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1.日常
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しおりを挟む特典会は握手会から始まった。ファンはイオとミナミの前に列形成し、順番に握手をしていく。メンバー二人の間に、人気格差はそれほどない。
総司は列に並び、順番が迫ってくると、大きく深呼吸をした。何度も握手会や撮影会に参加しているが、慣れることはない。イオを目の前にすると、鼓動は速くなり、見惚れてしまう。落ち着けと自らに言い聞かせ、総司はスタッフに特典券を十枚渡した。つまり、二十秒の間、握手と話ができるということだ。
「次の方どうぞ」
スタッフの声で、総司はイオの前に進み出る。
イオは総司を見て、ニコリと笑った。総司はそれだけで、キュンと胸が高鳴った。
(ああ、今イオくんの視界に俺がいて、イオくんが俺を見ている。)
総司は、秒で天にも昇る気持ちになった。
「いつもありがとうございます、総司さん」
総司は名前を呼ばれ、うっと声を詰まらせた。足しげくライブや特典会に通い、ファンレターや差し入れを送っているため、イオに認知されていた。その状況を良しとしているわけではない総司だが、やはり推しに認知されていることは純粋に嬉しい。
「イオくん、今日も最高だったよ」
総司は爽やかな笑顔で、イオに言葉をかけ、両手を差し出す。総司の両手は、イオの両手に優しく包みこまれた。
(イオくんの手、温かくて柔らかい…。ちょっと汗ばんでる……。生きてる……。)
触れた皮膚同士の温かさに、イオが生きていることを実感し、総司はイオを生み出した万物全てに感謝した。
「今日も仕事の帰りですか?」
「うん、仕事が長引いちゃって、最初からライブ見れなくて残念だった」
「いつもお仕事、お疲れさまです」
イオは花が咲くように表情を綻ばせた。その可憐な表情は、総司の一日の疲れを吹き飛ばし、仕事でたまった鬱憤を浄化した。なんなら、今からでも会社に戻って仕事ができそうなくらい力が湧いてきた。総司は漲る力を抑えるように、冷静を取り繕い「ありがとう」と返す。しかし、イオの表情はすぐに曇り、伏し目がちになった。
「イオくん、どうかした?」
総司は慌てて尋ねた。
(あれ、俺、何か気に障ることを言った?気持ち悪い表情をしてる?)
総司が不安になっていると、イオに手をぎゅっと握られる。
「ライブ始まったときに、総司さんがいなくて、寂しかったです」
寂し気な、そして、少し拗ねたような表情のイオ。世間的には釣りと言われるような言動だが、総司の心の中は一気に嵐が吹きすさんだ。
(イオくんを寂しがらせたのは誰だ、あ、俺か。くそ、仕事がもう少し早く終わっていれば。忌々しい仕事なんか辞めてしまおうか。そうだ、仕事を辞めたら、もっとライブに参加できるじゃないか。なんでもっと早く気付かなかったんだ?え、でも仕事辞めたら、お金が稼げなくなる?イオくんに会えなくなる……?それは無理、イオくんに会えなかったら死ぬ。仕事しなきゃ、もっと効率よく仕事して、お金稼いで、ライブも特典会も参加して、イオくんの姿を目に焼きつけよう。)
一、二秒の間に、総司の脳内で葛藤が繰り広げられ、結論に達した。
「ごめんね。次のライブは遅刻しないから」
「ほんとですか?」
「うん、絶対」
「でも、絶対無理はしないでくださいね。総司さんの体調が一番ですから」
再びイオにきゅうっと手を握られ、総司は天を仰ぎそうになったが、我慢した。握手会は時間との勝負なのだ。
「わかった」
「絶対ですよ、ぜーったい」
「え、かっ……」
念を押すようなイオの言い方に、可愛いという感情が零れる。総司の言いかけた言葉に、イオは首を傾げた。
(神様、この可愛い生き物はなんですか?こてんって首傾げてて、可愛いが過ぎる。可愛い。可愛くて有罪。いや、存在が有罪。でも、可愛いから無罪放免!逆転無罪!)
「はい、時間でーす」
スタッフの掛け声に、総司はハッと我に返る。
「イオくんも体調には気をつけてね」
「はい。僕、元気が取り柄ですから」
イオは総司の手を離し、ニコッと笑った。総司は軽く手を振り、イオの前から移動する。手に残ったイオの温もりを噛みしめながら、ループするために握手会列の最後尾に並んだ。
(元気が取り柄って、体力ないのに。俺のこと気遣って、元気が取り柄って……。健気で可愛い……。)
恍惚としながら列に並ぶ総司を、周囲のファンは優しく見守っていた。
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