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15・魔術師の過去
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アーネスト・クラークは森の奥にある魔女と魔術師の隠れ里で暮らしていた。
ほんの赤ん坊の頃に、森の入り口に捨てられていたという。この時にはすでに魔力が発現しており、王国からの迫害を恐れた親が置き去りにしたのだろうと察せられた。
彼自身、この生い立ちに関して特に悲劇性を覚えたことはない。里には同じような子供たちが大勢いて、魔術の手ほどきを受けて大人になり、また新しく捨てられた魔力持ちの赤ん坊を拾って育てる。そうやって細々と魔術知識を受け継いで来た場所であり、アーネストはむしろその暮らしを幸せだと感じていた。
そんな里を本物の悲劇が襲った。アーネストが十八歳になったばかりの頃だった。
王太子が率いる魔女狩りの軍隊が里に攻め込んできたのだ。のどかな里は血の色に染まった。アーネストは魔術を駆使して兵士たちを撃退しつつ、女子供を連れて森に逃げ込んだが、一人また一人と捕まって抵抗して殺されていく。
森の中にある廃屋に命からがら逃げ込んだ時には、アーネストが両腕を広げて庇えるくらいの数の子供たちしか残っていなかった。怯える子供たちを隅に集めてアーネストはその前に立ちはだかり、廃屋の至る所から触手状の軟体生物を生やして武器の代わりにした。
そんなアーネストにゆったりと近づいてきたのが、魔女狩りの指揮官であった若き王太子、クリストファー王子だった。背後に空色の騎士服を着た護衛を二人ほど引き連れた王子様は、落ち着き払った態度で静かに言った。
「……もう、生き残りはお前たちだけだよ」
アーネストは怯えてすすり泣く子供たちを背中に庇いながら、低く唸るように問いかけた。
「俺たちが何をしたというんだ。ただ、森の中で誰にも迷惑をかけずに暮らしていただけだ」
「父王の御命令だ。穢らわしい魔女と魔術師は全て捕らえ、抵抗するなら殺すようにと」
「俺たちも殺すのか」
「そう命じられているね」
「……頼む。俺は殺していい。だが、この子たちは見逃してやってくれ」
「ほう?」
クリストファーは――意外なことに、柔らかく笑った。慈しみの笑顔だった。
「我が身を犠牲にしても子供たちは守りたい、と? まるで気高い騎士のようだね。その子たちは君の弟妹かな?」
「血のつながりはない。この里の人間は、誰一人として血縁関係ではない」
「そうか。……ところで、部屋中で蠢いているコレは、君が操っているのかな?」
クリストファーはそう言って、触手たちを臆することなく見回した。王子の背後の騎士たちが剣の柄に手を掛け、異形の化け物たちを警戒する。
アーネストは慎重に頷いた。
「俺の使い魔だ」
「見たことがない生き物だね」
「俺が造った生命体だ。海に棲む軟体生物から着想を得た」
「おぞましいが、技術自体は素晴らしい。魔術とは、こんなこともできるのだね」
この時クリストファーが何を考えていたのか。アーネストは子供たちを庇うのに必死で、まるで気付かなかった。あの時点で王太子の腹の内を読めていたら、アーネストは憐れな魔術師として殺されることが出来たのかもしれない。
「父上は古い人間だから魔術を忌み嫌うが、私は違う」
クリストファーの発言に、アーネストは目を剥いた。
「違う、だと? たった今、俺の仲間たちを殺していたじゃないか!」
「ここにいる騎士以外の兵士は父上からの借り物なんだ。一応私が指揮官を務めているが、彼らは私ではなく父の命令に従って動いている。……けれどね、ここには私と騎士と子供たち、そして君しかいないよ。紅い瞳の若い魔術師」
「……何が言いたい」
「君、私の元で働かないか?」
アーネストは呆気にとられた。そして、警戒した。
「どういう意味だ」
「そのままの意味さ。君と、そこの子供たちはこっそり王都に連れて帰ろう。そして、君は私のために働くんだ。今はまだ父上の御代だから魔術師は冷遇されているが、いずれこの国は私のものとなる。その時、実は新王の腹心に魔術師がいて、しかも今まで影で活躍していたと公になったら……」
ここまで行って、クリストファーはにこりと笑った。
「きっと、魔女や魔術師の待遇が変わるのではないかな?」
「……待遇が、変わる」
「そう。私は父とは違って、魔術に対する理解がある。この度の魔女狩りの仕事だって、本当は嫌だったんだ。でも、こうやって兵士の目が届かないところで、君みたいな優秀な魔術師と出会えたのなら、わざわざここまで出向いた甲斐があるというものだ。……どうだい、魔術師。私の役に立たないか?」
美味い話には裏がある。
しかし、アーネストはこの時、愚かなことにクリストファーの言葉を信じてしまった。
この王太子は魔術師の味方であると。
今は父王の権威が強いから迫害に加担しているけれど、いつかは魔術師たちを解放してくれると。
アーネストはクリストファーを信じ、投降した。すぐさま子供たちと極秘裏に王都へ運ばれ、途中で別れ、アーネストだけ後宮に連れていかれた。
この道中、アーネストの中には里を失った悲しみと、それを打ち消す未来への希望でいっぱいいっぱいだった。自分が頑張れば、国中で虐げられている魔術師たちが救われる。十八歳になったばかりのアーネストは見知らぬ大勢の命運を背負って、後宮に足を踏み入れた。
そこから先は――思い出したくもない。
有体に言えば、クリストファーの甘い言葉は全て嘘だった。色欲に狂った王太子はアーネストが操る触手を見て、これで後宮の娘たちを性的にいたぶったらさぞ楽しかろうと目論んだだけだったのだ。
アーネストは王子が催す淫猥な宴の立役者にさせられた。例えば、後宮の小部屋いっぱいを触手の海にして、そこに裸の娘たちを放り込んで閉じ込める。例えば、王子と娘の性交に立ち会って、娘が泣いて逃げようとしたら触手で拘束して引きずり戻す。
そんなことをさせておきながら、一向に、魔術師の待遇改善に動く気配はない。
話が違うと言ってアーネストが反抗すると、クリストファーは容赦なくアーネストをパドルで叩き、そして言った。
「あの子供たちがどうなってもいいのか」
あの時最後まで一緒に逃げた、里の生き残りの子供たち。王都のどこかで保護されているはずの彼らを引き合いに出され、アーネストは王子に逆らえなくなった。
「忌まわしい魔術師風情が。この高貴な我らの役に立つことを光栄に思え」
理解に苦しむことに、クリストファーは他の王子たちとも後宮の女を共有していて、アーネストはクリストファー以外の王子からも命令を受けるようになった。王子たちは全員母親が違うので顔立ちは似ていなかったが、高貴で傲慢で残酷なところは共通していた。
「面白いな、お前の魔術は」
「いいぞ。もっとおぞましくていやらしい生き物を作ってくれ」
助けて、誰か助けて。名も無き娘が泣き叫ぶ声が、耳の奥深くにこびりつく。アーネストに向かって助けてと叫ぶ娘もいた。しかし、とっさに手を差し伸べようとすると、アーネストは後々全身を無茶苦茶にパドルで乱打されるなどの折檻を受ける羽目になる。そして、娘も却ってひどい目に遭った。
昼夜を問わず淫らな遊戯に耽る王子たち。泣き叫び、殺され、補充され続ける娘たち。人質を取られている上に暴力に逆らえず、唯々諾々と悪事に加担している自分。
アーネストは王子を憎み、それ以上に自分を憎んだ。アーネストの血色の瞳から希望の光が失われ、濁った絶望に染まっていく。
そんな折だった。アーネストが、美しく幼い王子を見かけたのは。
クリストファーたちが溺愛している末の王子だった。歳は、アーネストよりきっかり十歳年下。後宮からほど近い場所で、異様なまでに清純に育てられた、蜂蜜色の髪と空色の瞳をした美貌の少年。
「兄上さまがた! 来てくださったんですね!」
これから後宮で盛大なパーティーをしようじゃないか、という王子たちが、道すがらその末王子の元に立ち寄った。この時アーネストは、付き人にまじってひっそりとその場にいたのだ。
「クリストファー兄上さま! 兄上さまが指揮した魔女狩りで、たくさんの魔女や魔術師を検挙されたと聞きました。御立派です。リオも嬉しいです! ウィリアム兄上さまは、王都の徴税に関わる重要なお役目に就いたそうですね。どうかお疲れが出ませんよう! エドワード兄上さまは、ご成人おめでとうございます! これから寵姫選びが始まりますね。素敵な方と兄上さまが結ばれますように!」
無邪気な少年が澄んだ声で異母兄たちを祝福する。それをアーネストは忌々しい気持ちで聞いていた。
御立派だと? ただの殺戮じゃないか。
素敵な方と結ばれますように? 寵姫候補の娘たちは、非人道的な淫虐の限りを尽くされているじゃないか。
どろりと濁ったアーネストの気持ちは、すべてこの幸福な末王子に向けられた。
残酷な兄王子たちに溺愛されている少年。淫らなことも残酷なことも知らされずに育てられた、いっそ不気味なほど透き通った魂。
アーネストがリオをじかに見たのはその一回きりだったが、その後何年も、彼はアーネストの中に巣食い続けた。残酷な日々の中、リオの顔と声を思い出すだけで、アーネストの中に形容しがたい激情が湧き上がるようになっていった。
お前が大好きな兄上様たちがなにをしているのか、見せてやりたい。
清らかなお前を踏みにじりたい。澄んだ魂を濁らせたい。泣き叫ぶさまが見たい。
完全な八つ当たりだとわかっていた。だから、アーネストは想像の中だけでリオを凌辱し、兄王子たちの悪事に加担する精神的負荷をやわらげた。
そんな日々がしばらく続いた。後宮では延々と娘たちが使い捨てられ続け、民衆の男女比率が大きく偏った。平民は言うに及ばず、貴族の娘ですら徴集されるようになった。
このままでは国中から妊娠可能な年頃の女が消え、子供が生まれなくなる。そんな恐ろしい状況になっているのに、王子たちの悪逆非道は止まらない。止まらないどころか加速していく。
一方、リオ王子はすくすく育ち、こともあろうに「成人した暁には王位継承権を放棄して、騎士として兄上さまたちに生涯仕える」と言い出すところまで行った。その噂を聞いた時、アーネストはぞっとした。クリストファーを始めとする上の王子たちが何のためにリオを純粋に育てていたのか、悟ってしまったからだ。
(あの末王子は……手折られるためだけに、育てられたのか)
いかにも王子たちが考えそうなことだ。このままいけば、リオ王子には何よりも残酷な未来が待ち構えていることだろう。
その時アーネストの心に芽生えたのは、末王子に対する同情や憐憫ではなく、焦りだった。自分が心の支えにしていた空想上の凌辱を、憎たらしい兄王子が実行してしまう。
焦燥感にアーネストは苦しみ、少し頭が冷えた途端、自分の思考回路に愕然とした。
(俺は……俺は、こんなにも、淫猥で残酷な……?)
十年近い後宮勤めの中、いつの間にかアーネストの正気は摩耗し、王子たちと似たような気質に変化しつつあったのだ。
その事実に気付いたアーネストが激しく苦悩している間にも、国は荒れ果て、そこかしこで革命の機運が高まった。
そんな時期だった。
魔術師の里でアーネストと一緒に保護された子供たちが、とうの昔に惨殺されていたと知ったのは。
アーネストの中で何かが決定的に壊れた。
何年もギリギリ正気を保ち続けた人格がついに破綻した瞬間を、アーネストはどこか他人事のように自覚した。
(壊してしまおう。何もかも。俺の望むままに)
そして――後宮で働きながら革命軍に参加し、革命のために身を粉にして働き、時には実際に戦った。その果てに王城が落ちた暁には、何よりもまず、リオの調教権を所望した。
王太子たちに騙されて十年間も淫猥地獄の獄吏として働かされ、苦しんだ末に破綻したアーネストという人間の前に、寵愛と無垢の象徴みたいな王子様が転がされたのだ。これを逃す手はない、と、理屈ではなく本能でそう思った。
これが、アーネストという男の全てである。
ほんの赤ん坊の頃に、森の入り口に捨てられていたという。この時にはすでに魔力が発現しており、王国からの迫害を恐れた親が置き去りにしたのだろうと察せられた。
彼自身、この生い立ちに関して特に悲劇性を覚えたことはない。里には同じような子供たちが大勢いて、魔術の手ほどきを受けて大人になり、また新しく捨てられた魔力持ちの赤ん坊を拾って育てる。そうやって細々と魔術知識を受け継いで来た場所であり、アーネストはむしろその暮らしを幸せだと感じていた。
そんな里を本物の悲劇が襲った。アーネストが十八歳になったばかりの頃だった。
王太子が率いる魔女狩りの軍隊が里に攻め込んできたのだ。のどかな里は血の色に染まった。アーネストは魔術を駆使して兵士たちを撃退しつつ、女子供を連れて森に逃げ込んだが、一人また一人と捕まって抵抗して殺されていく。
森の中にある廃屋に命からがら逃げ込んだ時には、アーネストが両腕を広げて庇えるくらいの数の子供たちしか残っていなかった。怯える子供たちを隅に集めてアーネストはその前に立ちはだかり、廃屋の至る所から触手状の軟体生物を生やして武器の代わりにした。
そんなアーネストにゆったりと近づいてきたのが、魔女狩りの指揮官であった若き王太子、クリストファー王子だった。背後に空色の騎士服を着た護衛を二人ほど引き連れた王子様は、落ち着き払った態度で静かに言った。
「……もう、生き残りはお前たちだけだよ」
アーネストは怯えてすすり泣く子供たちを背中に庇いながら、低く唸るように問いかけた。
「俺たちが何をしたというんだ。ただ、森の中で誰にも迷惑をかけずに暮らしていただけだ」
「父王の御命令だ。穢らわしい魔女と魔術師は全て捕らえ、抵抗するなら殺すようにと」
「俺たちも殺すのか」
「そう命じられているね」
「……頼む。俺は殺していい。だが、この子たちは見逃してやってくれ」
「ほう?」
クリストファーは――意外なことに、柔らかく笑った。慈しみの笑顔だった。
「我が身を犠牲にしても子供たちは守りたい、と? まるで気高い騎士のようだね。その子たちは君の弟妹かな?」
「血のつながりはない。この里の人間は、誰一人として血縁関係ではない」
「そうか。……ところで、部屋中で蠢いているコレは、君が操っているのかな?」
クリストファーはそう言って、触手たちを臆することなく見回した。王子の背後の騎士たちが剣の柄に手を掛け、異形の化け物たちを警戒する。
アーネストは慎重に頷いた。
「俺の使い魔だ」
「見たことがない生き物だね」
「俺が造った生命体だ。海に棲む軟体生物から着想を得た」
「おぞましいが、技術自体は素晴らしい。魔術とは、こんなこともできるのだね」
この時クリストファーが何を考えていたのか。アーネストは子供たちを庇うのに必死で、まるで気付かなかった。あの時点で王太子の腹の内を読めていたら、アーネストは憐れな魔術師として殺されることが出来たのかもしれない。
「父上は古い人間だから魔術を忌み嫌うが、私は違う」
クリストファーの発言に、アーネストは目を剥いた。
「違う、だと? たった今、俺の仲間たちを殺していたじゃないか!」
「ここにいる騎士以外の兵士は父上からの借り物なんだ。一応私が指揮官を務めているが、彼らは私ではなく父の命令に従って動いている。……けれどね、ここには私と騎士と子供たち、そして君しかいないよ。紅い瞳の若い魔術師」
「……何が言いたい」
「君、私の元で働かないか?」
アーネストは呆気にとられた。そして、警戒した。
「どういう意味だ」
「そのままの意味さ。君と、そこの子供たちはこっそり王都に連れて帰ろう。そして、君は私のために働くんだ。今はまだ父上の御代だから魔術師は冷遇されているが、いずれこの国は私のものとなる。その時、実は新王の腹心に魔術師がいて、しかも今まで影で活躍していたと公になったら……」
ここまで行って、クリストファーはにこりと笑った。
「きっと、魔女や魔術師の待遇が変わるのではないかな?」
「……待遇が、変わる」
「そう。私は父とは違って、魔術に対する理解がある。この度の魔女狩りの仕事だって、本当は嫌だったんだ。でも、こうやって兵士の目が届かないところで、君みたいな優秀な魔術師と出会えたのなら、わざわざここまで出向いた甲斐があるというものだ。……どうだい、魔術師。私の役に立たないか?」
美味い話には裏がある。
しかし、アーネストはこの時、愚かなことにクリストファーの言葉を信じてしまった。
この王太子は魔術師の味方であると。
今は父王の権威が強いから迫害に加担しているけれど、いつかは魔術師たちを解放してくれると。
アーネストはクリストファーを信じ、投降した。すぐさま子供たちと極秘裏に王都へ運ばれ、途中で別れ、アーネストだけ後宮に連れていかれた。
この道中、アーネストの中には里を失った悲しみと、それを打ち消す未来への希望でいっぱいいっぱいだった。自分が頑張れば、国中で虐げられている魔術師たちが救われる。十八歳になったばかりのアーネストは見知らぬ大勢の命運を背負って、後宮に足を踏み入れた。
そこから先は――思い出したくもない。
有体に言えば、クリストファーの甘い言葉は全て嘘だった。色欲に狂った王太子はアーネストが操る触手を見て、これで後宮の娘たちを性的にいたぶったらさぞ楽しかろうと目論んだだけだったのだ。
アーネストは王子が催す淫猥な宴の立役者にさせられた。例えば、後宮の小部屋いっぱいを触手の海にして、そこに裸の娘たちを放り込んで閉じ込める。例えば、王子と娘の性交に立ち会って、娘が泣いて逃げようとしたら触手で拘束して引きずり戻す。
そんなことをさせておきながら、一向に、魔術師の待遇改善に動く気配はない。
話が違うと言ってアーネストが反抗すると、クリストファーは容赦なくアーネストをパドルで叩き、そして言った。
「あの子供たちがどうなってもいいのか」
あの時最後まで一緒に逃げた、里の生き残りの子供たち。王都のどこかで保護されているはずの彼らを引き合いに出され、アーネストは王子に逆らえなくなった。
「忌まわしい魔術師風情が。この高貴な我らの役に立つことを光栄に思え」
理解に苦しむことに、クリストファーは他の王子たちとも後宮の女を共有していて、アーネストはクリストファー以外の王子からも命令を受けるようになった。王子たちは全員母親が違うので顔立ちは似ていなかったが、高貴で傲慢で残酷なところは共通していた。
「面白いな、お前の魔術は」
「いいぞ。もっとおぞましくていやらしい生き物を作ってくれ」
助けて、誰か助けて。名も無き娘が泣き叫ぶ声が、耳の奥深くにこびりつく。アーネストに向かって助けてと叫ぶ娘もいた。しかし、とっさに手を差し伸べようとすると、アーネストは後々全身を無茶苦茶にパドルで乱打されるなどの折檻を受ける羽目になる。そして、娘も却ってひどい目に遭った。
昼夜を問わず淫らな遊戯に耽る王子たち。泣き叫び、殺され、補充され続ける娘たち。人質を取られている上に暴力に逆らえず、唯々諾々と悪事に加担している自分。
アーネストは王子を憎み、それ以上に自分を憎んだ。アーネストの血色の瞳から希望の光が失われ、濁った絶望に染まっていく。
そんな折だった。アーネストが、美しく幼い王子を見かけたのは。
クリストファーたちが溺愛している末の王子だった。歳は、アーネストよりきっかり十歳年下。後宮からほど近い場所で、異様なまでに清純に育てられた、蜂蜜色の髪と空色の瞳をした美貌の少年。
「兄上さまがた! 来てくださったんですね!」
これから後宮で盛大なパーティーをしようじゃないか、という王子たちが、道すがらその末王子の元に立ち寄った。この時アーネストは、付き人にまじってひっそりとその場にいたのだ。
「クリストファー兄上さま! 兄上さまが指揮した魔女狩りで、たくさんの魔女や魔術師を検挙されたと聞きました。御立派です。リオも嬉しいです! ウィリアム兄上さまは、王都の徴税に関わる重要なお役目に就いたそうですね。どうかお疲れが出ませんよう! エドワード兄上さまは、ご成人おめでとうございます! これから寵姫選びが始まりますね。素敵な方と兄上さまが結ばれますように!」
無邪気な少年が澄んだ声で異母兄たちを祝福する。それをアーネストは忌々しい気持ちで聞いていた。
御立派だと? ただの殺戮じゃないか。
素敵な方と結ばれますように? 寵姫候補の娘たちは、非人道的な淫虐の限りを尽くされているじゃないか。
どろりと濁ったアーネストの気持ちは、すべてこの幸福な末王子に向けられた。
残酷な兄王子たちに溺愛されている少年。淫らなことも残酷なことも知らされずに育てられた、いっそ不気味なほど透き通った魂。
アーネストがリオをじかに見たのはその一回きりだったが、その後何年も、彼はアーネストの中に巣食い続けた。残酷な日々の中、リオの顔と声を思い出すだけで、アーネストの中に形容しがたい激情が湧き上がるようになっていった。
お前が大好きな兄上様たちがなにをしているのか、見せてやりたい。
清らかなお前を踏みにじりたい。澄んだ魂を濁らせたい。泣き叫ぶさまが見たい。
完全な八つ当たりだとわかっていた。だから、アーネストは想像の中だけでリオを凌辱し、兄王子たちの悪事に加担する精神的負荷をやわらげた。
そんな日々がしばらく続いた。後宮では延々と娘たちが使い捨てられ続け、民衆の男女比率が大きく偏った。平民は言うに及ばず、貴族の娘ですら徴集されるようになった。
このままでは国中から妊娠可能な年頃の女が消え、子供が生まれなくなる。そんな恐ろしい状況になっているのに、王子たちの悪逆非道は止まらない。止まらないどころか加速していく。
一方、リオ王子はすくすく育ち、こともあろうに「成人した暁には王位継承権を放棄して、騎士として兄上さまたちに生涯仕える」と言い出すところまで行った。その噂を聞いた時、アーネストはぞっとした。クリストファーを始めとする上の王子たちが何のためにリオを純粋に育てていたのか、悟ってしまったからだ。
(あの末王子は……手折られるためだけに、育てられたのか)
いかにも王子たちが考えそうなことだ。このままいけば、リオ王子には何よりも残酷な未来が待ち構えていることだろう。
その時アーネストの心に芽生えたのは、末王子に対する同情や憐憫ではなく、焦りだった。自分が心の支えにしていた空想上の凌辱を、憎たらしい兄王子が実行してしまう。
焦燥感にアーネストは苦しみ、少し頭が冷えた途端、自分の思考回路に愕然とした。
(俺は……俺は、こんなにも、淫猥で残酷な……?)
十年近い後宮勤めの中、いつの間にかアーネストの正気は摩耗し、王子たちと似たような気質に変化しつつあったのだ。
その事実に気付いたアーネストが激しく苦悩している間にも、国は荒れ果て、そこかしこで革命の機運が高まった。
そんな時期だった。
魔術師の里でアーネストと一緒に保護された子供たちが、とうの昔に惨殺されていたと知ったのは。
アーネストの中で何かが決定的に壊れた。
何年もギリギリ正気を保ち続けた人格がついに破綻した瞬間を、アーネストはどこか他人事のように自覚した。
(壊してしまおう。何もかも。俺の望むままに)
そして――後宮で働きながら革命軍に参加し、革命のために身を粉にして働き、時には実際に戦った。その果てに王城が落ちた暁には、何よりもまず、リオの調教権を所望した。
王太子たちに騙されて十年間も淫猥地獄の獄吏として働かされ、苦しんだ末に破綻したアーネストという人間の前に、寵愛と無垢の象徴みたいな王子様が転がされたのだ。これを逃す手はない、と、理屈ではなく本能でそう思った。
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