サフォネリアの咲く頃

水星直己

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第三章

[第39話]希望の兆し

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再生の力を込めた種植えの最初の試みは失敗に終わった。
しかし、その後も様々な条件を加えながら、実験は何度も繰り返された。

地面に肥料を使ってみた時は、少しだけ芽の伸びが良かったがすぐに萎んでしまい、最初と結果はあまり変わらなかった。
次に、肥料にも再生の力を込めてみたが、ある程度まで植物は育つものの、それ以降は伸びず、緑が拡がる気配もなかった。

サフォーネはその度に、心を沈ませながらも、果敢に再生の種創りに挑んでいた。

荒れ野に到着した報告も兼ねて、アリューシャが王都にこの状況を一度連絡すると、祖人の王は落胆している様子だった。

「何だかんだで、やっぱり期待してくれてるのよね、王様は…」

アリューシャの言葉に、10日ほど遅れて合流したルシュアも溜息を落とした。

「思ったより厳しい状況か…。他に何か手立てはないのか?」

主要天幕の円卓にはアリューシャ、ルシュア、デューク、ナチュアが座り、その傍らの藁敷きの上で、サフォーネが種に力を込めているのを見守っている。

「種の種類もいろいろ変えてみた。一年草より、多年草が比較的丈夫そうなんだが…それではその種類の種しか通用しないということになってしまう…」

「目標は荒れ野がどんな種にも対応できるような復活ですものね…」

デュークの報告に、ナチュアも溜息交じりに言葉をこぼす。
皆の心配をよそに、サフォーネは一心に祈りを捧げている。
何かに憑りつかれたようにも見えるその様子に、デュークは眉を潜めた。

そこへ、寝所となっている天幕の奥から、イオリギに手を引かれたセルティアが現れた。
ナチュアはすかさず立ち上がると、円卓と離れた場所にある竈の近くに駆け寄って、セルティアが暖を取れるよう、座れる場所を用意する。

イオリギに導かれたセルティアは、その場所に腰かけた。

「ありがとう、ナチュア。迷惑をかけますね…」

「何を仰いますか。まだ身体が本調子では無いのですから…」

「本当に…まだ村の方でお世話になっていても良いのではと申し上げましたのに…」

イオリギがセルティアの肩にストールを掛けると、その手に己の手を重ねたセルティアが首を振った。

「あの子たちが村に戻った時に、状況が芳しくないと聞いて、ずっと気になっていました…。サフォーネ?大丈夫ですか?」

トワたちは最初の実験から数日共に過ごしたが、結果が振るわない様子にニルハとナコラも諦めたようで、現状を報告するため一度村に戻っていった。

長老のヤヌと共にその話を聞いたルシュアは、最初はひとりで戻るつもりだったが、セルティアが気にかかることがあると言って一緒に戻りたがったため、体調を見ながら数日経て合流したのだ。

心配するセルティアの声に、サフォーネは祈りをやめるとそちらを見た。
顔色がまだ優れないセルティアに、イオリギとナチュアが世話をしている様子を見て、口元をきゅっと結び、静かにこくんと頷いた。

「サフォ…へーき。がんばる…」

そう囁くように言うと、ちらりとデュークを見た。
それに僅かに気が付いたデュークから素早く視線を反らすと、また祈りを捧げようとする。

「……。…サフォーネ?…ひょっとして…」

サフォーネの微かな気配に、セルティアが首を傾げる。
いつもの明るく暖かい光が感じられない。
静かでどこか寒々しい空気が纏わりついている。
セルティアは思案した末、デュークの方へ顔を向けた。

「…デューク…サフォーネを…抱きしめてもらえませんか?」

「え?」

セルティアの言葉にデュークは戸惑いの声を上げ、周囲は驚いて二人を交互に見比べた。

「不安を押し殺しているようですね。泣きたいのを相当我慢している…」

セルティアの言葉にデュークははっとなり、最初の実験に失敗したときのことを思い出した。
あの後、慰めようといろいろ声もかけたが「へーき、もっとがんばる…」の一点張りで、更には笑顔まで向けられたので、それ以上何も言えないでいた。

それ以来、失敗が続く度に、サフォーネは一瞬落ち込むも、すかさず笑顔を作るようになっていた。
今思えば、あれは全て強がりだったのか…。

だが、突然皆の前で抱きしめろと言われても…。
妙に緊張して身体を動かせないでいると、セルティアが助け舟を出した。

「サフォーネ?甘えてもいいのですよ?それに、私はデュークやナチュアを取ったりしませんから」

「……」

その言葉に、サフォーネは静かに立ち上がってデュークを見た。
その顔は躊躇っている様子だった。
以前の無邪気なサフォーネとは違う表情に一瞬戸惑ったが、デュークはそっと両腕を広げた。
それを見たサフォーネは、表情を崩して涙を浮かべると、デュークに駆け寄り、その首にすがるように腕を伸ばした。

「サフォ…」

飛び込んできた小さい体を抱きしめると、デュークはその場で膝をつく。

「…デュ…ク…ごめ…なさい……。セルティ、たいへん…ナチュ、あし、いたいの…。みんな…がまん…。サフォも…つよくなる…」

思いもよらない言葉に驚いて瞳を見開いた。

セルティアと小屋に居た時に飛び込んできたサフォーネを、抱きとめてやることができなかった。
かなりの不安を抱えていたであろうに、どこか疚しい気持ちがあったままで、受け止めることができなかったのだが…。

(…そうかあの時…俺が、サフォーネよりも優先するべき者が居る、と…そう思ったのか…)

サフォーネなりに今回の事態を考えたのだろう。
荒れ野に緑を甦らせるために、皆が協力してくれている。
大変な思いをしながらそれに耐えている。
自分だけ弱音を吐いて甘える訳には行かない、と。
ここに緑が芽吹けば、この旅も終わって、皆が聖殿に帰れる。
それには自分が頑張るしかない。その責任を負おうとしていたのか…。

「…馬鹿だな…そんなこと気にしてたのか。辛いときは正直に言え…」

度重なる失敗に涙するサフォーネ。
負けん気を見せるその姿を尊重してやろうと、敢えて遠くから見守ることにした。

それが、サフォーネの心をさらに遠ざけ、閉ざしかけてしまったのかもしれない。
サフォーネの気が済むまで、デュークは抱きしめ続けた。

そんな二人を見守りながら、アリューシャが小さく息を吐いた。

「デュークを取らない、なんて…。サフォーネなりに、二人が裸で抱き合ってたのが引っ掛かってたってわけ?」

その言葉にナチュアは思案顔を浮かべた後、俯いて口を開いた。

「それは、良く解りませんが…皆様が大変な思いをしているのに、ご自分だけがデューク様に甘えることは許されないと、そうお思いになられたのは確かなようです。…考えてみたら、サフォーネ様、私の足も気遣って、何でも一人でやろうとされてました。そんなことにも気づけなくて…私はサフォーネ様の世話役、失格です…」

「おいおい、君まで落ち込んだら、またサフォーネが気にするぞ?こんな事態だ。皆が助け合うのは当然のことなんだからな…。それにしても…つまりこれは、サフォーネに日頃の穏やかな心が無かったから、真の力が発揮できなかった…ということか?」

落ち込むナチュアを励ますよう、ルシュアが口を挟んできて見解を述べたが、セルティアは首を振った。

「それは関係ないのでしょう。アリューシャの話から言っても、種が芽吹かない要因は他にあるようですし…。ですが…このまま力を尽くそうとしても、サフォーネが潰れてしまいます」

サフォーネの咽び泣く声を聴きながら、セルティアはその心が晴れていくのを感じ、ほっと胸を撫でおろした。


ようやく落ち着きを取り戻したサフォーネが、デュークに手を引かれて円卓に座った。
二人の傍らにはアリューシャ、ルシュアが座り、セルティアとイオリギは先ほどの場所から皆の様子を見守っている。
ナチュアが温かい飲み物を用意すると、改めて作戦会議が開かれた。

「さて。それじゃここまでのことを整理しましょうか」

アリューシャが言葉を切り出した。

「多年草の植物が比較的丈夫に育ち、他の種は力を込めた肥料でも、育成に限界がある…という感じね」

その言葉を受けて、ルシュアが腕を組んで唸った。

「サフォーネの力をもらった種たちは、地中にいる間はその力だけを使って成長する、ということだな?」

だが、その力も永遠に持続はできないのであろう。
力を使い果たしたところで、植物は現実の厳しい環境に耐え切れず、枯れてしまう。
その光景を想像したセルティアが溜め息を落とした。

「…やはり、地面そのものにその力が拡がらなければ、広大な土地に緑を根付かせるのは難しいのでしょうね…」

「力を根付かせる…か…」

その方法は何なのか…。
各々が思案する中、サフォーネがふらりと立ち上がった。

「サフォ…?」

「そと…いく…」

デュークが続いて立ち上がるのをルシュアが頷いて了承する。
魔烟の気配は感じられないが、万が一ということもある。ひとり歩きはさせられない。

天幕から外へ出ると、冬の冷たい風が赤い髪を洗った。
身震いするサフォーネの後ろから、デュークが毛皮の外套を掛けさせる。
肩から落ちないよう、胸の前でそれを合わせると、サフォーネはそのまま歩み出した。

自然の声に耳を傾けようとしているのか、そのまま空気の中に溶けそうな様子に、デュークも慌てて後を追う。



改めて見る荒れ野は、ここ数日降ったり止んだりする雪で、所々が白く染まっている。
乾ききった、冷たく固い土の上では、雪も地面に浸透しないのだろう。
歩く度に、風に煽られて雪の粉が舞い上がった。

荒れ野の東に向かって歩を進めていたサフォーネは、枯れ木の森との境目で、何かに気が付いたようにその場にしゃがみ込んだ。

「サフォーネ?どうした…」

「…ここ…なにか、きこえる…」

地面に手を翳すと、その掌に僅かな温もりを感じた。
静かに、でも確実に脈打つ音が伝わってくる。
祈るように瞳を閉じていたサフォーネは、何かに気が付いたように顔を上げた。

「…じめんのなか……ひろく、とどける…サフォの、ちから……」

一瞬、空気が変わった気がした。

デュークは反射的に剣に手を添えて周囲を見渡したが、それは邪気では無かった。
構えを解き、異変を感じたサフォーネに視線を戻す。
すると、その手が翳している地面から芽が伸びてくるのが見えた。
芽は緩やかに頭をもたげ、細い葉を付けていく。
やがて成長を遂げると、その先に赤い蕾を膨らませた。
その様子にデュークは目を見張った。

「これは…」

開いた花は、サフォネリアの花だった。
その花に吸い寄せられるように、デュークは過去の幻影を見る。


幼い頃…あれは11歳の冬。
メルクロの元に、実の父親が訪ねてきた時のことだった。

「え…父上が…?」

診療所の裏で薪割をしていたデュークの元に、メルクロが伝えに来た。
デュークは躊躇った。

どうして今頃?
今頃来たって、話したい事なんかない。
自分はここで生きて行くと決めたのだから。
…いや、でも…もしも、迎えに来てくれたとしたら…?

淡い期待で父親と再会した。
だが、久しぶりに面と向かって話す父の口から出たのは…。

「……ファシルが…死んでしまったよ…」

弟の死を知らせるものだった。

デュークを闇が包み込む。
逃れられない闇。
その色を纏った翼が自身を苛む。

病弱で飛べない弟を事故に至らしめ、その翼を堕とさせ、床に臥せさせ、衰弱死させた…。
それは紛れもなく自分の罪だった。

でも、赦して欲しかった。
母上と父上には、赦してもらいたかった…。

だがしかし、母は己を赦さず、父は弟の死を突き付けるだけだった。
それを憎み、それを恨み、気が付けば、雪の降り始めた初冬の山奥を彷徨っていた。
何日も何日も…。
寒さと空腹で死にかけた先に、その花を初めて見つけた。
自暴自棄になっていた自分に『生きる』ことを教えてくれた花。


「…サフォネリア…」

同じ色を持つその花から名前を取り、目の前の天使に『サフォーネ』と名付けた。

晩秋に咲くその花は、この時期はとっくに終わっている。
そして、地面の中で次の季節の目覚めを待つ多年草だ。
何年も何年も、厳しい季節を乗り越え、咲き続けるために…。

「!…そうか!わかったぞ、サフォーネ!」

「…え?」

デュークはサフォーネに駆け寄ると、その肩を抱いて立ち上がらせた。

「地面に広く根を張る植物を先に植えるんだ。その植物が再生の力を温存したまま、季節をまたぐ…。その近くに他の植物を植えれば…きっと、力を持続できる…」

辛い記憶を思い出させる花は、同時に希望の花にもなった。
その花と、目の前の天使に自分は救われた。
そして、それはこの世界をも救おうとしている。

うまくいくと確信したデュークは、嬉しさのあまりサフォーネを抱きかかえると、翼を広げて飛びたった。

「…デュ、デューク?」

突然のことに慌ててしがみつくように、サフォーネはデュークの首に腕を回す。
荒れ野が見渡せる上空まで舞い上がると、デュークは眼下を見下ろした。
その青い瞳には希望が溢れ、輝いている。
サフォーネは一瞬それに目を奪われたが、デュークが見下ろす眼下に視線を投げた。

「見えるか?サフォーネ。この地一帯に、まずサフォネリアの花を咲かせよう。そこから、次の植物の種を植え付ける…それでうまくいくはずだ」

その声を近くに聞きながら、サフォーネの胸にも何か揺るぎないものが生まれた。
サフォーネは、こくりと頷く。

「うん…わかった…やって、みる……」

デュークとなら大丈夫。
きっとうまく行く。
そう確信すると、視界の先に、リゾルの村から食料と燃料を運んできたトワたちの姿が見えた。

「あ…!」

向こうもこちらに気が付いたようで、ニルハとナコラが大きく手を振っている。
サフォーネはデュークと微笑みを交わすと、己の翼を広げながら、デュークの腕を解きほどいた。
ふたりはそのまま皆の居る野営所目指して、灰色の空を羽ばたいて行った。


「なるほどな…それは試してみる価値がありそうだ」

デュークの作戦を聞いたルシュアが感心したような声を上げる。
荷物を運んできたトワたちも、その話を聞いて手伝うことにした。

「サフォネリアの種もまだ残っている。あの花は地面に広く根を張るため、間を空けて植えて行って欲しい。あとは、何年も眠ったまま自生しているものも数ヵ所あるようだから…」

デュークの説明にナコラが首を傾げた。

「サフォネ…リ?……『焔花』のことか?その場所なら、おいらたちも大体わかるよ。そこは避ければいいんだな?」

「あぁ、頼んだぞ」

「…へぇ、『焔花』か…獣人族の間ではそう呼ぶのね」

焔の花。
獣人族にとって貴重な『火』を表現する花の呼び名にアリューシャが感心の声を上げた。

皆の協力で、荒れ野一帯に再生の力を含んだサフォネリアの種植えが行われる。
サフォーネは自生しているサフォネリアの場所を見つけると、その根に直接力を送った。

「よし。これで一晩、様子を見よう」

デュークの言葉に、皆ほっとした顔を浮かべる。
種植えの手伝いから解放されたニルハとナコラは、帰り支度をするトワたちとは真逆に、羽根人たちの天幕に向かう。

「おい!お前ら。まさか…」

トワが声を戦慄かせながらその背中に声を掛けると、あっけらかんとした答えが返ってきた。

「え?当然、泊っていくだろ?あんちゃん」

「そうよね。今日泊まらない、なんて、あり得ないわよ?」

愕然とするトワの肩を、デュークが笑いながら叩いた。

隔して、ニルハとナコラの強い希望で、トワたちはその日、また天幕に泊まることになった。
大勢で囲む食卓は賑やかで楽しく、遅くまで灯りが点る天幕の中には笑いが絶えなかった。


翌朝、冬の弱い日差しが、荒れ野の薄い雪の上を照らす。
それは、希望の兆しとなる朝になった。

「すげぇ!地面が真っ赤だぞ!」

ナコラの甲高い声に皆が起こされる。
ニルハが天幕の外へ駆け出すと、アリューシャも続いた。
駆けまわる子供たちが転ばないようにと心配して、ナチュアも後を追う。
そこには季節を無視した晩秋の花が咲き誇っていた。

「見事なもんだ…」

「これ程とはな…」

トワが目を見張り、ルシュアも外の様子に驚きの声を上げ、ゆっくりと天幕から出てくると、辺りの景色を一望した。
イオリギに支えられながら出てきたセルティアは、視界に染まる色合いと、花の香りに何が起きているか理解する。

遅れて出てきたサフォーネとデュークも、広がる光景に喜びの表情を浮かべた。

「まずは第一段階終了だ。次の種を用意しよう」

デュークの言葉にサフォーネは力強く頷いた。


~つづく~
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