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すべてのはじまり

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 「リオンはわたしの所と教会と、どっちに居たい?」
 リオンの瞳が軽く見開かれる。ただでさえ大きい瞳がさらに大きくなって見えて、本当にこぼれ落ちてしまうのではないかと心配になった。
 そっと、頬に触れるイヴの手に、リオンはやけどでも負ったかのように大げさに首をすくめた。しかし、しばらくそのままでいると痛いものではないと気づいたのか、おずおずとイヴの手に自らの手を重ねる。

 「……おねぇちゃんと一緒がいい」

 ほらね!イヴの手に頬をすり寄せたリオンに、イヴは誇らしげにジルのことを振り返っ
てみせた。
 本人がイヴと一緒がいいと望んでいるのだ、これ以上に一緒にいることの正当性がこの世に存在するというのだろうか、いや、きっとないに違いない。
 言葉には出さずともイヴのその無言の主張が通じたのか、ジルはうんざりとため息をついた。
 「元の場所に戻してこい」
 「だって、道に落ちてたわ」
 そう、この子は道に落ちていた。誰に手をさしのべられるでもなく、誰もそばにはいなかった。
 「いいじゃない、わたし最後までちゃんと面倒みれるわ」
 「ペットかなにかか、そいつは……」
 いいか、落ち着いて良く聞け、とジルは幼い子どもに言い聞かせるようにイヴに言った。

 「そいつは魔王の子だ」
 「……ふんふん、まおうのこ」
 「反応が薄い!」

 かつて人類は魔王によって何度も滅ぼされかけた。
 魔王とは魔物を自在に操り、支配できる能力を持って生まれた個体のことである。それは、魔獣であることもあれば、植物であることもあり、人間であることもあった。共通しているのは、魔王には必ず虹色の角が生えているという点だ。
 魔物は普段単体であれば人間にとってさほど脅威ではない。しかし、統率を取る者がいれば、それは別の話である。
 魔王、と呼ばれる個体はかつて何度も誕生し、そのたびに大きな災いを人にもたらした。
 否、人以外にも災いをもたらしたのだが、人の文化の形態上、他の生物よりも被害が甚大になってしまったのである。
 今から7年前、発生した魔王は獣だった。その能力を持って人間の領土の実に1/3は魔物によって奪われてしまったのである。もっとも、それはその2年後、勇者によって、魔王が討伐されるまでの間の話だが。
「魔王が倒されて一年後、つまり、今から4年前に発見された魔王がそいつだ。魔王と呼ぶにはあまりに幼かったんで、ついたあだ名が“魔王の子”」
 つまりそいつは世界を危機に陥れるかもしれねぇ、災厄の種だ。その唇から吐かれた言葉は重々しかった。
 イヴはじっと、黙ってジルの説明を聞き届けると、ふぅ、と憂鬱そうな息をついた。
 「お風呂入りたい」
 「話を聞け!」
 「だってつまんないんだもん」
 「だもん、じゃねぇよ。大事な話なんだよ! これは!」
 親切に説明してくれたジルには悪いが、イヴだって当然、そんなことは知っている。
 イヴは先代の魔王がまだ倒される前から大好評で発売されている勇者の伝記の大ファンだ。それは勇者がまだ魔王を倒す前から国民や兵士達の士気を高め、鼓舞する目的で発売されていたもので、勇者による魔王討伐の達成により、史実に基づいて大団円を迎えた、実に第465話まで続いたベストセラーである。そこには当然、魔王がなんであるか、どういう存在であるかが子細詳細に語られていた。
 魔王が何であるかなど、知らなかったとしたらそれはモグリである。勇者のファンの名折れだ。大恥だ。
 だから、今、イヴが知りたいのはそんなことではないのだ。
 「わたしが今知りたいのはこの子がどんなに大変な存在か、なんてそんなことじゃないわ」
 ひたり、と見据えるイヴの碧い瞳はきらきらと星を吸い込んで瞬くようだった。

 「どうしたらこの子が幸せに生きられるか、よ」

 ぐ、とジルは言葉につまる。
 イヴの言いたいことがわからないわけではない。ジルは女神信仰に熱心ではないから教会には近づかないが、それでも教会に『保護』された魔王の子の待遇が一体どれほどのものであったのかなど、想像に難くなかった。
 しかし。
 しかし、である。そんなことは――
 「不可能じゃないわ。ねぇ、ジル」
 イヴはいつだって真剣な時ばかり、ジルの事を「おじさん」ではなく名前で呼んだ。そうすればジルがイヴのお願いから逃れられないことを経験則で知っているからだ。
 なぜ、ジルがお願いを聞いてくれるのか、その理由まではイヴにはわからないけれど。

 「お願いよ、ジル。どうかこの子と……」
 わたしと一緒に、“ここ”から逃げて。

 イヴが頼れる相手は、この少し無愛想でしかし実のところイヴにたいそう甘ったるい、灰色の獣人しかいないのだ。
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