僕のこと、ぼくの事を話そうか

はらひろ

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〈第三章 僕のこと⑤ 透編〉

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 翌朝、早めの朝食をとり終えると、僕等は伊集院氏の別荘地N市へ向かうべく車に乗り込んだ。車は中古のワゴン車だった。田舎暮らしには必需品だよね。食料や日用雑貨を一気に詰め込める魅力的な積載量と、今ではなくてはならないプラテーロのためにもね。僕は新車じゃなく中古を選んだ壮介に、心の中でポイントを加算した。
 「軽トラも良いかな?とおもったんだけどね」
 「雨が降ると面倒だもんね。それに叔父さんのイメージじゃないや」
 僕がそう言うと、壮介は大好きな少しはにかむ笑みを口元に讃えた。そして1番近いお隣さんに、「ちょっと留守にする挨拶をしてくるから」と、農道へと車を乗り入れた。壮介はあらゆる面で残念なところがあるが、すごく常識的な人だと僕は思ってる。都会育ちで、僅か2、3日家を空けるだけなのに、きちんと挨拶に行くんだよ?本家の奴等なら絶対にしないね。賭けてもいい。
 お隣のマツダさんは大らかな人で、僕は夏休みに訪れた翌日に、壮介に連れられて挨拶にきたことがある。その時、嬉しそうに歓迎してくれたんだ。
 「甥の透です。これからよく此処にきますので、宜しくお願いします」
って紹介されて、僕もきちんと挨拶したよ。
 マツダさんは70歳近くの小柄な優しそうな人だった。息子夫婦は田舎を嫌って都会で暮らしているんだって。
 「なんもない田舎で、びっくりしてござったでしょう?都会から来なさる人には不便かもしらんなぁ」
 手拭いで汗を拭きながら、マツダさんが笑った。その人懐っこい笑顔がとても印象に残ってる。何だかほっとする笑顔だったんだ。奥さんが冷たい麦茶とスイカを持ってきてくれて、笑うとまん丸な顔がさらに丸くなった。スイカはプラテーロの分もちゃんとあって、僕は嬉しくなってしまったよ。
 「僕のいる高校も田舎なんです。海沿いの」
 「あら都会の人じゃないとですかや?綿貫さんも垢抜けてますさけど、とっても綺麗なお兄ちゃんだから、てっきり東京の人と思うてましたわ」
 僕は赤面して「違います」と小さくなってしまった。恥ずかしいだろ?
 「半分あたりで半分は違うんですよ」と、壮介が面白そうに話を続けた。
 「透は生まれは東京ですが、今はK県で寮生活中なんです」
 「ほう寮にのう。それは楽しそうやなあ」
 何故、寮生活なのか、親は何をしているか等、一切詮索をしないマツダさん夫婦を僕は好ましく感じた。すごく大人で(当たり前だけど)、思いやりを感じてさ。
 「涼しくて良い所ですね」僕の言葉にマツダさんはうんうんと頷いてから、少しばかり難しい表情になった。
 「確かに涼しい場所だし、良い所なんさだけど、みんな離れてしまっての。まあ、牧場にも農地にも高地すぎて、適さんからのう。みな売ってしもうて綿貫さんとこは、野中の一軒家になってしまったがや」
 ええと壮介が苦笑を漏らした。スイカを平らげたプラテーロが、縁側に座っている壮介の膝に、甘えるように鼻面をくっつけた。
 「置いてきぼりをくらった、あのロバですかや?懐っこくなりましたなあ」
 マツダさんは楽しそうにプラテーロを見やりながら、「あの土地で牧場は止した方がいいですなあ。畑も駄目でしたがや」と、気の毒そうに忠告をしてくれた。
 「住むにはいいんだけんど、どうにも斜面が急すぎてますからの。機械を入れるまでの規模じゃないし、どうも人手がかかり過ぎてしまうんですな。まあ急がずに活用方を考えた方が、いいでしょうの」
 話好きで心配性のマツダさん。あの日、僕は初対面の挨拶に行っただけなのに、3時間もお邪魔しちゃったんだ。

 壮介がなかなか戻ってこない。話こんでいるのかな?僕はこれからの長いドライブを考えると、少し焦ってきた。
 留守にする挨拶だけだから、僕はワゴン車の中でプラテーロと一緒に待っていたんだ。
 すると両手いっぱいに野菜を抱えた壮介がやってきた。自家製のトウモロコシに茄子、きゅうり、トマト。
 「これからN市に向かうといったら、持たせてくれたんだよ。何だか悪いなあ。お土産、奮発しないとね」
 「すごい量だね。伊集院さん達もびっくりなんじゃない?」
 後部座席をフラットに倒したかったが、高速道路を走るから座席のままにしてある。プラテーロが窮屈かな?と思ったんだけど、安全のためシートベルトしたいからね。ごめんねプラテーロ。
 そこに大量の野菜を積み込みながら、「そうだ」と僕は気になっていた事を思い出した。
 「叔父さん、職業はなんて言ってるの?」
 僕の質問に壮介はうーんと唸ってから「特に何も、、」と困った声をだした。
 「ボクが債権者として来たからなんだろうけど、会社を経営してると思っているみたいでね。そのまま黙っているってとこ、、」
 ああ、と僕は頷いた。
 「それで土地の運用について心配してくれてるんだ」
 「そうだろうね。もしかしたら不動産関係と思われているのかも」
 僕は黙ったままの方が良いと助言した。無職の三十歳男性が債権者だなんて、余りにも胡散臭い。そもそも無職の時点でアウトだろう。
 今回の留守の理由も、「所要で」とだけ説明したそうだ。詳しく説明する必要もないしね。
 しかし恐らくマツダさん夫妻は、仕事で出かけると思った筈だ。間違いなく。僕とプラテーロを同伴するのは、未成年を1人にしておけないからと、判断したからと思ったろう。

 車は市街地を抜けて高速道路にのった。
 「免許があったら交代で行けるのになぁ、、叔父さんばっかり運転で疲れちゃうね、、」
 僕はまだ16歳だから当然の如く免許はとれない。16歳16歳、ああもう、この中途半端な歳をどうにかして貰いたい!
 「休み休み行くから大丈夫だよ。そんなに遠い距離でもないし」
 後部座席にいるプラテーロが、くうんと鳴いた。
 「ねぇ、この次のインターで止まって貰っていい?プラテーロが寂しそうなんだ。僕、後ろに移るよ」
 「もちろん」と答えながら壮介はインターに車を乗り入れてくれた。
 僕はさっと後ろに移ると、すぐさまプラテーロが僕の膝に縋ってきた。
 「甘えん坊だな」僕が両手でプラテーロの頬を挟んでキスすると、プラテーロが首筋に鼻を押し付けてきた。駄目だよ。車の中なんだから、壮介が運転しにくいだろう?大人しくしておいで。
 「何だか妬けちゃう光景だね」
 そんな事を言う壮介の声は、ちっとも嫉妬の色なんかなかった。もう、上手いんだから。
 「あーあ、早く18歳にならないかなぁ。そうすれば免許だってとれるし、保護者も必要なくなるし」
 壮介はバックミラーでチラッと僕を見てから、「そんなに急いで大人にならないでおくれ」と早口で言った。
 僕は含蓄のありそうな壮介の言葉に、身体の血がざわついた。壮介を見ると耳たぶが赤く染まっている。
 僕は壮介が僕を拒んではいないことを感じていた。少なくともね。だって僕の濃厚なキスを寝たふりだけど、許してくれていたから。そして僕が深い口づけをするたび、身体を震わせていることも、僕がキスしやすいように顔を仰いでくれるのも感じていた。だって今までの壮介の眠り方とは明らかに違うから。これは確信してもいいと思うんだ。自惚れじゃなくてさ。
 今朝だって、昨夜もしたのに我慢できなくて夢中で壮介の口を舌を丹念に貪ってしまった。
 唇だけじゃ物足りなくて、僕は壮介の素肌を撫で回してもいた。うう恥ずかしい僕。でも本当に無意識だったんだ。無我夢中っていうのかな。
 壮介の肌って男性なのに滑らかだった。僕は女性を知らないから比較のしようも無いのだけど。余りの肌ざわりの心地よさに、僕はもしかしたら随分と長い間、撫でさすっていたかもしれない、、
 僕は頭の先から足のつま先まで歓喜に痺れて震えていたよ。壮介の身体も震えていた。そう震えていた。
 ただその震えが、僕と同じものなのか、それとも戸惑いによるものなのか?残念ながら経験値ゼロの僕には分からない。
 確かめたくても、この睦言は夜毎の夢の中、という設定になってしまっているので、面と向かって確かめる事も出来ない。もし否定的な言葉が返ってきたらと想像するだけで恐ろしいし。
 上手くいっていると思いたいんだけど、希望的すぎるかな?どうなんだろう。
 このまま一気に押し倒したらどうなるだろう。正直怖い。このまま勢いで壮介の身体を奪ってしまったら、、後で壮介は絶対に後悔するんじゃないかと思うんだ。壮介は僕を最優先に思ってくれているから、僕が望めば応じてくれるかもしれない。でもそれって無理してるってことでしょ。僕は無理強いはしたくないんだ。散々キスをしておいて何だけど。これ以上はってこと。無理とか我慢とかじゃなく、壮介自身の気持ちで僕を選んで欲しいんだ。
 一生の伴侶として。


途中、何度か休憩をとりながらN市に入ったのは、とっぷり日も暮れた夜になってしまった。人を訪ねるには失礼な時間帯である。
 「伊集院の別荘まで、後もうちょっとだから」
 多少疲れをみせた壮介が、励ますように声をかけた。
 道中ほんとに大変だったんだ。プラテーロがね。なにせ初めての車で長時間のドライブだから。大人しくしてたのなんか、ほんの始めだけだった。おかげでドライブインごとに車を入れて、うろうろ散歩させて機嫌をとってね。疲れてウトウトしてくれた時は、壮介と2人して安堵のため息が漏れたよ。ほっとしてさ。
 でも直ぐ目を覚ましてしまうから、ドライブインごとに遊ばせてって、これの繰り返しで随分と時間がかかってしまったんだ。2歳のロバって好奇心旺盛なんだろうね。
 小さな子供連れのお父さんとお母さんを、僕は心から尊敬するよ。宥めたりすかしたり、ホントに大変だったんだから。それでようやく着いた頃は、訪問にはとっても不躾な夕飯の時刻になったというわけ。 
 僕はコンビニで弁当を食べてから行こうって言ったんだけど、壮介は「伊集院は僕らの食事を準備しているだろうから」と譲らなかった。却って失礼だからってね。まあ確かにそうなんだろうけど。
 モデルハウスのような似たような別荘の中から、伊集院氏の別荘を探しあてるのも至難の業だった。辺りはするするっと暗くなっていたから。しかも1番奥まったところに氏の別荘が鎮座していたから、もうため息しか出なかった。古い中古車でカーナビなんてついてなかったからさ。
 僕たちは遅くなったお詫びを言いつつ門をくぐった。ガレージに数台立派な車があり、他にもお客様がいるのかな?と僕は密かに身構えた。僕って奴は嫌になるくらい人見知りが激しくて困った奴なんだよ。


 「おう、遅かったな、道に迷ったか?」
 野太い声がして、それがこの別荘の主、伊集院氏のものだと直ぐに察しがついた。
 「ちょっとね。食事中だった?こんな時間になって悪かった」
 「気にするな。それより透は連れて来たんだろうな。みんなお待ちかねだ」
 「やれやれ、お目当てはぼくのトォニィかい?みんなって誰?」
 僕は2人のやり取りを聞きながら、外にある洗い場でプラテーロの足と蹄を丁寧に洗いタオルで拭いた。それからリュックからミネラルウォーターを取り出し、洗面器にドバドバ注いだ。プラテーロは勢いよく、グビグビ喉を鳴らして飲んでいた。よしよし、よく頑張ったね、プラテーロ。
 プラテーロは水を飲んで人心地がつくと、警戒するように僕の身体にピッタリと身を寄せてきた。
 「大丈夫だよ」
 僕は安心させるように、プラテーロの首筋をひたひたと撫でた。撫でている僕も、プラテーロに触れたら少しホッとした。僕らは似たもの同士だね。
 「おいで」
 壮介が振り返って僕とプラテーロを改めて紹介した。
 「こんばんわ」
 僕が挨拶すると、5つの顔にあっという間に取り囲まれた。
 「本当に透か?大きくなったな、驚いた。覚えているか?伊集院だよ。いやあ、会いたかった」
 大きな手でバンバンと背中を叩かれながら、僕はペコペコを頭を下げ、挨拶に専念した。
 大人5人のうち3人は壮介の高校の同窓であるらしく、赤ん坊の僕を知っている面々だった。しきりに「見違えた!」「大きくなった」とか「想像以上だな」(なにが…?)とか感心しきりの様子で僕をまじまじと見てくる。
うう、、勘弁して欲しい、、
 そりゃそうだろう。十歳以来の再会なら、もう全くの別人だ。面影が残っている程度だろうし。
 後の2人は伊集院氏を通じて親しくなったらしく、壮介も面識はないようだった。
 よく海外の映画でホストの別荘に初対面同士が招待されて(引き合わせる為に)、ひと夏を過ごすって話があるけど、、これって結構辛い社交だなと思う。上流階級の人達はそうやって人脈を繋いでいくんだろうけどさ。合わせて欲しいとお願いしたり頼まれたりして、自分の基盤を盤石なものにしてゆくのだろうけど、、、僕みたいな非社交的人間には苦行でしかない。Uターンして逃げ出すこと間違いない。
 今日だって今すぐもう帰りたい。同年代の子供がいないのが救いなくらいだ。大人は同年代同士なら、親しくなれるだろうと変な思い込みがあるし。いや、我慢して仲良くする社交術を磨けという事なのか?勘弁して欲しいな。まあ僕には関係のない事だけどさ。今日は仕方ないとして。

 伊集院夫人が中座された夕食を温めなおしてくれ、僕と壮介の分も準備してくれていた。こうゆう事には慣れているのだろう。随分と手際が良かった。僕はといえば緊張して食欲なんて全くなかった。小心者と笑うかい?見知らぬ他人の家に泊まるのだから、誰だって緊張するだろう?僕はそれが特別に酷いってだけだ。ほらプラテーロもかなり緊張している。

 「荷物なんて後にして、まずは食べろよ」
 豪快な伊集院氏の一声で食事が再開された。 
 「叔父さん、プラテーロの分、出していい?」僕らだけ食べる訳にいかない。彼だってお腹は空いているのだから。
 「もちろん、いいだろう?」壮介が伊集院氏に聞き、氏は軽く頷いた。
 僕は早速リュックからプラテーロの食事をだし、桶に入れて僕の隣に置いた。プラテーロは僕と壮介に挟まれていたので幾分安心したらしい。そうっと食べ始めた。
 僕は心の中でプラテーロを食堂に通してくれた、伊集院氏の寛大さに感謝した。それから、どうみても酒の肴にしかみえない夕食の数々を口に運びながら、先ほど紹介された面々を眺めやった。
 高校が同じであった高橋氏と鈴木氏。高橋氏はIT関連の会社を経営しているらしい。自らもプログラマーとして活躍しているという。いかにもコンピューターに詳しい!という知的な顔立ちだ。セルフレームの眼鏡が神経質な面差しを和らげている。鈴木氏もレストラン経営を任されているという。老舗のレストランチェーン店の跡取りで、現在はもう数店舗も一気に舵取りしているという。人当たりが柔らかく接客業に向いていそうな人物だった。
 「リストランテ.ダビ.エのオーナーなんだよ」
 壮介の言葉に僕はビックリしてしまった。有名人御用達で有名な店だ。世間に疎い僕でも知っている。
 そこで、、僕は納得した。
 綿貫壮介が通っていた高校なのだから、名家のご令息が集う場所なのだと。高橋氏の会社もおそらく大手企業だろう。伊集院氏は言わずと知れた大物政治家の息子で、今は建築会社経営をしているが、いずれは父親の地盤を受け継いで出馬するのは必至だ。となると後の2人も相当なものなんだろう。
 僕は唐揚げを頬張りながら、些か憂鬱な気持ちになってしまった。綿貫の本家が否が応にも脳裏に浮かぶ。
 果たして彼らもゴルフ倶楽部など多岐に渡るレジャー施設のオーナーの息子と(修行中らしい)、大手銀行頭取の息子という身分だった。
 僕の笑顔は引きつっていたかもしれない。僕らは、壮介は地位も財力もない、ただの一般市民でしかないのだから、場違いも甚だしかった。
 壮介、よくそんなに平然と笑っていられるね?僕はもう胃が痛くなってきたよ。こういう場面で気後れのしない壮介を僕は本当に尊敬するよ。
 「透くんはK高にいるんだって?何年生?とても優秀なんだね」
 リストランテが微笑んでいた。ハンサムで感じの良い笑顔だった。この笑顔は強力な武器になるだろうな。この素敵な笑顔を振りかざして、店は儲かっているに違いない。
 「はい。1年です」
 「へぇ~K高ってあの物凄く偏差値の高い東大一直線の高校?」
 ゴルフ倶楽部が大袈裟に手を叩いてみせた。きっとこんな風にナイスショットとか、盛り上げているんだろうな。
 「綿貫も成績は良かったよ。勉強しなくともいつも上位にいた。俺は憎たらしくて仕方なかったぜ」伊集院氏が大声で笑い、それから「いつ勉強してたんだ?」と不思議そうに続けた。
 「そうそう。七不思議の1つだった。綿貫くんは透くんの育児で忙しくって、学校も休みがちだったのに。本当なんですよ」
 リストランテがゴルフ倶楽部と銀行マンに向けて言った。
 自分が話題にのぼる事の何と居心地の悪いことか。
 「出席日数が足りなくて、子連れで補講を受けたって聞いたけど、、へぇ実話なの?伊集院が話を面白くしているだけかと思ってた。何だよ、いつもそうじゃないか。この前の話も随分と盛ってあったし。ああ、でも透くんに関しては誇張じゃなかった。実際こんなに麗しいとは思っていなかった。これじゃあ綿貫さんが透くんに夢中になるのは無理ないだろうし。だってこの容姿だ。乳児のころはさながら天使そのものかな」
 ゴルフ倶楽部がまたもや大仰に両手を広げた。
 「そうだろう?で、俺も育児に是非参加したかったんだが、綿貫が触らせてもくれなかった。こいつはいつも透を独り占めしていやがった。ここに連れてこさせるのに、俺がどれだけ苦労したと思う?」
 それから一頻り高校時代からの苦労話を延々と続けた。伊集院氏は話し上手で、僕はこの人の選挙演説には、きっと大勢人が集まるんだろうな、等とぼんやり考えていた。
 「綿貫くんもこの通りだからね。彼が透くんをあやしている光景は目の保養になると、見物人が鈴なりだったよ」
 「新聞部の韮崎が号外まで出してたよね」
 壮介の何がこの通りだったのだろう?確かに端麗な男性だけど、、僕はお洒落なマリネを咀嚼しながら、リストランテの言葉の意味を考えてみたがわが分からなかった。
 しかし自分が、それも忌み嫌っている自分の容姿が話題になるのは気分が悪かった。たとえそれが褒め言葉であったとしても。
 「君たちはそうやって人をダシにして遊ぶ天才だな。こっちはいい迷惑だったのに。散々トォニィをおもちゃにするし。危なくて危なくて心配でしょうがなかったんだから」
 壮介が優雅な手つきでワイングラスを持ち上げた。僕は温めて貰ったタンシチューを味わいながら、目の端で壮介の姿を追った。この中でも壮介が1番優雅に見えた(常に僕の中では1番だけど、公平に見ての話)。リストランテよりも誰よりも。
何ていうのかな、壮介には谷間の百合のような佇まいがあるんだ。決して華美ではないけれど、心の奥底に刻みこまれるような趣きがあるんだ。惹きつけずにはいられない磁力なようなものが、壮介にはあるんだよ。
 「可愛い天使を独占してるって主人が嘆いていたわ。まさかこんなに美形さんだったなんて、私も驚きましたわ。そこいらの俳優より素敵ですもの。彼女はいるのかしら?」
 「い、いません」
 夫人のビックリする質問に、反射的に声が少しばかり大きくなってしまった。周りの大人達はニヤニヤしている。ううう、、、
 僕は気をとり直して「このタンシチューとても美味しいです」と、口の端を持ち上げて、頑張って微笑んだ。
 「ありがとう」
 答えた夫人の瞳の奥が、ほんの一瞬冷たく煌めいたのを僕は見逃さなかった。身体中の血の気がすうっと引いていくのを覚えた。久々の感覚だ。
 この嘲りを含んだ冷たい気配を、嫌というほど知っている。僕の産まれの卑しさに対する侮蔑の瞳を。忌み嫌う凍りつくような瞳を。
 どんなに態度が丁寧でも、どれ程親しげを装っていても、過剰に敏感な僕には直ぐに分かってしまうのだ。
 僕は気を引き締めた。
 ここで僕は必ずしも歓迎されてはいないと判明したからだ。
 少なくとも、一見して感じの良い夫人は、僕に対し嫌悪感を抱いている。大人の分別で殆ど完璧に隠してはいるが、そうした気持ちは垣間見えてしまうものだ。見たくなくともね。この夫人には出自の卑しい僕と同席することすら、もしかしたら彼女の自尊心に触っているのかもしれない。
 僕は用心しなくてはならない。壮介の為にも何より自分の為にも。自分の行動と発言には細心の注意が必要だろう。失態をしでかせば、、
 ーああやっぱり、素性の知れない浮気の子だから。
 と言われないためにも。
 僕は封じ込めていた侘しい虚ろが、自分をじわじわと覆っていくのを感じた。あの本家での凍てつく生活が蘇ってくる。
 僕が寮に入ったのも、1度も本家に寄り付かなかったのも、正にここにあった。あの蔑むような嘲るような、そして冷淡な瞳の数々に耐えられなかったからだ。僕は僕を知らない人々に紛れ、休暇には手放しで僕を愛してくれる安全地帯に身を潜めていたかったのだ。
 僕は綿貫の姓を心底から憎く、捨て去りたいと願っている。そりゃぁもう凶暴なまでにね。

 「そりゃ嘘だろう」
 幾分酔の回ったITの声に、僕はハッと現状に戻った。
 「うむ全く。寮なんて保護者の目のない無法地帯だからな」銀行マンが何か言ってる。
 「酒にタバコに麻雀に女か、、後は何かな?およそ悪い事は寮という集団生活で覚えてしまうものだからね」
 「さすがに今は麻雀はないだろう」
 壮介の前で余計な事を、、、
 「トォニィ、そうなのか?」早速、悲鳴に近い声をあげてくれたよ。
 「しないよ。僕はお酒もタバコもギャンブルもしない。彼女だっていない」
 僕は肩を竦めてみせた。お酒以外は全て事実だ。
 「そうだったね。トォニィは真面目で奥手のいい子なんだから」
 壮介が思わず赤面しそうな言葉をしれっと吐いて、手にしたグラスを飲み干した。
 「相変わらず甘いなあ。いつまで赤ん坊だと思ってるの?この美貌だ。近隣の女が放っておくもんか。だろう?しかしいいな。カメラを通したらますます化けそうだ。CMで流してみたいな」
 ITは業界にも顔が利くのだろうか。恐ろしい独り言を言っていた。
 「イケるんじゃない?このルックスだもの。いやはやK校って良いのは成績だけじゃなかったんだ。三軒先の息子もそうだろう?カッコいい子が揃ってる」
 リストランテの言葉に、僕はこの別荘地に同じ学校の生徒がいることを知った。誰だろう、、
 「却下!駄目だよ!そんな事。トォニィを晒し者にさせる訳ないだろ」
 壮介が面白くなさそうに屹然と言い、足元のプラテーロを見やった。
 長時間のドライブと見知らぬ人々の中で、随分と疲れてしまったのだろう。壮介の左足を前脚で抱き込むようにうつらうつらしている。
 「叔父さん、もう、、」
 僕の言葉に壮介が頷くと、ヨイショとプラテーロの前脚を両肩に乗せて、前抱っこしながら「この子を休ませたいんだけど」と伊集院氏に言った。
 「そいつが新しいペットか?犬?じゃないみたいだな」
 ウトウトしているプラテーロの周りに、大人たちが集まってきた。ああ、お願いだから起こさないで。プラテーロは疲れてるんだから。
 僕は壮介の苦労が少しばかり理解できた。こんな風に好奇の目から僕を守ってくれてたんだね。
 「ヒヅメがある。馬ですか?」ゴルフ倶楽部の言葉に、「ロバだよ」と壮介が嬉しそうに答えた。
 「一緒の部屋は流石にマズイかな?一応テントは持ってきたんだけど」
 「別に構わんぜ。ペット連れっていうから部屋は一階の角部屋にしておいた。左手の1番奥だ」
 僕はここで図々しいお願いを伊集院氏に試みた。
 「ご厚意感謝します。でもまだ小さくて、はしゃいで家具を壊したりしたら大変ですから、、その、庭にテントを張っても宜しいですか?」
 慣れない場所でお粗相したら大変だからね。だってこの部屋の調度品ときたら、すっごく高級そうなんだ。弁償なんてできっこないもの。 
 僕のそうした小市民の心情を察してくれたのだろうか。伊集院氏は鷹揚に笑った。
 「好きにして構わんぜ。しっかし、かなりの甘ったれだな」
 さすが大物政治家の息子、器が大きい。僕はひと安心して、壮介の後について荷物を運んだ。
 ベッドが2つ置かれている部屋は、ホテルのツインルームなみの広さがあった。建物はコの字型に建ててあり、どの部屋からも中庭に降りられるようになっている。イタリアのパティオみたいに素敵な造りだ。ちょっとしたパーティーがここで催されているのだろう。入り口付近には灌木が生い茂り、いかにも高級別荘地の佇まいをみせていた。さすが大臣の別荘だ。
 「疲れたろう?トォニィ。知らない人ばかりで」
 床に持参してきた毛布を広げて、プラテーロをそっと寝かせながら、壮介が労るように言った。
 僕は正直に頷き、今日はもうプラテーロと休みたいと白状した。
 「じゃあお風呂で汗を流してから、お休みの挨拶においで」
 驚いたことに風呂場まで付随していた。全室そうなのだろうか?これではまるっきりホテルだ。
 「いいの?」
 僕が申し訳なさそうに聞くと、壮介は当然と、「子供はもう寝る時間だろう?」と笑った。
 「ずっと早寝早起きのサイクルだったから、いい加減眠いだろう」
 僕は本当はちっとも眠くなんかなかった。どっちかっていうと気が張って興奮しちゃっていた。ただあの場に居たくなかっただけだ。ごめんね。
 顔にでてしまったのだろう。壮介が慰めるように僕の頬を撫でた。
 「要らない気を遣わせて済まなかったね。大人ばかりじゃトォニィも退屈だろうし」
 「下手に子供なんかいなくて良かったよ。何話していいか分かんないもの。ごめんね。社交的じゃなくってさ」
 「そんなことない。トォニィは良くやってるよ。悪いけどもう少しだけ辛抱してくれる?」
 僕はモチロンと頷いた。壮介の表情がわずかに曇っていて、彼も僕同様に気詰まりなんだと知れた。
 モチロン大丈夫、うまくやるよ。
 壮介が出てゆき、プラテーロが良く眠っているのを確認してから、手早くシャワーを浴びた。プラテーロが目を覚ました時、誰もいないと泣いちゃうかもしれないから。
 それから大きく深呼吸して、寝る前の挨拶のためダイニングルームに向かった。この別荘は台所と食卓と居間がワンフロアになっているんだ。段差をつけた小洒落た仕様になっていて、今頃はソファに移動してナイトタイムに突入している頃だろう。
 僕はつくずく16歳であることに感謝した。あんなに嫌がっていた16歳に。現金な奴だな、僕って。
 僕がTシャツと短パンの格好で「お先に失礼します。お休みなさい」とお辞儀すると、構いたがりの壮介がさっそく立ち上がり、「カラスの行水だね」と寄ってきた。
 「ちゃんと耳の裏も洗った?」
 そう言って僕の耳を点検し始めたから堪らない。僕は羞恥で頬が赤くなるのを抑えられなかった。
 「もう子供じゃないんだから、洗ったから」
 そうだよ。もうこんなに大きいんだよ。背丈だって壮介とあまり変わらない。このひと月で微妙に追い越しているのに、気づいていないのかな。
 「この前、石鹸の泡が残っていたよ。ちゃんと洗い流した?ああああ髪だってまだ濡れてる」そう言ってタオルで僕の髪をふきだしたから困ってしまった。
 もう勘弁してくれ、いや下さい。皆がニヤニヤしながら、こっちを見てるじゃないか。
 「全くもって過保護だな。見ていられん。全然変わってねえな」
 伊集院氏の呆れた声音に、僕はますます赤くなってしまった。
 「綿貫さんが女性だったら、さぞ良い奥さんになっていたでしょうね、引く手あまたですよ」
 ゴルフ倶楽部までからかうような事を言ったので、僕は憮然とした。
 「昔から人気があったよ。そうほら2組の阿部、覚えてない?」
 「モチロン。韮崎もぞっこんだったしな。新聞部をいいことに写真を撮りまくっていた」
 「それにしても透くんはスタイルもいいね。手足がすんなりと長くって実にいい」
 ITの舐めるような視線にたじろぎながら、僕は今のITとリストランテの会話を反芻していた。
 壮介は僕と同じ男子校だ。2組の阿部って、写真部の韮崎って何者だ?壮介からその名前を聞いた事はなかった。恐らくその2人以上にも大勢、壮介の信奉者はいたに違いない。当然と言えば当然なのだが、、、
 僕の知らない、学生の壮介、、
 突然、キューン、ヒーンという嘶きが聴こえてきた。
 「プラテーロだ!」
 目を覚ましたら誰もいなくて、心細くなっているに違いない。僕と壮介は慌てて挨拶もそこそこに、部屋へと駆け出していた。背後から「過保護だな」と笑い声が追いかけてきて、何故だか無性に腹がたった。別にいいじゃん。過保護だって!
 僕はどうにも腹の虫が治まらなくて、中庭に簡易テントを張ると、プラテーロと一緒に潜り込んだ。あんな奴らと同じ屋根の下で、寝たくなんかなかったからだ。プラテーロも同じだったらしい。落ち着きなくそわそわしていたのが嘘のように、僕にピッタリくっついて、目をしょぼしょぼさせている。
 壮介が済まなさそうにリビングに戻っていった。そんな顔しないで。壮介は旧交を温めてきていいんだよ。
 それにしても壮介はどうして伊集院氏の別荘に来たのだろう?今の今まで散々断っていたのに、、友人だから?でも友人があんな揶揄するような発言ばかりするなんて、、壮介は不愉快じゃないの?
 昔からそうだったの?僕のせい?僕がいるから揶揄われていたの?赤ん坊の僕を育てる姿は、そんなに滑稽だったの?
 僕に会いたいなんて嘘ばっかりじゃないか。馬鹿にするために呼んだとしか思えない。
 大人気ないよ。いい加減にして。
 いくら大物政治家の息子で事業家だって、いくら有名リストランテのオーナーだからって。ITがなんだ。ゴルフ倶楽部やアミューズメントパークがなんだってんだ。銀行だって統廃合、吸収合併に四苦八苦なんじゃないの?
 馬鹿にしないでよ。壮介が事業に失敗したからって、あんたらに関係ないだろう?壮介は無能なんかじゃない。たまたま、そうたまたま運が悪かっただけだ。無職だっていいじゃないか。人生は長いんだ、そんな時期だってあるもんだよ。現に誰にも迷惑かけてないのに、、、
 確かに壮介には事業面の才能はないのかもしれない。運もなさそうだ。でも彼は有り余る愛情を持っている。深い愛情で僕を育ててくれた。それがそんなにおかしな事なの?
 僕は壮介を愛してる。お前らこんなに人を愛した事なんてないだろう?
 何だってこんな所に来ちまったんだ。来なきゃ良かった。
 ああ確かにあんたらは凄いよ。凄いのオーラでまくりだ。格の差を思い知らされたよ。僕に至っては、ちょっと学力の高いだけの、ちっぽけなガキって痛感させられたよ。ぺちゃんこだ。
 僕は悪態の限りを心の中で吐き出すと、大きなため息をついた。
 夜空には青白い月がぽっかり浮かんでいた。隣ではプラテーロの規則正しい寝息がしていて、僕を慰めてくれている。
 プラテーロ。ここにプラテーロがいてくれて本当に嬉しい。僕とプラテーロはとても良く似ている。同種族の中では異端で、壮介の愛情だけが全てという点で、僕らは双子のように似ていた。
 多分、、僕は圧倒されてしまったんだ。悔しいけれど彼等は一流の大人達で、、対する自分の余りの小ささに。
 でも負け惜しみじゃなく、あんな大人達にはなりたくないとも思うんだ。そりゃあ成功している人間の気迫や気概、存在感は凄まじいよ。一流ってこういう人達なんだろうなって妙に納得もした。ほんの僅か対峙しただけで、その桁外れの能力が突き刺さるくらい眩しかった。あんなに威圧感のある堂々とした大人達は初めてだった。これが日本経済を支える担い手として、第一線で活躍している人達なんだなあって素直に感心もした。本当だよ。
 だけど違和感は拭いようもない。僕は仕事での成功や名声、地位なんて望んではいないんだと実感した。人並みの生活が送れればそれでいいんだ。僕の人生での最大にして唯一の望みは壮介だけだから。だから僕は壮介との未来のために勉強も貯蓄もしてる。貯蓄は少しばかりだけど。
 僕を無欲な小市民と笑うかい?
 僕自身の生い立ちのせいもあるんだろうけど、僕はどうも上流階級に属する人々に好感がもてないんだ。偏見が入っている事は認めるけれど。僕は愛する壮介とプラテーロと平凡だけど、幸せに生きていきたいだけだ。
 この別荘にきて、1つだけ収穫があった。僕にはこうした人種との付き合いは困難だってことだ。
 僕は綿貫の家から本気で離別する決意をするべきだろう。こんな家名汚しの僕を、高校まで行かせてくれたことに感謝すべきなんだ。後は自分で生きていこう。自分の出自を嘆くなんて子供じみた思いは捨てるべきだ。こんな僕でも育ててくれた恩義を感じるべきなんだ。
 そうだ。甘えてないで、これから生きていく算段をしよう。すぐに働くか、働きながら進学できるのか、働いてお金を貯めてから進学するか、、幸いな事に僕はまだ1年生で、猶予はまだ2年もある。まだ考える時間は充分にある。
 ようやく考えが落ち着いた途端、僕は疲労感にどっと襲われた。プラテーロの隣にどさりっと崩れ落ちると、たちまち眠気が僕を襲ってくる。
 プラテーロの寝息が聴こえる。僕は幸せな気持ちで眠りに落ちていった。
 
 
  


 


 







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