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第二章:夏
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しおりを挟む「七村さん、早く!」
はじけるような笑顔の椿は、駆け出した後に振り返り、秀悟を手招きした。椿は五分袖の白のTシャツに、ひざ丈のカーキ色のチノパン、白のハイカットスニーカーを履いている。日除けのためにベージュのキャップをかぶり、首にはネックガードをしていた。
そんな楽し気な椿の姿を、秀悟と静夏は並んで見ていた。秀悟の手には、遊園地のチケットが二枚握られている。先ほど静夏が券売機で購入したものだった。
「暑いので、くれぐれも無理させないでくださいね」
夏の厳しい日差しにも負けず、静夏はいつも通りのスーツ姿だ。
「わかりました」
「適度に水分を摂らせること、昼ご飯はちゃんと食べさせること」
「はい」
「よろしくお願いします。何か困ったことがあれば連絡してください」
注意事項を念押しされた秀悟は、椿に追いつくと、一緒に遊園地のゲートを抜けた。静香の無言の圧を背中に感じ、暑さが原因とは違う、変な汗をかく。
八月、真夏の日差しの下、秀悟と椿は郊外の遊園地に来ていた。
夏の四季展が終わり、椿の発情期も終わったタイミングで、二人で出かけられるように静夏が取り計らったのだった。
行き先に遊園地を希望したのは、椿だ。幼少期に母親に連れて行ってもらった思い出はあるが、それ以降はなかった。一緒に遊園地に行くほど仲がいい友人は、椿にはいない。静夏と遊園地に来ることもできたが、静夏は仕事と割り切って一緒に遊ぶという感じにはならないことは、容易に想像できる。
「うわぁ、すごい……!」
ゲートを抜け、園内に足を踏み入れた椿は、感嘆の声を上げた。
ジェットコースター、メリーゴーランド、コーヒーカップなどのアトラクションや、土産物や飲食店のカラフルな建物が視界いっぱいに広がる。楽し気な音楽があちこちで鳴り響き、アトラクションからは人々の絶叫やはしゃぐ声が聞こえてきた。行き交う人は皆楽し気で、家族連れは幸せそうに笑い合い、子供は無邪気に走り回り、カップルは嬉しそうに手を繋ぎ、学生たちははしゃぎ合いふざけ合っていた。
日頃、吉野原邸の離れと宮古生花店の行き来が多い椿にとっては、全てが刺激的で、否応なくテンションがあがる。
「すごいね、七村さん!」
目を輝かせる椿に、秀悟はぎこちなく微笑み、曖昧に頷く。
こうやって椿と出かけられるのは嬉しいが、後ろめたい気持ちもあった。一度椿で抜いてしまったせいでもあるし、椿に対して抱いている、名前がつけられない気持ちのせいでもあった。「友達になる」という目標が、可愛らしく幼稚に思えてしまうほど、秀悟の胸中は穏やかではない。
しかし、椿も椿で、秀悟を意識していた。隣に秀悟がいることが、椿の鼓動を速くさせる。秀悟に対する気持ちは、椿の中ではまだ整理がついていない。ただ単純にαに惹かれている可能性があるが、恋愛経験がない椿にはわからなかった。けれど、秀悟に会える今日を心待ちにしていたのは確かだった。
椿は隣を歩く秀悟をちらりと見る。初めて会った日は意識していなかったが、今は秀悟のかっこよさに胸が高鳴る。デニム生地の半袖のポロシャツに、ベージュのチノパンというシンプルな服装が、秀悟の爽やかさをさらに引き出していた。
「どうかした?」
椿の視線に気づいた秀悟は声をかける。椿は慌てて視線を逸らし「何でもない」と返した。秀悟に見つめられると、ネックガードの下のうなじが、チリッとひりつく。日差しのせいだと言い訳して、キャップを深くかぶり直した。
「椿くんは、どれから乗りたい?」
秀悟に尋ねられ、椿が迷わずに指さしたのは高いところで綺麗な弧を描いている金属のレールだ。
「あれに乗ってみたい」
幼少期には身長制限で乗れなかったジェットコースター。椿はそれに乗るのを楽しみにしていた。
「椿くんは、ジェットコースター得意?」
「乗ったことないから、わからない」
「乗ったこと、ない……?」
椿の言葉に、秀悟は驚く。椿の肌の白さからインドア派だと想像はしていたが、まさかの返答だった。成人しているのだから、今までにジェットコースターに乗る機会くらいあったはずだと秀悟は思ったが、色々な事情があるのだろうと深掘りはしなかった。
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(『ride』は2021年3月28日に追加します)
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