言葉に複雑な笑みを浮かべながら、デュークは飲み物を口にした。
ルシュアは受け取った器の中を見つめて溜息を零す。
「私は…間違っているか…?本来なら、私たちの身を投げ打ってでも、大闇祓いを成功させるべきかもしれないのに…この行程になってしまっては、期間内での務めも難しい。下手をすると、途中でこの大役を投げ打つことになるかもしれない…」
ルシュアの言葉に耳を傾けていたデュークは、軽く息をつく。
「もともとこの大闇祓いは、誰から頼まれている、というものではない。俺たちの先祖がその威信を掛けて始めただけの行事だ…。…正直言って俺は、その行事にそこまで犠牲を払う必要は無いと思っている。例え成功させたとしても、魔烟は無くならない。俺たちが無理してその数を失えば、これから先、もっと人々が苦しむことになる…。現に、過去の大闇祓いでも完遂はできてないじゃないか…」
「存外、冷静だな…」
「冷静も何も…お前だって、本音はそうだろ?一番大事なのは身近にいる大切な人たちを護ることだ。それに、誰も反対しなかったってことは、皆も同じ気持ちなんだろ」
デュークはそう言い捨てると、その場を後にした。
その背中を見ながら、ルシュアは安堵の笑みを浮かべた。
王都や近隣の都市町村は収穫祭を迎える時期で、城も街も何かと人が忙しく動き回っている。
祖人の王も祭りの貴賓として街に出向いたり、各都市や町からの要人の謁見に奔走していた。
そして、一日の終わりには、王の執務室隣りにある会議所で、王の正体を知る幹部だけで報告会が行われる。
王の隣に側近のフノラが座り、反対隣りには同じく側近で軍人のアラヌスが座る。
アラヌスは前王の統治に反対する軍の総指揮官で、フノラの姉の夫、つまり義兄になる。
王と同じ軍服を纏い、軍人らしく短く刈った金髪の生え際、左の額から左頬にかけて残っている傷跡は十数年前の内戦の時に受けたものだ。
向かいの席には術師頭のイエシェ、その隣には兄妹で諜報員を務めるサンシンとコトネが座る。
二人は普段、執事長と侍女頭を装っており、城内で不審なことがあれば、すぐにフノラの元へ報告に出向く。
30代半ばのサンシンは、黒い前髪を伸ばして顔の表情を半分隠し、一見何を考えているか分からないが、10代の頃から内戦に加わり、現王への忠誠心は高い。
黒く長い髪を一束の三つ編みにしながら弄っているコトネは20代後半。内戦当時はまだ幼かったが、兄の勤めを理解し、同じ道を選んだ。
王室の資産を管理するギラルグが、全員を見渡せる場所に座り、会議の展開によってその予算を弾き出す。オールバックにした灰色の髪に分厚いメガネをかけた、堅く真面目な30代後半の男である。
実際に政治を動かすのは、各省を束ねる大臣たちなのだが、それを影で操作しているのが王の傍に仕える彼らになる。
初代の王は大陸中に蔓延る賊問題を無視し、王都の私腹を肥やすための政治にしか力を入れなかった。
現大臣の中には、前王の頃から務めている者も居て、その頃のやり方が根付いている者も居るため、各方面から目を光らせている。
その日の、それぞれの持ち場からの状況と報告が述べられていく中、術師頭に順番が回ってきた。
「本日、昼前頃でしたか…蒼の聖殿、精霊の巫女より、王への伝言を承りました」
イエシェの報告に、王の顔色が変わった。
「蒼の聖殿から連絡があったのか?何故その場で報告しないのだ」
「も、申し訳ありません…。謁見中ということもありましたし…。その、フノラ殿には報告したのですが…」
「急ぎ伝えることではないと判断し、この場での報告を申し付けました」
フノラが毅然と言うと、王は私情を絡めていたことに気づいて咳払いをした。
「そうであったか…。それで、何と申していたのだ」
「はい。王の都合が付く時に、蒼の騎士団総隊長殿が知恵をお借りしたい、と…」
「知恵…?」
「何やら連峰に異変が起きたとのことで…」
「……」
羽根人たちの大闇祓いは王都が関与するものではない。
本来なら協力を仰がれたところで、拒否をしても問題にはならない…というよりも、むしろ協力するのは不自然なものになる。
考え込む王の様子にフノラは咳払いと共に口を開いた。
「蒼の天使団には、私たちの管理下にある再生の天使も属しております。故に、彼に何かあったら王都の損失にも繋がりましょう。明日の夜でしたら時間が有ります。そこで連絡を取るのは如何でしょうか?」
「そうであるな…。解った。イエシェ、手筈を整えておいてくれ」
「承知致しました」
イエシェは頭を下げ、王の機嫌を損ねなかったことにほっとした表情で、フノラに感謝を伝える。
フノラにとって、王の機嫌を操作するのは然程難しくはないことだが、既に過去のものとなった羽根人たちの行事に、王が直面するのに不安を覚える。
(厄介なことにならなければ良いけど…)
聖殿と連絡を取ってから、二回目の夜が明けた。
騎士たちは前日に続き、天使たちの到着に備えた屋外待機所の設営と、近辺調査を行う。
ルシュアから命令を受けた近辺調査隊は、クーガル、マーツ、ミガセ、ムガサ、ヴィーガル、トマーク、エルーレ、ルファラ、セディムの九名。
地震の影響で山道などに危険な場所があれば整備し、万が一魔物の存在を確認したときは深追いせず、『足止め』をするように指示した。
屋外待機所を設営するのは、全員が待機所で過ごすには無理が生じるためだ。
力仕事に長けているジャンシェンと、統率力のあるセンゲルに現場を仕切らせることにした。
二人が組めば、騎士たちが過ごせるくらいの待機所は、天使団が到着するまでには設営できるだろう。
調査隊を見送り、設営班の作業を眺めていたルシュアだったが、ふと思い立って辺りに声を掛けた。
「…デューク、シャウザ、ルーゼル…あとは…メルティオ、イルギア…これから私と一緒に『大穴』付近の調査を頼みたい」
祖人の王から連絡がないまま調査を実行することに迷いもあったが、少しでも情報が欲しかった。
命じられた者たちが作業の手を止め、それぞれ返事をする中、イルギアの顔色が変わる。
大穴に近づいたとき、言い知れぬ不快感があった。
血の気が引き、頭痛がし、幻聴のようなものも聞こえた。再びそこへ近づくのは気が進まない。
「…ルシュア隊長…その…」
言い難そうにしながら一歩前に出るが、デュークの姿を視界に捉えると、イルギアは弱音を吐く自分が許せなかった。
「…どうした?やはり、気分が優れないか?」
「いえ、大丈夫です」
イルギアはそう答えると剣を手にし、支度を始める。
大穴調査隊の準備が整うと、ルシュアはセンゲルに留守を任せ、5人と共に出発した。
一方、天使団は早朝から第二待機所を出て、第三待機所への山道を進んでいた。
先頭の馬車をムードラ、二台目をノルシュ、三台目をトッティワが操り、ディランガは状況に応じて前方や後方の偵察を担った。
各馬車には浄清の天使、術師、癒しの天使たちが、ほぼ10名ずつに分かれて乗り込んでいる。
サフォーネはクローヌやトハーチェと一緒に三台目の馬車に乗っていた。
「本当に仲が良いですね、あなた達は…」
同じ馬車に乗ったキシリカが、同期の三人組を微笑ましく見つめる。
「ぼくたち、馬が合う、というか…一緒に居ても苦じゃないので」
最初はサフォーネを煙たがっていた筈のクローヌの言葉に、トハーチェはくすくすと笑った。
「それは良いことです。私も仲の良い同期は居ましたが…皆もうとっくに引退してしまいましたからね…。時々便りはあるものの、やはり寂しいものです…」
「…あの…キシリカ様は、やはり大闇祓いの後、引退なさるのですか?」
トハーチェが寂しそうに問いかけると、クローヌも神妙な顔をした。
サフォーネはその会話のやり取りをただじっと聞いている。
もし自分が若くして子を宿していれば、15、6歳の彼らは、それくらいの年頃の子供たちである。
キシリカは愛しさを覚えながら、三人の顔をじっと見つめた。
「そうですね…。エターニャ様が引退された年齢まで頑張りたいとは思っていましたが…。そこまで続けるには相当の鍛錬が必要です。私にはそれが無理だと感じましたので…大闇祓いはちょうどいい節目、なのですよ」
そう言うとそれぞれの頭を優しく撫でながら、キシリカは言葉を続けた。
「こうやって、あなた方のような未来ある天使たちの誕生を見届けられて、私も安心して引退できます」
トハーチェはその優しい手と言葉に薄く涙を浮かべると、キシリカに抱き着いた。
それを見たサフォーネも一緒になって抱き着く様子に戸惑うクローヌを、キシリカは優しく抱き寄せる。
「いつまでも仲良く、頑張るのですよ?あなた達が将来、この天使団を支えていくのですからね?」
キシリカと同じ天使団で副官を務めるザンカーロが、その様子にもらい泣きをしていると、第二天使団の上位天使、ニハルノが黙って手布を差し出した。
「す…すまない」
「もっとしっかりなさってください?キシリカ様を始め、エルジュ様、ファズリカ様もご引退されるのですから…。ここは数少ない男性陣に頑張って頂きたいのですよ?」
いつも冷静沈着で無口なニハルノから珍しく励まされたザンカーロは、その手布で涙を拭った。
三人もの天使団長が引退をするあと、恐らく任期十年以上のニハルノやクシュカ、それからザンカーロが次代の天使団長になるのは予測がつく。
「わ、解っている…。だが、キシリカ様のような御方が引退されるのは本当に惜しいのだ…。お前もそう思うだろう?」
「そんなこと、わざわざ言わなくとも…。皆が思っていることです」
ニハルノは三人の新米天使たちを抱きしめているキシリカを見つめ、そっと涙を拭った。
~つづく~
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
転生王子はダラけたい
朝比奈 和
ファンタジー
大学生の俺、一ノ瀬陽翔(いちのせ はると)が転生したのは、小さな王国グレスハートの末っ子王子、フィル・グレスハートだった。
束縛だらけだった前世、今世では好きなペットをモフモフしながら、ダラけて自由に生きるんだ!
と思ったのだが……召喚獣に精霊に鉱石に魔獣に、この世界のことを知れば知るほどトラブル発生で悪目立ち!
ぐーたら生活したいのに、全然出来ないんだけどっ!
ダラけたいのにダラけられない、フィルの物語は始まったばかり!
※2016年11月。第1巻
2017年 4月。第2巻
2017年 9月。第3巻
2017年12月。第4巻
2018年 3月。第5巻
2018年 8月。第6巻
2018年12月。第7巻
2019年 5月。第8巻
2019年10月。第9巻
2020年 6月。第10巻
2020年12月。第11巻 出版しました。
PNもエリン改め、朝比奈 和(あさひな なごむ)となります。
投稿継続中です。よろしくお願いします!

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる