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2.ST莉々子は帰りたい

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「まずは、貴様について尋ねようか」

 目の前の誘拐犯は、そう、口火を切った。
 剣はまだ、莉々子の首元に突き立ったままだ。
 どうやら、どけてくれる気はないらしい。

「何を……」
「そうだな、仕事についてなどはどうだ」

 物騒な凶器を手にしたまま、少年は悠々と問いかけてくる。
 椅子に腰掛けたままのその姿は、今にもお茶でも嗜みそうなぐらいに優雅だった。
 殺されかけているこちらの身を考慮して、もう少し緊張感を持って欲しいと思うのは贅沢だろうか。
 そんな莉々子の心境は無視して、少年は剣で莉々子の首元をつつき、返事を催促した。

「ST……言語聴覚士を、しています」

 緊張から、思わず口調が敬語に改まった。
 だって、命を握られている。
 冷静にならなくてはと思うのに、そう思えば思うほどに冷静さを欠いていくような心地がした。

「えすてぃー?」

 聞き慣れない言葉に、少年が首をひねる。
 その仕草に説明が足りなかったか、と乾いた唇をなめて、なんとか動かした。
 緊張から唾液が分泌されず、口の中はからからだった。

「STとは……、正式には、Speech Therapist、もしくは、Speech Language Hearing Therapistと言い、その名の通り、嚥下機能、音声機能、言語機能または聴覚に障害のある方にその機能の維持向上を図るために、訓練や、それに必要な検査及び助言、そのほか……、可能な限りの援助などを行う仕事です」

 思いついた単語を羅列したような説明になる。
 実際に、頭の中は空回りして、大学生の時に読んだ教科書の言葉を総動員しなくては、単語ひとつ思い浮かばない状態だった。

「待て待て」

 ユーゴは片手を突き出して、その莉々子の辞書のような解説を止めた。

「貴様の話し方は小難しくて頭が凝る」

 わざとらしく頭に手を当てて頭の凝りをほぐすような真似をすると、ユーゴは胸をはって、「俺を誰だと思っている」と厳かに告げた。
莉々子は働かない頭のまま、ぼんやりとその少年を見上げる。

「齢13歳の少年だぞ!」

 その堂々としたその口調は、重々しかった。

「13歳の小僧にもわかるようにかみ砕いて説明しろ」

 だったら、齢13歳のガキだと忘れさせるようなその尊大な態度を今すぐ止めてくれ。
 などとは、当然口が裂けても言えず、「はぁ」と曖昧な相槌を打つに留めた。
 そんなことが言えていたら、莉々子の人生の苦難の7割は解決しているのである。
 しかしまぁ、そのあんまりな発言に、少し、――緊張はほぐれた気さえする。
 曖昧な相槌を吐き出すのと共に、肩の力が抜けたのを感じた。
 心なしか、口の中に潤いが戻ってきたような気がする。
 まさか、そんな心境の変化までもを見透かして、そのようなおどけた態度をとったわけではあるまいが、と思いつつ、ちらり、と目線でユーゴの様子をうかがうと、にんまりとした不敵な笑みで返された。
 少し、気まずい気持ちだが、とりあえず今は、説明を噛み砕くことに終始することにする。
 莉々子はようやっと分泌され始めた唾液をこくん、と飲み込む。

「ええと、つまり、病気になってしまって、まぁ、例えば、脳出血とか、脳梗塞とか……うーんと、頭の病気とか怪我とかした方がその損傷、……傷の影響でいろいろ身体に不調をきたした時に、リハビリ……じゃなくて、えっと、その、怪我の影響で低下してしまった能力を可能な限り改善するようにするための訓練のお手伝いをさせていただく仕事のうちの一つです。3種類あるんですが、STはそのうち、首から上の障害……、話せなくなったり、食べれなくなったり、その他もろもろ、脳の障害、ええと、記憶障害とか、集中力が続かなくなってしまったりとか、そういう口とか脳とかの練習の担当です」

 莉々子のその説明に、ユーゴは尊大に頷いた。

「まぁまぁだな」

 うるせぇ。
 こちとらとんでもなくマイナーな職業を異世界人に説明するなんて初めてなんだよ。
 誘拐犯が偉そうに言うな。

「つまり、医学に関わる人間か」
「そうですね、かすってますね」

 莉々子はもう、若干投げやりだ。
 医者や看護師よりかは、治療という行為からは若干遠い位置にいる職業だ。
 治療が落ち着いてからが本番な仕事である。
 もちろん、治療の落ち着いていない段階からの介入が多いため、無縁でもいられないのだが。
 その辺りの説明は更に面倒くさいので、莉々子はすべてを横に置いて肯定を返すのみにした。
 「ふぅん?」とユーゴは怪訝そうに首をひねるが、今はそれ以上追求するつもりがなかったのか、あっさりと引き下がる。

「まぁ、細かく聞きたい気持ちはあるが、少々時間がかかりそうだな。追々確認していくことにしよう」

 叶うのならば、そのような追々詳細な説明をするはめになる前に、莉々子は元の世界に帰りたい。
 しかし、それは叶わないのだろう。
 帰れる可能性が万が一に等しいことは、状況や立場から考えても、火を見るよりも明らかだった。
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