鈴蘭の魔女の代替り

拝詩ルルー

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「ナタリーはまた癇癪を起こしたのか」

 ドラゴニア王国の第一王子の執務室で、エイダンは嘆くようにくしゃりと色鮮やかな赤毛を握った。
 話を聞いただけでもこめかみがズキズキと痛むようだ。

「現在はすでに落ち着いておられます。怪我を負った侍女も、治療を受けております」
「……そうか、ご苦労だった。下がっていい」
「はっ」

 エイダンが追い払うように片手を振ると、監視役のメイドは一礼して執務室から出て行った。

 パタンと扉が閉まった後、エイダンが幼馴染の側近たちに目を向けると、二人とも苦笑いを浮かべていた。

「ナタリー殿下にも困ったものです。それにしても、恋をすれば殿下でも変わられるんですねぇ」

 パトリックは執務机から顔を上げると、皮肉げに口の端を上げて言った。
 小麦色の長い髪を三つ編みにし、モノクルをかけた美男子だ。

「ナタリー殿下も血は争えないな。色合い的に火竜の加護が薄いかと思えば、やはり火竜の血は流れていたんだな」

 近衛騎士のハリソンが、見張りとして壁際に立ちつつも、口を挟んだ。
 騎士らしいがっしりとした体格に、焦茶色の髪をしていて、瞳は暗い赤色だ。エイダンを守るため、近衛騎士にまでなった男だ。

 パトリックもハリソンも、エイダンとナタリーの従兄弟で、正妃派貴族の子息だ。

「はぁ……今まで取り繕ってばかりいたのが爆発したんだろう。溜まってたものが爆発した時に手がつけられなくなるのは、火竜らしいといえば火竜らしいな」

 エイダンは溜め息を吐きつつ、自らの推察を口にした。

 同腹の妹のナタリーは、正妃に似てお世辞にも根が良いとは言えないが、隠すのも取り繕うのも上手かった。表立ってトラブルを起こすようなことは、今まではなかった。
 表では華やかな美貌と社交術を駆使し、社交界の華として注目や羨望を集め、裏では糸を引いてライバルを蹴落とす——存外やり手なのだ。

 ナタリーの火竜の証は、淡い桃色の瞳だけ——王族にしては、かなり加護が薄い部類だった。

 そのためか、他の王族や、何代も前に王族が降嫁したため火竜の血を引き継ぐこととなった高位貴族とは異なり、火竜らしい強い闘争本能や苛烈な性質、肉体的な強靭さなどはあまり示してこなかった。

 普通の人間の王女のように、にこにこと微笑みを浮かべ、か弱く淑やかに、模範的な貴族女性として振る舞っていた。


——そんなナタリーが変わる事件が起こった。とある剣聖候補の男と出会ったのだ。

 剣聖調査隊が最後に見つけてきた男で、平民の冒険者でレヴィという男だ。

 ナタリーは実際にレヴィと面会し、「可もなく不可もない」「他の剣聖候補に比べれば、まだマシ」「私は剣聖を夫にするだけ」などと、何ともそっけないことを溢していた。

 その割りに、今まで他の剣聖候補の判定会には一切顔を出したこともなかったのに、レヴィの判定会にはきちんと出席したのだ。

 そして、レヴィが剣聖ではないと分かるや否や、国王陛下がまだ会場にいるにも関わらず、すぐに退席し、しばらくは落ち込んだ様子を見せていた。

 さらには、レヴィが王国騎士団に入団すると耳にするや否や、特注のドレスを早急にあつらえさせ、王国騎士団の入団式に意気揚々と参加したのだ。

——口ではぞんざいにレヴィのことを扱っていたが、行動にはバッチリと表れていた。


(妹がこれだけ気に入るんだ。おそらく、とてつもなく強い男なんだろうな)

 エイダンは太い眉を顰めて考え込んでいた。

 ナタリーは、火竜らしくないが故に周囲から可愛いがられてきたが、一方で、王族らしくないと影で揶揄もされてきた。
 だが、強き者を好む火竜の血は、ナタリーにもしっかり流れていたのだろう。

(なんだかんだ言っても、直系なんだよな……)

「そのレヴィって男は、次の新人演習には参加するんだよな?」
「……」

 エイダンが視線を向けると、パトリックは顔を強張らせて無言で頷いた。

「確か、その演習には、テオドールも参加予定だったな?」
「……」

 エイダンの質問に、パトリックはますます顔を強張らせて無言で頷いた。

 パトリックは長年エイダンの側近をやってきたのだ。次にエイダンが何を言うのか、ほぼ百パーセントの確率で当てることができた。

「俺も参加する。そろそろ一度は軍事演習に出ておかないとな。腕が鈍る。……パトリックは業務面のサポートを。ハリソンも参加だ」

 エイダンが野太くしっかりした声で、決断を下した。

「御意」

 ハリソンは、キリッと騎士らしく応答した。

「あああっ! 分かったよ!! 演習までに済ませるべき業務はまとめとくからな! それを済ませてから参加しろ!!」

 パトリックは髪が乱れるのも構わず、頭を掻きむしった。
 そして、従兄弟で主人のエイダンをギロリと睨み付けるように見つめ、苦言を呈した。

「分かった。頼んだぞ、パトリック」

 ドラゴニア王国国王——いや、初代国王ガシュラにもよく似た顔が、にやりと豪快に笑った。
 火竜の加護の厚い色鮮やかで混じり気のない赤い瞳が煌めく。

(……レヴィ、か。一体どんな男か、実際にこの目で見てやろうじゃないか)

 エイダンは、あまり可愛くはないが妹のためにもひと肌脱ぐか、と考えていた。


***


「新人演習? 黒の塔の魔術師は、そんなものにも出るのかい?」

 フェリクスは義娘からの通信に、目を丸くした。

『はい! しかも、レヴィもその新人演習に参加するんです! 教会からも応援が来るみたいですよ?』

 義娘のかわいらしく弾んだ声が、通信の魔道具から流れてきた。

 今日は、義娘のレイとの定期連絡の日だ。
 レイがドラゴニア王立特殊魔術研究所——通称「黒の塔」——に入塔してからは、はじめての連絡会だ。

 最近はレイの背がぐんぐん伸び、だんだんと大人びてきていた。義親の欲目もあるだろうが、フェリクスの目から見てもレイはどんどん綺麗に成長していて、フェリクスは嬉しいような、心配なような、やきもきすることも多くなっていた。

——そんなかわいい義娘が、男ばかりの騎士団との合同演習に参加するのだ。心配にならないわけがなかった。

「……気を付けて行くんだよ」
『は~い! 義父さん、またね! おやすみなさい!』
「うん、おやすみ。また今度だね」

 おやすみの挨拶を交わして通信の魔道具のスイッチを切ると、いつもは義娘との会話の余韻に浸るはずのフェリクスは、重い溜め息を吐いた。

「教会からも応援を出すと言っていたね……」

 フェリクスは、悩ましげに頬杖をついた。


 翌日、フェリクスの執務室に激震が走った。

「アルバン?」

 この部屋の主人フェリクスは執務机に座ると、早速、物憂げに専属護衛の聖騎士を呼んだ。

「はっ!」

 アルバンはすぐさまフェリクスの元に歩み寄ると、片手を胸に当て、きびきびと返事をした。
 主人の声が聞きやすいように、非常に高い背を少しだけかがめ、濃い紫色の三白眼は真剣な眼差しで、次の言葉をじっと待つようにフェリクスを見つめていた。

「確か、ドラゴニア王宮からの要請で、後方支援の治癒部隊を今度貸し出す予定だったよね?」
「……そうですが、それがどうかいたしましたか?」
「僕も参加しようかな」
「……は?」

 突然のフェリクスの言葉に、アルバンは呆気にとられて口をはくはくと動かした。あまりのことに、言葉は何も出てこなかった。

「レイも参加するんだ。せっかくだから僕も参加するよ」
「…………いえ、フェリクス様は大司教ですよ、しかも聖属性の……王宮側にもフェリクス様のお顔を知っている者がいるはずですよ?」

 アルバンが口角をひくつかせて進言すると、

「それなら、これならどうかな?」

 フェリクスは一瞬のまばたきほどの間に、二十代前半ぐらいの青年の姿に変身していた。

 いつもよりも短めな緩くウェーブのかかった柔らかい白銀色の髪、青年らしくキュッと引き締まって上がった頬。凛とした雰囲気の美青年が、フェリクスらしい穏やかな笑みを湛えていた。——以前フェリクスが、ユグドラの任務がてらレイと一緒に旅行した際に、変身していた姿だった。

「見た目の年齢を変えてしまえば、さすがに分からないよ。人間でここまで変身魔術が扱える者はそうそういないからね。それに、この姿はレイに好評だったんだよ」

 フェリクスは殊更嬉しそうに、目尻に皺を寄せて優雅に微笑んだ。

 滅多に見ないフェリクスの心からの笑みに、執務室内にいる側近の神官や護衛の聖騎士たちは当てられてしまい、くらりくらりと揺れていた。

(お嬢様ぁああぁあっ!!? なんてことをこのお方に吹き込まれたんですかっ!!?)

 アルバンの内心では、絶叫の嵐が吹き荒れていた。


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◆関連作品

『砂漠の詩』
『雨の回廊』編の過去編スピンオフです。

『冒険者を辞めたら天職でした 〜パーティーを追放された凄腕治癒師は、大聖者と崇められる〜』
『冒険者パーティーを追放された凄腕治癒師を拾いました』編のスピンオフです。

『ジャスティンと魔法少女のステッキ』
『魔法少女』編のスピンオフです。

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