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33 苔と黴
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本家から帰り、婚家で身体を休めた。まだしんどいけれど、真実を確かめなければ安まるものも休まらない。
夜。昨日降った雪のせいで道が泥濘んでいる。車にも乗らずぐるぐると考えを巡らせながら、一時間ほど歩いて実家に辿り着いた。
「安記、連絡もしないで。どうしたの。」
いつもの母さんだ。玄関広間の横の客間に促され、向き合って座る。
「母さん、話があるの。お父さんも。」
「あの人は、居ないわ。」
やっぱり。
「昨日出て行って…まだ帰って来ていないの。そのうち帰って来るわ、お父さんに用事なんて珍しいわね。」
「もう、帰って来ないわよ。」
「え。」
「母さんに騙されて…他人の子供、三人も育てさせられて。」
「何を、言ってるの。」
本題だ、全部言ってやる。
「私、全部知ってる。母さん気持ち悪いよ、信じられない。お祖母ちゃんのお兄ちゃんとの子供作るなんて、気持ち悪いよ。」
「ち、違うの。安記、誰から聞いたの。」
「誰だっていいでしょ。お父さん可哀想だと思わないの。母さんそんな事してよく平気だったよね。」
「違う。安記はあの人の子よ、」
絶対、嘘。
「私この耳で聞いたの、詠子様が言ってた。私は大伯父様の子だって…き、気持ち悪いっ。兄さんだって大叔父様の子なんでしょ。そこまで狐憑きが欲しかったの?頭おかしいんじゃない?」
…吐きそう。
「事実じゃないわ。詠子様には、安記がお腹に居る時に確かにそう言ったわ。でも、本当の父親は、あの人なの。」
「でも私…風鼠じゃん。」
「そんな事まで…?違う、あの人の子で、安記は本当に狐憑きなのよ。」
「は。」
え。狐憑きはひとりもいないんでしょ、嘘ばっか。
「狐憑きって認めたら、安記は離れに行くのよ。好きな人と結婚だって出来ない。子供も産めないのよ。」
「嘘。狐憑きって証明もない、母さんがお父さんを愛してたなんて思えない。」
こんなきれいな母さんが、お父さんと結婚した事自体おかしいんだよ。
「あの人は私の大切な人よ。薄れてきていたけれど…結婚したいって言ったら、前の久尾屋のご当主に…反対されたの。」
「反対されて…殺したの?」
「殺した…のは、私じゃないわ。」
信じられない。
「誰。」
「…本家よ、」
「詠子様…?」
「私には結婚相手が決まってたの。でも、あの人と一緒になりたくて。詠子様が狐憑きを産むのなら、と承諾してくれたの。」
嘘っぽいんだよ…
「だからって…人殺して、身内の子供産むなんて。」
「そういう家なのよ…。人殺しだって許される事じゃない。でも…その人も理不尽に、関係のない一家を殺しているの。そんな人ばかりだから、安記を外に遣りたかった…。」
「………。」
「愛した人の子を、不幸にするために産む母親が何処にいるの?」
泣き落とし…?
「兄さんは、」
「…仕方なかったのよ。でも、余所に遣らないと約束したわ。でも、安記はどうしても、狐憑きでも手元に置いておきたかった。」
…絶対騙されない。
「…狐憑きという証拠はあるの。」
「死んだ前当主の時は、久尾屋は火の車だった。だから、詠子様のご決断があったの。それから立て直した。久尾屋があの人だけで、これだけ盛り立てられたと思う…?黒村の家も幸せでしょ。」
「…それだけじゃわからない。」
「安記は、嘘偽りのない検査でちゃんと狐憑きと出たの。今証明してと言われても、難しいのだけれど…」
詠子様も、私は朱(しゅ)って言ってたな…でも、それもわからない。
「私のお陰で久尾屋は繁盛してたって事?兄さんふたりではなく?」
「蒼助と、あなたの力で、と思っているわ。恭亮は、狐憑きでは無いわ…。」
やっぱり、風鼠か。
「そんな…何でちゃんと言ってくれなかったの。私はお父さんに似てないし、」
「何言ってるの、その話し方や性格なんてあの人そっくりじゃない。」
「…え。」
嬉しくない、全然。
「似てるからしょっちゅう口喧嘩したり、衝突したりしてたんでしょ。絢音だって、あの人そっくりじゃない。」
顔は似てないよ、やめてよ。
「お父さん、私みたいな人、嫌いだったじゃない。」
「久尾屋の当主になる時、それで大変だったのよ。客商売なのに口が悪くて、お世辞が遣えなくて…あなたが生まれて景気が良くなったけど、それまではお店大変だったんだから。」
まさか。
「…その時、誰か売った?」
「そんな事まで…売ってないわよ。私とあの人で頑張っただけよ。」
人間の努力だけで?
「き、狐憑きの力じゃなくて?」
「軌道に乗ってからあなたが生まれたの。それからあの人は穏やかになったし…あれでもね。」
「だったら、私の力じゃないじゃない。母さんとお父さんの力じゃない。兄さんだって頑張ってた。」
「…狐憑きの力はね、何も努力しない者には力を与えないの。本家はそれを分かっていないのよ。」
急に良い話。
「本家には、狐憑きは居るの…?」
「ひとり、ね。安記を検査してくれた人に、ちゃんと狐憑きと言われた人よ。」
「…誰。」
「雪冬様よ。」
「黒の狐憑き…」
「ただ、黒は、ね…」
まだ秘密が…?
「何。」
「幸運は与えないのよ。」
「何を与えるの。」
「……知らなくていい事よ。」
怖い。
「それは…他の人は知ってるの。」
「いえ、私のお祖母様だけが知っていただけ。黒は滅多に生まれなかったから、誰も知らないし気付いてないわ。」
「じゃあ、雪冬様は、」
「本家にとって、安森にとっていちばんの疫病神と言っても過言ではないわ。」
罰当たりそうな事をさらっと…
「じゃあ、この状況って…」
「雪冬様の力だけじゃないわ。身内同士の結婚を推し進めたのは詠子様よ。この現状に、狐憑きの神様が怒ったのね…」
「狐憑きの呪いは後から来たって事?呪いを蒔いたのは…」
「…そうよ。」
母さんは、同じく安森に翻弄された人だったのか。でも…お父さんを裏切ったのは事実だった。
でも、私を守るために必死になってくれた。
これは…
「母さん、安森の事、この際だから全部言って!」
「え。安記はどこまで知ってるの。」
「…わかんない、わかんない。」
「安記も、他の人も騙すのはやめるわ。安記に解られたのなら、詠子様に気を遣う必要もなくなったし…あの人も今頃全てを知ったはず。あの人と一緒になるために、ご両親は犠牲になられたのよ。必要の無い死だったのに…。ほとほと疲れたの…詠子様を、安森をどうにかしたいんでしょ。」
「本当にそう思って、る…?」
「疑うのはもうよしなさい。蒼助や祥庵がこそこそ何かしているのも知ってるわ。もちろん詠子様には伝えていない。」
「母さん、怖い。」
「あの人と同じ事言わないで。本当にそっくりなんだから。」
雪庵が本家に行って数日後、花江が古い冊子を持って、祥庵の寺に訪れた。
「ずっと気になっていた事のお話と、夫の私物で不安な点がありまして…。」
寺の境内に促し腰掛ける。花江の顔色が悪い。
「…私達と、祥庵さんのお話ですれ違いを感じたのですが、確認したい点が。」
「何だ?」
「私達が療養所に越して来たのは十年前の火事の時でした。医者が不在で被災者の手当てをして欲しいと要請がありまして。」
「知ってる。それが?」
「祥庵さんがこちらに来たのはいつ頃ですか。」
「俺が来たのは、桂樹が死んで一ヶ月くらい後…夏の盛りくらいかな。なぜ?」
「…桂樹さんが亡くなられたのは小夜がいなくなって数日後。それから一ヶ月西の国にいらした祥庵さんが、被災した直後のあかりに会えるはずがないのです。」
「いや、寺に戻ってきて暫くしてから火事があったんだぞ、間違いない。」
「私達もこちらに越して来てから安森から特殊医師の知り合いはいないかと尋ねられたのです。そこで、祥庵さんがいらしたはずと連絡致しました。ですが、そうすると私達が被災者の手当てをしていた時、祥庵さんは西の国にいた事になります。」
確かに。花江の話では連絡をもらった時点で火事は起きた後。しかし祥庵が寺に戻ってから火事は起きている。
「二回火事があったってことか?」
「いえ、それはありません。あと鳳右衛門さんも、祝言の話の前にあかりに会っているのに、初対面のような雰囲気でした。桜餅を一緒に食べたりしていたのに覚えていないはずはありません。私達は暦通りに、あったこと通りに過ごしています。しかし、小夜がいなくなってあかりが久尾屋にいくまでの十年間、時間がおかしいのです。」
「時間が歪んでる、と。」
「…実は、この時間の歪みはその前にも経験があります。」
「え。」
「妊娠期間中、子の成長が早く不安に思っていた時と、小夜、雪冬様が生まれた時に…」
妊娠期間…。
「生まれた時はどんな歪みが?」
「知らないはずの雪冬様の詳細を本家が知っていたり…安森に関わる事柄に歪みが出るのです。火事の時の歪みもそうかと。夫は今、安森の本家で雪冬様のお世話の名目で行っております。あかりさんも妊娠中だと伺いました。もし、今後また歪みが出たら…」
「脱出、制裁が上手くいかない…。」
「手紙のやり取りは大丈夫でしょうか。」
「…今のところは。」
「なるべく、同じ場所にいた方がよろしいかと。」
「…わかった。」
確かに言われてみれば時間が僅かにずれている。何の支障もなかったから気が付かなかった。これは俺と雪庵先生、あかりを会わせるための歪みだったのか。
…小夜がそうしたのだろうか。
「…あと、こちらの文献なのですが。夫の書斎を整理していた時に見つけまして。」
花江からその文献を受け取る。だいぶ年季が入っている。表紙には門外不出の文字と、( 安森家 家系図 )とあった。中をぱらぱらと捲る。
初代と思われる古い字の名前から始まり、何十頁と家系図が書かれている。古い文字ばかりで全く読めない。
途中、見覚えのある羅列があった。
狐憑きの力の色分け表である。しかし、祥庵が習った色分けとは異なっている。
(黒、紅)、(藍)、(碧、朱)、(緑、桃色)、(白)
が、今使っている色と順番なのだが、
雪庵が持っていた家系図に記されていたのは、
(朱)、(青)、(緑)、(黒)、(茶)
と、あった。数字も無かった。
「狐憑きが存在していた頃の色分けの様なのですが、今と全く違って。」
「これは、当時の色分けだ。男女分けてはいなかったみたいだな。今とは全く関係無いと思うが…」
「そうだと私も思いました。ですが、気になる点がひとつありまして。」
「なんだ。」
花江は色分け表の、朱を指した。
「祥庵さんは、これ(朱)をなんと読んでおられましたか。」
「(しゅ)、だが…。」
「夫は、(あか)と言っていたのです。しかし、本家の者の話の中であか、と言う者がいらっしゃいませんでした。紅はべに、ですし不思議に思っておりましたが…これを見て、もしかしたら、と。」
頁を捲り、花江がある一文に、指さした。
「夫は、小夜を(あか)と言っておりました。とすると、今使われている色分けで確定したとは思えないのです。」
「…では、小夜は。」
「黒か紅、それ以上だった、と。」
アカ、チカラ強ク、幸福共ニ呪イ強シ。
呪イ強シ。
俺達の不運に、辻褄が合ってしまった。
夜。昨日降った雪のせいで道が泥濘んでいる。車にも乗らずぐるぐると考えを巡らせながら、一時間ほど歩いて実家に辿り着いた。
「安記、連絡もしないで。どうしたの。」
いつもの母さんだ。玄関広間の横の客間に促され、向き合って座る。
「母さん、話があるの。お父さんも。」
「あの人は、居ないわ。」
やっぱり。
「昨日出て行って…まだ帰って来ていないの。そのうち帰って来るわ、お父さんに用事なんて珍しいわね。」
「もう、帰って来ないわよ。」
「え。」
「母さんに騙されて…他人の子供、三人も育てさせられて。」
「何を、言ってるの。」
本題だ、全部言ってやる。
「私、全部知ってる。母さん気持ち悪いよ、信じられない。お祖母ちゃんのお兄ちゃんとの子供作るなんて、気持ち悪いよ。」
「ち、違うの。安記、誰から聞いたの。」
「誰だっていいでしょ。お父さん可哀想だと思わないの。母さんそんな事してよく平気だったよね。」
「違う。安記はあの人の子よ、」
絶対、嘘。
「私この耳で聞いたの、詠子様が言ってた。私は大伯父様の子だって…き、気持ち悪いっ。兄さんだって大叔父様の子なんでしょ。そこまで狐憑きが欲しかったの?頭おかしいんじゃない?」
…吐きそう。
「事実じゃないわ。詠子様には、安記がお腹に居る時に確かにそう言ったわ。でも、本当の父親は、あの人なの。」
「でも私…風鼠じゃん。」
「そんな事まで…?違う、あの人の子で、安記は本当に狐憑きなのよ。」
「は。」
え。狐憑きはひとりもいないんでしょ、嘘ばっか。
「狐憑きって認めたら、安記は離れに行くのよ。好きな人と結婚だって出来ない。子供も産めないのよ。」
「嘘。狐憑きって証明もない、母さんがお父さんを愛してたなんて思えない。」
こんなきれいな母さんが、お父さんと結婚した事自体おかしいんだよ。
「あの人は私の大切な人よ。薄れてきていたけれど…結婚したいって言ったら、前の久尾屋のご当主に…反対されたの。」
「反対されて…殺したの?」
「殺した…のは、私じゃないわ。」
信じられない。
「誰。」
「…本家よ、」
「詠子様…?」
「私には結婚相手が決まってたの。でも、あの人と一緒になりたくて。詠子様が狐憑きを産むのなら、と承諾してくれたの。」
嘘っぽいんだよ…
「だからって…人殺して、身内の子供産むなんて。」
「そういう家なのよ…。人殺しだって許される事じゃない。でも…その人も理不尽に、関係のない一家を殺しているの。そんな人ばかりだから、安記を外に遣りたかった…。」
「………。」
「愛した人の子を、不幸にするために産む母親が何処にいるの?」
泣き落とし…?
「兄さんは、」
「…仕方なかったのよ。でも、余所に遣らないと約束したわ。でも、安記はどうしても、狐憑きでも手元に置いておきたかった。」
…絶対騙されない。
「…狐憑きという証拠はあるの。」
「死んだ前当主の時は、久尾屋は火の車だった。だから、詠子様のご決断があったの。それから立て直した。久尾屋があの人だけで、これだけ盛り立てられたと思う…?黒村の家も幸せでしょ。」
「…それだけじゃわからない。」
「安記は、嘘偽りのない検査でちゃんと狐憑きと出たの。今証明してと言われても、難しいのだけれど…」
詠子様も、私は朱(しゅ)って言ってたな…でも、それもわからない。
「私のお陰で久尾屋は繁盛してたって事?兄さんふたりではなく?」
「蒼助と、あなたの力で、と思っているわ。恭亮は、狐憑きでは無いわ…。」
やっぱり、風鼠か。
「そんな…何でちゃんと言ってくれなかったの。私はお父さんに似てないし、」
「何言ってるの、その話し方や性格なんてあの人そっくりじゃない。」
「…え。」
嬉しくない、全然。
「似てるからしょっちゅう口喧嘩したり、衝突したりしてたんでしょ。絢音だって、あの人そっくりじゃない。」
顔は似てないよ、やめてよ。
「お父さん、私みたいな人、嫌いだったじゃない。」
「久尾屋の当主になる時、それで大変だったのよ。客商売なのに口が悪くて、お世辞が遣えなくて…あなたが生まれて景気が良くなったけど、それまではお店大変だったんだから。」
まさか。
「…その時、誰か売った?」
「そんな事まで…売ってないわよ。私とあの人で頑張っただけよ。」
人間の努力だけで?
「き、狐憑きの力じゃなくて?」
「軌道に乗ってからあなたが生まれたの。それからあの人は穏やかになったし…あれでもね。」
「だったら、私の力じゃないじゃない。母さんとお父さんの力じゃない。兄さんだって頑張ってた。」
「…狐憑きの力はね、何も努力しない者には力を与えないの。本家はそれを分かっていないのよ。」
急に良い話。
「本家には、狐憑きは居るの…?」
「ひとり、ね。安記を検査してくれた人に、ちゃんと狐憑きと言われた人よ。」
「…誰。」
「雪冬様よ。」
「黒の狐憑き…」
「ただ、黒は、ね…」
まだ秘密が…?
「何。」
「幸運は与えないのよ。」
「何を与えるの。」
「……知らなくていい事よ。」
怖い。
「それは…他の人は知ってるの。」
「いえ、私のお祖母様だけが知っていただけ。黒は滅多に生まれなかったから、誰も知らないし気付いてないわ。」
「じゃあ、雪冬様は、」
「本家にとって、安森にとっていちばんの疫病神と言っても過言ではないわ。」
罰当たりそうな事をさらっと…
「じゃあ、この状況って…」
「雪冬様の力だけじゃないわ。身内同士の結婚を推し進めたのは詠子様よ。この現状に、狐憑きの神様が怒ったのね…」
「狐憑きの呪いは後から来たって事?呪いを蒔いたのは…」
「…そうよ。」
母さんは、同じく安森に翻弄された人だったのか。でも…お父さんを裏切ったのは事実だった。
でも、私を守るために必死になってくれた。
これは…
「母さん、安森の事、この際だから全部言って!」
「え。安記はどこまで知ってるの。」
「…わかんない、わかんない。」
「安記も、他の人も騙すのはやめるわ。安記に解られたのなら、詠子様に気を遣う必要もなくなったし…あの人も今頃全てを知ったはず。あの人と一緒になるために、ご両親は犠牲になられたのよ。必要の無い死だったのに…。ほとほと疲れたの…詠子様を、安森をどうにかしたいんでしょ。」
「本当にそう思って、る…?」
「疑うのはもうよしなさい。蒼助や祥庵がこそこそ何かしているのも知ってるわ。もちろん詠子様には伝えていない。」
「母さん、怖い。」
「あの人と同じ事言わないで。本当にそっくりなんだから。」
雪庵が本家に行って数日後、花江が古い冊子を持って、祥庵の寺に訪れた。
「ずっと気になっていた事のお話と、夫の私物で不安な点がありまして…。」
寺の境内に促し腰掛ける。花江の顔色が悪い。
「…私達と、祥庵さんのお話ですれ違いを感じたのですが、確認したい点が。」
「何だ?」
「私達が療養所に越して来たのは十年前の火事の時でした。医者が不在で被災者の手当てをして欲しいと要請がありまして。」
「知ってる。それが?」
「祥庵さんがこちらに来たのはいつ頃ですか。」
「俺が来たのは、桂樹が死んで一ヶ月くらい後…夏の盛りくらいかな。なぜ?」
「…桂樹さんが亡くなられたのは小夜がいなくなって数日後。それから一ヶ月西の国にいらした祥庵さんが、被災した直後のあかりに会えるはずがないのです。」
「いや、寺に戻ってきて暫くしてから火事があったんだぞ、間違いない。」
「私達もこちらに越して来てから安森から特殊医師の知り合いはいないかと尋ねられたのです。そこで、祥庵さんがいらしたはずと連絡致しました。ですが、そうすると私達が被災者の手当てをしていた時、祥庵さんは西の国にいた事になります。」
確かに。花江の話では連絡をもらった時点で火事は起きた後。しかし祥庵が寺に戻ってから火事は起きている。
「二回火事があったってことか?」
「いえ、それはありません。あと鳳右衛門さんも、祝言の話の前にあかりに会っているのに、初対面のような雰囲気でした。桜餅を一緒に食べたりしていたのに覚えていないはずはありません。私達は暦通りに、あったこと通りに過ごしています。しかし、小夜がいなくなってあかりが久尾屋にいくまでの十年間、時間がおかしいのです。」
「時間が歪んでる、と。」
「…実は、この時間の歪みはその前にも経験があります。」
「え。」
「妊娠期間中、子の成長が早く不安に思っていた時と、小夜、雪冬様が生まれた時に…」
妊娠期間…。
「生まれた時はどんな歪みが?」
「知らないはずの雪冬様の詳細を本家が知っていたり…安森に関わる事柄に歪みが出るのです。火事の時の歪みもそうかと。夫は今、安森の本家で雪冬様のお世話の名目で行っております。あかりさんも妊娠中だと伺いました。もし、今後また歪みが出たら…」
「脱出、制裁が上手くいかない…。」
「手紙のやり取りは大丈夫でしょうか。」
「…今のところは。」
「なるべく、同じ場所にいた方がよろしいかと。」
「…わかった。」
確かに言われてみれば時間が僅かにずれている。何の支障もなかったから気が付かなかった。これは俺と雪庵先生、あかりを会わせるための歪みだったのか。
…小夜がそうしたのだろうか。
「…あと、こちらの文献なのですが。夫の書斎を整理していた時に見つけまして。」
花江からその文献を受け取る。だいぶ年季が入っている。表紙には門外不出の文字と、( 安森家 家系図 )とあった。中をぱらぱらと捲る。
初代と思われる古い字の名前から始まり、何十頁と家系図が書かれている。古い文字ばかりで全く読めない。
途中、見覚えのある羅列があった。
狐憑きの力の色分け表である。しかし、祥庵が習った色分けとは異なっている。
(黒、紅)、(藍)、(碧、朱)、(緑、桃色)、(白)
が、今使っている色と順番なのだが、
雪庵が持っていた家系図に記されていたのは、
(朱)、(青)、(緑)、(黒)、(茶)
と、あった。数字も無かった。
「狐憑きが存在していた頃の色分けの様なのですが、今と全く違って。」
「これは、当時の色分けだ。男女分けてはいなかったみたいだな。今とは全く関係無いと思うが…」
「そうだと私も思いました。ですが、気になる点がひとつありまして。」
「なんだ。」
花江は色分け表の、朱を指した。
「祥庵さんは、これ(朱)をなんと読んでおられましたか。」
「(しゅ)、だが…。」
「夫は、(あか)と言っていたのです。しかし、本家の者の話の中であか、と言う者がいらっしゃいませんでした。紅はべに、ですし不思議に思っておりましたが…これを見て、もしかしたら、と。」
頁を捲り、花江がある一文に、指さした。
「夫は、小夜を(あか)と言っておりました。とすると、今使われている色分けで確定したとは思えないのです。」
「…では、小夜は。」
「黒か紅、それ以上だった、と。」
アカ、チカラ強ク、幸福共ニ呪イ強シ。
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