やさしい吸血鬼の作り方

陸路りん

文字の大きさ
上 下
20 / 24
5,踏み出す先は前か後ろか

4,前進

しおりを挟む
「ただいま帰りました~」

 お土産も持ってご機嫌で、カヅキは我が家の扉を開けた。
 ミヤマに対するお詫びに、とララからそれなりに上等な豚肉を貰ったので、今日はステーキにしても良いかも知れない。カヅキは食べられないが、ミヤマは喜ぶだろう。
 そうやって浮かれていたから、カヅキは最初異変に気づかなかった。

「ミヤマさん、今日はねぇ、ご馳走ですよ」

 暢気にそう告げながら台所に肉を持って行こうとそちらを見て、そこで初めて普段ならば帰宅の挨拶を返してくれるはずの相手が無言でいることに気がついた。
 目の前で、ミヤマは背中を向けて立っている。

「……ミヤマさん?」

 彼の逞しい背中が、無言のまま佇んでいる。その頭は僅かに俯き、手に何かを持っているようであった。
 しばしの間を置いて、彼はゆっくりとこちらを振り返る。
 カヅキを見るその瞳に映る感情は一体なんだろうか。わからないが、その紅がなんともいい知れない感情に覆われてこちらをねめつけるのに、カヅキはわずかに身構えつつも「どうしたんですか?」とかろうじて質問を投げかけた。

「そんな、怖い顔して……」
「いやね、考えていたんだよ。そうして思い出していた、ここ数日のことをね」

 彼の暗い瞳が、こちらを静かに見据えた。
 それだけで、カヅキは身動きが取れなくなるようだった。けれどその空気を誤魔化すように「へ、へー」と下手な相槌を打って、笑顔のまま前に踏み出す。
 目指すは台所だ。

「何か、気になることでもありましたか?」

 ミヤマの横を通って台所に荷物を置く。そうして振り返って、戸惑いつつもミヤマの前へと進み出た。
 彼は、それをただ静かに見下ろしている。彼が黙って返事を寄こさないので、必然的にカヅキも黙ってしまう。
 その沈黙に耐えられず、何か適当なことでも言おうとしたタイミングでやっと彼は言葉を発した。

「君は、講義の時に一言も口にしなかったね」
「はい?」

 その唐突な、けれど冗談ではない重量を伴った言葉に、カヅキは浮かべかけた笑みを半笑いのまま崩して、怪訝そうに首を傾げる。

「何を」
「どうしたら、眷属は人間に戻れるのか」

 けれど続けられた言葉にますますその表情を崩して、ぎくり、と身を固めた。それはカヅキがずっとうやむやにしてきたことだった。

「このことと、何か関係があるんじゃないのかい?」
「それ」

 何も応えないカヅキにミヤマは手に持っていたものを見せた。それを見て息を飲む。慌てて胸元をまさぐる。

(……ない!)

 では、それは、ミヤマが手にしているそれは、

「ベッドの下に落ちていたよ」

 それは月をモチーフにしたロケットだった。カチリ、と音を立ててミヤマはそれを開く。
 そこには、カヅキの家族の写真。
 その内の一人、カヅキではない方の少年を指さして、彼は言った。

「こいつが、俺を吸血鬼にしたんだ」
「……待ってっ! 待ってください、ミヤマさん!!」

 抗議の声は、当たり前のように無視された。
 彼の硬質な声が静かな部屋に響く。

「寄生虫が人を吸血鬼に変えると君は言ったね。ならば、理屈の上ではその寄生虫を殺せば人間に戻れるはずだ」

 彼はこつりとこちらに一歩近づいた。狭い部屋ではそれだけでカヅキは身動きが取れなくなる。背後は本棚だ。これ以上は下がれない。逃げ場もない。カヅキはただ呆然とミヤマを見上げることしか出来ない。
 それは再現のようだった。初めて出会った時、目覚めたミヤマとカヅキが向かいあっていた時そのままだ。
 けれど今のミヤマの目には、その当時の戸惑いはない。
 あるのは剥き出しの敵意だけだ。

「真祖の場合は寄生虫とほぼ同一になってしまっていると君は言った。それはつまり、癒着してしまっているということじゃないのかい?」

 どん、と強く、ミヤマの手がカヅキの頭の横で本棚を叩いた。カヅキのことを閉じ込めるように、覆い被さって見下ろしてくる。

「そして寄生虫は分裂して繁殖する。それには果たして更に分裂する能力があるのかな?」

 それは一見カヅキの家族の件とは違うことを話しているように聞こえた。けれど、違う。彼は非常に遠回しにカヅキのことを責め立てている。
 彼の手にしっかりと握られたままのロケットが、その証左だった。

「いいや、ないはずだ。眷属が更に眷属を作るなどという記載はどこにもなかった。真祖の中に宿る寄生虫と眷属の中に宿る寄生虫は同じものではない。君の話を真に受けるならば、明らかに真祖の中に宿る寄生虫の方が出来ることが多いということになる」

 そこまで一息に告げて、彼は目をカヅキから逸らさぬまま、一度言葉を切った。
 静かな紅の瞳の中で激しい感情がゆらゆらと揺らめくのが見えた。その視線が、逃がすつもりはないとカヅキに告げている。

「退治士と共に仕事をした時にこういう話を聞いたことがある。ただのおとぎ話だよ。昔々あるところに一人の男がいた」

 相変わらず口調は優しいが、その声音は底冷えして恐ろしいものだった。

「彼はある日吸血鬼に襲われて自らも吸血鬼となった。けれどそのままでいることを許せなかった彼は、自身を吸血鬼にしたその真祖を殺したんだ。すると、不思議なことに男は人間へと戻ることができた。その物語はハッピーエンドだったんだ。それを聞いた時はさして気にもとめなかったんだけどね」

 ぎりり、と音を立てて耳の横で拳が握られる音がした。しかしミヤマの表情はちらりとも変化しない。今にも倒れそうな蒼白な顔をして、目をそらせないままカヅキはただ死刑宣告を待つ。

「真祖の寄生虫が本体であり、眷属の中に宿るのは分身とは名ばかりのまがい物であるとするのならば、本体が死ねばそれも死ぬのでは?」

 見下ろす瞳を間近で見つめたまま、カヅキは動けなかった。答えないカヅキに、ミヤマの表情がそこで初めて歪む。

「答えろ!」

 左の鼓膜が震える。その破裂音がミヤマが本棚を再び叩いた音だと気づくのに時間がかかった。
 カヅキにはもう、頷くことしかできない。

「……そうだよ」

 カヅキの猫目が、わずかに滴を孕んで揺れた。けれどその目をそらさずに、肉食獣のように引き絞られたその金色の瞳孔を見つめる。

「真祖を殺せば、眷属は人間に戻れる。寄生虫が、完全に身体に融合してしまう前なら」
「それを俺に教えなかったのは、君が奴と関わりがあるからか」

 カヅキはくぐもった嗚咽を喉でかみ殺した。泣きそうになる目元と口元にぐっと力を込める。
 八重歯が唇を傷つけて、わずかに血の味がした。

「兄貴なんだ」
「俺のことを拾ったのはわざとか? 奴と画策して俺のことを懐柔しようとしたのか!」
「兄貴とはもうずっと会ってない!」

 吐き出した声は、悲鳴のようだった。

「知らなかったんです、本当に。ミヤマさんの話を聞いた時、もしかしたらって、でも、確証なんてないし……」

 けれど、真祖である兄ならば、ミヤマを吸血鬼に出来るとは考えていた。それに、

「兄貴はそんなことをする人じゃ……」
「確かにこいつだ! こいつが俺の里を襲い、家族を殺し、俺から人間を奪った!」

 憤るミヤマを前に、カヅキの瞳からとうとう涙が一筋、堪えきれずに流れ落ちた。頬を伝い顎へと至ったそれが、小さな音を立てて床に落ちる。
 それを拭うことも出来ずにぼやけた視界でミヤマの怒りを見つめたまま、カヅキは問いかけた。

「俺のことも殺しますか? 貴方を吸血鬼にした奴の、仇の弟だから」

 途端にミヤマの瞳から怒りが抜け落ちた。驚愕したように目を丸め、ついで鋭く歪む。憎しみと苦しみの色が戻り、葛藤とその他全ての感情を混ぜ合わせたような苦悩で、彼は血を吐くように怒鳴った。

「殺すわけないだろう……っ!!」

 殴りつけるような強さのその声にカヅキは身を固めた。燃え上がるような瞳でミヤマはカヅキを睨む。

「殺せるわけがないだろうっ、君を、君が……っ」

 だん、と再び強くミヤマの拳は本棚を叩いた。その強さに本棚は揺れて数冊の本が床に落ちる。
 それに顔も上げないで、ミヤマは呻いた。

「そんなことを言わないでくれ……っ」

 ミヤマの腕がゆっくりと動いてカヅキの身を包みこむ。その手にはもうカヅキのことを傷つける意図はなかった。ただ、すがりつくように抱きしめられる。その力の強さよりも罪悪感でカヅキは押しつぶされそうだった。

(ああ、俺は本当にずるい)

 こんなに純真で、優しい生真面目な人間を追い詰めるようなことをしてしまった。

「すみません」

 謝っても許されるようなことではなかった。身内を亡くし、人間ではなくなったミヤマには、カヅキしか頼る当てがないのだ。
 それを裏切るような立場で、カヅキはのうのうと過ごしていたのだ。

「ごめんなさい、ごめん」

 ミヤマの背中へと手を回す。カヅキの腕ではその背中を一周することは出来なかったが、届く範囲で精一杯覆い、その服を掴む。するとミヤマの抱きしめる力が更に強くなったようだった。

「だが、君の兄のことは別だ。俺は奴を許すことは出来ない」

 カヅキのことを抱きしめたまま、くぐもった声でミヤマは訴える。その声音からは一体どれほどの葛藤を抱いているのか計り知れなかった。抱きしめられる力の強さにため息を零しながら、カヅキは囁く。

「俺の兄貴は真祖の吸血鬼です。親父は兄貴を観察して吸血鬼の研究をしてました」

 正確には兄だけではなかった。兄と交友関係にある吸血鬼達からも色々と情報を集めていたようである。

「兄貴はある日突然姿を消しました。元々気まぐれな所がある人だったから……、それを機に、俺も親父の家を出ました。それ以来兄貴にも親父にも会ってません。兄貴は、無意味に人を殺すような人じゃなかった。どちらかというとほとんどのことに無関心で、無気力で、大量の人間を殺すなんて、そんな面倒なことはしない人です」

 もしもそんなことを本当にしたのだとしたら、それは、そうしなければならないよほどの理由があったのだろう。
 一体何があればそのような必要性に駆られるのか、カヅキには予想もつかない。

「例えなんらかの事情があったとしても、里の皆を殺し俺のことを吸血鬼にしたのは確かに奴なんだ」
「確かにあんたを吸血鬼にしたのは兄貴なんでしょう」

 カヅキはうなだれた。先送りにしていた問題を、解決しなければもうカヅキもミヤマもどこにもいけないのだと、気づき始めていた。

(――けれど)

 瞳を細める。小さく息を吸い込むとミヤマを抱きしめた姿勢のまま、静かな声で低く突きつけた。

「でもあんた、俺の兄貴が里の人を殺したの見てないだろ」

 その一言に、弾かれたようにミヤマが身体を引きはがす。カヅキの肩を掴んだまま、刃物のような目を金色に光らせて、こちらを睨んだ。
 それをカヅキもまた、まんじりと見返す。
 ミヤマが見たのは、死んでいる里の住人と、その先にいた兄の姿だけだ。状況だけを見れば非常に疑わしい。疑わしいが、兄が殺したのではなく、ただ通りすがっただけの可能性も十分に考えられた。

「思い込んでちゃ、だめですよ」
「……っ、だが、」
「確かめましょう」

 もう、誤魔化すことは出来なかった。見て見ない振りも、先送りも。ならば、腹をくくって確認するしかない。

「俺を、兄貴と会った場所に連れてってください」

 ミヤマでは気づけなくても、カヅキには気づけることがあるかも知れなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒
ファンタジー
龍神の父と人間の母をもついまどきの女の子、天沢水緒。 古の世に倣い、15歳を成人とする龍神の掟にしたがって、水緒は龍のはみ出しもの──野良龍にならぬよう、修行をすることに。 動物眷属のウサギ、オオカミ、サル、タヌキ、使役龍の阿龍吽龍とともに、水緒が龍として、人として成長していく青春物語。 そのなかで蠢く何者かの思惑に、水緒は翻弄されていく。 和風現代ファンタジー×ラブコメ物語。

現代に生きる勇者の少年

マナピナ
ファンタジー
幼なじみの圭介と美樹。 美樹は心臓の病のため長い長い入院状態、美樹の兄勇斗と圭介はお互いを信頼しあってる間柄だったのだが、勇斗の死によって美樹と圭介の生活があり得ない方向へと向かい進んで行く。

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

平凡なサラリーマンのオレが異世界最強になってしまった件について

楠乃小玉
ファンタジー
上司から意地悪されて、会社の交流会の飲み会でグチグチ嫌味言われながらも、 就職氷河期にやっと見つけた職場を退職できないオレ。 それでも毎日真面目に仕事し続けてきた。 ある時、コンビニの横でオタクが不良に集団暴行されていた。 道行く人はみんな無視していたが、何の気なしに、「やめろよ」って 注意してしまった。 不良たちの怒りはオレに向く。 バットだの鉄パイプだので滅多打ちにされる。 誰も助けてくれない。 ただただ真面目に、コツコツと誰にも迷惑をかけずに生きてきたのに、こんな不条理ってあるか?  ゴキッとイヤな音がして意識が跳んだ。  目が覚めると、目の前に女神様がいた。  「はいはい、次の人、まったく最近は猫も杓子も異世界転生ね、で、あんたは何になりたいの?」  女神様はオレの顔を覗き込んで、そう尋ねた。 「……異世界転生かよ」

【完結】異世界で小料理屋さんを自由気ままに営業する〜おっかなびっくり魔物ジビエ料理の数々〜

櫛田こころ
ファンタジー
料理人の人生を絶たれた。 和食料理人である女性の秋吉宏香(あきよしひろか)は、ひき逃げ事故に遭ったのだ。 命には関わらなかったが、生き甲斐となっていた料理人にとって大事な利き腕の神経が切れてしまい、不随までの重傷を負う。 さすがに勤め先を続けるわけにもいかず、辞めて公園で途方に暮れていると……女神に請われ、異世界転移をすることに。 腕の障害をリセットされたため、新たな料理人としての人生をスタートさせようとした時に、尾が二又に別れた猫が……ジビエに似た魔物を狩っていたところに遭遇。 料理人としての再スタートの機会を得た女性と、猟りの腕前はプロ級の猫又ぽい魔物との飯テロスローライフが始まる!! おっかなびっくり料理の小料理屋さんの料理を召し上がれ?

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

25歳のオタク女子は、異世界でスローライフを送りたい

こばやん2号
ファンタジー
とある会社に勤める25歳のOL重御寺姫(じゅうおんじひめ)は、漫画やアニメが大好きなオタク女子である。 社員旅行の最中謎の光を発見した姫は、気付けば異世界に来てしまっていた。 頭の中で妄想していたことが現実に起こってしまったことに最初は戸惑う姫だったが、自身の知識と持ち前の性格でなんとか異世界を生きていこうと奮闘する。 オタク女子による異世界生活が今ここに始まる。 ※この小説は【アルファポリス】及び【小説家になろう】の同時配信で投稿しています。

処理中です...