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5,踏み出す先は前か後ろか
4,前進
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「ただいま帰りました~」
お土産も持ってご機嫌で、カヅキは我が家の扉を開けた。
ミヤマに対するお詫びに、とララからそれなりに上等な豚肉を貰ったので、今日はステーキにしても良いかも知れない。カヅキは食べられないが、ミヤマは喜ぶだろう。
そうやって浮かれていたから、カヅキは最初異変に気づかなかった。
「ミヤマさん、今日はねぇ、ご馳走ですよ」
暢気にそう告げながら台所に肉を持って行こうとそちらを見て、そこで初めて普段ならば帰宅の挨拶を返してくれるはずの相手が無言でいることに気がついた。
目の前で、ミヤマは背中を向けて立っている。
「……ミヤマさん?」
彼の逞しい背中が、無言のまま佇んでいる。その頭は僅かに俯き、手に何かを持っているようであった。
しばしの間を置いて、彼はゆっくりとこちらを振り返る。
カヅキを見るその瞳に映る感情は一体なんだろうか。わからないが、その紅がなんともいい知れない感情に覆われてこちらをねめつけるのに、カヅキはわずかに身構えつつも「どうしたんですか?」とかろうじて質問を投げかけた。
「そんな、怖い顔して……」
「いやね、考えていたんだよ。そうして思い出していた、ここ数日のことをね」
彼の暗い瞳が、こちらを静かに見据えた。
それだけで、カヅキは身動きが取れなくなるようだった。けれどその空気を誤魔化すように「へ、へー」と下手な相槌を打って、笑顔のまま前に踏み出す。
目指すは台所だ。
「何か、気になることでもありましたか?」
ミヤマの横を通って台所に荷物を置く。そうして振り返って、戸惑いつつもミヤマの前へと進み出た。
彼は、それをただ静かに見下ろしている。彼が黙って返事を寄こさないので、必然的にカヅキも黙ってしまう。
その沈黙に耐えられず、何か適当なことでも言おうとしたタイミングでやっと彼は言葉を発した。
「君は、講義の時に一言も口にしなかったね」
「はい?」
その唐突な、けれど冗談ではない重量を伴った言葉に、カヅキは浮かべかけた笑みを半笑いのまま崩して、怪訝そうに首を傾げる。
「何を」
「どうしたら、眷属は人間に戻れるのか」
けれど続けられた言葉にますますその表情を崩して、ぎくり、と身を固めた。それはカヅキがずっとうやむやにしてきたことだった。
「このことと、何か関係があるんじゃないのかい?」
「それ」
何も応えないカヅキにミヤマは手に持っていたものを見せた。それを見て息を飲む。慌てて胸元をまさぐる。
(……ない!)
では、それは、ミヤマが手にしているそれは、
「ベッドの下に落ちていたよ」
それは月をモチーフにしたロケットだった。カチリ、と音を立ててミヤマはそれを開く。
そこには、カヅキの家族の写真。
その内の一人、カヅキではない方の少年を指さして、彼は言った。
「こいつが、俺を吸血鬼にしたんだ」
「……待ってっ! 待ってください、ミヤマさん!!」
抗議の声は、当たり前のように無視された。
彼の硬質な声が静かな部屋に響く。
「寄生虫が人を吸血鬼に変えると君は言ったね。ならば、理屈の上ではその寄生虫を殺せば人間に戻れるはずだ」
彼はこつりとこちらに一歩近づいた。狭い部屋ではそれだけでカヅキは身動きが取れなくなる。背後は本棚だ。これ以上は下がれない。逃げ場もない。カヅキはただ呆然とミヤマを見上げることしか出来ない。
それは再現のようだった。初めて出会った時、目覚めたミヤマとカヅキが向かいあっていた時そのままだ。
けれど今のミヤマの目には、その当時の戸惑いはない。
あるのは剥き出しの敵意だけだ。
「真祖の場合は寄生虫とほぼ同一になってしまっていると君は言った。それはつまり、癒着してしまっているということじゃないのかい?」
どん、と強く、ミヤマの手がカヅキの頭の横で本棚を叩いた。カヅキのことを閉じ込めるように、覆い被さって見下ろしてくる。
「そして寄生虫は分裂して繁殖する。それには果たして更に分裂する能力があるのかな?」
それは一見カヅキの家族の件とは違うことを話しているように聞こえた。けれど、違う。彼は非常に遠回しにカヅキのことを責め立てている。
彼の手にしっかりと握られたままのロケットが、その証左だった。
「いいや、ないはずだ。眷属が更に眷属を作るなどという記載はどこにもなかった。真祖の中に宿る寄生虫と眷属の中に宿る寄生虫は同じものではない。君の話を真に受けるならば、明らかに真祖の中に宿る寄生虫の方が出来ることが多いということになる」
そこまで一息に告げて、彼は目をカヅキから逸らさぬまま、一度言葉を切った。
静かな紅の瞳の中で激しい感情がゆらゆらと揺らめくのが見えた。その視線が、逃がすつもりはないとカヅキに告げている。
「退治士と共に仕事をした時にこういう話を聞いたことがある。ただのおとぎ話だよ。昔々あるところに一人の男がいた」
相変わらず口調は優しいが、その声音は底冷えして恐ろしいものだった。
「彼はある日吸血鬼に襲われて自らも吸血鬼となった。けれどそのままでいることを許せなかった彼は、自身を吸血鬼にしたその真祖を殺したんだ。すると、不思議なことに男は人間へと戻ることができた。その物語はハッピーエンドだったんだ。それを聞いた時はさして気にもとめなかったんだけどね」
ぎりり、と音を立てて耳の横で拳が握られる音がした。しかしミヤマの表情はちらりとも変化しない。今にも倒れそうな蒼白な顔をして、目をそらせないままカヅキはただ死刑宣告を待つ。
「真祖の寄生虫が本体であり、眷属の中に宿るのは分身とは名ばかりのまがい物であるとするのならば、本体が死ねばそれも死ぬのでは?」
見下ろす瞳を間近で見つめたまま、カヅキは動けなかった。答えないカヅキに、ミヤマの表情がそこで初めて歪む。
「答えろ!」
左の鼓膜が震える。その破裂音がミヤマが本棚を再び叩いた音だと気づくのに時間がかかった。
カヅキにはもう、頷くことしかできない。
「……そうだよ」
カヅキの猫目が、わずかに滴を孕んで揺れた。けれどその目をそらさずに、肉食獣のように引き絞られたその金色の瞳孔を見つめる。
「真祖を殺せば、眷属は人間に戻れる。寄生虫が、完全に身体に融合してしまう前なら」
「それを俺に教えなかったのは、君が奴と関わりがあるからか」
カヅキはくぐもった嗚咽を喉でかみ殺した。泣きそうになる目元と口元にぐっと力を込める。
八重歯が唇を傷つけて、わずかに血の味がした。
「兄貴なんだ」
「俺のことを拾ったのはわざとか? 奴と画策して俺のことを懐柔しようとしたのか!」
「兄貴とはもうずっと会ってない!」
吐き出した声は、悲鳴のようだった。
「知らなかったんです、本当に。ミヤマさんの話を聞いた時、もしかしたらって、でも、確証なんてないし……」
けれど、真祖である兄ならば、ミヤマを吸血鬼に出来るとは考えていた。それに、
「兄貴はそんなことをする人じゃ……」
「確かにこいつだ! こいつが俺の里を襲い、家族を殺し、俺から人間を奪った!」
憤るミヤマを前に、カヅキの瞳からとうとう涙が一筋、堪えきれずに流れ落ちた。頬を伝い顎へと至ったそれが、小さな音を立てて床に落ちる。
それを拭うことも出来ずにぼやけた視界でミヤマの怒りを見つめたまま、カヅキは問いかけた。
「俺のことも殺しますか? 貴方を吸血鬼にした奴の、仇の弟だから」
途端にミヤマの瞳から怒りが抜け落ちた。驚愕したように目を丸め、ついで鋭く歪む。憎しみと苦しみの色が戻り、葛藤とその他全ての感情を混ぜ合わせたような苦悩で、彼は血を吐くように怒鳴った。
「殺すわけないだろう……っ!!」
殴りつけるような強さのその声にカヅキは身を固めた。燃え上がるような瞳でミヤマはカヅキを睨む。
「殺せるわけがないだろうっ、君を、君が……っ」
だん、と再び強くミヤマの拳は本棚を叩いた。その強さに本棚は揺れて数冊の本が床に落ちる。
それに顔も上げないで、ミヤマは呻いた。
「そんなことを言わないでくれ……っ」
ミヤマの腕がゆっくりと動いてカヅキの身を包みこむ。その手にはもうカヅキのことを傷つける意図はなかった。ただ、すがりつくように抱きしめられる。その力の強さよりも罪悪感でカヅキは押しつぶされそうだった。
(ああ、俺は本当にずるい)
こんなに純真で、優しい生真面目な人間を追い詰めるようなことをしてしまった。
「すみません」
謝っても許されるようなことではなかった。身内を亡くし、人間ではなくなったミヤマには、カヅキしか頼る当てがないのだ。
それを裏切るような立場で、カヅキはのうのうと過ごしていたのだ。
「ごめんなさい、ごめん」
ミヤマの背中へと手を回す。カヅキの腕ではその背中を一周することは出来なかったが、届く範囲で精一杯覆い、その服を掴む。するとミヤマの抱きしめる力が更に強くなったようだった。
「だが、君の兄のことは別だ。俺は奴を許すことは出来ない」
カヅキのことを抱きしめたまま、くぐもった声でミヤマは訴える。その声音からは一体どれほどの葛藤を抱いているのか計り知れなかった。抱きしめられる力の強さにため息を零しながら、カヅキは囁く。
「俺の兄貴は真祖の吸血鬼です。親父は兄貴を観察して吸血鬼の研究をしてました」
正確には兄だけではなかった。兄と交友関係にある吸血鬼達からも色々と情報を集めていたようである。
「兄貴はある日突然姿を消しました。元々気まぐれな所がある人だったから……、それを機に、俺も親父の家を出ました。それ以来兄貴にも親父にも会ってません。兄貴は、無意味に人を殺すような人じゃなかった。どちらかというとほとんどのことに無関心で、無気力で、大量の人間を殺すなんて、そんな面倒なことはしない人です」
もしもそんなことを本当にしたのだとしたら、それは、そうしなければならないよほどの理由があったのだろう。
一体何があればそのような必要性に駆られるのか、カヅキには予想もつかない。
「例えなんらかの事情があったとしても、里の皆を殺し俺のことを吸血鬼にしたのは確かに奴なんだ」
「確かにあんたを吸血鬼にしたのは兄貴なんでしょう」
カヅキはうなだれた。先送りにしていた問題を、解決しなければもうカヅキもミヤマもどこにもいけないのだと、気づき始めていた。
(――けれど)
瞳を細める。小さく息を吸い込むとミヤマを抱きしめた姿勢のまま、静かな声で低く突きつけた。
「でもあんた、俺の兄貴が里の人を殺したの見てないだろ」
その一言に、弾かれたようにミヤマが身体を引きはがす。カヅキの肩を掴んだまま、刃物のような目を金色に光らせて、こちらを睨んだ。
それをカヅキもまた、まんじりと見返す。
ミヤマが見たのは、死んでいる里の住人と、その先にいた兄の姿だけだ。状況だけを見れば非常に疑わしい。疑わしいが、兄が殺したのではなく、ただ通りすがっただけの可能性も十分に考えられた。
「思い込んでちゃ、だめですよ」
「……っ、だが、」
「確かめましょう」
もう、誤魔化すことは出来なかった。見て見ない振りも、先送りも。ならば、腹をくくって確認するしかない。
「俺を、兄貴と会った場所に連れてってください」
ミヤマでは気づけなくても、カヅキには気づけることがあるかも知れなかった。
お土産も持ってご機嫌で、カヅキは我が家の扉を開けた。
ミヤマに対するお詫びに、とララからそれなりに上等な豚肉を貰ったので、今日はステーキにしても良いかも知れない。カヅキは食べられないが、ミヤマは喜ぶだろう。
そうやって浮かれていたから、カヅキは最初異変に気づかなかった。
「ミヤマさん、今日はねぇ、ご馳走ですよ」
暢気にそう告げながら台所に肉を持って行こうとそちらを見て、そこで初めて普段ならば帰宅の挨拶を返してくれるはずの相手が無言でいることに気がついた。
目の前で、ミヤマは背中を向けて立っている。
「……ミヤマさん?」
彼の逞しい背中が、無言のまま佇んでいる。その頭は僅かに俯き、手に何かを持っているようであった。
しばしの間を置いて、彼はゆっくりとこちらを振り返る。
カヅキを見るその瞳に映る感情は一体なんだろうか。わからないが、その紅がなんともいい知れない感情に覆われてこちらをねめつけるのに、カヅキはわずかに身構えつつも「どうしたんですか?」とかろうじて質問を投げかけた。
「そんな、怖い顔して……」
「いやね、考えていたんだよ。そうして思い出していた、ここ数日のことをね」
彼の暗い瞳が、こちらを静かに見据えた。
それだけで、カヅキは身動きが取れなくなるようだった。けれどその空気を誤魔化すように「へ、へー」と下手な相槌を打って、笑顔のまま前に踏み出す。
目指すは台所だ。
「何か、気になることでもありましたか?」
ミヤマの横を通って台所に荷物を置く。そうして振り返って、戸惑いつつもミヤマの前へと進み出た。
彼は、それをただ静かに見下ろしている。彼が黙って返事を寄こさないので、必然的にカヅキも黙ってしまう。
その沈黙に耐えられず、何か適当なことでも言おうとしたタイミングでやっと彼は言葉を発した。
「君は、講義の時に一言も口にしなかったね」
「はい?」
その唐突な、けれど冗談ではない重量を伴った言葉に、カヅキは浮かべかけた笑みを半笑いのまま崩して、怪訝そうに首を傾げる。
「何を」
「どうしたら、眷属は人間に戻れるのか」
けれど続けられた言葉にますますその表情を崩して、ぎくり、と身を固めた。それはカヅキがずっとうやむやにしてきたことだった。
「このことと、何か関係があるんじゃないのかい?」
「それ」
何も応えないカヅキにミヤマは手に持っていたものを見せた。それを見て息を飲む。慌てて胸元をまさぐる。
(……ない!)
では、それは、ミヤマが手にしているそれは、
「ベッドの下に落ちていたよ」
それは月をモチーフにしたロケットだった。カチリ、と音を立ててミヤマはそれを開く。
そこには、カヅキの家族の写真。
その内の一人、カヅキではない方の少年を指さして、彼は言った。
「こいつが、俺を吸血鬼にしたんだ」
「……待ってっ! 待ってください、ミヤマさん!!」
抗議の声は、当たり前のように無視された。
彼の硬質な声が静かな部屋に響く。
「寄生虫が人を吸血鬼に変えると君は言ったね。ならば、理屈の上ではその寄生虫を殺せば人間に戻れるはずだ」
彼はこつりとこちらに一歩近づいた。狭い部屋ではそれだけでカヅキは身動きが取れなくなる。背後は本棚だ。これ以上は下がれない。逃げ場もない。カヅキはただ呆然とミヤマを見上げることしか出来ない。
それは再現のようだった。初めて出会った時、目覚めたミヤマとカヅキが向かいあっていた時そのままだ。
けれど今のミヤマの目には、その当時の戸惑いはない。
あるのは剥き出しの敵意だけだ。
「真祖の場合は寄生虫とほぼ同一になってしまっていると君は言った。それはつまり、癒着してしまっているということじゃないのかい?」
どん、と強く、ミヤマの手がカヅキの頭の横で本棚を叩いた。カヅキのことを閉じ込めるように、覆い被さって見下ろしてくる。
「そして寄生虫は分裂して繁殖する。それには果たして更に分裂する能力があるのかな?」
それは一見カヅキの家族の件とは違うことを話しているように聞こえた。けれど、違う。彼は非常に遠回しにカヅキのことを責め立てている。
彼の手にしっかりと握られたままのロケットが、その証左だった。
「いいや、ないはずだ。眷属が更に眷属を作るなどという記載はどこにもなかった。真祖の中に宿る寄生虫と眷属の中に宿る寄生虫は同じものではない。君の話を真に受けるならば、明らかに真祖の中に宿る寄生虫の方が出来ることが多いということになる」
そこまで一息に告げて、彼は目をカヅキから逸らさぬまま、一度言葉を切った。
静かな紅の瞳の中で激しい感情がゆらゆらと揺らめくのが見えた。その視線が、逃がすつもりはないとカヅキに告げている。
「退治士と共に仕事をした時にこういう話を聞いたことがある。ただのおとぎ話だよ。昔々あるところに一人の男がいた」
相変わらず口調は優しいが、その声音は底冷えして恐ろしいものだった。
「彼はある日吸血鬼に襲われて自らも吸血鬼となった。けれどそのままでいることを許せなかった彼は、自身を吸血鬼にしたその真祖を殺したんだ。すると、不思議なことに男は人間へと戻ることができた。その物語はハッピーエンドだったんだ。それを聞いた時はさして気にもとめなかったんだけどね」
ぎりり、と音を立てて耳の横で拳が握られる音がした。しかしミヤマの表情はちらりとも変化しない。今にも倒れそうな蒼白な顔をして、目をそらせないままカヅキはただ死刑宣告を待つ。
「真祖の寄生虫が本体であり、眷属の中に宿るのは分身とは名ばかりのまがい物であるとするのならば、本体が死ねばそれも死ぬのでは?」
見下ろす瞳を間近で見つめたまま、カヅキは動けなかった。答えないカヅキに、ミヤマの表情がそこで初めて歪む。
「答えろ!」
左の鼓膜が震える。その破裂音がミヤマが本棚を再び叩いた音だと気づくのに時間がかかった。
カヅキにはもう、頷くことしかできない。
「……そうだよ」
カヅキの猫目が、わずかに滴を孕んで揺れた。けれどその目をそらさずに、肉食獣のように引き絞られたその金色の瞳孔を見つめる。
「真祖を殺せば、眷属は人間に戻れる。寄生虫が、完全に身体に融合してしまう前なら」
「それを俺に教えなかったのは、君が奴と関わりがあるからか」
カヅキはくぐもった嗚咽を喉でかみ殺した。泣きそうになる目元と口元にぐっと力を込める。
八重歯が唇を傷つけて、わずかに血の味がした。
「兄貴なんだ」
「俺のことを拾ったのはわざとか? 奴と画策して俺のことを懐柔しようとしたのか!」
「兄貴とはもうずっと会ってない!」
吐き出した声は、悲鳴のようだった。
「知らなかったんです、本当に。ミヤマさんの話を聞いた時、もしかしたらって、でも、確証なんてないし……」
けれど、真祖である兄ならば、ミヤマを吸血鬼に出来るとは考えていた。それに、
「兄貴はそんなことをする人じゃ……」
「確かにこいつだ! こいつが俺の里を襲い、家族を殺し、俺から人間を奪った!」
憤るミヤマを前に、カヅキの瞳からとうとう涙が一筋、堪えきれずに流れ落ちた。頬を伝い顎へと至ったそれが、小さな音を立てて床に落ちる。
それを拭うことも出来ずにぼやけた視界でミヤマの怒りを見つめたまま、カヅキは問いかけた。
「俺のことも殺しますか? 貴方を吸血鬼にした奴の、仇の弟だから」
途端にミヤマの瞳から怒りが抜け落ちた。驚愕したように目を丸め、ついで鋭く歪む。憎しみと苦しみの色が戻り、葛藤とその他全ての感情を混ぜ合わせたような苦悩で、彼は血を吐くように怒鳴った。
「殺すわけないだろう……っ!!」
殴りつけるような強さのその声にカヅキは身を固めた。燃え上がるような瞳でミヤマはカヅキを睨む。
「殺せるわけがないだろうっ、君を、君が……っ」
だん、と再び強くミヤマの拳は本棚を叩いた。その強さに本棚は揺れて数冊の本が床に落ちる。
それに顔も上げないで、ミヤマは呻いた。
「そんなことを言わないでくれ……っ」
ミヤマの腕がゆっくりと動いてカヅキの身を包みこむ。その手にはもうカヅキのことを傷つける意図はなかった。ただ、すがりつくように抱きしめられる。その力の強さよりも罪悪感でカヅキは押しつぶされそうだった。
(ああ、俺は本当にずるい)
こんなに純真で、優しい生真面目な人間を追い詰めるようなことをしてしまった。
「すみません」
謝っても許されるようなことではなかった。身内を亡くし、人間ではなくなったミヤマには、カヅキしか頼る当てがないのだ。
それを裏切るような立場で、カヅキはのうのうと過ごしていたのだ。
「ごめんなさい、ごめん」
ミヤマの背中へと手を回す。カヅキの腕ではその背中を一周することは出来なかったが、届く範囲で精一杯覆い、その服を掴む。するとミヤマの抱きしめる力が更に強くなったようだった。
「だが、君の兄のことは別だ。俺は奴を許すことは出来ない」
カヅキのことを抱きしめたまま、くぐもった声でミヤマは訴える。その声音からは一体どれほどの葛藤を抱いているのか計り知れなかった。抱きしめられる力の強さにため息を零しながら、カヅキは囁く。
「俺の兄貴は真祖の吸血鬼です。親父は兄貴を観察して吸血鬼の研究をしてました」
正確には兄だけではなかった。兄と交友関係にある吸血鬼達からも色々と情報を集めていたようである。
「兄貴はある日突然姿を消しました。元々気まぐれな所がある人だったから……、それを機に、俺も親父の家を出ました。それ以来兄貴にも親父にも会ってません。兄貴は、無意味に人を殺すような人じゃなかった。どちらかというとほとんどのことに無関心で、無気力で、大量の人間を殺すなんて、そんな面倒なことはしない人です」
もしもそんなことを本当にしたのだとしたら、それは、そうしなければならないよほどの理由があったのだろう。
一体何があればそのような必要性に駆られるのか、カヅキには予想もつかない。
「例えなんらかの事情があったとしても、里の皆を殺し俺のことを吸血鬼にしたのは確かに奴なんだ」
「確かにあんたを吸血鬼にしたのは兄貴なんでしょう」
カヅキはうなだれた。先送りにしていた問題を、解決しなければもうカヅキもミヤマもどこにもいけないのだと、気づき始めていた。
(――けれど)
瞳を細める。小さく息を吸い込むとミヤマを抱きしめた姿勢のまま、静かな声で低く突きつけた。
「でもあんた、俺の兄貴が里の人を殺したの見てないだろ」
その一言に、弾かれたようにミヤマが身体を引きはがす。カヅキの肩を掴んだまま、刃物のような目を金色に光らせて、こちらを睨んだ。
それをカヅキもまた、まんじりと見返す。
ミヤマが見たのは、死んでいる里の住人と、その先にいた兄の姿だけだ。状況だけを見れば非常に疑わしい。疑わしいが、兄が殺したのではなく、ただ通りすがっただけの可能性も十分に考えられた。
「思い込んでちゃ、だめですよ」
「……っ、だが、」
「確かめましょう」
もう、誤魔化すことは出来なかった。見て見ない振りも、先送りも。ならば、腹をくくって確認するしかない。
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