鈴蘭の魔女の代替り

拝詩ルルー

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竜の愛

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 しとしとと、雨が降っている。

 彼の悲しげな瞳
 彼女の涙
 甘く狂わしいバラの香り

 彼の苦笑い
 彼女の拗ねた顔
 ひやりと冷気をまとう氷菓

 彼女の泣き笑い
 彼の慟哭
 そして、淡いローズ色の砂漠……


「……はっ!」

 レイはパチッと目を覚ました。間借りしている鉄竜の鱗の拠点の天井が見える。
 随分と寝汗をかいていたようで、ペタリと張り付く髪を顔から払う。

『レイ、大丈夫?』

 琥珀がキュウと鼻を鳴らして、心配そうにレイを覗き込んだ。ザリッと、レイの頬を舐める。

「うん……大丈夫」

 レイは、「自分はちゃんと現実世界にいるんだ」という実感が欲しくて、両手で琥珀の小さな頭を包み込むと、くしくしと撫でまわした——現実の感触を思い出すように、夢の世界に飲み込まれないように。

 琥珀は気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。


***


 今日は休日だ。
 普段は王宮の方で食事をとっているダズとクリフが、珍しく鉄竜の鱗の拠点で朝食をとっていた。
 カタリーナもギルドの仕事を終えて、昨日の夜に拠点に戻って来ていた。

 今日の朝食は、ちょっぴり人数が多い。

 拠点の中庭にはサハリアらしい細やかな柄の入った絨毯が敷かれ、人数分のふかふかのクッションが並べられていた。

 ローテーブルの上には、朝食が所狭しと並べられている。
 本日のメニューは、薄焼きのパン、イチジクやオレンジのジャム、ゆで卵とシンプルだ。デザートには、ヨーグルトとデーツだ。

 砂漠の朝の日差しは早くもジリジリと強く、中庭の背の高い壁でできた日陰では、朝の澄んだ空気のおかげもあり、清浄なほど涼しかった。


「レイ、少しまずいことになった。ドラゴニアから手紙が届いたんだ。単刀直入に言うと、『剣聖候補を渡して欲しい』そうだ」

 食後に冷たいミントティーで一息つくと、ダズが思い詰めたような表情で、本題を話し始めた。 

「今すぐにサハリアとドラゴニアの関係性が悪化するわけではないが、何も回答しないのは良くないんだ……」
「それなら、私たちはドラゴニアに帰りますね。レヴィも、それでいい?」
「ええ、大丈夫ですよ」

 レイはあっさりと答えた。
 レヴィも主人と同様に、軽く頷く。

「……大丈夫なのか?」

 ダズは目を丸くして、レイを見つめ返した。

「マァト様が付けてくれた加護のおかげで、女神の瞳のスキルが効かなくなったみたいなんです」
「それなら、レヴィが聖剣だってバレることはないんだな?」
「そうです」

 レイの回答に、ダズはほっと安堵の息を吐いた。

「レイ、調査の件なんだが、この前の祭祀で、あらかたこの国が『呪われた』理由が分かった。ここから先は、アリ陛下とも相談して、どう『呪い』と付き合っていくか決めていく予定だ。砂竜王の魔術では、現状では解除不可能だからな。これ以上は国政にも関わるし、一旦、これで調査は終了になる」

 クリフはクイッとメガネを指先で押し上げると、淡々と伝えた。

「分かりました。そうなると、助手の仕事はどうしましょう?」
「レイとレヴィがドラゴニアに戻るなら、剣の指南役もクリフの手伝いも、ここで終わりにしようかって話してる。元々、王都にいる間だけって話だったしな」

 レイの疑問には、ダズが答えた。

「そうなると、壮行会? 送別会? をやろうか。ドラゴニアに戻るならしばらく会えなくなっちゃうだろ?」

 カタリーナがヨーグルトを頬張りながら提案した。

「いいね! ご馳走をいっぱい用意するよ!」

 朝から元気よく、シャマラがのってきた。

「ルーファスも呼ぶか? 一緒に帰るんだろ?」

 ダズがレイの方を振り向いて尋ねた。

「いいんですか?」
「もちろん! たくさんいた方が楽しいよ!」

 シャマラがにっこりと頷いた。

「じゃあ、ルーファスにも訊いてみますね!」

 レイもにっこりと笑った。


 朝食後、レイは自分の部屋に戻った。

(ドラゴニアに戻るなら、その前にこの部屋も大掃除しようかな)

 普段はシャマラが鉄竜の鱗の拠点の管理や掃除をしているが、個人部屋については、部屋を使っている本人が各自で掃除をしていた。

 レイも休みの日は、いつも簡単に掃除していたのだが、けじめや今までお世話になったお礼も兼ねて、大掃除をすることにした。

 窓を開けて、まずは一番大物があるベッドに向かった。
 本日は快晴。部屋の掃除に手をつける前に、まずはシーツや毛布、タオルケットを干しておくのだ。

「あ……」

 不意に今朝の夢がよみがえる。

(……なんだかなぁ~……)

 今朝の夢にはラヒムとガザルが出てきた。
 二人の思い出の記憶をたどる夢だった。

(いろいろ分かっちゃうと、ちょっと切なすぎるかも……)

 レイが物思いに耽っていると、コンコンと部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「レイちゃん、今大丈夫? お客様が来てるよ」

 シャマラだ。いつものあたたかくて元気な声が聞こえてくる。

「私にお客様ですか?」
「バレット商会のニール様だよ」
「ニール!」

 レイは掃除のために開けた窓を急いで閉めると、バッと扉の方へ向かった。

「やあ、レイ。久しぶり」

 扉を開けると、ニールが目尻に皺を寄せて、にこやかに挨拶をしていた。
 彼の後ろでは、カタリーナがニールを睨み付けるように警戒している。

「ニール! お久しぶりです!」

 レイはいつものクセで元気良く挨拶をした。

「レイ、抱き上げても?」
「えっ……」

 ニールが優しく問いかけると、レイは少し迷った後、躊躇いがちにこくりと頷いた。今朝の夢がどうしても頭を離れず、どこか気持ちに影を落としていたのだ。——ニールには、バレていたようだ。

「うちの主人がどうやら随分と気落ちしてるみたいでね。ちょっと連れて行きますよ」

 ニールはそう言い残し、どこかへ転移した。

「なっ! あいつ、あたしの縄張り内で転移しやがって!!」

 シャマラは突然の転移魔術にびっくりして固まり、カタリーナは、キーッと、地団駄を踏んだ。


***


 ニールが転移して来たのは、見渡す限りのオレンジ色の砂の砂漠だ。
 日もだいぶ高く昇ってきていて、照りつける太陽が肌に痛い。

「ここは?」
「元のサハリア砂漠だよ。砂竜王様も、元々砂漠だったここは、砂漠化してないからね」

 ニールは、片方の手のひらを上にすると、何やら魔力を込め始めた。
 フッとレイとニールの周辺だけ影が差す。
 ジリジリと熱い日差しが遮られるだけでも、砂漠ではずっと過ごしやすくなる。

「レイ、何を考えてるの?」

 ニールは、椅子を二脚、空間収納から取り出した。
 優美な猫脚の椅子で、座面はふかふかの赤いビロードのクッションだ。

 レイは素直に椅子に座った。

「夢を、見るんです。ラヒムさんと砂竜王様の。悲しい記憶は悲しいし、結末を知ってるからか、どんなに二人の幸せな記憶も、切なく感じちゃって……」

 レイはぽつりと「なんだか、苦しいんです」と呟いた。

「レイは水属性が強いからね。水は、きちんと自分の中で線引きができなければ、他人の感情や記憶に引き摺られて、溺れてしまうことがある。何度も記憶を覗き込むうちに、飲み込まれかけてるのかな?」
「そうかもしれません……」

 ニールの説明に、レイが力無く同意する。

「はい、手」

 ニールが大きな両手のひらを、レイの前に出した。

「えっ……?」

 突然のことに、レイは目を瞬かせた。

「手、出して。俺の魔力を注いで、一時的に影属性を強くするから。他人の記憶に感応しすぎないように、バリアを張る感じかな? あとは、しばらくこの土地やサハリア関係のものからは離れること。そうすれば治るから」
「……そんなことで、いいんですか?」
「普通は、魔力操作に長けてなければ魔力を注げないし、そもそも魔力の相性が良くないとできない。俺とレイは契約があるから、問題ない」

 レイはモゴモゴと「よろしくお願いします」と言って、おずおずと両手を差し出した。
 絶世の美貌を持つニールの顔が、向かい合うように近くなって、ちょっぴり恥ずかしい。

 ニールは彼女の手を握ると、少しずつ魔力を流し始めた。

 影属性の魔力は、軽いのにどこか重みがあって、実体があるようでないような、不思議な感じがした。

(ニールみたいに、なんだか掴みどころがない感じがするかも……)

「……このぐらいでいいかな? まだ浮かない顔してるね」

 ニールは魔力を流し終わった後、空間収納から水筒を取り出して、レイに手渡した。
 レイはお礼を言って、一口、口にした。ひんやりとしてほのかに甘い、梨の果実水のようだ。

「う~ん……砂竜王様が可哀想すぎて、モヤモヤが残ってるのかもしれないです。ラヒムさんはあの後、ずっと生きて、今のサハリア王家まで命を繋いでます。一方で、砂竜王様はずっと砂漠の砂になって、陰ながらこの国を守ってます……ちょっとは、砂竜王様が報われてもいいんじゃないかなって」

 レイはぽつりぽつりと、感じていたことを語った。
 ラヒムとガザルの関係性は、なんだかフェアじゃない感じがして、どこか自分の中で引っ掛かっていたのだ。

「ああ。レイもまだまだ竜の愛には疎いね。竜の愛は、『力と献身』だよ」
「『力と献身』、ですか?」

 レイはきょとんと小首を傾げた。

「昔からある竜の物語みたいに、お姫様を力づくで奪ってくるんだ。その後、物語はどうなると思う?」
「竜からお姫様を奪い返す?」
「それは人間の物語。俺たち竜の物語では、お姫様を、城なり塔なり巣なり自分の領域で大事に守って、愛でて尽くすんだよ。全く知らない所に連れて来ちゃうわけだからね」
「そうだったんですね」

 レイは初めて聞く話に、目を丸くした。

「竜の愛は『力と献身』。砂竜王ガザル様は、サハリアの国ごと愛しい人を奪った。力づくでね。だから、今でもこの国は彼女に縛られて、王は代替わりしても『初代国王ラヒム』のままだ。大方、初代国王が迂闊な契約をしたんだろう? 契約で『永遠』や『子孫が引き継ぐ』ような誓いを立てたのかな?」
「……あ……」

(ラヒムさん、「私」を「私たち」に言い直してた……それにしても、あれって契約だったの??)

 レイは思い当たることがあって、ドキリと胸が跳ねた。

「図星だな。……まぁ、もちろん彼女の献身も見事だ。砂漠で外敵を排除し、オアシスで国を育む。たとえ呪いと誹られたとしても……それを七百年もだよ? 魔王種だからこそ成せる技だ。本当に見事なまでの竜の愛だし、竜の憧れだよ」

 ニールがにっこりと黄金眼を三日月型にした。

(……そう考えると、アイシャ皇女の仰ってたことが正しかったのかな……)

——高位の魔物は気まぐれで、寵を与えたかと思えば、すぐに手の平を返す。かと思えば、謎の理論で訳の分からないことを要求してきたりもする——

 竜と人の愛についての見解の違いに、レイはなんだか消化不良を感じていた。相容れない考えが、サイズの合わない靴を履いているような、どこかしっくりこない感じなのだ。

(ああ、でも……どこまでラヒムさんを愛しても、どんなに人のような見た目をしていても、やっぱりガザル様は竜なんだ)

 レイは、「竜の愛」という新たな見解に、うむむ、と考え込んでしまった。

「もし、今の王族が途絶えてしまったら……?」
「……そうだな、砂竜王様はこの国を離れるだろうな。砂漠は無くなるだろうし、誰でもこの国に手出しできるようになる——魔物も人も、砂竜でさえも」
「砂竜も?」
「今は砂竜王様の命令が残ってるからね。だから、今はこの国の民に砂竜の被害が無いんだよ」
「この国は砂竜王様に愛されてるんですね」
「ああ。『ラヒム』がいる限り」

 ニールは、レイを宥めるように、コツリと自分の額を彼女の額に当てた。

「人から見れば愚かな愛かもしれないけど、竜から見れば崇高な愛だよ。彼女もきっと喜んでる」

 ニールが優しく囁いた。

(でも、そっか……砂竜王様は幸せだったんだ……)

 人と竜。愛の見解は違うし、互いに分かり合おうとしなければ、どこまでもすれ違いそうだ。
 だけど、彼女が幸せなのなら——

 レイのモヤモヤは、いつの間にかスコンと落ち着いていた。


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◆関連作品

『砂漠の詩』
『雨の回廊』編の過去編スピンオフです。

『冒険者を辞めたら天職でした 〜パーティーを追放された凄腕治癒師は、大聖者と崇められる〜』
『冒険者パーティーを追放された凄腕治癒師を拾いました』編のスピンオフです。

『ジャスティンと魔法少女のステッキ』
『魔法少女』編のスピンオフです。

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