氷の沸点

藤岡 志眞子

文字の大きさ
9 / 36

9 他人の画用紙

しおりを挟む
月の綺麗な夜、男ふたりで向かい合う。

「僕は何をすればいいのでしょう。」

「宿では過激な事を言ったが、端っから殺しはさせねぇよ。」

ガリガリで虚な目の男が言った。安宿で仕事に誘ってきた男である。場所は東の国の北寄り、ほぼ北の国で土地が痩せた村。田圃の稲は盛りの時期だというのに育ちが悪く、農業をしている農民は皆痩せていた。こんなところに旅籠を構えてやっていけるのだろうか。いや、旅籠なんて表向き。本業は、(忍)だ。
(四月菖蒲)と書かれた店看板。洒落た名前に相応しくない仕事内容。村人や田圃で働く農民も手伝っているようだ。その金で生活しているのである。

「依頼されてずっとできなかった仕事があるんだ。お前、西の国で働いてたんだよな、喜船っつぅ料亭を知っているか?」

何の因果だろう、聞いた名前の店だった。

「はい。僕が行くはずだった奉公先の料亭です。」

「あ?じゃあ、顔が割れてんのかい。」

「多分…。名前も確実に知れています。」

「困ったな。じゃあ使えねぇじゃねぇか。」

「ちなみに、どんな内容で。」

「え。あぁ、話す分には問題ねぇからいいけどよ。安森っつぅ家があってよ、喜船から結構な額の金を借りている。お前が孕ませた女の家だ。で、その安森からの依頼でな、旦那の孫を拐かして欲しい、と。」

「身代金要求ですか。」

「それもだが、過去に喜船の仕出しで安森の旦那が死んだらしい。食あたりと片付けられたらしいが、その事実さえも揉み消されたんだと。死んだ旦那の前から金を借りていたらしいが、それが謂わばトイチ(十日で一割の利息を取る)な訳よ。いくら返しても返しきれない。」

「最近も仲良くしているような話を客から聞いた事がありましたが、」

豪華な仕出しを注文したりされたりと、安森で振る舞われた者が自慢げに話していたのを聞いた事があった。

「あぁ。喜船との関係を切るなんてありえないよな、とかなんとか脅されてるんだろう。何か弱みを握られているようでもあったが、それについては話さなかった。もしかしたら、安森も人殺してんのかもな。」

そうだろうな。父さんの手紙に書かれていた(狐憑き)。ひとりふたりの数ではないだろう。それを弱みにしているのだとしたら、僕も唯じゃ許せない。

「その話、何とか参加できないでしょうか。」

「は。何だお前、今の話でやる気になったってか?でもなぁ、お前の存在が知れちゃってるんじゃあなぁ。」

「喜船の旦那のお孫さんはどちらにいるのですか。」

「えっ…と。西の国の、色街だよ。」

「え、遊女ですか。」

「馬鹿言え。有名な料亭の娘が何で売られなきゃぁならねぇんだよ、茶屋に嫁いだんだよ。十六歳っつってたから、遊女でもやってけるだろうけどなぁ。」

そう言いながら男の鼻の下が伸びた。行きつけの女でも思い出したのだろうか。

「女を誘拐するだけなら、僕でもできますよね。喜船の者に接触しなければいいんだし。」

「そうだけども…、」

「女も、見た目の良い男の方が、言う事を聞くのでは?」

改まってまじまじと顔を見る。そして、にやりと笑った。

「……そうだなぁ。」

気持ち悪いな。

「それにしても、四月菖蒲とは洒落た名前ですね。」

「お前がいた西の国にもあるぜ。さっきの話はそこでやるんだけど、な。」

男が煙草に火を付ける。勧められてひとくち吸った。咽せはしなかったが、喉が少しひりついた。

「ふたつもあるんですか。」

「もっとあるよ、名前は違うがな。このご時世…いや、いつの世も需要のある仕事なんだよ。俺は雇われだが、経営している上の奴らはみんな親戚筋だ。南の国の出身者でよ、今じゃそっちで温泉旅館なんて、ちゃんと(旅籠の仕事)をしてるらしい。」

南の国。

「何という家系なのですか。」

ぶっ、といきなり吹いた後、男は笑い始めた。

「それがさ、俺もびっくり仰天だよ。まさか旦那様の御子息に声掛けちゃったかと思ったからよ。」

「は。」

「遠原。と、お、は、ら、だよ。」

やっぱり、な。

「あ、あとよ、四月菖蒲(しがつしょうぶ)は表向きの名前で、本当は違うぜ。」

「…え。」

「ヨヅキ アヤメ。こっちが本当。夜月に、殺めるってな。な?洒落てんだろ?」

「本当に、そうですね。」

話は決まった。実行は東の国で(用事)を済ませてから、となった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

雨が止むとき、人形は眠る

秋初夏生
ホラー
「雨の日に人が突然倒れる」という不可解な事件が、金沢で続発していた。 冥府庁調査課の神崎イサナと黒野アイリは調査の末、ひがし茶屋街に佇む老舗の人形店「蓮月堂」へ辿り着く。 そこでは“誰も作った覚えのない人形が、夜ごと少しずつ増えている”という奇妙な噂が立っていた。 病に伏す人形師・桐生誠士は、異変の真相解明を二人に託し、さらに姿を消した元弟子の人形師“斎宮”を探してほしいと願う。 増え続ける人形、曖昧に濁される証言、消えた記録。静かな雨音の下で、隠された想いが少しずつ輪郭を帯びていく。 これは、失ったものを手放せなかった人間の執念が引き起こす、じわじわと心を侵す怪異の物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...