翼に愛を

亜珠貴

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第二章

獣人の国と少年 (二十三)

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 夜宵がまだ未成年であることを踏まえ、子作りの根本である行為の方法について話してみたところ性行為自体の知識を十分すぎるくらいに持っていた夜宵にヘドウィグは驚きを隠せなかった。
 何せ十五歳という年齢にして文字の読み書きすら覚束無いヒト族の子供、べスティアに来た経緯や夜宵の過去を知らないヘドウィグにはそちらの知識があるとは予想できるはずもない。
 何かおかしかったか?と首を傾げる夜宵に首を振る。
 おかしいところは無かったし、そのことに関して教えることは無さそうだと答えるとヒト族の子供は少し照れたように笑った。
 こんなに無邪気な子供が何故そちらの知識にだけ詳しいのか、考えられることはあまり気持ちの良い話ではないことだけはヘドウィグも察することが出来る。
 照れた夜宵の頭を愛おしそうに、それでいて哀しげな表情で撫でたシルヴァンの表情もヘドウィグの想像が事実とさほど離れていないことを確信させた。

 ヘドウィグは続けて行為の「先」、男性体が妊娠するための方法について説明する。
 元々男性体には子を宿す器官は存在しない。行為に使用する部位も元は排泄器官としか利用されなかった。
 だが男女間の生殖だけでは獣人の人数を増やしていくのにあまりに時間がかかりすぎた。
 そこで知識豊富と名高い梟の獣人が中心となり、男性でも妊娠可能になる薬、換言すると「男性の体内に一時的に仮子宮を作り出す薬」を開発したのだ。
授胎薬じゅたいやく」と呼ばれるその薬、男性性同士での妊娠を可能にするためには二ヶ月間に渡りそれを服用する必要がある。

 まず一ヶ月間仮子宮を作るために体質を変化させる薬を毎日決まった時間に飲み、その後一ヶ月間は卵子の形成と排卵を促す薬を、これも毎日同じ時間に飲む。
 この際の体の変化を「授胎化」という。
 時間をかけて体質を作り替えるため受ける側の体の負担はかなり大きいが、その薬を望む番は多くいる。
 薬を飲むだけならさほど難しいことは無い。何が問題かというと、一つは初めの一ヶ月間は副作用が強いこと、もうひとつは二ヶ月目に入ってからは毎日体を繋げる必要があるということだ。
 体質の改変と言えど一時的、排卵のチャンスは一度きりだ。
 しかしいつ排卵が起こるかは個人差があり、排卵された卵子の寿命はたったの二十四時間。仮に受精出来ず機会を逃せば次第に仮子宮は縮まって、また振り出しに戻ってしまう。 
 よってそのたった一回の排卵を逃さないため、毎日繋げる必要があるのだ。

 ここまで説明し終えたところで、夜宵が何か言いたそうにしているのが目に入る。

 「あの、そのふくさようって、なに?」

 「まず副作用とは、薬を服用した時に生じる主作用以外の作用のことを指します。どの薬にも主作用と副作用は存在していて、効果の強い薬であれば同時に副作用、つまり作用してほしい効果とは別の効果が現れるということです。咳を止めたり鼻水を止めたりするだけなら大した副作用は出ませんが、今回のように体質を大きく変えるものだと、頭痛……失礼。頭が痛くなったり吐き気がしたり、場合によってはそのまま吐きます。ふらつきが出たり食欲が無くなったりも考えられます」

「んー、そっか……」 

 夜宵でも分かるように説明したヘドウィグだが、答えを聞いて尚、夜宵の表情は明るくならなかった。

「不安か?」

 顔を覗き込むように声をかけたシルヴァンに、少し、と一言だけ答え、その様子を見てシルヴァンは膝に置かれた夜宵の手を握り込む。

「……やめるか?」

 その一言に夜宵はガバッと顔を上げた。

「違う!違うの。やめたくない!みそらの子供を産みたい。産みたいんだよ……」

 ブンブン首を降ったかと思うと、その目には涙が浮かぶ。
 それもそうだろう。
 気持ちが強くても、それは体の変化や副作用が怖くない理由にはならない。ましてヒト族には男性の妊娠の文化や考えはない。
 夜宵の十五歳という年齢では余計に、はいそうですかと受け入れられる方が珍しいだろう。

「ヤヨイ様、怖がらせてしまい申し訳ございません。ただ、副作用はその症状に対する薬を飲むことで抑えられます。頭が痛ければ頭痛薬、吐き気があれば吐き気止めとして酔い止めを飲めば対処できます。シルヴァン殿下もサポートして下さると思いますし、もう少し楽にお考えになってはいかがでしょうか?」

 症状を抑えられることを知ると少し安心したのか表情に落ち着きが出た。
 本当にこのヒト族は思っていることがわかりやすいな、とヘドウィグは冷静に分析していた。
 またその分析はすぐにシルヴァンにも適応されることとなりヘドウィグは驚きを隠せずにいる。
 このふたりが種族を超えて互いに思いあっていることがヒシヒシと伝わり胸がじんわり熱くなる。
 彼らに必要な後押しはあとひとつ。
 授胎薬は番同士でへ行き、里長に許可を貰って初めて受け取ることができる。 
 夜鳥の里は普段は結界が張ってあり外からは見えないが、夜鳥の獣人や番同士の獣人が訪れることで道が開かれるという。
 行かれますか?と尋ねれば答えは当然ふたり揃って肯定だった。


 授業を終えると時刻は二時過ぎ、普段の授業からすればだいぶ早い終わりだが、善は急げと次の晩に夜鳥の里へ行くことを決めたため、シルヴァンは仕事を休むとトーマスに伝え、急ぎの書類だけを片付け布団を被る。
 その頃夜宵はというと、夕刻に起きたばかりで寝付けるわけもなくヘドウィグと客間にいた。

 未だに不安そうな顔をするのは何故か、何が気にかかっているのか、ヘドウィグは追い立てることはせずただただ夜宵が言葉を発するのを待った。
 しばらく膝の間で手を揉んでいた夜宵が零したのは、薬を飲んで以降の変化に対する不安、恐怖。そして先程は語られなかったもうひとつ、子供が産まれた後のことだった。

 夜宵はシルヴァンの子を産めない同性であることから引け目を感じ、自分は相応しくないと身を引こうともした。
 それでもシルヴァンが愛してくれて婚約を破棄してまで夜宵と生きる道を選んだ。
 だがそれはあくまで身内の話。夜宵がヒト族であることはある程度の周りにしか言っていない。
 街の人らはみんな夜宵のことを「シルヴァンがレンから保護してきた獣人」だと思い込んでいる。
 シルヴァンと番になったことは喜ばしい限りだが、今後結婚、出産となるとどんな目で見られるか分かったものではない。
 考えれば考えるほど、レンで受けたあの暴力的なまでの迫害を思い出してしまう。
 自分だけならまだ耐えられるが、矛先がシルヴァンや生まれてくるでろう子供にまで向けられると考えると落ち着かなくなる。
 ヘドウィグは夜宵の過去を深く知らない。だからこそ、夜宵が抱えている深く真っ暗な闇を見据えることが出来ない。
 ただ年長者として、先生として言えること――

 「一人で考えていても答えは現れてくれないでしょう。事情を知る関係のある方……シルヴァン殿下に素直にその不安をぶつけられてみてはいかがでしょう。あなた方は番なのですから、存分に頼るのがよろしいかと」

 ヘドウィグは、この幼き少年が歳相応に明るく笑顔で暮らせる未来が来るよう願わずにはいられなかった。



 夜宵たちが王宮を出たのは十九時にさしかかろうかという頃だった。
 馬車に乗り込み、王宮に来る時に通った道を逆方向に進む。
 夜鳥の里は文字通り夜鳥たちの住まう里であり、来客は夜間しか認めていない。日中は結界が強くなり同族以外は入れないようにされている。

「夜宵、行く場所は覚えているな?」

 シルヴァンが夜宵に問いかけながら地図を差し出した。
 夜宵は右手の人差し指で指しながら答えていく。

 「王宮よりも南東にある港街、えっと、『ポースシュタット』。夜鳥の里はポースシュタットの近くの山の中にある」
 「そうだ。よく勉強したな」 

 シルヴァンはワシワシと夜宵の頭を撫でる。


 ポースシュタットは夜宵が初めてべスティアに来た時に滞在していた港街である。
 ようやく戻れる、と窓の外を眺めながら嬉しそうにしている夜宵を横目にシルヴァンは地図を眺めていた。
 実の所結界が張られているせいで夜鳥の里の場所は正確には知られていない。一定期間ごとに場所を移っているのではないかという噂が出るほど、入口出口も異なっているのだ。
 ふと夜宵がシルヴァンに向き直る。

「そうそう、言い忘れてたんだけど、多分僕夜鳥の里行ったことあるんだよね」
「……は?」

 シルヴァンは口をぽっかりと開けた。
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