上 下
2 / 22

2・革命の日

しおりを挟む
リオは、国王が寵姫に産ませた子だった。一応は王子ということになるのだが、母親の身分が低かった上にリオを産んですぐ死んだため、政治的な後ろ盾は全くない。
けれど、母親は息子にとろけるような美貌を遺した。蜂蜜のような透明感のある金髪に、春の空の色をした瞳、なめらかな白い肌。それに加えて、素直で心優しい気性。おかげで、父王からも異母兄たちからも溺愛され、リオは王宮の奥深くで真っすぐに育った。

悪意を知らず、嫉妬を知らず、飢えを知らず、暴力を知らず。その他、ありとあらゆる醜い物から隔絶され、美しい外見に見合うだけの透き通った精神を育んだ。

精神だけではない。幼いころから勉学に励み芸術を嗜み、そして、十歳を過ぎた頃から剣を習い始めた。リオは武芸の才能があったようで、指南役はいつも彼の剣さばきを褒め称えた。時々鍛錬の様子を見に来る兄たちも、リオが剣を振るう姿が美しいと驚いてくれた。

そんな経緯があり、リオが王子としてではなく騎士として国に仕えようと思ったのは、ごく自然な流れだった。

やがて、愛くるしい少年はしなやかな青年へと成長を遂げる。
十八歳になって成人したリオは、正式に王位継承権を放棄する代わりに騎士叙勲を受けた。白百合の紋章を縫い付けた空色の制服と白銀色の長剣は、リオにとても良く似合った。
今後は、すでに老王の代わりに国政を担っている兄たちを護り、時には戦場に出て、王家と国に奉仕する……はずだった。

その矢先のことだ。『革命』が起きたのは。

王城になだれ込んできた革命軍から王宮最深部を防衛することが、リオの騎士としての初陣となった。

だが、実はその時点で、全体的な戦況からすると既に手遅れとしか言いようのない段階になっていた。リオが異変を感じて剣を手に取った時にはすでに、城のほとんどが革命軍によって占拠されていたのだ。抵抗も虚しくリオは兄王子たちと一緒にとらえられ、気絶させられ……気が付くと、騎士服のままどこかの地下牢に繋がれていたのだった。

*****

リオの意識がゆっくりと浮上する。
視界全体が霞んでいたが、何度か瞬きすると、徐々にあたりの様子がわかってきた。
窓一つない、石造りの部屋だ。床も壁も天井も石煉瓦が剥き出しで、絨毯や壁掛けといった装飾品の類はない。そのかわり、至る所に鉄製の鎖やら枷やらが取り付けられている。他にも、頑丈そうな棚が大小取り交ぜておいてある。どの棚にも扉がついているため中身はわからないが、妙に禍々しい雰囲気を醸し出している。
しかし、それよりも目を引くのが、部屋の中央に設えられた大きな寝台だった。王侯貴族が使うような天蓋付きの豪勢な寝台が、どういうわけだかこの陰鬱な部屋に鎮座している。

リオは、そんな奇妙な部屋の床に転がされていた。

(ここはどこだ? 父上や兄上たちは……!?)

リオは跳ね起きた。じゃらりと鎖が鳴る音がする。音のした方を見ると、片足首に鉄輪がつけられ、それが壁と長い鎖で繋がっていた。
囚われているのだと理解した瞬間、リオは顔をひきつらせた。

(大変だ! 早くここから脱出して、父上と兄上を探さないと……!)

なんとかして鎖を外せないかどうか試してみるが、びくともしない。周囲を見回しても鎖を壊せそうな道具は見当たらない。けれどもリオは諦めきれず、力尽くで戒めを解こうとした。最悪の場合、足首の骨を折って無理矢理引っこ抜くことすら考えた。このまま囚われているより、片足が折れた状態でも脱出したほうがいくらか希望が持てるだろう、と。

「……くっ」

いよいよリオが、鉄輪ではなく自分の足を壊そうとした時、この部屋に唯一ある鉄の扉が重々しく開いた。
入ってきたのは黒衣の男だった。闇色の髪に、血色の瞳。顔立ちは整っているが、どこか蛇を連想させる、ひんやりとした雰囲気の背が高い男である。年齢は三十歳くらいだろうか、リオの異母兄と同じくらいの年頃に思えた。

(この男、どこかで……?)

リオの記憶の中で何かが引っかかる。けれど、思い出せなかった。生まれてこの方ずっと王宮の奥で暮らしていたリオがあったことがある人間なんてかなり限られてくるのだが。

「――目が覚めたか」

男が静かに言った。その声の冷たさから、リオは直感的に悟った。
彼が、自分をここに繋いだ張本人であると。

リオの中に、苛烈な怒りの炎が燃え上がった。とっさに男に詰め寄ろうとする……が、鎖の長さが足りず、出入口で佇む男の元まで近寄れなかった。例え手を伸ばしたとしてもギリギリ届かないであろう距離で鎖が張った。
歯噛みして、リオは叫んだ。

「貴様は何者だ! わたしの鎖を解け!」

「俺はアーネスト」

激昂するリオとは裏腹に、男の声は凪いだままだった。血色の瞳がじっとリオを見据えている。
アーネストはしばらくリオを眺めた後、ゆったりとした仕草で扉を閉め、鍵をかけた。その際、鍵穴が仄かに輝いたのをリオは見逃さなかった。

あれは魔術だ。穢れた血を引く者のみが操れる穢れた奇跡。

反射的にリオは一歩後ずさった。魔術には近寄ってはならないと、幼いころからきちんと躾けられていたからだ。

その様子を見ていたアーネストは、鼻の奥で小さく嗤った。

「ふん……。腐っても王子。魔術に対する偏見を隠しもしない、か」

「わたしはもう王子ではない!王位継承権を放棄して臣下として王家と国に仕えると誓った、誇り高き騎士だ!」

「こんな状況下でそんな些末なことにこだわるとは。よほどの大物か、さもなくば大馬鹿か」

まあ落ち着け。アーネストはそう言い、全身で威嚇するリオの横を躊躇うことなくすり抜けて部屋の中まで進んだ。
リオは一瞬呆気に取られるが、すぐに警戒心を取り戻す。

あの闇色の男は穢い魔術師であり、敵だ。よく見れば、彼が纏っている黒衣に革命軍の紋章が縫い付けられている。

リオは憎悪をこめてアーネストを睨みつけたが、アーネストはまるで気に留めず、悠長に部屋の中を見て回る。天井からぶら下がる鎖、壁に取り付けられた多種多様な拘束具、そして中央の豪奢な寝台……。

やがてアーネストはリオの方を振り向き、静かな声で言った。

「末の王子リオ……いや、騎士リオ・フォン・ロンギフローラム。お前は三日間眠り続けていた。魔術によって、夢すら見ないほど深い眠りに就いていたはずだ」

「なっ……!」

知らない間に自分に魔術を使われていたと知って、リオはぞっと鳥肌を立てた。ひどい陵辱を受けた気分になった。
アーネストは淡々と言葉を続ける。

「その三日間で、長い戦いは全て終わった。城は落ち、悪徳の王族たちは全て捕らえられた。これから個々の罪に応じて裁きを受けるだろう」

「罪、だと」

「あぁ、お前は何も知らなかったんだな。可哀想に」

アーネストは心の底から憐れむ眼差しでリオを見遣る。
リオはとっさに反発しようとしたが、はたと思い留まった。

長い戦い?
悪徳の王族たち?

なんの話だ。父も異母兄たちもみんな優しい善人ばかりだった。国民も王家によく従っていると教えられてきた。

「お前の父親は悪政を敷いた。税は年々重くなり、多くの民が飢え死にした。魔術の素養がある者は穢れた血を引いているとして迫害し、魔力があるというだけで処刑された者も少なくない。そうして民がどんどん少なくなっているのに、数多いる王子たちが年頃になると国中の娘をさらって後宮に閉じ込めた」

「そ、それは……」

リオは言い淀んだ。
重税や迫害はともかく、沢山いる兄王子たちのために大勢の娘たちが身分を問わず集められていたのは知っていた。リオは近寄ることを禁じられていたが、兄たちは暇さえあれば後宮に通っていた。

「娘たちを集めたのは、それが王家の伝統だからだ。わたしの母だって、元はそうやって集められた名もなき村娘だったと聞く。代々そうやってきたんだ。それを、今さら……」

「悪しき伝統だ。当代は特に悪質だった。王子たちは著しい荒淫に耽り、少しでも逆らった娘は次々と殺され、死体は弔われることもなく王宮近くの川に投げ込まれた。これだけではなく、お前の兄たちは口にするのもおぞましい悪逆非道の限りを尽くして民を苦しめたのだ。そんな息子どもを国王は諫めることなく、むしろ助長させた」

リオは真っ青になった。
自分を溺愛してくれた兄たちがそんな酷いことをしていただなんて、信じられない。信じたくはない。

けれど、言われてみれば思い当たる節があるのだ。
娘たちを後宮へ運び入れる馬車が妙に多いなとは思っていた。また、後宮の召使いたちが、何か重たそうなものが入った麻袋を運び出し、近くを流れる河川へと向かっていくのも何度か見かけた。

そして、あれだけ兄たちが後宮に通っているのに、誰か特定の娘が気に入られて寵姫になったという話を、無事に子供を産んだという話を、その他喜ばしい話を一切聞いたことがない……。

リオはその場にへたり込んだ。アーネストが冷たい瞳でそれを見下ろしてきた。

「そん、な。まさか、兄上たちが」

「事実だ。国王や王子どもの暴虐に耐えきれず、民衆は何年もかけて団結して戦って、やっと国を覆すことに成功した。
王家に対する民の恨みを理解しろ。人々が苦しんでいる間も、王宮の奥で蝶よ花よと溺愛されて暮らしていたお前にも贖罪の義務がある」

リオは、純真に育ったまっすぐな心根の青年だった。なので、「何も知らなかったのだから自分に罪はない」と言い返すことはどうしてもできなかった。

到底信じ難いことだが、本当に、父や兄たちが民衆を苦しめていたのだとしたら……王位継承権を放棄したとはいえ王家の血が流れている自分も、罪を償わなくてはならない。

仄暗い地下室に、束の間、沈黙が満ちた。

「……わかった」

床にへたり込んだまま、リオはアーネストを見上げた。

「わたしは、どうやって罪を償えば良い?」

「ほう。駄々をこねるかと思ったが、案外素直だな。罪を受け入れるか」

アーネストは軽く驚いたようだった。
リオは小さく頷く。

「受け入れる」

「二言はないな?」

「騎士は約束を違えない。神の名において誓おう。わたし、リオ・フォン・ロンギフローラムは、どんな罰でも喜んで受ける」

その時、アーネストがにやりと笑った。獰猛な笑みだった。
黒衣の男は、一歩、リオに近づいた。

「その言葉、忘れるなよ。
再び名乗ろう。俺は魔術師アーネスト。革命の盟主から、お前についての一切合切を任されている。
革命軍がお前に求める贖罪は……『妊娠』だ」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

 淫獣の育て方 〜皇帝陛下は人目を憚らない〜

BL / 完結 24h.ポイント:127pt お気に入り:275

異世界で美少年を娶りました

BL / 完結 24h.ポイント:134pt お気に入り:488

悠久の大陸

BL / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:419

悪役令息設定から逃れられない僕のトゥルーエンド

BL / 完結 24h.ポイント:298pt お気に入り:2,265

stairs(完結)

BL / 完結 24h.ポイント:1,384pt お気に入り:45

姫プレイがやりたくてトップランカー辞めました!

BL / 連載中 24h.ポイント:3,040pt お気に入り:441

ドラゴン☆マドリガーレ

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:1,585pt お気に入り:717

【完結】私の好きな人には、忘れられない人がいる。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:269pt お気に入り:3,345

処理中です...