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春の終わり、
動くと汗が出てくる季節。時々強い風が吹く。
花は終わり、木の葉は青々し、毛虫が出てくる。
住居であり仕事場でもある大川療養所の庭に、洗濯した包帯や敷布、患者の浴衣や白衣など、やたら白い物ばかり干し背伸びする。
その子は十年前の数え八歳、長屋の火事が広がり丸二町焼ける大火事に遭った。
家は焼け両親はおらず、親戚、知人は現れず(いたのかもわからない。)、避難所であった祥庵(しょうあん)の寺に最後まで居座った。
女であるその子をいつまでも寺に置いておくわけにはいかない。里親を探したが、歳を取り過ぎているからとか何とか言いつつ一目見て、右頬に火傷跡のある子だからと貰い手が見つからなかった。
さすがにこのままでは困ると、町医者をしている雪庵(せつあん)に相談した。
すると、うちは子供はみんな独り立ちしたしなぁ、診察補助と泊まり治療の患者の世話ができるのなら預かろう、うちの花江(はなえ)も前から娘が欲しいと言っていたしね、と言ってくれた。
気の変わらぬうちにと翌日その子を連れて行った。
荷物もなく着の身着のままで、着てる着物はたぶん昔は橙色と白の細縞模様で、帯は白かったんだろうが今は全体的に褪めて汚れて鼠色だ。
下駄はなく裸足だったので、寺で編んでやった草履を履かせている。
髪は黒々とした直毛で上にくるっと団子にして、避難所で一緒だった少し年上の女の子から貰ったのだろう、木製の飾りもない黒文字のような簪で留めている。
目は一重ではあるが黒目がちのきれいな形で、そのせいか八歳にしては大人っぽく見える。しっかりした形の眉毛に小鼻が小さくすっとした鼻。歯並びもきれいで耳の形も良い。
肌は黒すぎず白すぎずだが、痩せていて腕も膝も骨が目立ち節くれ立っている。美人の部類だろうし身体は太れば問題ないが、顔の火傷がなければな、と大人になっても残念な点になりそうだ。
歳は言えても名前は何故か言わず困ったので、こちらであかり、と名付けた。
避難所でもこの子の名前を知っている者はおらず、親も見つからなければ知り合いさえいなかった。
寺に居る間もずっと黙ったままで、朝は起きるが仕事はせず、飯はほとんど食わず縁側で呆ける毎日でさすがに参った。
喋らないから身元がわからない。火傷は気にしないと言った里親候補も難儀し、断ってきた。
最後の砦とばかりにあかりの手を引いて雪庵のところに連れて行った。思ったよりガキじゃないな、と身元も火傷跡など気にせず招き入れ、奥方の花江に言ってすぐ風呂に入れさせてもらった。
心配いらない、たまに様子を見に来るといいと雪庵に言われ、半年の苦労が報われた気がした。
「さぁて、良い子にしているんだぞ。」
寺の住職であり医学にも精通している、医者の後輩である祥庵の話とはちょっと違うようだ。
痩せてはいたがよく働き、よく食べ、すぐに他の子供と変わらないくらいの肉付きになった。
ぜんぜん喋らない子と聞いていたが、返事はちゃんとするし、会話もハキハキとしていて人見知りのような感じはしなかった。寺での生活は緊張していただけなのだろう。覚えはいいし、頭も良い。字も書けるので寺子屋に通っていたようだ。
てことは、町の子のはずだがみんな知らないと聞いている。それとなく何処に住んでいたんだと聞いた時だけ黙りこくる。
親が怪しい仕事をしていたんだろうか。そのせいで転居ばかりしていたのだろうか。
患者との接し方も満足、花江との関係も良好。うちは男三人だったから女の子が嬉しいんだろう。
まあ、過去に何があったにせよ、ほじくり返しても仕方のないこと。やめよう、やめよう。
私の名前があかりになって十年経った。前の名前は覚えていない。
何故だろう、父親も母親も覚えていない。名前は元々なかったのだろうか。
名前はあかり。歳は十八歳。
雪庵先生がお父ちゃんになろうか?、と、聞いてくれたけど、大丈夫です、と言って断った。雪庵先生は残念そうな、安心したようなよくわからない顔をした。それ以降聞かれたことはない。
私は居候、雪庵先生の子分みたいなもの。朝誰よりも早く起きて、泊まり治療の患者の様子を見に行って朝飯の準備。
朝飯食べたら洗濯して掃除して、療養所で雪庵先生の手伝いをして、買い物頼まれたら行って昼飯作って食べて、洗濯物取り込んで手伝いして晩飯作って…そんな毎日。
寺でもそうしたかったけど、邪魔だとか臭いとか近寄るなとか、坊主は優しいものだと思っていたのに邪険にされて何もできなかった。喋れば何処から来たんだ名前は何だの繰り返し。
ここは最高だ。引っ越しはもうない、ここにいよう…いたいな。
春が終わって梅雨前の束の間の晴れの日に、いつもと違う薬種問屋に買い物を頼まれた。
いつものところより少し遠く、いつものところより立派な店構えであった。暖簾が上等な藍色で、久尾屋(ひさおや)と白く染め抜いてある。
店先で声を掛けると、背が高く色黒で三白眼の鋭い目をしている、いわゆる色男が現れた。何人の女が恋文を渡しているんだろう。若いし、着物の裾を帯に留めてるから手代かな。
そんな風に思っていた相手が結婚相手になるなんて。
いや、そんな男の兄が夫になるなんて。
はて、何回目の住み替えになるのだろうか。
動くと汗が出てくる季節。時々強い風が吹く。
花は終わり、木の葉は青々し、毛虫が出てくる。
住居であり仕事場でもある大川療養所の庭に、洗濯した包帯や敷布、患者の浴衣や白衣など、やたら白い物ばかり干し背伸びする。
その子は十年前の数え八歳、長屋の火事が広がり丸二町焼ける大火事に遭った。
家は焼け両親はおらず、親戚、知人は現れず(いたのかもわからない。)、避難所であった祥庵(しょうあん)の寺に最後まで居座った。
女であるその子をいつまでも寺に置いておくわけにはいかない。里親を探したが、歳を取り過ぎているからとか何とか言いつつ一目見て、右頬に火傷跡のある子だからと貰い手が見つからなかった。
さすがにこのままでは困ると、町医者をしている雪庵(せつあん)に相談した。
すると、うちは子供はみんな独り立ちしたしなぁ、診察補助と泊まり治療の患者の世話ができるのなら預かろう、うちの花江(はなえ)も前から娘が欲しいと言っていたしね、と言ってくれた。
気の変わらぬうちにと翌日その子を連れて行った。
荷物もなく着の身着のままで、着てる着物はたぶん昔は橙色と白の細縞模様で、帯は白かったんだろうが今は全体的に褪めて汚れて鼠色だ。
下駄はなく裸足だったので、寺で編んでやった草履を履かせている。
髪は黒々とした直毛で上にくるっと団子にして、避難所で一緒だった少し年上の女の子から貰ったのだろう、木製の飾りもない黒文字のような簪で留めている。
目は一重ではあるが黒目がちのきれいな形で、そのせいか八歳にしては大人っぽく見える。しっかりした形の眉毛に小鼻が小さくすっとした鼻。歯並びもきれいで耳の形も良い。
肌は黒すぎず白すぎずだが、痩せていて腕も膝も骨が目立ち節くれ立っている。美人の部類だろうし身体は太れば問題ないが、顔の火傷がなければな、と大人になっても残念な点になりそうだ。
歳は言えても名前は何故か言わず困ったので、こちらであかり、と名付けた。
避難所でもこの子の名前を知っている者はおらず、親も見つからなければ知り合いさえいなかった。
寺に居る間もずっと黙ったままで、朝は起きるが仕事はせず、飯はほとんど食わず縁側で呆ける毎日でさすがに参った。
喋らないから身元がわからない。火傷は気にしないと言った里親候補も難儀し、断ってきた。
最後の砦とばかりにあかりの手を引いて雪庵のところに連れて行った。思ったよりガキじゃないな、と身元も火傷跡など気にせず招き入れ、奥方の花江に言ってすぐ風呂に入れさせてもらった。
心配いらない、たまに様子を見に来るといいと雪庵に言われ、半年の苦労が報われた気がした。
「さぁて、良い子にしているんだぞ。」
寺の住職であり医学にも精通している、医者の後輩である祥庵の話とはちょっと違うようだ。
痩せてはいたがよく働き、よく食べ、すぐに他の子供と変わらないくらいの肉付きになった。
ぜんぜん喋らない子と聞いていたが、返事はちゃんとするし、会話もハキハキとしていて人見知りのような感じはしなかった。寺での生活は緊張していただけなのだろう。覚えはいいし、頭も良い。字も書けるので寺子屋に通っていたようだ。
てことは、町の子のはずだがみんな知らないと聞いている。それとなく何処に住んでいたんだと聞いた時だけ黙りこくる。
親が怪しい仕事をしていたんだろうか。そのせいで転居ばかりしていたのだろうか。
患者との接し方も満足、花江との関係も良好。うちは男三人だったから女の子が嬉しいんだろう。
まあ、過去に何があったにせよ、ほじくり返しても仕方のないこと。やめよう、やめよう。
私の名前があかりになって十年経った。前の名前は覚えていない。
何故だろう、父親も母親も覚えていない。名前は元々なかったのだろうか。
名前はあかり。歳は十八歳。
雪庵先生がお父ちゃんになろうか?、と、聞いてくれたけど、大丈夫です、と言って断った。雪庵先生は残念そうな、安心したようなよくわからない顔をした。それ以降聞かれたことはない。
私は居候、雪庵先生の子分みたいなもの。朝誰よりも早く起きて、泊まり治療の患者の様子を見に行って朝飯の準備。
朝飯食べたら洗濯して掃除して、療養所で雪庵先生の手伝いをして、買い物頼まれたら行って昼飯作って食べて、洗濯物取り込んで手伝いして晩飯作って…そんな毎日。
寺でもそうしたかったけど、邪魔だとか臭いとか近寄るなとか、坊主は優しいものだと思っていたのに邪険にされて何もできなかった。喋れば何処から来たんだ名前は何だの繰り返し。
ここは最高だ。引っ越しはもうない、ここにいよう…いたいな。
春が終わって梅雨前の束の間の晴れの日に、いつもと違う薬種問屋に買い物を頼まれた。
いつものところより少し遠く、いつものところより立派な店構えであった。暖簾が上等な藍色で、久尾屋(ひさおや)と白く染め抜いてある。
店先で声を掛けると、背が高く色黒で三白眼の鋭い目をしている、いわゆる色男が現れた。何人の女が恋文を渡しているんだろう。若いし、着物の裾を帯に留めてるから手代かな。
そんな風に思っていた相手が結婚相手になるなんて。
いや、そんな男の兄が夫になるなんて。
はて、何回目の住み替えになるのだろうか。
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