枢要悪の宴

夏草

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第1章 出会い

6話 一杯の紅茶

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 テオファンが『約束』の下、ドウメキを牢屋から出して一晩明けた。結局、ドウメキは部屋がないからという理由で倉庫のような場所で簡単に寝ることとなった。埃をかぶった聖具やら日誌やらが置いてある場所で寝るのは居心地がいいとは到底言えなかったが、あの黴と糞にまみれた牢屋で寝るよりかははるかにマシではあった。
 そうして今は、テオファンの前にドウメキは縮こまって椅子に座っている。
「……」
 テオファンは唇を一文字に結び、両腕を組んで座ったドウメキを見下ろしている。じっと翠の眼で睨みつけられると、自分より小柄とは言え威圧感があった。
「なぁ……何を怒ってるんだ」
 この若い司祭が怒っている理由がドウメキには全く理解できないので、正直に聞いてみることにする。すると、テオファンの眉間の皺がまた深くなった。
「怒っていません。不思議に思っているだけです」
「何がだ?」
「それ」
 そういってテオファンが指したのは、ドウメキの左脚であった。出会った時の謎の負傷により出血の痕はあるものの、今ではうっすらと線が残っているだけとなっている。
「アキレス腱を切ったつもりでした。なぜ歩けるのです?」
「え……あれお前がやったの?」
「他にあの場に誰がいると?」
 鈍いですね、とため息をつくテオファン。そういわれても、ドウメキにはテオファンが攻撃をしているようには全く見えなかったため、不思議そうに首を捻ることしか出来なかった。
 消去法でいけばあの時すでにバイヤーは絶命していたので、やったのはテオファンだとは考えられるが、ドウメキと十分な距離がとられていた上、テオファンは腕すら動かさなかったのだ。納得がいかないのも仕方あるまい。
 自分の攻撃でドウメキが負傷したことは全く気をかけていない様子のテオファンは、カソックを軽く流しながらその場にしゃがみこむ。そして、ドウメキの左脚を持ち上げてじっと観察した。
「うわ」
 突然持ち上げられた片足に驚いたものの、これ以上怒らせたら怖いのでドウメキは眉をへにゃりと曲げて耐えた。
「ふさがっている……神聖術の痕跡もない……びっくり人間ですね」
「……びっくり……人間」
 とても不名誉な称号を与えられ、唖然とするドウメキ。しかしテオファンは興味が尽きたという風に彼の脚を離し、パタパタと衣服についた埃を払って立ち上がった。
 再び視線が上からのものに変わる。目鼻立ちが整っているせいか、笑顔のときと比べて無表情はだいぶ冷酷に見える。
「さて、早速ですが…‥私は明日、聖都へ旅立ちます」
「聖都?」
「そうです。聖都シュラリス。そこで大事なお仕事があるのですが、ドウメキさんにも同行してもらいますね」
「はぁ……」
 いまいち反応のよくないドウメキに、テオファンは本日何度目かわからないため息をついた。
 無知故に使えそうだと判断して連れだしてきたこの異邦人だが、『辛うじで言語が通じる』、そのくらいの認知の差があるといっていいだろう。普通の人間――一般的な常識を持った人間ならば、聖都へ行くことに多少なりとも、驚いたり喜んだりといった反応はするというのに。
「聖都はこんな田舎よりずっと都会で、聖職者のえらーい人がたくさん集まります。そこで聖典封解儀という儀式が行われるので、貴方にはそのお手伝いをしてもらいます」
「はぁ……その、聖職者の仕事の手伝いなんざ、俺には……」
「貴方は私の指示に従っていればそれでいいです。それ以上のことは求めません」
「はぁ」
 わかったのか、わかっていないのか、ボリボリと頭を掻いてきまり悪そうにテオファンを見上げるドウメキ。この生返事には多少不安なことはあるものの、逆らったりする気はないようなので、とりあえず良しとする。
「では聖都へ行く準備をしましょう。まず衣服ですが……あまりにも目立ちます。あれでは」
「そうか……?」
 テオファンが言ったのは、ドウメキが最初から着ていた妙な服装のことである。上着にはボタンがなく、ただ布と布を合わせて内側のひもで縛るような奇妙な構造のものだった。そのうえ袖は長く、見ているだけでドアノブにもひっかけてしまいそうだ。
 ズボンも末広がりのゆったりとした構造で、いくつもの解れや泥の跳ね返りがあった。よって、上下とも強制的に剥いで洗濯桶の中に突っ込んである。今のドウメキが着ているのは急遽貸し出した教会の服だった。
「でも、この服……俺は好きじゃない」
「好き嫌いの問題じゃないんです。あの服だとあちこちはだけてみっともないでしょう」
(それってお前の好き嫌いの話じゃないのか……)
 多少は思うことはあるものの、口に出したら怒らせそうなので黙るドウメキ。そのしょぼくれた様子を見て、テオファンも多少は妥協をしようと思ったのか、顎に手を当ててしばし考え込んだ。
 そして、ふ、と息を吐きだすと右手の人差し指をピンと立てる。
「こうしましょう。あの服は清潔にしますから、着ていいです。なにか愛着ありそうですし……でも、この国や聖都では派手な格好はしてほしくないので、馴染むように上着を着てください」
「……!そうか、ありがとう」
 あまりにも簡単な提案に目を輝かせて喜ぶドウメキ。この男の表情は乏しくとも、子供のような素直な心はあった。
「あ、あと……俺の刀を返して欲しい」
「カタナ?ああ、あの長い剣のことですね。いいでしょう、貴方が不要な殺しをしないならば」
「ありがとう、あれは俺の大事なものだから……」
 元をたどればテオファンがドウメキを牢屋へ入れ、すべての装備を奪ったはずなのだが、ドウメキは律儀に頭を下げた。事の発端の真犯人はそれをさも当たり前といった風に礼を受け取る。
「テオファンは、いい奴だな」
「そうでしょうか。私は弱者へ手を差し伸べるのが好きなだけですよ」
「そうなのか?」
 本当ですよ、とテオファンは窓の方へ歩いていき、その証明と言わんばかりに鍵を外して開け放った。外の清らかな風が吹き込み、薄いレースのカーテンが揺れる。
 窓の外、教会の庭では子供たちが笑い声をあげながら缶を蹴って駆けまわっており、その中には手足を欠いた児童もいた。子供らはテオファンの視線に気が付くと「司祭~!」と元気に手を振ってくる。
 テオファンはそれに穏やかな笑顔で応えた。
「あの子たちは、戦争や貧困で住む場所がなくなった子供らです。私はそういった社会的弱者を引き取っています。自慢することではないですが、怪しまれることではないでしょう」
「……」
 ドウメキもちらりと子供らを覗き込んだが、彼らはドウメキのことなど気にしていないようだった。あまり可愛くないな、と思いつつすぐに部屋の中に引っ込む。
「別に、テオファンが悪いやつとは思ってない……」
「妙な疑いをもたれても困るので、それはありがたいです」
「……テオファンは、その」
「はい?」
「弱い奴をなんで助けるんだ?」
 ドウメキの真正面からの、なんのひねりもない疑問に、テオファンはきょとんとした。ここでいう「弱い奴」とは、窓の向こう側の子供のような存在を指しているのだろう。
 答えるより先に窓のカーテンを閉める。子供達の笑い声が遠くなった気がした。
「まず、誰かに手を差し伸べることは悪ではありません。私も昔は弱者でした。そんな私を救ってくれたのがスラヴレン教会、そしてニフェゼド教です。その時に伸ばされた手の暖かみを思い出して……ええ、ある意味の恩返しですよ」
「恩返し……それって、『ありがとう』ってやつか?」
「ええ」
 ふわりとドウメキの頬に触れる。その手は聖職者のものだからか、どうしてか包まれるような温もりがあった。
 鼻孔をくすぐるような"教会の匂い"を感じながら、ドウメキは奇妙な親近感を目の前の男に抱いていた。
 無論、テオファンとドウメキは容姿も職業も考え方も似ていない。ドウメキは神になど祈らないし、弱者を助けるという思考も今まで持ったこともない。生きてきたのは、血と埃に塗れた汚れた世界。だのに、どうしてこんなにもこの男の"匂い"に親しみを覚えるのか。
(ああ――血の臭いがするんだな)
 ――血の臭い。隠しきれない死の臭い。どれほど薫り高い花で囲もうとも、香を焚こうとも、殺めた数の血の臭いは染みついて離れない。ドウメキはそういった『死』に関しては非常に感覚が鋭かった。
 だが、麗らかな光の中で生きる聖職者がその匂いをまとわせていることが、果たしてどんな意味を持っているのかは、考えることは出来なかった。
(ありがとうの恩返しなら、俺も弱者のうちなのだろうか?でも俺は弱くはない……)
 考え込んでしまったドウメキにこれ以上の答えは不要だと判断したのか、テオファンはドウメキから身を離し、少々気になっていたことを聞くことにした。
「そういえば、殺しの依頼主は大丈夫なのですか?貴方に身の危険があったら大変でしょう」
「問題ない。報告がないなら、俺が死んだってことだ」
「つまり貴方は今、死んでいることになっていると?」
「たぶん」
 たぶんという言い方に一抹の不安要素はあるが、裏社会においての命の扱い方などそんなものなのだろう。嘘は言っていないことはわかるため、テオファンは話題を切り上げ、部屋の隅にあるクロゼットをゴソゴソと漁り始めた。そして大きな布の塊を取り出すと、ドウメキに手渡す。
 首を傾げながら開いてみれば、それは一枚の布地で構成された被り物だった。ドウメキも何度か見たことがある。たしか、学生らがよく着ていた袖の無い外套だ。
「そのマントを羽織ってください。少しは目立たなくなるので」
「わかった」
 ドウメキは、大きく広げたマントを慣れない手つきで首元に巻いてみた。
 
 
 
 明日には聖都へ旅立つという話を聞き、司助はテオファンに「労いの言葉をかけたい」と二人きりで食事をしていた。
「……テオファン司祭はよく食べますね」
「まぁ……私は食いしん坊なので」
 大きな深皿に入ったスープのお代わりを四回したところで、テオファンのスプーンがテーブルの上に置かれた。そんなに液体ばかり摂取していると腹が気持ち悪くならないかとルイスは心配したが、テオファン曰く「最悪体積があればいい」らしいので、食いしん坊なりの遠慮なのだろう。
 あの細い体のどこに食べたものが入っているかは長年の謎である。食後、腹回りが太くなっているのは見たことがない。
「紅茶でも飲みますか」
「お願いします」
 ルイスは立ち上がり、食堂に置かれた銅製の湯沸かし器サモワールの上に置かれたティーポットを手に取った。そして湯沸かし器サモワールの蛇口をひねると、こぽこぽと心地よい音ともにちょうど良い温度のお湯が注がれる。ポットの中にはいっていた紅茶の茶葉が、踊るようにお湯で舞った。
 紅茶の香りがたちこめ、ルイスが食器等を用意するのをテオファンはぼんやりと眺めていた。このいつもの風景も、聖都へ行ってしまえばしばらく見ることはなくなる。
 ルイスへの仕事の引継ぎは完了しているので、特に問題はないだろう。別にスラヴレンに愛着があるわけでもない。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 テーブルの上に置かれた青の模様のティーカップを手に取り、少しだけ紅茶に口をつける。そして眉間に皺を寄せると、テオファンは食器を置いた。
「ルイス、本当に貴方を連れていけなくて申し訳なく思っています。できることなら一緒に行きたかった。けれど、私がここを離れるには代理を立てる必要がありますし、その役目は貴方にしか任せられません」
「司祭……わかっています」
 ぎゅう、とルイスは拳を膝の上で握りしめた。両の手の指は紅茶で温めても冷たいままである。
「そんな顔をされなくても、少しここを離れるだけです。必ず戻ってきます。だから、安心してくださいルイス」
 顔色の悪い彼の精神をどうにか宥めてやろうと、できる限りの笑顔を向ける。「見捨てない、必ず戻ってくる」と、しっかりと目を見据えて話をして、不安を取り去って安らぎを与えてやる。
「もしルイスが間違ったことをしていても、私は怒りません。なので、ルイス自身の力でやってみてください」
「司祭……!はい、大丈夫です……きっと大丈夫です」
 ルイスの表情が少しだけ晴れる。それを見たテオファンは安堵したように目を伏せた。
 そして、ゆらゆらとティーカップを数回揺らすと、ぐいと飲みほした。
 
 
 
 ――数分後。そこにはテーブルの上に突っ伏して寝息を立てているテオファンと、無表情のルイスが立っていた。
「司祭……ごめんなさい。こんな僕でも、許してくれますか」
 ルイスは寝ているテオファンの髪を撫でると、少しだけ嗚咽した。
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