春夏秋冬、花咲く君と僕

えつこ

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第一章:春

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 秀悟の鼻をくすぐるのは、花の匂いのような、甘くて、いい匂いだ。匂いの元を探すために、秀悟は辺りを見回す。急に、あの夜の光景がフラッシュバックした。先週銀座で振られた際に、嗅いだ匂いだと気づき、秀悟は胸のざわつきを感じる。
 匂いに誘われるように、秀悟は歩き出した。その先にはドアがあり、関係者以外立入禁止と案内が貼られていた。普段なら引き返すが、なぜかこの匂いが気になる。秀悟は誰も見てないことを確認して、ドアノブに手をかけた。鍵がかかっていれば諦めようという秀悟の意思に反して、ドアは簡単に開いた。躊躇いつつも、ドアを開けた秀悟は、体を滑り込ませた。
 ドアの先はバックヤードだった。細い通路が左右に伸び、通路にはドアが並ぶ。秀悟は通路に誰もいないことを確認して、匂いが漂ってくる方へと足を進めた。ドアには収蔵庫、調査室、資料室などシンプルなプレートが掲示されているが、人がいる気配はない。廊下を進むほど匂いが濃くなり、秀悟の鼓動は速くなる。廊下を突き当たりまで歩くと、そこには制作室と掲げられた部屋があった。
 匂いはより一層濃くなり、秀悟は思わず手で鼻を覆うが意味はなかった。アルミサッシのドアは、先ほどと同じようにすんなりと開いた。再度周囲を見回して、誰もいないことを確認し、薄暗い部屋に秀悟は足を踏み入れる。
 甘い匂いと花の香りで部屋はむせかえっていた。秀悟は顔を顰める。壁際には花桶に入った種々の花や、様々な形や色の花器が置かれていた。そして秀悟の視線は部屋の真ん中に生けられた花に吸い寄せられる。その生け花はスポットライトが当たったように、光り輝いていた。
 純白のライラックが集合的に生けられ、花器から溢れんばかりに春の喜びを表現している。山つつじの濃いピンク色の配置が、白の魅力をより一層際立たせていた。爽やかで、かつ妖艶さを秘めた白のインパクトに、秀悟は鳥肌がたった。求めていたものに出会え、秀悟は感嘆のため息をもらし、素晴らしさのあまり頬を緩めた。花の美しさに触れようと、秀悟は無意識に手を伸ばす。
「触るな」
 急に声が聞こえ、秀悟は動きを止めた。声の主を探すために部屋を見まわすと、部屋の隅の床に人が蹲っているのを発見した。秀悟は思わず後退る。
「俺の花に触るな」
 蹲っていたのは、苦しそうに顔を歪めた椿だった。椿は羽織っていたタオルケットを床に置き、壁に手をつきながら立ち上がる。
 よろめきながら立ち上がった椿と、秀悟の視線が交わる。次の瞬間、二人ともお互いの第二の性を認識した。急激に二人のフェロモンの量が増え、本能がお互いを惹きつけ合う。
 秀悟にとって、発情したΩと対面したのは初めてだった。今まで身体関係を持った相手はいたが、αもしくはβだった。こういうときはどう対応すればいいかを秀悟は必死で考えるが、思考がまとまらない。椿の細い首にはめられたネックガード、その下にある項に視線が引き寄せられた。椿のフェロモンに引き寄せられるように、秀悟は無意識に足を踏み出した。
 対する椿は、身体の異変に戸惑っていた。先ほどまで熱がくすぶっていた身体は、秀悟のフェロモンのおかげで一気に火が付いたように熱くなる。肌がひりつき、鼓動は速くなり、ぞくぞくと背筋を快感が走った。身体のあらゆる感覚がαの存在を感じ取る。椿は立っていることができず、再び床に座り込んだ。椿自身はゆるく勃ち、腹の奥が熱い。誰でもいから、この熱をどうにかしてほしい。椿の中のΩが、貪欲に目の前のαを求める。
「大丈夫?」
 秀悟の口調は優しいが、頭の中は熱く、話している内容を理解していなかった。秀悟は喉が渇き、砂漠で水を欲するように、Ωを欲しがった。
 ゆっくりと近づいてくる秀悟に、椿は這いつくばりながら部屋の隅に逃げた。
「来るな!」
 噛みつくように、椿は声を荒げる。その声は秀悟の耳に届かず、秀悟は椿に視線を合わせるようにしゃがみこんだ。欲望に染まる秀悟の瞳に、正気でないことが椿にはわかった。
「来ないで、お願いだから…」
 椿は恐怖と興奮に飲まれていく。自然と涙が溢れ、上気した頬を伝った。秀悟のことが怖いはずのに、αが欲しくて堪らない。怖い、熱い、逃げたい、αが欲しい。秀悟のフェロモンによって、椿の身体と思考は、熱く蕩けていく。

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