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第1章 出会い
10話 試験・下
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ひう、と風が裂かれる音がして、ドウメキの眼前を銀色の閃光が走った。
「え、」
ルイスが構えている。ハラハラと、風が通り過ぎた場所の前髪が散っている。
「セイル・ドウメキ。貴方を殺します」
もう一度、ルイスはドウメキに言い放つ。――その手に持っている銀色のナイフを隠すことなく。
「ま、待ってくれ。なんでそうなる」
ドウメキは理解できないという風に両手を上げて首を横に振ったが、ルイスは"これが答えだ"と言わんばかりにナイフを振りかぶってきた。
大きく足を踏み込んでのナイフの斬りつけ。ひゅん、ひぅん、とステップを踏むたびに風が鳴った。だが、ドウメキはそれをなんともないように後ろへ後退りすることで避ける。
「ルイス、本気か?」
「小癪な。……まぁ、さすがは殺し屋ですね」
ルイスは鬼気迫った顔のまま、ドウメキを連続で突き殺さんとする。体を傾けて突きを避けたドウメキは、前方に転がってルイスの背後へと回る。
「ッ!」
背後を取られたことに焦りを感じたのか、ルイスは左足を軽く伸ばすと、右足を軸としてくるりと回って振り返る。その際に雑木林の柔らかな土が左の靴底で舞い上がり、ドウメキの顔めがけて飛び散った。
「うわっ!」
反射的に降りる瞼。ルイスは好機と言わんばかりに、ナイフを持った右手を大きく振り上げた。しかしドウメキも避けた後の立ち回りを考えていないことはなく、たとえ目つぶしをされてもナイフが届かない間合いをとっていた。
だが、視界を奪われた中、ドウメキは本能的に何かを感じ取り、横に転がって回避体勢をとる。
「いッ!」
ひぅん、と風切り音がすぐ近く、それこそ耳に刺さったのではないかと思うほどの至近距離で通りすぎる。コンマ数秒遅れて耳殻がじりじりと痛んだ。
(いて、切られた……)
ルイスとドウメキの距離は十分にとっていた。この位置なら刺されない、ナイフの間合いの外だと思っていたが、そう簡単でもないようだった。
「ここで殺してやる、犯罪者」
「……」
土に染みる目を開けてみれば、そこには両手にナイフを三本ずつ持っているルイスが立っていた。これが意味することはつまり――あのナイフは刺突用であり、かつ投擲用であるということだ。
「本気、だな」
ドウメキにはなぜあの穏やかな司助がここまで殺気立つのか理解できなかったが、冗談でもなんでもなく本気だと理解はできた。己の命を守るためには戦わなくてはいけないということだ。状況理解の後、腰につけた相棒へ触れて深呼吸する。
(何が何なのかわからないが、仕方ない)
ここでやすやすと殺されてやる義理はない。かちん、と鍔を親指で押しあげ、いつでも抜刀が可能なことを確認する。
ルイスとドウメキの間合いは未だ3m近く保たれており、投げの技が使えるルイスの方がこの間合いでは圧倒的に有利だろう。
ルイスの腕がブレると、ドウメキに向かって六本の銀の閃光が飛び立っていく。その手つきには何の迷いも躊躇もない。このままいけばその六つすべてがドウメキの体に突き刺さることになる。
だが、金属がぶつかる甲高い音によって六つの軌跡はすべて打ち落とされた。
「なに!?」
ルイスが驚くのも無理はない。ドウメキはそれぞれ向かってくるナイフを、投擲時は納刀していた状態からすべて刀で叩き落したのだから。
――人間の反射神経と動体視力では、全て目で追う事すら難しいバラバラの飛翔物。それを、あの長い刀の一閃で。今はドウメキの刀は鈍い色の刀身を晒しており、ルイスにはいつ抜刀したのかすらもわからなかった。
「……お前。殺しに慣れてないな」
ドウメキはずれたマントをぞんざいに脱ぐと、それを地面に投げ捨てた。そして刀を両手でもち、ルイスと対峙する。
「!」
ぞわ、とルイスは全身が総毛立つような悪寒を感じた。
目の前にいる男は、さきほどまではベンチに座って転寝をしていたようなやつだ。なのに、なぜこんなにも恐怖を感じるのだろうか?はたしてあの両目は、あんなに紅かっただろうか?
「う、うるさい!死ね!」
袖の中からまた隠していたナイフを取り出し、ドウメキに投げつける。スピードが劣っているようには見えない。普通の人間ならば投げたと気づいている時点で突き刺さって絶命しているはずなのだ。だが、ドウメキは焦る様子すら見せずに、刀をぐるりと回すとその一つの円弧だけで弾いた。
「くッ!?」
しゃりん、しゃりんと金属と金属がぶつかり悲鳴を上げる。ただ弾くのではなく、手首の動きでうまく力をいなすことで、刀へのダメージを最小限にしているのだろう。ドウメキが振るうナイフより長い得物が、筆で描いたような白の軌跡を残して、ぐんとルイスに近づいた。
独特の足運びから生み出される踏み込みでドウメキは己の刃が届く位置へと一息で飛び込む。その勢いに気圧され、ルイスは縺れるようにして後ろへ倒れたが、偶然にも背に当たった樹木のおかげで倒れることなく、うまく幹の後ろへ隠れることが出来た。
ドウメキが刀を振った瞬間、ひう、と穏やかな風が吹いたのはわかった。だが、運よく刀はこちらへ届かなかった――そう思い、ルイスが何気なく己の左腕へと触れると。
肘と肩の間、硬い骨にすぐ触れられる位置が、べっとりと血に濡れていた。
「っ!?」
ぎょっとして見れば、一文字にぱっくりと肉が割れている。黒いカソックを切り裂き、薄い皮膚を破き、薄桃色の肉が空気に晒されていた。その事実を確認してからじくじくと切り口は痛みを持ち始め、左腕にうまく力が入らなくなる。
(いつの間に……!)
寸分の狂いもなく研がれた東洋の刀。それを用いた、痛みが遅延する程の速さの居合。極限まで磨きあげられた技術がもたらす賜物。
ぐう、と息が苦しくなる。喉元に尖った刃物を突き付けられ、少しでも動けば柔らかな肉が切っ先に食い込む――そんな圧迫感が、肺のあたりに広がる。
「――!」
その恐怖故か、あるいは動物としての本能が何かを察知したのか。ルイスはその場で屈みこんだ。すると、彼が今まで背にして立っていた樹木――男性が腕でぐるりと抱えられるほどの太さがある――が、ずるりと横にずれた。
否、ずれたのではない。斬られたのだ、ルイスと反対側にたっていたドウメキによって。
根を失った幹は生い茂った枝を散らせながら轟音と共に地に落下する。もしルイスが屈んでいなかったら、この樹と同じようになっていただろう。
「……」
「くっ、そぉ!」
ごく近い距離、おそらくはドウメキの刀の間合いとしては近すぎるこの状態で、ルイスは右手で刺突をくりだした。だが、それも刀の鍔で受け止められてしまい、ナイフの切っ先を欠けるだけに至る。
ナイフの刃と刀による鍔迫り合い。ドウメキとルイスが至近距離でにらみ合う。
ドウメキの眼は大きく見開かれ、あの教会の前で居眠りをしていた人物と同じようには見えない。せいぜい赤褐色だった虹彩は、今や血ほどに紅く、瞳孔はカッと開かれていた。
……一度だけ、狼が子兎を捕食する光景を見たことがある。あの時は、哀れだが自然の摂理だと思い、止めることはしなかった。子兎は必死に逃げ、狼は獰猛にその白い毛皮に噛みついて赤く染めていた。
こいつの眼を見ていると、その時の狼の眼を思い出す。今、この男の頭は『ルイスを殺す』ことしか考えていない。
鍔迫り合いの体勢のまま、ぽたり、とルイスの左腕から血が垂れた。この硬直状態では怪我をしている側が力で負けると思い、ルイスは痺れる片腕でやや乱雑にナイフを放つ。
そんな悪あがきの攻撃には動じず、ドウメキは強くルイスを押し返すと、刀を身に引きつけ、峰で飛来物を弾いた。一方のルイスは押し返された反動も借り、彼から間合いを十分にとることに成功する。
「……」
暫しの休止。す、とドウメキが刃先を下に向け構える。木漏れ日を縫うように差した日の光がそのまっすぐな刀身に光を与え、天に生い茂る葉の一枚一枚すらも映し出していた。
下に構えたまま、体の芯に酸素を送り込むように深く息を吸う。ざり、と左足を強く踏ん張る。その間、三秒にすら達せず。ドウメキにとっての「間合い」を見極めるのに、それ以上の時間は必要なかった。
その刹那の緊張のせいか、まずいと焦ったルイスはさらにナイフを取り出そうとしたが、ドウメキはその隙を見逃さない。赤い目が更に鮮やかな色になり、瞬時、その光が線を描いたような気がした。
タン、とその一歩の踏み込みだけでドウメキは容易くルイスとの間合いの中に入る。ルイスはナイフを取り出したがもう遅い。ドウメキは踏み込みをした時点で腕を引き、次の攻撃の動作に入っていた。
「く、くそ――ッ!」
「……!」
だが、ドウメキの刃がルイスへ届く瞬間。ドウメキはあることを思い出していた。
――不要な殺しはしてはいけません。
「……」
刀を掌の中でくるりと回し、刃を内側に向ける。そして、渾身の力でルイスの左のわき腹を"殴った"。
「がっはッ!?」
斬られてはいないとはいえ、硬く薄い鋼鉄が生身の体に食い込む衝撃。ルイスは両足で地面に踏ん張ることもできず、ドウメキの腕力に負けて、右側へ吹き飛ばされる。
(なんだこの、人間の力ではない――!)
峰打ち。けれど、乗せられているのは人間の体はおろか樹木さえ斬り伏せてしまうような力。それが入った瞬間に肺の空気はすべて抜け、左側からは肉が潰れるよりもっと硬質な音――おそらくあばら骨が折れたのだろう――がルイスの体内で響いた。
ドウメキとしてはこれでも"殺さないように手加減をした"つもりであったが、彼はいささか手加減というものに慣れていなかった。
「ぐ、ぐぇえッ……」
木に打ち付けられたルイスは地面に転がるとその場で嘔吐した。馬車に跳ね飛ばされたような殴打、しかし打たれた箇所はじくじくと熱を帯びており、刃ではないとはいえ、皮膚の一部は破れているようだった。
体の震えが止まらない。気持ちが悪い。世界がぐるぐると回っているような気がする。
「は、は、ぐ……おぇええッ!」
ガタガタと両足を震わせて四つん這いになっているルイスを、ドウメキは「しまった」という顔で眺めていた。相手と自分の刀を何度か見合わせた後、ぱちん、と手を合わせて頭を下げる。
「わ、わるい。俺、手加減したことなくて……」
「う……」
再度「ごめん」と謝るも、まだ立ち上がれないルイスを見て戸惑う。もしかしたら誰かを呼んだ方がいいだろうかと、ルイスに背を向けたその時だった。
「ころして、やる!」
「!」
ルイスが片手を振り上げ、持っていたナイフを無防備なドウメキの背中に突き立てる――はずだったのだろう。怒鳴り声を聞いたドウメキがワンテンポ遅れて振り返れば、そこにはなぜか振りかぶった状態で腕が空中でとまっているルイスがいた。
「え、もしかして刺そうとしたのか?危ないな……で、でもどうしたんだ?腕……」
「ふぅーッ、ふぅーッ!」
きょとんとしているドウメキを血走った目で睨みつけるルイス。彼にも何が起きたのか理解はできていないらしい。どうしたものか、と硬直した彼を見ながら首を傾げると、背後からサクサクと草木を踏む音が聞こえてきた。どうやら、誰かが騒ぎを聞いてやって来たらしい。
住民だったら説明が面倒だな、と思いつつ、ドウメキが音のする方へ顔を向けると。
「あ、」
「おやおや……ルイスさん、こんな場所にいたとは。ドウメキさんも」
現れたのは赤毛の聖職者――テオファンだった。
どこか眠そうな顔はしていたものの、なにやら片手をあげながら余裕そうな表情に近づいてくる彼に、ドウメキはため息をつく。
「テオファン、俺を聖都に連れて行かないんだろ」
「……え?なんですかそれ」
ドウメキの発言にぱちぱちと瞬きをする。それを見て、ドウメキも「うぅん?」と首をひねった。なにやら話の食い違いが起きているようだ。
「いや、ルイスが、テオファンは俺を連れて行かないって言ってたって……」
「司祭!」
もう耐えられないという風に、片腕をあげたままの姿勢のルイスが叫ぶ。ぎゅうと唇を噛んで顔を下に向けていたが、やがてゆっくりと顔を上げてテオファンと目を合わせる。
覚悟を決めているのだろうか、これから絞首台へ連れていかれる罪人のような面持ちだった。
「わ、私が、」
「……」
「私は、貴方と、聖都へ……」
「もしかして、ルイスさんは……私と聖都へ行きたかったため、ドウメキさんに嘘をついたのでしょうか?」
「……」
血がにじむほど強く唇を噛みしめる。
テオファンはそっと目を伏せると、上げた片手の指をくいと曲げた。すると、ルイスのナイフを持った腕からすとんと力が抜ける。まるで見えない何かに操られていたのが切れたようだった。
「ルイスさん、なぜ」
テオファンはいつの間にかルイスの近くまで歩み寄り、怪我をした方の腕に触れながら、そっと髪を撫でた。子供と接するように柔らかく、優しく。
するとルイスは彼の腕の中で肩を震わせ、喉を引きつらせて涙をハラハラと落とし始める。そして、嘘をついていたこと、テオファンに酷いことをしたこと、ドウメキが邪魔であったので彼を殺めようとしたこと――そのすべてを話した。
その間、テオファンは目を閉じ相槌を打ち、ドウメキは刀をしまって木の根に座っていた。
たっぷりの時間をかけて話しきった中には、ルイスの執念のような恨み言やドウメキへの悪口もはいっていたが、テオファンは決して彼を急かすことはせず、時折彼の手を撫でて先を促した。
「ぼ、僕は、ひどい、ことを」
「……ルイス。落ち着いてください。私は怒ってはいません。……いえ、私に全て黙っていたのは、すこし怒っていますが」
くい、とルイスの顎をあげて自分の方へ向かせるテオファン。手袋をしたままの手で、つんと唇に触れれば、ルイスはさらに顔をくしゃりと歪めた。
「怒ってはいません。しかし、ドウメキさんを危険に晒したことはいけないことです。私は貴方のしたことを許しますが、いけないことであったのはわかりますね?」
「は、はい……」
「あの夜、私がいったことに何も嘘はありません。貴方を置いていくのではありません。貴方にしかできないことを、私が貴方を頼るのです。……ルイスさん」
「……」
「大丈夫。私は貴方を愛していますから」
テオファンがそこまで言うと、ルイスはまた堰をきったように大きく声を上げて泣き始めた。心の底に淀んできたわだかまりが、暴かれ、晒され、しかしながら流されていく。ぎゅう、とテオファンのカソックの布地を強く握りしめ、彼の胸に顔を埋もれさせる。
ふたりのやりとりを、ドウメキは何やら"生まれてはじめて見た珍獣"を見るような目で見ていた。
許す許さない、良い事良くない事……そんなことを真剣に言い聞かせているテオファンは、ドウメキには程遠く、異質なものであるように感じた上、深く考えれば考えるほど何を言っているのかわからなくなっていく。
そんなわけで、ドウメキは一歩離れた場所から遠巻きに、ふたりの会話を鳥の鳴き声と共に聞いていた。彼らの会話を真剣に聞いていると頭が痛くなりそうだった。
「ルイスさん、許しましょう。だから、立って……もう泣くのはおやめになってください」
「……はい……」
よろよろとルイスは立ち上がるとテオファンの腕にしがみつく。すでに二十歳は超えている男性が、自分より年下の男性に縋り付くという『異様』な光景ではあったが、テオファンは各段嫌がることもせずにルイスの好きなようにさせてやる。
「テオファン、」
「ええ。いろいろとご迷惑をおかけしました。戻りましょう、教会へ。ルイスさんの手当もしてあげたいですし」
「……ああ」
ルイスは大丈夫か、と聞こうとしたところで止まる。怪我は命には関わらないだろう。では、何がそんなに心配なのだろうか。
テオファンの腕にしっかりとしがみついている彼をみると、何か言いようのない不安感がわいてくる。しかし、その理由もわからなかったドウメキは、落としていたマントを拾いあげ、先に行ってしまったふたりの後を追いかけた。
「え、」
ルイスが構えている。ハラハラと、風が通り過ぎた場所の前髪が散っている。
「セイル・ドウメキ。貴方を殺します」
もう一度、ルイスはドウメキに言い放つ。――その手に持っている銀色のナイフを隠すことなく。
「ま、待ってくれ。なんでそうなる」
ドウメキは理解できないという風に両手を上げて首を横に振ったが、ルイスは"これが答えだ"と言わんばかりにナイフを振りかぶってきた。
大きく足を踏み込んでのナイフの斬りつけ。ひゅん、ひぅん、とステップを踏むたびに風が鳴った。だが、ドウメキはそれをなんともないように後ろへ後退りすることで避ける。
「ルイス、本気か?」
「小癪な。……まぁ、さすがは殺し屋ですね」
ルイスは鬼気迫った顔のまま、ドウメキを連続で突き殺さんとする。体を傾けて突きを避けたドウメキは、前方に転がってルイスの背後へと回る。
「ッ!」
背後を取られたことに焦りを感じたのか、ルイスは左足を軽く伸ばすと、右足を軸としてくるりと回って振り返る。その際に雑木林の柔らかな土が左の靴底で舞い上がり、ドウメキの顔めがけて飛び散った。
「うわっ!」
反射的に降りる瞼。ルイスは好機と言わんばかりに、ナイフを持った右手を大きく振り上げた。しかしドウメキも避けた後の立ち回りを考えていないことはなく、たとえ目つぶしをされてもナイフが届かない間合いをとっていた。
だが、視界を奪われた中、ドウメキは本能的に何かを感じ取り、横に転がって回避体勢をとる。
「いッ!」
ひぅん、と風切り音がすぐ近く、それこそ耳に刺さったのではないかと思うほどの至近距離で通りすぎる。コンマ数秒遅れて耳殻がじりじりと痛んだ。
(いて、切られた……)
ルイスとドウメキの距離は十分にとっていた。この位置なら刺されない、ナイフの間合いの外だと思っていたが、そう簡単でもないようだった。
「ここで殺してやる、犯罪者」
「……」
土に染みる目を開けてみれば、そこには両手にナイフを三本ずつ持っているルイスが立っていた。これが意味することはつまり――あのナイフは刺突用であり、かつ投擲用であるということだ。
「本気、だな」
ドウメキにはなぜあの穏やかな司助がここまで殺気立つのか理解できなかったが、冗談でもなんでもなく本気だと理解はできた。己の命を守るためには戦わなくてはいけないということだ。状況理解の後、腰につけた相棒へ触れて深呼吸する。
(何が何なのかわからないが、仕方ない)
ここでやすやすと殺されてやる義理はない。かちん、と鍔を親指で押しあげ、いつでも抜刀が可能なことを確認する。
ルイスとドウメキの間合いは未だ3m近く保たれており、投げの技が使えるルイスの方がこの間合いでは圧倒的に有利だろう。
ルイスの腕がブレると、ドウメキに向かって六本の銀の閃光が飛び立っていく。その手つきには何の迷いも躊躇もない。このままいけばその六つすべてがドウメキの体に突き刺さることになる。
だが、金属がぶつかる甲高い音によって六つの軌跡はすべて打ち落とされた。
「なに!?」
ルイスが驚くのも無理はない。ドウメキはそれぞれ向かってくるナイフを、投擲時は納刀していた状態からすべて刀で叩き落したのだから。
――人間の反射神経と動体視力では、全て目で追う事すら難しいバラバラの飛翔物。それを、あの長い刀の一閃で。今はドウメキの刀は鈍い色の刀身を晒しており、ルイスにはいつ抜刀したのかすらもわからなかった。
「……お前。殺しに慣れてないな」
ドウメキはずれたマントをぞんざいに脱ぐと、それを地面に投げ捨てた。そして刀を両手でもち、ルイスと対峙する。
「!」
ぞわ、とルイスは全身が総毛立つような悪寒を感じた。
目の前にいる男は、さきほどまではベンチに座って転寝をしていたようなやつだ。なのに、なぜこんなにも恐怖を感じるのだろうか?はたしてあの両目は、あんなに紅かっただろうか?
「う、うるさい!死ね!」
袖の中からまた隠していたナイフを取り出し、ドウメキに投げつける。スピードが劣っているようには見えない。普通の人間ならば投げたと気づいている時点で突き刺さって絶命しているはずなのだ。だが、ドウメキは焦る様子すら見せずに、刀をぐるりと回すとその一つの円弧だけで弾いた。
「くッ!?」
しゃりん、しゃりんと金属と金属がぶつかり悲鳴を上げる。ただ弾くのではなく、手首の動きでうまく力をいなすことで、刀へのダメージを最小限にしているのだろう。ドウメキが振るうナイフより長い得物が、筆で描いたような白の軌跡を残して、ぐんとルイスに近づいた。
独特の足運びから生み出される踏み込みでドウメキは己の刃が届く位置へと一息で飛び込む。その勢いに気圧され、ルイスは縺れるようにして後ろへ倒れたが、偶然にも背に当たった樹木のおかげで倒れることなく、うまく幹の後ろへ隠れることが出来た。
ドウメキが刀を振った瞬間、ひう、と穏やかな風が吹いたのはわかった。だが、運よく刀はこちらへ届かなかった――そう思い、ルイスが何気なく己の左腕へと触れると。
肘と肩の間、硬い骨にすぐ触れられる位置が、べっとりと血に濡れていた。
「っ!?」
ぎょっとして見れば、一文字にぱっくりと肉が割れている。黒いカソックを切り裂き、薄い皮膚を破き、薄桃色の肉が空気に晒されていた。その事実を確認してからじくじくと切り口は痛みを持ち始め、左腕にうまく力が入らなくなる。
(いつの間に……!)
寸分の狂いもなく研がれた東洋の刀。それを用いた、痛みが遅延する程の速さの居合。極限まで磨きあげられた技術がもたらす賜物。
ぐう、と息が苦しくなる。喉元に尖った刃物を突き付けられ、少しでも動けば柔らかな肉が切っ先に食い込む――そんな圧迫感が、肺のあたりに広がる。
「――!」
その恐怖故か、あるいは動物としての本能が何かを察知したのか。ルイスはその場で屈みこんだ。すると、彼が今まで背にして立っていた樹木――男性が腕でぐるりと抱えられるほどの太さがある――が、ずるりと横にずれた。
否、ずれたのではない。斬られたのだ、ルイスと反対側にたっていたドウメキによって。
根を失った幹は生い茂った枝を散らせながら轟音と共に地に落下する。もしルイスが屈んでいなかったら、この樹と同じようになっていただろう。
「……」
「くっ、そぉ!」
ごく近い距離、おそらくはドウメキの刀の間合いとしては近すぎるこの状態で、ルイスは右手で刺突をくりだした。だが、それも刀の鍔で受け止められてしまい、ナイフの切っ先を欠けるだけに至る。
ナイフの刃と刀による鍔迫り合い。ドウメキとルイスが至近距離でにらみ合う。
ドウメキの眼は大きく見開かれ、あの教会の前で居眠りをしていた人物と同じようには見えない。せいぜい赤褐色だった虹彩は、今や血ほどに紅く、瞳孔はカッと開かれていた。
……一度だけ、狼が子兎を捕食する光景を見たことがある。あの時は、哀れだが自然の摂理だと思い、止めることはしなかった。子兎は必死に逃げ、狼は獰猛にその白い毛皮に噛みついて赤く染めていた。
こいつの眼を見ていると、その時の狼の眼を思い出す。今、この男の頭は『ルイスを殺す』ことしか考えていない。
鍔迫り合いの体勢のまま、ぽたり、とルイスの左腕から血が垂れた。この硬直状態では怪我をしている側が力で負けると思い、ルイスは痺れる片腕でやや乱雑にナイフを放つ。
そんな悪あがきの攻撃には動じず、ドウメキは強くルイスを押し返すと、刀を身に引きつけ、峰で飛来物を弾いた。一方のルイスは押し返された反動も借り、彼から間合いを十分にとることに成功する。
「……」
暫しの休止。す、とドウメキが刃先を下に向け構える。木漏れ日を縫うように差した日の光がそのまっすぐな刀身に光を与え、天に生い茂る葉の一枚一枚すらも映し出していた。
下に構えたまま、体の芯に酸素を送り込むように深く息を吸う。ざり、と左足を強く踏ん張る。その間、三秒にすら達せず。ドウメキにとっての「間合い」を見極めるのに、それ以上の時間は必要なかった。
その刹那の緊張のせいか、まずいと焦ったルイスはさらにナイフを取り出そうとしたが、ドウメキはその隙を見逃さない。赤い目が更に鮮やかな色になり、瞬時、その光が線を描いたような気がした。
タン、とその一歩の踏み込みだけでドウメキは容易くルイスとの間合いの中に入る。ルイスはナイフを取り出したがもう遅い。ドウメキは踏み込みをした時点で腕を引き、次の攻撃の動作に入っていた。
「く、くそ――ッ!」
「……!」
だが、ドウメキの刃がルイスへ届く瞬間。ドウメキはあることを思い出していた。
――不要な殺しはしてはいけません。
「……」
刀を掌の中でくるりと回し、刃を内側に向ける。そして、渾身の力でルイスの左のわき腹を"殴った"。
「がっはッ!?」
斬られてはいないとはいえ、硬く薄い鋼鉄が生身の体に食い込む衝撃。ルイスは両足で地面に踏ん張ることもできず、ドウメキの腕力に負けて、右側へ吹き飛ばされる。
(なんだこの、人間の力ではない――!)
峰打ち。けれど、乗せられているのは人間の体はおろか樹木さえ斬り伏せてしまうような力。それが入った瞬間に肺の空気はすべて抜け、左側からは肉が潰れるよりもっと硬質な音――おそらくあばら骨が折れたのだろう――がルイスの体内で響いた。
ドウメキとしてはこれでも"殺さないように手加減をした"つもりであったが、彼はいささか手加減というものに慣れていなかった。
「ぐ、ぐぇえッ……」
木に打ち付けられたルイスは地面に転がるとその場で嘔吐した。馬車に跳ね飛ばされたような殴打、しかし打たれた箇所はじくじくと熱を帯びており、刃ではないとはいえ、皮膚の一部は破れているようだった。
体の震えが止まらない。気持ちが悪い。世界がぐるぐると回っているような気がする。
「は、は、ぐ……おぇええッ!」
ガタガタと両足を震わせて四つん這いになっているルイスを、ドウメキは「しまった」という顔で眺めていた。相手と自分の刀を何度か見合わせた後、ぱちん、と手を合わせて頭を下げる。
「わ、わるい。俺、手加減したことなくて……」
「う……」
再度「ごめん」と謝るも、まだ立ち上がれないルイスを見て戸惑う。もしかしたら誰かを呼んだ方がいいだろうかと、ルイスに背を向けたその時だった。
「ころして、やる!」
「!」
ルイスが片手を振り上げ、持っていたナイフを無防備なドウメキの背中に突き立てる――はずだったのだろう。怒鳴り声を聞いたドウメキがワンテンポ遅れて振り返れば、そこにはなぜか振りかぶった状態で腕が空中でとまっているルイスがいた。
「え、もしかして刺そうとしたのか?危ないな……で、でもどうしたんだ?腕……」
「ふぅーッ、ふぅーッ!」
きょとんとしているドウメキを血走った目で睨みつけるルイス。彼にも何が起きたのか理解はできていないらしい。どうしたものか、と硬直した彼を見ながら首を傾げると、背後からサクサクと草木を踏む音が聞こえてきた。どうやら、誰かが騒ぎを聞いてやって来たらしい。
住民だったら説明が面倒だな、と思いつつ、ドウメキが音のする方へ顔を向けると。
「あ、」
「おやおや……ルイスさん、こんな場所にいたとは。ドウメキさんも」
現れたのは赤毛の聖職者――テオファンだった。
どこか眠そうな顔はしていたものの、なにやら片手をあげながら余裕そうな表情に近づいてくる彼に、ドウメキはため息をつく。
「テオファン、俺を聖都に連れて行かないんだろ」
「……え?なんですかそれ」
ドウメキの発言にぱちぱちと瞬きをする。それを見て、ドウメキも「うぅん?」と首をひねった。なにやら話の食い違いが起きているようだ。
「いや、ルイスが、テオファンは俺を連れて行かないって言ってたって……」
「司祭!」
もう耐えられないという風に、片腕をあげたままの姿勢のルイスが叫ぶ。ぎゅうと唇を噛んで顔を下に向けていたが、やがてゆっくりと顔を上げてテオファンと目を合わせる。
覚悟を決めているのだろうか、これから絞首台へ連れていかれる罪人のような面持ちだった。
「わ、私が、」
「……」
「私は、貴方と、聖都へ……」
「もしかして、ルイスさんは……私と聖都へ行きたかったため、ドウメキさんに嘘をついたのでしょうか?」
「……」
血がにじむほど強く唇を噛みしめる。
テオファンはそっと目を伏せると、上げた片手の指をくいと曲げた。すると、ルイスのナイフを持った腕からすとんと力が抜ける。まるで見えない何かに操られていたのが切れたようだった。
「ルイスさん、なぜ」
テオファンはいつの間にかルイスの近くまで歩み寄り、怪我をした方の腕に触れながら、そっと髪を撫でた。子供と接するように柔らかく、優しく。
するとルイスは彼の腕の中で肩を震わせ、喉を引きつらせて涙をハラハラと落とし始める。そして、嘘をついていたこと、テオファンに酷いことをしたこと、ドウメキが邪魔であったので彼を殺めようとしたこと――そのすべてを話した。
その間、テオファンは目を閉じ相槌を打ち、ドウメキは刀をしまって木の根に座っていた。
たっぷりの時間をかけて話しきった中には、ルイスの執念のような恨み言やドウメキへの悪口もはいっていたが、テオファンは決して彼を急かすことはせず、時折彼の手を撫でて先を促した。
「ぼ、僕は、ひどい、ことを」
「……ルイス。落ち着いてください。私は怒ってはいません。……いえ、私に全て黙っていたのは、すこし怒っていますが」
くい、とルイスの顎をあげて自分の方へ向かせるテオファン。手袋をしたままの手で、つんと唇に触れれば、ルイスはさらに顔をくしゃりと歪めた。
「怒ってはいません。しかし、ドウメキさんを危険に晒したことはいけないことです。私は貴方のしたことを許しますが、いけないことであったのはわかりますね?」
「は、はい……」
「あの夜、私がいったことに何も嘘はありません。貴方を置いていくのではありません。貴方にしかできないことを、私が貴方を頼るのです。……ルイスさん」
「……」
「大丈夫。私は貴方を愛していますから」
テオファンがそこまで言うと、ルイスはまた堰をきったように大きく声を上げて泣き始めた。心の底に淀んできたわだかまりが、暴かれ、晒され、しかしながら流されていく。ぎゅう、とテオファンのカソックの布地を強く握りしめ、彼の胸に顔を埋もれさせる。
ふたりのやりとりを、ドウメキは何やら"生まれてはじめて見た珍獣"を見るような目で見ていた。
許す許さない、良い事良くない事……そんなことを真剣に言い聞かせているテオファンは、ドウメキには程遠く、異質なものであるように感じた上、深く考えれば考えるほど何を言っているのかわからなくなっていく。
そんなわけで、ドウメキは一歩離れた場所から遠巻きに、ふたりの会話を鳥の鳴き声と共に聞いていた。彼らの会話を真剣に聞いていると頭が痛くなりそうだった。
「ルイスさん、許しましょう。だから、立って……もう泣くのはおやめになってください」
「……はい……」
よろよろとルイスは立ち上がるとテオファンの腕にしがみつく。すでに二十歳は超えている男性が、自分より年下の男性に縋り付くという『異様』な光景ではあったが、テオファンは各段嫌がることもせずにルイスの好きなようにさせてやる。
「テオファン、」
「ええ。いろいろとご迷惑をおかけしました。戻りましょう、教会へ。ルイスさんの手当もしてあげたいですし」
「……ああ」
ルイスは大丈夫か、と聞こうとしたところで止まる。怪我は命には関わらないだろう。では、何がそんなに心配なのだろうか。
テオファンの腕にしっかりとしがみついている彼をみると、何か言いようのない不安感がわいてくる。しかし、その理由もわからなかったドウメキは、落としていたマントを拾いあげ、先に行ってしまったふたりの後を追いかけた。
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