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-monster children-
#33-monster children-
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「マメよどうして戻ってきてしまったのじゃ。それも調停師などという怪異の恥さらしまで連れて。」
脳を失い力なく倒れる肉体の向こうから月白色の髪を結わえた土蜘蛛の姿が現れ、数時間前の上機嫌に笑った姿など想像も出来ない程大量の返り血に塗れた神妙顔で告げられた。
数時間前の彼女と別れた時と変わらず私のコートを着てはいるが決定的に違う点があり、それは彼女の手には抜き身の刀が握られている事だ。
私達が呆然とする中、土蜘蛛は血の滴る刀身を振り赤黒い粘液を払うことでアスファルトに重たい水音を響かせると大層失望した様子で口を開いた。
「なあマメよわえはお主と打ち解けたと思うたのじゃ。人間は数が多いばかりで個体自体は怪異の中でも下の下にもかかわらず威張り腐っておると思うておったが、主の様に個で強い物もおるのじゃと少しばかり尊敬もしておったというに、よりにもよってわえを謀り調停師を頼るとはな。人間は同族以外とまで群れるようになっておったとは呆れを超えて軽蔑せざるを得ん。この衣のこともあるゆえ大和だけは勘弁してやろうと思うておったがやめじゃ。都の前に此処から喰らいつくしてくれる。」
言い終わるや否や握っていた刀の柄を口に咥えて両腕を自由にしコートを脱ぎ捨て、一瞬後には再び握った刀を振り上げるシロが目の前に迫っていた。
「マメ!」
冬華の叫び声にハッとし金縛りが解ける。屈んで振りぬけられる刃の音を聞きながら脇を抜け、友人の腕を掴み一軒家の間を駆け抜けた。
切り捨てられた少年の安否を確認しようとする考えを放り投げ、ただヤバいを連呼しながら足を回す。
あれはどう見ても即死だから戻って出来る事などないし返って身を危険に晒すだけで、それは少年も願いはすまいなどと誰にも聞こえない言い訳を心中で吐露しながら必死に逃げた。
背後から追ってきているかは分からないが今は確認する余裕などないと入り組んでいる住宅間の狭い通路をくねくねと曲がり、一分走ったか十分走ったかも分からないがどうにか少し広い道路が見えた所で足を止め振り返ると、息を切らして膝に手を付いている冬華が目の端に映り土蜘蛛の姿はなくほっと安堵したのも束の間、振り返った頭の後方斜め上から蜘蛛らしく逆さの姿で下りてきたのだろう大きな影が自分のそれに重なり音を発した。
「もうあきらめよ。今や獲物となった主に出来るのはただ喰われる事だけよ。」
全てが耳に届くより先に今走ってきたばかりの道を戻って別の小路へ入り再び疾駆する。
動物的な本能だったので何か考えての行動ではなかったが、走りながら冷静さを取り戻し一方的な死刑宣告にはいそうですかと言えるほど素直ではないという意地が顔をのぞかせ始めていた。
背後の道からではなく頭上の瓦を叩くような足音から追ってきている土蜘蛛の気配が消えるまで走り続ければ生き残れると進み続けながら、狭く人気のない裏道を抜け広い道に出て警察に助けを乞うべきだと考えていたのだが、しかし思うがままに動ける私はともかく手を引かれている冬華の方がへたり込んでしまった。
相棒の体力を失念していたと思い振り返ったがどうやらそれだけではないようで、ふくらはぎに棘のような物が刺さっており中から噴き出した液体が真っ白な靴下を黒々と染め上げている。
「私はいいから、先に行って。」
ただでさえ白い顔を更に白くしながら、途切れ途切れの言葉で気遣う彼女を置いてなど行けるはずがなかった。
身体が小さくなったからか重たく感じる友人を背負い、なんとか小路を抜けて一縷の望みをかけて北商店街に躍り出たが、やはりいつも通り人通りは皆無で助けを求めることは不可能なようだ。
怪異相手に喧嘩などしたことはないがやるしかないようだと心を決めて周囲に目を回した。
いつから閉じられているのかもわからないサビだらけのシャッターを背にし、無理やり呼吸を整える様に深呼吸をしつつ気配を探る。逃げている間ずっとしていた屋根瓦を渡るガタガタという音はすっかり止み、北商店街らしい無音と遠くを走るトラックの音だけがアーケード内に響く中、突如背後のシャッターの向こうから小さな音がした気がして振り向いた瞬間鋭利な刃が飛び出してきた。
咄嗟に顔をかばった右腕に何の抵抗もなく吸い込まれた切っ先が皮と肉、骨をも貫通し文字通り鼻先で止まるが、障害物の向こうで見えていないはずなのに長さが足りないと悟ったのか、突きから切り下げに変化した軌道に手首の少し下に刺さった刃が滑らかに肘まで切り抜けた。
人の痛覚は一定値を超えると脳が遮断して痛みを感じなくなるというのは本当のようで意識を失わずにすんでおり助かってはいるが、妙に冷静になった頭で靴とスカートをしとどに濡らす赤い液体を眺めながら急激に下がりゆく体温を感じる。これは出血多量的なアレで長くはもたないと悟りながらも、振り返ったおかげで背の冬華だけ無事であったのは不幸中の幸いだと息をつく。
しかしこのまま人一人背負い続けて逃げるのは無謀と判断し、対面の廃屋の前へ移動して背後で金属同士が擦れる独特の音から障害物を切り刻んで出てくると予見しながら気を失っている友人を優しく凭れさせた。
思った通り先程まで背にしていたシャッターに開けられた大穴の奥から土蜘蛛が現れ、その姿を睨みながらも交渉を持ちかけるように話しかけた。
「どうして私を襲うの?」
「主を喰うためじゃ。」
「なんであたしなの?」
「貴様の怪力を得るために決まっておろう。」
「怪異って食べた人間の力が得られるんだね。でもそれだったら私より運動部とかお相撲さんとかのほうが適任だと思うけど。」
「もしや気づいておらんのか?不壊の印すら壊すような人ならざる異能を持ちながら宝の持ち腐れよのう。後ろの娘もなにやらいやに美味そうな臭いがしておるし、わえの力にした方がよほど有意義というものよ。」
足元に血溜が出来ているのか、閑古鳥の鳴く商店街に腕から落ちる血の音が響き渡った。
じりじりと近づいて来る大きな影に質問を重ねようと言葉を探すが、こんなことなら国語の勉強を真面目にしておくべきだったろ場違いな後悔が生まれる。
人気のないこの場所では淡い希望と分かってはいるが、なんとか時間稼ぎをして騒ぎを聞きつけた住人が既に警察に通報してくれている事を願いながら引き延ばすしかほかに活路はない。
常識的に考えて日本刀を片手で軽々と振る狂人に、徒手空拳なうえ手負いの素人が叶うはずがないのだ。
「あたしにそんな大層な力があるなんて知らないんだけど。だいたいあんたは何処であたしにそんな力があるって知ったの?」
「時間稼ぎか?そのような事をしても誰も来ぬし人間がどれだけ現れようとわえをどうにかすることなど出来ぬ。諦めよ。」
とうとう刀の間合いに到達し振り上げられた刃を二の腕で受け、顔を庇った左腕は落ちる気配のない切れ味にあっさりと両断された。
前腕の中ほどから先がなくなり自分の生暖かい血液で頬が染め上げられるのを感じる。
しかし不思議な事に、これはもうどうにもならないと頭ではわかっているのだが、いつかのような諦めの気持ちは一片も見当たらなかった。
血液で濡れた袖で目に入りそうな血を拭いなおも立ち塞がる。
喉の奥からせりあがってきた悲鳴を噛み殺し、強く噛んだ唇と痛みに見開かれた目から血と涙が溢れるが決して倒れてなどやるものか。
自分はもう駄目だとしても、何としても冬華は助けなければならないと何かが叫び、心をがむしゃらに震わせているのだ。
彼女を残して逃げ私が私でなくなってしまう事の方が刀に切り殺されるよりずっと恐ろしい。ゆえに決して此処でひいてはならないと喧しくて仕方がないのだ。
「ぬしは死ぬ。後ろの娘と共にわえの血肉となる。何をしても結果はもう変わらぬ。」
小さな子供を諭すような土蜘蛛の言葉にも、なお諦める気にはならなかった。
それどころか血液を大量に失ったことで体温は下がっている筈なのに、一層胸の内が燃え上がっている。
極端に短くなった左腕を臍の前に、手首から肘まで真っ二つに裂けた右腕を胸の前に構えて腰を落とす。
見様見真似の付け焼き刃なのは重々承知だが、ずいぶん昔にテレビで見た格闘家の構えを痛みに顔を歪めながら作り、抵抗の意を示して見せた。
「なんとまあ往生際の悪い。しかし初めて喰う獲物はぬしのような者でよかったのやもしれぬ。ここまで絶望的な状況にもめげぬ人間なぞそうそうお目にかかれぬじゃろうし、とくと味あわせて頂くとしよう。」
止めにふさわしく大きく振りかぶる土蜘蛛の丹田に、もはや握る力すらない右拳を唸り声と共に遠心力に任せ叩きつけ腕の切り傷から血が飛び散った。
とんと思い当たる節は無いが先ほど土蜘蛛の語っていた異能の力とやらが発動しやしないかと一縷の希望を纏わせた渾身の一撃は、しかし残念なことにあっけなく弱々しいぺちりという音を虚しい音を立てて敵の八つに割れた腹筋に血を散らせるだけに終わったのだった。
土蜘蛛は最後の足掻きを看取ると先程までの獰猛な笑みから、悲しんでいるようにも見える表情に変わりつつ最後の白刃が振り下ろされた。
はずだった。
無様に右拳を突き出した体制のまま迎えた最期の一瞬、目を閉じ脳裏に浮かんできた家族や友人にこれが走馬灯かと呑気に考えている間に顔に熱い血液がかかり切られたと思ったのだが、なかなかどうして奇妙な事に意識は一向に失われる気配がない。
「うちの嫁を害するとは、いい度胸だ小童。」
目の前から怒りを孕む少し擦れている男の低い声が響き瞼を開くと、私と土蜘蛛の間には緋色の羽織と赤髪を貫通して飛び出した日本刀の切っ先、そして左肩から胸までをバッサリ切られた大きな背が立ち塞がるように立っていた。
「大和の調停師!?」
大きな背の向こうで刀を引き抜こうと藻掻いている月白髪がチラチラと見えるが、どう見ても心臓にまで届いているのに刃の根元を握る大男の力の方が強いようで、目の前に飛び出た赤黒く濡れた刀身は微動だにしていない。
「いくら何でも早すぎるじゃろうが!離せ怪異の矜持も持たぬ腑抜けが!」
「時は少ないが少し躾をしてやる。」
いつの間にか大男の袈裟切られた傷は癒えており、根元が切られ宙ぶらりん状態から回復した左腕が動くと同時、何かの千切れる音と聞いた事のない耳をつんざくような絶叫が古くなったアーケードに響き渡り、風化し脆くなっていた天井の破片を僅かに落とした。
水音を立てながら大男の手からゴミをポイ捨てするように足元に投げられたそれは、先程まで刀を握っていたであろう土蜘蛛の右肩から先だった。なおも男は追撃として蜘蛛の右前脚を付け根から踏み千切り、肩の傷口に指先を突き刺すと骨を何本か引き抜いて投げ捨てる。刀を諦め七本足を器用に動かし反転後退する女を前に、大男は自らの胸に残された刀を引き抜くと勢いよく投げつけた。
空気を割いて飛ぶ刃は対面に位置する先刻自らが出るため切り開いたばかりのシャッターの向こうへ逃れんとする蜘蛛の腹に吸い込まれるように深々と突き刺さり、刃をこちらに向けた状態で地面に縫い付ける。
「違う!わえが望んだのはこんなものではない!」
標本のように刀に蜘蛛の半身のど真ん中を地面タイルと接合されたまま倒れ込んだ上半身で這うように進む土蜘蛛は、広がった傷口から藍や黄色や深緑の内容物を引きずりながらなお逃げようと足掻くも、ゆうゆうと歩いて追い付いた大男に一番後ろの両脚を掴まれる。
大男はぐじゅりと嫌な音をたてながらそれらを握り潰し、文字に出来ない泣き声を上げながら逃れようとのたうち周囲に内容物の飛び散る不快音をさせる土蜘蛛を頭上に高く掲げ、二度三度と念入りに目の前の床に叩き付けて人型の上半身を痛めつけると、今度は力任せに古ぼけて黄みががかった天井に着くほど高く放り投げ、刀を振り上げていた振出の位置へと投げ戻した。
先程までの強者の快楽と少しの失望を含んでいた土蜘蛛の面容は今や絶望一色に塗り替えられ、残った脚を緩慢ながら必死に動かしてほんの数分前に獲物と称した私の足元へ無様ににじり寄り、鼻先が触れ合うほどの距離で縋るように懇願を始めた。
「そそそそうじゃ、マメよ、あ、あれはぬしの為に動いておるのであろう?もう捕食などせぬゆえどうにか止め」
「土蜘蛛が不屈を捨て命乞いなど片腹痛い。怪異の矜持などと嘯いておったのはどの口だ。」
おそらく第三脚を掴まれたのであろう。ずるずると私の眼前から引き摺り離されながら懇願する声が絶対強者への哀願と絶叫に変わる中、とうとう私は意識を手放したのだった。
脳を失い力なく倒れる肉体の向こうから月白色の髪を結わえた土蜘蛛の姿が現れ、数時間前の上機嫌に笑った姿など想像も出来ない程大量の返り血に塗れた神妙顔で告げられた。
数時間前の彼女と別れた時と変わらず私のコートを着てはいるが決定的に違う点があり、それは彼女の手には抜き身の刀が握られている事だ。
私達が呆然とする中、土蜘蛛は血の滴る刀身を振り赤黒い粘液を払うことでアスファルトに重たい水音を響かせると大層失望した様子で口を開いた。
「なあマメよわえはお主と打ち解けたと思うたのじゃ。人間は数が多いばかりで個体自体は怪異の中でも下の下にもかかわらず威張り腐っておると思うておったが、主の様に個で強い物もおるのじゃと少しばかり尊敬もしておったというに、よりにもよってわえを謀り調停師を頼るとはな。人間は同族以外とまで群れるようになっておったとは呆れを超えて軽蔑せざるを得ん。この衣のこともあるゆえ大和だけは勘弁してやろうと思うておったがやめじゃ。都の前に此処から喰らいつくしてくれる。」
言い終わるや否や握っていた刀の柄を口に咥えて両腕を自由にしコートを脱ぎ捨て、一瞬後には再び握った刀を振り上げるシロが目の前に迫っていた。
「マメ!」
冬華の叫び声にハッとし金縛りが解ける。屈んで振りぬけられる刃の音を聞きながら脇を抜け、友人の腕を掴み一軒家の間を駆け抜けた。
切り捨てられた少年の安否を確認しようとする考えを放り投げ、ただヤバいを連呼しながら足を回す。
あれはどう見ても即死だから戻って出来る事などないし返って身を危険に晒すだけで、それは少年も願いはすまいなどと誰にも聞こえない言い訳を心中で吐露しながら必死に逃げた。
背後から追ってきているかは分からないが今は確認する余裕などないと入り組んでいる住宅間の狭い通路をくねくねと曲がり、一分走ったか十分走ったかも分からないがどうにか少し広い道路が見えた所で足を止め振り返ると、息を切らして膝に手を付いている冬華が目の端に映り土蜘蛛の姿はなくほっと安堵したのも束の間、振り返った頭の後方斜め上から蜘蛛らしく逆さの姿で下りてきたのだろう大きな影が自分のそれに重なり音を発した。
「もうあきらめよ。今や獲物となった主に出来るのはただ喰われる事だけよ。」
全てが耳に届くより先に今走ってきたばかりの道を戻って別の小路へ入り再び疾駆する。
動物的な本能だったので何か考えての行動ではなかったが、走りながら冷静さを取り戻し一方的な死刑宣告にはいそうですかと言えるほど素直ではないという意地が顔をのぞかせ始めていた。
背後の道からではなく頭上の瓦を叩くような足音から追ってきている土蜘蛛の気配が消えるまで走り続ければ生き残れると進み続けながら、狭く人気のない裏道を抜け広い道に出て警察に助けを乞うべきだと考えていたのだが、しかし思うがままに動ける私はともかく手を引かれている冬華の方がへたり込んでしまった。
相棒の体力を失念していたと思い振り返ったがどうやらそれだけではないようで、ふくらはぎに棘のような物が刺さっており中から噴き出した液体が真っ白な靴下を黒々と染め上げている。
「私はいいから、先に行って。」
ただでさえ白い顔を更に白くしながら、途切れ途切れの言葉で気遣う彼女を置いてなど行けるはずがなかった。
身体が小さくなったからか重たく感じる友人を背負い、なんとか小路を抜けて一縷の望みをかけて北商店街に躍り出たが、やはりいつも通り人通りは皆無で助けを求めることは不可能なようだ。
怪異相手に喧嘩などしたことはないがやるしかないようだと心を決めて周囲に目を回した。
いつから閉じられているのかもわからないサビだらけのシャッターを背にし、無理やり呼吸を整える様に深呼吸をしつつ気配を探る。逃げている間ずっとしていた屋根瓦を渡るガタガタという音はすっかり止み、北商店街らしい無音と遠くを走るトラックの音だけがアーケード内に響く中、突如背後のシャッターの向こうから小さな音がした気がして振り向いた瞬間鋭利な刃が飛び出してきた。
咄嗟に顔をかばった右腕に何の抵抗もなく吸い込まれた切っ先が皮と肉、骨をも貫通し文字通り鼻先で止まるが、障害物の向こうで見えていないはずなのに長さが足りないと悟ったのか、突きから切り下げに変化した軌道に手首の少し下に刺さった刃が滑らかに肘まで切り抜けた。
人の痛覚は一定値を超えると脳が遮断して痛みを感じなくなるというのは本当のようで意識を失わずにすんでおり助かってはいるが、妙に冷静になった頭で靴とスカートをしとどに濡らす赤い液体を眺めながら急激に下がりゆく体温を感じる。これは出血多量的なアレで長くはもたないと悟りながらも、振り返ったおかげで背の冬華だけ無事であったのは不幸中の幸いだと息をつく。
しかしこのまま人一人背負い続けて逃げるのは無謀と判断し、対面の廃屋の前へ移動して背後で金属同士が擦れる独特の音から障害物を切り刻んで出てくると予見しながら気を失っている友人を優しく凭れさせた。
思った通り先程まで背にしていたシャッターに開けられた大穴の奥から土蜘蛛が現れ、その姿を睨みながらも交渉を持ちかけるように話しかけた。
「どうして私を襲うの?」
「主を喰うためじゃ。」
「なんであたしなの?」
「貴様の怪力を得るために決まっておろう。」
「怪異って食べた人間の力が得られるんだね。でもそれだったら私より運動部とかお相撲さんとかのほうが適任だと思うけど。」
「もしや気づいておらんのか?不壊の印すら壊すような人ならざる異能を持ちながら宝の持ち腐れよのう。後ろの娘もなにやらいやに美味そうな臭いがしておるし、わえの力にした方がよほど有意義というものよ。」
足元に血溜が出来ているのか、閑古鳥の鳴く商店街に腕から落ちる血の音が響き渡った。
じりじりと近づいて来る大きな影に質問を重ねようと言葉を探すが、こんなことなら国語の勉強を真面目にしておくべきだったろ場違いな後悔が生まれる。
人気のないこの場所では淡い希望と分かってはいるが、なんとか時間稼ぎをして騒ぎを聞きつけた住人が既に警察に通報してくれている事を願いながら引き延ばすしかほかに活路はない。
常識的に考えて日本刀を片手で軽々と振る狂人に、徒手空拳なうえ手負いの素人が叶うはずがないのだ。
「あたしにそんな大層な力があるなんて知らないんだけど。だいたいあんたは何処であたしにそんな力があるって知ったの?」
「時間稼ぎか?そのような事をしても誰も来ぬし人間がどれだけ現れようとわえをどうにかすることなど出来ぬ。諦めよ。」
とうとう刀の間合いに到達し振り上げられた刃を二の腕で受け、顔を庇った左腕は落ちる気配のない切れ味にあっさりと両断された。
前腕の中ほどから先がなくなり自分の生暖かい血液で頬が染め上げられるのを感じる。
しかし不思議な事に、これはもうどうにもならないと頭ではわかっているのだが、いつかのような諦めの気持ちは一片も見当たらなかった。
血液で濡れた袖で目に入りそうな血を拭いなおも立ち塞がる。
喉の奥からせりあがってきた悲鳴を噛み殺し、強く噛んだ唇と痛みに見開かれた目から血と涙が溢れるが決して倒れてなどやるものか。
自分はもう駄目だとしても、何としても冬華は助けなければならないと何かが叫び、心をがむしゃらに震わせているのだ。
彼女を残して逃げ私が私でなくなってしまう事の方が刀に切り殺されるよりずっと恐ろしい。ゆえに決して此処でひいてはならないと喧しくて仕方がないのだ。
「ぬしは死ぬ。後ろの娘と共にわえの血肉となる。何をしても結果はもう変わらぬ。」
小さな子供を諭すような土蜘蛛の言葉にも、なお諦める気にはならなかった。
それどころか血液を大量に失ったことで体温は下がっている筈なのに、一層胸の内が燃え上がっている。
極端に短くなった左腕を臍の前に、手首から肘まで真っ二つに裂けた右腕を胸の前に構えて腰を落とす。
見様見真似の付け焼き刃なのは重々承知だが、ずいぶん昔にテレビで見た格闘家の構えを痛みに顔を歪めながら作り、抵抗の意を示して見せた。
「なんとまあ往生際の悪い。しかし初めて喰う獲物はぬしのような者でよかったのやもしれぬ。ここまで絶望的な状況にもめげぬ人間なぞそうそうお目にかかれぬじゃろうし、とくと味あわせて頂くとしよう。」
止めにふさわしく大きく振りかぶる土蜘蛛の丹田に、もはや握る力すらない右拳を唸り声と共に遠心力に任せ叩きつけ腕の切り傷から血が飛び散った。
とんと思い当たる節は無いが先ほど土蜘蛛の語っていた異能の力とやらが発動しやしないかと一縷の希望を纏わせた渾身の一撃は、しかし残念なことにあっけなく弱々しいぺちりという音を虚しい音を立てて敵の八つに割れた腹筋に血を散らせるだけに終わったのだった。
土蜘蛛は最後の足掻きを看取ると先程までの獰猛な笑みから、悲しんでいるようにも見える表情に変わりつつ最後の白刃が振り下ろされた。
はずだった。
無様に右拳を突き出した体制のまま迎えた最期の一瞬、目を閉じ脳裏に浮かんできた家族や友人にこれが走馬灯かと呑気に考えている間に顔に熱い血液がかかり切られたと思ったのだが、なかなかどうして奇妙な事に意識は一向に失われる気配がない。
「うちの嫁を害するとは、いい度胸だ小童。」
目の前から怒りを孕む少し擦れている男の低い声が響き瞼を開くと、私と土蜘蛛の間には緋色の羽織と赤髪を貫通して飛び出した日本刀の切っ先、そして左肩から胸までをバッサリ切られた大きな背が立ち塞がるように立っていた。
「大和の調停師!?」
大きな背の向こうで刀を引き抜こうと藻掻いている月白髪がチラチラと見えるが、どう見ても心臓にまで届いているのに刃の根元を握る大男の力の方が強いようで、目の前に飛び出た赤黒く濡れた刀身は微動だにしていない。
「いくら何でも早すぎるじゃろうが!離せ怪異の矜持も持たぬ腑抜けが!」
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いつの間にか大男の袈裟切られた傷は癒えており、根元が切られ宙ぶらりん状態から回復した左腕が動くと同時、何かの千切れる音と聞いた事のない耳をつんざくような絶叫が古くなったアーケードに響き渡り、風化し脆くなっていた天井の破片を僅かに落とした。
水音を立てながら大男の手からゴミをポイ捨てするように足元に投げられたそれは、先程まで刀を握っていたであろう土蜘蛛の右肩から先だった。なおも男は追撃として蜘蛛の右前脚を付け根から踏み千切り、肩の傷口に指先を突き刺すと骨を何本か引き抜いて投げ捨てる。刀を諦め七本足を器用に動かし反転後退する女を前に、大男は自らの胸に残された刀を引き抜くと勢いよく投げつけた。
空気を割いて飛ぶ刃は対面に位置する先刻自らが出るため切り開いたばかりのシャッターの向こうへ逃れんとする蜘蛛の腹に吸い込まれるように深々と突き刺さり、刃をこちらに向けた状態で地面に縫い付ける。
「違う!わえが望んだのはこんなものではない!」
標本のように刀に蜘蛛の半身のど真ん中を地面タイルと接合されたまま倒れ込んだ上半身で這うように進む土蜘蛛は、広がった傷口から藍や黄色や深緑の内容物を引きずりながらなお逃げようと足掻くも、ゆうゆうと歩いて追い付いた大男に一番後ろの両脚を掴まれる。
大男はぐじゅりと嫌な音をたてながらそれらを握り潰し、文字に出来ない泣き声を上げながら逃れようとのたうち周囲に内容物の飛び散る不快音をさせる土蜘蛛を頭上に高く掲げ、二度三度と念入りに目の前の床に叩き付けて人型の上半身を痛めつけると、今度は力任せに古ぼけて黄みががかった天井に着くほど高く放り投げ、刀を振り上げていた振出の位置へと投げ戻した。
先程までの強者の快楽と少しの失望を含んでいた土蜘蛛の面容は今や絶望一色に塗り替えられ、残った脚を緩慢ながら必死に動かしてほんの数分前に獲物と称した私の足元へ無様ににじり寄り、鼻先が触れ合うほどの距離で縋るように懇願を始めた。
「そそそそうじゃ、マメよ、あ、あれはぬしの為に動いておるのであろう?もう捕食などせぬゆえどうにか止め」
「土蜘蛛が不屈を捨て命乞いなど片腹痛い。怪異の矜持などと嘯いておったのはどの口だ。」
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