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第三章
[第35話]祖人の王
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大陸の東の果て、王都とその向こうに広がる大海が眼前に迫ってくる。
夜明け前の薄紫の空が溶け込む水平線を、サフォーネはデュークと共に天空の御車台から見つめていた。
「サフォーネ様?デューク様?お寒くありませんか?」
幌の向こうからナチュアの声が届く。
穏やかな気候が続いていたとはいえ、天馬が駆ける早朝の空は地上よりも気温が低い。
「俺は大丈夫だが…。サフォーネ、お前はもう中へ入れ」
「…いや、サフォ、ここにいる」
デュークと御車台に乗りたい、という願いが叶ったばかりだった。
この広大な景色をもう少し見ていたい。
それでもやはり寒かったのか、デュークに小さく身を寄せた。
「仕方ないな。あと少しで到着するから」
サフォーネの様子にナチュアもそっと身を引いた。
イパワラの夜は最悪に終わった。
市の屋台で食事をしていたアリューシャの頭巾が、酔っ払いに絡まれて外れてしまったのをきっかけに、その場が騒然となった。
「うぁ!何だこいつ…異端の天使か?」
驚いた男が、反射的にアリューシャに向かって盃を投げつけてきたのを、サフォーネが翼を放出させて咄嗟に庇った。
その拍子に赤い髪も露になり、酔っ払いは酔いが覚めた様に瞳を見開いた。
「げ!…こいつもだ…」
「異端の天使が…こんなところで何している!」
「市からつまみ出せ!」
それらの声に煽られて、周囲にいた者たちが殺気立つ。
「…っ、まずい!」
ルシュアが飛び出そうとしたその時、セルティアが自らの翼を広げ、二人の前に立ちはだかった。
その美しさと凛とした佇まいに、その場にいる者たちが一瞬で静まり返った。
「あなた方の髪は同じ色ですか?瞳の色は?肌の色は?それは望んだものですか?この子たちも選んでこの姿に産まれた訳ではありません。それでもこの場に居ることが許されないなら、私たちは静かに立ち去ります。その他に何を望みますか?」
セルティアの言葉に誰も反論しなかった。
それ以上騒ぎが拡がらないのを確信すると、ルシュアが駆け寄り、震えているナチュアを立たせた。
イオリギはアリューシャとサフォーネの肩を抱き寄せるようにして歩かせる。
そこへデュークも合流し、セルティアの手を引いた。
「ありがとうございます。セルティア様…」
「…いいえ、これくらいのことは…貴方たちはこんな想いをしながら、旅をしてきたのですね…」
市から離れ、街の喧騒が途絶えると、サフォーネはデュークの傍に駆け寄り、その腕にしがみ付いた。
アリューシャは嗚咽し、ナチュアも静かに涙を流す。
皆が、傷ついたように言葉を失っていた。
羽根人の一行はそれから宿を出て、全員が馬車の中で一夜を明かしたが、その間もサフォーネはデュークの傍から離れようとしなかった。
(嫌なことを思い出させてしまったな…)
蒼の聖殿でサフォーネを認めてくれる人が少しずつ増え始め、昔受けた仕打ちも忘れかけていただろうに…。
デュークは気を晴らすように、明るめの声でサフォーネに話しかけた。
「サフォ、あれが海だ。三日月湖とは比べ物にならない大きさだろ?あの果てに何があるのか…この大陸に住む俺たちはまだ知ることはないけどな…」
人々は未知なる世界へ飛び出すためにあらゆる方法を試してきた。
羽根人や天馬の翼では限界がある。
船の文化はあるが、大海を渡りきるほどの物はない。
試みて帰ってこない者たちはあとを絶たなかった。
デュークの話を聞きながら、その海の向こうを想像する。
やがて、昇ってきた陽の光が心も体も柔らかく包み込んでくれると、サフォーネに笑顔が戻って行った。
デュークは王都の手前にある森の近くに馬車を降下させた。
昨夜話し合い、ここから馬車を地上に歩ませていくことにしている。
全員がクエナの町で取り寄せていた青い絹のローブを羽織り、頭から背中を覆い隠した。
「これぞ、蒼の聖殿からの使者…って感じね。昨日ももう少し気を付けていればね…」
アリューシャはあの騒動は自分が引き起こしたと、昨夜は泣きながら謝っていたが、何とか元気を出そうと明るめに話している。
「大丈夫か?アリューシャ…」
ルシュアが気遣うように声を掛けた。
泣き腫らした紫の瞳が痛々しく、ナチュアが水筒を取り出して手布を濡らし、冷やすようにそっと拭う。
「これくらい平気よ。この先はもっと手厳しいでしょうしね」
腹を括ったような力強いアリューシャの言葉に皆が静かに頷いた。
全員の身支度が整うと、御車台にはデュークとルシュアが座り、再びデュークが馬車を操った。
王都は聖都と違い、その境界線はない。
林を抜けると、徐々に住宅や店が増えてくる。
街の中を天馬が歩く様子に、人々は振り返った。
「見えてきたぞ」
その声に、サフォーネとアリューシャ、ナチュアが幌の窓から外を覗く。
街の奥にひと際高く城が聳えている。
三本の尖塔は中央が高く、両脇はそれよりも少し低めで、ちょうど人の中指と人差し指、薬指のようにも見える。サフォーネは自分の手のひらを見つめた。
「聖殿に比べれば小さく感じますね…」
「聖殿は街そのものだもの…あれは王城よ」
「…まぁ、城と言うよりも要塞に見えるがな」
岩石と金属で固められた外壁は物々しさを感じ、その外周は堀に囲まれていた。
ルシュアが視線を落とすと、跳ね橋を渡ったところに頑丈な門扉と衛兵たちが立ち塞がっていた。
デュークはその前で馬車を止める。
「湖の聖殿より、祖人の王への謁見を願いにきた。目通りを請う」
ルシュアの言葉に衛兵たちがひそひそと囁きあうと、武装を解いてくれた。
「伝令賜っております。どうぞ」
再び馬を歩ませ、城門をくぐると、中庭が見えてきた。
そこは手入れが行き届いた庭園になっており、彫像と生垣に囲われた石畳の道が伸びていた。
城の手前の広場に到着すると、係の者より馬車を止められ、全員降りるように命じられた。
広場の奥に城の正門が見える。
羽根人一行が歩んでいくとその扉が開けられ、灰色の景色が飛び込んできた。
聖殿と違い、石灰岩で造られた城内は明るい色合いもなく、冷たく感じる。
案内人の後に続き、大きな回廊を真っすぐ進むと大扉が現れた。
両脇に衛兵がいる様子から、ここが謁見の間なのだろう。
微かにベルの音が届いた。
「王がお見えになりました。どうぞお入りください」
扉が開かれると、金刺繍の入った赤い絨毯がまっすぐ伸び、その先の玉座に祖人の王が座っている。
王に似つかわしくない軍服を身に纏い、顔の損傷部分を覆う面は左右非対称で、隠し切れず傷痕も覗き見える。
隣に立つ美しい女性が、王の言葉を代弁する側近なのだろう。
豊かな髪を片側に纏め、細身の長いドレスがその長身を際立たせていた。
その反対側には恰幅の良い中年の男性と、痩身の初老の男性が二人立っている。
恐らく大臣辺りの高官だろう。
ルシュアとデュークを先頭に、セルティア、サフォーネ、アリューシャが進んでいく。
イオリギとナチュアは謁見の間に入ると壁際に歩を進め、頭を下げて控えた。
その様子を、壁に等間隔で並ぶ衛兵たちが微動だにせず見守っている。
五人は玉座を前に立ち止まると、膝をつき頭を垂れた。
祖人の王が側近に耳打ちしている。掠れて出にくそうな声がかろうじて聞こえるほどだった。
側近が顔を上げ、王の代わりに言葉を述べる。
「遠路はるばるご苦労である。湖の聖殿からは先日、その長が参られ、四半期の旅の報告は受けている。此度は何用で参ったのか。早急に知らせたいことがあると伝令は受けているが…」
側近の女性の声は謁見の間に堂々と響いた。
ルシュアは顔を下げたまま、高らかに声を上げる。
「お初にお目に掛かります。私は蒼の騎士団総隊長、ルシュア。以下、騎士団と天使団に属する者です。此度は目通り頂きありがたく存じます。我々が参りましたのは、この大陸を救う…新たな力についての、報告と……」
「…?ルシュア?」
言葉尻が弱くなっていくルシュアの様子を不審に思い、アリューシャが小さく囁く。
斜め後ろから見えるその驚愕の表情は、デュークも同様であった。
二人の様子に、セルティアも戸惑いを見せたが、この状況で確認する術もなく、王の言葉を代弁する側近の声に耳を傾けた。
「この大陸を救う新たな力、とは?まずは面を挙げて説明してもらおう」
その言葉に、全員が息を呑む。
蒼のローブを取る時が来た。
デュークとサフォーネの髪の色を見た時、周囲はどんな反応を示すのか…。
ルシュアがローブに手を掛け、その顔を露にすると、皆続けてローブを外した。
「!あの髪の色…まさか…異端の…」
「あの少女はなんだ…頭に翼があるぞ…」
衛兵たちが動揺するのが視界に入った。
祖人の王の口元が震える。
側近がその気持ちを代弁するように、自身の言葉を投げつけてきた。
「異端の天使が何用で参ったのか!我が王への謁見に異端の天使を寄越すとは…イフーダは何を考えているのだ!先日もあれだけ…」
「お待ちください!我らが長は異端という迷信に捕らわれることはありません。現に、ここにいる闇祓いのデュークと浄清のサフォーネはその能力の高さで蒼の騎士団・天使団を支える者です。アリューシャに於いては、精霊との交信に長ける者。彼らを無くして、湖の聖殿は…」
「迷信だというのか?異端の天使という呪わしき存在を生み出した羽根人自身が…」
側近はその拳を震わせ、声を慄かせている。
周囲の衛兵や大臣も、場合によっては力ずくでここにいる羽根人たちを追い出さんと身構えている。
昨夜の苦々しい記憶が蘇る。
アリューシャとセルティアがルシュアの後ろに隠れるよう身をずらした時、玉座の方から何かを感じ取った。
「…!これは…」
先ほどのルシュアとデュークの様子がおかしかった原因が分かった。
セルティアも驚きの表情を浮かべる。
デュークが表情を強張らせ、サフォーネを庇おうとすると、その赤い瞳が何かを見つめていることに気がついた。
その視線の先には祖人の王が、サフォーネに捕らわれたように立ち尽くしている。
――似ている――
王の口元がそう動いたように見えた。
二代目の王が誕生したのは10年前…。
戦による大怪我。
王から感じる己と近しい力。
デュークははっとなり、祖人の王に向き直って頭を垂れた。
「異端を生み出したのは羽根人自身…本当にそうお思いなら、祖人の王。私は貴方と直接話がしたい」
デュークの言葉に、その場にいる全員が凍り付き、僅かな沈黙が流れた。
祖人の王は微かに震えながら、側近に手招きをし、その耳元に囁いた。
「!…ですが…それは…」
抗議の声を上げる側近に向かい、王は首を横に振る。
側近は唇を噛んだ後、王の言葉を代弁した。
「衛兵、大臣、全て下がりなさい。私はこの者たちと話がある」
その言葉に全員驚いたが、毅然とした側近の態度に渋々と下がっていく。
広い謁見の間に残ったのは、七人の羽根人と祖人の王と側近だけになった。
その側近に向けて、王が下がるように合図する。
不服そうな顔をしたが、側近は王の背後に控えた。
代弁者を除いて会話ができるのか?そう思った矢先に王が口を開く。
「やはり、同族の目は誤魔化せないか…それとも、イフーダから何か聞いたのか?」
低くはっきりとした声が響き、部屋の隅に居たイオリギとナチュアは驚いた。
羽根人は同族の能力を感知することができるが、ある程度の距離に入らないと判らない。
イオリギとナチュアの場所からでは、それを知る由もなかった。
「まさか、翼を堕とした羽根人が祖人の王になっているとは…貴方は一体…」
更に、翼を堕としているならその力も伝わりにくいが、それを感じたということは、王の闇祓いの力が元々強いのだろう。
「その様子では、イフーダから何も聞いていないようだな…。さすが、長ともなる方は、口が堅い…。察しの通り、私は元羽根人だ。戦に巻き込まれ、翼を失った。そのまま祖人を装ってこの地を彷徨い、王になった。それだけのことだ」
「…その戦とは…14年前の大闇祓いではありませんか?」
デュークの言葉にはっとなり、ルシュアは祖人の王を見る。
落ち着きを含みながらも張りのある低い声は、30~40代の年齢を思わせる。
何より、翼を失っても尚、沸き上がる闇祓いの強さは、総隊長を務めるほどの物だ。
もしそれが事実なら…アリューシャは心配そうにサフォーネを見た。
祖人の王は喉元を潜らせるよう低く笑った。
「それを知ってどうなる?翼を失くし、故郷に帰る勇気を失くしたのは事実。その後、愛する者の命を異端の天使によって奪われたと知り、己が羽根人であることを呪ったのも事実だ…。異端の天使…お前は…」
王の声は震えていた。
怒りで震えているのではなく、悲しみに震えているのが伝わってくる。
サフォーネはただその様子を静かに見ていた。
命を奪った者、その顔はあまりにも、愛しい人に似すぎている。
王は観念したように、玉座に腰を落とした。
「いや…私が、誰を責められると言うのだ…愛する者を護れなかった私が…」
王の中で言い知れぬ悔恨の念が見える。
恐らく王は、緑の騎士団前総隊長。
リマノラを愛し、子供を産ませた…サフォーネの…。
言葉の続かない王に代わり、側近が歩み出る。
「王は、西の連峰近く、深い谷底で行き倒れていました。顔と翼の損傷がひどく…。当時、革命軍に所属し、軍医でもあった私は、同志を募る旅の途中で王を見つけ、手当をし、その翼を切除したのです。王の事情は薄々察しておりましたが…その手腕とカリスマ性は革命軍に必要だった…私は…」
「もういい、フノラ。祖人の王になることを決めたのは私だ…」
皮肉な話だ。
異端の天使を憎む祖人の王は、その存在を生んだ羽根人自身だった。
どうにもならない自責の念を、異端の天使を忌み嫌うことで晴らそうとしていたのか…。
デュークは不意に母親を想い出し、それ以上は何も言えなかった。
この奇縁にルシュアとアリューシャも言葉を失っている。
セルティアが口を開いた。
「恐れながら、祖人の王よ。浄清のサフォーネは、産まれし時より孤児として生きて参りましたが、闇祓いのデュークと出逢い、共に湖の聖殿へ属し、浄清の力を目覚めさせました。その力は膨大なもので、いずれ師である私を超える者と見なしております」
セルティアはサフォーネのことを語った。
何より、目の前の王がそれを望んでいると感じたからだ。
「…サフォーネ…と申すか…」
「デューク…もらったの…なまえ…」
王の呟きに、サフォーネが初めて笑顔を見せた。
目の前の王が本当は誰か知っているような優しい笑みを見て、アリューシャは泣きそうになるのをぐっと堪えた。
予期せぬ親子の対面。
謁見の間がしばらく静寂に包まれる。
サフォーネに真実を伝え、その再会を祝福できるなら…。
誰もがそう思ったが、真実が正義であるとは限らない。
何より、祖人の王がそれを望んでいないのは明らかだ。
ルシュアは言葉を呑み込むように間を置くと、何事も無かったように本題を切り出した。
「…このサフォーネに、新たな力があることが判明したのです。先に申し上げました通り、それは大陸全土を救う力になるでしょう。しかしながら、この力を湖の聖殿で取り仕切るとなれば、無用な争いを呼ぶかもしれず…。ぜひ、王都の許可を得て広めたいのです」
ルシュアの判断に同意するようにデュークは頷き、懐から小さな革袋と懐紙を取り出した。
懐紙を床に広げ、その上で革袋を返すと、乾いた土が零れ出てきた。
「この土には水も養分もありません。到底植物は芽吹かず、死んでしまいます。ですが…」
デュークは更に種の入った袋を取り出すと、その中の一粒をサフォーネに渡した。
受け取ったサフォーネはそれを両手の中に包み、祈りを込めるように息を吹きかけ、乾いた土に埋め込んだ。
「…!」
それまで、王はずっと、サフォーネの顔に捕らわれていたことに気が付く。
種を埋めた場所から、僅かな時間で緑の芽が出た様子に驚いて、玉座から腰を浮かせた。
「これが、サフォーネの持つ力。再生の力です」
「再生の力…?!」
祖人の王は驚きを隠せない様子でサフォーネを見た。
曇りのない真っすぐな瞳。その色は違うが、若緑色の美しい少女と重なった。
デュークの言葉を補足するように、アリューシャが続いた。
「王様。あたしは精霊との交信ができますが、この種の中には、サフォーネの呼びかけによって精霊の力が宿ったんです。こんな種をたくさん作れば、乾いて死んだ土にも緑を増やすことができると思いませんか?緑の多い場所、命が溢れる場所には精霊も集まります。そうすれば、魔烟の発症を抑えることもできるんじゃないかと思うんです」
王は深く息を吐き、玉座に腰を落とした。
フノラが案じて隣に歩み寄る。
「どんな土壌でも、精霊の種があれば…か…」
回顧と現実の葛藤の中、王はその重大な力について考えた。
王都の周辺は今、荒れた土地が増えている。
貧困に喘ぐ町や村の声を聴く毎日だ。
『再生の力』。
それが本物なら、多くの民を救うことができるだろう。
この天使にその力が宿った謎はあるが、目の前で起こった事実は確かなものだ。
その力の存在は認めざるを得ない。
だが何より懸念すべきは、それを認めれば、異端の天使を肯定することになる。
「…それは気温にはどうなのだ。寒さにも耐え、芽吹かせることは可能なのか?」
異端の天使に対する畏怖を広めてきた信念が、若緑の瞳の少女を救えなかった懺悔の想いに覆る。
王は無意識に、その力を認めたい想いにかられていた。
その質問に誰もが顔を見合わせる。
デュークが代表して答えた。
「それはまだ…計り知れません。恐らく芽吹かせることは可能ですが…そのあとの環境に耐え抜くことができるかどうかは…」
王はしばらく考えるように、目の前の羽根人たちを見下ろしていたが、フノラに耳打ちをした。
フノラが心得たというように、懐からベルを持ち出し鳴り響かせる。
すると、先程まで下がっていた衛兵と大臣が隣室から続々と戻ってきた。
認めてもらえなかったのだろうか、このまま王都の外に追い出されるのでは…そう全員が案じた時、フノラが王からの言葉を告げた。
「その力、まだ真のものか信じ難いところ。王都より遥か西。連峰の麓に長年緑が育たぬ荒れ野がある。そこに出向き、息吹の月までにその一帯に緑を甦らせれば、その力を認めよう」
再び王がフノラに耳打ちをする。
普通に会話ができることは、どうやら内密になっているようだ。
「精霊と交信する者、その成果をここに届かせることは可能か?」
アリューシャが驚いて首を縦に振る。
「も、もちろんです!こちらの術師にやり方を説明します」
「よろしい。では、今を持って、その旅に出るよう命ずる。この者たちの旅の目的を大陸全土に伝えよ」
謁見が終わり、王城を出ると馬車が待機していた。
七名は互いの顔を見合わせる。
「今から?本当に今から行くの?あたし、二、三日滞在して、王都巡りしたかったのに…」
アリューシャががっかりするのを見ながら、ルシュアも溜息をついた。
「ここから連峰の麓となると、ほぼ大陸横断だな…。移動だけで半月以上は掛かる。今すぐは無理だ。一度聖殿に帰って事情を報告し、長旅に備えての準備をしてから改めて出発することになるな」
「息吹の月まで、というと、約二か月半…ですね。旅をするのはまさか、この面子ではないでしょうね?」
聖殿の総隊長と総団長が、あわせて長い期間不在にしたことはない。
セルティアが懸念すると、ルシュアはあっけらかんと返した。
「祖人の王は、この場にいる我々に旅を命じたからな…。それが筋だと思うが…何か問題でもあるのか?」
「それは…そうかもしれませんが…」
「我々が不在でも、蒼の騎士団、天使団は優秀な者たちばかりだ。それに、いつかは世代交代も来る。そのための訓練と思ってもいいのではないか?」
この旅を命じられた時、セルティアはあまり乗り気ではない様子だった。
目もよく見えず、大事に育てられてきた者としては、聖殿の外は確かに不安も多い事だと思うが…。
「セルティア様。旅の間も私が傍でお守りいたしますので…」
セルティアに寄り添って耳打ちするイオリギを見て、本来の憂慮を理解した。
「…なるほど、そういうことか…わかった。神に誓う。旅の間、私は君に指一本触れないと…」
「何それ、旅が終われば触れるってこと?さいてー」
アリューシャの言葉に皆が笑う中、デュークはまだ祖人の王の正体を引きずっているようだった。
隣にいるサフォーネに視線を落とすと、そんなことも知らない笑みが返ってきた。
「厳しい季節の中での長旅は辛く危険かもしれないが、祖人の王が認めてくれる機会だ。やらなければいけないだろ…」
「サフォ、やる…がんばる!」
思いがけずに知った祖人の王の秘密。
サフォーネの事はもとより、その正体を口にすることは憚れると誰もが承知していたが、ルシュアが念押しするように話し出した。
「…それにしても驚いたが、祖人の王のことは他言無用だ。誰に話しても得は無いからな…。サフォーネ、言ってることわかるか?」
「…うん、ないしょ?」
口に人差し指を当てて首を傾げる様子はいつもと変わらない。
サフォーネ自身で祖人の王との関係を知ることは無いだろう。
そこへ、アリューシャを術師に会わせたいという伝令が来た。
「皆さまはこちらでお待ちください」
使用人の案内で、庭園内にある東屋で待つことになった。
「城の客間に通されてもよさそうなものだが…異端の天使への厳しい態度は変わらず、か…。王としての威厳もあるんだろうがな…」
王のあの様子から、異端の天使を憎みたくても憎み切れないことはわかる。
本当なら、サフォーネを抱きしめたかったかもしれない…。
デュークは隣に座るサフォーネの肩を抱き寄せた。
「…?」
「サフォ、よく頑張ったな…。旅先でも、お前の力が試される。頑張ろうな?」
不思議そうに見上げる赤い瞳に優しく笑みを落とすのは、父親の代わりになれればと思っての事か。
デュークの言葉にサフォーネは嬉しそうに頷いた。
~つづく~
夜明け前の薄紫の空が溶け込む水平線を、サフォーネはデュークと共に天空の御車台から見つめていた。
「サフォーネ様?デューク様?お寒くありませんか?」
幌の向こうからナチュアの声が届く。
穏やかな気候が続いていたとはいえ、天馬が駆ける早朝の空は地上よりも気温が低い。
「俺は大丈夫だが…。サフォーネ、お前はもう中へ入れ」
「…いや、サフォ、ここにいる」
デュークと御車台に乗りたい、という願いが叶ったばかりだった。
この広大な景色をもう少し見ていたい。
それでもやはり寒かったのか、デュークに小さく身を寄せた。
「仕方ないな。あと少しで到着するから」
サフォーネの様子にナチュアもそっと身を引いた。
イパワラの夜は最悪に終わった。
市の屋台で食事をしていたアリューシャの頭巾が、酔っ払いに絡まれて外れてしまったのをきっかけに、その場が騒然となった。
「うぁ!何だこいつ…異端の天使か?」
驚いた男が、反射的にアリューシャに向かって盃を投げつけてきたのを、サフォーネが翼を放出させて咄嗟に庇った。
その拍子に赤い髪も露になり、酔っ払いは酔いが覚めた様に瞳を見開いた。
「げ!…こいつもだ…」
「異端の天使が…こんなところで何している!」
「市からつまみ出せ!」
それらの声に煽られて、周囲にいた者たちが殺気立つ。
「…っ、まずい!」
ルシュアが飛び出そうとしたその時、セルティアが自らの翼を広げ、二人の前に立ちはだかった。
その美しさと凛とした佇まいに、その場にいる者たちが一瞬で静まり返った。
「あなた方の髪は同じ色ですか?瞳の色は?肌の色は?それは望んだものですか?この子たちも選んでこの姿に産まれた訳ではありません。それでもこの場に居ることが許されないなら、私たちは静かに立ち去ります。その他に何を望みますか?」
セルティアの言葉に誰も反論しなかった。
それ以上騒ぎが拡がらないのを確信すると、ルシュアが駆け寄り、震えているナチュアを立たせた。
イオリギはアリューシャとサフォーネの肩を抱き寄せるようにして歩かせる。
そこへデュークも合流し、セルティアの手を引いた。
「ありがとうございます。セルティア様…」
「…いいえ、これくらいのことは…貴方たちはこんな想いをしながら、旅をしてきたのですね…」
市から離れ、街の喧騒が途絶えると、サフォーネはデュークの傍に駆け寄り、その腕にしがみ付いた。
アリューシャは嗚咽し、ナチュアも静かに涙を流す。
皆が、傷ついたように言葉を失っていた。
羽根人の一行はそれから宿を出て、全員が馬車の中で一夜を明かしたが、その間もサフォーネはデュークの傍から離れようとしなかった。
(嫌なことを思い出させてしまったな…)
蒼の聖殿でサフォーネを認めてくれる人が少しずつ増え始め、昔受けた仕打ちも忘れかけていただろうに…。
デュークは気を晴らすように、明るめの声でサフォーネに話しかけた。
「サフォ、あれが海だ。三日月湖とは比べ物にならない大きさだろ?あの果てに何があるのか…この大陸に住む俺たちはまだ知ることはないけどな…」
人々は未知なる世界へ飛び出すためにあらゆる方法を試してきた。
羽根人や天馬の翼では限界がある。
船の文化はあるが、大海を渡りきるほどの物はない。
試みて帰ってこない者たちはあとを絶たなかった。
デュークの話を聞きながら、その海の向こうを想像する。
やがて、昇ってきた陽の光が心も体も柔らかく包み込んでくれると、サフォーネに笑顔が戻って行った。
デュークは王都の手前にある森の近くに馬車を降下させた。
昨夜話し合い、ここから馬車を地上に歩ませていくことにしている。
全員がクエナの町で取り寄せていた青い絹のローブを羽織り、頭から背中を覆い隠した。
「これぞ、蒼の聖殿からの使者…って感じね。昨日ももう少し気を付けていればね…」
アリューシャはあの騒動は自分が引き起こしたと、昨夜は泣きながら謝っていたが、何とか元気を出そうと明るめに話している。
「大丈夫か?アリューシャ…」
ルシュアが気遣うように声を掛けた。
泣き腫らした紫の瞳が痛々しく、ナチュアが水筒を取り出して手布を濡らし、冷やすようにそっと拭う。
「これくらい平気よ。この先はもっと手厳しいでしょうしね」
腹を括ったような力強いアリューシャの言葉に皆が静かに頷いた。
全員の身支度が整うと、御車台にはデュークとルシュアが座り、再びデュークが馬車を操った。
王都は聖都と違い、その境界線はない。
林を抜けると、徐々に住宅や店が増えてくる。
街の中を天馬が歩く様子に、人々は振り返った。
「見えてきたぞ」
その声に、サフォーネとアリューシャ、ナチュアが幌の窓から外を覗く。
街の奥にひと際高く城が聳えている。
三本の尖塔は中央が高く、両脇はそれよりも少し低めで、ちょうど人の中指と人差し指、薬指のようにも見える。サフォーネは自分の手のひらを見つめた。
「聖殿に比べれば小さく感じますね…」
「聖殿は街そのものだもの…あれは王城よ」
「…まぁ、城と言うよりも要塞に見えるがな」
岩石と金属で固められた外壁は物々しさを感じ、その外周は堀に囲まれていた。
ルシュアが視線を落とすと、跳ね橋を渡ったところに頑丈な門扉と衛兵たちが立ち塞がっていた。
デュークはその前で馬車を止める。
「湖の聖殿より、祖人の王への謁見を願いにきた。目通りを請う」
ルシュアの言葉に衛兵たちがひそひそと囁きあうと、武装を解いてくれた。
「伝令賜っております。どうぞ」
再び馬を歩ませ、城門をくぐると、中庭が見えてきた。
そこは手入れが行き届いた庭園になっており、彫像と生垣に囲われた石畳の道が伸びていた。
城の手前の広場に到着すると、係の者より馬車を止められ、全員降りるように命じられた。
広場の奥に城の正門が見える。
羽根人一行が歩んでいくとその扉が開けられ、灰色の景色が飛び込んできた。
聖殿と違い、石灰岩で造られた城内は明るい色合いもなく、冷たく感じる。
案内人の後に続き、大きな回廊を真っすぐ進むと大扉が現れた。
両脇に衛兵がいる様子から、ここが謁見の間なのだろう。
微かにベルの音が届いた。
「王がお見えになりました。どうぞお入りください」
扉が開かれると、金刺繍の入った赤い絨毯がまっすぐ伸び、その先の玉座に祖人の王が座っている。
王に似つかわしくない軍服を身に纏い、顔の損傷部分を覆う面は左右非対称で、隠し切れず傷痕も覗き見える。
隣に立つ美しい女性が、王の言葉を代弁する側近なのだろう。
豊かな髪を片側に纏め、細身の長いドレスがその長身を際立たせていた。
その反対側には恰幅の良い中年の男性と、痩身の初老の男性が二人立っている。
恐らく大臣辺りの高官だろう。
ルシュアとデュークを先頭に、セルティア、サフォーネ、アリューシャが進んでいく。
イオリギとナチュアは謁見の間に入ると壁際に歩を進め、頭を下げて控えた。
その様子を、壁に等間隔で並ぶ衛兵たちが微動だにせず見守っている。
五人は玉座を前に立ち止まると、膝をつき頭を垂れた。
祖人の王が側近に耳打ちしている。掠れて出にくそうな声がかろうじて聞こえるほどだった。
側近が顔を上げ、王の代わりに言葉を述べる。
「遠路はるばるご苦労である。湖の聖殿からは先日、その長が参られ、四半期の旅の報告は受けている。此度は何用で参ったのか。早急に知らせたいことがあると伝令は受けているが…」
側近の女性の声は謁見の間に堂々と響いた。
ルシュアは顔を下げたまま、高らかに声を上げる。
「お初にお目に掛かります。私は蒼の騎士団総隊長、ルシュア。以下、騎士団と天使団に属する者です。此度は目通り頂きありがたく存じます。我々が参りましたのは、この大陸を救う…新たな力についての、報告と……」
「…?ルシュア?」
言葉尻が弱くなっていくルシュアの様子を不審に思い、アリューシャが小さく囁く。
斜め後ろから見えるその驚愕の表情は、デュークも同様であった。
二人の様子に、セルティアも戸惑いを見せたが、この状況で確認する術もなく、王の言葉を代弁する側近の声に耳を傾けた。
「この大陸を救う新たな力、とは?まずは面を挙げて説明してもらおう」
その言葉に、全員が息を呑む。
蒼のローブを取る時が来た。
デュークとサフォーネの髪の色を見た時、周囲はどんな反応を示すのか…。
ルシュアがローブに手を掛け、その顔を露にすると、皆続けてローブを外した。
「!あの髪の色…まさか…異端の…」
「あの少女はなんだ…頭に翼があるぞ…」
衛兵たちが動揺するのが視界に入った。
祖人の王の口元が震える。
側近がその気持ちを代弁するように、自身の言葉を投げつけてきた。
「異端の天使が何用で参ったのか!我が王への謁見に異端の天使を寄越すとは…イフーダは何を考えているのだ!先日もあれだけ…」
「お待ちください!我らが長は異端という迷信に捕らわれることはありません。現に、ここにいる闇祓いのデュークと浄清のサフォーネはその能力の高さで蒼の騎士団・天使団を支える者です。アリューシャに於いては、精霊との交信に長ける者。彼らを無くして、湖の聖殿は…」
「迷信だというのか?異端の天使という呪わしき存在を生み出した羽根人自身が…」
側近はその拳を震わせ、声を慄かせている。
周囲の衛兵や大臣も、場合によっては力ずくでここにいる羽根人たちを追い出さんと身構えている。
昨夜の苦々しい記憶が蘇る。
アリューシャとセルティアがルシュアの後ろに隠れるよう身をずらした時、玉座の方から何かを感じ取った。
「…!これは…」
先ほどのルシュアとデュークの様子がおかしかった原因が分かった。
セルティアも驚きの表情を浮かべる。
デュークが表情を強張らせ、サフォーネを庇おうとすると、その赤い瞳が何かを見つめていることに気がついた。
その視線の先には祖人の王が、サフォーネに捕らわれたように立ち尽くしている。
――似ている――
王の口元がそう動いたように見えた。
二代目の王が誕生したのは10年前…。
戦による大怪我。
王から感じる己と近しい力。
デュークははっとなり、祖人の王に向き直って頭を垂れた。
「異端を生み出したのは羽根人自身…本当にそうお思いなら、祖人の王。私は貴方と直接話がしたい」
デュークの言葉に、その場にいる全員が凍り付き、僅かな沈黙が流れた。
祖人の王は微かに震えながら、側近に手招きをし、その耳元に囁いた。
「!…ですが…それは…」
抗議の声を上げる側近に向かい、王は首を横に振る。
側近は唇を噛んだ後、王の言葉を代弁した。
「衛兵、大臣、全て下がりなさい。私はこの者たちと話がある」
その言葉に全員驚いたが、毅然とした側近の態度に渋々と下がっていく。
広い謁見の間に残ったのは、七人の羽根人と祖人の王と側近だけになった。
その側近に向けて、王が下がるように合図する。
不服そうな顔をしたが、側近は王の背後に控えた。
代弁者を除いて会話ができるのか?そう思った矢先に王が口を開く。
「やはり、同族の目は誤魔化せないか…それとも、イフーダから何か聞いたのか?」
低くはっきりとした声が響き、部屋の隅に居たイオリギとナチュアは驚いた。
羽根人は同族の能力を感知することができるが、ある程度の距離に入らないと判らない。
イオリギとナチュアの場所からでは、それを知る由もなかった。
「まさか、翼を堕とした羽根人が祖人の王になっているとは…貴方は一体…」
更に、翼を堕としているならその力も伝わりにくいが、それを感じたということは、王の闇祓いの力が元々強いのだろう。
「その様子では、イフーダから何も聞いていないようだな…。さすが、長ともなる方は、口が堅い…。察しの通り、私は元羽根人だ。戦に巻き込まれ、翼を失った。そのまま祖人を装ってこの地を彷徨い、王になった。それだけのことだ」
「…その戦とは…14年前の大闇祓いではありませんか?」
デュークの言葉にはっとなり、ルシュアは祖人の王を見る。
落ち着きを含みながらも張りのある低い声は、30~40代の年齢を思わせる。
何より、翼を失っても尚、沸き上がる闇祓いの強さは、総隊長を務めるほどの物だ。
もしそれが事実なら…アリューシャは心配そうにサフォーネを見た。
祖人の王は喉元を潜らせるよう低く笑った。
「それを知ってどうなる?翼を失くし、故郷に帰る勇気を失くしたのは事実。その後、愛する者の命を異端の天使によって奪われたと知り、己が羽根人であることを呪ったのも事実だ…。異端の天使…お前は…」
王の声は震えていた。
怒りで震えているのではなく、悲しみに震えているのが伝わってくる。
サフォーネはただその様子を静かに見ていた。
命を奪った者、その顔はあまりにも、愛しい人に似すぎている。
王は観念したように、玉座に腰を落とした。
「いや…私が、誰を責められると言うのだ…愛する者を護れなかった私が…」
王の中で言い知れぬ悔恨の念が見える。
恐らく王は、緑の騎士団前総隊長。
リマノラを愛し、子供を産ませた…サフォーネの…。
言葉の続かない王に代わり、側近が歩み出る。
「王は、西の連峰近く、深い谷底で行き倒れていました。顔と翼の損傷がひどく…。当時、革命軍に所属し、軍医でもあった私は、同志を募る旅の途中で王を見つけ、手当をし、その翼を切除したのです。王の事情は薄々察しておりましたが…その手腕とカリスマ性は革命軍に必要だった…私は…」
「もういい、フノラ。祖人の王になることを決めたのは私だ…」
皮肉な話だ。
異端の天使を憎む祖人の王は、その存在を生んだ羽根人自身だった。
どうにもならない自責の念を、異端の天使を忌み嫌うことで晴らそうとしていたのか…。
デュークは不意に母親を想い出し、それ以上は何も言えなかった。
この奇縁にルシュアとアリューシャも言葉を失っている。
セルティアが口を開いた。
「恐れながら、祖人の王よ。浄清のサフォーネは、産まれし時より孤児として生きて参りましたが、闇祓いのデュークと出逢い、共に湖の聖殿へ属し、浄清の力を目覚めさせました。その力は膨大なもので、いずれ師である私を超える者と見なしております」
セルティアはサフォーネのことを語った。
何より、目の前の王がそれを望んでいると感じたからだ。
「…サフォーネ…と申すか…」
「デューク…もらったの…なまえ…」
王の呟きに、サフォーネが初めて笑顔を見せた。
目の前の王が本当は誰か知っているような優しい笑みを見て、アリューシャは泣きそうになるのをぐっと堪えた。
予期せぬ親子の対面。
謁見の間がしばらく静寂に包まれる。
サフォーネに真実を伝え、その再会を祝福できるなら…。
誰もがそう思ったが、真実が正義であるとは限らない。
何より、祖人の王がそれを望んでいないのは明らかだ。
ルシュアは言葉を呑み込むように間を置くと、何事も無かったように本題を切り出した。
「…このサフォーネに、新たな力があることが判明したのです。先に申し上げました通り、それは大陸全土を救う力になるでしょう。しかしながら、この力を湖の聖殿で取り仕切るとなれば、無用な争いを呼ぶかもしれず…。ぜひ、王都の許可を得て広めたいのです」
ルシュアの判断に同意するようにデュークは頷き、懐から小さな革袋と懐紙を取り出した。
懐紙を床に広げ、その上で革袋を返すと、乾いた土が零れ出てきた。
「この土には水も養分もありません。到底植物は芽吹かず、死んでしまいます。ですが…」
デュークは更に種の入った袋を取り出すと、その中の一粒をサフォーネに渡した。
受け取ったサフォーネはそれを両手の中に包み、祈りを込めるように息を吹きかけ、乾いた土に埋め込んだ。
「…!」
それまで、王はずっと、サフォーネの顔に捕らわれていたことに気が付く。
種を埋めた場所から、僅かな時間で緑の芽が出た様子に驚いて、玉座から腰を浮かせた。
「これが、サフォーネの持つ力。再生の力です」
「再生の力…?!」
祖人の王は驚きを隠せない様子でサフォーネを見た。
曇りのない真っすぐな瞳。その色は違うが、若緑色の美しい少女と重なった。
デュークの言葉を補足するように、アリューシャが続いた。
「王様。あたしは精霊との交信ができますが、この種の中には、サフォーネの呼びかけによって精霊の力が宿ったんです。こんな種をたくさん作れば、乾いて死んだ土にも緑を増やすことができると思いませんか?緑の多い場所、命が溢れる場所には精霊も集まります。そうすれば、魔烟の発症を抑えることもできるんじゃないかと思うんです」
王は深く息を吐き、玉座に腰を落とした。
フノラが案じて隣に歩み寄る。
「どんな土壌でも、精霊の種があれば…か…」
回顧と現実の葛藤の中、王はその重大な力について考えた。
王都の周辺は今、荒れた土地が増えている。
貧困に喘ぐ町や村の声を聴く毎日だ。
『再生の力』。
それが本物なら、多くの民を救うことができるだろう。
この天使にその力が宿った謎はあるが、目の前で起こった事実は確かなものだ。
その力の存在は認めざるを得ない。
だが何より懸念すべきは、それを認めれば、異端の天使を肯定することになる。
「…それは気温にはどうなのだ。寒さにも耐え、芽吹かせることは可能なのか?」
異端の天使に対する畏怖を広めてきた信念が、若緑の瞳の少女を救えなかった懺悔の想いに覆る。
王は無意識に、その力を認めたい想いにかられていた。
その質問に誰もが顔を見合わせる。
デュークが代表して答えた。
「それはまだ…計り知れません。恐らく芽吹かせることは可能ですが…そのあとの環境に耐え抜くことができるかどうかは…」
王はしばらく考えるように、目の前の羽根人たちを見下ろしていたが、フノラに耳打ちをした。
フノラが心得たというように、懐からベルを持ち出し鳴り響かせる。
すると、先程まで下がっていた衛兵と大臣が隣室から続々と戻ってきた。
認めてもらえなかったのだろうか、このまま王都の外に追い出されるのでは…そう全員が案じた時、フノラが王からの言葉を告げた。
「その力、まだ真のものか信じ難いところ。王都より遥か西。連峰の麓に長年緑が育たぬ荒れ野がある。そこに出向き、息吹の月までにその一帯に緑を甦らせれば、その力を認めよう」
再び王がフノラに耳打ちをする。
普通に会話ができることは、どうやら内密になっているようだ。
「精霊と交信する者、その成果をここに届かせることは可能か?」
アリューシャが驚いて首を縦に振る。
「も、もちろんです!こちらの術師にやり方を説明します」
「よろしい。では、今を持って、その旅に出るよう命ずる。この者たちの旅の目的を大陸全土に伝えよ」
謁見が終わり、王城を出ると馬車が待機していた。
七名は互いの顔を見合わせる。
「今から?本当に今から行くの?あたし、二、三日滞在して、王都巡りしたかったのに…」
アリューシャががっかりするのを見ながら、ルシュアも溜息をついた。
「ここから連峰の麓となると、ほぼ大陸横断だな…。移動だけで半月以上は掛かる。今すぐは無理だ。一度聖殿に帰って事情を報告し、長旅に備えての準備をしてから改めて出発することになるな」
「息吹の月まで、というと、約二か月半…ですね。旅をするのはまさか、この面子ではないでしょうね?」
聖殿の総隊長と総団長が、あわせて長い期間不在にしたことはない。
セルティアが懸念すると、ルシュアはあっけらかんと返した。
「祖人の王は、この場にいる我々に旅を命じたからな…。それが筋だと思うが…何か問題でもあるのか?」
「それは…そうかもしれませんが…」
「我々が不在でも、蒼の騎士団、天使団は優秀な者たちばかりだ。それに、いつかは世代交代も来る。そのための訓練と思ってもいいのではないか?」
この旅を命じられた時、セルティアはあまり乗り気ではない様子だった。
目もよく見えず、大事に育てられてきた者としては、聖殿の外は確かに不安も多い事だと思うが…。
「セルティア様。旅の間も私が傍でお守りいたしますので…」
セルティアに寄り添って耳打ちするイオリギを見て、本来の憂慮を理解した。
「…なるほど、そういうことか…わかった。神に誓う。旅の間、私は君に指一本触れないと…」
「何それ、旅が終われば触れるってこと?さいてー」
アリューシャの言葉に皆が笑う中、デュークはまだ祖人の王の正体を引きずっているようだった。
隣にいるサフォーネに視線を落とすと、そんなことも知らない笑みが返ってきた。
「厳しい季節の中での長旅は辛く危険かもしれないが、祖人の王が認めてくれる機会だ。やらなければいけないだろ…」
「サフォ、やる…がんばる!」
思いがけずに知った祖人の王の秘密。
サフォーネの事はもとより、その正体を口にすることは憚れると誰もが承知していたが、ルシュアが念押しするように話し出した。
「…それにしても驚いたが、祖人の王のことは他言無用だ。誰に話しても得は無いからな…。サフォーネ、言ってることわかるか?」
「…うん、ないしょ?」
口に人差し指を当てて首を傾げる様子はいつもと変わらない。
サフォーネ自身で祖人の王との関係を知ることは無いだろう。
そこへ、アリューシャを術師に会わせたいという伝令が来た。
「皆さまはこちらでお待ちください」
使用人の案内で、庭園内にある東屋で待つことになった。
「城の客間に通されてもよさそうなものだが…異端の天使への厳しい態度は変わらず、か…。王としての威厳もあるんだろうがな…」
王のあの様子から、異端の天使を憎みたくても憎み切れないことはわかる。
本当なら、サフォーネを抱きしめたかったかもしれない…。
デュークは隣に座るサフォーネの肩を抱き寄せた。
「…?」
「サフォ、よく頑張ったな…。旅先でも、お前の力が試される。頑張ろうな?」
不思議そうに見上げる赤い瞳に優しく笑みを落とすのは、父親の代わりになれればと思っての事か。
デュークの言葉にサフォーネは嬉しそうに頷いた。
~つづく~
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