家に帰ると推しがいます。

えつこ

文字の大きさ
上 下
4 / 71
1.日常

4

しおりを挟む


 特典会は握手会から始まった。ファンはイオとミナミの前に列形成し、順番に握手をしていく。メンバー二人の間に、人気格差はそれほどない。
 総司は列に並び、順番が迫ってくると、大きく深呼吸をした。何度も握手会や撮影会に参加しているが、慣れることはない。イオを目の前にすると、鼓動は速くなり、見惚れてしまう。落ち着けと自らに言い聞かせ、総司はスタッフに特典券を十枚渡した。つまり、二十秒の間、握手と話ができるということだ。

「次の方どうぞ」

 スタッフの声で、総司はイオの前に進み出る。
 イオは総司を見て、ニコリと笑った。総司はそれだけで、キュンと胸が高鳴った。

(ああ、今イオくんの視界に俺がいて、イオくんが俺を見ている。)

 総司は、秒で天にも昇る気持ちになった。

「いつもありがとうございます、総司さん」

 総司は名前を呼ばれ、うっと声を詰まらせた。足しげくライブや特典会に通い、ファンレターや差し入れを送っているため、イオに認知されていた。その状況を良しとしているわけではない総司だが、やはり推しに認知されていることは純粋に嬉しい。

「イオくん、今日も最高だったよ」

 総司は爽やかな笑顔で、イオに言葉をかけ、両手を差し出す。総司の両手は、イオの両手に優しく包みこまれた。

(イオくんの手、温かくて柔らかい…。ちょっと汗ばんでる……。生きてる……。)

 触れた皮膚同士の温かさに、イオが生きていることを実感し、総司はイオを生み出した万物全てに感謝した。

「今日も仕事の帰りですか?」
「うん、仕事が長引いちゃって、最初からライブ見れなくて残念だった」
「いつもお仕事、お疲れさまです」

 イオは花が咲くように表情を綻ばせた。その可憐な表情は、総司の一日の疲れを吹き飛ばし、仕事でたまった鬱憤を浄化した。なんなら、今からでも会社に戻って仕事ができそうなくらい力が湧いてきた。総司は漲る力を抑えるように、冷静を取り繕い「ありがとう」と返す。しかし、イオの表情はすぐに曇り、伏し目がちになった。

「イオくん、どうかした?」

 総司は慌てて尋ねた。

(あれ、俺、何か気に障ることを言った?気持ち悪い表情をしてる?)

 総司が不安になっていると、イオに手をぎゅっと握られる。

「ライブ始まったときに、総司さんがいなくて、寂しかったです」

 寂し気な、そして、少し拗ねたような表情のイオ。世間的には釣りと言われるような言動だが、総司の心の中は一気に嵐が吹きすさんだ。

(イオくんを寂しがらせたのは誰だ、あ、俺か。くそ、仕事がもう少し早く終わっていれば。忌々しい仕事なんか辞めてしまおうか。そうだ、仕事を辞めたら、もっとライブに参加できるじゃないか。なんでもっと早く気付かなかったんだ?え、でも仕事辞めたら、お金が稼げなくなる?イオくんに会えなくなる……?それは無理、イオくんに会えなかったら死ぬ。仕事しなきゃ、もっと効率よく仕事して、お金稼いで、ライブも特典会も参加して、イオくんの姿を目に焼きつけよう。)

 一、二秒の間に、総司の脳内で葛藤が繰り広げられ、結論に達した。

「ごめんね。次のライブは遅刻しないから」
「ほんとですか?」
「うん、絶対」
「でも、絶対無理はしないでくださいね。総司さんの体調が一番ですから」

 再びイオにきゅうっと手を握られ、総司は天を仰ぎそうになったが、我慢した。握手会は時間との勝負なのだ。

「わかった」
「絶対ですよ、ぜーったい」
「え、かっ……」

 念を押すようなイオの言い方に、可愛いという感情が零れる。総司の言いかけた言葉に、イオは首を傾げた。

(神様、この可愛い生き物はなんですか?こてんって首傾げてて、可愛いが過ぎる。可愛い。可愛くて有罪。いや、存在が有罪。でも、可愛いから無罪放免!逆転無罪!)

「はい、時間でーす」

 スタッフの掛け声に、総司はハッと我に返る。

「イオくんも体調には気をつけてね」
「はい。僕、元気が取り柄ですから」

 イオは総司の手を離し、ニコッと笑った。総司は軽く手を振り、イオの前から移動する。手に残ったイオの温もりを噛みしめながら、ループするために握手会列の最後尾に並んだ。

(元気が取り柄って、体力ないのに。俺のこと気遣って、元気が取り柄って……。健気で可愛い……。)

 恍惚としながら列に並ぶ総司を、周囲のファンは優しく見守っていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

罰ゲームって楽しいね♪

あああ
BL
「好きだ…付き合ってくれ。」 おれ七海 直也(ななみ なおや)は 告白された。 クールでかっこいいと言われている 鈴木 海(すずき かい)に、告白、 さ、れ、た。さ、れ、た!のだ。 なのにブスッと不機嫌な顔をしておれの 告白の答えを待つ…。 おれは、わかっていた────これは 罰ゲームだ。 きっと罰ゲームで『男に告白しろ』 とでも言われたのだろう…。 いいよ、なら──楽しんでやろう!! てめぇの嫌そうなゴミを見ている顔が こっちは好みなんだよ!どーだ、キモイだろ! ひょんなことで海とつき合ったおれ…。 だが、それが…とんでもないことになる。 ────あぁ、罰ゲームって楽しいね♪ この作品はpixivにも記載されています。

俺の義兄弟が凄いんだが

kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・ 初投稿です。感想などお待ちしています。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

処理中です...