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1巻
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「クローディア。すまないが君との婚約はなかったことにしてもらいたい」
サードニクス王国立高等学園での卒業パーティ。
本来、皆が卒業を喜びあうはずの華やかなこの場で、隣に可愛らしい薄ピンクの髪の少女を連れた彼――つまり、わたくしの婚約者であるはずのジルベルト殿下はそう告げた。
「理由をお聞きしてよろしいでしょうか」
わたくしには分からない。殿下が何故婚約を破棄しようとなさっているのか。
政略結婚なのは分かっていた。わたくしと殿下との間に「愛」なるものがないことも。
「君には感情を欠片も感じられない。全てを完璧に淡々とこなすだけの人形のようだ」
人形。何度その言葉を投げかけられただろうか。
「失礼ながら殿下、わたくしは王太子妃になるべく、婚約が決まったあの日から、全ての分野において努力を重ねてきました。自信過剰に感じられるかもしれませんが、わたくし以外に王太子妃の座が務まる方がいらっしゃるのでしょうか」
殿下は少し黙った。が、意を決したように語り出した。
「王太子妃は、後に王妃となる者だ。そして王妃には、国民に寄り添う『心』が必要だ。……君に心はあるのか?」
――心……
「君がさまざまな分野に秀でているのは知っている。君は美しく、学問においても作法においても、誰にも負けることがない。だが、心がないのだ。君は民に寄り添えるのか? 『心』なき人形のような君には政を任せられないと思う。それなら能力は君に劣るが、民を思いやれる優しい心を持つこのアイシャ嬢のほうが、この国を支えるものとしてふさわしい」
アイシャ様――確か数年前に子爵家の庶子であることが分かり、平民から子爵令嬢になった方だったはず。わたくしに劣るも何も、勝負にならないほど乱雑な作法。顔は確かに整ってはいる。薄ピンクのふんわりとした髪を肩まで伸ばし、濃いピンク色の透き通るような瞳をうるうるとさせ、庇護欲を煽るような仕草。しかし胸元を大きく開けたドレスはこの場にふさわしくない。まるで娼婦のようだ。はしたない。
「異性を誑かすことにおいては非常に秀でていらっしゃる方とお見受けしました」
感じたことを正直に言った。
「……なんだと?」
「確かにその方なら、隣国の男性王族をも手玉に取れそうですわ」
「クローディア、何を言っている。アイシャ嬢を侮辱しているのか? 君はいつもそうだ。他人を見下し、冷酷で愛想がない。そんな君を王太子妃にするところだったなんて、我が国の恥だな」
何故殿下は怒っていらっしゃるのでしょうか。わたくしは人を見下したことなんてないはず。公爵令嬢として、後の王太子妃として、作法がなっていない方に伝えるべきことを正直に、効率良く最低限の文字数でお伝えしてきた。
これのどこがいけないことなのだろうか? 王国貴族として当然のことばかりだったはず。
「ジルベルト様ぁ、クローディア様はいつも私を見下していじめてくるのですぅ。私、怖くて……」
ほら、また。
「アイシャ様、そのように締まりのない口調で話すのはおやめください。本当に下品ですわ」
「クローディア、もういい。君には失望した。とにかくこの婚約は破棄だ。反論は認めない」
「はい殿下。それが命令ならば承りました。それでは失礼いたします、皆様、ごきげんよう」
わたくしは一臣民。国の意向であるならば、そのご命令に逆らう理由はありません。
「本当に、私と君は書類上の関係でしかなかったのだな……」
踵を返した私の耳に、ジルベルト殿下が呟いた小さな言葉が届く。
その意味は、わたくしには分からなかった。
馬車に揺られ、公爵邸へ進む帰路。道の脇には春の可愛らしい花々が咲き乱れている。
「お嬢様、とても綺麗な花ですね!」
明るくわたくしに話しかけるのはメイドのエマだ。親からでさえ人形、可愛げがないなどと散々な言われようのわたくしに、何故かいつも積極的に話しかけてくる。
「ええ、そうね」
花の美しさは分からないが、とりあえずそれらしい返答をしておく。
「御者さーん! ちょっと馬車止めてもらえますか?」
エマは軽やかに馬車から降り、一分ほどで戻ってきた。その手には小さな花束が握られている。
「お嬢様ー! 見てください!」
そして一本の花を私の髪に挿した。
「やはりお嬢様はお花が似合いますね! 本当に女神様みたい! 私のお嬢様は天使だわっ!」
手元に視線を移す。赤、ピンク、オレンジ、黄。さまざまな色の花がある。そう、花が。
「わたくしの手の中には色のついた花というものがある」
わたくしはそれしか感じない。
……これをどう見ると綺麗だと思えるのかしら? 綺麗とはなんだろう――
「……ぉ……さま、お嬢様」
ふと、エマのほうに顔を向ける。どうやら「綺麗」について考えることに集中しすぎていたようだ。
「お嬢様、大丈夫ですか? やはり婚約破棄はされないほうがよかったのでは……」
物思いにふけっていた私の様子を落ち込んでいると取ったのか、エマはそう尋ねた。
「いいえ、殿下は婚約を破棄するとおっしゃったわ。わたくしは王国の貴族であり一令嬢。選択権は元からないの。殿下が破棄する、とおっしゃったのだから、婚約は破棄されたのよ」
「お嬢様はそれでいいのですか⁉ お嬢様は変わられました。殿下との婚約を受け入れてからずっと厳しい妃教育に耐えて……未来の王妃として、自分を押し殺して生きてこられました。昔のお嬢様ならもっと……っ、いえ、もっとわがままを言ってもいいのです!」
エマは……励ましてくれているのだろうか。それとも慰めてくれているのかしら。でもどうして怒っているのでしょう……分からない。
「エマ、慰めてくれてありがとう。でもいいのよ。命令だもの」
「お嬢様! 私はっ……」
「公爵邸に到着いたしました」
御者の声がした。もう公爵邸に着いたようだ。
「エマ、夕食の用意をしてくれるかしら」
「……はい。かしこまりました」
目を伏せたエマの呟くような言葉は、夕日が沈むと同時に消えていった。
公爵邸に着くと、お父様がわたくしを待っていた。本邸のほうに帰ってこられるのは珍しい。いつもは仕事だなんだと言って別邸や王宮で寝泊まりされているから。
「ただいま帰りました、お父様」
「おかえりクローディア。……殿下に婚約を破棄されたようだな」
貴族間の情報の伝わり方の速さは尋常ではない。わたくしは婚約破棄されてそのまますぐに帰ってきたというのに。
「ええ、殿下が破棄するとおっしゃったので」
「……そうか」
お父様はどちらかというと無口なほうだ。昔はよく喋ってくれていたのに。
……昔? 何故かは分からないが違和感がある。昔っていつ? 確か……あれ? 思い出せない。
まるで記憶がところどころすっぽりとなくなっているようだ。掴めそうで掴めないもどかしさにイライラする。
「……で、明日、王宮に正式な書類にサインしに行く。分かったな」
「はい」
別のことをとりとめもなく考えていたせいでお父様の話をほとんど聞いていなかったが、明日は婚約破棄の書類にサインしに行くようだ。
今日はなんだか体がだるい。きっと疲れたのだ。いつもの行動パターンと違ったから。
明日は朝一番から王宮、早く寝ないといけない。
遠くで鳥の鳴く声が聞こえる爽やかな朝。王宮に着いたわたくしは、国王陛下と話すため先に屋敷を出たお父様のもとへ歩みを進めていた。
「見て、クローディア公爵令嬢よ」
「あら、本当。すごくお綺麗な方ね」
「でも見て、表情が全くないわ。人形という噂は本当ですのね」
「愛想がないからお優しい殿下にさえ見捨てられるのよ」
「お前、クローディア嬢と付き合いたかったんじゃなかったっけ?」
「冗談だろ、俺の好みは可愛らしくて優しい人なんだよ。誰が好んであんな奴と……」
「こらっ! 聞こえるだろ」
クスクスという笑い声とともに、あちこちでわたくしのことを噂する声が聞こえる。
無視して歩いていると、背後から「クローディアさまぁ、おはよぅございますぅ」という声がした。
……このまとわりつくような喋り方。アイシャ様ね。
「アイシャ様、ごきげんよう。本日はどうして王宮に?」
「えぇー、やだなぁ、私はぁ、王太子妃になるのよぉ? 王宮に住んでぇ、当たり前だと思わないですかぁ?」
元婚約者のわたくしは、王宮には住んでいなかった。婚約者とはいえ、未婚の女性が男性の家に住むというのは貴族社会ではありえないこと。
「アイシャ様はジルベルト殿下の婚約者になられたのですか? わたくしはまだ書類にサインしていないので、書類上はわたくしが婚約者のはずですが」
「そうですねぇ、今日が婚約者最後の日ですものねぇ、せいぜい楽しんでくださいねぇ」
「では失礼します」
この場を去ろうとすると、アイシャ様が畳みかけてきた。
「ちょっと待ってくださぁい、クローディアさまぁ」
「……まだ何か」
正直嫌な予感しかしない。
「わたしぃ、将来私の臣下になるクローディアさまとぉ、お茶したいなぁーって思ってぇ。今日の午後いいですよねぇ?」
臣下。子爵令嬢が我が国の筆頭公爵家――フィオレローズ家の令嬢に何を言っているのかしら。
「あっ! ジルベルトさまぁー!」
ふっと振り返ると、ジルベルト殿下がわたくしの後ろに立っていらした。
「わたしぃ、今日クローディアさまとぉ、お茶することになったんですぅ」
「アイシャ様。それは……」
「そうか、クローディア、アイシャと仲良くしてやってくれ」
「殿下、それは命令ですか?」
「何がだ?」
「わたくしがアイシャ様とお茶会をし、仲良くなれ、というのは命令でしょうか」
「そんなぁ、私はただクローディアさまとぉ、仲良くなりたいだけなんですぅ。命令されないとやってくれないなんて言わないでくださぃ」
この方と二人きりでお茶するなんて、どう考えても嫌な予感しかしない。命令でない限り、わたくしに拒否権は存在する。というか、今はまだ彼女は子爵令嬢。公爵令嬢にお願いをして突っぱねられたとしても当然の立場なのだ。
「アイシャ様とお茶をするなんて、我がフィオレローズ家の品位を疑われかねないですわ。わたくしはお断りさせていただきます」
キッパリと断った。が、しかし……
「そんなに言うのなら、君がアイシャ嬢にマナーを教えてやってくれ。今日のお茶で」
これはつまり、誘いを受けろ、という命令だ。
「……かしこまりました」
そう返事をすると、アイシャ様は一瞬ニヤッとした笑みを浮かべたが、「ありがとうございますぅ」と言い、去っていった。
コツコツと二人の靴の音だけがする。向かう先はもちろん国王陛下の執務室だ。
これから正式にわたくしとジルベルト殿下は婚約破棄する。
「クローディア」
「なんでしょうか、殿下」
「君は、私のことをどう思っていたんだ」
……なんでしょう、突然。
でも、わたくしの答えは決まっている。
「殿下はご聡明でお優しく、将来我が国の国王となるにふさわしい方だと思っております」
「そのお優しい殿下は君との婚約を破棄したわけだが?」
「それが我が国のためと思い至った結論であるならば、わたくしは従います」
そもそもこの婚約は政略結婚だ。お互いに思い入れなどないのが普通であり、あるほうが珍しい。
「王太子ジルベルトとしての評価は分かった。もうひとつ、聞いてもいいか」
「はい」
「君は……私を一人の男としてどう思っていた」
……質問の意味が分からない。殿下は一体わたくしにどんな返答を期待しているのだろうか。先ほどの質問となんら違いがあるように思えない。
「殿下は殿下。わたくしの政略結婚のお相手でした。それ以上でもそれ以下でもありません」
これが事実。男として、の意味は分からないが、私が殿下に対して抱いていた印象はそれだけだ。しかし左側にいらっしゃる殿下の顔は、何故かは分からないが、心なしか残念そうに見える。
「……そうか」
殿下がそう呟く。わたくしたちはそれ以上は何も話さず、執務室へ向かった。
◇◆◇
ついに来てしまった。アイシャ様とのお茶の時間だ。
先ほど無事に殿下との婚約は破棄されたが、次期王太子妃ではなくなっても、わたくしは公爵令嬢のまま。次期王太子妃のアイシャ様にはこの際しっかりとマナーを身につけていただかなければ。
「失礼いたします」
「クローディアさまぁ? 来てくれたのですね! どうぞ中へ入ってくださぁい」
そう言われたので中に入る。だが、わたくしはこの方と仲良くしに来たのではない。殿下の命令でこの方のふざけきったマナーを矯正しに来たのだ。
「アイシャ様、前も言いましたが、そのだらしない口調をおやめください。次期王太子妃がそんなことで、この国はどうなるのでしょうか。本当に心配ですわ」
殿下の決定なので何か理由があるのだろうが、正直何故この方が次期王太子妃に選ばれたのか理解できない。殿下はわたくしに対しては常に社交辞令と接待スマイルしか向けなかったが、アイシャ様にはニコニコとした素の笑顔を見せていた。お互い想い合っているならば、多少贔屓目で見てしまうのも仕方ない。しかし、それを差し引いてもアイシャ様の態度は酷すぎる。
「クローディアさまったらぁ、今は私たち二人だけなんだからもっとリラックスしてくださいよぉ」
正確にはメイドが数人いるのだが。
「アイシャ様、勘違いされては困るのですが。わたくしはアイシャ様と仲良くお茶をしに来たわけではありません。殿下の命令であなたのマナーを正すためにここにいるのです」
「チッ」
今何か聞こえたような……?
「ご、ごめんなさい……クローディア様」
まぁ、分かってもらえればそれでいい。そして、なんだかんだお茶会が始まった――はずだった。
「私、お茶の淹れ方が分からなくて……見本に淹れてくれませんかぁ?」そう言われ、仕方なくわたくしが淹れた紅茶をアイシャ様が飲んだ瞬間、彼女はもがき苦しみ、倒れたのだ。
毒だ、そう思ってからは早かった。わたくしはすぐにメイドに医者を呼ぶように伝えた。
王宮のセキュリティは完璧なはずだ。毒なんて仕込む隙はなかったはず……誰が、なんのために。
わたくしはアイシャ様が倒れた後、すぐにエマを公爵邸に送った。公爵家に事件を報告するためだ。エマはお茶会の場にいた。事実を事細かに話せるだろう。
「おまかせください!」
エマはわたくしにそう告げると、足早に公爵邸に向かった。
「とりあえず事情聴取はここまでだ」
王宮での事情聴取を終えたわたくしは、この騒動の真相を探るため、足早に公爵邸へと急いだ。エマにも詳しく話を聞かなければならない。一体誰が、何の目的でアイシャ様に毒を盛ったのか。
「今帰ったわ! エマ! エマはどこ!」
わたくしは声を荒らげてエマを呼んだ。
返事がない。いつもならすぐに返事をして私のもとに駆けてくるはず。
どこを探してもエマはいなかった。他の使用人に聞いても、エマは帰ってきていないと言うのだ。――まさか。エマに限ってそんなことはあるはずない。そんなことは……
わたくしはすぐに馬車を出し、エマが通ったと思われる道をたどる。
馬車で走り出して数分。わたくしは眼下に見える湖に違和感を覚え、馬車を降りた。
月の光がキラキラと反射する湖の岸に、まるで捨てられたかのように血みどろの何かが横たわっている。さらに近づくと顔が見えた。その顔は――
「……エマ? ……エマ⁉」
わたくしはエマに駆け寄った。幼い頃から共にいたエマだ。間違えようがなかった。だが信じたくなかった。これはエマではない、と思いたかった。
「エマ! エマ‼」
抱き起こし、揺すっても返事はない。
視界が歪んでくる。
わたくしは人形と言われる令嬢。感情なんてないはずなのに。一筋の雫が頬を伝う。
その時、エマの指先がぴくりと動いた。
「エマ⁉」
ゆっくりと目が開く。が、焦点が合っていない。瞳に宿る光は、今すぐにでも消えてしまいそうなほど小さく揺らいでいた。
「……お……じょうさま?」
「エマ……待っていて! 今すぐ医師を!」
踵を返そうとしたわたくしのドレスの裾がツン、と引っ張られた。
エマが血だらけの手で裾を握り、ふるふると首を横に振っていた。
「大丈夫よエマ。わたくしがそんな傷、きっと治してみせるわ。だから!」
「おじょ……さま」
エマが掠れた声で呟く。
「な……に?」
「お嬢様がお泣きになられたのは……いつぶりでしょうか」
わたくしは、ないているのか?
わたくしが泣いたのは……これが最初のはずだ。だって感情のない「人形令嬢」なのだから。
「お嬢様は、昔は笑顔溢れるお方でした……。奥方様や旦那様に愛された……天使のような……」
お母様……お母様はわたくしの記憶にはない。わたくしが六歳になる頃に病気で亡くなってしまったという。六歳になるまで共にいながら、一欠片もお母様のことを覚えていないわたくしはやはり、しょせんは人形令嬢なのだろう。
「奥方様が亡くなられてから……お嬢様は感情と記憶の全てを心の奥底に閉じ込めてしまわれた……まるで全て……なかったかのように……」
エマが語っているのは、わたくしの過去なのだろうか。本当に何ひとつとして覚えていない。まるで他の誰かの話を聞いているようだ。
「それでも……私は信じておりました……いつか……お嬢様が……また……昔のように……笑ったり……泣いたり……わがままを言って……周りの人たちを困らせたり……」
頭が混乱し始める。わたくしは……わたくしが分からない。何か……何か大切なものを忘れているような気がする。
ふと、エマがわたくしの頬に手を伸ばし、優しく撫でた。そのままとめどなく溢れる雫を拭う。
「お嬢様は決して……人形などではありません。お嬢様は……とても……とても優しすぎるのです。優しすぎるが故に……ゴホッ! ゴホ‼」
「エマッ!」
「お嬢様……私は……お嬢様のお側にいられて……大変幸せでした……」
そう笑顔で呟いた後、エマの体から力が抜け、アクアマリンのような瞳から光が消えた。
「……エマ? ねぇ、嘘よね?」
ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
エマ……皆が避けていた人形のようなわたくしに声をかけてくれた。いつでも明るくて、いつでも私を信じてくれる、姉のような存在だった。
月の光が輝く美しい夜の湖に、エマの亡骸と共に、わたくしの涙と叫びが消えていった。
エマが死んでから数日後。アイシャ様が目覚めたという知らせと共に、わたくしの耳に信じられない噂が飛び込んできた。
――クローディア・フィオレローズ公爵令嬢は婚約破棄されて嫉妬に狂い、アイシャ・コーラル子爵令嬢を毒殺しようとした。それに失敗したため、お茶会の場にいた公爵家のメイドと王宮のメイドを殺した――
一体どうしてそうなったのか。わたくしは何もしていない。彼女にティーポットを渡され、いつも通りの手順で紅茶を入れた。何がいけなかったのだろうか。
わたくしは抵抗する間もなく地下牢に入れられた。もちろん無実を訴えた。が、わたくしのティーカップには毒が入っていなかったことや、わたくしのアイシャ様に対する態度が酷かったとメイドたちが証言したことなどから、あっという間に事実とは異なるシナリオが作られていった。
わたくしが嫉妬に狂う? わたくしは殿下に恋心すら抱いていない。恋とは何なのかさえ分からないくらいだ。それでも日頃からわたくしや公爵家に良い印象を持っていなかった貴族たちが、今を好機と言わんばかりにジリジリと追い詰めてくる。
地下牢で一人、わたくしは考える。
あの場にいたメイドは全員何者かに殺されたという。メイドは、わたくしがアイシャ様のことを気に入らない様子だった、と城の関係者に告げた後、殺されたのだ。
何故殺されたのか。それは十中八九、あのお茶会の場にいたから。何か犯人に都合の悪いことがあったから。その中の一人にエマがいた。
わたくしがお茶会に行かなかったらエマは死ななかったかもしれない。わたくしのせいで……いや、今はそんな弱気なことを考えている暇はない。ここを出ることを考えなければ……
「クローディア・フィオレローズ。出ろ」
わたくしは何かを言う間もなく、兵士に鎖を引っ張られ、外に連れ出された。
あぁ……久しぶりの太陽の光。こんなに眩しかったのね。どこへ向かっているのだろう? こんなボロボロの簡素なドレスに裸足で。
長い、長い石畳の道を裸足で歩くうちに、わたくしの足は血だらけになった。
そして気づけば――処刑台の上にいた。玉座には国王、王妃、その隣には久々に見たジルベルト殿下。そして、毒から回復したアイシャ様が、それはそれは素敵な笑顔で私を見ていた。
「罪状を読み上げる!」
……罪状? 罪状とは罪の実状。わたくしは罪など何一つ犯してはいない。
「クローディア・フィオレローズ公爵令嬢は、ジルベルト殿下に婚約破棄を命じられたにもかかわらず、それを受け入れず、嫉妬に狂い、アイシャ・コーラル子爵令嬢の毒殺を試みた! さらに、それに失敗し、証拠隠滅のためにメイドたちを殺害した! これは許されざる罪である! よってクローディア・フィオレローズを公爵家から除名し、斬首刑に処する!」
斬、首……?
「何か言い残すことはあるか」
「言い残す? わたくしはそもそも罪など犯していないのです。これは再審の余地があります。ろくな尋問もなくわたくしを犯人と決めつけて処刑するのは、明らかに道理に反します」
「はっ……何をふざけたことを言っている。紅茶に毒が入っていたのはアイシャ嬢のカップだけだ。これはアイシャ嬢を狙った犯行と言い切るにふさわしい。そしてアイシャ嬢を殺害する動機があるのもクローディア嬢だけだ」
なるほど。この文官もアイシャ様の味方なのだ。
「メイドたちに見られたからといって殺害するなど冷酷極まりない。さすが人形令嬢と言われるだけのことはあるな」
下卑た笑みを浮かべる文官。もう取りつく島もない。わたくしの処刑は覆ることのない確定事項のようだ。
「あのぉ、私、クローディアさまとぉ、最後のお話をしたいのですがぁ」
……アイシャ様? 何を言っているのだろうか? わたくしには話すことなんて何一つない。
「ええ、次期王太子妃様のお望みのままに。おい、最後にお話できる相手が慈悲深きアイシャ嬢だということに感謝するんだな、罪人」
先ほどから罪人罪人と、うるさいですわ。わたくしは罪など犯していないのだから。
アイシャ様はニコニコしながらわたくしのところへ来ると、誰にも聞こえないような声で言った。
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