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第3章 聖都シュラリス
21話 白の髪
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「えらい目にあった……」
テオファンにまさかの『他人のフリ』をされ、聖職者から追われる身となってしまったドウメキは、うまく隙をついて大聖堂から少し離れた場所へと逃げていた。
わけもわからず聖職者たちがいなさそうな場所へ走っただけだが、運のいいことにおおよそは撒けたらしい。ふう、と息をついて辺りを見回す。
「……?」
大聖堂周辺の構造など知らないが、先ほどのレンガで舗装された場所からはだいぶ風景は変わってしまった。目の前には木製の柵が立てられており、その向こうには生い茂った緑が見える。裏庭、といったところだろうか。よくもあの無機質な敷地から、ここまで緑のある庭が出現するものだ。
不思議に思いながら、柵を軽く手で押す。きぃ、と蝶番が音を立てて、それはそれはあっさりと開いた。
(まぁ、開いてるってことは入っていいってことだろう)
そんな勝手な思考回路のもと、ドウメキはずかずかとその柵の向こう、裏庭へと入っていった。
さくり、と土と草を踏む感触がブーツの裏から伝わる。ここ最近はずっと硬い地面しか踏んでいなかった為、こうした自然に近いものを感じると少しだけ体の調子が戻ってくるような感じがした。
土の湿ったにおい、草の折れるにおい。そして耳に微かにとどく水の流れる音。低木と生い茂った草を振り払うと、羽を休めていた小さな虫たちが驚いたようにドウメキの目の前を飛び去っていく。
(変な場所。普段は子供が遊ぶところなのか?)
スラヴレンの教会でも、子供が遊んでいる小さな庭があった。もしかしたらここもあの教会と同じく、子供たちが遊べる場所を裏側に持っているのかもしれない。それにしては随分と人の気配を感じないが。
そんなことを思いながら、さらに奥へ進む。木陰に覆われた場所を出れば、暖かな日差しがすぐドウメキへと降り注いだ。さきほどまで曇っていた空は、一時的に雲の切れ間ができたようで、そこから太陽の光が降り注いでいた。
まぶしい。薄暗い場所から明るい場所へと出たおかげで、目がなかなか慣れない。片手でひさしを作り、何度か瞬きをすると、白けていた視界もだんだんと色を取り戻してきた。
そこで、ドウメキは白く輝く人を見た。
「え」
彼が思わず声を出したのも無理はあるまい。なぜなら、その人はすべてが白かったからだ。
さしていたであろう赤い日傘は芝生の上へと転がっている。しゃがみこんでいるせいで、豊かな白髪までもが青々とした地面に線を引いていた。その人の近くには、小さな水の道ができている。
先ほどからさらさらと流れていた音の正体は、芝生の空間に枠目状に配置されたこの水路のせいだろう。
水路、といっても大きなものではない。徒歩でまたぐことが出来る程度のものだ。不思議なことに水は綺麗に澄んでおり、どこが始点なのかはわからないが、絶えず透明な音を立てて先へ先へと流れていた。
「……」
膝をついている白い人に近づく。片手には花を持っていた。その人の目の前には、平面的な石板が置いてある。おそらくは人工的に加工されたものだ。その人は、石板の表面を指でなぞっているようだった。
さくり。ドウメキの武骨なブーツが草を揺らすと、傍に止まっていた白と黒のまだらの蝶が飛び立った。
「――!」
白い人が、顔を上げた。
ドウメキが今まで見てきた人々の誰よりも肌が白い。両目にかかる程度の長さの前髪のすぐ下には、純白の豊かなまつ毛に縁取られた赤い瞳がある。唇はうすらと桃色に色づいており、その頬も僅かにだが同じ色を発している。
野暮な侵入者に驚いたのだろう。大きな目を何度も瞬きをして、持ってきた花を胸元に引き寄せた。しかし、一方のドウメキはその姿に言葉を失ったまま立ち止まっていた。
ふわりとふたりの間を風が吹けば、ドウメキの硬い灰色の髪を、あの人のましろの髪をさらりと遊ばせていく。
「――。……」
その人は手に持っていた花を石板の上に置くと、立ち上がってドウメキの方へ歩いてきた。一歩踏み出すたびに、刈られていない草から小さな虫が跳ねる。そして、ドウメキのすぐそばまで来ると――にこり、と微笑んだ。
近くで見ればなお白い。香りが鼻腔をくすぐる。
「あ、あの、俺は」
「……」
「その、迷ってしまって」
服装からして聖職者ではない。首元にフリルがついたブラウスに、長いスカートを身に着けている。きょとん、と首を傾げると、それだけで白い髪が揺れた。
――すごく、この人。いい、匂いがする。
ドウメキの心臓が跳ねる。理由はわからない。だが、目の前の人から目を離せない。心臓がうるさい。揺れる髪から漂う香りが、その白い肌が、紅い眼が、ドウメキの五感全てを奪う。
「……」
もう一度首を傾げると、その人はなにやら手をしきりに動かした。
無言で行い始めたその奇妙な挙動に、ドウメキは思考を取り戻す。
「え、ああ、その……?」
「……!…………?……」
声は発しない。手を動かして、唇を動かすだけ。いったい何がしたいのだろうとドウメキが首を傾げていると、その人は一度肩を大きく落とすと、自分の口を指さした。その後、左右の指でバツ印を作る。そこまでいって、やっとドウメキがこの人の言わんとしている――否、伝えようとしていることを理解する。
「もしかしてあんた、喋れないのか?」
「!」
嬉しそうに微笑み、こくりと頷く。そして自分が先ほどまでしゃがみこんでいた場所へ戻ると、落ちていた紅い日傘を手に持った。
「……」
その人はにこにこと笑っているだけで動く気配はない。だが、特に騒いだりする様子もない。聖職者たちに通報されないならまだ良い人だろうとドウメキは思い「ここから出て、停留所の前に行きたいんだけど……あんた、道わかるか?」と問いかけた。
「……!」
ドウメキの問いかけにしばらく指を唇にあてて考え込んでいたが、ぽんと両手を叩くと、こっちへついて来てほしいと身振りをして、白の人は歩き出してしまった。
ドウメキもそれ以上の意図は汲み取れなかった為、大人しく従うことにする。
「なぁ、なんで喋れないんだ?」
「?」
追いついた先、白い髪がすぐ触れられそうな距離までくると、ドウメキは思ったことを口にした。もし、彼が『普通の人』であるのならば、そんなことを初対面の人に聞かないだろう。だが、ドウメキは普通からは少々外れた人物であった。マウラのときもそうだ。彼に『建前』や『礼儀』といった言葉は存在しない。
だが、白の人は嫌な顔をひとつせずに微笑むと、日傘を持った左手とは反対の手で、自身のブラウスの襟元をずらした。ドウメキはその下にあったものを見て「あ」と声を上げる。
――傷痕だった。ざっくりと、喉を鋭い何かで斬られたような。ドウメキの見立てからするに、刀より短い刃物で切り刻まれている。
「……」
ブラウスを元に戻すと、一度曖昧に笑う。それだけで、鈍感なドウメキにも何が起きたのかは容易に想像がついた。
「ごめん」
「!」
素直に謝る奇妙な異邦人に、白い髪の人は静かに笑った。
そんな会話をするうちに、すぐ大きな金属製の門が見えてきた。どうやら、案内してもらわなくても出口はすぐ近くにあったらしい。悪かったと言えば、気にしていないという風に首を横に振られた。
「あ、そう。それじゃ、これで……あ。俺は、ドウメキ。その、また会ったら」
「……」
こくり、と頷く。そしてその人はドウメキの手をいきなり取ると、人差し指をついと立てた。
「!?」
驚くドウメキをよそに、手袋をした指先が彼の掌をなぞった。さらさらと、するすると。ひとつなぞり終わると、つぎの動作へ。それを何度か繰り返した後、次は人差し指で自分自身を指す。
「?」
「……?」
ふたりして、無言で見つめ合う。この人は一体何を伝えようとしているのだろうか。ドウメキは自分の掌に書かれたものを同じようにくるくるとなぞり――気が付いた。
「名前?かいて、くれたのか?」
「!」
首を縦に振った拍子に白い髪が舞い上がった。どうやら、その通りのようだ。さした赤い日傘の下、照れたようにはにかむ。
「あ、でも」
モゴモゴとドウメキはバツが悪そうな顔をし、頭をぽりぽりと掻いた。名前を書いたのはわかる。だが、その名前がわからない。
ドウメキは、文字が読めなかった。
「ごめん、わからない」
「?」
白い睫毛はパチパチと何度か瞬きをしたが、ふわりと首を振ると出口の方へ視線を移した。
そして、ドウメキも釣られて鉄柵へと顔を向けると、そこには――
「よ、メアリーちゃん。お友達と一緒?おじさん置いて?」
「!……」
「メアリー?」
視線の先に立っていたのは、ウェーブのかかった黒髪に無精髭を生やした男だった。テオファンと似た服を着ていて、垂れているストラも同じ赤の色だ。
「えと、あんた」
「僕?僕はキュリアキ。北部の枢機卿。で、君の隣にいるのはメアリー。僕の彼女」
「!!」
彼女、という言い方に白い人――メアリーはつかつかとキュリアキの側へと歩いて行き、ぱしんと肩を叩いた。どうやら否定の意味らしい。
「んで、君は……」
「ドウメキ。テオファンの……同行人?」
「ああ、なるほど。あの子の。……ふぅん」
同行人という言葉にキュリアキはニヤニヤとしながら己の顎を撫でてる。彫りの深いまぶたの奥、蒼い目がドウメキの頭の天辺からつま先までをじっとりと観察する。
その視線がまるで捕らえられた獣でも見ているかのようで、ドウメキは居心地が悪いと体を揺すった。
「あ、ごめんごめん。つい、ね。で、君たちなにしてたわけ?」
「……」
メアリーがまたしきりに手を動かす。あの手の動きで喋れない彼女は言葉を伝えているらしい。
(俺も、わかるようになりたいな)
ふと、そんなことを思う。メアリーの言葉をそのまま聞いてみたいと、思った。理由はなぜだかわからないが。
「なるほど。彼を外に……まぁまぁ大丈夫だって。僕枢機卿だし」
パチン、と指を鳴らし、軽薄そうな様子でドウメキに背を向けるキュリアキ。どうやら、ついてこいという意味らしい。
メアリーの方をチラと見れば、彼女も「いこう?」と首を傾げる。
ほんの少し、先程の庭園から鉄柵までの距離が伸びてくれればよかった。そんなことを思いながら、ドウメキは赤い枢機卿の後を、白い彼女と歩いて行った。
「あ」
「あ」
ノルトラ大聖堂からだいぶ離れた場所、路面機関車の停留所目指して歩いていた三人は、見覚えのある人を見てふと足を止めた。
赤い髪に赤いカソック。テオファンだった。それと、茶髪の知らない男も隣にいる。
「テオファン」
「ありがとうございました、トーマスさん」
「……」
トーマスと呼ばれた男はテオファンをひとつ睨むと、さっさと逆方向へと歩いていく。ドウメキが「あんた誰?」と聞く暇もなかった。ずいぶんと無愛想な男だと思った。
「キュリアキ枢機卿、これはどうも」
「テオファンくん、元気そうでなにより」
テオファンはキュリアキを見るなり露骨に不機嫌そうな顔をしたが、その後ろに立っているメアリーが視界に入るといつもの朗らかな笑みに変えた。
「はじめまして。私はテオファンと申します。貴方は?」
「……」
メアリーが手振りで自己紹介をする。だが、テオファンはキョトンと目を見開いたまま、固まったままだ。
「あ、テオファン。この人はメア……」
「この子はメアリー。僕の彼女兼同行人」
バシン、と今度はやや強めにメアリーがキュリアキの背を叩く。叩かれた中年の方は反省するそぶりもせず、ケラケラと笑うばかりだ。
テオファンもキュリアキの説明に納得したのか、彼女が喋らないことには一切言及せずに「メアリーさん。よろしくお願いします」と礼儀正しくお辞儀をした。
「さて、自己紹介はこのくらいにして。もうそろそろお家に帰りなね。明日から本格的に始まるから」
「……そうですね、お腹も空いたのでどこかで食べてから帰りましょうか。……ドウメキさん?」
「えっ?」
ぼんやりとしていたドウメキは、突然名前を呼ばれて肩を震わせる。慌てて返事をすれば、テオファンは大袈裟にため息をついた。
「とにかく、帰りましょう」
「あ、ああ。うん」
キュリアキとメアリーに軽く頭を下げると、停留所の方へと歩き出すテオファン。ドウメキも彼に続こうとしたが、一度立ち止まり、メアリーの方を振り向く。
「め、メアリー。頑張ろう、な」
「……!」
ドウメキの呼びかけに、メアリーは満面の笑みで頷く。
赤い日傘と白い髪が揺れ、ほのかに甘い香りが広がった。
テオファンにまさかの『他人のフリ』をされ、聖職者から追われる身となってしまったドウメキは、うまく隙をついて大聖堂から少し離れた場所へと逃げていた。
わけもわからず聖職者たちがいなさそうな場所へ走っただけだが、運のいいことにおおよそは撒けたらしい。ふう、と息をついて辺りを見回す。
「……?」
大聖堂周辺の構造など知らないが、先ほどのレンガで舗装された場所からはだいぶ風景は変わってしまった。目の前には木製の柵が立てられており、その向こうには生い茂った緑が見える。裏庭、といったところだろうか。よくもあの無機質な敷地から、ここまで緑のある庭が出現するものだ。
不思議に思いながら、柵を軽く手で押す。きぃ、と蝶番が音を立てて、それはそれはあっさりと開いた。
(まぁ、開いてるってことは入っていいってことだろう)
そんな勝手な思考回路のもと、ドウメキはずかずかとその柵の向こう、裏庭へと入っていった。
さくり、と土と草を踏む感触がブーツの裏から伝わる。ここ最近はずっと硬い地面しか踏んでいなかった為、こうした自然に近いものを感じると少しだけ体の調子が戻ってくるような感じがした。
土の湿ったにおい、草の折れるにおい。そして耳に微かにとどく水の流れる音。低木と生い茂った草を振り払うと、羽を休めていた小さな虫たちが驚いたようにドウメキの目の前を飛び去っていく。
(変な場所。普段は子供が遊ぶところなのか?)
スラヴレンの教会でも、子供が遊んでいる小さな庭があった。もしかしたらここもあの教会と同じく、子供たちが遊べる場所を裏側に持っているのかもしれない。それにしては随分と人の気配を感じないが。
そんなことを思いながら、さらに奥へ進む。木陰に覆われた場所を出れば、暖かな日差しがすぐドウメキへと降り注いだ。さきほどまで曇っていた空は、一時的に雲の切れ間ができたようで、そこから太陽の光が降り注いでいた。
まぶしい。薄暗い場所から明るい場所へと出たおかげで、目がなかなか慣れない。片手でひさしを作り、何度か瞬きをすると、白けていた視界もだんだんと色を取り戻してきた。
そこで、ドウメキは白く輝く人を見た。
「え」
彼が思わず声を出したのも無理はあるまい。なぜなら、その人はすべてが白かったからだ。
さしていたであろう赤い日傘は芝生の上へと転がっている。しゃがみこんでいるせいで、豊かな白髪までもが青々とした地面に線を引いていた。その人の近くには、小さな水の道ができている。
先ほどからさらさらと流れていた音の正体は、芝生の空間に枠目状に配置されたこの水路のせいだろう。
水路、といっても大きなものではない。徒歩でまたぐことが出来る程度のものだ。不思議なことに水は綺麗に澄んでおり、どこが始点なのかはわからないが、絶えず透明な音を立てて先へ先へと流れていた。
「……」
膝をついている白い人に近づく。片手には花を持っていた。その人の目の前には、平面的な石板が置いてある。おそらくは人工的に加工されたものだ。その人は、石板の表面を指でなぞっているようだった。
さくり。ドウメキの武骨なブーツが草を揺らすと、傍に止まっていた白と黒のまだらの蝶が飛び立った。
「――!」
白い人が、顔を上げた。
ドウメキが今まで見てきた人々の誰よりも肌が白い。両目にかかる程度の長さの前髪のすぐ下には、純白の豊かなまつ毛に縁取られた赤い瞳がある。唇はうすらと桃色に色づいており、その頬も僅かにだが同じ色を発している。
野暮な侵入者に驚いたのだろう。大きな目を何度も瞬きをして、持ってきた花を胸元に引き寄せた。しかし、一方のドウメキはその姿に言葉を失ったまま立ち止まっていた。
ふわりとふたりの間を風が吹けば、ドウメキの硬い灰色の髪を、あの人のましろの髪をさらりと遊ばせていく。
「――。……」
その人は手に持っていた花を石板の上に置くと、立ち上がってドウメキの方へ歩いてきた。一歩踏み出すたびに、刈られていない草から小さな虫が跳ねる。そして、ドウメキのすぐそばまで来ると――にこり、と微笑んだ。
近くで見ればなお白い。香りが鼻腔をくすぐる。
「あ、あの、俺は」
「……」
「その、迷ってしまって」
服装からして聖職者ではない。首元にフリルがついたブラウスに、長いスカートを身に着けている。きょとん、と首を傾げると、それだけで白い髪が揺れた。
――すごく、この人。いい、匂いがする。
ドウメキの心臓が跳ねる。理由はわからない。だが、目の前の人から目を離せない。心臓がうるさい。揺れる髪から漂う香りが、その白い肌が、紅い眼が、ドウメキの五感全てを奪う。
「……」
もう一度首を傾げると、その人はなにやら手をしきりに動かした。
無言で行い始めたその奇妙な挙動に、ドウメキは思考を取り戻す。
「え、ああ、その……?」
「……!…………?……」
声は発しない。手を動かして、唇を動かすだけ。いったい何がしたいのだろうとドウメキが首を傾げていると、その人は一度肩を大きく落とすと、自分の口を指さした。その後、左右の指でバツ印を作る。そこまでいって、やっとドウメキがこの人の言わんとしている――否、伝えようとしていることを理解する。
「もしかしてあんた、喋れないのか?」
「!」
嬉しそうに微笑み、こくりと頷く。そして自分が先ほどまでしゃがみこんでいた場所へ戻ると、落ちていた紅い日傘を手に持った。
「……」
その人はにこにこと笑っているだけで動く気配はない。だが、特に騒いだりする様子もない。聖職者たちに通報されないならまだ良い人だろうとドウメキは思い「ここから出て、停留所の前に行きたいんだけど……あんた、道わかるか?」と問いかけた。
「……!」
ドウメキの問いかけにしばらく指を唇にあてて考え込んでいたが、ぽんと両手を叩くと、こっちへついて来てほしいと身振りをして、白の人は歩き出してしまった。
ドウメキもそれ以上の意図は汲み取れなかった為、大人しく従うことにする。
「なぁ、なんで喋れないんだ?」
「?」
追いついた先、白い髪がすぐ触れられそうな距離までくると、ドウメキは思ったことを口にした。もし、彼が『普通の人』であるのならば、そんなことを初対面の人に聞かないだろう。だが、ドウメキは普通からは少々外れた人物であった。マウラのときもそうだ。彼に『建前』や『礼儀』といった言葉は存在しない。
だが、白の人は嫌な顔をひとつせずに微笑むと、日傘を持った左手とは反対の手で、自身のブラウスの襟元をずらした。ドウメキはその下にあったものを見て「あ」と声を上げる。
――傷痕だった。ざっくりと、喉を鋭い何かで斬られたような。ドウメキの見立てからするに、刀より短い刃物で切り刻まれている。
「……」
ブラウスを元に戻すと、一度曖昧に笑う。それだけで、鈍感なドウメキにも何が起きたのかは容易に想像がついた。
「ごめん」
「!」
素直に謝る奇妙な異邦人に、白い髪の人は静かに笑った。
そんな会話をするうちに、すぐ大きな金属製の門が見えてきた。どうやら、案内してもらわなくても出口はすぐ近くにあったらしい。悪かったと言えば、気にしていないという風に首を横に振られた。
「あ、そう。それじゃ、これで……あ。俺は、ドウメキ。その、また会ったら」
「……」
こくり、と頷く。そしてその人はドウメキの手をいきなり取ると、人差し指をついと立てた。
「!?」
驚くドウメキをよそに、手袋をした指先が彼の掌をなぞった。さらさらと、するすると。ひとつなぞり終わると、つぎの動作へ。それを何度か繰り返した後、次は人差し指で自分自身を指す。
「?」
「……?」
ふたりして、無言で見つめ合う。この人は一体何を伝えようとしているのだろうか。ドウメキは自分の掌に書かれたものを同じようにくるくるとなぞり――気が付いた。
「名前?かいて、くれたのか?」
「!」
首を縦に振った拍子に白い髪が舞い上がった。どうやら、その通りのようだ。さした赤い日傘の下、照れたようにはにかむ。
「あ、でも」
モゴモゴとドウメキはバツが悪そうな顔をし、頭をぽりぽりと掻いた。名前を書いたのはわかる。だが、その名前がわからない。
ドウメキは、文字が読めなかった。
「ごめん、わからない」
「?」
白い睫毛はパチパチと何度か瞬きをしたが、ふわりと首を振ると出口の方へ視線を移した。
そして、ドウメキも釣られて鉄柵へと顔を向けると、そこには――
「よ、メアリーちゃん。お友達と一緒?おじさん置いて?」
「!……」
「メアリー?」
視線の先に立っていたのは、ウェーブのかかった黒髪に無精髭を生やした男だった。テオファンと似た服を着ていて、垂れているストラも同じ赤の色だ。
「えと、あんた」
「僕?僕はキュリアキ。北部の枢機卿。で、君の隣にいるのはメアリー。僕の彼女」
「!!」
彼女、という言い方に白い人――メアリーはつかつかとキュリアキの側へと歩いて行き、ぱしんと肩を叩いた。どうやら否定の意味らしい。
「んで、君は……」
「ドウメキ。テオファンの……同行人?」
「ああ、なるほど。あの子の。……ふぅん」
同行人という言葉にキュリアキはニヤニヤとしながら己の顎を撫でてる。彫りの深いまぶたの奥、蒼い目がドウメキの頭の天辺からつま先までをじっとりと観察する。
その視線がまるで捕らえられた獣でも見ているかのようで、ドウメキは居心地が悪いと体を揺すった。
「あ、ごめんごめん。つい、ね。で、君たちなにしてたわけ?」
「……」
メアリーがまたしきりに手を動かす。あの手の動きで喋れない彼女は言葉を伝えているらしい。
(俺も、わかるようになりたいな)
ふと、そんなことを思う。メアリーの言葉をそのまま聞いてみたいと、思った。理由はなぜだかわからないが。
「なるほど。彼を外に……まぁまぁ大丈夫だって。僕枢機卿だし」
パチン、と指を鳴らし、軽薄そうな様子でドウメキに背を向けるキュリアキ。どうやら、ついてこいという意味らしい。
メアリーの方をチラと見れば、彼女も「いこう?」と首を傾げる。
ほんの少し、先程の庭園から鉄柵までの距離が伸びてくれればよかった。そんなことを思いながら、ドウメキは赤い枢機卿の後を、白い彼女と歩いて行った。
「あ」
「あ」
ノルトラ大聖堂からだいぶ離れた場所、路面機関車の停留所目指して歩いていた三人は、見覚えのある人を見てふと足を止めた。
赤い髪に赤いカソック。テオファンだった。それと、茶髪の知らない男も隣にいる。
「テオファン」
「ありがとうございました、トーマスさん」
「……」
トーマスと呼ばれた男はテオファンをひとつ睨むと、さっさと逆方向へと歩いていく。ドウメキが「あんた誰?」と聞く暇もなかった。ずいぶんと無愛想な男だと思った。
「キュリアキ枢機卿、これはどうも」
「テオファンくん、元気そうでなにより」
テオファンはキュリアキを見るなり露骨に不機嫌そうな顔をしたが、その後ろに立っているメアリーが視界に入るといつもの朗らかな笑みに変えた。
「はじめまして。私はテオファンと申します。貴方は?」
「……」
メアリーが手振りで自己紹介をする。だが、テオファンはキョトンと目を見開いたまま、固まったままだ。
「あ、テオファン。この人はメア……」
「この子はメアリー。僕の彼女兼同行人」
バシン、と今度はやや強めにメアリーがキュリアキの背を叩く。叩かれた中年の方は反省するそぶりもせず、ケラケラと笑うばかりだ。
テオファンもキュリアキの説明に納得したのか、彼女が喋らないことには一切言及せずに「メアリーさん。よろしくお願いします」と礼儀正しくお辞儀をした。
「さて、自己紹介はこのくらいにして。もうそろそろお家に帰りなね。明日から本格的に始まるから」
「……そうですね、お腹も空いたのでどこかで食べてから帰りましょうか。……ドウメキさん?」
「えっ?」
ぼんやりとしていたドウメキは、突然名前を呼ばれて肩を震わせる。慌てて返事をすれば、テオファンは大袈裟にため息をついた。
「とにかく、帰りましょう」
「あ、ああ。うん」
キュリアキとメアリーに軽く頭を下げると、停留所の方へと歩き出すテオファン。ドウメキも彼に続こうとしたが、一度立ち止まり、メアリーの方を振り向く。
「め、メアリー。頑張ろう、な」
「……!」
ドウメキの呼びかけに、メアリーは満面の笑みで頷く。
赤い日傘と白い髪が揺れ、ほのかに甘い香りが広がった。
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