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第三章
[第32話]新たな力
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蒼の騎士団・天使団は、いよいよ聖殿へ帰ることになり、クエナの町滞在最後となる夜は、皆が遅くまで飲み明かした。
束の間の休暇の終わりを惜しむよう、翌朝は誰もが少し遅い目覚めとなった。
デュークも類にもれず遅めの朝を迎え、昨夜世話になった宿で軽い朝食を済ませると、集合場所となる中央広場へと足を運んだ。
まだ宴の名残がある広場には徐々に天馬や馬車が集められてきており、それらを一つ一つ確認する。
町の人々が整備をしてくれたおかげで、闘いの最中に傷んだ場所も補修されていた。
これなら聖殿まで問題なく飛んでいけるだろう。
「本当に至れり尽くせりだな…」
新しく設えられた手綱や金具を見てデュークは呟いた。
羽根人たちの活動で、他の種族の生活が護られるのは事実であり、それを崇め称える者たちも居る。
特にクエナの町の人々の羽根人に対しての信仰心は本物なのだろう。
「よぉ、朝からご苦労さん」
その声に顔を上げると、馬車の向こうにワグナとエルーレが数名の騎士と共に担架を率いてくるのが見えた。
そこに横たわっているエンドレは、薬が効いているのか良く眠っていた。
エルーレはデュークを見るも、何も言わずに担架と共に馬車に乗り込んで行く。
その憔悴した様子に掛ける言葉も見つからず、デュークは静かにワグナに話しかけた。
「エンドレの様子はどうだ…」
「熱も引いてだいぶ落ち着いた。さすがメルクロ医師だな。癒しの力は自然治癒を高めるが…手術じゃなければどうにもならない怪我もあるってことだ」
一番怪我のひどかったエンドレは、魔物に体の一部を食いちぎられ、特に酷かった腿は神経が断裂していたため、メルクロによって手術が行われた。
手術は成功したものの、以前の様に動き回るには半年以上掛かるかもしれないということだった。
「…復帰は難しいかもしれんな…」
「……あぁ…そうだな…」
日常に戻っても、以前のような戦いの場に身を置くことは難しいだろう、というメルクロの診断はデュークも聞いていた。
エルーレ自身にはそのことを伝えてはいないが、先ほどの様子を見れば恐らく何かを感じ取っているのだろう。
「それにしても。さすが総隊長代理殿。朝早くから馬車の点検か…」
「…何が早いものか…さっき来たところだ。昨夜はお陰で眠れなかったからな…」
恨めしそうに睨み返すと、ワグナは豪快に笑った。
デュークとサフォーネはメルクロの診療所で二日間泊まり、昨夜は仲間たちと共に過ごした。
広場の宴の中、クローヌとトハーチェに町を案内したいと言うサフォーネを見送った後、盃を手にしたデュークは、ワグナを見かけて歩み寄った。
気がついたワグナが杯を掲げる。
「改めて。四半期の旅お疲れさん」
「そっちも、いろいろ大変だったな」
杯を合わせて互いを労い、旅の出来事を語りながら、戦況を検証しあう。
真面目に考えすぎるデュークを、ワグナは何度か冗談を交えて心を軽くしてくれた。
男気があり、かといって横暴さはなく、他人を尊重しながらも自身を貫く。
ワグナとは同期だが、こうやって一緒に酒を飲むのは初めてで、その存在の心地よさをデュークは改めて認識した。
「…お。サフォーネか…。かなりの活躍ぶりだったな」
屋台の向こう側、二人の天使と歩く赤い髪が見えて、ワグナが話題を変えてきた。
そこには『サフォーネを護る会』を宣言した四人の若い騎士たちも、護衛するように付き従っている。
道行く仲間たちに声をかけてもらい、新人の天使たちが褒められている様子が伝わってくる。
デュークが見守ってきた天使が、異端という烙印を撥ね退け、一目置かれている。
さぞ誇らしいのではないかとワグナは思っていたが、その表情は晴れないようだ。
「願わくば、力の目覚めはもう少し遅くても良かったんだがな…」
盃を一気にあおる様子にワグナが薄く笑う。
「ルシュアから聞いているぞ…相当な過保護っぷりだな。…あ、そういや、ルシュアたちが先に戻ったのは、サフォーネに関することらしいな?」
「…え?そうなのか?」
「あれ?聞いてないのか…。セルティア様が何か頼んでいたらしいぞ…」
サフォーネに関すること?
二人で先に聖殿に帰る程の…?
もしそうなら真っ先に報告してくれる筈だが…。
その後、サフォーネの様子に注意しても特別変わったことも無く、身体の具合を聞いても問題は無い様で…結局気になったまま殆ど眠れなかったのだ。
「戻ったら聞き出してやる…」
「…あぁ、そうした方がいい。恨むならあっちにしてくれよ?」
どこか子供じみたデュークの言葉に、ワグナは笑いながら他の怪我人の搬送を手伝いに行った。
「デュークさん、おはようございます!」
ワグナと入れ替えに届いた声に振り向くと、ミューが町長や役人たちと一緒に荷車を引いて近づいてきた。
デュークの前で止まると町長が前に進み出てくる。
「町の者たちから是非にと預かった品々だ。どうか受け取ってほしい」
その言葉に荷台を見ると、野菜や果物、絹の反物まであり、その量は馬車二台分に相当していた。
「…いや…あれだけのことをしてもらって、ここまで心遣いを頂くのは…」
戸惑うデュークに向かって、町長は不器用そうな笑みを浮かべる。
「私たちが安心して暮らせるのは、君を始め、羽根人たちが身を削って、魔物や魔烟と闘ってくれているお陰だ。それに……異端という存在を恐れる私たちを、君やあの赤い髪の少年は、分け隔てなく守ってくれているのだと…この子に言われてな」
町長の言葉にそちらを見ると、照れくさそうに鼻を掻きながらミューが笑った。
「本当のことを言っただけですよ。それに、感謝の気持ちはきちんと表さないとダメだって、母さんも言ってたしね」
ミューの言葉に同意するように役人たちも頷く。
その様子に、デュークも自然と顔が綻んだ。
「…ありがとう…。では気持ちに応えて、心遣いお受けいたします」
ただの町の虚栄心だけで、ここまでのことを無償でやってくれるとは思えない。
己の言葉にほっとした顔をする町長たちを見て、デュークは昨夜の考えを恥じる気持ちになった。
他人の厚意を素直に受け止めることができるのは、こんなにも心が満ち足りるのか…。
町の人々と共に馬車に荷物を積みながら、デュークは小さな幸せを噛み締めた。
「デューク隊長!皆揃いました」
程なくして中央広場に全員が集合し、点呼を頼んでいたカルニスから報告が届いた。
「ではこれより聖殿に向かう。ワグナ、先導を頼む。準備のできた隊から出発してくれ」
デュークはそう指示すると、町の人々との別れを惜しむサフォーネを肩に担ぐように抱きかかえ、馬車に乗せた。
「皆さん、お世話になりました。本当にありがとうございます」
車両を引く天馬が駆け出し、デューク率いる第二部隊がしんがりを務め、蒼の騎士団・天使団がクエナの町を出立した。
デュークが天馬を駆りながら、サフォーネの馬車と並走すると、同じ馬車に乗っていた三人娘たちが手を取り合って色めき立つ。
しかしデュークの表情には、まだ晴れない問題が浮かんでいた。
(ルシュアの奴…何を隠しているんだ…)
蒼の聖殿では慌ただしく人々が行きかっていた。
騎士団と天使団が帰ってくる。
それは術師から連絡を受けたアリューシャから、昨夜のうちに聖殿内に知れ渡っていた。
「お着換えの用意にお風呂も準備万端。サフォーネ様のお好きなスープと、特製の焼き菓子…忘れてるものは無いかしら…」
初めて赴いた仕事、初めての出迎え。
見落としがあってはならない。
ナチュアは朝からそわそわしていた。
「騎士団が帰って来たぞ!」
塔の外から聞こえた声に、ナチュアは大急ぎで部屋を飛び出した。
空から天馬たちが聖殿の外にある自然の花畑に舞い降りる。
馬車を降りたひとりひとりが社をくぐり、穢れを落として敷地に入ると、それぞれの世話役や知り合いが出迎えてくれた。
ナチュアはおろおろと、入ってくる者の中からサフォーネを探す。
総勢百人以上が全て戻ったのではないか、というところで、赤い髪を見つけた。
「サフォーネ様!」
人混みを掻き分け、サフォーネの元へ歩み寄ると、気が付いたサフォーネが笑顔で駆け寄ってきた。
「ナチュ!…ただいま!」
「…ご、ご無事で…何よりでした…」
目の前にいるサフォーネは、旅立つ前よりも少しだけ大人びた気がする。
わずかひと月ほどしか離れていなかったが、ナチュアは嬉しさのあまり泣き出してしまった。
そんなナチュアを見て、サフォーネは優しく抱きしめる。
ふたりの様子を遠くから見守っていたデュークの元へ、アルイトがやってきた。
「デューク様。お帰りなさいませ。ご無事で何よりです」
「アルイト。留守の間…こちらは変わりなかったか?」
「はい。聖殿も聖都も変わりなく…」
「それなら良かった。…ルシュアが先に戻ったはずなんだが…何か俺宛てに伝言はないか?」
「…いえ。何も伺ってはおりませんが…」
「そうか…」
こちらから出向いた方が早そうだと、アルイトにその場で武具を預けた。
「デューク様?まずはお部屋の方へ…」
「すまん。急ぎの用件だ」
恐らくアルイトも出迎えの支度をしていたことだろう。
しかし、ずっと気掛かりを抱えたまま過ごすのは本意ではない。
デュークがルシュアの元へ向かおうとしたその時、中央塔の扉が開いて当人が現れた。
騎士や天使と出迎えがひしめく大庭で、演説用の円台に立つとルシュアは声を上げる。
「皆ご苦労だった。怪我人が数人出てしまったのは残念だが…四半期の旅は成功に終わったと言っていいだろう。いま、長が王都に出向いてその報告をしてくださっている。皆が頑張ってくれたお陰で、依頼の方もしばらく落ち着きそうだ。全隊員・団員ともに一週間休暇をとってくれ」
その言葉に歓喜の声があがった。
挨拶を終えて、その場から去ろうとするルシュアをデュークは追い、その腕をつかんだ。
「…お?そちらから来てくれるとは…やっとその気になってくれたか?」
「…!」
茶化すルシュアの顔色は、あまり優れない様子で、デュークは一瞬言葉を失ったが、硬い表情で問い詰めた。
「…ふざけるな。サフォーネのこと、何を隠している?」
その様子にルシュアは「はぁ」と肩を落とし、静かにその腕をほどいた。
「さすが保護者殿。耳が早いな…。だが、隠してはいない。まだ何も言えないだけだ。とにかく今日はゆっくり休んでくれ」
デュークの肩を軽く叩いて、ルシュアは怪我人たちが搬送されてきた馬車に向かっていく。
怪我人の今後の管理、場合によっては部隊編成もあるだろう。その他旅の事後処理。
加えてサフォーネに関する問題もあるのなら、心労を抱えるのも無理はない…。
それ以上追及することもできず、デュークはアルイトに促され、自室へと帰って行った。
翌朝、全部隊が休暇を向かえる聖殿の中は静寂に包まれていた。
サフォーネは寝床でぱちりと目を開ける。
シーツから洗い立ての石鹸の香りがし、枕も布団もふわふわで、寝返りを打つと包み込まれるようだった。
「おはようございます。サフォーネ様。よく眠れましたか?」
ナチュアは早々に起きており、着替えの用意も朝食の支度も整っていた。
いつもの…いや、いつもより尊い日常に、帰ってきたのだと実感する。
サフォーネは用意されていた服に着替えると、円卓についた。
塔には食堂もあるが、世話役のいる者は殆ど自室での食事になる。
主が食事を取る間、世話役は給仕に徹し、別で食事をとるのが通例なのだが、サフォーネの強い希望もあって、ナチュアは一緒に食事をとることにしている。
「今日はクエナの町からお土産に頂いたというお野菜のスープにしてみましたよ?」
聖殿には専門の料理人も居るが、ナチュアはいつも手料理を用意してくれる。
サフォーネはその味が好きだった。
「ナチュのごはん…おいしいね。サフォ、だいすき」
「サフォーネ様…」
世話役冥利に尽きる言葉にナチュアが声を詰まらせていると、扉を叩く音がした。
ナチュアが席を立ち扉を開けると、そこには案内係が佇んでいた。
「失礼いたします。エターニャ様より、中央塔大会議室へ来るようにとのご伝言です」
「…え?サフォーネ様が、ですか?」
「はい。朝の『時の鐘』までに、世話役殿もご同行くださいとのこと」
浄清の天使長からお呼びが掛かるのは余程のこと。
ナチュアは神妙な顔をしながらも、朝食を済ませるとサフォーネと共に大会議室へ向かった。
そこにはエターニャを筆頭にセルティア、アリューシャ、ふたりの長老がいた。
錚々たる面子にナチュアは驚いて深く頭を下げる。
サフォーネは何故呼ばれたのか解らず、不思議そうに辺りを見渡した。
「ルシュアは何をしているのでしょうね」
エターニャが溜息交じりに呟いたところ、扉が開いてルシュアが現れた。
「遅くなりまして申し訳ありません。それから…」
後から続いてデュークが現れた。
中にいる顔ぶれに驚きの表情を浮かべたが、その場で頭を下げる。
それを見たエターニャが口を開いた。
「…ルシュア…彼にはまだ…」
「いえ、最初から知ってもらった方がいい。そう判断しました。お許し下さい」
デュークは硬い表情のまま部屋に入る。
恐らくこれはサフォーネに関すること。
これだけの顔ぶれが揃えられ、一体何が始まるのか…。
重要機密は隊長以下の身分に伝えることはないのだが、サフォーネの保護者でもあるデュークには、隠すこともまた難しい問題かもしれない。
エターニャは静かに息を吐いた。
「わかりました。では早速本題に入りましょう」
そう言って、サフォーネに向き直る。
「サフォーネ…にわかに信じ難いことなのですが…あなたには第三の能力があるかもしれないと…報告を受けたのです」
「え」
驚いた声を上げたのは、デュークとナチュアだった。
羽根人が持つ能力はひとり一つが通常で、中にはそれさえも無い者もいる。
その中で、二つの能力を持つ者は稀有とされ、一目置かれる存在になる。
アリューシャの様に精霊交信と魔術の心得。
サフォーネの様に癒しと浄清の力。
しかし、三つ目の能力を持つ者など聞いたことはない。
皆が自分を見ている。
サフォーネはそわそわしてきた。
ババ様の言っていることがよくわからず、助けを求めるようにデュークを見る。
デュークにとっても答えようがない問題に、問い返すしかなかった。
「…恐れながら…それは一体…?」
「それは私から申し上げましょう」
セルティアが一歩前に進み出てきた。
「北の荒れ地で行われた最初の浄化…。その直後、大地に緑が芽吹いていました。…サフォーネ、覚えはありませんか?」
セルティアの問いかけに、デュークとナチュアが驚いてサフォーネを見た。
考えるように天井を見上げたサフォーネだったが、ふるふると首を振った。
「実証した方が早いんじゃないか?サフォーネ、この枯れ木を見て何か感じないか?」
ルシュアは、会議室の隅に置いてあった朽ちた大木の枝を持ってくると、サフォーネの前にある机に置いた。
枯れ木に近づいたサフォーネは、手を翳したあと、顔を近づけてみる。
何かに耳を傾けている様子だったが、身体を起こすと首を横に振った。
それを見て、二人の長老が顔を見合わせ「やはりな。ある訳がない」と肩を聳やかす。
エターニャも思案顔をし、アリューシャも戸惑いを見せる。
サフォーネは枝の傍にあった革袋に視線を移した。
「あっち、きこえる…」
ルシュアがその革袋を取りに行き、机の上に置くと、セルティアが首を傾げた。
「それは、何ですか?」
「最初の浄化の場所近くの土壌だ」
そう言って、革袋を逆さにすると机の上に土が拡がった。
「ちょっと、ルシュア!これ、誰が片付けるのよ」
非難するアリューシャをよそに、サフォーネがその土に顔を近づける。
「あ」と言うように、赤い瞳が見開かれた。
「…サフォーネ?」
見守っていたデュークは、北の荒れ地で見たサフォーネの所作を思い出した。
両手で何かを掬うように頭の上に掲げると、そのまま地に降ろすように傅く。
それはまるで大地への祈りを捧げる儀式にも見えた。
すると…。
土壌から緑の芽がひとつ、ふたつ…次々と現れ始めた。
「え…!?」
アリューシャとナチュアが驚きの声を上げ、二人は手を取り合って身を寄せた。
その状況に目を見張る大人たちを他所に、サフォーネはさらに祈るように何度も同じ所作を繰り返した。
「これは一体…」
エターニャが絶句し、目の前で起こる事態を凝視する。
二人の長老も驚きに口を開けたまま、数歩後退した。
ルシュアはその光景に瞳を輝かせ、セルティアはその音に戸惑いながら精神を集中させ、何が起こっているのか確信する。
緑の芽はどんどん伸びていき、それは太い蔦に育っていく。
根を包む土壌が足りなくなっても、それすらも関係なく蔦はますます伸びていき、会議室の机、椅子、その間を縫って部屋中を満たしていく。
「…!このままじゃ部屋が蔦に押し潰されるわ!」
「サフォーネ、もういい!やめろ!」
アリューシャの悲鳴にデュークが声を上げると、サフォーネはふとその所作を止めた。
同時に、蔦の伸びも止まった。
顔をあげて見えた光景に一番驚いていたのは本人だった。
「はっぱ…いっぱい…」
「凄い…凄いぞっ!サフォーネ!!」
蔦を掻き分けるようにしてやってきたルシュアは、サフォーネの両肩を掴んで喜びの声を上げる。
「これぞ、再生の力!伝説の力だ!!これがあれば、浄化した地に緑を早く再生させることができる。緑が多い場所には精霊も宿るはずだ…そうすれば我が蒼の聖殿が見守る大地は、他の聖殿とは比べ物にならないほど豊かになる…」
「…い、いたい…」
ルシュアの手に力がこもり、サフォーネが悲鳴を上げる。
デュークがやってきてルシュアからサフォーネを奪い取った。
「やめろ!…サフォーネをどうするつもりだ」
「どうする…?決まってるだろ。この聖殿のために大いに役立ってもらうだけだ。こんな奇跡を手に入れたのは私たちだけだ。再生の力だぞ?そう思いませんか、ババ様」
その声に皆がエターニャに視線を向けた。
エターニャは考えた後、静かに口を開く。
「信じ難いことですが…確かに、凄い力です…しかし何故…」
「…サフォーネの中には精霊が宿っている…今度こそ確信したわ…」
アリューシャがエターニャの問いに答えるように語り出した。
「サフォーネの願いに精霊が応えたのよ。この土壌の中に命の声が聞こえて、それを引き出した…。さっきの枯れ木にはその命が感じられなかったんでしょ?」
「そうか…精霊の御子…そういう事だったのか…」
ルシュアの呟きに、デュークも精霊の祠で語られた話を思い出した。
精霊により育てられ、慈しまれた子供はその力も手に入れたということなのか…。
ルシュアの瞳が何かに囚われたように爛々と輝く。
「それなら、あの祠でサフォーネのような子供をたくさん育てあげれば…」
「ちょっ…!?ルシュア?」
精霊の祠であったことは、サフォーネには秘密にする約束だった。
アリューシャが制しようとするのと同時に、デュークがルシュアの胸倉をつかんだ。
「…やめろ…お前、そんなこと本気で思ってるのか…?」
サフォーネのような子供…親から引き離し、祠に捨て、精霊に育てさせる。
そんな非道なことが赦されるはずはない。
三人のやり取りを分かっているのはエターニャとセルティアだけで、サフォーネとナチュア、長老たちは意味がわからないでいた。
不安そうに見つめてくる赤い瞳が視界に入り、ルシュアも正気に返った。
「…すまない…悪かった…」
「あの…祠…とは…?」
サフォーネに関することで知らないことがある。
ナチュアが遠慮がちに尋ねると、デュークがルシュアを放しながら、悲しそうな顔で首を横に振った。
それだけで、サフォーネの前でできる話ではないことを悟ったナチュアは、それ以上問い詰めることはなかった。
エターニャが口を開く。
「とにかく…今はこの力についてですが…。まずは長に報告したいところですが、王都に出向いていますしね…。ただ、私が言えるのは、この力は蒼の聖殿だけのものにしてはならない、ということです…」
「!…何故です?サフォーネは蒼の天使団の一員です。浄清のあと、再生の力でその地を命で溢れさせれば、本当にいつか、魔烟のない世界が創られるかもしれないのに…」
ルシュアが納得しないように、拳を握りしめる。
「だからこそ、大陸中に平等にこの力を役立てるべきではありませんか?」
エターニャの問いかけに皆が考える。
「確かに…事と次第によっては…」
「再生の力を蒼の聖殿が持っている。そう知れた時、その力を巡って争いが起こる可能性もあるということか…」
長老たちが口々に言う。
「でも、いくら何でもサフォーネは生身の人間よ?大陸中にその力を与えるなんて…無茶なことなんじゃないの?」
大陸中に再生の力を…そんなことをしたら、サフォーネの身はどうなるのか。
アリューシャが心配する。
デュークはサフォーネを見た。
その瞳は力強く、確かなものを見つめていた。
それはこの先、自分が何をすべきかを悟っている。
本当に強くなった。
いや、もともと強かったのかもしれない。
秘めていたものが開放され、何も出来なかった天使はもういない。
デュークはサフォーネ自身に問いかけた。
「サフォーネは…どうしたい?お前の力は、大陸中のみんなが望むものなんだ。だが、みんなに喜んでもらうには、お前自身が大変な思いをする…。それでも…」
「サフォ…やる」
サフォーネの即答にその場にいる全員が驚いた。
「サフォのちから…サフォのなかから、たくさん…たくさん、でてくるの…。いのち、たすけなさい…こえが、きこえる…やさしいこえ…」
その声に耳を傾けるように、サフォーネは赤い瞳を伏せる。
優しい声…それはあの祠で聞いた精霊の声か、それとも母親の…?
デュークは静かに笑うと、エターニャと長老たちに向き直った。
「…提案があります…」
その提案は皆の意表をつくものだった。
~つづく~
束の間の休暇の終わりを惜しむよう、翌朝は誰もが少し遅い目覚めとなった。
デュークも類にもれず遅めの朝を迎え、昨夜世話になった宿で軽い朝食を済ませると、集合場所となる中央広場へと足を運んだ。
まだ宴の名残がある広場には徐々に天馬や馬車が集められてきており、それらを一つ一つ確認する。
町の人々が整備をしてくれたおかげで、闘いの最中に傷んだ場所も補修されていた。
これなら聖殿まで問題なく飛んでいけるだろう。
「本当に至れり尽くせりだな…」
新しく設えられた手綱や金具を見てデュークは呟いた。
羽根人たちの活動で、他の種族の生活が護られるのは事実であり、それを崇め称える者たちも居る。
特にクエナの町の人々の羽根人に対しての信仰心は本物なのだろう。
「よぉ、朝からご苦労さん」
その声に顔を上げると、馬車の向こうにワグナとエルーレが数名の騎士と共に担架を率いてくるのが見えた。
そこに横たわっているエンドレは、薬が効いているのか良く眠っていた。
エルーレはデュークを見るも、何も言わずに担架と共に馬車に乗り込んで行く。
その憔悴した様子に掛ける言葉も見つからず、デュークは静かにワグナに話しかけた。
「エンドレの様子はどうだ…」
「熱も引いてだいぶ落ち着いた。さすがメルクロ医師だな。癒しの力は自然治癒を高めるが…手術じゃなければどうにもならない怪我もあるってことだ」
一番怪我のひどかったエンドレは、魔物に体の一部を食いちぎられ、特に酷かった腿は神経が断裂していたため、メルクロによって手術が行われた。
手術は成功したものの、以前の様に動き回るには半年以上掛かるかもしれないということだった。
「…復帰は難しいかもしれんな…」
「……あぁ…そうだな…」
日常に戻っても、以前のような戦いの場に身を置くことは難しいだろう、というメルクロの診断はデュークも聞いていた。
エルーレ自身にはそのことを伝えてはいないが、先ほどの様子を見れば恐らく何かを感じ取っているのだろう。
「それにしても。さすが総隊長代理殿。朝早くから馬車の点検か…」
「…何が早いものか…さっき来たところだ。昨夜はお陰で眠れなかったからな…」
恨めしそうに睨み返すと、ワグナは豪快に笑った。
デュークとサフォーネはメルクロの診療所で二日間泊まり、昨夜は仲間たちと共に過ごした。
広場の宴の中、クローヌとトハーチェに町を案内したいと言うサフォーネを見送った後、盃を手にしたデュークは、ワグナを見かけて歩み寄った。
気がついたワグナが杯を掲げる。
「改めて。四半期の旅お疲れさん」
「そっちも、いろいろ大変だったな」
杯を合わせて互いを労い、旅の出来事を語りながら、戦況を検証しあう。
真面目に考えすぎるデュークを、ワグナは何度か冗談を交えて心を軽くしてくれた。
男気があり、かといって横暴さはなく、他人を尊重しながらも自身を貫く。
ワグナとは同期だが、こうやって一緒に酒を飲むのは初めてで、その存在の心地よさをデュークは改めて認識した。
「…お。サフォーネか…。かなりの活躍ぶりだったな」
屋台の向こう側、二人の天使と歩く赤い髪が見えて、ワグナが話題を変えてきた。
そこには『サフォーネを護る会』を宣言した四人の若い騎士たちも、護衛するように付き従っている。
道行く仲間たちに声をかけてもらい、新人の天使たちが褒められている様子が伝わってくる。
デュークが見守ってきた天使が、異端という烙印を撥ね退け、一目置かれている。
さぞ誇らしいのではないかとワグナは思っていたが、その表情は晴れないようだ。
「願わくば、力の目覚めはもう少し遅くても良かったんだがな…」
盃を一気にあおる様子にワグナが薄く笑う。
「ルシュアから聞いているぞ…相当な過保護っぷりだな。…あ、そういや、ルシュアたちが先に戻ったのは、サフォーネに関することらしいな?」
「…え?そうなのか?」
「あれ?聞いてないのか…。セルティア様が何か頼んでいたらしいぞ…」
サフォーネに関すること?
二人で先に聖殿に帰る程の…?
もしそうなら真っ先に報告してくれる筈だが…。
その後、サフォーネの様子に注意しても特別変わったことも無く、身体の具合を聞いても問題は無い様で…結局気になったまま殆ど眠れなかったのだ。
「戻ったら聞き出してやる…」
「…あぁ、そうした方がいい。恨むならあっちにしてくれよ?」
どこか子供じみたデュークの言葉に、ワグナは笑いながら他の怪我人の搬送を手伝いに行った。
「デュークさん、おはようございます!」
ワグナと入れ替えに届いた声に振り向くと、ミューが町長や役人たちと一緒に荷車を引いて近づいてきた。
デュークの前で止まると町長が前に進み出てくる。
「町の者たちから是非にと預かった品々だ。どうか受け取ってほしい」
その言葉に荷台を見ると、野菜や果物、絹の反物まであり、その量は馬車二台分に相当していた。
「…いや…あれだけのことをしてもらって、ここまで心遣いを頂くのは…」
戸惑うデュークに向かって、町長は不器用そうな笑みを浮かべる。
「私たちが安心して暮らせるのは、君を始め、羽根人たちが身を削って、魔物や魔烟と闘ってくれているお陰だ。それに……異端という存在を恐れる私たちを、君やあの赤い髪の少年は、分け隔てなく守ってくれているのだと…この子に言われてな」
町長の言葉にそちらを見ると、照れくさそうに鼻を掻きながらミューが笑った。
「本当のことを言っただけですよ。それに、感謝の気持ちはきちんと表さないとダメだって、母さんも言ってたしね」
ミューの言葉に同意するように役人たちも頷く。
その様子に、デュークも自然と顔が綻んだ。
「…ありがとう…。では気持ちに応えて、心遣いお受けいたします」
ただの町の虚栄心だけで、ここまでのことを無償でやってくれるとは思えない。
己の言葉にほっとした顔をする町長たちを見て、デュークは昨夜の考えを恥じる気持ちになった。
他人の厚意を素直に受け止めることができるのは、こんなにも心が満ち足りるのか…。
町の人々と共に馬車に荷物を積みながら、デュークは小さな幸せを噛み締めた。
「デューク隊長!皆揃いました」
程なくして中央広場に全員が集合し、点呼を頼んでいたカルニスから報告が届いた。
「ではこれより聖殿に向かう。ワグナ、先導を頼む。準備のできた隊から出発してくれ」
デュークはそう指示すると、町の人々との別れを惜しむサフォーネを肩に担ぐように抱きかかえ、馬車に乗せた。
「皆さん、お世話になりました。本当にありがとうございます」
車両を引く天馬が駆け出し、デューク率いる第二部隊がしんがりを務め、蒼の騎士団・天使団がクエナの町を出立した。
デュークが天馬を駆りながら、サフォーネの馬車と並走すると、同じ馬車に乗っていた三人娘たちが手を取り合って色めき立つ。
しかしデュークの表情には、まだ晴れない問題が浮かんでいた。
(ルシュアの奴…何を隠しているんだ…)
蒼の聖殿では慌ただしく人々が行きかっていた。
騎士団と天使団が帰ってくる。
それは術師から連絡を受けたアリューシャから、昨夜のうちに聖殿内に知れ渡っていた。
「お着換えの用意にお風呂も準備万端。サフォーネ様のお好きなスープと、特製の焼き菓子…忘れてるものは無いかしら…」
初めて赴いた仕事、初めての出迎え。
見落としがあってはならない。
ナチュアは朝からそわそわしていた。
「騎士団が帰って来たぞ!」
塔の外から聞こえた声に、ナチュアは大急ぎで部屋を飛び出した。
空から天馬たちが聖殿の外にある自然の花畑に舞い降りる。
馬車を降りたひとりひとりが社をくぐり、穢れを落として敷地に入ると、それぞれの世話役や知り合いが出迎えてくれた。
ナチュアはおろおろと、入ってくる者の中からサフォーネを探す。
総勢百人以上が全て戻ったのではないか、というところで、赤い髪を見つけた。
「サフォーネ様!」
人混みを掻き分け、サフォーネの元へ歩み寄ると、気が付いたサフォーネが笑顔で駆け寄ってきた。
「ナチュ!…ただいま!」
「…ご、ご無事で…何よりでした…」
目の前にいるサフォーネは、旅立つ前よりも少しだけ大人びた気がする。
わずかひと月ほどしか離れていなかったが、ナチュアは嬉しさのあまり泣き出してしまった。
そんなナチュアを見て、サフォーネは優しく抱きしめる。
ふたりの様子を遠くから見守っていたデュークの元へ、アルイトがやってきた。
「デューク様。お帰りなさいませ。ご無事で何よりです」
「アルイト。留守の間…こちらは変わりなかったか?」
「はい。聖殿も聖都も変わりなく…」
「それなら良かった。…ルシュアが先に戻ったはずなんだが…何か俺宛てに伝言はないか?」
「…いえ。何も伺ってはおりませんが…」
「そうか…」
こちらから出向いた方が早そうだと、アルイトにその場で武具を預けた。
「デューク様?まずはお部屋の方へ…」
「すまん。急ぎの用件だ」
恐らくアルイトも出迎えの支度をしていたことだろう。
しかし、ずっと気掛かりを抱えたまま過ごすのは本意ではない。
デュークがルシュアの元へ向かおうとしたその時、中央塔の扉が開いて当人が現れた。
騎士や天使と出迎えがひしめく大庭で、演説用の円台に立つとルシュアは声を上げる。
「皆ご苦労だった。怪我人が数人出てしまったのは残念だが…四半期の旅は成功に終わったと言っていいだろう。いま、長が王都に出向いてその報告をしてくださっている。皆が頑張ってくれたお陰で、依頼の方もしばらく落ち着きそうだ。全隊員・団員ともに一週間休暇をとってくれ」
その言葉に歓喜の声があがった。
挨拶を終えて、その場から去ろうとするルシュアをデュークは追い、その腕をつかんだ。
「…お?そちらから来てくれるとは…やっとその気になってくれたか?」
「…!」
茶化すルシュアの顔色は、あまり優れない様子で、デュークは一瞬言葉を失ったが、硬い表情で問い詰めた。
「…ふざけるな。サフォーネのこと、何を隠している?」
その様子にルシュアは「はぁ」と肩を落とし、静かにその腕をほどいた。
「さすが保護者殿。耳が早いな…。だが、隠してはいない。まだ何も言えないだけだ。とにかく今日はゆっくり休んでくれ」
デュークの肩を軽く叩いて、ルシュアは怪我人たちが搬送されてきた馬車に向かっていく。
怪我人の今後の管理、場合によっては部隊編成もあるだろう。その他旅の事後処理。
加えてサフォーネに関する問題もあるのなら、心労を抱えるのも無理はない…。
それ以上追及することもできず、デュークはアルイトに促され、自室へと帰って行った。
翌朝、全部隊が休暇を向かえる聖殿の中は静寂に包まれていた。
サフォーネは寝床でぱちりと目を開ける。
シーツから洗い立ての石鹸の香りがし、枕も布団もふわふわで、寝返りを打つと包み込まれるようだった。
「おはようございます。サフォーネ様。よく眠れましたか?」
ナチュアは早々に起きており、着替えの用意も朝食の支度も整っていた。
いつもの…いや、いつもより尊い日常に、帰ってきたのだと実感する。
サフォーネは用意されていた服に着替えると、円卓についた。
塔には食堂もあるが、世話役のいる者は殆ど自室での食事になる。
主が食事を取る間、世話役は給仕に徹し、別で食事をとるのが通例なのだが、サフォーネの強い希望もあって、ナチュアは一緒に食事をとることにしている。
「今日はクエナの町からお土産に頂いたというお野菜のスープにしてみましたよ?」
聖殿には専門の料理人も居るが、ナチュアはいつも手料理を用意してくれる。
サフォーネはその味が好きだった。
「ナチュのごはん…おいしいね。サフォ、だいすき」
「サフォーネ様…」
世話役冥利に尽きる言葉にナチュアが声を詰まらせていると、扉を叩く音がした。
ナチュアが席を立ち扉を開けると、そこには案内係が佇んでいた。
「失礼いたします。エターニャ様より、中央塔大会議室へ来るようにとのご伝言です」
「…え?サフォーネ様が、ですか?」
「はい。朝の『時の鐘』までに、世話役殿もご同行くださいとのこと」
浄清の天使長からお呼びが掛かるのは余程のこと。
ナチュアは神妙な顔をしながらも、朝食を済ませるとサフォーネと共に大会議室へ向かった。
そこにはエターニャを筆頭にセルティア、アリューシャ、ふたりの長老がいた。
錚々たる面子にナチュアは驚いて深く頭を下げる。
サフォーネは何故呼ばれたのか解らず、不思議そうに辺りを見渡した。
「ルシュアは何をしているのでしょうね」
エターニャが溜息交じりに呟いたところ、扉が開いてルシュアが現れた。
「遅くなりまして申し訳ありません。それから…」
後から続いてデュークが現れた。
中にいる顔ぶれに驚きの表情を浮かべたが、その場で頭を下げる。
それを見たエターニャが口を開いた。
「…ルシュア…彼にはまだ…」
「いえ、最初から知ってもらった方がいい。そう判断しました。お許し下さい」
デュークは硬い表情のまま部屋に入る。
恐らくこれはサフォーネに関すること。
これだけの顔ぶれが揃えられ、一体何が始まるのか…。
重要機密は隊長以下の身分に伝えることはないのだが、サフォーネの保護者でもあるデュークには、隠すこともまた難しい問題かもしれない。
エターニャは静かに息を吐いた。
「わかりました。では早速本題に入りましょう」
そう言って、サフォーネに向き直る。
「サフォーネ…にわかに信じ難いことなのですが…あなたには第三の能力があるかもしれないと…報告を受けたのです」
「え」
驚いた声を上げたのは、デュークとナチュアだった。
羽根人が持つ能力はひとり一つが通常で、中にはそれさえも無い者もいる。
その中で、二つの能力を持つ者は稀有とされ、一目置かれる存在になる。
アリューシャの様に精霊交信と魔術の心得。
サフォーネの様に癒しと浄清の力。
しかし、三つ目の能力を持つ者など聞いたことはない。
皆が自分を見ている。
サフォーネはそわそわしてきた。
ババ様の言っていることがよくわからず、助けを求めるようにデュークを見る。
デュークにとっても答えようがない問題に、問い返すしかなかった。
「…恐れながら…それは一体…?」
「それは私から申し上げましょう」
セルティアが一歩前に進み出てきた。
「北の荒れ地で行われた最初の浄化…。その直後、大地に緑が芽吹いていました。…サフォーネ、覚えはありませんか?」
セルティアの問いかけに、デュークとナチュアが驚いてサフォーネを見た。
考えるように天井を見上げたサフォーネだったが、ふるふると首を振った。
「実証した方が早いんじゃないか?サフォーネ、この枯れ木を見て何か感じないか?」
ルシュアは、会議室の隅に置いてあった朽ちた大木の枝を持ってくると、サフォーネの前にある机に置いた。
枯れ木に近づいたサフォーネは、手を翳したあと、顔を近づけてみる。
何かに耳を傾けている様子だったが、身体を起こすと首を横に振った。
それを見て、二人の長老が顔を見合わせ「やはりな。ある訳がない」と肩を聳やかす。
エターニャも思案顔をし、アリューシャも戸惑いを見せる。
サフォーネは枝の傍にあった革袋に視線を移した。
「あっち、きこえる…」
ルシュアがその革袋を取りに行き、机の上に置くと、セルティアが首を傾げた。
「それは、何ですか?」
「最初の浄化の場所近くの土壌だ」
そう言って、革袋を逆さにすると机の上に土が拡がった。
「ちょっと、ルシュア!これ、誰が片付けるのよ」
非難するアリューシャをよそに、サフォーネがその土に顔を近づける。
「あ」と言うように、赤い瞳が見開かれた。
「…サフォーネ?」
見守っていたデュークは、北の荒れ地で見たサフォーネの所作を思い出した。
両手で何かを掬うように頭の上に掲げると、そのまま地に降ろすように傅く。
それはまるで大地への祈りを捧げる儀式にも見えた。
すると…。
土壌から緑の芽がひとつ、ふたつ…次々と現れ始めた。
「え…!?」
アリューシャとナチュアが驚きの声を上げ、二人は手を取り合って身を寄せた。
その状況に目を見張る大人たちを他所に、サフォーネはさらに祈るように何度も同じ所作を繰り返した。
「これは一体…」
エターニャが絶句し、目の前で起こる事態を凝視する。
二人の長老も驚きに口を開けたまま、数歩後退した。
ルシュアはその光景に瞳を輝かせ、セルティアはその音に戸惑いながら精神を集中させ、何が起こっているのか確信する。
緑の芽はどんどん伸びていき、それは太い蔦に育っていく。
根を包む土壌が足りなくなっても、それすらも関係なく蔦はますます伸びていき、会議室の机、椅子、その間を縫って部屋中を満たしていく。
「…!このままじゃ部屋が蔦に押し潰されるわ!」
「サフォーネ、もういい!やめろ!」
アリューシャの悲鳴にデュークが声を上げると、サフォーネはふとその所作を止めた。
同時に、蔦の伸びも止まった。
顔をあげて見えた光景に一番驚いていたのは本人だった。
「はっぱ…いっぱい…」
「凄い…凄いぞっ!サフォーネ!!」
蔦を掻き分けるようにしてやってきたルシュアは、サフォーネの両肩を掴んで喜びの声を上げる。
「これぞ、再生の力!伝説の力だ!!これがあれば、浄化した地に緑を早く再生させることができる。緑が多い場所には精霊も宿るはずだ…そうすれば我が蒼の聖殿が見守る大地は、他の聖殿とは比べ物にならないほど豊かになる…」
「…い、いたい…」
ルシュアの手に力がこもり、サフォーネが悲鳴を上げる。
デュークがやってきてルシュアからサフォーネを奪い取った。
「やめろ!…サフォーネをどうするつもりだ」
「どうする…?決まってるだろ。この聖殿のために大いに役立ってもらうだけだ。こんな奇跡を手に入れたのは私たちだけだ。再生の力だぞ?そう思いませんか、ババ様」
その声に皆がエターニャに視線を向けた。
エターニャは考えた後、静かに口を開く。
「信じ難いことですが…確かに、凄い力です…しかし何故…」
「…サフォーネの中には精霊が宿っている…今度こそ確信したわ…」
アリューシャがエターニャの問いに答えるように語り出した。
「サフォーネの願いに精霊が応えたのよ。この土壌の中に命の声が聞こえて、それを引き出した…。さっきの枯れ木にはその命が感じられなかったんでしょ?」
「そうか…精霊の御子…そういう事だったのか…」
ルシュアの呟きに、デュークも精霊の祠で語られた話を思い出した。
精霊により育てられ、慈しまれた子供はその力も手に入れたということなのか…。
ルシュアの瞳が何かに囚われたように爛々と輝く。
「それなら、あの祠でサフォーネのような子供をたくさん育てあげれば…」
「ちょっ…!?ルシュア?」
精霊の祠であったことは、サフォーネには秘密にする約束だった。
アリューシャが制しようとするのと同時に、デュークがルシュアの胸倉をつかんだ。
「…やめろ…お前、そんなこと本気で思ってるのか…?」
サフォーネのような子供…親から引き離し、祠に捨て、精霊に育てさせる。
そんな非道なことが赦されるはずはない。
三人のやり取りを分かっているのはエターニャとセルティアだけで、サフォーネとナチュア、長老たちは意味がわからないでいた。
不安そうに見つめてくる赤い瞳が視界に入り、ルシュアも正気に返った。
「…すまない…悪かった…」
「あの…祠…とは…?」
サフォーネに関することで知らないことがある。
ナチュアが遠慮がちに尋ねると、デュークがルシュアを放しながら、悲しそうな顔で首を横に振った。
それだけで、サフォーネの前でできる話ではないことを悟ったナチュアは、それ以上問い詰めることはなかった。
エターニャが口を開く。
「とにかく…今はこの力についてですが…。まずは長に報告したいところですが、王都に出向いていますしね…。ただ、私が言えるのは、この力は蒼の聖殿だけのものにしてはならない、ということです…」
「!…何故です?サフォーネは蒼の天使団の一員です。浄清のあと、再生の力でその地を命で溢れさせれば、本当にいつか、魔烟のない世界が創られるかもしれないのに…」
ルシュアが納得しないように、拳を握りしめる。
「だからこそ、大陸中に平等にこの力を役立てるべきではありませんか?」
エターニャの問いかけに皆が考える。
「確かに…事と次第によっては…」
「再生の力を蒼の聖殿が持っている。そう知れた時、その力を巡って争いが起こる可能性もあるということか…」
長老たちが口々に言う。
「でも、いくら何でもサフォーネは生身の人間よ?大陸中にその力を与えるなんて…無茶なことなんじゃないの?」
大陸中に再生の力を…そんなことをしたら、サフォーネの身はどうなるのか。
アリューシャが心配する。
デュークはサフォーネを見た。
その瞳は力強く、確かなものを見つめていた。
それはこの先、自分が何をすべきかを悟っている。
本当に強くなった。
いや、もともと強かったのかもしれない。
秘めていたものが開放され、何も出来なかった天使はもういない。
デュークはサフォーネ自身に問いかけた。
「サフォーネは…どうしたい?お前の力は、大陸中のみんなが望むものなんだ。だが、みんなに喜んでもらうには、お前自身が大変な思いをする…。それでも…」
「サフォ…やる」
サフォーネの即答にその場にいる全員が驚いた。
「サフォのちから…サフォのなかから、たくさん…たくさん、でてくるの…。いのち、たすけなさい…こえが、きこえる…やさしいこえ…」
その声に耳を傾けるように、サフォーネは赤い瞳を伏せる。
優しい声…それはあの祠で聞いた精霊の声か、それとも母親の…?
デュークは静かに笑うと、エターニャと長老たちに向き直った。
「…提案があります…」
その提案は皆の意表をつくものだった。
~つづく~
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