お隣さんはセックスフレンド

えつこ

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2-3.湯煙る二人

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 長風呂でのぼせた王輝は、先に部屋に戻りベッドで休んでいた。遼が戻ってきたのはすぐ後で、手にはスポーツドリンクと氷嚢を持っていた。氷嚢は旅館から借りたものだった。その後は遼に手厚く介抱され、王輝はおとなしくベッドで休んでいた。着なれない浴衣と洗い立てのシーツ質感に、寝心地の悪さを感じながらも、うとうととしていた。
「今ヶ瀬、気分はどうだ?」
 優しい遼の声に、王輝はゆっくりと目を開けた。うす暗い寝室の天井と浴衣姿の遼が視界に入った。柔らかなベッドサイドの灯りに、心配そうな遼の表情が照らされる。
「だいぶ楽になった」
 王輝は首筋に氷嚢を当てながら答えた。顔や身体の火照りはようやく落ち着いてきて、気分はかなり良くなっていた。先ほどまで冷たくて気持ちよかった氷嚢は、今は冷たく感じるくらいだった。
「氷変えてもらう?」
「大丈夫。まだ冷たいから」
「何か欲しいものある?」
「ないよ。せっかくの休みなのに、気を遣わせてごめん」
「気にすんなって。俺向こうでテレビ見てるから、何かあったら呼んで」
 王輝が頷くのを確認して、遼は和室へ戻ろうとする。
 遼に背中を向けられて、急に寂しくなった王輝は「待って」と声をかけた。王輝が上半身を起こすと、氷嚢が小さく音を立ててベッドに転がった。
「どうした?」
 遼は王輝に向きなおる。乱れた浴衣から、王輝の首筋と胸板の綺麗な肌が見えた。灯りに浮かび上がる王輝の肢体に、遼の鼓動が跳ねる。病人相手に、と心の中で自らを叱咤した。
 呼び止めた王輝だったが、具体的に何をして欲しいわけではなかった。久しぶりに遼と一緒にいる時間が長いせいで、離れがたいとは感じていた。一緒にいることで、関係を終わらせたくない気持ちが大きくなる。遼の隣にいることは心地よく、遼とのセックスは気持いい。仕事だってうまくいく。関係を終わらせるデメリットのほうが多いのだ。
 それなら、あの時言った「好き」をなかったものにすればいい。遼に対して訂正すれば、体裁的にはまた元に戻る。子供らしい馬鹿な考えだったが、関係を続けるためにはそれしかない。王輝の提案を受け入れるか、受け入れないかは、遼次第だ。自分で決めることの多い王輝にとっては、他人に結末を委ねるのは、ひどく怖かった。
 遼は隣に並んだベッドに腰かけ、王輝の言葉を待つ。待つことが合っているのか、間違っているのかわからなかったが、寂しそうな表情をしている王輝を一人にすることはできなかった。
 静かな時間が流れる。王輝は覚悟を決めて、ようやく口を開いた。
「この前、俺が…」
 声が震えそうになって、王輝は言葉を区切り、深呼吸した。そして、ためらいが生まれる前に、最後まで伝える。
「俺が、佐季に好きって言ったこと、忘れて欲しい」
 これで後戻りはできなくなった。王輝は俯いた。今の瞬間で、王輝が遼に好きと伝えたことは認めたことになり、同時に忘れろと自分勝手なことを頼んでいる状態になる。無謀だったかもしれないと後悔が一気に王輝を襲うが、もうどうしようもできなかった。
 王輝の言葉を聞いた遼は、素直に忘れたくないと思った。今までなら王輝の希望に従って忘れていただろう。しかし、王輝に対する気持ちを自覚してから、王輝の全てを忘れたくないと我儘な自分が強く存在することを遼は感じていた。こういう感覚は初めてで、自分のことなのに怖さすらあった。
「今ヶ瀬が忘れろって言うなら忘れる」
 遼は王輝が望むなら、そうしてやりたい気持ちがあるのは本当だった。
 遼の返答に希望に満ちた表情で顔を上げた王輝は、すぐに表情を曇らせることになる。遼は残酷な言葉を付け加えた。
「でも、嬉しかったのは事実だから、それだけは覚えといて欲しい」
 遼の言葉に、王輝はどういう反応をすればいいかわからなかった。「好き」に対する遼の感情を初めて知り、喜んでいいのか、怒っていいのか、わからなかった。少なくとも、遼は王輝の好意を嫌がってないことだけはわかった。悩んだ末に何も言えず、じわりと涙が滲む。感情がコントロールできない。忘れてくれれば全ては丸く収まるのにどうして、と遼が恨めしく思えるほどだった。それは言葉として飛びだす。
「忘れろって言ったのに、覚えておけって、ずるい」
 王輝の言葉に、遼はくしゃりと表情を崩して、苦しそうに笑った。
「ごめん、俺、結構ずるいみたい」
 自嘲するように言った遼は、両手で顔を覆った。今まで自分のことを穏やかな人間だと思っていたのに、心の中で渦巻く感情に、頭が追い付かない。王輝を独り占めしたいという感情が、どす黒く身体を巡った。こんなにも王輝のことが好きなのに、どうして我慢しなければならないのだろうと苛立ちさえ覚えた。
 初めて見る遼の姿に、王輝は動揺する。王輝が遼の腕に手を伸ばし、そっと触れると、遼はびくりと身体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。揺れる遼の瞳と、濡れた王輝の瞳が、お互いの瞳に映る。
 二人は言葉を発さずに、気持ちを確認する様にしばらく視線を混じりあわせた。ベッドサイドの灯りが二人の姿を映し出し、壁に影が揺れる。先に口を開いたのは遼だった。
「俺、今ヶ瀬のこと、」
「っ、言うなよ、お願いだから…」
 王輝は遼の言葉を遮った。切なさが滲む遼の瞳から、王輝は遼の感情を伺い知った。そして今自分たちがどれだけ脆い関係を築いているかを察した。
「でも…、俺は……」
「わかってるから」
 言葉を続けようとする遼を黙らせるように、王輝は遼の腕を掴む力を強めた。
 遼は痛みで我に返り、口を噤んだ。王輝の二の舞にならないように、セフレ関係には必要のない感情を心の中に閉じ込める。代わりに衝動的に欲望が湧く。
「キスしたい、していい?」
「……っ、聞くのずるいだろ……」
 かぁっと顔を赤くした王輝に、遼は我慢の限界を迎えた。ベッドから腰をあげ、王輝を勢いよく押し倒した。クッションのきいたベッドが二人の体重を受け止める。
 遼が王輝に覆いかぶさる。王輝は驚きながらも、受け入れている自分を浅ましく思ったが、本能は正直だった。遼の精悍な顔が接近し、獰猛な瞳に捉えられ、否応なく鼓動が高まる。二人の唇が触れる、その瞬間に、和室に備え付けられている内線電話が高らかに鳴った。
 遼は動きを止め、王輝から離れ、大きく息を吐いた。
「ごめん、あとで」
 熱の残った遼の声に、不覚にもキュンとしてしまった王輝は頷くしかできなった。遼が和室へと歩いて行った後、王輝はベッドに顔を埋めた。顔が熱く、ベッドに転げ落ちた氷嚢を手探りで探す。遼のことだから義務感や優しさでセフレ関係を続けていると思っていた。しかし、先ほどまでの遼の様子から、そうではないとわかった。王輝は嬉しさで顔がにやける。ようやく氷嚢を探り当てた王輝は、応急処置とばかりに額に氷嚢を当てる。鼓動がどきどきとうるさい。こんな状態で遼と同じ部屋で一晩を過ごすなんて、どうにかなってしまいそうだった。
 ベッドで悶えている王輝を横目で見ながら、遼は電話の受話器を取った。受話器越しに物腰柔らかな仲居の声が伝わってくる。体調はどうか、晩ご飯は何時からにするか、などを尋ねられた。滾った身体の熱を発散したくて、このまま電話を切ってしまおうかと思ったが、深呼吸して自分を落ち着ける。
「今ヶ瀬、晩ご飯どうする?食べられそうか?」
 念のため王輝に確認すると「食べる」と寝室から声が返ってきた。仲居に今から準備して欲しいことを伝え、受話器を置いた。冷静になると空腹感を覚え、先に腹ごしらえだと遼は思考を切り替えた。
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