サフォネリアの咲く頃

水星直己

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第一章

[第5話]依頼者

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雨音を打ち消すように、扉が何度も叩かれる。
それは緊急事態を知らせるようでもあった。

「こんな雨降る夜更けに、こんな場所まで来るなんて、急患か、さもなくば、ろくでもない用件を持ってくる輩だろうな」

話の途中で水を差され、やれやれというようにメルクロが立ち上がったのは、恐らく後者だと思ったからだろう。
義足の軋む音をさせながら戸口へと歩き、静かに扉を開けた。
診療所の中は、たちまち雨音に支配される。

大粒の雨が降りしきる中、そこに立っていたのは、雨避けの外套を身に付けた祖人の町長と、ドワーフやエルフを交えた、数人の町役人たちであった。
それを見据えたメルクロの眉がピクリと動く。

「これはこれはお揃いで、いったい何用かな?」

悪い予感が的中した。
メルクロと町長は、若い頃は一緒に酒も飲んだ仲だったが、町の損益を一番に考える立場の人間と、命を平等に扱う医者という立場の人間とでは、何かにつけて言い争いになることがあった。
デュークのことでも昔、異端の天使を恐れる側と、それを守ろうとする側とで、意見が対立したこともある。
その町長が直々にここへ来たということは、恐らく、デュークが帰ってきたということを町の者たちから聞いたのだろう。

「夜分遅くにすまないね。こちらに、腕の立ちそうな剣士が滞在していると聞いたんだが…やはり、君だったか」

町長は雨の雫を気にするように、そっと外套を脱ぐと、後ろに控える町役人に手渡し、部屋の奥にいるデュークを確認して、歩を進めた。
続けて町役人たちも診療所に入ってくるのを止めようもなく、メルクロは渋々受け入れる。
扉を閉めると雨音は外へ押し出され、診療所の中は暖炉の薪がはぜる音だけになった。

「お久しぶりです町長。その節はお世話になりました」

目の前にやってきた町長に、座ったままの状態で深々と礼をしたデュークだったが、それは形だけのものということを町長もわかっていた。


デュークが幼かったころは異端の天使でも受け入れてくれていた町長だったが、5年ほど前から事情が変わっていた。
それは、デュークが聖殿を飛び出し、真っ先にこの町に立ち寄った時のことだった。

黒い馬にまたがったデュークがメルクロの元へ訪ねてきた、と知らせを受けたのは、町総出で王都の役人をもてなしている最中だった。
クエナではその頃、特産物でもある絹の織物を『王都御用達』にできるかどうかの瀬戸際だったのだ。


メルクロも巻き込まれた、長い戦争の末に建国された王都は、祖人を中心とした国家である。

大陸には様々な種族がいる。
祖人、エルフ、ドワーフ、小人、獣人…。
彼らにはそれぞれの価値観があり、故に争いごとも絶えなかった。
祖人の建国者たちは、政治、経済、法律…それらを広く統一することで、小国同士の争いを無くしていく。
祖人は全ての種族の始まりとされ、他の種族にはない知恵や勇気があると、他種族の一部の者たちは、祖人と共生することを選ぶ者も多かった。
そのため、王都は大陸の中心となる都となっていったのだ。

中には自身の種族に誇りを持ち、いまだに同族だけで国を構えているところもあるが、絶対的な力を持つ王都と争いごとに発展することはほぼ無くなった。
自国を認めさせ、王都と対等に交易を図ろうとするものの、王都に有利になることが多く、それに不満を持つ者たちが反乱を起こすこともあったが、戦乱の時代より遥かに平和な世となっていた。

いずれにせよ、大陸の小国、町や村では、この王都とどれだけ関わることができるかで、その存続が決まるといっても過言ではなかった。
デュークとサフォーネが出逢った麦の丘ふもとの村も、王都やその傘下になる都や町との交易があれば、不作の危機も乗り越えられたに違いないのだ。


その王都の役人が当時、この町に訪れていたのは、クエナで生産される絹の織物に目をつけていたからであった。
絹は保湿性や吸湿性、通気性にも優れており、何より肌触りのよい美しい生地である。
王都に暮らす上流階級の人々が求める品であった。

クエナの町は大陸のほぼ中心の位置にあり、桑の木の育成に適した気候であったため、そこで暮らす人々は、桑の木で生計を立てる農家が多かった。
桑の木は材木にもなり、その果実は生薬にもなり、酒やジャムなどにも加工できる。
戦後には、その葉を好む蚕の繭から生糸を作り、織物の技術も携わると、クエナの町は少しずつ裕福になっていった。
町が管理する大きな桑畑を作り、居住地の立ち退きから製糸工場を設け、質の高い絹を作り出すと、それは他の町や都から注目されるようになっていったのだ。


その日も、雨が強く降っていた。
町長の邸宅では、王都の役人たちをもてなす宴が夜遅くまで開かれていた。
クエナは絹の織物の他にも、農作物が豊富で、料理や酒も絶品だ。
王都の役人たちが充分に満足している様子にほっとしていたところ、

「町長、大変です。一昨日あたりから、メルクロのところに羽根人のデュークが…」

町役人のひとりが飛び込んできて、その一報を知らせてきた。

「…ほぉ、この町には、羽根人のお知り合いがいるのですか?どちらの聖殿のご出身でしょうか。せっかくの機会ですから、私どもも是非お会いしたいものですな」

王都は、羽根人たちが暮らす聖都に対しては、その権威を奮うことはなかった。
聖都はいわば、独立国家のようなもので、羽根人たちが行う魔烟駆除の活動には、逆に王都は敬意を払うほどである。
町長は慌てた。飛び込んできた役人に対し、「余計なことを…」と言わんばかりに睨みつける。
大事な客人たちから「その羽根人に会いたい」と言われて隠し通すことはできなかった。
言いにくそうに事情を話すと、王都の役人の顔色が変わった。

王都では、羽根人たちの功績を称え、その伝承も重んじる。
異端の天使に対する畏怖の念も、類にもれず受け入れられていた。
よって、そこで暮らす祖人や他の種族の者たちは、その存在を恐れるのだ。
王都の役人は、進めていた大きな商談を断ろうとしてきた。

「異端の天使が関わっている町となると、穏やかではありませんな…今回の話はなかったことに…」

「お、お待ちください。彼は…その…ここに住まう者ではありません。幼い時に、一時的にこの町の医者に診てもらったことがあるだけで…今回も恐らく、立ち寄っただけでしょう。今すぐ、ここから立ち去るよう、話して参りますので…」

どうしても商談を進めたかった町長は、雨が降る中メルクロの元を訪れ、デュークにすぐに旅立つよう促した。
メルクロは町長に抵抗した。
突然訪ねてきたデュークのその成長ぶりを喜ぶ半面、翳った青い瞳から何があったか察しがついていたからだ。
傷ついた少年をしばらくまたここに置いてやろうと、そう思っていたのだが…。

「わかりました…。今すぐ出ていきます…」

メルクロが制するのも聞かず、デュークは再び町を出ていった。
故郷と思っていた町だったが、そう長くいられないであろうことは、訪れた時に感じていたからだ。
聖殿の仲間から向けられた冷たい視線と同じものを、町の者からも受け、ここにも自分の居場所はないのかもしれないと…。
しかし、『異端の天使』という肩書で、故郷を追い出されることは、やはり不本意だった。
16歳という若さで、独りで生きていくことを強いられたのも辛いことであった。
雨の雫に涙を隠し、デュークはただひたすら、シェルドナを走らせ続けた。


そして今夜、こうやって町の役人たちを引き連れて訪ねてきたのは、あの時と同じ状況であった。
メルクロは眉を吊り上げた。

「まさか、お前たちまたデュークを…」

ここから早々に出て行くように言いに来たに違いない。
今回も場合によっては…というメルクロの好戦的な態度を察したか、

「いや、あの時は本当にすまなかった。町の発展のことを考えると、あの商談だけはどうしても進めたく…君には辛い思いをさせたね」

気苦労も多いせいか、頬がこけた町長は、メルクロとは対称的な細身の長身を傾けて頭を下げた。
その態度が本意なのか建前なのか分からなかったが、どうやらデュークを追い出しに来たのではないらしい。
むしろ、頼ってきたように下手に出て話す様子に、メルクロは苛々としながらデュークに代わって答えた。

「何をいまさら…。回りくどい言い方をせんで、さっさと用件を言ったらどうだ。『腕の立ちそうな剣士』に用があって来たんだろ。あんな仕打ちをしておいて、まさかデュークに頼み事でもあるんじゃないだろうな?」

メルクロの言葉は図星だったのか、ピクリと頬を引きつらせると町長は顔を上げ、デュークに向かって懇願するように話し出した。

「町の北にある森で、数カ月前から魔烟が発生したようなんだ。日に日に森の木や動物たちが死に追いやられている。聖殿に何度も依頼を出しているのだが、なかなかこちらまで手を差し伸べてもらえなくてね…。先日とうとう魔物の目撃証言まで出てきて…」

「そうなんです。祖人の成人男性の2倍くらいある黒い魔物らしくて…この収穫期に鍛冶屋のコボルドが炭焼き用の薪を集めにいったところ、そいつに出くわして、危うく殺されそうになったとかで…」

町長の言葉に続き、町役人のひとりであるドワーフの男が、前に出てきてその目撃証言を告げた。



他にも目撃証言がある、という他の町役人たちの言葉を制するようにデュークは立ち上がると、息巻く役人たちに尋ねた。

「依頼している聖殿はどちらの聖殿ですか?光の聖殿ですか?それとも…」

「光の聖殿なんてとんでもない。私達など相手にしてくれませんよ」

森の位置から、『光の聖殿』の方が近いはずなのだが、念のため聞いてみたところ、いきり立つような役人の言葉に「やはりな」とデュークは深いため息をついた。


『光の聖殿』に勤める者は羽根人としてのプライドが異常に高く、羽根人こそ一番の種族と考える者が多くいた。

「私たちの命懸けの功績に対し、見合った対価を示してくれる者でなければ…」

その思考は、王都や大きな都からの依頼を優先させた。
その光の聖殿こそ、デューク自身が産まれた場所なのだが、その傲慢なところは故郷とは思いたくないものでもあった。

「…となると、蒼の聖殿ですね…おかしいな、あそこならあいつがいるはずだが…」

町から南東の方にある『蒼の聖殿』には、ともに闇祓いの修行をした幼馴染みもいる。
自信家でいささか他人への配慮に欠けるところがあるものの、羽根人の勤めを誇りに思い、且つ正義感の強い男が依頼を受けないという状況は考えにくかった。
何か理由があるのだろうかと思案していると、メルクロが会話に割って入ってきた。

「おい、まさか、お前たち。聖殿の部隊が来ないから、魔物退治をこのデュークにやらせようっていうことではないだろうな?」

メルクロの言葉を受けて、デュークは顔を上げると町長の顔を見た。
町長はバツが悪そうに一度視線を逸らしたが、意を決するように向き直ると再び深く頭を下げてきた。

「君は以前、この町に滞在している間に闇祓いの力が目覚めたと聞いている。聖殿を出た理由は知らないが…魔物と化した魔烟に立ち向かえるのは、闇祓いの騎士だけだ。我々の力ではどうにもならない。デュークよ、すまないが我々を助けてくれないだろうか」

本来なら、関わり合いになりたくないだろう己に対し、何度も頭を下げて頼みごとをしてくるのは、相当追い込まれているのか…。
一瞬返す言葉を失ったデュークに代わり、メルクロが憤慨した。

「お前たち、魔物退治をひとりで行うことがどれだけ大変なことか、分かって言っているのか?!こんな時ばかり、都合のいいことを言いおって…デュークは魔物退治などやらん!出ていけ!」

「…待ってください、先生、落ち着いてください。…町長も、どうか顔を上げてください」

このままではその辺の物でも投げつけて、暴れかねないメルクロを片手で制すると、デュークは町長に顔を上げるように促した。
そして、少し考えるように瞳を伏せた後、町長に向き直って再び口を開いた。

「…わかりました。聖殿の部隊が来るまでの一時しのぎにしかならないと思いますが、引き受けましょう…」

「…な、なにを言ってるんだ、デューク!」

「ほ、本当かね?やってくれるか」

デュークの言葉に驚くメルクロに対し、安堵した町長は、喜びを露にする町役人たちと顔を見合わせたが、

「…そのかわり、ひとつ頼みがあります」

デュークが最後につけた条件に、息を呑むように静まり返った。

メルクロはその「頼み事」に察しがついた。
このままでは、先ほどまで説得していたデュークの危険な旅を止めることができない。
頭を抱えるように診療所の寝台に腰を落とした。


「俺が連れてきた羽根人の少年をこの町に置いてくれませんか」

デュークが出した条件に戸惑いつつも、町役人たちは胸を撫でおろした。
高価な報酬を要求されると思ったのだろう。
同じようにその条件に一瞬拍子抜けしたような町長だったが、服屋のドワーフに聞いたという子供たちの話を思い出し、眉根を寄せた。

「それは赤い髪の…?異端の天使か」

その町長の言葉が、メルクロの怒りに再び火をつけた。
それを見据えたデュークは、カッとなって立ち上がろうとしたメルクロを遮ると、冷静に言葉を続けた。

「言葉をしゃべれませんが、悪意の欠片もない、普通の少年です」

診察室内が静まり返る。
デュークと村長のやり取りに、役人たちが不安げな顔をする。

「普通の少年…って言っても…異端の天使なんだろ?いつまでこの町で…?」

「まさかずっと…?」

ひそひそと囁かれる声が耳に届く。
デュークは歯を食いしばった。
やはり、この町でもサフォーネが暮らし続けていくことには限界があるのだ。

「…俺が…俺が帰ってくるまでの間だけでも、この町で保護してもらいたい。それが条件です」

折れるしかなかった。だが、最低限の条件だけは…。
強い意志を伝えるよう、じっと町長に向き合うデュークの様子に、役人たちも顔を見合わせる。

「うー…む…」

町長は思案しているようだった。

魔物退治へ向かう決心をしたデュークの背中を見て、メルクロはもう止められないと悟る。
ならば少しでも手助けになれば…と、静かに言葉を繋いだ。

「預かるのはこの診療所でだ。町の目立ったところには出させん。それでいいだろ?」

メルクロの言葉で少し思い直したか、何より魔物を倒してくれるのならば、期限付きで少年ひとり町に置くことくらい易い条件であろう。
異端の天使、ということはこの際目を瞑るしかない…町長は軽く咳ばらいをすると「よかろう」と条件を呑んだ。

「魔物退治のための支度をここに用意してきた。使えそうなものを選んでいってくれたまえ。前金もある。残りの報酬は魔物退治が成功したら、ということで良いかな?その時はこちらに届けよう」

魔物を目撃した場所など、詳しい情報をデュークに伝えると、必要そうな旅支度を置いて、町長たちは診療所を出て行った。


「まったく…とんでもないことを引き受けおって。本当に一人で行くつもりか」

町長たちが置いて行った荷物の中から、旅に必要そうなものを選び、身支度を整え始めるデュークに向かってメルクロはため息交じりに尋ねた。

「今まで、こういうことを生業にしてきてますから。それに、先生に教わった剣術で何度も命を救われています」

甲冑の留め具をつけ、雨避けの外套を羽織ると、苦笑を浮かべた。

「結局、サフォーネのことをこんな形でお願いすることになってしまった。…俺にとっても、これが終わったら答えを出さないといけませんが…」

その言葉にメルクロも小さく笑った。

「魔物退治が終わるまでの期限付きか…。その後のことはそこでまた考えればよかろう」

答えを急がせないメルクロは、子供の頃の自分にもそうだった。
その優しさに気を緩めると泣きたくなりそうになる。
デュークはメルクロに向かって改めて頭を下げた。

「サフォーネのこと、よろしくお願いします」

旅支度を終え、このまま出発する様子のデュークを見て、メルクロは目頭を片手で抑えた。

「会わずに発つのか…まぁ、その方がいいかもしれんな。どうあってもお前が行くというのなら…仕方ない。あの子にはよく話しておくよ」

下げられた黒髪の頭に片手を伸ばし、くしゃりと触るとそのままメルクロは己の胸に引き寄せた。
上背のある青年を抱きしめるには程遠いが、我が子同然のデュークに、親としての想いを伝えたかったのだ。

「心配かけてすみません。先生」

メルクロの気持ちが伝わると、デュークは謝ることしかできなかった。
顔を上げるデュークに、メルクロは無理やり口元に笑みを浮かべる。

「…心配などしておらん。わしが鍛えたんだ。大丈夫に決まっておる。ただ無事に…無事に帰ってこい。あの子のこれからのためにも…」

言葉とともに、我が子の肩を強めに叩き、メルクロはデュークを送り出した。


~つづく~
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