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3-2.伝える想い

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 また同じ夢だ。王輝はわかっていながら、夢から覚めることができなかった。暗い底に落ち続けていく身体は、ひどく重い。気づけば、大腿部の傷から血が溢れ、両手は血で汚れていた。じわじわと恐怖が生まれ、王輝は助けを求めて、上へと手を伸ばした。しかし、状況は変わるはずはなく、はるか上に見える光には届かない。助けてと叫んだ声は暗闇に吸い込まれた。苦しさが身体を侵食して、どんどんと底へ沈んでいく。
「今ヶ瀬」
 王輝の耳に、遼の声が飛びこんでくる。あの時と同じだった。
「佐季」
 遼の名前を呼んだ王輝は、縋るように手を伸ばす。身体が軽くなったと思った瞬間、急速に王輝の意識は覚醒した。目を開けると、心配そうな表情をしている遼がいた。
「今ヶ瀬、大丈夫か?」
 遼は王輝に声をかける。苦しそうな表情の王輝に、遼は変な汗をかく。
 病院からマンションに戻ってきた遼は、王輝の部屋を訪ねた。チャイムを鳴らしても反応がなかったため、合い鍵で部屋に入ると、ベッドでうなされている王輝を見つけたのだった。
「佐季、どうして…」
 声が掠れ、王輝は思わず咳き込んだ。遼は「水持ってくる」とだけ言い、寝室から出ていった。
 残された王輝は急に不安になり、ベッドから起き上がる。王輝は両手や大腿部に血が付いていないことを確認して、ほっと胸を撫でおろした。遼を追いかけようと、王輝が立ち上がろうとしたときに、遼が寝室に戻ってくる。手にはグラスに入った水を持っていた。
「無理するなよ」
 遼に促され、王輝は浮かせていた腰をベッドに下ろした。遼はグラスを差し出し、王輝はそれを受け取ろうとした。が、すぐにその手が止まる。カラオケの狭い部屋、飛び散るグラスの欠片、欠片についた赤い血。急にあの夜の出来事がフラッシュバックし、呼吸が苦しくなった。日頃から使っていたシンプルなグラスだと頭ではわかっているのに、王輝の身体は拒否反応を示す。鼓動が速くなり、息がうまく吸えない。何度呼吸を繰り返しても、息苦しさは改善されない。胸が締め付けられるようだった。
 王輝の異変に気付いた遼は、グラスを床に置き、王輝の隣に腰かけた。そして遼は王輝をそっと抱きしめた。王輝は急に抱きしめられたことで身体をびくつかせたが、抵抗することなく遼の腕の中に収まる。遼は王輝の背中を優しく擦った。
「今ヶ瀬、大丈夫。息吸って、ゆっくり吐いて」
 王輝は遼の肩口に顔を埋め、声に従って呼吸を繰り返す。遼の体温と匂いに包まれ、「大丈夫」と聞こえてくる遼の声に、安心感を覚える。以前にも同じようなことがあったと王輝は遠い記憶を思い返していた。
 しばらくして、落ち着きを取り戻した王輝は、顔を上げた。遼がそれに気づき、王輝を腕の中から解放する。
「ごめん、もう大丈夫」
 王輝が遼に謝ると、遼は「気にするな」と優しく微笑んだ。
 遼が目の前にいるだけで、王輝は安心して、胸が温かくなる。突然、視界がぼやけ、王輝は驚いた。遅れて、自分が泣いていることに気づく。ぽろぽろと王輝の瞳から涙がこぼれ、頬を濡らした。驚いたのは遼も同じで、おろおろと王輝の様子を伺うしかなかった。
「どこか痛い?三門先生呼ぼうか?」
 慌てふためく遼に、今度は王輝から抱きついた。王輝は先ほどと同じように、遼の肩口に顔を埋め、静かに泣く。『仕事もいいが、命が助かったことを喜びなさい』という三門の言葉をようやく実感した。生きて、遼と再び会えたことが、王輝はただただ嬉しかった。遼にもう会えない可能性すらあったと思うと、ぞっとする。遼の存在を確かめるように、王輝はぎゅっと遼を抱きしめた。
 遼に伝えたいことがたくさんある。王輝は泣きながら、考えていた。助けてくれてありがとう。迷惑かけてごめん。会えて嬉しい。二人で誕生日パーティーをしよう。浮かんでくる言葉はたくさんあったが、それよりも、もっと伝えたいことを王輝はわかっていた。
 遼が好きだ。
 たったこれだけが、どうして素直に伝えられなかったのだろう。意地になって、今の関係を続けようとしたのが馬鹿馬鹿しくなった。今を逃せば、この先ずっと伝えられない。
 意を決した王輝は顔を上げ、服の袖で涙を拭った。乱暴な拭い方に、目の周りや頬の肌が少し赤くなる。
「佐季」
 王輝は涙まじりの声を気にしている余裕がなかった。
 二人の視線が交わる。王輝の瞳は濡れているが、表情には意志が固さが滲みでていた。王輝の心臓はどきどきと跳ねる。王輝はぐっと腹に力を入れ、口を開いた。
「俺、佐季のことが好きだ」
 突然の王輝の告白に、遼は驚いた後目を瞑り、しばらく黙りこんだ。たった数秒なのに、王輝にとってはとても長く感じられた。
「ごめん」
 遼からの返事に、一瞬王輝は耳を疑った。遅れて理解できた言葉に愕然として、自然と涙がこぼれた。
 遼は王輝の涙に気づき「違う違う!」と慌てて否定した。王輝の頬を伝う涙を優しく拭った遼は、壊れ物を扱うように王輝の頬に手を添えた。
「俺から言うべきだったのに、今ヶ瀬に言わせてしまってごめん、の意味で…」
 遼に説明されるが、王輝の頭の中はぐちゃぐちゃで、遼の言葉がうまく処理できなかった。
 ぽろぽろと涙をこぼす王輝に、遼はお手上げとばかりに、言葉を放棄した。そして、王輝に優しくキスをする。突然のことで王輝は驚いたが、久しぶりのキスの心地よさを受け入れた。触れた唇からじわりと温かさが広がって、王輝は落ち着きを取り戻す。
 二人の唇が離れ、お互い見つめ合った。遼は頬から唇へと手を移動させ、指で王輝の唇に触れた。くすぐったさに、王輝は頬を緩め、小さく息を吐いた。
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