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第二章
[第27話]力の目覚め
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ルシュアがワグナと通信を終えた直後、同じく西の森地区に配属されている第四部隊長のカリュオから、魔物の群れを発見したという知らせが入った。
その個体種は予測していた通り、マーラだった。
ルシュアは苦々しく呟いた。
「やはり、あの地区はマーラの群れが複数出ていたようだな…」
西の森地区には、デュークとサフォーネが蒼の聖殿に向かう途中に通った森も含まれている。
その時の光景を浮かべながら、この機会にマーラたちを一網打尽にできることをルシュアは願った。
今回は通常の部隊より人数は約三倍になる。
隊列を組んで群れをおびき寄せ、マーラたちを包囲してから、闇祓いが行われるだろう。
(浄化ができるようになるには、最低でも一週間後くらいか…)
天使団・第二班に新人が加わる可能性があるという報告は受けていた。
新人を加えるとすれば、セルティアは団員構成を変更するはずだ。
ここ、北の荒れ地も調査期間に入って五日程経っている今、そろそろ次の展開に入ってもいい頃である。
(このまま行くと、天使団・第三班出動も重なりかねないが…。むしろその方がいいのか、それとも…)
その時、天幕の布が荒々しく捲られ、第一部隊のミガセが飛び込んできた。
「ルシュア隊長!センゲル班より、河川跡上流付近で魔烟の痕跡を見つけたとの報告です!」
「考える間もなく、か…。ここもいよいよだな…。ミガセ、地図を出してくれ。地形を確認する」
こちらの都合で魔物は待ってくれない。
魔烟の痕跡が見つかれば、状況は急変する。
ルシュアは不測の事態に備えることにした。
それから数日後、西の森地区から蒼の聖殿へ、浄清の天使団要請の伝令が入った。
聖殿では、昼夜問わず伝令を受け取れるよう、術師が交代で備えている。
そして、各地の状況変化や天使団出動要請があれば、精霊の巫女に伝えるのを役目としている。
早朝にその知らせを持ってきた術師の声で、アリューシャは起こされた。
「ご苦労様。あたしは西の森地区の状況を確認するので、あなたはセルティアに連絡をしてちょうだい。あ、それから、サフォーネの方にもよろしくね」
眠い目を擦りながら指示を出し、精霊と交信する前に、禊の間へ向かう。
四半期の旅に限らず、これは通常の流れだ。
伝令を受けたアリューシャは、精霊と交信して現地の状況を確認しながら、確認漏れの可能性がある魔烟を探り、必要とあらば現地に助言する。
精霊の巫女が居ない聖殿では、この確認漏れが起きるため、魔烟駆除が終わったと思った場所で、また魔烟が発生する事例も出てくるのだ。
部隊が多く出陣している時は、その分だけ忙しさが倍増する。
むしろ、今回のように三カ所を管理するだけなら、楽な方になるのかもしれない。
「…まぁ、想定外の依頼が入る恐れもあるから、気が抜けないのはいつものことだけどね…。それに北の荒れ地も間もなく連絡が来るだろうし…忙しくなるなぁ…」
回廊の窓から覗く朝日に向かって大きく伸びをすると、アリューシャは歩き出した。
連絡を受けたセルティアは、案内係を呼び、現在待機している浄清の天使たちの中でも、任期10年以上の上位の者たちに、塔の講堂に集まってもらうよう指示した。
そしてそのまま、イオリギに手を引かれながら、トハーチェの部屋へと向かう。
部屋の扉を叩くと、出迎えた世話役が息を呑むのが聞こえた。
同時に「え」と戸惑うトハーチェの声も届く。
セルティア自らが部屋を訪ねることは特例である。
この状況がどういうことなのか瞬時に理解し、トハーチェは表情を引き締めた。
「…トハーチェ。本日の修行は取りやめです。伝令が入りました。貴女に出陣を要請します」
告げられた言葉は予測したものだが、トハーチェは一瞬躊躇した。
しかし、その場ですぐ片膝をつくと頭を垂れた。
「仰せのままに。謹んでお受けします」
その背後で、突然の話に衝撃を受けた世話役が、口元を手で押さえるのをイオリギは見た。
これは世話役なら誰もが通る道。
あのナチュアもいつかは…そう思うと、イオリギは僅かに眉をひそめた。
「支度を整えたら講堂に来なさい。簡易的にですが錫杖授与を行います」
セルティアはそう告げると、イオリギに手を引かれ講堂に向かった。
講堂には、上位の天使たちが待っていた。
上位の天使はセルティアを含め、現在九名。
第一班に三名を選出させているので、現在出動可能は五名となっている。
トハーチェの錫杖授与の儀式を終わらせ、旅の支度をさせるため部屋に下げさせると、その場で緊急会議が開かれた。
優秀な新人でも、最初の実戦ではほぼ使い物にならないのは定例である。
西の森地区は、思った以上に魔物の数も多いという情報も得ている。
セルティアは一番困難と思われる北の荒れ地まで温存していた、上位の天使たちの大半をトハーチェと共に行かせることにした。
それにより、任期10年を迎えるクシュカと、力はあるが、まだ任期五年以下で実績の少ない三人の天使が残されることになり、彼女たちは必然的に北の荒れ地に参加することになる。
仲間たちは一斉に懸念の声を上げた。
「そんな…無茶です。セルティア。確かに三人を支えるのはクシュカが適任かもしれませんが…」
任期19年という一番の熟練者・キシリカは、セルティアに助言できる数少ない上位天使のひとりで、その経歴と実力は、セルティアと団長の座を競えるほどだったが、奥ゆかしい性格で、自らその座を退いたと言われている。
天使も騎士も、実力や経験ばかりがその評価を左右する物ではない。
人柄、統率力、持久力など、隊員や団員 をまとめるということは、様々な資質を求められる。
その点では、クシュカは問題ないのだが、全員の呼吸が乱れた時に、それを導くほどの経験は少なかった。
同じように心配する他の仲間たちの不安が伝わってくる中、
「わ…私は、セルティア様の仰せの通りに。精一杯務めたいと存じます」
クシュカ自身は、戸惑っているようだが、その役目を誇らしく思い、受け止めようとしているようだ。
「…ありがとう、クシュカ。皆も気づいていると思いますが、これは新人はもちろん、中堅の天使たちを育成する機会でもあります。クシュカと三人の天使にも、導く者が必要です…」
セルティアは真剣な顔で続けた。
「北の荒れ地には、私も出向きます」
その言葉にざわつきと安堵の溜息が漏れる。
新人育成のため、旅に加わる予定のなかったセルティアだったが、二人の天使を旅立たせることになった今、聖殿に残る意味は無い。
最後のひとり、サフォーネは間に合わない。
今回の旅を経験させるなら、今からでも癒しの天使としての勤めを学ばせる方がいいかもしれない。
そう思い始めていた。
(数年かければまだ可能性はあるのかもしれませんが…場合によっては、旅から戻ったら…最終決断をするしかないでしょうね…)
セルティアの参加により、第二班、第三班の面子が整った。
上位の天使たちは同じ班になる者同士、互いを鼓舞するよう握手を交わした。
「では、出陣する者たちは支度に取りかかり、出発式の準備へ参りましょう」
第二班長のキシリカが先導すると、皆立ち上がった。
その頃サフォーネは、再びナチュアと共にアリューシャの元へ訪れていた。
「今回の伝令は西の森地区からよ?」
そう言って、大陸の地図を小会議室の机に広げ、場所を指しながらアリューシャは説明した。
「北の荒れ地と西の森地区の距離はほぼ変わらない。到着のずれはわずか1~2日といったところね。
部隊は到着したら、野営所を設営し、調査隊を結成して現地の様子を見るの。その手間は森よりも荒れ地の方が効率がいい。
実際、西の森地区で魔物を発見した翌日、北からも魔物を発見したという報告が入ったんだけど…そのあと、連絡が途絶えちゃって…。
西の森から伝令が来た今、北からもそろそろ連絡があっても良さそうなんだけどね…」
その言葉に耳を傾けるサフォーネは、アリューシャが何を言いたいのか考える。
つまりそれは、北の荒れ地に何か起きている、ということなのだろうか?
途端に不安がよぎってくると、胸元で手を固く握った。
それを見たナチュアは、サフォーネに寄り添うようにその肩を抱く。
ふたりに不安を与えてしまった様子を見て「うーん」と考え込んだアリューシャは、水晶玉の元へ歩み寄った。
「考えても仕方ないわね。北の荒れ地の様子を精霊に交信してみるわ」
そう言うと、アリューシャは精霊石に祈りを込める。
やがて水晶玉が淡く光始めると、その中央に映像が浮かび上がってきた。
「見えた。まだ戦いの最中、という感じね…」
アリューシャの言葉に、サフォーネはナチュアに肩を抱かれながら、その中を覗き込んだ。
騎士団の隊員たちが剣を振るい、何匹かの魔物たちと戦っている。
「ベアルと…ラーム?…それに、他にも種類がいるみたいだけど、よく見えないわね」
ラームは地中を住処にする大蛇のような姿で、荒れ地の土壌を好む魔物である。
「こんなに幾つもの種類が…?通常、その地区ではせいぜい1~2種類の魔物しか出ないと聞いていますが…」
ナチュアも心配そうに戦況を見つめる。
「それだけ、ここが放置されていたのかもしれないわね。他所から紛れてきた物もいるかもしれないし、魔物同士で融合して新たな魔物になる、という話も聞いたことがあるわ…」
水晶玉の中で、アイリスカラーの髪を持つ若い隊員が、荒れ地の岩に足を取られて、倒れ込むのが見えた。
確かこの人は…。
サフォーネはデュークを見送った日に傍にいた隊員を思い出した。
その機会を待っていたかのように襲い掛かるベアルの姿が見えた。
「危ない!」
思わず叫んだナチュアは、サフォーネにそれを見せまいと、その目を片手で覆い、自らも目を瞑ったが、
「大丈夫よ、デュークだわ」
アリューシャの声に恐る恐る目を開け、サフォーネの視界から手をどける。
そこにはカルニスを庇い、魔物に斬りかかるデュークの姿が映っていた。
デュークは剣を構えたまま、カルニスの襟ぐりを片手で掴んで立たせると、周囲の隊員たちに指示を出すように叫んでいるようだったが、その声までは良く聞こえなかった。
デュークが必死に戦っている姿を、サフォーネは初めて目の当たりにした。
それはこれまでの自分が知っているデュークの顔では無かった。
周囲の様子を一つでも見逃すまいという青い瞳は、野生の動物のような光を帯びている。
汗で額や頬に張り付く乱れた黒髪。
剣を振るう隆々とした筋肉に浴びている返り血。
どれも、サフォーネの知らないデュークの姿だった。
見ているのが怖いと思いながらも、そこから目を離せずに、サフォーネはただ祈るように両手を胸に組み、その拳を震わせていた。
不意に黒い影が景色を覆うように現れた。
デュークの腕を、髪を、顔を隠し、見ている映像の視界を遮ってきた。
「魔烟だわ。かなり多く蔓延っているわね。これ以上は無理かも…」
アリューシャはそう言うと、精霊石に祈りを込めて、その映像を封じた。
「とにかく、戦況が落ち着くまでは無理ね。連絡を待つしかない…。無事を祈りましょう」
小会議室を後にし、サフォーネは立ち尽くした。
生々しい戦いの状況を見て、心臓が早くなっている。
あの後、どうなったのだろう?
デュークは大丈夫だろうか?
心配で小刻みに震える肩を、ナチュアが後ろから包んでくれた。
「きっと大丈夫です。デューク様、お強いですから。信じましょう」
その言葉に励まされるよう、サフォーネは小さく頷いた。
そこへ、中央の庭園で天使団・第二班の出発式をやっているとの知らせを受けた。
第二班にトハーチェが加わることは既に知っている。
短い期間だが一緒に修行をし、同世代の羽根人で初めてできた友達のひとり。
「その旅立ちを見送りたい」とナチュアと共にそこへ向かうと、セルティアがトハーチェに助言を与えているところだった。
「新人は最初、上手くいかなくて当然です。周りの者もそのつもりで貴女を補助してくれるでしょう。だから安心してこれまでの修行の成果を出せるように頑張りなさい。西の森地区で実践を積めば、多少の自信が生まれます。貴女なら大丈夫です」
「…はい…。が、頑張ります…」
緊張した面持ちで、トハーチェは返事をした。
セルティアは第二班の上位の天使たちに顔を向けると、頷くようにしてキシリカにトハーチェを委ねた。
錫杖を持つ手が震える。
「間もなく出発する」という声を聴き、トハーチェは反動的に庭園を見渡したところ、その端に見送りに来ているサフォーネに気付いた。
「すみません、ちょっとだけ…」
キシリカに一礼して、トハーチェはサフォーネの元に駆け寄った。
「サフォーネ…わたし、頑張るわ。あなたと行ければもっと良かったけど…。修行、続けて頑張ってね?」
声を震わせながらも残されるサフォーネを気遣い、別れを告げたトハーチェは、キシリカの元に急いで戻った。
出発を知らせる鐘の音と共に、トハーチェを乗せた天井のない二頭立ての馬車は、空へ駆け昇って行く。
サフォーネはトハーチェの無事を祈り、その姿が消えるまで見送った。
「…みんな……いっちゃった…デュークも…」
みんな遠い地に旅立ってしまった。
そして今も、必死に闘っている。
サフォーネの気持ちは、先ほど見た北の荒れ地に飛んでいた。
その日の夜、サフォーネは夢にうなされていた。
その元凶は黒い影。
それは、水晶玉の中に見たものだった。
見るからに禍々しいが、それにどうしようもなく引き寄せられそうな感覚を夢の中で味わっていた。
『浄清の力持つ者。その力は魔を清めんと欲し、魔烟を引き寄せる』
修行中に何度も復唱された言葉が頭をよぎっていく。
サフォーネは急にそれが怖くなり、その影から逃げようと必死に走っていた。
ふと前方を見ると、デュークが手を広げて待っていてくれる。
デュークが助けに来てくれた!
安堵と嬉しさに涙を浮かべながら、その腕に飛び込もうとすると、魔烟が自分を追い越し、デュークを飲み込んでいく。
『…!デューク…!』
渦巻く魔烟の中、苦しそうにもがき、腕を伸ばすデュークは何度も自分を呼んでいた。
『サフォーネ…サフォーネ!…サフォ―……』
「ん…あぁ…」
ふいに体の中に自分ではない何かが息づくような、落ち着かない感触に身悶え、サフォーネは眠りから覚めた。
溢れてくるそれが抑えきれず、翼を勢いよく放出させると、飛び散った白い羽根が部屋の床へ舞い落ちた。
その衝撃に寝床の中で身じろぐと、内股が濡れていることに気がつく。
「う、うぅ…」
だが、それを気にするよりも、身に押し寄せてくる得体の知れない「何か」に不安を覚える方が強かった。
「…ナ、ナチュ…ア…ナチュ…」
息苦しく、声も思うように出ない。
ナチュアを呼ぶ声もほぼ独り言の高さだったが、その部屋の扉が開かれた。
「サフォーネ様!どうしました?」
世話役は、主の隣室に自室を構え、いつでも主の要望に対応できるように控えている。
異変を感じ取ったナチュアが、夜具のまま飛び込んできた。
放出されたサフォーネの翼は、強張って痙攣している。
その背中の存在を持て余しているように、身じろぐサフォーネの様子にナチュアははっとなる。
「まさかこれは…力の目覚め…?」
サフォーネから、ほとばしる力が感じ取れた。
ナチュアも12歳の頃は浄清の天使として見込みがあると言われていた。
その適正検査では不合格だったが、浄清の力についてはどことなく肌で感じられるのだ。
(いよいよこの日が…この日が来てしまった…)
心構えもないまま、四半期の旅に出すのが恐くて、この期間に力が目覚めないことを密かに願っていた。
そして今、この現実を目の当たりにし、ナチュアは一瞬立ち尽くしてしまった…が。
(…!私は、なんてことを…)
目の前で、その力に翻弄されているサフォーネを見て、我に返った。
自分が仕える主人が、誇り高い天使に目覚めようとしている。
それを望まないなど世話役として失格である。
常に冷静に。常に的確に。常に献身的に。
イオリギから教わった世話役としての誇りを忘れるなど…。
ナチュアは今やるべきことを素早く行動に移した。
苦しそうなサフォーネを介抱しようと、強張る翼を撫でながら、乱れた夜具やシーツを整えていると、それが濡れているのにも気がつき、急いで渇いた布で拭いとる。
「サフォーネ様、落ち着いて。これは怖いものではありません。いよいよ、力が本格的に目覚め始めたのです。いま着替えをお持ちしますね」
ナチュアの言葉に混乱する頭の中で、サフォーネはその意味を理解しようとする。
「ちから…?サフォ…めざめた…?」
ぐるぐると混乱する頭のせいか、軽い眩暈もする。
サフォーネはこれまでに味わったことのない感触に、ただただどうしていいかわからなかった。
身体を横たえたまま、ナチュアに着替えさせてもらっていると、上階からやってくる気配を感じ取った。
「…セル…ティ…くる…」
「え?」
その言葉通り、そこへ、セルティアが世話役のイオリギと共に訪ねてきたようで、軽く部屋の扉を叩く音がした後、返事を待たずにそれは開かれた。
「こんな時間に失礼。先程、目覚めの力を感じ取りました。サフォーネ、大丈夫ですか?」
セルティアはサフォーネの枕元に近寄るとしゃがみこみ、その手を取った。
いつもの厳しさは微塵もなく、ただ暖かい表情を向けられたサフォーネは、徐々に心が落ち着いていくのがわかった。
強張っていた翼の力も徐々に抜けていくと、静かに背の中へ納めることができた。
(……この子は…この力の強さは…)
セルティアはその傍で、サフォーネの力の強さをひしひしと感じていた。
それは、今まで栓をして堰き止めていた水路が開放され、水が一気に流れ出てくるのに似ていた。
いきなりこんな力を宿すことになったサフォーネの心と身を案じた。
「半日か一日経てば、その力を受け止められるでしょう。それまではこの部屋でゆっくりしなさい。今日の修行はお休みします、いいですね?」
時は既に夜明けを迎えていた。僅かに顔を出した陽の光が柔らかく室内を包み込む。
言葉と共に額を撫でてくる手は優しく、その心地よさに安心したサフォーネは、小さく頷くと瞳を閉じて再び眠った。
その様子を感じて安堵したセルティアは、立ち上がるとナチュアに向き直る。
「この子は、思った以上に強大な力を秘めているようです」
元より力の兆しがある天使は、精神修行を積み、力の目覚めと同時に数日の調整で実戦に出ることも可能となっている。
しかし、精神修行が追い付いていないサフォーネが、それを可能にすることはできるのだろうか?
次の伝令はいつ来るとも解らない。
本来なら見送るところだが、セルティアは賭けてみたい気持ちに変わっていた。
「明日以降、次の伝令が来るまで、サフォーネを私のもとに預けてもらえませんか?」
今回の四半期の旅で、天使団・第三班に新人は加えない筈が、セルティアの言葉はそれに反するものだ。
ナチュアもサフォーネの力を感じた途端、そうなることは粗方予想はしていた。
覚悟を決めたように大きく息を吐くと、「畏まりました」と、静かに頷いてサフォーネを見つめる。
安心したような安らかな寝顔は子供のままで、これまでと何一つ変わらない。
だが、目を覚ましたら、目の前の天使は自分の手元を離れていくのだ…。
ナチュアは込み上げてくる涙をセルティアに悟られないよう、唇を噛んだ。
その様子を見てイオリギが声を掛ける。
「力は目覚めても、まだまだあなたの助けは必要ですよ?見守っていきましょう」
胸が潰れるようなこの思いは、イオリギには隠せない。
ナチュアはうっすら浮かべていた涙を静かに拭うと「はい」と答えた。
~つづく~
その個体種は予測していた通り、マーラだった。
ルシュアは苦々しく呟いた。
「やはり、あの地区はマーラの群れが複数出ていたようだな…」
西の森地区には、デュークとサフォーネが蒼の聖殿に向かう途中に通った森も含まれている。
その時の光景を浮かべながら、この機会にマーラたちを一網打尽にできることをルシュアは願った。
今回は通常の部隊より人数は約三倍になる。
隊列を組んで群れをおびき寄せ、マーラたちを包囲してから、闇祓いが行われるだろう。
(浄化ができるようになるには、最低でも一週間後くらいか…)
天使団・第二班に新人が加わる可能性があるという報告は受けていた。
新人を加えるとすれば、セルティアは団員構成を変更するはずだ。
ここ、北の荒れ地も調査期間に入って五日程経っている今、そろそろ次の展開に入ってもいい頃である。
(このまま行くと、天使団・第三班出動も重なりかねないが…。むしろその方がいいのか、それとも…)
その時、天幕の布が荒々しく捲られ、第一部隊のミガセが飛び込んできた。
「ルシュア隊長!センゲル班より、河川跡上流付近で魔烟の痕跡を見つけたとの報告です!」
「考える間もなく、か…。ここもいよいよだな…。ミガセ、地図を出してくれ。地形を確認する」
こちらの都合で魔物は待ってくれない。
魔烟の痕跡が見つかれば、状況は急変する。
ルシュアは不測の事態に備えることにした。
それから数日後、西の森地区から蒼の聖殿へ、浄清の天使団要請の伝令が入った。
聖殿では、昼夜問わず伝令を受け取れるよう、術師が交代で備えている。
そして、各地の状況変化や天使団出動要請があれば、精霊の巫女に伝えるのを役目としている。
早朝にその知らせを持ってきた術師の声で、アリューシャは起こされた。
「ご苦労様。あたしは西の森地区の状況を確認するので、あなたはセルティアに連絡をしてちょうだい。あ、それから、サフォーネの方にもよろしくね」
眠い目を擦りながら指示を出し、精霊と交信する前に、禊の間へ向かう。
四半期の旅に限らず、これは通常の流れだ。
伝令を受けたアリューシャは、精霊と交信して現地の状況を確認しながら、確認漏れの可能性がある魔烟を探り、必要とあらば現地に助言する。
精霊の巫女が居ない聖殿では、この確認漏れが起きるため、魔烟駆除が終わったと思った場所で、また魔烟が発生する事例も出てくるのだ。
部隊が多く出陣している時は、その分だけ忙しさが倍増する。
むしろ、今回のように三カ所を管理するだけなら、楽な方になるのかもしれない。
「…まぁ、想定外の依頼が入る恐れもあるから、気が抜けないのはいつものことだけどね…。それに北の荒れ地も間もなく連絡が来るだろうし…忙しくなるなぁ…」
回廊の窓から覗く朝日に向かって大きく伸びをすると、アリューシャは歩き出した。
連絡を受けたセルティアは、案内係を呼び、現在待機している浄清の天使たちの中でも、任期10年以上の上位の者たちに、塔の講堂に集まってもらうよう指示した。
そしてそのまま、イオリギに手を引かれながら、トハーチェの部屋へと向かう。
部屋の扉を叩くと、出迎えた世話役が息を呑むのが聞こえた。
同時に「え」と戸惑うトハーチェの声も届く。
セルティア自らが部屋を訪ねることは特例である。
この状況がどういうことなのか瞬時に理解し、トハーチェは表情を引き締めた。
「…トハーチェ。本日の修行は取りやめです。伝令が入りました。貴女に出陣を要請します」
告げられた言葉は予測したものだが、トハーチェは一瞬躊躇した。
しかし、その場ですぐ片膝をつくと頭を垂れた。
「仰せのままに。謹んでお受けします」
その背後で、突然の話に衝撃を受けた世話役が、口元を手で押さえるのをイオリギは見た。
これは世話役なら誰もが通る道。
あのナチュアもいつかは…そう思うと、イオリギは僅かに眉をひそめた。
「支度を整えたら講堂に来なさい。簡易的にですが錫杖授与を行います」
セルティアはそう告げると、イオリギに手を引かれ講堂に向かった。
講堂には、上位の天使たちが待っていた。
上位の天使はセルティアを含め、現在九名。
第一班に三名を選出させているので、現在出動可能は五名となっている。
トハーチェの錫杖授与の儀式を終わらせ、旅の支度をさせるため部屋に下げさせると、その場で緊急会議が開かれた。
優秀な新人でも、最初の実戦ではほぼ使い物にならないのは定例である。
西の森地区は、思った以上に魔物の数も多いという情報も得ている。
セルティアは一番困難と思われる北の荒れ地まで温存していた、上位の天使たちの大半をトハーチェと共に行かせることにした。
それにより、任期10年を迎えるクシュカと、力はあるが、まだ任期五年以下で実績の少ない三人の天使が残されることになり、彼女たちは必然的に北の荒れ地に参加することになる。
仲間たちは一斉に懸念の声を上げた。
「そんな…無茶です。セルティア。確かに三人を支えるのはクシュカが適任かもしれませんが…」
任期19年という一番の熟練者・キシリカは、セルティアに助言できる数少ない上位天使のひとりで、その経歴と実力は、セルティアと団長の座を競えるほどだったが、奥ゆかしい性格で、自らその座を退いたと言われている。
天使も騎士も、実力や経験ばかりがその評価を左右する物ではない。
人柄、統率力、持久力など、隊員や団員 をまとめるということは、様々な資質を求められる。
その点では、クシュカは問題ないのだが、全員の呼吸が乱れた時に、それを導くほどの経験は少なかった。
同じように心配する他の仲間たちの不安が伝わってくる中、
「わ…私は、セルティア様の仰せの通りに。精一杯務めたいと存じます」
クシュカ自身は、戸惑っているようだが、その役目を誇らしく思い、受け止めようとしているようだ。
「…ありがとう、クシュカ。皆も気づいていると思いますが、これは新人はもちろん、中堅の天使たちを育成する機会でもあります。クシュカと三人の天使にも、導く者が必要です…」
セルティアは真剣な顔で続けた。
「北の荒れ地には、私も出向きます」
その言葉にざわつきと安堵の溜息が漏れる。
新人育成のため、旅に加わる予定のなかったセルティアだったが、二人の天使を旅立たせることになった今、聖殿に残る意味は無い。
最後のひとり、サフォーネは間に合わない。
今回の旅を経験させるなら、今からでも癒しの天使としての勤めを学ばせる方がいいかもしれない。
そう思い始めていた。
(数年かければまだ可能性はあるのかもしれませんが…場合によっては、旅から戻ったら…最終決断をするしかないでしょうね…)
セルティアの参加により、第二班、第三班の面子が整った。
上位の天使たちは同じ班になる者同士、互いを鼓舞するよう握手を交わした。
「では、出陣する者たちは支度に取りかかり、出発式の準備へ参りましょう」
第二班長のキシリカが先導すると、皆立ち上がった。
その頃サフォーネは、再びナチュアと共にアリューシャの元へ訪れていた。
「今回の伝令は西の森地区からよ?」
そう言って、大陸の地図を小会議室の机に広げ、場所を指しながらアリューシャは説明した。
「北の荒れ地と西の森地区の距離はほぼ変わらない。到着のずれはわずか1~2日といったところね。
部隊は到着したら、野営所を設営し、調査隊を結成して現地の様子を見るの。その手間は森よりも荒れ地の方が効率がいい。
実際、西の森地区で魔物を発見した翌日、北からも魔物を発見したという報告が入ったんだけど…そのあと、連絡が途絶えちゃって…。
西の森から伝令が来た今、北からもそろそろ連絡があっても良さそうなんだけどね…」
その言葉に耳を傾けるサフォーネは、アリューシャが何を言いたいのか考える。
つまりそれは、北の荒れ地に何か起きている、ということなのだろうか?
途端に不安がよぎってくると、胸元で手を固く握った。
それを見たナチュアは、サフォーネに寄り添うようにその肩を抱く。
ふたりに不安を与えてしまった様子を見て「うーん」と考え込んだアリューシャは、水晶玉の元へ歩み寄った。
「考えても仕方ないわね。北の荒れ地の様子を精霊に交信してみるわ」
そう言うと、アリューシャは精霊石に祈りを込める。
やがて水晶玉が淡く光始めると、その中央に映像が浮かび上がってきた。
「見えた。まだ戦いの最中、という感じね…」
アリューシャの言葉に、サフォーネはナチュアに肩を抱かれながら、その中を覗き込んだ。
騎士団の隊員たちが剣を振るい、何匹かの魔物たちと戦っている。
「ベアルと…ラーム?…それに、他にも種類がいるみたいだけど、よく見えないわね」
ラームは地中を住処にする大蛇のような姿で、荒れ地の土壌を好む魔物である。
「こんなに幾つもの種類が…?通常、その地区ではせいぜい1~2種類の魔物しか出ないと聞いていますが…」
ナチュアも心配そうに戦況を見つめる。
「それだけ、ここが放置されていたのかもしれないわね。他所から紛れてきた物もいるかもしれないし、魔物同士で融合して新たな魔物になる、という話も聞いたことがあるわ…」
水晶玉の中で、アイリスカラーの髪を持つ若い隊員が、荒れ地の岩に足を取られて、倒れ込むのが見えた。
確かこの人は…。
サフォーネはデュークを見送った日に傍にいた隊員を思い出した。
その機会を待っていたかのように襲い掛かるベアルの姿が見えた。
「危ない!」
思わず叫んだナチュアは、サフォーネにそれを見せまいと、その目を片手で覆い、自らも目を瞑ったが、
「大丈夫よ、デュークだわ」
アリューシャの声に恐る恐る目を開け、サフォーネの視界から手をどける。
そこにはカルニスを庇い、魔物に斬りかかるデュークの姿が映っていた。
デュークは剣を構えたまま、カルニスの襟ぐりを片手で掴んで立たせると、周囲の隊員たちに指示を出すように叫んでいるようだったが、その声までは良く聞こえなかった。
デュークが必死に戦っている姿を、サフォーネは初めて目の当たりにした。
それはこれまでの自分が知っているデュークの顔では無かった。
周囲の様子を一つでも見逃すまいという青い瞳は、野生の動物のような光を帯びている。
汗で額や頬に張り付く乱れた黒髪。
剣を振るう隆々とした筋肉に浴びている返り血。
どれも、サフォーネの知らないデュークの姿だった。
見ているのが怖いと思いながらも、そこから目を離せずに、サフォーネはただ祈るように両手を胸に組み、その拳を震わせていた。
不意に黒い影が景色を覆うように現れた。
デュークの腕を、髪を、顔を隠し、見ている映像の視界を遮ってきた。
「魔烟だわ。かなり多く蔓延っているわね。これ以上は無理かも…」
アリューシャはそう言うと、精霊石に祈りを込めて、その映像を封じた。
「とにかく、戦況が落ち着くまでは無理ね。連絡を待つしかない…。無事を祈りましょう」
小会議室を後にし、サフォーネは立ち尽くした。
生々しい戦いの状況を見て、心臓が早くなっている。
あの後、どうなったのだろう?
デュークは大丈夫だろうか?
心配で小刻みに震える肩を、ナチュアが後ろから包んでくれた。
「きっと大丈夫です。デューク様、お強いですから。信じましょう」
その言葉に励まされるよう、サフォーネは小さく頷いた。
そこへ、中央の庭園で天使団・第二班の出発式をやっているとの知らせを受けた。
第二班にトハーチェが加わることは既に知っている。
短い期間だが一緒に修行をし、同世代の羽根人で初めてできた友達のひとり。
「その旅立ちを見送りたい」とナチュアと共にそこへ向かうと、セルティアがトハーチェに助言を与えているところだった。
「新人は最初、上手くいかなくて当然です。周りの者もそのつもりで貴女を補助してくれるでしょう。だから安心してこれまでの修行の成果を出せるように頑張りなさい。西の森地区で実践を積めば、多少の自信が生まれます。貴女なら大丈夫です」
「…はい…。が、頑張ります…」
緊張した面持ちで、トハーチェは返事をした。
セルティアは第二班の上位の天使たちに顔を向けると、頷くようにしてキシリカにトハーチェを委ねた。
錫杖を持つ手が震える。
「間もなく出発する」という声を聴き、トハーチェは反動的に庭園を見渡したところ、その端に見送りに来ているサフォーネに気付いた。
「すみません、ちょっとだけ…」
キシリカに一礼して、トハーチェはサフォーネの元に駆け寄った。
「サフォーネ…わたし、頑張るわ。あなたと行ければもっと良かったけど…。修行、続けて頑張ってね?」
声を震わせながらも残されるサフォーネを気遣い、別れを告げたトハーチェは、キシリカの元に急いで戻った。
出発を知らせる鐘の音と共に、トハーチェを乗せた天井のない二頭立ての馬車は、空へ駆け昇って行く。
サフォーネはトハーチェの無事を祈り、その姿が消えるまで見送った。
「…みんな……いっちゃった…デュークも…」
みんな遠い地に旅立ってしまった。
そして今も、必死に闘っている。
サフォーネの気持ちは、先ほど見た北の荒れ地に飛んでいた。
その日の夜、サフォーネは夢にうなされていた。
その元凶は黒い影。
それは、水晶玉の中に見たものだった。
見るからに禍々しいが、それにどうしようもなく引き寄せられそうな感覚を夢の中で味わっていた。
『浄清の力持つ者。その力は魔を清めんと欲し、魔烟を引き寄せる』
修行中に何度も復唱された言葉が頭をよぎっていく。
サフォーネは急にそれが怖くなり、その影から逃げようと必死に走っていた。
ふと前方を見ると、デュークが手を広げて待っていてくれる。
デュークが助けに来てくれた!
安堵と嬉しさに涙を浮かべながら、その腕に飛び込もうとすると、魔烟が自分を追い越し、デュークを飲み込んでいく。
『…!デューク…!』
渦巻く魔烟の中、苦しそうにもがき、腕を伸ばすデュークは何度も自分を呼んでいた。
『サフォーネ…サフォーネ!…サフォ―……』
「ん…あぁ…」
ふいに体の中に自分ではない何かが息づくような、落ち着かない感触に身悶え、サフォーネは眠りから覚めた。
溢れてくるそれが抑えきれず、翼を勢いよく放出させると、飛び散った白い羽根が部屋の床へ舞い落ちた。
その衝撃に寝床の中で身じろぐと、内股が濡れていることに気がつく。
「う、うぅ…」
だが、それを気にするよりも、身に押し寄せてくる得体の知れない「何か」に不安を覚える方が強かった。
「…ナ、ナチュ…ア…ナチュ…」
息苦しく、声も思うように出ない。
ナチュアを呼ぶ声もほぼ独り言の高さだったが、その部屋の扉が開かれた。
「サフォーネ様!どうしました?」
世話役は、主の隣室に自室を構え、いつでも主の要望に対応できるように控えている。
異変を感じ取ったナチュアが、夜具のまま飛び込んできた。
放出されたサフォーネの翼は、強張って痙攣している。
その背中の存在を持て余しているように、身じろぐサフォーネの様子にナチュアははっとなる。
「まさかこれは…力の目覚め…?」
サフォーネから、ほとばしる力が感じ取れた。
ナチュアも12歳の頃は浄清の天使として見込みがあると言われていた。
その適正検査では不合格だったが、浄清の力についてはどことなく肌で感じられるのだ。
(いよいよこの日が…この日が来てしまった…)
心構えもないまま、四半期の旅に出すのが恐くて、この期間に力が目覚めないことを密かに願っていた。
そして今、この現実を目の当たりにし、ナチュアは一瞬立ち尽くしてしまった…が。
(…!私は、なんてことを…)
目の前で、その力に翻弄されているサフォーネを見て、我に返った。
自分が仕える主人が、誇り高い天使に目覚めようとしている。
それを望まないなど世話役として失格である。
常に冷静に。常に的確に。常に献身的に。
イオリギから教わった世話役としての誇りを忘れるなど…。
ナチュアは今やるべきことを素早く行動に移した。
苦しそうなサフォーネを介抱しようと、強張る翼を撫でながら、乱れた夜具やシーツを整えていると、それが濡れているのにも気がつき、急いで渇いた布で拭いとる。
「サフォーネ様、落ち着いて。これは怖いものではありません。いよいよ、力が本格的に目覚め始めたのです。いま着替えをお持ちしますね」
ナチュアの言葉に混乱する頭の中で、サフォーネはその意味を理解しようとする。
「ちから…?サフォ…めざめた…?」
ぐるぐると混乱する頭のせいか、軽い眩暈もする。
サフォーネはこれまでに味わったことのない感触に、ただただどうしていいかわからなかった。
身体を横たえたまま、ナチュアに着替えさせてもらっていると、上階からやってくる気配を感じ取った。
「…セル…ティ…くる…」
「え?」
その言葉通り、そこへ、セルティアが世話役のイオリギと共に訪ねてきたようで、軽く部屋の扉を叩く音がした後、返事を待たずにそれは開かれた。
「こんな時間に失礼。先程、目覚めの力を感じ取りました。サフォーネ、大丈夫ですか?」
セルティアはサフォーネの枕元に近寄るとしゃがみこみ、その手を取った。
いつもの厳しさは微塵もなく、ただ暖かい表情を向けられたサフォーネは、徐々に心が落ち着いていくのがわかった。
強張っていた翼の力も徐々に抜けていくと、静かに背の中へ納めることができた。
(……この子は…この力の強さは…)
セルティアはその傍で、サフォーネの力の強さをひしひしと感じていた。
それは、今まで栓をして堰き止めていた水路が開放され、水が一気に流れ出てくるのに似ていた。
いきなりこんな力を宿すことになったサフォーネの心と身を案じた。
「半日か一日経てば、その力を受け止められるでしょう。それまではこの部屋でゆっくりしなさい。今日の修行はお休みします、いいですね?」
時は既に夜明けを迎えていた。僅かに顔を出した陽の光が柔らかく室内を包み込む。
言葉と共に額を撫でてくる手は優しく、その心地よさに安心したサフォーネは、小さく頷くと瞳を閉じて再び眠った。
その様子を感じて安堵したセルティアは、立ち上がるとナチュアに向き直る。
「この子は、思った以上に強大な力を秘めているようです」
元より力の兆しがある天使は、精神修行を積み、力の目覚めと同時に数日の調整で実戦に出ることも可能となっている。
しかし、精神修行が追い付いていないサフォーネが、それを可能にすることはできるのだろうか?
次の伝令はいつ来るとも解らない。
本来なら見送るところだが、セルティアは賭けてみたい気持ちに変わっていた。
「明日以降、次の伝令が来るまで、サフォーネを私のもとに預けてもらえませんか?」
今回の四半期の旅で、天使団・第三班に新人は加えない筈が、セルティアの言葉はそれに反するものだ。
ナチュアもサフォーネの力を感じた途端、そうなることは粗方予想はしていた。
覚悟を決めたように大きく息を吐くと、「畏まりました」と、静かに頷いてサフォーネを見つめる。
安心したような安らかな寝顔は子供のままで、これまでと何一つ変わらない。
だが、目を覚ましたら、目の前の天使は自分の手元を離れていくのだ…。
ナチュアは込み上げてくる涙をセルティアに悟られないよう、唇を噛んだ。
その様子を見てイオリギが声を掛ける。
「力は目覚めても、まだまだあなたの助けは必要ですよ?見守っていきましょう」
胸が潰れるようなこの思いは、イオリギには隠せない。
ナチュアはうっすら浮かべていた涙を静かに拭うと「はい」と答えた。
~つづく~
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