僕たちのスタートライン

仙崎 楓

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スタートライン

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 いよいよ本番だってのに、どんだけ暑いんだよ。
まるで夏が戻ってきたみたいだ。
 ジリジリと体力だけが奪われていく。

 俺はレースのあと、グラウンドの真ん中でぐったりと座り込んでいた。
  タオルを被った俺の頭にコーチの声がふりかかってきた。
「神原、大丈夫か?
  不調でも何とか予選通ったんだから諦めるなよ」
「………うっす」

 予選の俺の記録は最悪だった。
 走ってるときも、いつもと違って風がちっとも流れていかないし、むしろまとわりつくようだった。
 そして身体中が重くて動かない。

 もう終わったと思ったはずなのに。
 気持ち切り替えて走んないといけないのに。
 このままじゃ、大学推薦までダメになる。

 グラウンドに次のレースを促すアナウンスが流れた。

「男子100m予選3組に出場の選手はスタート横に待機してください」

  俺は他の選手のあとに続いて移動しようとノロノロと立ち上がった。
  その瞬間、日差しに目を奪われて視界が真っ白になった。
  ヤバイ 、倒れるかも。
  俺、このままどうなるんだ。

 ダメだろ。
 断ち切らないと。
 断ち切らないと。
 断ち切らないと。


 ビュウッ!
  突然、今までの暑さをかき消す冷たい風がグラウンドを吹きぬけた。
  俺は風の勢いに負けじと必死で踏ん張り、何とか倒れずには済んだが、頭にかぶっていたタオルが思いきり飛んでいってしまった。
 俺のまわりに、遮断していた世界が一気に広がる。

 真っ青な空。
 広いグラウンド。
 そして………。

「しずか………」
  グラウンドの入り口にじっと立ったまま、まっすぐな視線を向けてくる。

何だよその心配そうな顔。
お前のせいだっつーの。



  …やっぱり、無理だ。
  断ち切れるわけない。

「しずか━━━━━━ !!」
 グラウンドに俺の声が響き渡った。
 静はゆっくりと階段を下り始めた。
 真っ直ぐ俺の目の前まで来ると立ち止まった。
  そして、口角だけをきゅっと上げて申し訳なさそうに笑うと、俺にだけ聞こえるような声で、とは言ってもと迷いのない口調で言った。

「陸、ごめんね。
  僕は陸から一番の友達を奪った。
  それも大事な試合直前に」

  俺は、目頭がじんと熱くなるのを感じて、ぐっと歯を食いしばった。
「…お前、わざわざ謝るために、来たのかよっ」
 「陸はちゃんと考えてるって、言ってくれたから。
  ありがとう、陸」

  久々に静が穏やかな笑顔を見て、俺の胸の中は瞬く間にスッと軽くなっていった。
  自分でも驚くほどの安心感に襲われた俺は、呆然と静を見つめていた。

「僕の番だよね?
    行ってくる」
  静はにこっと笑うと、羽織っていた上着をさっと脱ぐと、軽くたたんで俺に預けた。
 下にはすでにユニフォームを身につけていて、準備万端だった。



  静と他の選手がスタートラインにつくと、グラウンドはしん、と静まり返った。
  俺は先を見据える静の顔をじっと見つめた。

 スタートのピストルが鳴った瞬間、鋭く静が飛び出した。
 後を寄せつけない速さでぐんぐん伸びていく。
 瞬発力と身軽さが売りの静の走りは無駄がなくて、やっぱり綺麗だ。

 良かった、静が辞めなくて。
 やっぱり俺は、まだ静と一緒に走っていたい。

 フィニッシュラインを越えた静が、いつも通りの笑顔で俺に向かってVサインをした。
「何だよ、休んでてブランクなしかよ」
 俺はぼそりと呟きながら下を向き、こぼれた涙が汗に紛れて誰にも気づかれないよう密かに願っていた。

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