鈴蘭の魔女の代替り

拝詩ルルー

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淡藤湖2

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「イェルド~! 久しぶり! 会いに来たよ~!!」

 アイザックが口元に両手を添えて、淡藤湖あわふじこに向かって大声で呼びかけた。


 淡藤湖は、淡く柔らかい青紫色の湖だ。

 水面下では藤の花が咲き乱れ、白、淡藤あわふじ紅藤べにふじ藤紫ふじむらさきと、淡い藤色の濃淡が房のようなった花が、水中でくゆりくゆりと揺れていた。

 夢幻のような風景と、その柔らかく落ち着いた色合いは、見ているだけでも惹き込まれ、心から癒されるようだ。

 淡藤湖のあちこちでは風流な大岩が水面から突き出していて、そこでは亀たちがのんびりと日向ぼっこをしていた。

 湖岸の周りには藤棚の庭園が築かれてるのだが、残念ながら今は花の季節ではないため、緑の葉が生い茂るばかりだった。


 淡藤湖はこの地方では有名なトレッキングコースらしく、アクアブリッジから小道が整備されていた。

 レイたちは、特に何の魔物に遭遇することもなく、片道約一時間の小道をたどった。

 今は人や魔物払いのための幻影魔術が淡藤湖周辺に敷かれているためか、実力でその魔術を突破して来た銀の不死鳥パーティー以外に来訪者はいなかった。


「イーェールードー!!」
「ああ! うっさい!! 聞こえてる!!」

 アイザックがさらに大声で呼びかけると、淡藤湖の方から苛立った返答があった。

 淡藤湖の水面から泉の女神よろしく上がってきたのは、淡藤色のストレートの長い髪をした美人だ。
 スッと通った鼻筋に、薄い唇。眉根には深い渓谷を刻んでいて、女性と見間違えるほどの美貌をアイザックに向けていた。

「久しぶりに来たかと思えば、うるさい奴だ」
「新しい奥さんを迎えたって聞いたよ。おめでとう! 結婚祝いを持って来たんだ。あと、水藤草ちょうだい」
「いっぺんにまとめて言うな。とりあえず、ありがとう。まぁ、うちに下がれ」

 イェルドは、ちょいちょいと手招きをすると、また湖の中へズブズブと戻って行った。

 ルーファスとレイはただただ呆気にとられて、水中へと沈んでいくイェルドを視線で追った。

 湖面には、イェルドが沈んだ地点を中心に丸く水の波紋が広がっていた。

「じゃあ、僕たちもイェルドの家にお邪魔しようか。水中魔術を教えるね」

 アイザックはレイたちの方を振り返った。

「水中魔術は、水の中で呼吸ができるようにする魔術なんだ。水と風の魔術を同時発動させるんだよ」

 アイザックは簡単に説明すると、見本で水中魔術を披露した。

 レイはじーっとアイザックの魔術を観察した後、見よう見まねで水中魔術を発動してみた。彼女を包み込むように水の膜が張られた。

「さすがレイ! 初めてなのに上手にできたね!」

 アイザックはにっこりと、レイを褒め称えた。

「……なんだか、不思議な感じですね……」

 レイは自分の体をあちこち触ってみた。薄い水の膜がクッションになっていて、ぷにゅっと弾力があって、不思議な感覚だ。

「ルーファスにも水中魔術かけるね」
「お願いします」

 アイザックが確認すると、ルーファスは小さく頷いた。

「レヴィはどうする? 元が剣ならいらないんじゃない?」
「水中魔術をかけられたことはないので、お願いします」

 アイザックが尋ねると、レヴィはキリッと答えた。少しわくわくと頬が上気している。

「それって、水中魔術いらなくない?」
「いえ、是非お願いします。体験してみたいです」
「仕方がないなぁ~」

 アイザックはぶつくさ言いつつも、ルーファスとレヴィにも水中魔術をかけた。

「それじゃあ、行こうか」

 アイザックは、にっと笑って、ドボンッと淡藤湖へ飛び込んだ。
 レイたちもその後を追って、湖の中へと入って行った。

(わぁ……息ができる! それに、服も髪も全然濡れないみたい!!)

 レイが感動と驚きではしゃいでいると、アイザックが彼女の隣まで泳いで来た。

 アイザックが水面の方を指差したので、見上げると、圧巻の眺めだった。

 水面を埋め尽くすように、満開の藤の花のような水藤草が垂れ下がり、その隙間から、太陽の光がキラキラと幻想的に差し込んでいたのだ。

(……すごい。綺麗……)

 レイは思わず息を呑んだ。

 アイザックはレイの手を引いて、泳ぎ始めた。
 ルーファスとレヴィもそれに続く。

 湖底や岩壁にも藤色の水草が生えており、その間を大小さまざまな魚が優雅に泳いでいる。
 水中には玉型の精霊たちもいるようで、マリンスノーのように、チカチカと白や藤色の光が瞬いていた。

 どうやら湖の水自体の色は透明なようで、レイたちの視界は良好だった。

(ずっと見ていても、飽きないかも……)

 レイはすっかり美しい淡藤湖の虜になっていた。水中でも息ができるので、まるで人魚になったような気分だ。

 湖底の最深部では、ドーム状の結界がいくつも張ってあり、その中には庭付きのかわいらしい家がいくつもあった。
 一番大きな家がある結界の中では、イェルドが今か今かとアイザックたちを待っていた。

「随分時間がかかったな」

 アイザックたちが結界の中に入って来ると、イェルドがぶっきらぼうに出迎えた。

 結界内には空気があるようで、水中魔術はパチンッと水の膜が弾けて解けてしまった。

「うん。レイに水中魔術を教えてたんだ」
「ほぉ……まぁ、家に入れ。妻を紹介する」

 イェルドは軽くレイを流し見たが、さっさと玄関に向かって歩き始めた。


「あら? お客様?」
「ウルリカ、古い友人とその仲間たちだ」
「まぁ。イェルドがお世話になっております。妻のウルリカです」

 家の中に入ると、ウルリカがにこにこと迎え入れてくれた。
 ブラウンの髪と瞳は素朴な感じだが、ツヤツヤと血色の良い丸顔に朗らかな笑顔は、見ているこちらまで元気をもらえそうだ。

「ご結婚おめでとうございます。イェルドの古い友人のアイザックです。この子がレイで、光竜の彼はルーファス。そっちの大きいのがレヴィです」

 アイザックがまとめて紹介した。

「ありがとうございます。うちのひとったら、強すぎてお友達が少ないから、会いに来てくれて嬉しいわ」

 ウルリカがにこにこと答えた。

「ウルリカ!」
「あら、本当のことじゃない」

 イェルドが恥ずかしそうに頬を赤らめて嗜めると、ウルリカは涼しげに受け流していた。
 淡藤湖の主の妻になっただけあり、豪胆なところがあるようだ。


 イェルドの家は、レイの元の世界でいうカントリー風のどこか懐かしくて、ほっこりとあたたかみのあるインテリアだ。素朴な木製の家具が置かれ、天井から小さな観葉植物の籠が吊られており、出窓にはレースのカーテンがかかっていた。

 応接間に通されると、アイザックは手土産の地酒を手渡した。
 イェルドはパァッと表情を明るくして、ほくほくと嬉しそうに受け取った。

「最近は北からの魔物の侵入が多くてな。ちょうどうちの湖の亀たちの産卵期だから、下手に離れるわけにはいかなくてな……酒もそろそろ終わりそうだったんだ」

「幻影魔術を敷いてる理由って……?」

 アイザックが、出されたハーブティーを啜りながら尋ねた。

「ああ。外敵避けだ。妻も産卵を控えてるしな」

 イェルドは愛おしそうにウルリカを見つめた。
 ウルリカも甘く見つめ返す。

「それにしても、この子は素敵な水魔力を持ってるわね。アクアブリッジでモテそうだわ」

 ウルリカがくりくりの丸い瞳で、人懐っこくレイを見つめた。

「……この子は女の子か? なぜ男装をしているんだ?」

 イェルドは、少し訝しげに眉を上げた。

「この姿なら、ハムレットは興味を持たないからね。男の格好をすると、途端に興味を無くすんだ」

 アイザックがさっくりと答えた。
 茶請けに出たウルリカお手製のクッキーをサクサクと齧っている。

 本日のレイは、古着屋で買った男の子の服を着ていた。白いシャツに、少し大きめなブラウンのズボンを履いていて、長すぎる裾は捲っている。
 ストレートの長い黒髪は、後頭部の低めの位置で、一つにまとめている。

 元々中性的な顔立ちなので、男の子だと言われれば、「そうか」と納得されるような仕上がり具合だ。

「……あいつ、見た目で女かどうかが一番大事だからな。中身はどうかとか、本物かどうかとか気にしないからな……」
「あなたもよく間違えられるものね」

 イェルドが呆れて溜め息をつくと、ウルリカがいたずらっぽく含み笑いをした。

「ハムレットは何度言えば、俺が男だと認識するんだ? 会う度に口説いてきやがって。バカなのか?」
「う~ん……イェルドの人型が女性に見えるからじゃない? 少し調整したら?」

 イェルドの愚痴に、アイザックが真っ当な意見を言った。

「あら、私の目の保養なのよ。変えないでちょうだい」
「……俺には、この姿を変える決定権が無いんだ……」

 ウルリカにきっぱりと禁止され、イェルドは残念そうに肩をすくめた。

(……イェルドさん、しっかり尻に敷かれてる……)

 レイは目をぱちくりとさせて、イェルドとウルリカ夫妻の力関係を眺めていた。

「この子は特にハムレット好みの魔力だろうに……まぁ、このまま男装を貫いて、ハムレットに一杯食わせてやれ!」

 イェルドは、気軽にレイの肩をぽんぽんっと軽く叩いた。

「……イェルド……」

 アイザックがじと目でイェルドを見つめた。ゆらりと魔力圧が漏れる。

「手出ししねぇよ。俺はウルリカ一筋だ!」
「あら……!」

 イェルドは慌てて隣に座るウルリカに肩を寄せた。
 ウルリカは嬉しそうに頬をポッと赤らめた。


***


「水藤草は適当に採っていってくれて構わない。水面に浮いてるやつだ」
「ありがとうございます」

 レイはにっこり笑ってお礼を言った。

 レイは習いたての水中魔術をルーファスとレヴィにもかけると、湖底の結界から出て、手分けして水藤草を集め始めた。


「全く、水藤草をくれと言われても、なぜ亀たちの産卵と重なるこの時期に、水クリームの需要が増える祭をやるんだ? 先代の時は収穫期の秋にやっていただろう?」

 イェルドは、レイたちの作業を見上げながら、呆れた声で言った。

「夏は女の子たちが薄着になるからだって。前にハムレットが言ってた」
「……あの女狂いめ……」

 アイザックの回答に、イェルドは顰めっ面をした。

「そういえば、サラマンダーってここ通った?」
「サラマンダーか……産卵期の少し前から幻影結界を張っていたから、ここは素通りだったぞ。孔雀湖の方に行ったんじゃないか?」
「ふ~ん、ありがとう」
「アイザックはサラマンダーが好物だったか? 殲滅させるのか?」
「うん。それが今回の僕のお仕事」

 アイザックは、特になんでもないといった風に、あっさりと答えた。

「まぁ、他所の土地から来た奴らだし、俺としては六大湖周辺が静かになるなら、それでいいが……」

 イェルドは「高ランクの魔物の好物にだけはなりたくないな……」と遠い目をして、ぶるりと震えた。

「お待たせしました! イェルドさん、水藤草をたくさんありがとうございます!」
「おう。構わないぞ。いつの間にか増えてるからな」

 レイが結界内に戻って来て、元気よくお礼を言った。
 イェルドもにっこりと頷く。

 水面から垂れ下がっていた水藤草の一部分が綺麗にぽっかりと無くなり、その部分から日光が燦々と差し込んで湖底まで届いていた。

「しばらくは、湖底でも明るく過ごせるな」

 イェルドは水面を見上げ、柔らかく目を細めた。


 レイたち銀の不死鳥は、依頼の品の一つを手に入れ、意気揚々とアクアブリッジの街へと帰って行った。


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◆関連作品

『砂漠の詩』
『雨の回廊』編の過去編スピンオフです。

『冒険者を辞めたら天職でした 〜パーティーを追放された凄腕治癒師は、大聖者と崇められる〜』
『冒険者パーティーを追放された凄腕治癒師を拾いました』編のスピンオフです。

『ジャスティンと魔法少女のステッキ』
『魔法少女』編のスピンオフです。

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