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22 虹
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「き、恭亮様。蒼助様のお子がみえました。」
清吉が門から息も絶え絶えに走ってくる。
何か様子がおかしい。
「本家からの乳母もいらっしゃいましたか。」
「そ、その、あかり様が。」
「え。」
お父様からは蒼助の子が乳母と共に離れにやって来ると聞いた。
乳母は本家から寄越される特殊医学を学んだ者である。
僕も乳母に育てられた。母親だと思い暮らしていたが、物心付く頃に乳母だと打ち明けられ、本当の母親は門を五つくぐった先、竹藪の向こうの家に居ると聞いた。
その五つの門をくぐり、赤子を抱えてあかりさんがやって来る。動悸を覚えた。
開かれた門からあかりさんが現れた。
小柄で若く、可愛らしい女性が布に巻かれた赤子を両手で抱き、片手には小さな風呂敷包みが下げられている。
清吉に促され、縁側の脱ぎ石で下駄を脱ぎ、家に上がった。向かい合って座り、お辞儀をした。
「初めまして。あかりと申します。急な訪問ご容赦下さい。この子は三日前に生まれました蒼助さんの子供でございます。」
「初めまして。安森 恭亮と申します。あかりさんの事、子供の事は事前に聞いております。ですが、あかりさんは母屋に残られるという話でしたが。」
「はい。そう決まりました。ですが、どうしても…」
あかりさんが腕の中で眠る赤子を見る。
「黙って来られたのですか。」
「……はい。」
「ここの掟はご存知ですか。」
「はい。」
「今、すぐになら、まだ引き返せます。」
「いえ、恭亮さんが許していただけるのなら、ここでこの子を育てても構いませんでしょうか。許していただけるのでしたら、私はこちらで一生暮らすつもりでございます。」
「出られないのですよ。」
「はい。」
「私と、ずっと一緒なのですよ。」
「はい。」
「蒼助にも、会えなくなります。」
「はい。」
心を固めて訪れたようだ。
後に清吉から聞いた事だが、お母様が手助けをしたらしい。
赤子を引き取りに清吉が門の内側で待っているとお母様の声がして、私は入らないが、ひとり一緒に連れて行って欲しい人がいる、と言われた。
乳母の事だろうと思っていたが、開かれた門扉の前には赤子を抱いたあかりさんがいた。
一つ目の門は外側に鍵穴が三つ付いた大きな錠がかかっており、二つ目の門からは両面から開けられるが絡繰(からくり)錠になっていて、開けられるのは限られた者だけだ。
一つ目の門でお母様は深くお辞儀をし、清吉に丁寧に、あかりさんと孫を…どうぞよろしくお願いいたします、と告げ、門扉が閉まるまで頭を上げなかったという。
四つの門をくぐる道すがら、あかりさんは黙ったままで、砂利道を歩くふたりの足音だけを聞いて離れに来たと伝えられた。
一つ目の門から五つ目の門までは十分ほど。傾斜がけっこうきついらしく、祥庵はいつも息を切らしてやって来る。
僕はもちろんその道をこの足で歩いた事はないし、見た事もない。清吉の話で想像するだけだけど、あかりさんも今後もうその道を通る事はない。僕のように想像したり、今日の記憶を辿ったりするのだろうか。
用意しておいた子供用の布団に赤子を寝かせる。よく寝る子で、一向に目を覚ます気配がない。
「この子に、名前はあるのですか。」
「いえ、まだ日も経っておりませんので。考えている時間もなくて。」
「名無しでは可哀想です、名前を考えなくては。蒼助は何か言っておりましたか。」
「…何も。」
「…そうですか。では、あかりさんは何かありますか。」
「候補はあったのですが、全部忘れてしまいました。いろいろあり過ぎて。」
「名前は大切です、生まれて初めての贈り物ですから。」
「恭亮さんが名付けてくれませんでしょうか。」
「僕ですか。僕は、」
「お願いいたします。父親に名付けてもらえなかったのです、せめて父方の家族に付けてもらえたら、この子も幸せだと思います。」
「…わかりました。いい名前を考えましょう。」
三日三晩真剣に考えて、本や辞書を引いて悩み抜いて…力尽きた。僕に名付けは無理だ、と自棄になって、ふとあかりさんの名前の由来を聞いた。
「わかりませんが、育ててくれた雪庵先生は漢字をあてるなら、明るいか朱色の朱かな、と言われた事があります。」
色か。
そこから発想し、ぽっと浮かんだ名前をあかりさんに伝えた。とても喜んでくれた。ここに来て四日目、初めて笑顔を見た。
赤子の名前は、優紫(ゆうし)。
あかりさんの名前から来る印象の朱色と、そして蒼助の蒼。混ぜたら紫、優しい子になるように。
安森 優紫さん、よろしくお願いいたしますね。
清吉が門から息も絶え絶えに走ってくる。
何か様子がおかしい。
「本家からの乳母もいらっしゃいましたか。」
「そ、その、あかり様が。」
「え。」
お父様からは蒼助の子が乳母と共に離れにやって来ると聞いた。
乳母は本家から寄越される特殊医学を学んだ者である。
僕も乳母に育てられた。母親だと思い暮らしていたが、物心付く頃に乳母だと打ち明けられ、本当の母親は門を五つくぐった先、竹藪の向こうの家に居ると聞いた。
その五つの門をくぐり、赤子を抱えてあかりさんがやって来る。動悸を覚えた。
開かれた門からあかりさんが現れた。
小柄で若く、可愛らしい女性が布に巻かれた赤子を両手で抱き、片手には小さな風呂敷包みが下げられている。
清吉に促され、縁側の脱ぎ石で下駄を脱ぎ、家に上がった。向かい合って座り、お辞儀をした。
「初めまして。あかりと申します。急な訪問ご容赦下さい。この子は三日前に生まれました蒼助さんの子供でございます。」
「初めまして。安森 恭亮と申します。あかりさんの事、子供の事は事前に聞いております。ですが、あかりさんは母屋に残られるという話でしたが。」
「はい。そう決まりました。ですが、どうしても…」
あかりさんが腕の中で眠る赤子を見る。
「黙って来られたのですか。」
「……はい。」
「ここの掟はご存知ですか。」
「はい。」
「今、すぐになら、まだ引き返せます。」
「いえ、恭亮さんが許していただけるのなら、ここでこの子を育てても構いませんでしょうか。許していただけるのでしたら、私はこちらで一生暮らすつもりでございます。」
「出られないのですよ。」
「はい。」
「私と、ずっと一緒なのですよ。」
「はい。」
「蒼助にも、会えなくなります。」
「はい。」
心を固めて訪れたようだ。
後に清吉から聞いた事だが、お母様が手助けをしたらしい。
赤子を引き取りに清吉が門の内側で待っているとお母様の声がして、私は入らないが、ひとり一緒に連れて行って欲しい人がいる、と言われた。
乳母の事だろうと思っていたが、開かれた門扉の前には赤子を抱いたあかりさんがいた。
一つ目の門は外側に鍵穴が三つ付いた大きな錠がかかっており、二つ目の門からは両面から開けられるが絡繰(からくり)錠になっていて、開けられるのは限られた者だけだ。
一つ目の門でお母様は深くお辞儀をし、清吉に丁寧に、あかりさんと孫を…どうぞよろしくお願いいたします、と告げ、門扉が閉まるまで頭を上げなかったという。
四つの門をくぐる道すがら、あかりさんは黙ったままで、砂利道を歩くふたりの足音だけを聞いて離れに来たと伝えられた。
一つ目の門から五つ目の門までは十分ほど。傾斜がけっこうきついらしく、祥庵はいつも息を切らしてやって来る。
僕はもちろんその道をこの足で歩いた事はないし、見た事もない。清吉の話で想像するだけだけど、あかりさんも今後もうその道を通る事はない。僕のように想像したり、今日の記憶を辿ったりするのだろうか。
用意しておいた子供用の布団に赤子を寝かせる。よく寝る子で、一向に目を覚ます気配がない。
「この子に、名前はあるのですか。」
「いえ、まだ日も経っておりませんので。考えている時間もなくて。」
「名無しでは可哀想です、名前を考えなくては。蒼助は何か言っておりましたか。」
「…何も。」
「…そうですか。では、あかりさんは何かありますか。」
「候補はあったのですが、全部忘れてしまいました。いろいろあり過ぎて。」
「名前は大切です、生まれて初めての贈り物ですから。」
「恭亮さんが名付けてくれませんでしょうか。」
「僕ですか。僕は、」
「お願いいたします。父親に名付けてもらえなかったのです、せめて父方の家族に付けてもらえたら、この子も幸せだと思います。」
「…わかりました。いい名前を考えましょう。」
三日三晩真剣に考えて、本や辞書を引いて悩み抜いて…力尽きた。僕に名付けは無理だ、と自棄になって、ふとあかりさんの名前の由来を聞いた。
「わかりませんが、育ててくれた雪庵先生は漢字をあてるなら、明るいか朱色の朱かな、と言われた事があります。」
色か。
そこから発想し、ぽっと浮かんだ名前をあかりさんに伝えた。とても喜んでくれた。ここに来て四日目、初めて笑顔を見た。
赤子の名前は、優紫(ゆうし)。
あかりさんの名前から来る印象の朱色と、そして蒼助の蒼。混ぜたら紫、優しい子になるように。
安森 優紫さん、よろしくお願いいたしますね。
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