鈴蘭の魔女の代替り

拝詩ルルー

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友好と警告

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(研究かぁ~、何にしようかな……)

 黒の塔二日目。レイは考え事をしながら自分の研究室の前まで転移した。

 レイの研究室の前の使用者が、転移使用不可の魔術を研究室に敷いたようで、これを剥がすまでは研究室内に直接転移できなくなっていた。

(この魔術も剥がしたいな。後でニールか師匠に相談しよう……あれ?)

 レイは自分の研究室を見て、目を大きく見開いた——扉の前には、一人の男性が立っていたのだ。

 青紫色の真っ直ぐな髪を背中の中程まで伸ばしていて、長身の痩せぎすな男性だ。真っ黒な制服のケープを羽織っているので、黒の塔の魔術師だとは分かる。

 彼もレイの存在に気付いたようで、下げていた頭を上げてレイの方を向いた——彼の瞳は、色鮮やかな黄金眼だった。


***


「まさか三大魔女が黒の塔に入ってくるなんてね。まぁ、今まで管理者の一人もこの塔にいなかったこと自体、不思議だったんだよね」

 レイは、研究室前にいた男性に誘われて、彼の研究室に入った。
 昨日紹介されたジャスティンの研究室の前だったので、どうやら彼がサイモンらしい。

 サイモンは普通にもてなしてくれるようで、レイは椅子に座るように促され、紅茶も出された。

 サイモンは顔立ちは整ってはいるのだが、日の光に当たったことが無いのかと思われるほど青白い肌をしていて、目の下にはうっすらとクマができている。痩せぎすな体型もあり、とても不健康そうに見える。

(……かなり力の強い、おそらく精霊の王様。それも、人にとってあまり良くないもの……)

 レイは警戒しながら勧められた席に座った。

「大丈夫。紅茶には呪いも毒も入っていないから」

 サイモンはうっそりと微笑むと、自らが淹れた紅茶に口をつけた。

「……いただきます」

 レイは一応目に魔力を込めて紅茶を確認してから、一口飲んだ。本当にただの紅茶だった。

「一度、話してみたかったんだ。僕のこと、精霊だって分かった?」
「ええ、何となく……」
「しかも、僕があまり良い存在ではないということも?」

 レイは黙ってこくりと頷いた。

「うん、いいね。分かられて、警戒されるのはなかなか気分が良いことだ。呪いに対して慎重になるのは大事だよ」

 サイモンは、愉悦で薄い三日月のように目を細めた。

 彼は唯一の人型の呪いの精霊——呪いの精霊王のようだ。

「ジャスティンはね、三大魔女の子孫なんだ。あくまで子孫であって、三大魔女じゃないんだ。君とは違って……だからこういう話はできなくてね」

 サイモンは小さく肩をすくめた。

「ユグドラから僕のこと、何か聞いてる?」

 サイモンに訊かれ、レイは首を左右に振った。

「じゃあまず、僕の成り立ちからね。竜人が世界を支配しようとしていた時代のことは知ってる?」
「なんとなくは聞いたことがあります」

「そう、その竜人に支配されて、やり返そうとした勢力がいたんだ——つまり、竜人を国ごと呪い滅ぼそうとしたんだね。禁術に手を出したんだ。国を奪われ、家族を奪われ、財産を奪われ、尊厳を奪われ、全てを奪われた彼らの怨嗟の念が凝り固まって、人型の呪いの精霊——つまり、僕が生まれたんだ。初めは管理者内ですごく論争が起こったんだ。僕は禁術から派生したような者だからね。しかも、史上初の人型の呪いの精霊だ。悪用すれば禁術並みに世界を壊せるからね。だけど、呪いの精霊たちが庇ってくれてね。いい奴らだったよ。もう全員呪いになって消えてしまったけど……あくまでも禁術から派生した者であって、僕は禁術自体ではないってね。それで僕は生き残ったんだ。ただ、大規模な呪いの仕事はするなって……玉型たちとは違って影響力が強すぎるからって」

 サイモンはそこまで語らうと、紅茶をすすって口を潤した。

 精霊は基本的に玉型で派生し、長い年月をかけて人型になる。しかし、あまりにも強すぎる想いは玉型を通り越して、人型の精霊を派生することもある——それだけ強烈な想いがあればの話だが。

「黒の塔——呪いの塔なんて、まさに僕のためにあるようなものだからね。すぐさま応募して受かったから、ここに出仕してるわけ。一応、先代の所長は知ってたよ。仲良くなったから、教えてあげた。おそらく今の第三王子様には引き継いでないだろうね。彼はまだ王位継承権を持ってるしね」

 サイモンがぽつりと、少しだけ残念そうに呟く。

「君……えぇと……」
「レイです」
「レイは、今の所長、テオドール殿下に呪いはかけた?」

 レイはサイモンに急に突拍子もないことを聞かれて目を丸くした。
 慌てて、「そんなことしないですよ!」と反論する。

「それなら良かった。彼は僕の愛し子なんだ」
「えっ?」

 レイはサイモンを、驚愕の表情で見つめた。
 持ち上げかけたティーカップが、そのまま中空で止まる。

(テオドール殿下が、呪いの精霊王様の愛し子!? どういうこと!!?)

「黒の塔は確かに挨拶代わりに呪いをかけ合うけど、所長は王族だからね。普通は畏れ多くて、誰も呪いはかけないよね。でも、おそらく正妃に送り込まれた塔の魔術師が、今まで何人か所長に呪いをかけてしまったんだ。ほぼ全員呪い返しで亡くなってるよ……確か一人だけ生き残ってたかなぁ~」

 サイモンは何の感慨も無く、さらりと語った。
 そして、何かを思い返すように目線を上げた。

(それはそうでしょう!)

 レイは話を聞いただけで、くらりとめまいがする思いだった。
 呪いの王の愛し子に呪いをかける——愚かとしか言いようがなく、まだ生き残っている者がいるのも信じられないくらいだ。

「そうそう! 黒の塔の第十二席の男だったかな。正妃派も意地悪で、彼がまだ生きてることをいいことに、除籍させないよう裏で手を回してるんだよね。いい加減、この塔で何か事を起こそうとするのは諦めればいいのに」

 サイモンは「人間の政治って面倒臭いね」とくすりと笑った。

(サイモンさんが、この塔の、テオドール殿下の守り手なんだ……)

 レイはごくりと唾を飲み込んだ。

「……その、テオドール殿下がサイモンさんの愛し子になった理由を訊いてもよろしいでしょうか?」

「いいよ。それに、サイモンと呼び捨てでいい。……所長の母親がね、彼が生まれた時、僕に呪いをかけるよう依頼してきたんだ。ある時その呪いが成就して、彼の『呪い』は『』になった。それから彼は僕の愛し子だ」

 サイモンは恍惚とした笑みを浮かべて語った。
 色鮮やかな黄金眼は、キラキラと星々の光を湛えていた。

(ドラゴニア王族の闇が深すぎる……実の息子に呪いをかけるだなんて……)

 結果として「呪い」は「祝い」に転化されて強力な加護となってはいるが、それでも異常に感じられた。
 レイは、物騒すぎるドラゴニア王家には極力関わらないようにしようと、心に決めたのだった。

「所長は世界で唯一、僕が呪いをかけられない存在だ。それから、僕は君にも呪いをかけたくないね。僕が聖灰にされてしまいそうだ」

 サイモンが、レイの様子を窺うように見つめた。些細な変化も見逃すまいと、じっと。

(だから、私もサイモンの愛し子テオドール殿下には手を出すな、と……)

「私はテオドール殿下を害する気はないですし、ユグドラからは何も言われてませんよ」

 レイは慎重に答えた。真っ直ぐにサイモンの目を見つめると、もう彼の瞳は笑ってはいなかった。

 サイモンは「そう、それならいいか」と小さく呟いた。


 話が終わってレイが帰ろうと席から立ち上がると、サイモンがまた口を開いた。

「精霊はね、その本質通りに生きてこそ精霊なんだよ。人間には分からないだろうけど。世界が呪いの精霊の人型を作りたがらないのも、僕ならよく分かるよ。僕はいつでも呪いでありたい。でも、何だかんだ言ってこの世界が好きなんだ。呪いの精霊に対しても気を遣ってくれるこの世界を。だから、壊したくはないんだよね。——こんな矛盾した思いを抱えたまま生き続けるのは大変だからね。玉型のまま生を全うできるようにしてくれているのは、世界からの恩寵——呪いへの愛あってこそだ」

 サイモンは少しだけ寂しそうに、だけど、どこか慈しむように笑った。

「そもそも呪いの存在自体が、世界が向かっている方向とは違うんだ。成長、発展、拡大……僕ら呪いはそれらに試練を与え、より大きく、より強くするための礎になるんだ。だから最終的には消えてなくなるんだよね。本来、相容れない存在なんだ」

(この人は凄く純粋なんだ、「呪い」として……)

 サイモンの言葉に、レイは目を瞠って彼を見つめた。

「ここでは僕の本分を一部ではあっても使うことができるからね、割と気に入ってるんだ。呪い関連の仕事を堂々とできるしね」

「……私にこの話をした理由は?」

「う~ん、僕なりの友好と警告の証かな。僕は君たちユグドラの仕事を応援してるよ。僕が大好きな世界を守ってくれてるからね。でも、同時にいつでも僕自身が災いになれる。仲良くはしたいが、相容れない。まあ、協力できることはさせてもらうよ」

 今日初めて見た、素朴で純粋なサイモンの笑みだった。
 彼に右手を差し出され、レイは自然とその手と握手をしていた。


***


 レイはなんとも言えない気分で、サイモンの研究室の前に立っていた。
 友好的ではあるが、完全な味方にはなり得ないサイモンに、彼なりの誠意を示されて、スッキリとはしないが、モヤモヤもしてはいない不思議な想いを抱えていた。

 不意に視線を感じて顔を上げると、そこには黒の塔の所長、テオドールが立っていた。
 心情を悟らせないような曖昧な微笑みを浮かべて、レイの様子を観察していた。

「サイモンについてはあまり構うなと、先代の黒の塔の所長——叔父上からは言われている……私も長年所長をしているが、いまいち掴みきれなくてな。普段、研究室から全く出てこないしな……サイモンはどうだった?」

 テオドールは少し困ったように眉を下げて、レイに尋ねた。

(サイモンは、殿下が愛し子だって伝えてないのかな……?)

 レイはふと、そう考えた。
 サイモンがテオドールに愛し子だと伝えていれば、きっとこんな質問はされなかっただろう。
 だから、呪いの王としての彼について答えた。

「……とても純粋な方です。だからこそ、危ういです。私もその先代所長と同じ意見です。あまり深入りはしない方がいいと思います」

「……そうか……君は諸々理解した上で、そう思ったんだな」
「そうです」
「理由を聞いても?」

 テオドールが曖昧な微笑みはそのままに、真剣な声音で尋ねた。

「お答えできません。サイモン自身に関わることだからです」

 レイはキッパリと答えた。真っ直ぐにテオドールを見つめ返す。

「……そうか。それが分かっただけでもいい……叔父上から聞いてはいたが、ここは本当に魔窟だな……」

 テオドールは自嘲気味に小さな溜め息を吐いた。

 王族にも答えられないということは、秘密保持魔術契約がなされたか、または、それ以上の権能を持つ者がいるということだ——例えば、人間以外の高階位の者たちだ。

「研究課題の相談にのろう。今なら少し時間がある」
「よろしくお願いします!」

 テオドールは雰囲気をガラリと柔らかいものに変えると、レイを所長室に誘った。

 レイも元気よく答えて、彼の後をついて行った。


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◆関連作品

『砂漠の詩』
『雨の回廊』編の過去編スピンオフです。

『冒険者を辞めたら天職でした 〜パーティーを追放された凄腕治癒師は、大聖者と崇められる〜』
『冒険者パーティーを追放された凄腕治癒師を拾いました』編のスピンオフです。

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