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すべてのはじまり
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ある日、道に落ちていた子供を拾った。
――ら、こんなことになった。
「――行ったぞ、そっちだ!」
カンカンカンカン、警笛とともに青い制服を着た憲兵が駆け回る音が響く。堅い革靴が走る音に合わせ、周囲に高い音を響かせていた。
まったくしつこい連中だとイヴは思う。こんな罪もない“いたいけ”な女の子を追いかけている暇があるのなら、近頃盗賊が良く出ると噂の街道でも見張って市民の平和に役立てばいいのだ。イヴの緩やかにウェーブのかかった栗色の髪が、駆けるのに合わせて宙に舞う。
振り返ると憲兵達は街の入り組んだ道に手間取り、イヴの姿をしっかりとは捉えられていないようだった。
「犯人に告ぐ! おとなしく今すぐ投降しなさい!」
しかし、引き離せているわけではない。着かず離れずの距離で着いてくる連中にうんざりとする。
ふと目についた裏路地に飛び込む、と同時に背後で激しい光が弾けるのがわかった。
背筋がぞっとする。魔法だ。それはとてもポピュラーで多くの人が持っている魔法で、憲兵などがよく犯罪者を捕縛する時に使用する光の帯だった。一発では止まずに次々と襲いかかってくるそれらから逃れるため、路地の更に深くへと進む。
逃げ込む先は決まっていたが、それまでに少しでも連中を巻かなくてはいけない。
次はどこに逃げ込むべきか、きょろきょろと辺りを見渡しながら走っているうちに、寸止まりに行き当たってしまった。
背後からは憲兵の足音が近づいてくる。
迷っている余裕は、ない。
ぱっ、と目についたはしごに取りすがる。それは元は管制塔の役割を果たしていたのであろう。しかし、今はもう錆び付いて避雷針くらいにしか用をなさないような鉄の塔だった。
「あそこだ! 取り囲め!」
塔の下はたちまち憲兵に覆い尽くされた。
空高くからそれを視認して、イヴはにやり、と笑むと、
――はしごから手を離し、一気に下まで落下した。
憲兵達がどよめく。
さすがに死ぬほどの高さではない。
それでも大怪我をしかねない高さではあったし、落ちたところで落下地点は憲兵達の中心だ。
行動の意味がわからない。
しかし、そんな周囲の戸惑いをものともせず、イヴはスカートをはためかせながら、その戸惑いの中心へと降り立った。
赤いスカートがふわりとめくれ上がり、着地と同時にイヴの足を覆い隠す。
それに合わせて足をかがめるとイヴはくるりとその場で回転してみせて、ゆっくりと優雅にお辞儀をした。
その場にいる全員の目がイヴへと集まる。
その全員と目を合わせるように周囲を見渡すと、イヴはにっこりと、花のつぼみがほころぶようにほほえんで見せた。
それは、一枚の絵画のように美しかった。
「魅了魔法」
それは魔法の呪文だ。
憲兵達の動きが、ぴたりと止まる。
その様子にイヴはほほえむと、目の前の憲兵の鼻をちょんっと小突いた。
(う、動けない……)
憲兵はまだ何が起こったのかわからず、動かない体で目だけをせわしなくきょろきょろと動かしていた。
イヴの魔法――魅了の魔法だ。
イヴの任意の相手の動きを一定時間停止することができる。――ただし、イヴのことを美しいとか、綺麗だとか、つまりは魅力的に感じた相手にのみ効果が発揮される。
「ごくろうさま」
軽くほほえんで挨拶をして、目的地に向かって足取り軽く歩みながら、イヴは腕の中の存在をぎゅっと抱き直した。
なんとしてでも、この子を連れて行かなくてはならない。
遠くからはまだ、別働隊の憲兵達がイヴを探している音が響いていた。
*
この世には魔法というものがある。
それは負った傷をたちまち綺麗に治してしまうものであったり、敵対する相手を負傷させるための攻撃手段であったりとさまざまだ。
珍しい種類のものや、ありふれた種類のものもあり系統立てて分けることもできるらしいが、そんな小難しいことはイヴは知らない。
そんなことは偉い学者の先生が考えればいいことだからだ。
だいたいの人間は、自分の魔法を一つ、生まれた時から持っている。
その中でも、天才と呼ばれる人間や聖者や英雄といわれる人間は2つや3つ持っていたりする。
それらはかつて、女神様が人間にわけ与えた力だという。
「――と、いうわけで、どうしようおじさん」
「なにが、――というわけだ! 全然わかんねぇよ! そんなことおじさんに聞くな!」
憲兵達から逃げ延びたイヴがようやくたどり着いた扉の向こうから出迎えたのは、灰色の毛並みに無精ひげを生やした29歳独身、現在恋人絶賛お断り中の狼の獣人、ジルだった。ちなみに募集中に札が掛け替えられたらイヴ的には応募してもかまわないと思っている。今日も今日とて深く深く眉間に渓谷のごとく刻まれた皺は取れそうにない。
イヴは自分の中では最高にキュートな角度で、扉を開いた家主に向かってにっこりと笑って首をかしげて見せた。
――と、同時に無情にも扉はイヴの目の前でばたん、と閉じた。
ひどい、あまりにもこれはひどすぎる。
「開けてよ、ねぇ、わたしだってどうしたらいいかわからないわ!」
「俺の方がわからねぇわ! おまえ何しでかしたんだよ!」
「わからない!」
イヴは背後を振り返る、憲兵達はもうすぐそこまで来ていた。
ああ、そうか、そういうことをするのか、そっちがそういう態度をとるならこっちにも考えはある。
すぐに扉に向き直ると、拳を固めてドアをどんどんと叩いた。周りに聞こえるように、声をめいっぱいに張り上げる。
「ひどい、ひどいよおじさん! わたし、おじさんに言われた通りにしただけなのに! 言うことを聞いた良い子のわたしを見捨てるの!? こんな事になったのはおじさんのせいよ!」
「とんでもねぇ濡れ衣きせんじゃねぇよ! 諸悪の根源はいつもおまえだ! 」
「わあ、おじさん、やっと開けてくれた! わたし信じてたわ! 今日もおひげがとってもチャーミングね!」
「白々しいわ! くそ」
開いた扉にすかさず自らの足と半身をねじ込みながら、イヴは感激したように手を組んでみせた。
イヴの作戦勝ちである。
ジルの眉間の皺はもはや渓谷を超えて深淵だが、そんなのことは知らない。先にいじわるをしたのはジルのほうなのだ。そのままぐいぐいと体を部屋の中へとねじ込む。
「おいこら、てめぇ……」
「早くしてったら! もう! 捕まっちゃうじゃないの!」
「俺が悪いのかよ!」
怒鳴りながらもイヴの大声に反応し、こちらに向かってくる連中の姿に気づいたのかジルは舌打ちを一つするとやっとイヴのことを迎え入れた。
ちなみにこの茶番は特別非常事態でなくてもイヴ達の間ではほぼほぼ毎回行われる。ジルは必ず一度はイヴの入室を拒む。なぜならジルははとても素直じゃない、スナオジャナイ星人だからだ。
――ら、こんなことになった。
「――行ったぞ、そっちだ!」
カンカンカンカン、警笛とともに青い制服を着た憲兵が駆け回る音が響く。堅い革靴が走る音に合わせ、周囲に高い音を響かせていた。
まったくしつこい連中だとイヴは思う。こんな罪もない“いたいけ”な女の子を追いかけている暇があるのなら、近頃盗賊が良く出ると噂の街道でも見張って市民の平和に役立てばいいのだ。イヴの緩やかにウェーブのかかった栗色の髪が、駆けるのに合わせて宙に舞う。
振り返ると憲兵達は街の入り組んだ道に手間取り、イヴの姿をしっかりとは捉えられていないようだった。
「犯人に告ぐ! おとなしく今すぐ投降しなさい!」
しかし、引き離せているわけではない。着かず離れずの距離で着いてくる連中にうんざりとする。
ふと目についた裏路地に飛び込む、と同時に背後で激しい光が弾けるのがわかった。
背筋がぞっとする。魔法だ。それはとてもポピュラーで多くの人が持っている魔法で、憲兵などがよく犯罪者を捕縛する時に使用する光の帯だった。一発では止まずに次々と襲いかかってくるそれらから逃れるため、路地の更に深くへと進む。
逃げ込む先は決まっていたが、それまでに少しでも連中を巻かなくてはいけない。
次はどこに逃げ込むべきか、きょろきょろと辺りを見渡しながら走っているうちに、寸止まりに行き当たってしまった。
背後からは憲兵の足音が近づいてくる。
迷っている余裕は、ない。
ぱっ、と目についたはしごに取りすがる。それは元は管制塔の役割を果たしていたのであろう。しかし、今はもう錆び付いて避雷針くらいにしか用をなさないような鉄の塔だった。
「あそこだ! 取り囲め!」
塔の下はたちまち憲兵に覆い尽くされた。
空高くからそれを視認して、イヴはにやり、と笑むと、
――はしごから手を離し、一気に下まで落下した。
憲兵達がどよめく。
さすがに死ぬほどの高さではない。
それでも大怪我をしかねない高さではあったし、落ちたところで落下地点は憲兵達の中心だ。
行動の意味がわからない。
しかし、そんな周囲の戸惑いをものともせず、イヴはスカートをはためかせながら、その戸惑いの中心へと降り立った。
赤いスカートがふわりとめくれ上がり、着地と同時にイヴの足を覆い隠す。
それに合わせて足をかがめるとイヴはくるりとその場で回転してみせて、ゆっくりと優雅にお辞儀をした。
その場にいる全員の目がイヴへと集まる。
その全員と目を合わせるように周囲を見渡すと、イヴはにっこりと、花のつぼみがほころぶようにほほえんで見せた。
それは、一枚の絵画のように美しかった。
「魅了魔法」
それは魔法の呪文だ。
憲兵達の動きが、ぴたりと止まる。
その様子にイヴはほほえむと、目の前の憲兵の鼻をちょんっと小突いた。
(う、動けない……)
憲兵はまだ何が起こったのかわからず、動かない体で目だけをせわしなくきょろきょろと動かしていた。
イヴの魔法――魅了の魔法だ。
イヴの任意の相手の動きを一定時間停止することができる。――ただし、イヴのことを美しいとか、綺麗だとか、つまりは魅力的に感じた相手にのみ効果が発揮される。
「ごくろうさま」
軽くほほえんで挨拶をして、目的地に向かって足取り軽く歩みながら、イヴは腕の中の存在をぎゅっと抱き直した。
なんとしてでも、この子を連れて行かなくてはならない。
遠くからはまだ、別働隊の憲兵達がイヴを探している音が響いていた。
*
この世には魔法というものがある。
それは負った傷をたちまち綺麗に治してしまうものであったり、敵対する相手を負傷させるための攻撃手段であったりとさまざまだ。
珍しい種類のものや、ありふれた種類のものもあり系統立てて分けることもできるらしいが、そんな小難しいことはイヴは知らない。
そんなことは偉い学者の先生が考えればいいことだからだ。
だいたいの人間は、自分の魔法を一つ、生まれた時から持っている。
その中でも、天才と呼ばれる人間や聖者や英雄といわれる人間は2つや3つ持っていたりする。
それらはかつて、女神様が人間にわけ与えた力だという。
「――と、いうわけで、どうしようおじさん」
「なにが、――というわけだ! 全然わかんねぇよ! そんなことおじさんに聞くな!」
憲兵達から逃げ延びたイヴがようやくたどり着いた扉の向こうから出迎えたのは、灰色の毛並みに無精ひげを生やした29歳独身、現在恋人絶賛お断り中の狼の獣人、ジルだった。ちなみに募集中に札が掛け替えられたらイヴ的には応募してもかまわないと思っている。今日も今日とて深く深く眉間に渓谷のごとく刻まれた皺は取れそうにない。
イヴは自分の中では最高にキュートな角度で、扉を開いた家主に向かってにっこりと笑って首をかしげて見せた。
――と、同時に無情にも扉はイヴの目の前でばたん、と閉じた。
ひどい、あまりにもこれはひどすぎる。
「開けてよ、ねぇ、わたしだってどうしたらいいかわからないわ!」
「俺の方がわからねぇわ! おまえ何しでかしたんだよ!」
「わからない!」
イヴは背後を振り返る、憲兵達はもうすぐそこまで来ていた。
ああ、そうか、そういうことをするのか、そっちがそういう態度をとるならこっちにも考えはある。
すぐに扉に向き直ると、拳を固めてドアをどんどんと叩いた。周りに聞こえるように、声をめいっぱいに張り上げる。
「ひどい、ひどいよおじさん! わたし、おじさんに言われた通りにしただけなのに! 言うことを聞いた良い子のわたしを見捨てるの!? こんな事になったのはおじさんのせいよ!」
「とんでもねぇ濡れ衣きせんじゃねぇよ! 諸悪の根源はいつもおまえだ! 」
「わあ、おじさん、やっと開けてくれた! わたし信じてたわ! 今日もおひげがとってもチャーミングね!」
「白々しいわ! くそ」
開いた扉にすかさず自らの足と半身をねじ込みながら、イヴは感激したように手を組んでみせた。
イヴの作戦勝ちである。
ジルの眉間の皺はもはや渓谷を超えて深淵だが、そんなのことは知らない。先にいじわるをしたのはジルのほうなのだ。そのままぐいぐいと体を部屋の中へとねじ込む。
「おいこら、てめぇ……」
「早くしてったら! もう! 捕まっちゃうじゃないの!」
「俺が悪いのかよ!」
怒鳴りながらもイヴの大声に反応し、こちらに向かってくる連中の姿に気づいたのかジルは舌打ちを一つするとやっとイヴのことを迎え入れた。
ちなみにこの茶番は特別非常事態でなくてもイヴ達の間ではほぼほぼ毎回行われる。ジルは必ず一度はイヴの入室を拒む。なぜならジルははとても素直じゃない、スナオジャナイ星人だからだ。
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