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食び(たび)
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霧立ち込める深山に踏み入り、樹齢6400年越えの神樹を拝する。
苔むしているが磨かれた翡翠のような輝きを放っていた。
その輝きの表面を持ち込んだ特別な短刀で薄く切る。
元の苔には一切触れず、輝きだけを薄く切り、パクリと舌に乗せた。
なるほど。
翠色の歴史の味がする。
大海の底で、この貴重さは特に珍味とされるだろう。
味見を終えると、尽きぬ輝きを薄く切っては木箱に保存する。
この木箱の材料も歴史を内包するに相応しく、この森の外周部で芽吹いた若木の夢から採取した。
系譜であり、もっとも未来の輝きを包摂する器にこそ、深遠博大はよく馴染む。
木箱一杯に詰め込むと、封をして時を止める。
良い土産ができた。
下山しよう。
+++++
町外れの丘まで戻る。
月下の夜桜を傘に友人と晩酌に耽り、山中の様子を語って聞かせた。
そうなんだよ。まだまだこの土地も捨てたもんじゃないね。
はは、そう云わず、もうちょっと頑張ってみないか。
まだ海に沈めるには早いだろ?
そうなんだよ。海中で育てるのは無理なのさ。
ほら、持ち帰ったから一緒に食べようぜ。
どうだ? そうだろうそうだろう。
良い顔だねぇ。そうなるだろうよ。
濃厚で張りがあって、小細工を捨てたくなる後味だろう?
1枚1枚がこの薄さでも、ため息の出る存在感だ。
いいよ、残りは全部たべて。
この辺の陸地は残しておきたくなっただろう?
偶には獲りに行ってやるさ。
長い生だ。
味わい深くいこうぜ。
おーおー。いいね。
さっそく明日は一緒に海まで行こうか。例の海溝の底まで付き合おう。
なぁに人魚と違って、いちいち変化する必要がないからな。
今更だ。
瑞獣だの云ってるのは人間達だけだろう。
大海を統べているヤツが、俺に畏まるな。
普通でいいのさ。
なぁ底の砂地に着いたらさ。
前にご馳走になった、「深海魚に視える赤」を食べさせてくれよ。
あれが好きでね。
良いじゃないか。
程よく胸に響くのさ。
よし、これからの事も決まったし、今日は寝るとしようか。
朝日が昇る時間にでも、ここでまた落ち合おう。
ん? 何処で寝るのかって?
満月が綺麗だからね。月の見える雲の上かな。
興味があるかい? なら連れていこう。
そうだな、起きる時間を決めるのは無粋か。
寝落ちるまで語り合い、起きたら適当にね。
いいね。
明日も楽しみだ。
+++++
ここからは浜も見えない。
凪を敷き、一帯の海面に漣も許さず足元を観る。
海とは思えないほど静かに真昼の空を映す1枚の鏡のようだった。
一夜を共にした少女が一足先に海中を楽しそうに泳いでいるのがクッキリと判る。
『泳ぐ人魚を海中に捉えた光』を利き手で掴むと、シャクシャクと朝食代わりに咀嚼した。
軽い歯応えとは裏腹に瑞々しく、活力を覚える味だった。
空中から真下へ移動する。
鏡面が丸く凹み、この身を包んだ空気の層が泡のような形に成る。
どんどん沈む。
上半身は人で下半身は魚の、2属性を持った海の住人達が周りを泳いでいる。
気安く手を振りながら、波の影響を受けない深度まで潜った所で忘れず海面の凪を解いた。
この海の主となったばかりの少女に導かれて回遊し、やがて目当ての海溝へ共に飲み込まれていく。
どこに何があるのかは判るが、とっくに光は届いていない。
視界内には赤い深海魚が増えていた。
目立ちたがっているのではなく、この辺りの光量では赤い色が見え難いのだ。
弱肉強食の世界で、捕食者から生き残る為の赤だった。
見えないからこそ選ばれる、深海魚たちの本能に注目される赤。
朱色の魚にしても、何者かが近づけば普通は逃げていく。
それでも逃げない個体はいて、その時に纏っている自信の層こそが美味な珍味。
深海魚に視える赤、だった。
自分の居る場所を安全だと信じている希望の味。
仲間の為を想う為政者達が贅を尽くしてでも欲しがる達成感の味。
少しだけふわりと足元の砂が舞う。
世界最大の山を逆さまにしても届かない海溝の底に着いたのだ。
手の届く距離に来たので、特別なナイフで赤魚の纏う安全圏の表面を薄く削ぎ、口にした。
種の本能が世代を越えて万全を尽くしたから絶妙に醸造された生き様を、迷い無く信じている個の味が、舌の上で蕩けた。
心からの信頼の味は、海の環境の安定も意味する。
味の感想を待っているのか、今代の海を統べるモノが近くで神妙な顔をしていた。
+++++
大丈夫だって。
「深海魚に視える赤」を、次に来た時もいただきたいね。
うん、美味いよ。生活に根付いているから、旨みが何層にも積まれていた。
一時の気の迷いではない深みのある味だったよ。
もちろん絶対の安全なんて無いし、あったら食物連鎖が成り立たない。
良いバランスだ。
悪くない治世だってことさ。
不安だったかい?
大丈夫さ、そうそう深海の味は変わらない。
海と陸の配分は当分、今のままで良いと思う。
考えすぎなのさ。
陸地ばっかり増えてるなんて事はないって。ホントだって。
それより、ほら。
「海上で直視した太陽の白熱」と「世界最深の海溝の底の闇」を同量混ぜてみたんだ。
これ飲んでみてよ。
そうなんだ。思いのほか、口当たりが良いだろう。
新鮮な「今日」の味だ。
どちらも採れたばかりだからね。
これからもゆっくりと味の変化を楽しもうじゃないか。
君が望むならどこにだって連れて行くさ。昔のようにね。
そうだね。
え、そこで良いのかい。
いまから?
判った。
「やがて陸地になる未来を宿した、まだ海底火山の兆候すらない大地」だね。
着いたらどうしたい?
ああ、いいね。
岩盤を一緒にスプーンで掬って食べようか。
まだまだ太るなんて気にしなくて良いさ。
明日からも忙しく働くんだ。
さぁ存分に、お腹いっぱい食べようか。
苔むしているが磨かれた翡翠のような輝きを放っていた。
その輝きの表面を持ち込んだ特別な短刀で薄く切る。
元の苔には一切触れず、輝きだけを薄く切り、パクリと舌に乗せた。
なるほど。
翠色の歴史の味がする。
大海の底で、この貴重さは特に珍味とされるだろう。
味見を終えると、尽きぬ輝きを薄く切っては木箱に保存する。
この木箱の材料も歴史を内包するに相応しく、この森の外周部で芽吹いた若木の夢から採取した。
系譜であり、もっとも未来の輝きを包摂する器にこそ、深遠博大はよく馴染む。
木箱一杯に詰め込むと、封をして時を止める。
良い土産ができた。
下山しよう。
+++++
町外れの丘まで戻る。
月下の夜桜を傘に友人と晩酌に耽り、山中の様子を語って聞かせた。
そうなんだよ。まだまだこの土地も捨てたもんじゃないね。
はは、そう云わず、もうちょっと頑張ってみないか。
まだ海に沈めるには早いだろ?
そうなんだよ。海中で育てるのは無理なのさ。
ほら、持ち帰ったから一緒に食べようぜ。
どうだ? そうだろうそうだろう。
良い顔だねぇ。そうなるだろうよ。
濃厚で張りがあって、小細工を捨てたくなる後味だろう?
1枚1枚がこの薄さでも、ため息の出る存在感だ。
いいよ、残りは全部たべて。
この辺の陸地は残しておきたくなっただろう?
偶には獲りに行ってやるさ。
長い生だ。
味わい深くいこうぜ。
おーおー。いいね。
さっそく明日は一緒に海まで行こうか。例の海溝の底まで付き合おう。
なぁに人魚と違って、いちいち変化する必要がないからな。
今更だ。
瑞獣だの云ってるのは人間達だけだろう。
大海を統べているヤツが、俺に畏まるな。
普通でいいのさ。
なぁ底の砂地に着いたらさ。
前にご馳走になった、「深海魚に視える赤」を食べさせてくれよ。
あれが好きでね。
良いじゃないか。
程よく胸に響くのさ。
よし、これからの事も決まったし、今日は寝るとしようか。
朝日が昇る時間にでも、ここでまた落ち合おう。
ん? 何処で寝るのかって?
満月が綺麗だからね。月の見える雲の上かな。
興味があるかい? なら連れていこう。
そうだな、起きる時間を決めるのは無粋か。
寝落ちるまで語り合い、起きたら適当にね。
いいね。
明日も楽しみだ。
+++++
ここからは浜も見えない。
凪を敷き、一帯の海面に漣も許さず足元を観る。
海とは思えないほど静かに真昼の空を映す1枚の鏡のようだった。
一夜を共にした少女が一足先に海中を楽しそうに泳いでいるのがクッキリと判る。
『泳ぐ人魚を海中に捉えた光』を利き手で掴むと、シャクシャクと朝食代わりに咀嚼した。
軽い歯応えとは裏腹に瑞々しく、活力を覚える味だった。
空中から真下へ移動する。
鏡面が丸く凹み、この身を包んだ空気の層が泡のような形に成る。
どんどん沈む。
上半身は人で下半身は魚の、2属性を持った海の住人達が周りを泳いでいる。
気安く手を振りながら、波の影響を受けない深度まで潜った所で忘れず海面の凪を解いた。
この海の主となったばかりの少女に導かれて回遊し、やがて目当ての海溝へ共に飲み込まれていく。
どこに何があるのかは判るが、とっくに光は届いていない。
視界内には赤い深海魚が増えていた。
目立ちたがっているのではなく、この辺りの光量では赤い色が見え難いのだ。
弱肉強食の世界で、捕食者から生き残る為の赤だった。
見えないからこそ選ばれる、深海魚たちの本能に注目される赤。
朱色の魚にしても、何者かが近づけば普通は逃げていく。
それでも逃げない個体はいて、その時に纏っている自信の層こそが美味な珍味。
深海魚に視える赤、だった。
自分の居る場所を安全だと信じている希望の味。
仲間の為を想う為政者達が贅を尽くしてでも欲しがる達成感の味。
少しだけふわりと足元の砂が舞う。
世界最大の山を逆さまにしても届かない海溝の底に着いたのだ。
手の届く距離に来たので、特別なナイフで赤魚の纏う安全圏の表面を薄く削ぎ、口にした。
種の本能が世代を越えて万全を尽くしたから絶妙に醸造された生き様を、迷い無く信じている個の味が、舌の上で蕩けた。
心からの信頼の味は、海の環境の安定も意味する。
味の感想を待っているのか、今代の海を統べるモノが近くで神妙な顔をしていた。
+++++
大丈夫だって。
「深海魚に視える赤」を、次に来た時もいただきたいね。
うん、美味いよ。生活に根付いているから、旨みが何層にも積まれていた。
一時の気の迷いではない深みのある味だったよ。
もちろん絶対の安全なんて無いし、あったら食物連鎖が成り立たない。
良いバランスだ。
悪くない治世だってことさ。
不安だったかい?
大丈夫さ、そうそう深海の味は変わらない。
海と陸の配分は当分、今のままで良いと思う。
考えすぎなのさ。
陸地ばっかり増えてるなんて事はないって。ホントだって。
それより、ほら。
「海上で直視した太陽の白熱」と「世界最深の海溝の底の闇」を同量混ぜてみたんだ。
これ飲んでみてよ。
そうなんだ。思いのほか、口当たりが良いだろう。
新鮮な「今日」の味だ。
どちらも採れたばかりだからね。
これからもゆっくりと味の変化を楽しもうじゃないか。
君が望むならどこにだって連れて行くさ。昔のようにね。
そうだね。
え、そこで良いのかい。
いまから?
判った。
「やがて陸地になる未来を宿した、まだ海底火山の兆候すらない大地」だね。
着いたらどうしたい?
ああ、いいね。
岩盤を一緒にスプーンで掬って食べようか。
まだまだ太るなんて気にしなくて良いさ。
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