サフォネリアの咲く頃

水星直己

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第二章

[第25話]真心の羽根

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闇祓いの騎士団を見送った後、聖殿は少し寂しくなった気がしたが、そんな感傷に浸る暇は無かった。
セルティアからの本格的な精神修行が始まり、サフォーネや修行中の天使たちは、慌ただしい日々を送ることになる。

サフォーネは個人修行として、精神統一と気の操作を徹底してやらされた。
闇祓い、浄清の塔には、どちらもそれぞれ騎士や天使たちが訓練できる部屋が設けられている。
その一室を借り、ただひたすら、心を無にして雑念を取り払う座禅は、サフォーネが一番苦手とするものだった。

「まず、これができないと話になりませんよ?サフォーネ」

優しい口調でも、セルティアは厳しい姿勢をとる。
甘えは許されなかった。

半日以上の精神修行が終わると、そのあとは学問。
基礎学問はナチュアやデューク、アリューシャのおかげで卒業できていたが、その上の学問は高度な数学や理論、歴史など、サフォーネがついて行けない内容が多く、四苦八苦していた。

それでも、サフォーネが何度も食らいつくように頑張れたのは、デュークとの約束があったからかもしれない。
クエナの町にいた頃、帰ってくるデュークのために自分ができることを、必死にやっていた時のように。


そんな日々を一週間くらい続けたところで、セルティアから浄清の塔の中腹部にある、一番広い講堂に来るように言われた。

ナチュアに連れられ、初めて入る部屋におずおずと顔を出すと、そこには部屋の中央に教鞭台と、それを囲うように机と椅子が並んでおり、少年と少女の二人が座っていた。
いずれも浄清の天使の卵たちである。
亜麻色の髪と鳶色の瞳を持つ15歳の少年、クローヌと、青い髪と紫の瞳を持つ14歳の少女、トハーチェは、サフォーネの顔を見るとにっこり笑った。

「初めまして、サフォーネよね?わたしはトハーチェ。よろしくね」

「ぼくはクローヌ。君だね?闇祓いの隊長に自分の羽根を贈ったっていうのは。結構有名だよ?」

やや上から目線で揶揄うように言うクローヌの腕を、トハーチェは軽く叩いて諫めた。

「あら。自分の羽根を贈るのは、その人を想って、家族や親友同士でもやることよ?サフォーネは深い意味なんて知らなかったんだろうから…ね?」

「…いみ?サフォしらない…いけないこと?」

親し気に声を掛けられて安心したように部屋に入ると、二人の傍まで行ったサフォーネは「ここへ座って」と促すトハーチェの隣に腰かけた。



「いけないことなんかじゃないわよ。大切な人に自分の羽根を贈る…って、素敵なことよ?わたしも憧れるもの…」

夢見るように両手を合わせて瞳を閉じるトハーチェを見て、クローヌは苦笑する。

「これだから女性というものは…。いいかい、サフォーネ。ぼくたち男の浄清の天使はかなり貴重な存在なんだ。昔は女性しかなれなかった浄清の天使に、男性も起用し始めたのは、その存続に関わるから、とも言われている。なぜなら、こうやって女性の天使は自分の身を貶めるからだ…つまり…」

「なによ!そういう言い方ってないんじゃない?」

付き添いで来ていたナチュアは講堂の後ろの席で控え、三人のやり取りを見守っていたが、二人が少し険悪なムードになったのに気が付いて立ち上がった。

「あの…」

「何事ですか?これからしばらく合同で修行をするのに、仲間割れは困りますね」

ナチュアの声が届くその前に、講堂に凛とした声が響く。
その声に天使の卵たちは言葉を謹んで姿勢を正した。

講堂の入り口には、世話役のイオリギに手を引かれたセルティアの姿があった。

その後ろからもうひとり、竪琴を持った羽根人が現れると、サフォーネの口から「あ」と小さく声が漏れる。
それは、いつぞや憩いの間でサフォーネに虹が出ていると教えてくれた、女性の羽根人だった。
その女性もサフォーネに気が付くと静かに微笑み、軽く会釈をしながら三人の前を横切ると、セルティアの傍らに控えた。

セルティアの一言で出番のなくなったナチュアが再び席に腰掛けようとしたところ、役目を終えたイオリギがその傍へ歩み寄ってきた。

「お疲れ様です。イオリギ様」

「あなたも、ご苦労様です、ナチュア」

礼をしながら迎えてくれたナチュアに軽く頭を下げ、イオリギがその隣へ腰を下ろすと、ナチュアもそれに倣うように静かに腰を下ろした。

イオリギは、ナチュアが世話役を目指すきっかけともなった、尊敬する人物である。
すらりとした長身と、中性的な美しい容姿。
冷静に物事を判断し、優雅な物腰で的確な行動をとる。
ナチュアに限らず、世話役の仲間からは憧れの的となっている。

世話役の特階級であるストールを身にまとい、その折り返しが乱れているのに気が付いたイオリギは、細く長い指で裾を直しながら、隣のナチュアに微笑みかけた。

「今日もサフォーネ様の付き添いですか?心配なのは分かりますが、あまり過保護にしてもいけませんよ?」

どんな場所でもサフォーネと一緒にいる姿を見られているナチュアは、閥が悪そうに少し頬を染める。
仕える主が修行や学問に専念しているとき、世話役は大抵自室で控えることになっている。
その間に、普段できない片づけや事務処理をしていくもので、恐らくクローヌとトハーチェの世話役も、ここに姿を現さないということは、今頃は雑務に追われているのだろう。

「はい。わかっておりますが…。サフォーネ様はまだ心が幼くて、どうしても…」

「…まぁ、私も似たようなものですから、あまりとやかく言えませんけどね」

教鞭台に立ち、天使の卵たちに向かって話をしているセルティアを見守りながら語るイオリギは、何か懐かしいものをそこに映しているのか、その瞳はとても優しさに満ちていた。
ナチュアもその視線の先を追って、後ろ姿のサフォーネを見つめる。
早く独り立ちさせてやりたい反面、いつまでもこうやって見守っていたい、そんな思いを抱きながら。

「よろしいですか?普段から言っているように、私たち浄清の天使は、常に冷静な思考、穏やかな精神、慈しみの心を持つことが大事です」

セルティアが三人の卵たちに向かって語り出す。
その基本の中の基本という教えを、サフォーネは完全に理解していないのか、真剣にその話に耳を傾けている一方、他の二人は若干聞き飽きた風でもあった。
そんな様子にお構いもなく、セルティアは言葉を続ける。

「もちろん、個人の感情を全て失くせという訳ではありません。そういった感情を持ちながらも、精神の制御をできるようにしないといけません。何故かは分かりますね?」

誰に問うでもなく語り掛けると、クローヌとトハーチェは決まりきった言い方で答えた。

「浄清の力持つ者。その力は魔を清めんと欲し、魔烟を引き寄せる。よって、魔烟に立ち向かうには強靭な心と身体が必要となる」

二人の一糸乱れぬ口調にサフォーネは驚いたように見ると、トハーチェが苦笑いの表情を向け、クローヌはうんざりした様子で天井を軽く仰いでいた。

「その通りです。…サフォーネ、あなたはこれを復唱するのが難しいかもしれませんが、しっかりと頭の中に覚えておきなさい、いいですね?」

セルティアがこちらを見るのに驚いて、サフォーネはこくこくと何度も頷いた。

「でも、セルティア様。ぼくたち…ぼくとトハーチェは、その辺はもう到達していると思っています…あとは実戦のみですよね?今回の旅に参加できるのでしょうか?」

この二人はそれぞれ二年ほど前に突然、浄清の力を開花させた類で、あとはそれを操作、制御するための修行に持ち込んでいたため、サフォーネとは進行具合が違っていた。
浄清の天使団に最初の伝令が来るのは、闇祓いの騎士団出発から約二週間後と予想されており、すでにその半分は過ぎている。
間に合えば、その伝令と共に、現地に赴くことになるのだと二人は思っていた。

「今回は天使団を三班に分けます。実績の多い者たちを振り分け、慣れていない者を補佐できるように編成するつもりです。最初の伝令は恐らく今から一週間後…。もちろん、これに間に合うと判断すれば、そこにあなた方を加えるつもりですが…。間に合わなければ…今回は見送ります」

セルティアの計画を初めて聞いて、トハーチェは思案顔になった。

「最初の伝令まで、あと一週間…」

間に合うのかどうか…そして、いつもなら実戦より前に、それに近い模擬訓練から行うはずなのだが、今回は即実戦という状況にトハーチェは不安を抱く。

「一週間か、充分ですね。絶対間に合わせてみせます!」

対して豪語するクローヌに、セルティアは試すような口調で語り掛けた。

「自身の過大評価は身を滅ぼすことにも繋がります。クローヌ、あなたは自分のことも周囲のことも、まだあまり良く見えていないようですね。私からすれば、あなた方三人、そんなに差はありませんよ?」

「な…サフォーネと同じって、こいつはまだ…」

碌な言葉も喋れず、知識も覚束ない、ましてや浄化の力の目覚めも訪れていないサフォーネと比べられ、自尊心を傷つけられたクローヌは言い返そうとして口を噤んだ。
これはセルティアが己に仕掛けた罠だと気付いたからだ。
怒り、精神が乱れれば、それはこれまでの教えを理解していない、ということになる。
クローヌはひとつ呼吸を整えて、気を静めると、姿勢を正して座り直した。

「いえ、なんでもありません」

その言葉と様子を感じとったセルティアがくすりと笑った。

「よろしい。では今から、瞑想の時間です。今日はリケルラに協力を頂き、彼女の竪琴に耳を傾けながら行います。私の合図があるまで、目を閉じ、心を無にして、意識を集中させなさい」

クローヌとトハーチェは、それぞれ姿勢を正して座り直すと瞑想を始めた。

「リケ…ルラ…?」

竪琴の女性の名はリケルラ。
名前を知ることができて、嬉しそうにサフォーネが微笑むと、リケルラも微笑み返してくれたが、彼女の細い指が竪琴の弦を弾き出した。
慌ててサフォーネも、二人を真似て姿勢を正し、瞳を閉じる。

サフォーネはいつもこの時、メルクロの家の裏手にあった花畑で、デュークと遠くを見渡した景色を思い浮かべることにしていた。
遥か遠くに広がる湿地帯、その先に何があるのか見通すようにすると、意識がひとつになっていくのだ…。

様子を見守っていたイオリギとナチュアも、天使の卵たちと一緒に瞳を閉じる。
瞑想は、聖殿で務めを果たす者には、最初に与えられる基本の課題。
それは懐かしくもあり、初心に還るようでもあった。

その全員の呼吸に合わせるように、竪琴の音色が静かに流れていった。



その頃、闇祓いの騎士団はそれぞれの場所に到着していた。
デュークたちが向かった北の荒れ地は、蒼の聖殿からは最も遠い距離にあり、他の二ヶ所よりも一番遅い到着になっていた。

ルシュアが術師の操る水晶玉で、他の部隊の状況確認をしている傍ら、デュークは隊員たちにそれぞれ支持を出し、野営の準備に取り掛かっている。
この部隊には騎士たちの他に救護担当が四名、術師が二名、食事など雑務を担当する世話役も二名いる。戦闘に向かない者たちを安全にかくまえる場所の確保が必要だった。

「カルニス。天幕の支柱は安易に倒れないよう、しっかりした土台を頼む。それが終わったら、馬車の積み荷を降ろして、世話役の者たちに管理を頼んでくれ…って、聞いてるか?」

「…っは、はい!聞いてます!わかりました!」

カルニスは、デュークの指示を受けて行動しながらも、ずっとその胸元にある白い羽根が気になっている様子だった。

(あれって、やっぱり…?そういう…?)

考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐると回り、心臓がどきどきする。
このままでは落ち着かない…と、いつかそのことを聞ける機会を伺っていた。


間もなくして野営の準備が終わると、各地の状況を確認し終わったルシュアが、第一、第二部隊の者たちに労いの声を掛けた。

「長旅ご苦労だった。これより、ここを拠点にしばらく滞在し、この一帯を調査。及び魔烟の駆除を行う。だが、調査は明日からだ。今夜はゆっくり休んで英気を養ってほしい」

そういうとルシュアは、救護部隊として参加した女性の羽根人たちの元に行き、特別な労いの言葉を囁いているようだった。
他の隊員たちや術師たちも、ほっと息をつくように、談笑が始まった。
世話役と新入隊員たちだけは、急いで食事の準備に取り掛かる。
入隊二年目のカルニスも準備に借り出されたが、一年後輩の隊員たちに蘊蓄を傾けているだけだった。

その様子を遠目に、デュークは近くにあった岩棚に腰かけ、胸元の白い羽根に手を伸ばす。
留め具から抜き、指でつまんでくるりと羽根を回すと、そこにサフォーネの顔が浮かんだ。
別れ際の泣きそうな顔を思い出して、それに釣られるように自然とデュークの眉根が寄せられる。
まさかサフォーネが、自身の羽根を贈ってくるとは…。

「まいったな…」

デュークは困ったような笑みを浮かべて、ぽつりと呟いた。
それを待ち構えていたように、カルニスが食事の準備そっちのけでデュークの元に駆け寄ると、目の前まで詰め寄ってきた。

「隊長!それって、やっぱ、その…そういう意味、ですよね?…いや、俺は男同士を認めないって訳じゃないんです。それで隊長への尊敬の念が変わる訳でもないし…ただ、そうならそうと知っておいた方が、サフォーネのことを今後呼び捨てにするべきか、敬称をつけるべきか、そこも決まってくるというか…なんていうか…その…」

好奇心丸出しの様子に、デュークは思わず吹き出した。

「カルニス、何か勘違いしてないか?この羽根にそんな意味はないよ。これはサフォーネが俺を心配して贈ってくれたものだ。…確かにサフォーネの『心』ということになるんだろうが…」

「や…やっぱりぃ…。だったらそれ以外の意味なんて無いじゃないですかぁ!」

「…カルニス…お前は何が言いたいんだ?」

落胆しているのか、怒っているのか、喜んでいるのか、泣いているのか、どれともつかないカルニスの様子にデュークは半ば呆れたように返した。

自分の羽根を贈るという風習は、昔から恋人同士の間で行われることだ。
主に、互いの愛を確認した夜の翌日に、女性から男性へ贈られる。
そしてそれを人目のあるところで贈るのは、『私はこの人のものです』と公言することにもなる。
そういった「魂を捧げる」意味の『真心の羽根』は、家族や親友の間でも行われるが、それは相手と遠く離れ離れになる時や、命が尽きそうになる時などの局面が多い。

意味を知らないであろうサフォーネが、どういうつもりで『真心の羽根』を贈ったのか…それは誰にもわかる筈はない。
デュークを心配する気持ちがそうさせたという偶然。
それはデュークだけが分かっていることだ。

そこへ、女性たちへのアピールが一通り済んだのか、ルシュアがやってきて、面白そうに話に加わってきた。

「尊敬する隊長が誰かのものになる。それがカルニスには寂しいんだろうな…」

「だから、そういう意味じゃないんだ、ってことはお前もわかるだろう、ルシュア」

ムッとした口調で返すと、ルシュアはデュークの手の中の羽根をひょいと奪った。

「そうか?サフォーネだって、そろそろ年頃だろう。こういった愛の表現に興味を持ってもおかしくない。第一、闇祓いや浄清の力は、初潮や精通による性の目覚めと共に身に宿す者もいるんだ。あの様子から、それはまだまだ先だと思っていたが…そうか、それがいいかもな。
デューク、お前がその相手として、サフォーネを目覚めさてやったらどうだ?
それとも、既にお前たちはそんな関係になっていて、サフォーネがこの羽根を…?ってこともあったりするのかな?」

ルシュアは神妙な表情と言葉を交えながら、明らかにデュークを困らせようと楽しんでいたが、それがカルニスには伝わらなかったのかもしれない。
隊長を敬愛する新入隊員は、顔を覆うように「あぁ」と大袈裟な仕草をした。
救護部隊の女性たちにもその声が届いたのか、悲鳴にも似た声が漏れ聞こえる。
その様子は恐らく、デュークと良い関係になりたいという思いで、この旅に志願してきた女性たちだろうことを窺わせた。

「お前、いい加減にしろよ、ルシュア!」

これ以上馬鹿な話に付き合っていられない、というように、その指先でくるくると回されている白い羽根を奪い返すと、デュークはそれを元の位置に付けた。

「俺とサフォーネはそんなんじゃない。そんな簡単な繋がりじゃないんだ…」

「お。繋がっていることは認めるんだな?」

追い打ちをかけるルシュアの言葉に、カルニスが「わぁ」と顔を覆いながら立ち去り、女性がむせび泣くような声も聞こえた気がしたが、デュークは大きな溜息を落としながら、誰にともなく呟いた。

「誰にもわかるはずがない…俺たちのことは…」

デュークは遠い南の空を見上げる。
蒼の聖殿がある場所は、空気が澄んでいれば、その影を見ることができたかもしれないが、霞が掛かっていてその姿は確認できなかった。

「サフォーネ…」

デュークは徐にその名を口にする。
互いを片割れの魂と信じたあの日から、例え遠く離れた今でも、その心は繋がっている気がした。


~つづく~
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