サフォネリアの咲く頃

水星直己

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第二章

[第20話]精霊の祠

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早朝、アリューシャの案内で、緑の聖都から森に出られるという裏道に向かう。
そこは、且つて森林保護を自主的に行う野伏たちの住んでいた区域だった。
森を護る公的機関が設立され、今は使われなくなった施設の裏に、聖都から森へ抜ける出口があった。
朽ちかけた木の扉の施錠は壊れた状態で、ルシュアは慎重に手を掛ける。

「こんなところ、良く見つけたな…」

「知る人ぞ知る、ってところね。いずれ封鎖されちゃうかもしれないけど…」

続いて、アリューシャ、デュークが出ると、閉じる衝撃で壊れないように扉をそっと戻した。


聖都の周囲は森の木々に覆われ、道らしき道はない。
精霊の祠までの道は、森を知るアリューシャが頼りになる。

聖なる森は、魔烟の影がまったく感じられない。
旅の途中で通る森は、用心深く気を張るものだが、ここではそんな心配は無用だった。

朝露が零れる葉は、緑の匂いを放ち、人が通れるようにできた道は、低い雑草で埋め尽くされている。
その柔らかい感触の上を歩いていると、アリューシャが足を止めた。

「そこ、気をつけて。動物の巣があったんだと思う。大きな穴があるの」

道の端に苔むした緑が盛り上がり、よく見るとその奥は深い穴になっていた。
アリューシャのいう「暗い森は危険」というのはこのことだった。

朝の柔らかい木漏れ日に浮かび上がる森の中は、小鳥たちの鳴き声と、小動物が行きかう微かな葉擦れ、遠くを流れる川のせせらぎの音だけがする。

「見事な木が多いな…」

周囲の木を見てデュークが呟いた。
樹齢百年を超える大木がそこかしこで空に向かって伸びている。
見上げれば生い茂る葉に空が殆ど隠されて、それは本当に森に抱かれているような気分になった。

「この先はもっと綺麗よ?」

さらに進んでいくと、雑木林が終わり、一面に泉と花畑が広がる場所に出た。
泉から零れる小川が心地よい音を立て流れている。
微かに吹く風の通り道があるのだろう。花たちは一定の間隔で同じ方向に揺れていた。

「この大陸の森が、全てこんな森になるといいのにな…」

二段の岩棚に小さな滝を作っている小川を越えながらルシュアが言う。
それに同意するように小魚がたちが跳ねた。

その先は再び木に覆われた場所になり、入った途端にさらに清涼な空気を感じた。

「この奥に祠があるわ。その前に…」

アリューシャが立ち止まり、懐から聖水の入った小ビンを取り出すと、自らの身とルシュアとデュークに軽く降り撒いた。

「結界はないし、このままでも入れるけど、精霊たちへの礼儀としてね」

その言葉には深く頷けるほど、空気の清涼感は明らかに違っていた。
木の群れはすぐに途切れた。
すると、そこには円形に開けた草原が広がり、その奥には樹齢何千年という巨大な大木があった。

その長い歴史の中、地中にある岩までも、その根に絡めとって伸びてきたのだろう。
大樹の根元の大きな岩たちを、昔の人々は社にかたどり、精霊をあがめる祠にした…この大陸に生きる者はみな知っていることだ。


聖なる地へ何の躊躇もなく足を踏み入れられるのはアリューシャくらいか…。
羽根人は天界からの使い・天使である、などと言われてはいるが、人間界に産まれた生き物のひとつに過ぎない。
精霊こそ神の化身、天界からの使者なのである。
その精霊が棲む場所へ踏み入るのは、それなりに罪深いことを重ねてきたであろう大人の男たちには、少々勇気のいることだった。
祠に向かい、少しずつ歩を進めていく。

祠の入り口前にくると、先頭を歩んでいたアリューシャが立ち止まり、肩に下げていた革袋から、柔らかい布に大事に包んだ『精霊石』という特殊な水晶玉を取り出した。
ふたりは背後からそれを静かに見守る。
アリューシャは水晶玉を胸に抱え、一度深く息を吸い込み、静かに吐きだしてから厳かに言葉を発した。

「神の愛児、精霊たちよ。われ、尋ねたきことあり。願い届しならば、聖なる光をここへ…」

岩場の空洞にアリューシャの声が吸い込まれ、反響してくる。


そのまましばらく時が流れるのを、周囲の音たちが告げていた。

木々が風に揺れる音…遠くの小川のせせらぎ…草の間を素早く移動する生き物の気配…木の上から舞い落ちた一枚の葉が水面に落ち…。

まざまざとそれらの光景が瞼裏に浮かぶ。
自然の音だけが世界を支配しているようだった。


やがて、アリューシャの周りにひとつ、ふたつ…灯虫のような光が現れて、静かに舞い始めた。
その中の一つが水晶玉に宿るように吸い込まれて行くと、精霊石は仄かに輝き出した。

「…ふぅ…。精霊たちが迎え入れてくれたわ。行きましょ…」

大きく息をついて後ろを振り返ったアリューシャの言葉に、デュークとルシュアもほっと肩の力を抜いた。

祠の入り口となる洞の高さは、平均的な人間の男の身長くらいで、アリューシャは問題なく通れるが、デュークとルシュアは少し頭を下げて入っていく。

「すごいな…これは…」

ルシュアは思わず息を呑んだ。
洞の奥は大樹の根元が高く聳える空洞になっていた。
根元に絡めた地中の石灰が溶け出したのだろう、一部鍾乳洞化して、水滴がしたたりおちた泉もできていた。
太さが様々な根の間からは、外からの光も入り込み、その光景は幻想的だった。
最奥には人の手によって造られた祭壇らしき物があり、その上に女神像が祀られていた。
光りを灯した水晶玉を掲げながら、アリューシャはその前まで歩を進める。

灯虫の光がまたひとつ、ふたつと周囲に増え出し、ルシュアやデュークの側も掠めていく。
デュークはその光の中に、透明な羽根を持つ小さな人のような姿を見た。
驚いていると、祭壇にたどり着いたアリューシャから、再び祝詞が聞こえてきた。

「神の愛児、精霊たちよ…その姿、現して……え?…」

アリューシャが最後まで言わないうちに、祭壇の女神像が淡く光り出す。
その光が立ち昇り、像の頭上へ集中すると、それは外へ飛び出してきた。
弾ける光の粒にたじろぐようにアリューシャは一歩引いた。

「…うそ…」

想定していなかった事態にアリューシャが固まる。
事情を知らないデュークとルシュアにも、それは異例のことなのではないか、ということがすぐにわかった。
先ほどの灯虫の光よりも大きく、例えるなら人の拳くらいの光の玉が、アリューシャの目の前に浮遊している。
中には、先ほどデュークが見た、透明の羽根を持つ人型の姿が浮かんでいた。

―コノモリニ、アナタタチガキタトキカラ、ナニヲシニキタノカハ、ワカッテイマス…

直接心に届くような、それでも人に理解できる言葉で精霊が語り掛けてきている。

「え、えと…これって…」

ここまでの経験はアリューシャにはなかった。
子供の頃に聞いた精霊の声も、脳に閃きを与える程度のものだったし、対等に会話をすることなど、叶わないと思っていた。
驚きで言葉を失っているアリューシャに代わり、ルシュアが問いかける。

「精霊よ。知っているなら教えて欲しい。十数年ほど前、ここに、赤ん坊を託した人がいたはずだ…」

ルシュアの言葉に、光の中の精霊が目をわずかに細めたように見えた。

―アァ…ヒトノコ、リマノラノコ…

知っている様子に、デュークが数歩前に出た。

「そうだ。リマノラの子だ。赤ん坊はここに捨てられたのか?それとも…」

アリューシャがやっと落ち着きを取り戻し、姿勢を正して水晶玉を胸に抱え持つ。
その水晶玉に視線を落とすように精霊の顔が傾いた。
そして、その小さな手をかすかに動かしたように見えた。
水晶玉にいた灯虫が飛び出すと、別の蒼白い光が灯り始める。

―アナタカラ、リマノラノコノ、カゲガタドレマス…イマナラ、ソレガミエルデショウ…

精霊がわずかに指さした方向、それはデュークだった。
アリューシャとルシュアはそれを見定めると精霊に向き直る。

―テヲ、トリアイナサイ…イマカラミルモノ、ナニガアッテモ、タガイニ、コノバニトドマレルヨウ…サモナクバ、カコニトラワレ、アナタハモドレナクナル…

精霊が何を言いたいのか理解できなかったが、言われるがままに、ルシュアはデュークとアリューシャの手を取った。
それを見届けた精霊は宙に舞いながら、その水晶玉に飛び込んでいく。
水晶玉はさらに強烈な輝きを放つと、祠の中をその光で包み込んだ。
あまりの眩しさに三人は目を閉じた。

「…っ!いったい何が…」

その瞼裏の光が落ち着いたところで、三人はそっと目を開ける。


目の前には、先ほど通ってきた祠の前の草原が広がっていた。
ただ、辺りは夜になっており、頭上から零れる月明りで、木々の輪郭が浮かび上がっていた。
そこへたどたどしい足取りで誰かが入ってくる気配があった。

裸足で泥まみれの足を覗かせるローブも、木の枝に引っかけたのかぼろぼろになっていた。
手には青白い顔の赤子がひとり。
ローブにくるまれている髪が少しだけ零れていた。その色は赤色だった。
これは…。

「…リマノラか‥?」

ルシュアが呟いた。
赤ん坊を抱く腕に、長い金髪が零れ落ちる。
その髪の間から覗ける若緑の瞳はうつろで、頬には涙が乾いた痕が残っていた。
リマノラは三人の前を、こちらに気付くこともなく進んでいく。
そして、目の前を歩いていると思ったら、次の瞬間は祠の前まで辿り着いていた。

「これ…きっと過去の記憶だわ…恐らく、サフォーネの記憶…」

アリューシャの言葉に二人は驚いたように顔を見合わせた。

「サフォーネの…?まさか…。あいつは何も覚えていない。覚えているはずがないんだ」

あの笑顔の奥には、辛いことも悲しいことも何もない。
デュークはそれだけは確信していた。
その言葉に唸るようにルシュアが問いかける。

「サフォーネ自身、心の奥にしまい込んで、それすら覚えていないのか…。さっき、精霊が、お前がサフォーネの影を見せられるようなことを言っていた…。それは、サフォーネすら忘れている苦しみや悲しみをお前だけがわかるから、ってことじゃないのか?」

「それは…」

よく分からない事態に困惑している中、気が付くと、リマノラはひとりで歩いていた。
赤ん坊は…?

祠の方で複数の灯虫が舞い、弱々しい赤ん坊の泣き声が聞こえる。
その声に耐えられないように、リマノラは泣いていた。

『ゆるして…ゆるしてほしい…私はもう…長く生きられない…あなたを護ることができないの…私を、ゆるして…』

泣きながらその姿は消えていく…その泣き声だけが、ずっと耳に残るように…。


サフォーネは、間違いなく、母親の手でここに置き去りにされた。
しかしそれは、自身の命が長くないと悟ったリマノラの苦渋の決断だったのか…。

「…普通ならあり得ない。精霊の巫女でも無い限り、精霊と交信するのは不可能だわ…。リマノラのサフォーネを想う強い気持ちが、精霊に届いたのね…」

アリューシャの声を遠くに聞きながら、デュークは目の当たりにした事実に打ちのめされていた。

(リマノラは…我が子を愛していた…)


やがて、時が経ったのか、精霊の祠の前の草原には花々が咲きほこっていた。
その中を赤い髪の小さな頭が蠢いている。

花びらをまき散らす勢いで、その頭が浮かび出た。
背中の小さな翼は産毛が抜けかけていて、もつれている様子だった。
羽根人の赤ん坊は地面を這いながら、自然と戯れるように遊んでいた。
飛び交う蝶を目で追うのが楽しいのか、声を上げて笑っている。
ウサギやリスが近づけばそれに手を伸ばし、柔らかい毛並みを触る心地よさに、地面を叩いて喜んでいる。

だが、やがてぐずりだし泣き出すと、灯虫が数匹現れた。
すると、森の奥から小鹿を連れた母鹿がやってきた。
母鹿が、羽根人の赤ん坊の前に来てその乳を見せれば、羽根人の赤ん坊はそれを吸い出して、満足すればそのまま眠る。

翌日には山羊が、違う日にはまた別の動物が…まるで森全体が母親の腹の中になったように、羽根人の赤ん坊を育てていた。

「こんなことがあるのか…」

信じられない光景を見て、ルシュアが唸った。

「サフォーネ幸せそうね。精霊たちに見守られて、森に守られて、あの子は生きてきたのね…。あの寝顔、可愛いじゃない。ね?デューク」

「…あ、あぁ…」

無垢な寝顔は今のサフォーネのままだった。
そしてその笑顔はリマノラそのもの…。
リマノラからの愛を受け継いだものだった。

「…しかし、いつまでもこんな暮らしは無理だろう。動物の乳だけで生きていける訳もない。狩りをするにも誰が教えてくれるんだ」

そんな疑問を抱いたルシュアが呟くと、目の前の幻が薄れ、精霊の声が響いてきた。

―ソノトオリデス…アノコヲ、イツマデモココニハオイテオケナカッタ…
―ヒトノコハ、ヒトノコトシテ…アノコノミライヲネガッテ、ワタシハヒトノスガタニナリ、アルキョウダイニアズケマシタ…


目の前の幻の風景が変わる。
そこはどこかの森の小さな小屋。辺りは夜の闇に包まれていた。

佇む白いローブを身にまとった金髪の女性は、リマノラに似ていた。
その腕には羽根人の赤ん坊が眠っている。
その身に光を纏いながら、赤ん坊を抱いた女性は小屋の扉を叩いた。
顔を出したのは、小人族の中年の兄妹だった。

祖人の半分ほどしか身長のない彼ら一族は、他種族と一緒に暮らすよりも、同族同士で邑を作ったり、また、その邑からも外れて、家族だけで暮らしを営む者が多かった。

開かれた扉の先に居た女性を見て、『人ならざる者』と直感した兄妹は、後ずさりその場にひれ伏した。
女性は静かに家の中に入ってきた。



「…私は、森に棲む精霊です」

その声は直接人の耳に届くもので、しっかりと聞き取れた。
そして、その美しい声音は、神々しさを感じるものだった。

「せ…精霊様?」

兄が驚き顔を上げたが、その美しさに目が潰れると言わんばかりに、再びひれ伏して頭を床にこすり付ける。

「あなたたちは何故、このような場所で二人だけで暮らしているのですか?」

美しい声の問いかけに、兄妹はひれ伏したまま互いの顔を見る。
その問いかけの意味が解らなかったが、素直に答えることにした兄は、僅かに顔を上げた。

「お…オラたちは昔、他人に騙されて家を失った…。それ以来、誰も信用しねぇ。誰とも関わりたくねぇ。そんな思いで、ここに小屋を建て、妹と二人生きて行くことにしたんです」

「オラにはあんちゃんしか信用できない。邑を離れて20年。ここで暮らしてます…」

地にひれ伏す2つの小さな背中を見下ろしていた女性は、静かに瞳を伏せて語り出した。

「それは、気の毒な事でしたね…傷ついたあなた方の気持ちも分かりますが、人は人と関わらずに生きて行くことはできないのではありませんか?」

「そ、それは…そうかもしれねぇが…」

畑を耕し、狩りをし、自給自足で食べるものは手に入っても、衣服や生活用品は町に買い出しに行かないと手に入らない。
女性のいうことは最もなのだが、突然現れた女性の言葉に戸惑うのも無理はなく、兄妹は再び顔を見合わせると、その問いかけの意味を聞きたく顔を上げる。
それに答えるように女性が口を開いた。

「…この子は、産まれながらに自らの意思とは関係なく、人との関りを絶たれてしまった子です。人との関りを絶ったあなたたちのもとに導かれたのも、この子の運命。神からの授かりものとして、あなたたちの手で育てて欲しいのです」

女性は静かな笑みを浮かべると、腰を落とし、手の中の赤ん坊を妹の方に差し出した。
妹は戸惑いながらもその赤ん坊を受け取り、その姿を確かめる。
小人族の手にはかなり大きく感じる赤ん坊の背中に、白い翼があるのを見て驚いた。

「こ…この子は…羽根人のお子のようですけど…」

女性はふっと笑みを浮かべ、優しい声で問いだす。

「…そうです、羽根人です。この子の髪の色を見て、あなたたちはどう思いますか?」

予期せぬ問いかけに兄妹で顔を見合わせると、兄が答えだした。

「どう…って…。オラたちにはない、綺麗な色だな…」

「そうだね、あんちゃん」

その答えに満足したように、女性は立ち上がると、そのまま宙に浮いているような静かな足取りで後退し、背後の扉から外へと出て行った。

「その子は私たちの子です。三年の歳月をかけて手元に置きましたが…この先は人の手に委ねます。大事に、育ててください…」

そう言い残すと、姿をかき消した。小人の兄妹は慌てて外へ飛び出す。
だがそこには女性の姿はなく、周囲に灯虫が数匹舞っているだけだった。
呆然としながら、腕の中の子供に視線を落とす。
三歳、という割には小さかった。
恐らく動物の乳と森の木の実だけで育ったせいなのだろうが、兄妹にはそんな事情はわからなかった。

「あんちゃん…どうする…」

「どうするもなにも…置いて行かれちまっては…捨てたら罰も当たりそうだしな」

「子供なんて育てたことねぇよ…どうしたら…」

「…だな…だいたい、オラ子供は苦手なんだよな…」

そのやり取りで目が覚めた羽根人の子供がぐずりだした。

「あぁ、泣いちまった。どうしたらえぇんだ」

「腹空かせてんじゃねぇか。くいもんだ。くいもん与えりゃ泣き止むだろ」

小人族の兄妹は慌てて家の中に駆け込んだ。


その光景を見ながら呆気にとられている三人だったが、兄妹の様子にルシュアが思わず笑いだした。

「なるほどな…こうやって人里に出たという訳か…」

「それにしても、驚いたわね…小人族がサフォーネを育てたの?」

アリューシャの言葉で、ルシュアに新たな疑問が生まれた。
先ほどから口数の少なくなったデュークに向かって、それを口にする。

「…でも、お前と出会った時…サフォーネは独りだったんだろ?…この兄妹はどうなったんだ…?」

その問いに反応するように、急に周囲の空気が動いたように体が傾いた。
突然の強風が三人に襲い掛かり、過去の幻が見える空間が狭まった。
黒い渦が巻き起こり、その奥に、小人族の兄妹と暮らす羽根人の赤ん坊の姿が浮かんでいる。
その光景に向かって強風が吹き荒れている。
油断するとその風に煽られ、過去の世界に飛ばされそうになる。

ルシュアは二人の手を取る力を込めようとしたが、バランスを崩して倒れかけたアリューシャの身を咄嗟に引き寄せ、片腕で抱きかかえた。
デュークは何とか自身の力で踏み止まれたが、それはルシュアが手ではなく、腕を掴み直してくれたおかげもあった。

「…な、何だこれは…」

その異常な空間で三人は身を寄せ合った。
アリューシャは口の中で何か唱えながら、水晶玉を抱える腕に力を込めていたが、やがて呻くように喋り出した。

「精霊が…精霊の声が届きにくい。ここから先は、サフォーネの辛い記憶…。その記憶を封じたいという思いが、この風を…」

その声に誘われるように、デュークは渦の奥の光景に目を見張る。
それは、子供の育て方を知らない兄妹と暮らす、羽根人の子供の様子だった。

最低限の食事、最低限の衣服、ろくに言葉もかけてもらえず、ろくな教育もしてもらえず…。
だがそれでも、羽根人の子供は兄妹から愛情を読み取り、それで満足している様子だった。
それが当たり前のことだと思うように…。


~つづく~
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