鈴蘭の魔女の代替り

拝詩ルルー

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推薦状

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 ドラゴニア王宮の敷地内には、王宮魔術師団が丸々一棟使用している建物がある。
 白亜のドラゴニア王宮からは少し離れた場所にあり、小さな魔術訓練場も併設されている。赤煉瓦積みの建物で、王宮魔術師団の詰め所だけでなく、彼らをサポートする事務局もここには入っている。

 そんな王宮魔術師団の事務局に、スラリと背の高い一人の貴族が訪れていた。

「推薦したい子がいるんだ」

 ハムレット・ラングフォード魔術伯爵が、キラキラしい笑顔を、事務局の受付の女性に向けていた。
 水竜湖のような瑠璃色の長い髪は、水織りのリボンで一つに束ねて優雅に前に流し、貴族らしく繊細に整った美貌は、見つめられるとくらりときそうなほど甘い。

 ハムレットは、受付の女性の手をそっと握るかのように、真っ黒な封筒に入れられた推薦状を手渡した。

「……ラングフォード魔術伯爵? これで何人目だとお思いですか? 少しでも魔術が使える女性に頼られれば、推薦するなんて……推薦状はお受けしますが、その女性には公正に入団試験を受けていただきますよ」

 受付の女性は、ハムレットの手をパッと払って封筒だけを受け取ると、キリッとした表情で彼を嗜めた。

「うん。それで構わないよ。彼女なら試験なんて簡単に突破すると思うから」

 ハムレットは手を払われたことは微塵も気にせずに、甘い微笑みを彼女に向けていた。

「あら? 黒の塔ですか?」

 受付の女性は、いつもとは違う真っ黒な封筒に、ふと目を止めた。

「そうだよ」

 ハムレットがにこにこと当たり前のように答えると、受付の女性は頭痛がするかのようにこめかみを押さえて「はぁ……」と重い溜め息を吐いた。

「私は魔術師団の担当ですので、こちらはテオドール殿下の執務室の方にご提出ください」
「おや、私としたことが。それはそれとして、今夜一緒に食事でも……」
「次の方~?」

 受付の女性は、ハムレットのことは無視して、さっさと次の順番の人を呼んだ。

「つれないなぁ~」

 ハムレットは困ったような苦笑いを浮かべた。

 その時、ハムレットは背後から声をかけられた。

「ラングフォード魔術伯爵……」

 ハムレットが振り向くと、顔を強張らせた見た目三十代くらいの魔術師がそこにはいた。魔術師らしくブラウンの髪を長く伸ばし、魔術師団の団長のみが着られる紫紺色の制服をまとっている。

「おや? ユルゲン魔術師団副団長、こんなところで奇遇ですね」
「ええ、ご無沙汰しております……それで、その推薦状は何ですか?」

 ユルゲンは不吉な物を見るかのように、ハムレットが持っている真っ黒な封筒を見つめていた。

「私のイチ推しの子の推薦状ですよ」

 ハムレットが、優雅に笑顔をほころばせた。
 大好きなレイのことを訊かれて、嬉しかったのだろう。

「……はぁ。もういい加減あなたからの推薦状は受付停止にしてもよろしいでしょうか? 今まで十分に、いや、それ以上に魔術しか使えないご令嬢やご婦人ばかりご紹介いただきましたからね」

 ユルゲンは深い深~い溜め息を吐きつつ、断りを入れた。
 さすがに「一体何人イチ推しの子がいるのだ」とは、賢明な彼の口からは出なかった。

「おや、それは残念だ。では、この子は黒の塔に」

 ハムレットは全く残念ではなさそうに、軽く封筒の角にキスをした。

「ええ、そうしてください。あちらも魔術師団とは別の理由で人手不足でしょう。うちに比べてあちらは非常に厳しいですから、推薦状があっても基準に満たなければすぐに落とされますよ」

 ユルゲンは口角を片方だけ皮肉げに上げて、スッパリと言い切った。

「そうですね。でも、この子はもうすでにテオドール殿下の面接は通っているので、これさえ提出すれば合格ですね。これは殿下の執務室の方に提出しないと。それでは失礼しますよ!」

 ハムレットがふわりと優雅に笑った。
 一瞬だけ推薦状を見せつけると、手品のようにパッと空間収納にしまう。そして事務局の出口に向かって、颯爽と歩き出した。

「……え?」

 ユルゲンは呆気にとられて、紫色の瞳を大きく見開いた。ボーッとハムレットの去っていく背中を視線で追う。

 もし推薦状の人物が本当に黒の塔で合格したのであれば、実力は折り紙付きのはずだ。魔術師団でも活躍する可能性がある。

「あ、待っ……ちょっ、ラングフォード卿!?」

 ユルゲンは慌ててハムレットの後を追ったが、事務局を出たところには、彼の影も形も無かった。ただ、ふわりと魔術を発動させた魔力の痕跡が漂っていた。

「王宮内でこうも軽々しく転移魔術を……」

 ユルゲンは苦々しく呟いた。


***


 コンコンコンッと古びた木製の扉が叩かれた。

 中から「どうぞ」と声がかかり、ハムレットは意気揚々と扉を開けて中へと入った。

「テオドール殿下。レイの推薦状を持って来たんだ。受け取ってくれるかな?」

 優雅だが有無を言わさない微笑みを、ハムレットはこの部屋の主に向けた。

 深紅の髪と瞳を持つ細身の男性が、執務机から顔を上げた——第三王子でもあり、特殊魔術研究所所長のテオドールだ。

「ああ。受け取ろう」

 テオドールは、務めて事務的に真っ黒な封筒を受け取った。
 特殊魔術研究所所長専用の真っ黒なペーパーナイフで封を切ると、推薦状を確認した。

 ハムレットは所長室の壁際にあるソファに向かうと、ライデッカーが座っているものとは反対側のソファに座り、優雅に長い足を組んだ。

「君がレイを紹介してくれたんだね。素敵な出会いをありがとう」
「……いえ、どういたしまして……」

 ハムレットににっこりとお礼を言われ、ライデッカーは戸惑うように小さく頷いた。水竜王直々の言葉に恐縮して、その大柄な身をきゅっと縮こめる。

「そうそう、レイのことはとても気に入ったから、後見しようと思うんだ。それで、君たちがどれだけ彼女のことを知っているのか知りたいな」

 ハムレットは空間収納から紅茶を取り出すと、優雅に飲み始めた。どうやら長居するつもりのようだ。

 テオドールとライデッカーは、互いに目配せをし合った。——プランBの発動だ。あらかじめ、こんなこともあろうかと話し合っていたのだ。

「レイちゃんはかなり優秀な魔術師ですね。魔力量もかなり多いですし、黒竜討伐の際には、立派な結界魔術を展開してました。あとは、とある影竜と光竜の庇護下にいることは知ってます」

 ライデッカーが、テオドールと決めていたことを語り始めた。

「ふぅん。それだけ? レヴィのことは?」
「そうですね。彼女の剣だということは知ってます」
「そう……使い魔のことは?」

 ハムレットはじっとライデッカーを見つめ、次々と質問をしていった。

「使い魔……?」

 ライデッカーが首を捻ると、テオドールが横から口を挟んだ。

「キラーベンガルのことだろうか?」

「そうそう! あの子もかわいいよね~」

 ハムレットが女性を思い浮かべるように柔らかく頬を緩ませると、テオドールとライデッカーは目をぱちくりさせて互いに顔を見合わせた。

((キラーベンガルも守備範囲に入るのか……?))

 ハムレットの広大すぎる女性の好みの範囲に戦慄を覚えながらも、ライデッカーは質問した。

「ラングフォード卿は、レイちゃんを後見されると仰いますが、どうなされるおつもりでしょうか?」

「そうだねぇ……私としてはできればレイを妻に迎えたいんだけど、彼女の家族には確実に反対されそうなんだよ。だから、後見で我慢かな……」

 ハムレットは非常に切なそうに眉を下げた。

(……これはガチだな)
(……かなりのガチですね)

 テオドールとライデッカーは、目線で会話をしあった。

 女好きで数々の浮き名を社交界で流してきたハムレットに「妻に迎えたい」とまで言わせたのだ——ただ推薦状をもらいに行っただけなのに、ここまで彼をたらし込んだレイに、テオドールとライデッカーはますます畏れを感じた。

「レイ嬢が強力な竜の庇護下にいる以上、我々としてもある程度は目をかけるつもりだ。あまりにも規定を逸脱するようなら難しいがな。だが、もし何かあればすぐに相談できるよう取り図ろう」

 テオドールが側妃似の繊細なかんばせに少しだけ憂いを帯びて、真摯にハムレットに伝えた。

「そう。それなら良かった」

 ハムレットは水竜の王らしく、鷹揚に笑って頷いた。


「君たちが聡明で良かったよ。これであの子の価値もよく分かっていないようなボンクラが上司になってたら、どうしようかとも考えてたけど……杞憂だったね」

 帰り際のハムレットの一言に、テオドールとライデッカーは、背筋にゾゾゾッと悪寒が走った。

(……もし私たちがボンクラだったら、どうなってたんだ?)
(それ訊いちゃいます? まぁ、消されますよね……)

 テオドールとライデッカーは、今度はもはや目線を合わせずとも会話が成り立っていた。

「私のレイをよろしくね」

 ハムレットに笑顔で念を押され、テオドールとライデッカーはただ頷くことしかできなかった。

 ハムレットは転移魔術で颯爽と黒の塔から去って行った。


「……『私のレイ』か……」

 テオドールがぽつりとハムレットの言葉を口にした。

「相当な入れ込みようですね。これでレイちゃんにもしものことがあれば、俺たちの首が飛びますよ」

 ライデッカーが、人差し指でピッと首を切るようなジェスチャーをした。

「ああ。そうならないよう気をつけよう。全く、問題児しかこの塔には入らないな」

 テオドールが深い溜め息を吐いて呟いた。

「魔術師団にレイちゃんが入らなくて良かったでしょう? あそこは気位ばかりのボンクラも多いですから」
「そんなことになれば、遅かれ早かれ我が国の魔術師団は壊滅することになってたな……」

 ライデッカーの軽口に、テオドールは遠い目をしていた。


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◆関連作品

『砂漠の詩』
『雨の回廊』編の過去編スピンオフです。

『冒険者を辞めたら天職でした 〜パーティーを追放された凄腕治癒師は、大聖者と崇められる〜』
『冒険者パーティーを追放された凄腕治癒師を拾いました』編のスピンオフです。

『ジャスティンと魔法少女のステッキ』
『魔法少女』編のスピンオフです。

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