サフォネリアの咲く頃

水星直己

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第二章

[第29話]浄化の儀式

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「そろそろ到着する頃なんだがな…」

ルシュアが待ち侘びる様に空を見ていると、遠く南の空に、天馬の引く二頭立ての馬車が三輌、確認できた。
その先頭の馬車に、セルティアらしき姿が見え、ルシュアはほっと息を吐く。

これだけ魔に冒された地の浄化には、上位の天使が数名欲しい。
天使団要請の時に、セルティアが加わることをアリューシャから聞いて安心したものの、実際目にするまで気が気では無かった。
隊員の中からも「セルティア様だ!」と、喜びの声が上がる。

「報告通り、天使団長のお出ましは有り難いが…他はまだ実積の少ない天使ばかりじゃないか?」

遠くて顔までは見定められないが、セルティアの他に上位の天使は居ないようだった…が。
その中に赤い髪を見つけて、ルシュアは目を見開いた。

「…あれは…サフォーネ?」

「!…」

デュークがその声に驚いて空を振り仰ぐ。
確かに、遠くだが赤い髪が見て取れた。
サフォーネ以外の何者でもない。

「バカな…いきなりこんな激戦区にあいつを連れてくるなんて…」

「隊長、駄目です。動かないでください」

デュークが狼狽えて立ち上がろうとするのを、カルニスが慌てて制した。

「落ち着け、デューク。きっと救護要員だろ。途中報告では、癒しの力の方が伸びていると言っていたし…」

馬車から四名ほどの羽根人が舞い降りた。
それは救護部隊の癒しの天使たち。
彼ら彼女らは真っ先に隊員たちの元へ羽ばたき、怪我をしている者の治療を始めていく。
カルニスがひとり要請するように大きく手を振ると、デュークの元へ女性の羽根人が降り立った。

デュークは治療を受けながら、降りてきたその中にサフォーネが居ないことを確認し、再び空を仰ぎ見る。

「まさか…」

セルティアや他の天使と共に、サフォーネが舞い降りる姿が見えた。
焼け爛れた様な大地に降り立つサフォーネの手には、浄清の天使に与えられる錫杖が握られている。
それはルシュアにも想定外のことだった。

「嘘だろ、間に合ったのか?…そうだとしても、いきなりここで…?」

セルティアが錫杖を振るのを合図とするように、他の天使たちも錫杖を振るう。
サフォーネも錫杖を振るが、それは慣れていない天使の仕草では無かった。



堂々と自身の判断と力を使い、錫杖を振りながら、その場に蔓延る魔烟を絡めとっていく。
それはまるで自在に魔烟を操るが如く…黒い霧が錫杖に引かれ、軌道を描いていった。

サフォーネは錫杖に両手を添えると、地に突き立てて祈りを捧げる。
すると、魔烟が空に溶けていくように、浄化されていくのが誰の目にもわかった。

「見ろよ。あの赤い髪の…」

「なんて速さで浄化をしていくんだ」

「新人…だよな?いつの間にあんな力を?」

隊員たちが驚きの声を上げる。

(…サフォーネ…)

デュークはただ、その瞳にサフォーネの姿を映していた。
繰り返し、錫杖を振るう姿は舞を踊るように優雅で、どこか大人びた表情は、今までの幼いサフォーネではなかった。

「サフォーネ、少し背が伸びたんじゃないか?」

ルシュアに言われるまでもなく、そんなことは最初に気がついていた。
ただ、目の前のサフォーネの一挙手一投足を見逃すまいと、その目に焼き付ける。

(サフォーネが…目覚めてしまった…間に合ってしまった…)

デュークはつきつけられる現実を、夢と思いたかった。


浄化の舞いが終止符を打つと、セルティアの元に全員集まり、互いに纏わりついた魔烟を浄化するために祈りを捧げる。
それが終わると、天使たちは「ほう」と大きく息をつき、笑顔で見合わせた。
全ての浄化が巧くいったということだ。

セルティアもその結果に満足していると、背中にするどい視線を感じた。
どうやらルシュアのものらしい。

(さぞ、どういうことか、聞きたいところでしょうね…)

天使団要請を受けた時、まだアリューシャの方には、サフォーネを加えることを報告していなかった。
急ぎ伝えたが、あの悪戯好きな巫女は「驚かせてやりましょうよ」と、敢えて追加の報告はしなかったのだ。

(あの青年にとっては、この方が良かったかもしれませんが…)

サフォーネの保護者であるデュークが、かなりの過保護ぶりというのは聞いていた。
事前にサフォーネが来るとわかっていたら、闘いに集中できなかったかもしれない。

(何はともあれ、詳しい話は必要ですね…)

歩み出そうとしたセルティアは、その場にいるサフォーネの気配を読み取り、不思議そうな顔をした。

祈りが終わったサフォーネは、そのまま傅く様に大地に顔を近づけると、小さな囁きを落としたのだ。

「…サフォーネ?」

そんな所作は教えた覚えもなく、何をしているのか聞こうとしたが、サフォーネはぱっと顔を上げると、いつもの表情に戻り、デュークを見つけて一目散に駆け出していった。

「デュークーーーー!」

治療中のデュークに思い切り飛びつき、その勢いで担当の女性は弾き飛ばされた。

「ちょっと、デューク様はまだ治療中よ!」

「ダメ!デュークのけが、サフォなおすの!」

女性からデュークを隠すようにしたサフォーネは、そのまま勝手に治療をし始める。
浄清の力を使い、さらには癒しの力まで完璧にこなす様子を見て、女性は呆気にとられていたが「ふん」と踵を返し、近くに居たカルニスを睨み付けた。

「他に怪我人はいないの?」

八つ当たりするような強い口調と視線を向けられ、カルニスは詫びながら、女性を先導して怪我人を探しに行った。

その背中を見送ったデュークは、ほっと息を吐くと己の腕に視線を落とす。

「サフォ…」

癒しの力に集中する瞳は伏せられ、長い睫毛が影を落としている。
身長も少し伸び、ふっくらした頬の輪郭も少し細くなり、幼さが抜けていた。
さらに美しさを増したサフォーネ…デュークは、遠慮がちにその髪に少しだけ触れてみる。
その感触にサフォーネは顔を上げると、嬉しそうに微笑んだ。

「デューク。サフォも、これた…。じょーしょーのてんしに、なれたよ?」

大人びた様子は錯覚だったのか、いつものサフォーネの表情に、デュークは不思議な安堵を覚え、その頭を撫でてやった。

「…そうだな…よく、頑張ったな…」

その言葉に偽りはなかった。
浄清の天使にしたくない、というのは自身のエゴである。
サフォーネが自ら望み、その思いが叶った今、それを否定することなどできなかった。

二人の様子を遠くから見ていたルシュアは、全て落ち着いたと認識すると、セルティアに説明を仰ぐ。

「言うまでも無いでしょう?あの子は間に合ったのです」

「それにしても、第二班が出る時はサフォーネは目覚めていなかったんだろう?随分と賭けにも似た構成だな」

他四名のうち、三名がまだ年若な天使たちを見てルシュアが言うと、セルティアは苦笑を漏らした。

「慣れている者をあと二名、本来はここへいれる予定でしたが、西地区に新人を入れたため、彼らはそちらへ編成しました。ここは私を含め五名で何とかしようと思っていたのですが…サフォーネが目覚めたことで、思いもよらぬ助けとなりました。
あの子の力は想像以上です。新人にあそこまでやれる子はいません」

「なるほどな。それは運が良かった。いや、それを見極めた天使団長殿はさすがだ、と言うべきか?」

「いえ、本当にあの子はわからなかった。このまま目覚めることなく、癒しの天使にした方が良いのかとさえ思いました。あの子が間に合ってくれて、本当に良かった…」

サフォーネの力を認めるセルティアの言葉に、ルシュアも改めてサフォーネを見る。
デュークに寄り添い、怪我を癒す姿は出会った頃と変わらない気もしたが、今までの幼さは感じられなかった。

「将来が楽しみだな」

それは、浄清の天使としてなのか、大人になっていくサフォーネのことなのか、ルシュア本人もわからなかった。



浄清は翌日も行われる。
一度の浄化では魔が清めきれていない恐れもあるため、数回に分けて行うのだ。
半日おきに三日ほどそれを繰り返せば、ほぼ安心と言える。
それで数年間は魔烟の脅威を避けられることになるのだ。

浄清第三班はその夜から、北の荒れ地野営所に留まることになった。
野営所は騎士用、天使用、救護隊用の天幕を構え、交信と作戦会議を行う天幕、物資を保管する天幕なども別に設けられている。
男女が同じ天幕で寝泊まりしてもいいように、個人の間に間仕切りが置ける程の空間があった。


ナチュアが心配してアリューシャと共に通信をしてきた時は、サフォーネはデュークの隣で既に眠っていた。
天使用の天幕に臥処は用意されていたが、デュークの隣で話をしているうちに眠り込んでしまったのだ。

ルシュアに呼ばれ、デュークはサフォーネを起こさないようにその場から離れると、交信用の天幕へと出向く。
そこにはセルティアも呼ばれていた。
デュークも揃ったところでナチュアの声が届く。

「サフォーネ様はどうされてますか?無事に役目をこなせたのでしょうか?」

サフォーネと三、四歳しか違わないのに、ナチュアの口振りは我が子を初めてひとりでお使いに出した母親そのものだった。

「初めての仕事で疲れたのかもしれないな。もう眠っているよ。ちゃんと役目も果たせている、大丈夫だ」

対するデュークの口振りは父親のようで、ルシュアとアリューシャは互いに違う場所で「夫婦か」とツッコミを入れていた。

ナチュアの報告から、サフォーネが力を目覚めさせた状況を把握したルシュアは、悪戯そうな笑みを浮かべてデュークを見る。

「寝ている間に…なるほどな…。サフォーネの夢の相手はお前だったりしてな、デューク」

「ちょ…ルシュア様!?」

その状況を濁らせて報告したナチュアだが、あからさまなルシュアの言葉に困惑して声を上ずらせた。
繊細な話の内容にセルティアは咳払いをし、アリューシャも呆れている様子だった。
デュークに於いては、じろりとルシュアを睨みつけたが、相手にしない、というように「ふぅ」と大きく息を吐いた。

「ナチュアにはいろいろ心配かけたんだろうな。…ありがとう」

その言葉にナチュアが感極まり、泣き出す様子が通話越しに伝わって来ると、ルシュアも茶化したことを反省したようだ。

「冗談だよ、冗談だ。悪かった。…それよりも、こうなった以上、サフォーネも一年後の大闇祓いに参加してもらうことになる。ナチュアもデュークも、そこは覚悟してもらいたい」

大闇祓い。
通常の闇祓いと違い、普段誰もが手を出せずにいる西の連峰付近を一斉に調査し、必要とあれば闇祓い、浄化を行う行事。
15年に一度行われるその行事では、「何もなかった」ということはない。
大闇祓い後には毎回結界を張り、連峰から魔烟や魔物が大陸中央に広がるのを防ぐが、その綻びは必ず表れ、想定しない種類の魔物にも遭遇することがある。
騎士や天使の中には命を落とす者さえいる。
デュークは両手の拳に力を入れた。

「分かっている。それならばサフォーネを…いや、浄清の天使たちを護れるよう、俺たちが強くなるだけだ…そうだろ?」

デュークの言葉に、ルシュアが力強く頷いた。
ナチュアはただ見送るしか出来ない自分がもどかしく、祈るように両手を組んだ。


話が一頻りしたところで、アリューシャが口を開く。

「そうだ。ルシュア。東の湖地区全域の駆除が完了したらしいわ。精霊と交信して確認したけど、完璧だったわね。間もなく、正式な報告が行くと思うけど…彼らはこの後、どっちに移動させるの?」

担当区域の任務が完遂したら、他の地区の補佐に回る。
当初の予測通りに、それは東の湖地区が一番早かった。

「正直、こちらに増援が欲しい所だが…西の森地区のマーラ退治が難航しているようだしな…。まずはそちらを片付けて、その後、総動員でここに向かってもらう方がいいだろ。なぁ、セルティア」

「そうですね…。浄清の天使には今回初めて仕事に入った二人もいますし、難易度を徐々に上げる意味でも、その方が安心できます」

二人の話を聞いて、アリューシャが頷いた。

「分かったわ。とにかく四半期の旅もそろそろ折り返し地点ね。みんな気を付けてね」

アリューシャの労いの言葉を締めくくりとして、通信は終わった。


まだ各地の状況確認が残っているルシュアはその場に残り、セルティアを送る役目をデュークに頼んだ。

その夜は新月で、外は闇に包まれている。
天幕を出て空を見れば、無数の星が瞬いていたが、セルティアにそれを告げるのは失言かもしれず、デュークは静かにその手を取った。
ゆっくりと手を引きながら、足元に注意を向け、歩き出す。

「…サフォーネのことが、心配ですか?」

徐に囁かれた言葉に顔を上げ、思わず歩みを止めたデュークはセルティアの顔を見た。
いつもは瞳を伏せているセルティアが、色素の薄い眼を開けてこちらを見ている。
それは心までも見透かされるように澄んだ瞳だった。

「セルティア様……サフォーネは、本当に大丈夫なんでしょうか…」

先程は強気の発言をしたものの、完全に不安は拭えない。
デュークはセルティアの前では嘘がつけないと思った。

「あの子が秘めている力は膨大です。ひょっとしたら、現在の蒼の天使団の中で、一番の力を持っているかもしれない…」

「…サフォーネが…?」

「ただ、その力の制御が、まだ自分では操りきれないところもあります。力は強ければ強いほど、魔を多く取り込んでいきます。ですが、万が一にも浄化のバランスを崩した時に…」

デュークは恐ろしくなり、思わずセルティアの手を離した。
浄化が追いつかなければ魔に取り憑かれる。
それは且つて、デュークも見た悲惨な光景。

「…やはり…やはりサフォーネには…」

浄清の天使になどしたくない。
力が目覚めてしまった今、それはもう叶わないが、デュークは抗った。

「デューク…あなたの気持ちは分かります。ですが、これからはあの子の力が必要なのです。大闇祓いまで一年あります。その間に修行と経験を積み、少しでも危うさのない天使に育てるつもりです。私を…いえ、あの子を信じてもらえませんか?」

大闇祓いを境に、引退する天使たちが数名いるのはデュークも知っていた。
これから益々、浄清の天使の存在は貴重になる。

魔烟に怯えるこの世界に、その脅威に唯一対抗できる種族として産まれ、その力を授かったのなら…。
天の声に、応えるべきなのではないか…。

「…サフォーネの事、頼みます。俺は、俺の出来る事であいつを護って行きます…」

セルティアは静かに頷く。
デュークは再びセルティアの手を取ると、夜道を導いていった。


天使たちが休む天幕の入り口まで来ると、デュークは入り口の幕を掬い上げた。
セルティアを招き入れると、「きゃぁ」という若い女性たちの歓喜の声が上がる。
声の先には、談話中だったのか、年若の三人の天使たちが寄り添うように座っていた。



その声にセルティアは眉を潜めた。

「あなた達、まだ起きていたのですか?浄化は明日も行うんですよ?」

「はーい、すみません…でも…ねぇ?」

「何だかどきどきしちゃって、眠れないんですぅ」

「やだ、何言ってるのー」

セルティアは思い出した。
この三名に北の荒れ地行きを言い渡した時、尻込みするどころか大喜びしていたのを…。

その中のひとりが立ち上がり、デュークに向かって紅潮させた頬で声を掛けてきた。

「あの…デューク様。以前、ご一緒したの覚えてますか?第三天使団のフィンカナと申します」

卵色の長い髪を一つに束ねた天使は、衣の裾をつまみ、恭しく頭を下げた。
それを皮切りに他の二人も立ち上がって、頭を下げる。
肩までの若緑の髪を弾ませながら顔を上げた天使が、フィンカナより一歩前に出る。

「第四天使団のカヌシャです。私もご一緒したことありますわ。フィンったら抜け駆けはなしよ?」

その後ろで、長く緩やかな鴇色の髪を持つ天使が、顔のそばかすを恥ずかしそうに隠しながら、デュークに告げた。

「同じく第四天使団のティファーシャです。…あの、私、デューク様推しなんですぅ!」

その言葉には他の二人が「ずるいー!」と返す始末で、天幕の中はひと騒動になった。

先に休んでいたクシュカがその騒ぎに顔を起こし、するどい睨みを聞かせてきたため、三人の天使たちは声を潜めながらも、デュークに話しかける。

「あの…私たち、剣術大会の後、デューク様を応援する会を作ったんです」

「デューク様って…なんていうか…孤高の剣士、って感じで…」

「ねー!素敵よねぇ」

「さっきまで、三人でデューク様の話をしていて…」

「そうそう。あ、お怪我の方、大丈夫ですか?私、心配ですぅー」

「あら、私だって心配してるんだから!デューク様、無茶しないでくださいね?」

もう誰も止められない、というほどの暴走ぶりに、セルティアは頭を抱え、送ってくれたデュークに労いの言葉をかけると、天幕の奥へと入っていった。
三人の天使に圧倒され、言葉を失っていたデュークは、セルティアが去って行く様子にはっと我に返り、慌てるように後ずさった。

「…え、いや、俺は…その、大した者では…怪我は…もう良いので…とにかく、夜分遅くに失礼した。俺はこれで…」

「あ、待ってください。デューク様……きゃっ!」

自分が何を言っているのか分からないまま、デュークがそこから逃げ出そうとしたところ、追ってきたティファーシャが天幕を固定しているロープに足を引っかけてしまった。

ティファーシャが倒れ込むのと同時に、ロープの留め具が甘かったか、天幕の骨組みが一部崩れ、その上に倒れ掛かる。

「きゃー!ティファーシャ!」

フィンカナとカヌシャは思わず顔を覆ったが、恐る恐る指の間から覗いた先の光景を見て、頭が沸騰しそうになった。
そこには、倒れてきた骨組みを片腕で受け止め、ティファーシャに覆いかぶさるデュークの姿があった。

「…大丈夫か?」

心配そうに覗き込んでくる青い瞳に、ティファーシャは別の意味で大丈夫ではなかった。

「…だ、大丈夫…ではないですぅ…」

憧れの騎士様の顔と吐息を近くに感じて、ティファーシャはそのまま気を失った。

騒ぎを聞きつけて、隊員たちが数人出てきた。
デュークが支えている骨組みを隊員たちが直している間に、ティファーシャを抱き上げて、彼女が休む臥所へと運ぶ。
その様子を悔しそうに、羨ましそうに、落ち着かない様子で見守っていた二人の天使に声をかけた。

「天幕の固定が甘かったようで申し訳ないことをした。怪我はないと思うんだが…。…フィンカナ、カヌシャ。この子を看てあげてくれ」

「は…はいーっ!」

自分たちの名前を憶えてもらっただけでも、二人の天使は天にも昇る気持ちだったのだろう。
二人が甲斐甲斐しく世話を始めた隙に、デュークは妙な疲労感を覚えながら、自分が滞在する天幕へと帰って行った。



翌朝、天幕から出たセルティアは、この荒れ地にはあり得ない気配を感じ取り、慎重にその場へと歩を進めていった。

普段ならイオリギが手を引いてくれるが、実際はその手は無くともゆっくりであれば移動はできる。
とっくに世話役の役目も終えて、自分から離れてもいいイオリギが未だに傍にいるのは、どちらも子離れ親離れができないということなのだろう。
その手が無い寂しさを少し感じれば、苦笑が漏れた。

「…この辺り、ですね」

気配を感じた場所に辿り着くと足を止める。
そこは昨日の浄化で、サフォーネが不思議な行動をした場所だった。
セルティアは精神を研ぎ澄ますと、大地から柔らかな温もりを感じた。
その場にしゃがみこみ、大地に手を翳す。

「!…これは…」

「セルティア?どうした?大丈夫か?」

ふいに声を掛けてきたのはルシュアだった。
天幕から出るセルティアを見かけ、危険なことがないか遠くからその様子を見守っていたが、しゃがみこむ姿を見て気分でも悪くなったのかと駆け寄ってきたのだ。
近寄ってくる気配の方へ振り返り、セルティアは地面を指し示す。

「ルシュア、ここに何が見えますか?」

問いかけられる口調はいつものもので、少しほっとしたルシュアは、セルティアの頭より高いところからその場所を覗きこむ。

「まさか、これは…!」

そこには小さいが、草の芽が顔を出していた。
それは点々と、二人を囲むくらいの範囲に散らばっていた。

「もう緑が芽吹いている?」

驚く声に「やはり」と確信したセルティアは、ひとつの答えを導き出す。

「これは恐らくサフォーネ…あの子の力…」

「サフォーネが?一体どうやって…」

「浄化のあと、あの子の行動を見ましたか?」

「あぁ、大地に傅く様にしていたな…あれがそうなのか?だが、それだけでこんなことが?」

「ひとつの仮説ですが、精霊は大地に根付くと言います。あの子が精霊たちに何か語っていたとしたら…」

「!…精霊の加護を受けたサフォーネならではの…ということか…」

セルティアが立ち上がろうとすると、ルシュアはその手を取って支えてやった。

「ルシュア、頼みがあります。ここでの任務が終わったあと、この地にある土や枯れ木を幾つか搾取してもらいたいのです」

「あぁ、それは構わんが…どうするんだ?」

「その力が本物か聖殿で実証するためです。もちろん、この後もあの子の動向は注目していきますが…」

「わかった。頼むぞ」

言いながらルシュアは再び地に視線を落とす。

(普通なら、再び緑が芽吹くのは、早くても三年掛かるところを…)

そしてこれは明らかに浄化の力ではない。
まだ天幕の中で眠っているであろうその天使は、一体何者なのか…。


やがて、闇祓いの騎士たちが起床し、動ける者たちだけで見回りに入る。
魔烟の湧く痕跡でもあれば、そこへ剣を打ち立て駆除を行うためだ。

浄清の天使たちも準備が整うと、再び浄化の儀式を行う。
二回目の浄化で魔烟を感じることはほぼ無いが、万が一取りこぼしがあれば、それを補っていく。

騎士たちの方は特に異変が無かったのだろう。
見回りが一通り終われば、浄清の天使たちの儀式を遠巻きに見守る。
デュークは特にサフォーネの様子を注意深く見ていた。

「隊長、サフォーネってすごいですね…俺でも分かります」

「…あぁ、そうだな」

傍らに来たカルニスの言葉に適当に相槌を打つデュークの頭には、昨夜のセルティアの言葉が蘇っていた。


~つづく~
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