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第四章
[第47話]港町トーエン
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最初の滞在地として立ち寄ったのは、蒼の聖都より南西に位置するトーエン。
漁船が数十隻入る大きな港町だ。
各宿屋や領主たちがそれぞれ騎士や天使たちを迎え入れる。
いつもは各騎士団、天使団に別れて行動をするが、大闇祓いにその括りはない。
宿屋も親しい友人同士や同期などで部屋が割り振られた。
「…で、こういう部屋割りになった…と。…何だかなぁ…」
クローヌは小声で不平を言いながら、出立式で身に付けていた新装束から普段着に着替えた。
背後を振り返れば、着替えにもたもたしているサフォーネと、さっさと着替え終わったルゼーヌが、銀髪の巻き毛を整えながら部屋を出ようとしていた。
「ルゼーヌ、どこへ行くんた?ぼくたちこれから海を見に行くんだけど…」
二年先輩のルゼーヌはクローヌの苦手なタイプだが、同部屋になった以上、知らん顔もできない。
「…え?夕飯まで自由行動だろ?それに、悪いけどお前たちと一緒に遊ぶ気は無いから。…じゃぁね」
思った通りの反応が返ってきた。
そのまま部屋を出て行く後ろ姿を、クローヌはやれやれと見送った。
一際美しく、妖艶な魅力を放つルゼーヌは男性からの人気も高い。
いつも一人で行動することが多く、そんな時は誰かと密会しているのでは、という噂もあった。
女性の天使が異性と性交を赦されないのと同じく、男性の天使もまた、現役中の性交は禁じられている。
しかしそれは表向きの話で、性交には至らない程度までなら暗黙の了解となっている。
ルゼーヌもそんなことを…?一瞬考えたクローヌだったが、頭を振って吹き飛ばした。
「…はぁ…面倒なことに巻き込んでくれなければ何でもいいけどさ…」
クローヌは溜息を零しながら、着替えにてこずっているサフォーネを手伝った。
二人が浜辺に出ると、騎士や天使が何人か歩いていた。
恐らく『初めて海を見る』という者ばかりだろう。
浜辺の貝がらを拾ったり、漁船の見学をしたり、夕飯前だというのに、その場で焼いた海の幸を街の者から貰っている者もいる。
「うみ…おーきい…。なみ、すごいねー」
「うん、そうだね…」
王都の向こうに見た遠目とは違い、間近に打ち寄せる波は、湖の淵に寄せるそれとは比べ物にならない。
目を輝かせながらサフォーネは波を追いかけた。
サフォーネの呑気な感想に相槌を打ちながら、クローヌも打ち寄せる波に視線を落とす。
実は、クローヌは海を見たことがある。
まだ浄清の天使として修行する前、大陸の東にある港町で幼少期を過ごしたことがあるのだ。
幼い頃の記憶は朧気だが、この潮の香りは強烈に覚えている。
「クローヌ!かに!かにいる」
本で見た生き物と同じ蟹を見つけて興奮しているサフォーネを眺めていると、その向こうから若手の女性天使たちが歩いてきた。
トハーチェと、『デュークを応援する会』の三人娘、それとマヌルカとリンシャナだ。
肩までの蜜柑色の髪を弾ませて歩くマヌルカと、緩やかな金の長髪を揺らしてその後を追うリンシャナは、所属天使団は違うが同期の頃からずっと仲が良くて有名だ。
二人はクローヌとサフォーネを見つけると、その輪から離れて行った。
「ホント、男嫌いもいいところよね…」
「そうね。顔立ちなら女子と変わらないサフォーネから慣れさせようと思ったんだけど…」
その様子を見て、フィンカナが溜息をつくとカヌシャも肩を聳やかした。
「でも、リンシャナは前にデューク様の事、気にしてましたよぉ。『どんな方なのかしら』…って…」
「え。嘘でしょ?そんなこと言ってたの?」
リンシャナと同じ天使団にいるのはカヌシャとティファーシャだが、カヌシャには初耳だった。
「うーん…それはそれで、穏やかではないわね…」
「?」
唸るフィンカナの様子を見て、サフォーネが首を傾げる。
傍へやってきたトハーチェが、サフォーネの手の中にいる蟹を覗き込んで「わぁ」と目を輝かせた。
「あれ、トハーチェ…ユヒネは?同じ部屋じゃなかったっけ?」
クローヌが疑問を投げかけると、トハーチェは複雑そうに笑った。
「え…っと、何か用事があったみたい。誘っても断られちゃった…」
ユヒネは、クローヌが所属する第五天使団の先輩に当たる。
貴族出身も去ることながら、菫色の髪、紫の瞳、薄紫の翼と、全身高貴な色を纏う容姿もあってか、プライドの高いユヒネは日頃からとっつきにくい。
トハーチェの気苦労を自分と重ね、クローヌも複雑そうに笑った。
手を繋いだマヌルカとリンシャナは、人目のつかない海岸の岩場まで来ていた。
海にせり出るように突出した岩の真下に、二人は身を寄せて座る。
「ほんと、お節介よね、フィンカナって…私たちのことは放っておいてくれないかしら…」
「ふふふ、そうね…」
マヌルカが頬を膨らませると、リンシャナが面白そうに指先でつついた。
その手を取ったマヌルカは、リンシャナの額に自分の額を押し当て、その青い瞳を見つめる。
「でもやっと二人きりになれた…こうして一緒に過ごせるなら、大闇祓いも悪くないわね」
マヌルカは姉御肌で負けず嫌いな性格もあってか、子供の頃から男性と対等でありたいと思っている。
消極的なリンシャナを何かと放っておけず、気が付けばいつも二人で行動を共にすることが増えていた。
「そうね…でも、あまり皆と離れると心配されるわ」
リンシャナは貧しい家の出身で、幼い頃に父親から暴力を振るわれた経験で、男性に対しての恐怖心が抜けずにいる。
浄化の仕事の時は、同天使団の上位天使で知的障害を持つミハナの世話と乗じて、騎士たちとは一切言葉を交わさずにいる。
マヌルカはそんなリンシャナをいつも心配していた。
「いいじゃない。自由時間なんだから…。私は貴女と二人だけで居たいんだもん」
「…うん、私も…」
マヌルカが唇を近づけてきた。
リンシャナは瞳を閉じて、それを受け入れる。
そっと振れるだけの柔らかい感触は、二人だけのくすぐったい秘密。
間近にある互いの顔を恥ずかしそうに見つめ合っていると、岩場の上に数人の気配が近づいてきた。
「…この辺、ですか?」
「あぁ、そうなんだ。ここ数日、この辺に構えている牡蠣棚の牡蠣がみな腐ってしまって…」
「なるほど…魔烟の可能性もあるな…」
「こんな時に申し訳ないです…」
「いやいや、これも我々の仕事ですから」
騎士らしき三名の男性と、住民らしき二名の男性の声。
二人はそれだけでも身を強張らせるのに、目の前に見える海に何か異常があるという話にゾッとした。
海辺から遠ざかろうと足場をずらすと、近くの岩が崩れて海面へ沈む。
「ん?下に誰かいるのか?」
その音に気が付いた騎士のひとりが、岩場の下を覗き込もうと膝を付いた時、海面が泡立ち始めた。
「ワグナ!退け!」
背後からデュークに肩を掴まれ、膝を付いたワグナはそのまま後ろへ引き倒された。
途端に海面から水柱が立ち昇る。
岩場の下を覗き込んでいたら、間違いなく首を持っていかれただろう。
「きゃあっ!」
二人の天使が目にしたのは、海面から姿を現した黒く長い影。
甲高い二つの悲鳴と同時に、羽根人の気配を察知したデュークは、真下に天使が居ると確信した。
「メルティオさん!下にいる天使たちを頼む!お二人は避難してください!」
「解った!」
「は、はいっ!!」
住民たちが駆け出し、メルティオが岩場を滑り降りる。
デュークは剣を抜き、ワグナも立ち上がって身構えた。
「これはなんだ?ラームに似ているが…海から…?」
「…分からない。だが、まだ影だ。飛散させて核を討とう」
「了解!…メルティオ!二人を避難させたら…」
ワグナが近くにいる他の天使たちへの避難も頼もうとした矢先、痛烈な悲鳴が上がった。
「…いやぁー!マヌルカ!マヌルカ!」
メルティオの脇に抱えられたリンシャナが、目を瞑ったまま必死にマヌルカに助けを求めている。
「何するのよ!リンシャナを離して!!触らないでよ!おじさんのくせに!」
「お、おじ!?」
メルティオの腕を引っ掻いて抵抗するマヌルカの容赦ない言葉に、メルティオは絶句する。
「…あの二人か…」
男嫌いで有名な二人のことは、同じ第四天使団長で、婚約者でもあるファズリカから聞いている。
暴れている様子からも一筋縄では行かないだろう。
ワグナがどうしたものかと考えるのも束の間、襲い掛かってくる影をデュークが剣で受け止めた。
「すまん。デューク!少しだけ一人で頼む」
「え?」
ワグナはそう言うと岩場を滑り降り、マヌルカを背後から素早く抱き上げた。
「きゃぁーー!離して!離してよー!」
ワグナはマヌルカの爪を頬に受けながらもメルティオに目で合図すると、二人は翼を放出させ、天使を抱いたまま空へ飛び立った。
そのまま岩場から離れながら、眼下に居る天使たちに避難を要請する。
「この先に行くな!魔烟が出た!上位の天使たちを呼んできてくれ」
マヌルカの悲鳴と共に降って来るワグナの声に、フィンカナたちは空を見上げて状況を把握する。
クローヌがいち早く駆け出し、自身が所属する天使団長のキシリカの元へ急いだ。
騒ぎを聞きつけた騎士の数名が、武器を手にデュークの元へ集まってくる。
「!…あれは何ですか?クーガル伯父…じゃない、隊長!」
「さぁな。とりあえず祓うしかないだろう」
第五部隊長のクーガルと、新人セディムは伯父と甥っ子の関係である。
金髪のくせっ毛と青の瞳、白い翼まで同じで、親子と言っても良いほど顔立ちも似ている。
二人は、浜辺で剣術の稽古をしていた合間だったので、戦闘態勢は整っていた。
「俺たちも加勢する!」
近くの漁場で漁師から焼き立ての貝を堪能していたジュフェルとソシュレイも加わった。
そのソシュレイの隣にもう一人、剣を構える者が居た。
「リュシム?」
どこに居たのか、突然現れた第六部隊のリュシムは薄鈍色の長い前髪の隙間から、青い瞳を覗かせてソシュレイを見た。
「デューク!俺とセディムで奴が陸に上がらないよう足止めをする」
「頼みます!」
クーガルが声を上げるとデュークが答え、それを聞いた他の者たちも瞬時に自分の役割を察する。
部隊の枠を越えての戦いは四半期の旅以来だったが、新人のセディム以外は互いの行動を読みながら、見事な連携を繰り返した。
「見えた!」
徐々に影を削ぎ落していくと核らしき石が垣間見え、セディムが声を上げた。
「伏せろ!」
騎士たちの背後から、弓を構えたエルーレの声が届く。
その声に前衛の騎士たちが身を屈むと、その頭上を一筋の矢が飛んでいき、見事にその核を捉えた。
「やったぁ!!」
セディムの歓喜の声と共に、影の魔物はそのまま身を崩し、消えていった。
皆が安堵の息を吐き、互いを労うように握手を交わす。
「やったな!リュシム」
「…あ、あぁ」
ソシュレイが笑みを向けると、リュシムは戸惑うように瞳を反らした。
「すごい!こんな咄嗟の戦いで、しかも短い時間で仕留めるなんて…」
セディムが興奮してクーガルに抱き着いていると、エルーレが歩み寄ってきた。
「セディム良くやった。だが、本戦ではお前は弓部隊の配属になる。こんな時の対処法を確認した方がいいな。クーガル隊長、この後、セディムを預かってもいいか」
「あ、あぁ。それは構わんが…」
エルーレの真面目な顔に断れる筈もない。
剣の稽古で疲れている甥っ子を不憫に思いながらも、クーガルはそれを見送った。
去って行くエルーレの後ろ姿を、ソシュレイが寂しそうな視線で追う。
その様子をリュシムが見つめていると、第四天使団長ファズリカと、第五天使団長キシリカがクローヌに先導されてやってきた。
「浄化を始めます。輪に入れる者は加わりなさい」
キシリカは若い天使たちにそう言うと、ファズリカと共に飛散した魔烟を吸い上げて行った。
正式な浄化の儀式では杓を使用するが、それは力を安定させる道具であり、上位の天使や熟練者たちは無くてもできる。
咄嗟に参加できたのは任期六年を迎えるフィンカナとカヌシャだった。
サフォーネは手の中の蟹をトハーチェに渡すと、引き寄せられるように輪に加わる。
魔を吸い上げていくサフォーネの様子をキシリカが隣に立ち、注意深く補佐した。
「サフォーネ、もっと速度を落としなさい」
その声に慎重に頷きながらサフォーネは浄化を達成した。
ルシュアとセルティアにその報告が上がったのは夕食の少し前だった。
町長の家に招待されていた二人の元へ、デューク、ワグナ、メルティオ、キシリカ、ファズリカが参上した。
「街の中…というよりも海辺か…そこにラームのような魔物…?」
「初めて聞く事例ですね…。それで、浄化の方は無事に終わったのですか?」
「はい。ここに滞在できる時間も限りがありますから、あとは明日の朝、出立前にもう一度浄化を施してみます」
キシリカの報告にセルティアもほっと頷く。
「…で、その魔物は爪でも生えてたのか?」
メルティオとワグナの腕や顔に残るひっかき傷を見てルシュアが尋ねると、傍に居たファズリカが困ったような笑顔を作った。
「二人は私の天使団に居る、大事な天使たちを護ってくれたのです。…その…本当に…ごめんなさい…」
「いや、君のせいではないだろう、あれは…」
「そうだそうだ。気にしないでくれ」
メルティオが豪快に笑うと、キシリカがその傷にそっと手を翳した。
キシリカにも癒しの力が備わっている。
間近に迫るキシリカの顔に、メルティオは顔を真っ赤にした。
「やっぱお前はすごいよな…」
クローヌは咄嗟に輪に入れなかったことを悔しく思いながら、サフォーネを認めるしかなかった。
二人は部屋で一休みした後、夕食の会場になる宿の食堂へ移動する途中だった。
「サフォ、すごい…?」
褒められれば嬉しい。デュークもあの後、「よくやった」と頭を撫でてくれた。
素直に喜んでいるサフォーネが何か手に持っていることに気づき、クローヌが覗き込もうとすると、廊下の曲がり角でくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。
聞こえてきたのは食堂と反対側の廊下。
気になってそちらを見れば、灯も無く薄暗い中、二人の人影らしきものが動いていた。
「…やめろっ!俺は、そんなつもりはないっ!」
「えぇ?何言ってんの。あんた女苦手でしょ?見れば解るよ?」
その声にはっとなって立ち止ったクローヌにサフォーネがぶつかって、小さな声を上げた。
それに驚いてこちらを振り向いたのはルゼーヌだった。
相手の顔は見えないが、その首に腕を回して抱き着いている姿にクローヌが呆気に取られていると、相手の男はその隙をついてルゼーヌを振りほどき、廊下の奥へと消えて行った。
「…んだよ。度胸が無い奴…」
ルゼーヌは深く息を吐くと、乱れた襟元を戻しながら、クローヌとサフォーネの方へ歩んできた。
硬直したままのクローヌと、好奇心旺盛の目で見つめてくるサフォーネの傍をすり抜けると、ルゼーヌは立ち止まった。
「お前たちも興味あるなら、今度教えてやろうか?」
その言葉に我に返ったクローヌは、顔を真っ赤にしながら振り返る。
「ふ…ふざけんな!お前と一緒にするな!」
その声に笑いながら、ルゼーヌは二人より先に食堂に入って行く。
「クローヌ…今のちゅー?」
サフォーネの無邪気な言葉にクローヌは脱力し、その場で大きく項垂れた。
一方、やっとのことで落ち着いたリンシャナとマヌルカは、食堂の隅でフィンカナたちに囲まれていた。
「…あのさ…せめて、お礼くらい言った方がいいわよ?助けてくれたんだし…」
「そうですよぉ。ワグナ様のあんな顔見たの初めてですぅ」
「お気の毒にね…」
三人娘たちの言葉にマヌルカはそっぽを向き、リンシャナは半べそをかきながら、マヌルカと繋いでいる手に力を込める。
そこへエルーレがやってきた。
「おい。そこの二人。ワグナ隊長とメルティオさんから伝言だ。『火急の事とは言え、不快な思いをさせて悪かった…』と」
その言葉に顔を上げるリンシャナは涙を零していた。
「ごめん…なさい…。でも…あの…怖いんです…どうしても…男の人…怖くて…」
「リンシャナ…馬鹿ね。貴女が悪い訳じゃないわよ…」
泣くリンシャナをマヌルカが抱きしめる。
「あのぉ…どうして、そんなに怖いんですかぁ?」
「ちょっと…ティファーシャ…」
ただ事ではない様子に皆どう取り繕っていいか分からない中、ティファーシャが素直な疑問を投げたのでカヌシャが諫めたが、リンシャナはその質問に答えるように、自身の過去を語り出した。
「私の家…お父さんが仕事をしない人で、貧しかったんです。よくお酒を飲んで、酔っ払って、お母さんや私の事を叩いたりしたの…。お母さんは、私を助けるために聖殿に掛け合って、適性検査を受けさせてくれて…それで、浄清の天使になれることが解ったの…」
「…そうだったの…知らなかったわ…」
フィンカナが話を聞いて涙ぐむ。同時に男性に慣れさせようと無理強いしたことを反省した。
沈んだ空気を感じて、エルーレが口を開く。
「父親の影響か…だが、父親は父親だ。世の男たちが全員そうとは限らないだろう。いつか『この人は大丈夫』という男が現れるかもしれないしな…」
エルーレが自身の体験を元に述べると、マヌルカが反発するような目を向けた。
リンシャナはその言葉にはっとし、涙をためた瞳を見開く。
「…あ…大丈夫な人…います…。……デューク様」
「えぇ!?!?」
その言葉にその場にいる女性陣の殆どが声を上げた。
「前に、私のお父さんが訪ねてきて…私が嫌がっているところに、ちょうどデューク様が通り掛って…」
リンシャナの父が訪れたのは、膨れ上がった借金を娘に肩代わりしてもらいたいという身勝手な願いからだった。
中央塔の来賓室前で、リンシャナの世話役がその父親と口論しているところにデュークが通り掛かり、娘の腕を無理やり掴む父親からリンシャナを引き離し、一喝して追い払ったのだ。
「あの時…デューク様の片腕に包まれて、傍でデューク様の大きな声も聞いたけど、私…全然怖くなかったの…。それよりも、すごく安心できて…」
思いもよらない告白に口をパクパクしているマヌルカを見て、リンシャナは慌てた。
「あ、違うのよ、マヌルカ。一番安心できるのは貴女なんだけど…」
エルーレは頭を抱えた。
目の前の天使が、数か月前の自身と重なる。
密かに抱いた気持ちに気づいた時の彼女を思うと、これ以上ここに居るのはいたたまれない。
「…そうか、わかった。ひとまずあの男には釘を刺しておかないとな…」
ぶつぶつと言いながら、エルーレはその場を去って行った。
「あ、あのね。リンシャナ。デューク様は誰にでも優しいんだから。変な勘違いは駄目よ?」
「そうそう。私なんかデューク様にお姫様抱っこしてもらったことがあるんだからぁ」
「ここでそれを言う?」
三人娘が慌てて喚きたてる様子に、トハーチェが呆気にとられていると、疲れ切った様子のクローヌと、にこやかな笑顔のサフォーネが食堂に入ってきた。
思い掛けない出来事が続いたトーエンでの滞在は、慌ただしく過ぎていった。
~つづく~
漁船が数十隻入る大きな港町だ。
各宿屋や領主たちがそれぞれ騎士や天使たちを迎え入れる。
いつもは各騎士団、天使団に別れて行動をするが、大闇祓いにその括りはない。
宿屋も親しい友人同士や同期などで部屋が割り振られた。
「…で、こういう部屋割りになった…と。…何だかなぁ…」
クローヌは小声で不平を言いながら、出立式で身に付けていた新装束から普段着に着替えた。
背後を振り返れば、着替えにもたもたしているサフォーネと、さっさと着替え終わったルゼーヌが、銀髪の巻き毛を整えながら部屋を出ようとしていた。
「ルゼーヌ、どこへ行くんた?ぼくたちこれから海を見に行くんだけど…」
二年先輩のルゼーヌはクローヌの苦手なタイプだが、同部屋になった以上、知らん顔もできない。
「…え?夕飯まで自由行動だろ?それに、悪いけどお前たちと一緒に遊ぶ気は無いから。…じゃぁね」
思った通りの反応が返ってきた。
そのまま部屋を出て行く後ろ姿を、クローヌはやれやれと見送った。
一際美しく、妖艶な魅力を放つルゼーヌは男性からの人気も高い。
いつも一人で行動することが多く、そんな時は誰かと密会しているのでは、という噂もあった。
女性の天使が異性と性交を赦されないのと同じく、男性の天使もまた、現役中の性交は禁じられている。
しかしそれは表向きの話で、性交には至らない程度までなら暗黙の了解となっている。
ルゼーヌもそんなことを…?一瞬考えたクローヌだったが、頭を振って吹き飛ばした。
「…はぁ…面倒なことに巻き込んでくれなければ何でもいいけどさ…」
クローヌは溜息を零しながら、着替えにてこずっているサフォーネを手伝った。
二人が浜辺に出ると、騎士や天使が何人か歩いていた。
恐らく『初めて海を見る』という者ばかりだろう。
浜辺の貝がらを拾ったり、漁船の見学をしたり、夕飯前だというのに、その場で焼いた海の幸を街の者から貰っている者もいる。
「うみ…おーきい…。なみ、すごいねー」
「うん、そうだね…」
王都の向こうに見た遠目とは違い、間近に打ち寄せる波は、湖の淵に寄せるそれとは比べ物にならない。
目を輝かせながらサフォーネは波を追いかけた。
サフォーネの呑気な感想に相槌を打ちながら、クローヌも打ち寄せる波に視線を落とす。
実は、クローヌは海を見たことがある。
まだ浄清の天使として修行する前、大陸の東にある港町で幼少期を過ごしたことがあるのだ。
幼い頃の記憶は朧気だが、この潮の香りは強烈に覚えている。
「クローヌ!かに!かにいる」
本で見た生き物と同じ蟹を見つけて興奮しているサフォーネを眺めていると、その向こうから若手の女性天使たちが歩いてきた。
トハーチェと、『デュークを応援する会』の三人娘、それとマヌルカとリンシャナだ。
肩までの蜜柑色の髪を弾ませて歩くマヌルカと、緩やかな金の長髪を揺らしてその後を追うリンシャナは、所属天使団は違うが同期の頃からずっと仲が良くて有名だ。
二人はクローヌとサフォーネを見つけると、その輪から離れて行った。
「ホント、男嫌いもいいところよね…」
「そうね。顔立ちなら女子と変わらないサフォーネから慣れさせようと思ったんだけど…」
その様子を見て、フィンカナが溜息をつくとカヌシャも肩を聳やかした。
「でも、リンシャナは前にデューク様の事、気にしてましたよぉ。『どんな方なのかしら』…って…」
「え。嘘でしょ?そんなこと言ってたの?」
リンシャナと同じ天使団にいるのはカヌシャとティファーシャだが、カヌシャには初耳だった。
「うーん…それはそれで、穏やかではないわね…」
「?」
唸るフィンカナの様子を見て、サフォーネが首を傾げる。
傍へやってきたトハーチェが、サフォーネの手の中にいる蟹を覗き込んで「わぁ」と目を輝かせた。
「あれ、トハーチェ…ユヒネは?同じ部屋じゃなかったっけ?」
クローヌが疑問を投げかけると、トハーチェは複雑そうに笑った。
「え…っと、何か用事があったみたい。誘っても断られちゃった…」
ユヒネは、クローヌが所属する第五天使団の先輩に当たる。
貴族出身も去ることながら、菫色の髪、紫の瞳、薄紫の翼と、全身高貴な色を纏う容姿もあってか、プライドの高いユヒネは日頃からとっつきにくい。
トハーチェの気苦労を自分と重ね、クローヌも複雑そうに笑った。
手を繋いだマヌルカとリンシャナは、人目のつかない海岸の岩場まで来ていた。
海にせり出るように突出した岩の真下に、二人は身を寄せて座る。
「ほんと、お節介よね、フィンカナって…私たちのことは放っておいてくれないかしら…」
「ふふふ、そうね…」
マヌルカが頬を膨らませると、リンシャナが面白そうに指先でつついた。
その手を取ったマヌルカは、リンシャナの額に自分の額を押し当て、その青い瞳を見つめる。
「でもやっと二人きりになれた…こうして一緒に過ごせるなら、大闇祓いも悪くないわね」
マヌルカは姉御肌で負けず嫌いな性格もあってか、子供の頃から男性と対等でありたいと思っている。
消極的なリンシャナを何かと放っておけず、気が付けばいつも二人で行動を共にすることが増えていた。
「そうね…でも、あまり皆と離れると心配されるわ」
リンシャナは貧しい家の出身で、幼い頃に父親から暴力を振るわれた経験で、男性に対しての恐怖心が抜けずにいる。
浄化の仕事の時は、同天使団の上位天使で知的障害を持つミハナの世話と乗じて、騎士たちとは一切言葉を交わさずにいる。
マヌルカはそんなリンシャナをいつも心配していた。
「いいじゃない。自由時間なんだから…。私は貴女と二人だけで居たいんだもん」
「…うん、私も…」
マヌルカが唇を近づけてきた。
リンシャナは瞳を閉じて、それを受け入れる。
そっと振れるだけの柔らかい感触は、二人だけのくすぐったい秘密。
間近にある互いの顔を恥ずかしそうに見つめ合っていると、岩場の上に数人の気配が近づいてきた。
「…この辺、ですか?」
「あぁ、そうなんだ。ここ数日、この辺に構えている牡蠣棚の牡蠣がみな腐ってしまって…」
「なるほど…魔烟の可能性もあるな…」
「こんな時に申し訳ないです…」
「いやいや、これも我々の仕事ですから」
騎士らしき三名の男性と、住民らしき二名の男性の声。
二人はそれだけでも身を強張らせるのに、目の前に見える海に何か異常があるという話にゾッとした。
海辺から遠ざかろうと足場をずらすと、近くの岩が崩れて海面へ沈む。
「ん?下に誰かいるのか?」
その音に気が付いた騎士のひとりが、岩場の下を覗き込もうと膝を付いた時、海面が泡立ち始めた。
「ワグナ!退け!」
背後からデュークに肩を掴まれ、膝を付いたワグナはそのまま後ろへ引き倒された。
途端に海面から水柱が立ち昇る。
岩場の下を覗き込んでいたら、間違いなく首を持っていかれただろう。
「きゃあっ!」
二人の天使が目にしたのは、海面から姿を現した黒く長い影。
甲高い二つの悲鳴と同時に、羽根人の気配を察知したデュークは、真下に天使が居ると確信した。
「メルティオさん!下にいる天使たちを頼む!お二人は避難してください!」
「解った!」
「は、はいっ!!」
住民たちが駆け出し、メルティオが岩場を滑り降りる。
デュークは剣を抜き、ワグナも立ち上がって身構えた。
「これはなんだ?ラームに似ているが…海から…?」
「…分からない。だが、まだ影だ。飛散させて核を討とう」
「了解!…メルティオ!二人を避難させたら…」
ワグナが近くにいる他の天使たちへの避難も頼もうとした矢先、痛烈な悲鳴が上がった。
「…いやぁー!マヌルカ!マヌルカ!」
メルティオの脇に抱えられたリンシャナが、目を瞑ったまま必死にマヌルカに助けを求めている。
「何するのよ!リンシャナを離して!!触らないでよ!おじさんのくせに!」
「お、おじ!?」
メルティオの腕を引っ掻いて抵抗するマヌルカの容赦ない言葉に、メルティオは絶句する。
「…あの二人か…」
男嫌いで有名な二人のことは、同じ第四天使団長で、婚約者でもあるファズリカから聞いている。
暴れている様子からも一筋縄では行かないだろう。
ワグナがどうしたものかと考えるのも束の間、襲い掛かってくる影をデュークが剣で受け止めた。
「すまん。デューク!少しだけ一人で頼む」
「え?」
ワグナはそう言うと岩場を滑り降り、マヌルカを背後から素早く抱き上げた。
「きゃぁーー!離して!離してよー!」
ワグナはマヌルカの爪を頬に受けながらもメルティオに目で合図すると、二人は翼を放出させ、天使を抱いたまま空へ飛び立った。
そのまま岩場から離れながら、眼下に居る天使たちに避難を要請する。
「この先に行くな!魔烟が出た!上位の天使たちを呼んできてくれ」
マヌルカの悲鳴と共に降って来るワグナの声に、フィンカナたちは空を見上げて状況を把握する。
クローヌがいち早く駆け出し、自身が所属する天使団長のキシリカの元へ急いだ。
騒ぎを聞きつけた騎士の数名が、武器を手にデュークの元へ集まってくる。
「!…あれは何ですか?クーガル伯父…じゃない、隊長!」
「さぁな。とりあえず祓うしかないだろう」
第五部隊長のクーガルと、新人セディムは伯父と甥っ子の関係である。
金髪のくせっ毛と青の瞳、白い翼まで同じで、親子と言っても良いほど顔立ちも似ている。
二人は、浜辺で剣術の稽古をしていた合間だったので、戦闘態勢は整っていた。
「俺たちも加勢する!」
近くの漁場で漁師から焼き立ての貝を堪能していたジュフェルとソシュレイも加わった。
そのソシュレイの隣にもう一人、剣を構える者が居た。
「リュシム?」
どこに居たのか、突然現れた第六部隊のリュシムは薄鈍色の長い前髪の隙間から、青い瞳を覗かせてソシュレイを見た。
「デューク!俺とセディムで奴が陸に上がらないよう足止めをする」
「頼みます!」
クーガルが声を上げるとデュークが答え、それを聞いた他の者たちも瞬時に自分の役割を察する。
部隊の枠を越えての戦いは四半期の旅以来だったが、新人のセディム以外は互いの行動を読みながら、見事な連携を繰り返した。
「見えた!」
徐々に影を削ぎ落していくと核らしき石が垣間見え、セディムが声を上げた。
「伏せろ!」
騎士たちの背後から、弓を構えたエルーレの声が届く。
その声に前衛の騎士たちが身を屈むと、その頭上を一筋の矢が飛んでいき、見事にその核を捉えた。
「やったぁ!!」
セディムの歓喜の声と共に、影の魔物はそのまま身を崩し、消えていった。
皆が安堵の息を吐き、互いを労うように握手を交わす。
「やったな!リュシム」
「…あ、あぁ」
ソシュレイが笑みを向けると、リュシムは戸惑うように瞳を反らした。
「すごい!こんな咄嗟の戦いで、しかも短い時間で仕留めるなんて…」
セディムが興奮してクーガルに抱き着いていると、エルーレが歩み寄ってきた。
「セディム良くやった。だが、本戦ではお前は弓部隊の配属になる。こんな時の対処法を確認した方がいいな。クーガル隊長、この後、セディムを預かってもいいか」
「あ、あぁ。それは構わんが…」
エルーレの真面目な顔に断れる筈もない。
剣の稽古で疲れている甥っ子を不憫に思いながらも、クーガルはそれを見送った。
去って行くエルーレの後ろ姿を、ソシュレイが寂しそうな視線で追う。
その様子をリュシムが見つめていると、第四天使団長ファズリカと、第五天使団長キシリカがクローヌに先導されてやってきた。
「浄化を始めます。輪に入れる者は加わりなさい」
キシリカは若い天使たちにそう言うと、ファズリカと共に飛散した魔烟を吸い上げて行った。
正式な浄化の儀式では杓を使用するが、それは力を安定させる道具であり、上位の天使や熟練者たちは無くてもできる。
咄嗟に参加できたのは任期六年を迎えるフィンカナとカヌシャだった。
サフォーネは手の中の蟹をトハーチェに渡すと、引き寄せられるように輪に加わる。
魔を吸い上げていくサフォーネの様子をキシリカが隣に立ち、注意深く補佐した。
「サフォーネ、もっと速度を落としなさい」
その声に慎重に頷きながらサフォーネは浄化を達成した。
ルシュアとセルティアにその報告が上がったのは夕食の少し前だった。
町長の家に招待されていた二人の元へ、デューク、ワグナ、メルティオ、キシリカ、ファズリカが参上した。
「街の中…というよりも海辺か…そこにラームのような魔物…?」
「初めて聞く事例ですね…。それで、浄化の方は無事に終わったのですか?」
「はい。ここに滞在できる時間も限りがありますから、あとは明日の朝、出立前にもう一度浄化を施してみます」
キシリカの報告にセルティアもほっと頷く。
「…で、その魔物は爪でも生えてたのか?」
メルティオとワグナの腕や顔に残るひっかき傷を見てルシュアが尋ねると、傍に居たファズリカが困ったような笑顔を作った。
「二人は私の天使団に居る、大事な天使たちを護ってくれたのです。…その…本当に…ごめんなさい…」
「いや、君のせいではないだろう、あれは…」
「そうだそうだ。気にしないでくれ」
メルティオが豪快に笑うと、キシリカがその傷にそっと手を翳した。
キシリカにも癒しの力が備わっている。
間近に迫るキシリカの顔に、メルティオは顔を真っ赤にした。
「やっぱお前はすごいよな…」
クローヌは咄嗟に輪に入れなかったことを悔しく思いながら、サフォーネを認めるしかなかった。
二人は部屋で一休みした後、夕食の会場になる宿の食堂へ移動する途中だった。
「サフォ、すごい…?」
褒められれば嬉しい。デュークもあの後、「よくやった」と頭を撫でてくれた。
素直に喜んでいるサフォーネが何か手に持っていることに気づき、クローヌが覗き込もうとすると、廊下の曲がり角でくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。
聞こえてきたのは食堂と反対側の廊下。
気になってそちらを見れば、灯も無く薄暗い中、二人の人影らしきものが動いていた。
「…やめろっ!俺は、そんなつもりはないっ!」
「えぇ?何言ってんの。あんた女苦手でしょ?見れば解るよ?」
その声にはっとなって立ち止ったクローヌにサフォーネがぶつかって、小さな声を上げた。
それに驚いてこちらを振り向いたのはルゼーヌだった。
相手の顔は見えないが、その首に腕を回して抱き着いている姿にクローヌが呆気に取られていると、相手の男はその隙をついてルゼーヌを振りほどき、廊下の奥へと消えて行った。
「…んだよ。度胸が無い奴…」
ルゼーヌは深く息を吐くと、乱れた襟元を戻しながら、クローヌとサフォーネの方へ歩んできた。
硬直したままのクローヌと、好奇心旺盛の目で見つめてくるサフォーネの傍をすり抜けると、ルゼーヌは立ち止まった。
「お前たちも興味あるなら、今度教えてやろうか?」
その言葉に我に返ったクローヌは、顔を真っ赤にしながら振り返る。
「ふ…ふざけんな!お前と一緒にするな!」
その声に笑いながら、ルゼーヌは二人より先に食堂に入って行く。
「クローヌ…今のちゅー?」
サフォーネの無邪気な言葉にクローヌは脱力し、その場で大きく項垂れた。
一方、やっとのことで落ち着いたリンシャナとマヌルカは、食堂の隅でフィンカナたちに囲まれていた。
「…あのさ…せめて、お礼くらい言った方がいいわよ?助けてくれたんだし…」
「そうですよぉ。ワグナ様のあんな顔見たの初めてですぅ」
「お気の毒にね…」
三人娘たちの言葉にマヌルカはそっぽを向き、リンシャナは半べそをかきながら、マヌルカと繋いでいる手に力を込める。
そこへエルーレがやってきた。
「おい。そこの二人。ワグナ隊長とメルティオさんから伝言だ。『火急の事とは言え、不快な思いをさせて悪かった…』と」
その言葉に顔を上げるリンシャナは涙を零していた。
「ごめん…なさい…。でも…あの…怖いんです…どうしても…男の人…怖くて…」
「リンシャナ…馬鹿ね。貴女が悪い訳じゃないわよ…」
泣くリンシャナをマヌルカが抱きしめる。
「あのぉ…どうして、そんなに怖いんですかぁ?」
「ちょっと…ティファーシャ…」
ただ事ではない様子に皆どう取り繕っていいか分からない中、ティファーシャが素直な疑問を投げたのでカヌシャが諫めたが、リンシャナはその質問に答えるように、自身の過去を語り出した。
「私の家…お父さんが仕事をしない人で、貧しかったんです。よくお酒を飲んで、酔っ払って、お母さんや私の事を叩いたりしたの…。お母さんは、私を助けるために聖殿に掛け合って、適性検査を受けさせてくれて…それで、浄清の天使になれることが解ったの…」
「…そうだったの…知らなかったわ…」
フィンカナが話を聞いて涙ぐむ。同時に男性に慣れさせようと無理強いしたことを反省した。
沈んだ空気を感じて、エルーレが口を開く。
「父親の影響か…だが、父親は父親だ。世の男たちが全員そうとは限らないだろう。いつか『この人は大丈夫』という男が現れるかもしれないしな…」
エルーレが自身の体験を元に述べると、マヌルカが反発するような目を向けた。
リンシャナはその言葉にはっとし、涙をためた瞳を見開く。
「…あ…大丈夫な人…います…。……デューク様」
「えぇ!?!?」
その言葉にその場にいる女性陣の殆どが声を上げた。
「前に、私のお父さんが訪ねてきて…私が嫌がっているところに、ちょうどデューク様が通り掛って…」
リンシャナの父が訪れたのは、膨れ上がった借金を娘に肩代わりしてもらいたいという身勝手な願いからだった。
中央塔の来賓室前で、リンシャナの世話役がその父親と口論しているところにデュークが通り掛かり、娘の腕を無理やり掴む父親からリンシャナを引き離し、一喝して追い払ったのだ。
「あの時…デューク様の片腕に包まれて、傍でデューク様の大きな声も聞いたけど、私…全然怖くなかったの…。それよりも、すごく安心できて…」
思いもよらない告白に口をパクパクしているマヌルカを見て、リンシャナは慌てた。
「あ、違うのよ、マヌルカ。一番安心できるのは貴女なんだけど…」
エルーレは頭を抱えた。
目の前の天使が、数か月前の自身と重なる。
密かに抱いた気持ちに気づいた時の彼女を思うと、これ以上ここに居るのはいたたまれない。
「…そうか、わかった。ひとまずあの男には釘を刺しておかないとな…」
ぶつぶつと言いながら、エルーレはその場を去って行った。
「あ、あのね。リンシャナ。デューク様は誰にでも優しいんだから。変な勘違いは駄目よ?」
「そうそう。私なんかデューク様にお姫様抱っこしてもらったことがあるんだからぁ」
「ここでそれを言う?」
三人娘が慌てて喚きたてる様子に、トハーチェが呆気にとられていると、疲れ切った様子のクローヌと、にこやかな笑顔のサフォーネが食堂に入ってきた。
思い掛けない出来事が続いたトーエンでの滞在は、慌ただしく過ぎていった。
~つづく~
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