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1プロローグ
英雄からの求婚
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その時、高らかにファンファーレが鳴り響いた。
一瞬で空気が切り替わり、自然と会場中の視線が奥に位置する壇上へと向けられた。
長ったらしい口上が始まったのを皮切りに、会場にいる者達は皆、姿勢を正して王族の登場を待ち構える。
これから、祝勝会が本格的に始まるのだ。
ジュリアはちらり、と会場の端へと目線を走らせた。
そこにはりりしい騎士の正装を身に纏った体格の良い男達の群れがあった。
そのうちの一人と、不意に目が合う。
男は翡翠色の瞳を嬉しそうに細めると、にこりと笑いかけてきた。
ジュリアは親しみの籠もったその仕草を怪訝に思いつつも、軽くそれに会釈を返す。
彼らは、魔王を倒した英雄達だった。
魔王討伐の一報に周囲が沸き立ったのは、今から丁度一月ほど前のことだ。
奇しくもそれはジュリアの20歳の誕生日の2月前のことだった。
毎年ジュリアの誕生日は領地全体で盛大に祝われる。
これはジュリアが決めたことではなく、領民達による自主的な行動によって恒例となったイベントだ。
そもそもジュリアが伯爵位を継いだ直後は金もろくになく、正直不作なことも多かった。そのため使用人達とひっそりと簡素なパンケーキで祝うことが多かったのだが、ジュリアの政策が当たり領地が潤っていくに従って、領民達が感謝の意を示して祝うようになっていったのだ。
いつしか一月前から街中が準備をし始め、前後一週間にわたりお祭り騒ぎをするような一大イベントにまで成長した。
この時期は観光客もとんでもなく増えるため領地の収入的にもジュリアにとっては大変に嬉しいイベントである。
ちなみにいつからか最終日にジュリアが伯爵邸の2階の窓からスピーチするようになったのだが、その際は街中に届くように領地内に数多に設置されたスピーカーに受信機へ話した言葉が届くという魔法を利用した遠隔通信装置も使用しながら行っていた。そのため別にその場に居合わせなくても言葉自体は聞けるのだが、ジュリアが受け狙いで毎年仮装をして登場するため伯爵邸の窓が見れる広場は毎年かなりの賑わいを見せていて交通整備も一苦労だ。去年は芋虫の仮装をして大層似合うと評判だった。己の脂肪による三段腹を生かしたぴっちりとした衣装による堂々とした芋虫ぐあいが勝因であるとジュリアは睨んでいる。
しかし、魔王が討伐されたとなればそれは一端置いておいてイベントは討伐の祝勝会に差し替えた方が良さそうだ、とジュリアは脳内で電卓を弾く。
なにせ、魔王たる黒竜を倒したのは我がレーゼルバール領の人間なのだ。
「お嬢様、国王陛下より、国で行う祝勝会の招待状が届いております」
「ああ、そうね、そっちもあったわね」
領地の人間が英雄である以上、その領主であるジュリアが招待されるのは当然のことだ。
そうでなくても、ある程度主要な貴族達には招待状が届いていることだろう。
「どういたしましょう、お嬢様。突然のことですから、ドレスがありませんわ」
途方に暮れたようにそう口にした侍女の目線の先には生誕祭で着る予定だった仮装衣装が吊されていた。
今回のテーマはずばり、牛だ。
本物の牛の毛皮を使用して、腹側だけはピンクの布地で牛の乳がコミカルに再現されていた。
触るとぶにぶにと弾む感覚が個人的にはお気に入りだ。
しかし、侍女のロザンナのじと目はこんなものを作っているから新しいドレスがないのだとでも言わんばかりであった。
「んんぅ」とジュリアは誤魔化すように咳払いをした。新しいドレスなど用がなければ仕立てないのだから、この牛を作っていなくてもおそらくなかったのだろうが、こればっかりはジュリアの完全なる趣味なだけに分が悪い。
ちなみに牛のほうがドレスよりもどう見積もってもかなり安価なのだが、それを今言ったところでなんの弁解にもならないだろう。
「古いのをリメイクすれば良いんじゃないかしら」
「そんな、国の祝勝会ですのに……」
「誰も私のドレスなんて見ていないわよ。色と多少の装飾を変えればバレないわ。それにここ最近は魔王のせいで節制していてどこも似たようなものよ」
「でも……」
「大丈夫大丈夫」
金のない貴族は皆やっていることだ。
シーズンごとに新しいドレスを作るのが本当は望ましいのだが、出費が正直馬鹿にならない。
ジュリアの治めるレーゼルバールはかなり裕福な方だが、魔王が出現してからは防衛に備えるためにそういったことは控えていた。
ドレスなんぞに使う金があるのならば、塀や砦の建設や魔物の活性化で狩りに行けなかったり仕事に支障をきたすものへの保障に回すほうが遥かに有用だからだ。
もちろん、その当たりの裁量は領主によってばらつきはあるのだが魔王が出現した以上、ある意味当たり前の措置である。
魔王というのは数十年に一度現われるかどうかという有害指定魔獣のことである。指定は主にその魔獣の持つ魔力の高さと脅威、そして実際に与えられた被害の量によって行われる。今回の黒竜は現状では黒竜自体が動いて及ぼした被害は少ないのだが、知性がかなり高く統率力に優れ、他の魔獣を操ることで間接的に及ぼされた被害とそれによって今後及ぼされるであろう被害から魔王指定を受けたものであった。
その魔王が倒されたのだ。
「祝勝会なんていってもパーティーをするわけじゃないわ。勇敢に戦った戦士達に国王からの感謝の言葉とご褒美を与えるための祭典を行うだけで、私達貴族はその周囲で適当なタイミングで拍手喝采するのが役割なの。今回とどめを刺した英雄殿がうちの領地の人間だから、多少はお褒めの言葉をいただくかも知れないけど、おまけ程度にちょろっと声をかけられる程度よ。ほとんど存在感なんてないんだから」
その体格で存在感がないなんてあると思っているのか、というロザンナの辛辣な視線はまるっと無視して、ジュリアは楽天的に朗らかに笑った。
そう、その時のジュリアは予想もしていなかったのである。
まさかその祝勝会で、自分がとんでもない窮地に立たされることになろうなどとは。
ゆっくりと、国王が壇上へと上がる。
その隣には王妃が、その少し下の段には王女と王子が控えるようにして立っていた。
王は目線で周囲の様子を確認すると、ゆっくりと玉座へとその身を据えた。
王妃、王子、王女がそれにならって腰を下ろす。
「本日は、紳士淑女の皆にお集まりいただき、誠に光栄だ。これが一体何のためのパーティーなのかは今更説明する必要もないだろう」
それなりに老齢なはずだがそれを感じさせない朗々とした声音の国王はにんまりと笑った。
「不要な賛美も、長ったらしいご託も、不遜な物言いもすべて不要だ。さっそく本題へと入ろう。この度、魔王討伐へと赴き、見事その偉業を成し遂げて見せた英雄達に盛大な拍手を!」
言葉の通りに、会場は拍手喝采で埋め尽くされた。
司会の合図で会場隅に控えていた騎士達が国王の前へと進み出ると全員そろい整列して並ぶ。
その先頭に立つのは当然、この度の立役者ルディ・レナードだ。
黒曜石のように美しい黒髪は豊かに波打ちその背中へと流れ、翡翠の瞳は切れ長で、36という年齢相応の老いはあるものの精悍な顔立ちは賞賛に値するほどには整っていた。
ずば抜けて美しいわけではないが、その高身長やよく鍛えられた均整のとれた体格も相まって美形と呼んでも遜色ない男である。
髪の色と同じ漆黒の鎧に身をつつみ、王の眼前に恭しく膝を付いて頭を垂れるその優雅な所作に、見ていた観衆は感嘆のため息をもらした。
「よくぞ無事に帰ってきてくれた! 勇者達よ!」
大仰な仕草で国王は告げる。
そして、厳かな声でルディの名を呼ばわった。
それに答えルディは恐縮しつつも顔を上げる。
「報償に何を望むか」
皆が、王のその問いかけに対する英雄の答えを待ちわびて注視し耳を澄ました。
それというのもこの質問は定型的なもので、皆がこの質問がされることを事前に知っていたからだ。
それと同時に事前に周知されていたこともあった。
元来、この国では何かしらの功績に対する報酬は3種類と決まっている。
一つは金銭。二つ目は身分。そうして三つ目は婚姻の権利。
これは過去に剣で身を立てこの国の危機を救ったとされる勇者がその当時承ったものがこの三つだったことから始まったと言われている。
その三つのうちのいくつが与えられるかはその功績の内容によって変わり、だいたいにおいて報酬が一つの場合は金銭を、二つの場合はそれにプラスして身分、そして三つ全てが与えられる場合にのみ婚姻の権利が与えられた。
婚姻の権利とは。
もちろん目立った功績を立てた人間でなくても結婚することはできる。ここで言う婚姻の権利とは身分や金銭、その他なにかしらの障害があり本来なら認められない婚姻を結ぶ権利を与えるということだ。
そして今回は竜王討伐という異例の偉業を成し遂げたことにより、当然のようにその三つ全ての報酬が与えられることが事前に周知されていた。
そして金銭も身分も与えられる量はもうすでに決まっている。つまり先程の国王の問いはその文字通りではなく、遠回しに「一体誰との婚姻を望むか」と問いかけていたのである。
そしてその質問の答えを、この場にいる誰もが胸を高鳴らせて待っていたのである。
これには理由がある。
ルディは平民出身であったが、魔王討伐以前から優秀な騎士として有名であった。
騎士には貴族出身の正騎士と平民出身の準騎士があり、実力次第では平民出身でも正騎士に出世し、それと同時に貴族としての爵位を得ることが可能であった。
平民であるルディは当然準騎士である。しかしその実力から、必ず正騎士になるであろうと囁かれる逸材であった。
実際、魔王討伐戦が始まってからいくらでも正騎士に昇格できそうな手柄を立てていたが、討伐が終了するまでは昇進式もそれを検討するための議会を開くことも出来ず、保留となっていたのだ。
つまり、これは誰もが待ち望んでいたことであり、貴族達はずっと目を光らせていたのである。
貴族入り確実で、実力が確かな英雄の妻の座を。
討伐中、何も常に遠征に出ていたわけではない。
魔王の居場所は判明していたし、それとは別に出没する魔物の討伐も請け負っていたため、魔王に挑む準備が整うまでは王都と討伐先とを行ったり来たりしていたのである。
物資や魔王と戦うための基地の建設などが済み、準備が整ったところでやっと魔王へと挑んだのだ。
そうして何度か王都と魔物討伐を繰り返している間にルディ・レナードの名声は広がり、貴族達も我先に自分の娘の婿にしようと隙あらば接触を繰り返していたのである。
鍛錬中に年頃の娘を伴って差し入れに行ったり、つかの間の休息の時間にお茶に招待したり、中には魔物討伐に自らの娘を同伴させるという猛者もいた。
もちろん、役に立たない場合は当然断られていたようだが。
それもあり、魔物討伐に従軍した者の中には女性もちらほらいたようだ。
当然、英雄の妻の座を狙っていたのは貴族だけではない。
平民出身で討伐に参加している者の中や、旅の道中で宿として場所を提供した者、討伐の際に命を救ってもらった者などの中にもその座を狙う者が無数に存在した。
それというのも旅の道中、ルディ・レナード自らが溢した言葉があったのだ。
仲間の「討伐後はどうする?」という問いかけに対して「結婚したい」と答えたのだ。
その相手が一体誰なのかと各地で憶測を生み、そしてその“討伐後に結婚”という言葉からおそらく相手は身分が上の者なのではないか、と噂されたのである。
手柄を立てて貴族にならねば婚姻出来ぬ相手。
だから、美丈夫にも関わらず、この歳まで独身を貫いていたのではないか。
だからこそ、身に覚えのないご令嬢も、接触があったご令嬢も、頑張って接触を図っていたご令嬢も、自分が選ばれるのではないかと期待に胸を膨らませてこの時を待ちわびていたのである。
(まぁでも、大本命は王女殿下でしょうけど)
扇で自らの顔を隠しながら、ジュリアはちらり、と壇上の王女を見た。
豊かな銀色の髪に美しい金の瞳。肌は雪のように白く透き通り、頬は薔薇のようにほのかに色づいていた。
薔薇をモチーフにした青と銀のドレスがその華奢な肢体を美しく包み込み、身に飾った宝石すらも王女のその可憐さと美しさを引き立てる材料であった。
ジュリアよりも歳は確か4つほど下の16歳だったはずだ。
まさに、花盛りな年頃である。
ルディとは年齢は20歳ほど離れているが、まぁ、ありえないほど離れているわけではないし、王女と英雄が懇意なのはよく知られた話だった。
つまり、そのいずれを与えても構わないと思われる程度には、ルディは優れた英雄であるのだ。
(二人が並ぶところはさぞかし絵になるでしょうねぇ)
ちなみに裏では一体誰が求婚されるか賭け事も行われているのだが、ジュリアは面白みもなく王女に賭けた。
大穴と面白枠でジュリアの名前も挙がっていたが、投票したのはジュリアの身内である侍従達だけだ。
まるっきり外野のジュリアは周りの女性の緊張感や期待などとは無縁の状態でのんびりと心穏やかに英雄の発言を待った。
気分は物見遊山の野次馬親父である。
(たいして率が良くないから王女が選ばれてもあまり儲かんないのよねー)
ばっさばっさと扇で自身を仰ぎながら待つ。
英雄殿は、伏せていた翡翠色の瞳を神妙にあげた。
桜色の薄い唇が、吐息を漏らす。
会場中から固唾をのむ音が聞こえてくるようだった。
「俺に、ジュリア様に求婚をする権利をいただきたいのです」
一瞬、時が止まった。
一体何を言われたのかがわからなかったからだ。
ジュリア自身も、果たして自分と同じ名前の年頃の令嬢がいただろうか? と首を傾げた。
左を見る。右を見る。
周囲の視線が一斉にジュリアへと集中していた。
(あ、私……?)
気がつくと、英雄殿の視線もこちらを向いていた。
その翡翠色の瞳は期待と興奮にきらきらと輝いている。
思わずその視線と目を合わせると、扇で自分自身を指さして、私? と確認を取ってしまった。
英雄殿は、きらきらとした瞳のまま、しっかりと頷いた。
どうやら、ジュリアとはジュリアのことであるらしい。
再び左右を見渡すが、誰もその事実を否定してくれるような人物はいないようだった。
ジュリアは天を振り仰ぎ、額に手に持っていた扇を当てた。
見上げた天井では憎らしいほどに美しくシャンデリアが瞬き、目が眩むようだった。
一瞬で空気が切り替わり、自然と会場中の視線が奥に位置する壇上へと向けられた。
長ったらしい口上が始まったのを皮切りに、会場にいる者達は皆、姿勢を正して王族の登場を待ち構える。
これから、祝勝会が本格的に始まるのだ。
ジュリアはちらり、と会場の端へと目線を走らせた。
そこにはりりしい騎士の正装を身に纏った体格の良い男達の群れがあった。
そのうちの一人と、不意に目が合う。
男は翡翠色の瞳を嬉しそうに細めると、にこりと笑いかけてきた。
ジュリアは親しみの籠もったその仕草を怪訝に思いつつも、軽くそれに会釈を返す。
彼らは、魔王を倒した英雄達だった。
魔王討伐の一報に周囲が沸き立ったのは、今から丁度一月ほど前のことだ。
奇しくもそれはジュリアの20歳の誕生日の2月前のことだった。
毎年ジュリアの誕生日は領地全体で盛大に祝われる。
これはジュリアが決めたことではなく、領民達による自主的な行動によって恒例となったイベントだ。
そもそもジュリアが伯爵位を継いだ直後は金もろくになく、正直不作なことも多かった。そのため使用人達とひっそりと簡素なパンケーキで祝うことが多かったのだが、ジュリアの政策が当たり領地が潤っていくに従って、領民達が感謝の意を示して祝うようになっていったのだ。
いつしか一月前から街中が準備をし始め、前後一週間にわたりお祭り騒ぎをするような一大イベントにまで成長した。
この時期は観光客もとんでもなく増えるため領地の収入的にもジュリアにとっては大変に嬉しいイベントである。
ちなみにいつからか最終日にジュリアが伯爵邸の2階の窓からスピーチするようになったのだが、その際は街中に届くように領地内に数多に設置されたスピーカーに受信機へ話した言葉が届くという魔法を利用した遠隔通信装置も使用しながら行っていた。そのため別にその場に居合わせなくても言葉自体は聞けるのだが、ジュリアが受け狙いで毎年仮装をして登場するため伯爵邸の窓が見れる広場は毎年かなりの賑わいを見せていて交通整備も一苦労だ。去年は芋虫の仮装をして大層似合うと評判だった。己の脂肪による三段腹を生かしたぴっちりとした衣装による堂々とした芋虫ぐあいが勝因であるとジュリアは睨んでいる。
しかし、魔王が討伐されたとなればそれは一端置いておいてイベントは討伐の祝勝会に差し替えた方が良さそうだ、とジュリアは脳内で電卓を弾く。
なにせ、魔王たる黒竜を倒したのは我がレーゼルバール領の人間なのだ。
「お嬢様、国王陛下より、国で行う祝勝会の招待状が届いております」
「ああ、そうね、そっちもあったわね」
領地の人間が英雄である以上、その領主であるジュリアが招待されるのは当然のことだ。
そうでなくても、ある程度主要な貴族達には招待状が届いていることだろう。
「どういたしましょう、お嬢様。突然のことですから、ドレスがありませんわ」
途方に暮れたようにそう口にした侍女の目線の先には生誕祭で着る予定だった仮装衣装が吊されていた。
今回のテーマはずばり、牛だ。
本物の牛の毛皮を使用して、腹側だけはピンクの布地で牛の乳がコミカルに再現されていた。
触るとぶにぶにと弾む感覚が個人的にはお気に入りだ。
しかし、侍女のロザンナのじと目はこんなものを作っているから新しいドレスがないのだとでも言わんばかりであった。
「んんぅ」とジュリアは誤魔化すように咳払いをした。新しいドレスなど用がなければ仕立てないのだから、この牛を作っていなくてもおそらくなかったのだろうが、こればっかりはジュリアの完全なる趣味なだけに分が悪い。
ちなみに牛のほうがドレスよりもどう見積もってもかなり安価なのだが、それを今言ったところでなんの弁解にもならないだろう。
「古いのをリメイクすれば良いんじゃないかしら」
「そんな、国の祝勝会ですのに……」
「誰も私のドレスなんて見ていないわよ。色と多少の装飾を変えればバレないわ。それにここ最近は魔王のせいで節制していてどこも似たようなものよ」
「でも……」
「大丈夫大丈夫」
金のない貴族は皆やっていることだ。
シーズンごとに新しいドレスを作るのが本当は望ましいのだが、出費が正直馬鹿にならない。
ジュリアの治めるレーゼルバールはかなり裕福な方だが、魔王が出現してからは防衛に備えるためにそういったことは控えていた。
ドレスなんぞに使う金があるのならば、塀や砦の建設や魔物の活性化で狩りに行けなかったり仕事に支障をきたすものへの保障に回すほうが遥かに有用だからだ。
もちろん、その当たりの裁量は領主によってばらつきはあるのだが魔王が出現した以上、ある意味当たり前の措置である。
魔王というのは数十年に一度現われるかどうかという有害指定魔獣のことである。指定は主にその魔獣の持つ魔力の高さと脅威、そして実際に与えられた被害の量によって行われる。今回の黒竜は現状では黒竜自体が動いて及ぼした被害は少ないのだが、知性がかなり高く統率力に優れ、他の魔獣を操ることで間接的に及ぼされた被害とそれによって今後及ぼされるであろう被害から魔王指定を受けたものであった。
その魔王が倒されたのだ。
「祝勝会なんていってもパーティーをするわけじゃないわ。勇敢に戦った戦士達に国王からの感謝の言葉とご褒美を与えるための祭典を行うだけで、私達貴族はその周囲で適当なタイミングで拍手喝采するのが役割なの。今回とどめを刺した英雄殿がうちの領地の人間だから、多少はお褒めの言葉をいただくかも知れないけど、おまけ程度にちょろっと声をかけられる程度よ。ほとんど存在感なんてないんだから」
その体格で存在感がないなんてあると思っているのか、というロザンナの辛辣な視線はまるっと無視して、ジュリアは楽天的に朗らかに笑った。
そう、その時のジュリアは予想もしていなかったのである。
まさかその祝勝会で、自分がとんでもない窮地に立たされることになろうなどとは。
ゆっくりと、国王が壇上へと上がる。
その隣には王妃が、その少し下の段には王女と王子が控えるようにして立っていた。
王は目線で周囲の様子を確認すると、ゆっくりと玉座へとその身を据えた。
王妃、王子、王女がそれにならって腰を下ろす。
「本日は、紳士淑女の皆にお集まりいただき、誠に光栄だ。これが一体何のためのパーティーなのかは今更説明する必要もないだろう」
それなりに老齢なはずだがそれを感じさせない朗々とした声音の国王はにんまりと笑った。
「不要な賛美も、長ったらしいご託も、不遜な物言いもすべて不要だ。さっそく本題へと入ろう。この度、魔王討伐へと赴き、見事その偉業を成し遂げて見せた英雄達に盛大な拍手を!」
言葉の通りに、会場は拍手喝采で埋め尽くされた。
司会の合図で会場隅に控えていた騎士達が国王の前へと進み出ると全員そろい整列して並ぶ。
その先頭に立つのは当然、この度の立役者ルディ・レナードだ。
黒曜石のように美しい黒髪は豊かに波打ちその背中へと流れ、翡翠の瞳は切れ長で、36という年齢相応の老いはあるものの精悍な顔立ちは賞賛に値するほどには整っていた。
ずば抜けて美しいわけではないが、その高身長やよく鍛えられた均整のとれた体格も相まって美形と呼んでも遜色ない男である。
髪の色と同じ漆黒の鎧に身をつつみ、王の眼前に恭しく膝を付いて頭を垂れるその優雅な所作に、見ていた観衆は感嘆のため息をもらした。
「よくぞ無事に帰ってきてくれた! 勇者達よ!」
大仰な仕草で国王は告げる。
そして、厳かな声でルディの名を呼ばわった。
それに答えルディは恐縮しつつも顔を上げる。
「報償に何を望むか」
皆が、王のその問いかけに対する英雄の答えを待ちわびて注視し耳を澄ました。
それというのもこの質問は定型的なもので、皆がこの質問がされることを事前に知っていたからだ。
それと同時に事前に周知されていたこともあった。
元来、この国では何かしらの功績に対する報酬は3種類と決まっている。
一つは金銭。二つ目は身分。そうして三つ目は婚姻の権利。
これは過去に剣で身を立てこの国の危機を救ったとされる勇者がその当時承ったものがこの三つだったことから始まったと言われている。
その三つのうちのいくつが与えられるかはその功績の内容によって変わり、だいたいにおいて報酬が一つの場合は金銭を、二つの場合はそれにプラスして身分、そして三つ全てが与えられる場合にのみ婚姻の権利が与えられた。
婚姻の権利とは。
もちろん目立った功績を立てた人間でなくても結婚することはできる。ここで言う婚姻の権利とは身分や金銭、その他なにかしらの障害があり本来なら認められない婚姻を結ぶ権利を与えるということだ。
そして今回は竜王討伐という異例の偉業を成し遂げたことにより、当然のようにその三つ全ての報酬が与えられることが事前に周知されていた。
そして金銭も身分も与えられる量はもうすでに決まっている。つまり先程の国王の問いはその文字通りではなく、遠回しに「一体誰との婚姻を望むか」と問いかけていたのである。
そしてその質問の答えを、この場にいる誰もが胸を高鳴らせて待っていたのである。
これには理由がある。
ルディは平民出身であったが、魔王討伐以前から優秀な騎士として有名であった。
騎士には貴族出身の正騎士と平民出身の準騎士があり、実力次第では平民出身でも正騎士に出世し、それと同時に貴族としての爵位を得ることが可能であった。
平民であるルディは当然準騎士である。しかしその実力から、必ず正騎士になるであろうと囁かれる逸材であった。
実際、魔王討伐戦が始まってからいくらでも正騎士に昇格できそうな手柄を立てていたが、討伐が終了するまでは昇進式もそれを検討するための議会を開くことも出来ず、保留となっていたのだ。
つまり、これは誰もが待ち望んでいたことであり、貴族達はずっと目を光らせていたのである。
貴族入り確実で、実力が確かな英雄の妻の座を。
討伐中、何も常に遠征に出ていたわけではない。
魔王の居場所は判明していたし、それとは別に出没する魔物の討伐も請け負っていたため、魔王に挑む準備が整うまでは王都と討伐先とを行ったり来たりしていたのである。
物資や魔王と戦うための基地の建設などが済み、準備が整ったところでやっと魔王へと挑んだのだ。
そうして何度か王都と魔物討伐を繰り返している間にルディ・レナードの名声は広がり、貴族達も我先に自分の娘の婿にしようと隙あらば接触を繰り返していたのである。
鍛錬中に年頃の娘を伴って差し入れに行ったり、つかの間の休息の時間にお茶に招待したり、中には魔物討伐に自らの娘を同伴させるという猛者もいた。
もちろん、役に立たない場合は当然断られていたようだが。
それもあり、魔物討伐に従軍した者の中には女性もちらほらいたようだ。
当然、英雄の妻の座を狙っていたのは貴族だけではない。
平民出身で討伐に参加している者の中や、旅の道中で宿として場所を提供した者、討伐の際に命を救ってもらった者などの中にもその座を狙う者が無数に存在した。
それというのも旅の道中、ルディ・レナード自らが溢した言葉があったのだ。
仲間の「討伐後はどうする?」という問いかけに対して「結婚したい」と答えたのだ。
その相手が一体誰なのかと各地で憶測を生み、そしてその“討伐後に結婚”という言葉からおそらく相手は身分が上の者なのではないか、と噂されたのである。
手柄を立てて貴族にならねば婚姻出来ぬ相手。
だから、美丈夫にも関わらず、この歳まで独身を貫いていたのではないか。
だからこそ、身に覚えのないご令嬢も、接触があったご令嬢も、頑張って接触を図っていたご令嬢も、自分が選ばれるのではないかと期待に胸を膨らませてこの時を待ちわびていたのである。
(まぁでも、大本命は王女殿下でしょうけど)
扇で自らの顔を隠しながら、ジュリアはちらり、と壇上の王女を見た。
豊かな銀色の髪に美しい金の瞳。肌は雪のように白く透き通り、頬は薔薇のようにほのかに色づいていた。
薔薇をモチーフにした青と銀のドレスがその華奢な肢体を美しく包み込み、身に飾った宝石すらも王女のその可憐さと美しさを引き立てる材料であった。
ジュリアよりも歳は確か4つほど下の16歳だったはずだ。
まさに、花盛りな年頃である。
ルディとは年齢は20歳ほど離れているが、まぁ、ありえないほど離れているわけではないし、王女と英雄が懇意なのはよく知られた話だった。
つまり、そのいずれを与えても構わないと思われる程度には、ルディは優れた英雄であるのだ。
(二人が並ぶところはさぞかし絵になるでしょうねぇ)
ちなみに裏では一体誰が求婚されるか賭け事も行われているのだが、ジュリアは面白みもなく王女に賭けた。
大穴と面白枠でジュリアの名前も挙がっていたが、投票したのはジュリアの身内である侍従達だけだ。
まるっきり外野のジュリアは周りの女性の緊張感や期待などとは無縁の状態でのんびりと心穏やかに英雄の発言を待った。
気分は物見遊山の野次馬親父である。
(たいして率が良くないから王女が選ばれてもあまり儲かんないのよねー)
ばっさばっさと扇で自身を仰ぎながら待つ。
英雄殿は、伏せていた翡翠色の瞳を神妙にあげた。
桜色の薄い唇が、吐息を漏らす。
会場中から固唾をのむ音が聞こえてくるようだった。
「俺に、ジュリア様に求婚をする権利をいただきたいのです」
一瞬、時が止まった。
一体何を言われたのかがわからなかったからだ。
ジュリア自身も、果たして自分と同じ名前の年頃の令嬢がいただろうか? と首を傾げた。
左を見る。右を見る。
周囲の視線が一斉にジュリアへと集中していた。
(あ、私……?)
気がつくと、英雄殿の視線もこちらを向いていた。
その翡翠色の瞳は期待と興奮にきらきらと輝いている。
思わずその視線と目を合わせると、扇で自分自身を指さして、私? と確認を取ってしまった。
英雄殿は、きらきらとした瞳のまま、しっかりと頷いた。
どうやら、ジュリアとはジュリアのことであるらしい。
再び左右を見渡すが、誰もその事実を否定してくれるような人物はいないようだった。
ジュリアは天を振り仰ぎ、額に手に持っていた扇を当てた。
見上げた天井では憎らしいほどに美しくシャンデリアが瞬き、目が眩むようだった。
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