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〈第二章 ボクのこと④ 壮介編〉
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古き友人から招待状が届いたのは、トォニィの夏休みが折り返しを迎えた頃だった。
別荘地で有名なN市で彼等はいつも夏を過ごしているのだが、ボクはついぞ訪ねたことはなかった。
今年も是非トォニィと共に遊びに来て欲しいとある。それから、来ないのなら押しかけると、いつになく強行な文面で結んであり、ボクは密かに眉をしかめた。来ると言うなら来る可能性は高い。有言実行の人達だ。
いつもは無理やり旅行の予定を組み込んで、招待を断るところなのだが、、今年は家へ来るという。ならばさっさと出かけてしまえば良いのだが、、、今から予約のとれる滞在地などあるだろうか。夏休み前半ならともかく、後半は落ち着いて過ごしたい。宿題も山程あるだろうし。
ボクは困惑してしまった。
彼等の狙いはボクの可愛いトォニィであるのは疑いようもない。常々ボクの昔馴染み達は、ボクがトォニィを独占していると非難している。確かにそうなのだがね。
何しろトォニィは可愛らしい。素晴らしい天使なのだから。誰もが逢いたくて堪らなくなるのは当然だ。
だがしかし、彼は寮生だ。長期の休みでもない限り、なかなかゆっくりとは逢えない。だからボクはこの貴重な時間を、何ものにも邪魔されず謳歌したいのだ。トォニィも同じ気持ちのはずだ。間違いなく。
本当に貴重な、もしかしたら永遠に逢えなかったかもしれない時間なのだから。
ボクには以前、家の金庫からお金を強奪し幼いトォニィを誘拐しかけた前科がある。ボクが暴挙に走った直接の原因は、押しつけられた政略結婚を打破することにあった。ボクは会社のための婚姻など願い下げであったから、ボクの結婚不履行が会社に及ぼす不利益など、一切顧みなかった。無論、相手側のこれからの展望や試算などボクには無関係な事だった。
しかし、こうした事態を招いた以上、このまま実家に居ることは出来ない。出ていくのは一向に構わなかったが、幼いトォニィを寒風吹きすさぶこの家に、残してはいけなかった。
そう判断したボクは、有り金を強奪しトォニィを連れての脱出を図ったのだ。不幸なことにトォニィを連れ出すのは失敗してしまったが、、
事件は会社経営の青写真を覆すほどの大事件となってしまった。
野望と野心に溢れた両会社にとっては、大事の大事で、ボクへの両家の怒りは凄まじかった。いや本当に。人間って怖ろしいと思ったもの。般若集団と化していたから。警察沙汰にならなかったのが不思議なほどに。まあ体裁悪いものね。
実害はあっても会社に有益のないボクの存在は、当然のごとく廃嫡、勘当をもって一族から切り離された。彼等の基準はあくまでも自分達に有益をもたらすか否かであるから、造反を試みる者など要らないのだ。
勘当される事に不満はなかったが、トォニィを誘拐しかけた贖罪として、面会すら許されぬ身に陥った事は、筆舌に尽くし難い痛手だった。
ボクは悄然と項垂れるしかなかった。彼等はボクに実に有効で残酷な刑罰を思いついたものだ。ボクは自分の浅はかさを棚上げにして呪うまでになった。心底参ってしまった。今、思い出しても腸が煮えくり返る。
それを、他ならぬ幼いトォニィが打破してくれた。彼の保護者を説伏せ、こうして逢えるように算段してくれたのは、トォニィ自身だったんだ。
彼はまだほんの十歳でしかなかったにも拘わらず、知恵の限りを尽くしてくれた。この不遇を脱却すべく。
トォニィの下した決断は、居心地の大層悪い実家を離れるべく、遠方の有名進学校受験することであった。そこは難関中の難関と目される中高一貫の学校で、立派な寮が設備してあった。
トォニィの狙いはまさにその寮だった。
このままでは、いずれ何処かに放り込まれるのを勘づいていたのだろう。先手必勝、誰にも文句のつけようのない、良家のご令息が集う高名な進学校を選び出し、そこへ避難することで己を守ろうとした。
そして合格の暁には「長期休暇は叔父と過ごす」という約定まで取り付けたのだから、もう凄すぎて何も言えない。
実家の両親、兄達はトォニィの力量を見くびっていたに違いない。彼等は人を見る目が全くないから。どうせ落ちるだろうと高を括っていたに違いないのだ。でなきゃ、そんな約束するはずがないものね。
だが、トォニィは見事に合格した。焦った彼等の顔が見れず残念だったよ。
そうしてボクが懇願してやまなかったトォニィとの邂逅は、彼の合格後、迅速に果たされた。
彼はゆうに2年もの間、ただひたすら勉学に励んでいたという。ボクの軽挙妄動に恨み言1つ言わずに。
一人で黙々と戦ってくれていたのだ。
ボクはトォニィという少年の寛大さと寛容さ、何より確固たる意志の強さを思い知らされた。
いつも駄々をこねて甘える彼しか知らなかったボクは、雷に打たれたような衝撃を受けたんだ。
以来、彼は休みのたびにボクを訪れてくれる。
ボクの知る限り、恐らく彼は一度も実家に顔を出してはいないだろう。中学に合格してから丸3年と半年。
さすがにこれは、いけない。
定期的にボクはトォニィの近況を、彼の父に知らせている。手紙で。メールだと軽い気がして、でも電話は勘当されている身としては、気がひける。 そうボクは勘当中だから、、
勘当された身で、トォニィと合わせて貰えるのは破格の待遇だと感謝もしている。いくらトォニィと約束したからといっても、ボクの罪は大きいから。だからこそ、感謝の意をこめて、トォニィの様子や近況を手紙で知らせているのだが、、一度も返事が来たことがないんだ。手紙はいつもボクからの一方通行で。読んでくれてるのか時々不安になるほどだ。
何故、彼等はトォニィに無関心でいられるのだろう。無関心どころか非情とも呼べる態度に、ボクは憤りを抑えきれない。
事情があろうとも子供に罪はない。兄のトォニィに対する隔意が堪らない。トォニィの存在を無視する態度は許せない。
無理な政略結婚で、この事態を招きながら放置したままの両親に対しても、憤りが収まらない。仲介しようともしないのだから。
ボクがトォニィを拐ってまで、あの家から連れ出そうとした気持ちを、分かって貰えるだろうか。
ボクはとにかくトォニィが愛しい。彼はボクの宝だ。それは今も昔も同じだ。
彼が産まれた時から、ボクの全てはトォニィで一杯になった。トォニィがボクの隅々を占有している。
ボクが誰かを深く愛した人は、トォニィだけだ。彼がボクを構成していると言っても、過言ではないだろう。
だが、その愛情の在り方について、ボクは最近、戸惑いを覚えずにはいられないのだ。
ボクの考えすぎなのか判然としないのだが、正直にいって、ボクはトォニィが少し怖い。
いや怖いという表現は適切ではないかもしれない。
ボクは恐れているのだ。何処かしら未知なる方向へ、ボクらのありようが変わってきてるみたいで、、、
間違っていなければ、トォニィのボクへの愛情が何かしらの変遷を辿っているらしいのだ。あくまでも間違っていなければの話だが。
そしてボクはトォニィの愛情の方向性を、疑わざるをえない事実に遭遇した。昔から馴染み深い彼のキスが、最近、微妙なニュアンスを帯びているということだ。端的にいえば性的な匂いが感じられてしまうのだ。
それは受け取るボクの問題なのだろうか?彼はそんな気は全くなく、ボクが勝手に思索の渦にのまれてしまっているだけなのだろうか。
だとしたら明け方のキスは何だったのだろう。夕方、ボクを戒めて貪るようなキスをした説明はどうつけられるのだろう。
一体トォニィの身に何が起こっているのだろうか。
思春期の男の子は時折、こうした訳の解らない衝動に駆られるものなのか?目の前にたまたまボクがいただけなのか?わからない。
だとしても、それはそれで問題がありそうだ。彼は寮生活を送っているのだから。
男子校という特殊な環境がそうさせているのだろうか。だが近隣の女子高生と盛んに交流はあるというし、トォニィはその美貌と知性で人気を誇っているとも聞いている。
差し出し人の異なる手紙が、頻繁に実家から転送されてくることからも、トォニィは俗にいうモテモテの男の子なのは間違いなかった。
手紙か、、今どき手紙が山のように転送されてきた時は驚かされたが、、綿抜の住所は調べればすぐ分かるだろうから手紙がきても不思議ではない。何しろ国内有数の財閥だからね。でもトォニィは誰にもメアドを教えていないんだな。
しかも手紙を貰ってもつまらなそうに読んでいる。たまに、この文章は文学的だとか、字が綺麗だとか、どうでもいいような感想を述べるだけだ。
それで一度トォニィに尋ねた事があった。どうしてそんなに興味がないのかを。
そのとき、トォニィは面白くなさそうに言ったものだ。
━━「とにかく田舎なんだよ。やることが何もないの。男女交際か勉強するしかないってくらいにさ」
それでトォニィは勉学にのみ、勤しんでいるという事なのか?ボクが不審そうな顔をすると、困ったように訂正してきた。
━━「つまりさ、あんまり田舎で暇なもんだからアイドル?みたいなものが欲しいだけなんだよ。本気じゃなくてさ。ただ騒ぎたいだけなんだ。この手紙なんて誰のこと?って思うもん」
ボクは一応納得したふりをしたが、トォニィの心の奥底に根ざす問題の大きさに溜息がでた。
ボクが危惧していたように、彼は女性を信じられずにいるのだ。無理もない。加えて女性だけでなく、根底には人間不信も強く根付いているようだった。
親子間も男女間の愛情も、共に信じられないのだ。当然だろう。そうした環境でトォニィは育ってきたのだから。
でも皆がそうだとは思って欲しくない。たまたま不幸な偶然が彼を襲ったけれど。
愛情は尊いものだ。何とか愛情不信から脱却して欲しいんだ。これは酷な願いだろうか。ボクはこんなにもトォニィを愛しているだろう?
ああ、でも、ボクの愛し方に問題があったのだろうか。
そもそも、きちんと生活を営めないボクが、育児を行ったことが彼に悪影響を与えてしまったのだろうか。
ボクはトォニィの帰省のだびに住まいが変わっているほど、放蕩の道楽者だ。そうしたボクの気儘すぎる場当たり的行動が、彼の思考の闇に拍車をかけているのだろうか?
ああ。メールがきてる。夏休み2ヶ月はオフだと言ってあるのに。こんな瑣末なことに伺いをたてなくても良いのにな。
ボクは手紙を脇におくと、パソコンで簡単な指示を与えた。
トォニィには秘密にしているが、ボクは小さな会社の共同責任者を担っているんだ。対外折衝は友人が担当し、ボクは別の名前でプログラミングの開発実務を行っている。誰もボクの仕事は知らないはずだ。身バレ防止には万全の体制をとっているからね。
バレたら大事になるのは確実だから。それだけ綿貫の名前は重く厄介だということだ。どの分野にも多大な影響を及ぼす大会社だから。何処でどんな邪魔をされるか知れたものじゃないんだよ。
ボクは勘当中だし、今取り組んでいる仕事内容が、他社にとっては垂涎の代物であるのは間違いないから。
ボクは田舎家では実務仕事はしない。頭の中であーでもない、こーでもないと構想を練るだけだ。仕事は街中に構えた事務所で集中的に行っている。その時はもちろん、プラテーロも連れて行くよ。何日も徹夜で泊まり込んだりするからね。
でも端からみたら友人宅で遊んでいるように見えるかもね。なんせプラテーロも一緒だし、事務所は一軒家で友人が住んでいるから。
ボクが無職にみえるのも当然だろうな。
トォニィに何故隠しているのかって?うーん、説明が難しいな。強いていうなら、トォニィにボクの心配をしていて欲しいのかもね。生活の不安定な叔父を、あれこれ心配して貰いたいっていう我儘なのかもしれない。ボクって奴は30才もすぎておきながら、随分とガキな男なんだ。
何のかんのとトォニィの世話を焼きながら、同時にいつもボクを考えていて欲しいという、甘ったれた矛盾を抱えている。
皮肉な話だが、こうしたボクの欠点も、仕事には不可欠の要素になってもいる。気儘な生活や思いつきの行動が、発想の奇抜さや着眼点の良さに役立っているのだ。不思議なものだ。
またトォニィが時折、興信所でボクの素行調査を行っているのも知っている。なかなか有能な調査員で、ボクは撒くのに一苦労しているくらいだ。トォニィの業者選択眼が肥えてきたようで喜ばしい。怒らないのかって?とんでもない。ボクもトォニィについては、ぬかりなく調査しているからね。当たり前だろう?
今度の田舎暮らしの経緯をみても、いかにボクが思いつきで動いてしまうか分かるだろう。でも、ボクの困った性分をトォニィは面白がってくれる。彼は面白がれるという美点を備えているのだ。
ここに移り住んだ時も、衝動的に決めてしまった。一目で愛らしいロバとこの土地が気に入ったから。その日に家のリフォームと荒れ地をならす手配をしていたくらいだ。
友人知人達は耳の痛いを指摘をしてくるが、ボクのトォニィはそうじゃない。何度もいうが彼は寛大で寛容なのだ。諦観のような負の感情ではなく、容認する心を内包しているのだ。それは生まれつき備わっている彼の美徳の1つだろう。
ああでも、全てにおいて寛容という訳ではないな。概ね寛容というべきだろう。ボクの軽挙妄動も事業の失敗も、彼は責めるどころか慰めてくれた。四面楚歌の場で、彼は身体を張ってボクの味方についてくれた。
だが、いかな彼でも唯一許せないことがある。それはボクの女性関係だ。
ボクが親しくしていた女性は、ことごとく邪険に追い払っていた。どんな人でもね。完膚なきまでに叩き潰していた。
産まれた時からボクだけが、トォニィに寄り添っていたのだから、当然だろう。幼い彼はボクだけが全てであったのだから。自分の居場所を脅かす存在がいたら、誰だって全力で排除するものだ。
そしてボクもトォニィと彼女のどちらかを選べと問われたら、迷うまでもなくトォニィを選んでしまう。どんなに素敵で魅力的な女性であったとしてもだ。
トォニィと比べる事なんてできない。彼はボクを構成しついる大事な要素なのだから。
それがいけなかたのだろうか?
ボクが結婚もせず、ふらふらしていたからだろうか。女性とのきちんとした愛情関係を示してあげられなかったことも要因なのだろうか。
だがボクの愛情は常にトォニィが1番で、最優先してしまうんだ。その事で幾人もの女性に詰られたが、仕方ないじゃないか。ボクの全てはトォニィの幸福にあるのだから。
確かにボクはトォニィが愛しい。
だけどそこには恋情のような情慾は存在していない。たぶん。おそらく。
だから立ち往生してしまうのだ。
トォニィの微妙な変化に。どう接したら良いのか戸惑ってしまうんだ。
聡い彼はボクの狼狽を敏感に感じとっているようだ。あの日以来、過度の接触を避けている。夜もプラテーロの隣で毎晩、眠っている。
考えすぎなのだろうか。自意識過剰なのだろうか。トォニィのボクを見つめる瞳が、熱を帯びているように思えてならない。これは思春期特有の一過性の熱のようなものなのか。
ボクは考えなくてはならない。
トォニィはまだ少年だが、一人前のしっかりした自我を持っている。彼をあしらうような真似はしてはならない。真摯に応えなくてはならない。
だが何をどう応えるべきなのか。
ボクは考えなくてはならない。恐らく彼はボクに考えて欲しいと願っているだろうから。ボクの半分しか生きていない彼は、あらゆる面でボク以上に大人で我慢強いのだから。
この我慢強いという美徳の一つも、もしかしたら問題に拍車をかけているかもしれない。
トォニィは行き当たりばったりで動いたりしない。そこがボクとの大きな違いだ。彼は目的のためには努力を惜しまず、貫き通す意志の強さがある。そして何よりも辛抱強く待ち続けることができる。
地道に努力を続ける根気と粘りがある。一見して陶磁器の西洋人形のように美しいトォニィのどこに、そんな胆力があるのか?と信じられない者は多いだろう。だが見かけの華麗さを裏切り、頑迷な性格も持ち合わせている。
ほとんど人や物に執着はなく、金離れも良いだろう。ボクなんかが育てたのに、とんでもなく素敵な男性に育ちつつある。
ボクはトォニィの負担になるような期待は一切しなかった。ボクが期待に潰れてこんな大人になってしまったから。
彼には伸び伸び育って欲しかった。出自の不幸を笑い飛ばすくらいに。全身でボクの愛情を感じていて欲しかった。ボクの育て方はこの一点のみだ、
我慢の強いられる子だったから、ボクの前では素直でいて欲しかった。他人の前では優等生だけど、ボクの前では素直でいて欲しかった。我儘も駄々もボクだけにみせる感情で、そうした子供らしいトォニィを抱きしめるのが嬉しいほどだった。
トォニィはあれが欲しいとか、これじゃなきゃ嫌だという我儘はなかったから、、唯一、執着をみせたのはボクだけで、。ああ、そうだ。ボクだけ。
そこでボクはまた考え込んでしまうのだ。
出口のない迷路に迷い込んだみたいだ。
互いに唯一無二の存在であることは、疑いようもない。だけど両者間に微妙な齟齬があるのは、一体どうした訳なのだろう?
トォニィは命より大切であるのに、今のボクは少し彼が怖いのだ。
ボクはトォニィとの将来について、明確なビジョンを抱いた事はなかった。ボクはこの通り半端者だから、自分一人気儘に暮らしていければ、それで満足だったから。
誰にも迷惑をかけず、愛するトォニィの成長を見守りながら、生涯をまっとうできれば上出来だと思うくらいだ。立派な大人になったトォニィが、やり甲斐や生き甲斐を見つけて、幸せに暮らしていく事が、ボクの1番の望みなのだから。
ボクから巣立っていくのは寂しいけれど、それは自然の理だから。なにせトォニィは賢いし綺麗だし、文句なく有望な若者なのだ。だからボクは、ボクとトォニィの将来を一括りに考えたことはなかった。いや、考えないようにしていたんだ。
ボクがトォニィの負担や枷になりたくはないから。
だからボクは困惑してしまう。もしも彼が自分の将来設計にボクを入れていたとしたらと。
ボクはとんでもなくトォニィを愛しているから、いつまでも一緒にいたい。だが子供は大きくなって旅立っていくものなんだ。そしてたまさか元気な姿を見せてくれればいいんだ。ボクは立派になったトォニィに出会うたび驚くことだろう。あの小さかった天使がって。
そう、それでいいんだ。いい筈なんだ。彼はボクに恩義を感じているのだろうか。それでボクの老後なりを心配し、将来を考えたのだろうか。
それとも、、それとも別の意味合いがあるのだろうか、、
ボクはパソコンから離れると、放りだしていた招待状をまた手にとった。随分長いこと招待状とにらめっこしていたのだろう。トォニィの不審そうな声に我に返った。
「ねえ叔父さん、何か悪い知らせなの?」
ボクは慌てて首を横にふると、「別荘への招待状だよ」と肩を竦めた。
「別荘、、じゃあ伊集院さんからだね」
伊集院は昔からの友人であるが、ここの住所はまだ知らせていなかった。
「実家に住所を問い合わせたんだろうな。今年こそはトォニィを連れて遊びに来いって、しつこく書いてある」
「いつも予定が入って行けないでいたもんね」
それはトォニィとの2人きりの休暇を満喫したいから、さっさと予定を入れていたからなのだが。
さて今年はどうしようと躊躇っていると、「赤ん坊のとき、お世話になったんだよね。たまには遭わないと失礼かな」と、トォニィのしおらしい呟きが聞こえてきた。
ボクは驚いた。今まで彼はそうしたお誘いを婉曲に断ってきたからだ。不機嫌な表情からするに、不承不承というところだろうが、、随分大人になったものだとボクは微笑んだ。
「来ないのなら押しかけるとある」
ボクの言葉に、降参とばかりに両手をあげた。
「押しかけられて何日も滞在されたら堪らないよ。さっと行って、ササッと帰ってこようよ。プラテーロもいるんだしさ」
毎年の誘いを無下にも断れないと思ったのだろう。トォニィは妥協案を提示してきた。そうした心遣いが出来るようになったのかと、ボクはしみじみと嬉しくなった。
実家に顔出しする日も、そう遠くはないかもしれない。いつまでも絶縁めいた状態はトォニィのために良くない。勘当されているボクとは違い、彼にはちゃんとした家族がいるのだから。
「本家に行く気はないよ」
ボクの心情を察したのか、トォニィが冷淡に言い放った。
トォニィは父親のいる実家を本家と呼び、ボクの住処を実家と区別している。
ボクも彼のいう本家には、無理に連れて行こうとは思っていない。彼らがトォニィに与えた仕打ちは許せないからだ。そうせざるを得ない心境は分からなくもないが、小さなトォニィに絶対行ってはならない事だったから。
だから自然に任せておこうと思うのだが、溝は深まるばかりで絶望的な気持ちになってしまう。
勘当されたボクが両者の仲介など出来る筈もなく、どうしたものかと悩むだけの実情だ。
尚悪いことに、トォニィはボクの勘当を羨ましく思っている。あんな家と縁が切れるのはいいばかりだと、むしろ絶縁したがっている。
ボクが黙りこんでしまったので、トォニィが先程の声音の鋭さを詫びるように、ボクの首に腕を絡めてきた。
昔からの戯れた仕草だが、ボクは少しばかり緊張してしまった。ボクの身体の強張りを敏感に察したのか、トォニィはすぐに腕をほどき、コーヒーを入れにキッチンに向かった。
「ねぇ叔父さん、不思議なんだけど、どうしていつも招待状なのかな?電話やメールじゃなくて」
ボクは肩透かしをくらったような思いをしていた。トォニィがすぐに離れてしまったから。寂しく感じたんだ。それでいい筈なのに、寂しいだなんて、どうかしている。
「伊集院は演出好きだから、なにかと大仰にしたがるんだよ。小さなトォニィをレースで埋もれさせた事件を覚えているかい?」
まだ1歳に満たない頃の事件だ。もちろん記憶にはないだろうが、ボクが事あるごとに話していたから、事件の内容は知っている。
「僕の写真を何かの賞に応募しようとしたんだよね?」
「そうだ。〈天使の休日〉とかいうタイトルまで準備していた。花とレースでふわふわの箱に入れられたキミは、危うく溺れかけたんだよ。レースの海で!」
トォニィは可笑しそうにくすくす笑っているが、全く冗談ではすまされない。まだ高校1年の、それも赤ん坊を触ったこともない無骨な男共に、トォニィを拐われた恐ろしさといったら、、筆舌に尽くし難い。
それもあろう事か賞金狙いで!
敷き詰められた真綿やレースに埋もれているトォニィを発見したときは、僕の心臓は止まっていたに違いない。
後にも先にも人をぶったのは、この時が初めてだった。
以来、ボクは極力、伊集院達とトォニィの接触を避けるようにしてきたのだ。当然の処置だろう?
「行ったら、プラテーロは外か、納屋?みたいな所に繋がれちゃうよね、、」
「一緒の部屋に泊めるから心配いらないよ」
「でも、、伊集院さんは認めてくれても奥さんは嫌がるんじゃない?こんなことでプラテーロを嫌われたくないよ。そうだ。僕はテントでプラテーロと寝るよ」
「駄目だよ。どうしてもと言うなら、ボクがテントで寝るから」
トォニィはふふっと笑って、膝に顔を預けているプラテーロの頭を撫でた。
「どうせ叔父さん達は飲み会になるだろう?どっちみち僕とプラテーロだけになっちゃうし。でしょ?さあ、キャンプだぞ。プラテーロ」
トォニィと、彼の胸元に鼻を寄せているプラテーロを見やりながら、ボクは言い表し難い感情に襲われていた。彼らに抱きつきたい、抱きしめたい、その衝動をどうにか堪えていた。少し前のボクなら、躊躇なく行えていたはずなのに。
理由は分かっている。
トォニィとの接触により、言いようのない身体と感情の震えが生じるからだ。
その震えの正体も朧げながら悟ってもいた。それは過去に幾人かの女性との交際において感じたものと、同じ種類のものだった。
だからボクは戸惑ってしまうんだ。
ボクの懊悩など知らないトォニィが、呑気に尋ねてくる。
「二、三日で帰ったら失礼かなあ?」
汗ばんでるトォニィの首筋から、慌てて目を逸らすと、ボクは早口で言った。
「事前に約束していた訳じゃないから構わないだろう。プラテーロもいるし。夏休みも終盤だから宿題を持ち出せば、、そうだ。宿題はどうなってるの?どのくらい残ってる?」
「ご心配なく。とっくにおわしてるよ。毎日僕が勉強してるの見てるでしょ?」
可笑しそうに笑う良くできたトォニィは、ボクにオロオロ心配する保護者づらもさせてくれない。
「それより荷造りして、さっさと御勤めを終わらせちゃおうよ。叔父さん!」
その夜、ボクは伊集院に二泊させて貰うと連絡した。予想通り「たったの二泊?」とひどくがっかりして、「せめて三泊」と食い下がってきたのだが、ボクはトォニィの夏休みの課題と、新しく家族になったペットくんを持ち出して、やんわりと延泊を拒否した。伊集院はペットについては関心はないようで、犬か猫か鳥かうさぎかも尋ねはしなかった。驚くがいい。伊集院。
それでもずっと無沙汰だったトォニィの顔が見れると、大層喜んでくれ、ボクはトォニィを独占していた事に、些か胸が痛んだ。
そうだよね。ボクは長期休みには必ず会えるけど、彼らはもう何年も会ってないんだもんね。毎年、誘いを断ってきたから。それでも気にかけてくれていた気持ちが、とても嬉しかった。ごめん。反省しているよ。伊集院。
別荘の誘いを受けたのは、長年のご無沙汰を詫びる思いの他に、別の理由も絡んでいた。トォニィとの間に流れる甘やかな雰囲気が、この短い旅行で変わるかもしれないと期待したからだ。とても甘やかで、何かしら一触触発の危機をはらむ雰囲気の密度が、日増しに強くなっていたから。
早速、明日からお邪魔することになり、ボクとトォニィは荷造りをした。けど、わずか二泊だ。あっという間に荷造りは終わり、ボクらは明日の何時間もの運転に備えて、いつもより早目に寝ることにした。
早寝にすっかり慣れたボクの身体を、早速睡魔がそろそろと襲ってきた。まどろみながらボクはまだ、睡魔に囚われるわけにいかないと、意識の何処かが起きていた。
正直に告白するならば、ボクは期待して待っていたのだ。その甘美な時を気付かずに眠ってしまわないようにと。ボクはほとんど眠りに落ちながら待っていた。彼の唇を。
するり、とトォニィが静かに身を起こす気配がした。ボクは無意識に彼を迎え入れやすい方向へと、寝返りをうっていた。トォニィが指先でボクの前髪をいじってから、徐ろに唇を重ねてきた。これは毎晩のトォニィとボクの儀式になっていた。
初めは躊躇いがちだったトォニィだが、この頃は迷わずに唇付けを繰り返すのが常になった。小鳥のような軽く喋むようなキスに、ボクの方が物足りなくなり先に焦れてしまう。それを察したトォニィがやっと舌を差し入れてきて、深く舌を絡め合うのだ。
いけない!
と思いながらも、手足はもとより身体が痺れたように動かせないのだ。
ボクは寝たふりを装って、、そうしなければ、とても受け入れ難いキスに恍惚となってしまう。角度を変えて口づけされる度に、ぞくりと肌が泡立つ。幾度も幾度も繰り返される口づけは、回をおうごとに深さがまし、ボクは官能の灯火を抑えるのに必死になってしまう。
トォニィはとうに気付いている筈だ。ボクが起きていることを。でも眠っている間のことにして貰いたいんだ。ボク達は全く血の繋がりの無い他人とはいえ、世間的には叔父と甥で、その上、男同士なのだから。
ボクが僅かに身じろいで、ささやかな抵抗を示すと、敏感に察したトォニィが名残惜しそうに離れていった。
すこん!と急にボクは置いてきぼりにされたような寂しさに包まれた。自ら遠のけて置きながら、、本当にボクは身勝手だ。
だがそれすらもトォニィは察してくれて、ボクを両手できつく抱きしめてくれた。それから掠れた声で「おやすみ」と囁くのだ。
今さら寝たふりを止める事もできないボクは、ただただトォニィに身を委ねる他なかった。抱きしめられている心地良さにうっとりしていると、トォニィがふっと微笑むのを感じた。目を瞑っていてもボクにはわかる。少し切なく何処か切羽詰まったような大人びた微笑み。時折、日向の中でその瞳に出くわすと、ボクはどぎまぎしてしまうよ。それから如何してそんな眼差しでボクを見つめるのかと、胸が詰まってしまうのだ。
綺麗で成績も性格も良いトォニィ。キミは何か勘違いをしているだけなんだ。キミ程魅力的な男の子は、そうざらにはいないよ。間違いなくね。だからボクなんかにかまけているのは、一時の気の迷いにすぎないんだよ。いずれ分かる時がくるだろう。キミは自分の魅力や才覚についての認識が低すぎる。その気になれば、素晴らしい美人も才気に溢れる素敵な女性をも惹きつけられるというのに。キミはその事に全く気づいてもいない。
それは、、ボクがキミを縛り付けてしまったから?ボクがキミを手放せずにいるから?だとしたら、、ああ、ボクは、、どうしたら、、
最後に軽く触れるだけのキスを残して、トォニィは毛布を持ってプラテーロの隣へと移動した。ここに来てからの全ての夜を、トォニィはプラテーロの側で過ごしていた。
本来ならボクがそうすべきなのだろうが、こうした手順が出来上がってしまうと、それを覆す上手い口実が見つからない。その手順のなかには、ボクがトォニィの唇を待ち望んでいるどうしようもない事実があって、、、
一体どこで歯車が狂ってしまったのだろうかと、途方にくれてしまう。
続く
別荘地で有名なN市で彼等はいつも夏を過ごしているのだが、ボクはついぞ訪ねたことはなかった。
今年も是非トォニィと共に遊びに来て欲しいとある。それから、来ないのなら押しかけると、いつになく強行な文面で結んであり、ボクは密かに眉をしかめた。来ると言うなら来る可能性は高い。有言実行の人達だ。
いつもは無理やり旅行の予定を組み込んで、招待を断るところなのだが、、今年は家へ来るという。ならばさっさと出かけてしまえば良いのだが、、、今から予約のとれる滞在地などあるだろうか。夏休み前半ならともかく、後半は落ち着いて過ごしたい。宿題も山程あるだろうし。
ボクは困惑してしまった。
彼等の狙いはボクの可愛いトォニィであるのは疑いようもない。常々ボクの昔馴染み達は、ボクがトォニィを独占していると非難している。確かにそうなのだがね。
何しろトォニィは可愛らしい。素晴らしい天使なのだから。誰もが逢いたくて堪らなくなるのは当然だ。
だがしかし、彼は寮生だ。長期の休みでもない限り、なかなかゆっくりとは逢えない。だからボクはこの貴重な時間を、何ものにも邪魔されず謳歌したいのだ。トォニィも同じ気持ちのはずだ。間違いなく。
本当に貴重な、もしかしたら永遠に逢えなかったかもしれない時間なのだから。
ボクには以前、家の金庫からお金を強奪し幼いトォニィを誘拐しかけた前科がある。ボクが暴挙に走った直接の原因は、押しつけられた政略結婚を打破することにあった。ボクは会社のための婚姻など願い下げであったから、ボクの結婚不履行が会社に及ぼす不利益など、一切顧みなかった。無論、相手側のこれからの展望や試算などボクには無関係な事だった。
しかし、こうした事態を招いた以上、このまま実家に居ることは出来ない。出ていくのは一向に構わなかったが、幼いトォニィを寒風吹きすさぶこの家に、残してはいけなかった。
そう判断したボクは、有り金を強奪しトォニィを連れての脱出を図ったのだ。不幸なことにトォニィを連れ出すのは失敗してしまったが、、
事件は会社経営の青写真を覆すほどの大事件となってしまった。
野望と野心に溢れた両会社にとっては、大事の大事で、ボクへの両家の怒りは凄まじかった。いや本当に。人間って怖ろしいと思ったもの。般若集団と化していたから。警察沙汰にならなかったのが不思議なほどに。まあ体裁悪いものね。
実害はあっても会社に有益のないボクの存在は、当然のごとく廃嫡、勘当をもって一族から切り離された。彼等の基準はあくまでも自分達に有益をもたらすか否かであるから、造反を試みる者など要らないのだ。
勘当される事に不満はなかったが、トォニィを誘拐しかけた贖罪として、面会すら許されぬ身に陥った事は、筆舌に尽くし難い痛手だった。
ボクは悄然と項垂れるしかなかった。彼等はボクに実に有効で残酷な刑罰を思いついたものだ。ボクは自分の浅はかさを棚上げにして呪うまでになった。心底参ってしまった。今、思い出しても腸が煮えくり返る。
それを、他ならぬ幼いトォニィが打破してくれた。彼の保護者を説伏せ、こうして逢えるように算段してくれたのは、トォニィ自身だったんだ。
彼はまだほんの十歳でしかなかったにも拘わらず、知恵の限りを尽くしてくれた。この不遇を脱却すべく。
トォニィの下した決断は、居心地の大層悪い実家を離れるべく、遠方の有名進学校受験することであった。そこは難関中の難関と目される中高一貫の学校で、立派な寮が設備してあった。
トォニィの狙いはまさにその寮だった。
このままでは、いずれ何処かに放り込まれるのを勘づいていたのだろう。先手必勝、誰にも文句のつけようのない、良家のご令息が集う高名な進学校を選び出し、そこへ避難することで己を守ろうとした。
そして合格の暁には「長期休暇は叔父と過ごす」という約定まで取り付けたのだから、もう凄すぎて何も言えない。
実家の両親、兄達はトォニィの力量を見くびっていたに違いない。彼等は人を見る目が全くないから。どうせ落ちるだろうと高を括っていたに違いないのだ。でなきゃ、そんな約束するはずがないものね。
だが、トォニィは見事に合格した。焦った彼等の顔が見れず残念だったよ。
そうしてボクが懇願してやまなかったトォニィとの邂逅は、彼の合格後、迅速に果たされた。
彼はゆうに2年もの間、ただひたすら勉学に励んでいたという。ボクの軽挙妄動に恨み言1つ言わずに。
一人で黙々と戦ってくれていたのだ。
ボクはトォニィという少年の寛大さと寛容さ、何より確固たる意志の強さを思い知らされた。
いつも駄々をこねて甘える彼しか知らなかったボクは、雷に打たれたような衝撃を受けたんだ。
以来、彼は休みのたびにボクを訪れてくれる。
ボクの知る限り、恐らく彼は一度も実家に顔を出してはいないだろう。中学に合格してから丸3年と半年。
さすがにこれは、いけない。
定期的にボクはトォニィの近況を、彼の父に知らせている。手紙で。メールだと軽い気がして、でも電話は勘当されている身としては、気がひける。 そうボクは勘当中だから、、
勘当された身で、トォニィと合わせて貰えるのは破格の待遇だと感謝もしている。いくらトォニィと約束したからといっても、ボクの罪は大きいから。だからこそ、感謝の意をこめて、トォニィの様子や近況を手紙で知らせているのだが、、一度も返事が来たことがないんだ。手紙はいつもボクからの一方通行で。読んでくれてるのか時々不安になるほどだ。
何故、彼等はトォニィに無関心でいられるのだろう。無関心どころか非情とも呼べる態度に、ボクは憤りを抑えきれない。
事情があろうとも子供に罪はない。兄のトォニィに対する隔意が堪らない。トォニィの存在を無視する態度は許せない。
無理な政略結婚で、この事態を招きながら放置したままの両親に対しても、憤りが収まらない。仲介しようともしないのだから。
ボクがトォニィを拐ってまで、あの家から連れ出そうとした気持ちを、分かって貰えるだろうか。
ボクはとにかくトォニィが愛しい。彼はボクの宝だ。それは今も昔も同じだ。
彼が産まれた時から、ボクの全てはトォニィで一杯になった。トォニィがボクの隅々を占有している。
ボクが誰かを深く愛した人は、トォニィだけだ。彼がボクを構成していると言っても、過言ではないだろう。
だが、その愛情の在り方について、ボクは最近、戸惑いを覚えずにはいられないのだ。
ボクの考えすぎなのか判然としないのだが、正直にいって、ボクはトォニィが少し怖い。
いや怖いという表現は適切ではないかもしれない。
ボクは恐れているのだ。何処かしら未知なる方向へ、ボクらのありようが変わってきてるみたいで、、、
間違っていなければ、トォニィのボクへの愛情が何かしらの変遷を辿っているらしいのだ。あくまでも間違っていなければの話だが。
そしてボクはトォニィの愛情の方向性を、疑わざるをえない事実に遭遇した。昔から馴染み深い彼のキスが、最近、微妙なニュアンスを帯びているということだ。端的にいえば性的な匂いが感じられてしまうのだ。
それは受け取るボクの問題なのだろうか?彼はそんな気は全くなく、ボクが勝手に思索の渦にのまれてしまっているだけなのだろうか。
だとしたら明け方のキスは何だったのだろう。夕方、ボクを戒めて貪るようなキスをした説明はどうつけられるのだろう。
一体トォニィの身に何が起こっているのだろうか。
思春期の男の子は時折、こうした訳の解らない衝動に駆られるものなのか?目の前にたまたまボクがいただけなのか?わからない。
だとしても、それはそれで問題がありそうだ。彼は寮生活を送っているのだから。
男子校という特殊な環境がそうさせているのだろうか。だが近隣の女子高生と盛んに交流はあるというし、トォニィはその美貌と知性で人気を誇っているとも聞いている。
差し出し人の異なる手紙が、頻繁に実家から転送されてくることからも、トォニィは俗にいうモテモテの男の子なのは間違いなかった。
手紙か、、今どき手紙が山のように転送されてきた時は驚かされたが、、綿抜の住所は調べればすぐ分かるだろうから手紙がきても不思議ではない。何しろ国内有数の財閥だからね。でもトォニィは誰にもメアドを教えていないんだな。
しかも手紙を貰ってもつまらなそうに読んでいる。たまに、この文章は文学的だとか、字が綺麗だとか、どうでもいいような感想を述べるだけだ。
それで一度トォニィに尋ねた事があった。どうしてそんなに興味がないのかを。
そのとき、トォニィは面白くなさそうに言ったものだ。
━━「とにかく田舎なんだよ。やることが何もないの。男女交際か勉強するしかないってくらいにさ」
それでトォニィは勉学にのみ、勤しんでいるという事なのか?ボクが不審そうな顔をすると、困ったように訂正してきた。
━━「つまりさ、あんまり田舎で暇なもんだからアイドル?みたいなものが欲しいだけなんだよ。本気じゃなくてさ。ただ騒ぎたいだけなんだ。この手紙なんて誰のこと?って思うもん」
ボクは一応納得したふりをしたが、トォニィの心の奥底に根ざす問題の大きさに溜息がでた。
ボクが危惧していたように、彼は女性を信じられずにいるのだ。無理もない。加えて女性だけでなく、根底には人間不信も強く根付いているようだった。
親子間も男女間の愛情も、共に信じられないのだ。当然だろう。そうした環境でトォニィは育ってきたのだから。
でも皆がそうだとは思って欲しくない。たまたま不幸な偶然が彼を襲ったけれど。
愛情は尊いものだ。何とか愛情不信から脱却して欲しいんだ。これは酷な願いだろうか。ボクはこんなにもトォニィを愛しているだろう?
ああ、でも、ボクの愛し方に問題があったのだろうか。
そもそも、きちんと生活を営めないボクが、育児を行ったことが彼に悪影響を与えてしまったのだろうか。
ボクはトォニィの帰省のだびに住まいが変わっているほど、放蕩の道楽者だ。そうしたボクの気儘すぎる場当たり的行動が、彼の思考の闇に拍車をかけているのだろうか?
ああ。メールがきてる。夏休み2ヶ月はオフだと言ってあるのに。こんな瑣末なことに伺いをたてなくても良いのにな。
ボクは手紙を脇におくと、パソコンで簡単な指示を与えた。
トォニィには秘密にしているが、ボクは小さな会社の共同責任者を担っているんだ。対外折衝は友人が担当し、ボクは別の名前でプログラミングの開発実務を行っている。誰もボクの仕事は知らないはずだ。身バレ防止には万全の体制をとっているからね。
バレたら大事になるのは確実だから。それだけ綿貫の名前は重く厄介だということだ。どの分野にも多大な影響を及ぼす大会社だから。何処でどんな邪魔をされるか知れたものじゃないんだよ。
ボクは勘当中だし、今取り組んでいる仕事内容が、他社にとっては垂涎の代物であるのは間違いないから。
ボクは田舎家では実務仕事はしない。頭の中であーでもない、こーでもないと構想を練るだけだ。仕事は街中に構えた事務所で集中的に行っている。その時はもちろん、プラテーロも連れて行くよ。何日も徹夜で泊まり込んだりするからね。
でも端からみたら友人宅で遊んでいるように見えるかもね。なんせプラテーロも一緒だし、事務所は一軒家で友人が住んでいるから。
ボクが無職にみえるのも当然だろうな。
トォニィに何故隠しているのかって?うーん、説明が難しいな。強いていうなら、トォニィにボクの心配をしていて欲しいのかもね。生活の不安定な叔父を、あれこれ心配して貰いたいっていう我儘なのかもしれない。ボクって奴は30才もすぎておきながら、随分とガキな男なんだ。
何のかんのとトォニィの世話を焼きながら、同時にいつもボクを考えていて欲しいという、甘ったれた矛盾を抱えている。
皮肉な話だが、こうしたボクの欠点も、仕事には不可欠の要素になってもいる。気儘な生活や思いつきの行動が、発想の奇抜さや着眼点の良さに役立っているのだ。不思議なものだ。
またトォニィが時折、興信所でボクの素行調査を行っているのも知っている。なかなか有能な調査員で、ボクは撒くのに一苦労しているくらいだ。トォニィの業者選択眼が肥えてきたようで喜ばしい。怒らないのかって?とんでもない。ボクもトォニィについては、ぬかりなく調査しているからね。当たり前だろう?
今度の田舎暮らしの経緯をみても、いかにボクが思いつきで動いてしまうか分かるだろう。でも、ボクの困った性分をトォニィは面白がってくれる。彼は面白がれるという美点を備えているのだ。
ここに移り住んだ時も、衝動的に決めてしまった。一目で愛らしいロバとこの土地が気に入ったから。その日に家のリフォームと荒れ地をならす手配をしていたくらいだ。
友人知人達は耳の痛いを指摘をしてくるが、ボクのトォニィはそうじゃない。何度もいうが彼は寛大で寛容なのだ。諦観のような負の感情ではなく、容認する心を内包しているのだ。それは生まれつき備わっている彼の美徳の1つだろう。
ああでも、全てにおいて寛容という訳ではないな。概ね寛容というべきだろう。ボクの軽挙妄動も事業の失敗も、彼は責めるどころか慰めてくれた。四面楚歌の場で、彼は身体を張ってボクの味方についてくれた。
だが、いかな彼でも唯一許せないことがある。それはボクの女性関係だ。
ボクが親しくしていた女性は、ことごとく邪険に追い払っていた。どんな人でもね。完膚なきまでに叩き潰していた。
産まれた時からボクだけが、トォニィに寄り添っていたのだから、当然だろう。幼い彼はボクだけが全てであったのだから。自分の居場所を脅かす存在がいたら、誰だって全力で排除するものだ。
そしてボクもトォニィと彼女のどちらかを選べと問われたら、迷うまでもなくトォニィを選んでしまう。どんなに素敵で魅力的な女性であったとしてもだ。
トォニィと比べる事なんてできない。彼はボクを構成しついる大事な要素なのだから。
それがいけなかたのだろうか?
ボクが結婚もせず、ふらふらしていたからだろうか。女性とのきちんとした愛情関係を示してあげられなかったことも要因なのだろうか。
だがボクの愛情は常にトォニィが1番で、最優先してしまうんだ。その事で幾人もの女性に詰られたが、仕方ないじゃないか。ボクの全てはトォニィの幸福にあるのだから。
確かにボクはトォニィが愛しい。
だけどそこには恋情のような情慾は存在していない。たぶん。おそらく。
だから立ち往生してしまうのだ。
トォニィの微妙な変化に。どう接したら良いのか戸惑ってしまうんだ。
聡い彼はボクの狼狽を敏感に感じとっているようだ。あの日以来、過度の接触を避けている。夜もプラテーロの隣で毎晩、眠っている。
考えすぎなのだろうか。自意識過剰なのだろうか。トォニィのボクを見つめる瞳が、熱を帯びているように思えてならない。これは思春期特有の一過性の熱のようなものなのか。
ボクは考えなくてはならない。
トォニィはまだ少年だが、一人前のしっかりした自我を持っている。彼をあしらうような真似はしてはならない。真摯に応えなくてはならない。
だが何をどう応えるべきなのか。
ボクは考えなくてはならない。恐らく彼はボクに考えて欲しいと願っているだろうから。ボクの半分しか生きていない彼は、あらゆる面でボク以上に大人で我慢強いのだから。
この我慢強いという美徳の一つも、もしかしたら問題に拍車をかけているかもしれない。
トォニィは行き当たりばったりで動いたりしない。そこがボクとの大きな違いだ。彼は目的のためには努力を惜しまず、貫き通す意志の強さがある。そして何よりも辛抱強く待ち続けることができる。
地道に努力を続ける根気と粘りがある。一見して陶磁器の西洋人形のように美しいトォニィのどこに、そんな胆力があるのか?と信じられない者は多いだろう。だが見かけの華麗さを裏切り、頑迷な性格も持ち合わせている。
ほとんど人や物に執着はなく、金離れも良いだろう。ボクなんかが育てたのに、とんでもなく素敵な男性に育ちつつある。
ボクはトォニィの負担になるような期待は一切しなかった。ボクが期待に潰れてこんな大人になってしまったから。
彼には伸び伸び育って欲しかった。出自の不幸を笑い飛ばすくらいに。全身でボクの愛情を感じていて欲しかった。ボクの育て方はこの一点のみだ、
我慢の強いられる子だったから、ボクの前では素直でいて欲しかった。他人の前では優等生だけど、ボクの前では素直でいて欲しかった。我儘も駄々もボクだけにみせる感情で、そうした子供らしいトォニィを抱きしめるのが嬉しいほどだった。
トォニィはあれが欲しいとか、これじゃなきゃ嫌だという我儘はなかったから、、唯一、執着をみせたのはボクだけで、。ああ、そうだ。ボクだけ。
そこでボクはまた考え込んでしまうのだ。
出口のない迷路に迷い込んだみたいだ。
互いに唯一無二の存在であることは、疑いようもない。だけど両者間に微妙な齟齬があるのは、一体どうした訳なのだろう?
トォニィは命より大切であるのに、今のボクは少し彼が怖いのだ。
ボクはトォニィとの将来について、明確なビジョンを抱いた事はなかった。ボクはこの通り半端者だから、自分一人気儘に暮らしていければ、それで満足だったから。
誰にも迷惑をかけず、愛するトォニィの成長を見守りながら、生涯をまっとうできれば上出来だと思うくらいだ。立派な大人になったトォニィが、やり甲斐や生き甲斐を見つけて、幸せに暮らしていく事が、ボクの1番の望みなのだから。
ボクから巣立っていくのは寂しいけれど、それは自然の理だから。なにせトォニィは賢いし綺麗だし、文句なく有望な若者なのだ。だからボクは、ボクとトォニィの将来を一括りに考えたことはなかった。いや、考えないようにしていたんだ。
ボクがトォニィの負担や枷になりたくはないから。
だからボクは困惑してしまう。もしも彼が自分の将来設計にボクを入れていたとしたらと。
ボクはとんでもなくトォニィを愛しているから、いつまでも一緒にいたい。だが子供は大きくなって旅立っていくものなんだ。そしてたまさか元気な姿を見せてくれればいいんだ。ボクは立派になったトォニィに出会うたび驚くことだろう。あの小さかった天使がって。
そう、それでいいんだ。いい筈なんだ。彼はボクに恩義を感じているのだろうか。それでボクの老後なりを心配し、将来を考えたのだろうか。
それとも、、それとも別の意味合いがあるのだろうか、、
ボクはパソコンから離れると、放りだしていた招待状をまた手にとった。随分長いこと招待状とにらめっこしていたのだろう。トォニィの不審そうな声に我に返った。
「ねえ叔父さん、何か悪い知らせなの?」
ボクは慌てて首を横にふると、「別荘への招待状だよ」と肩を竦めた。
「別荘、、じゃあ伊集院さんからだね」
伊集院は昔からの友人であるが、ここの住所はまだ知らせていなかった。
「実家に住所を問い合わせたんだろうな。今年こそはトォニィを連れて遊びに来いって、しつこく書いてある」
「いつも予定が入って行けないでいたもんね」
それはトォニィとの2人きりの休暇を満喫したいから、さっさと予定を入れていたからなのだが。
さて今年はどうしようと躊躇っていると、「赤ん坊のとき、お世話になったんだよね。たまには遭わないと失礼かな」と、トォニィのしおらしい呟きが聞こえてきた。
ボクは驚いた。今まで彼はそうしたお誘いを婉曲に断ってきたからだ。不機嫌な表情からするに、不承不承というところだろうが、、随分大人になったものだとボクは微笑んだ。
「来ないのなら押しかけるとある」
ボクの言葉に、降参とばかりに両手をあげた。
「押しかけられて何日も滞在されたら堪らないよ。さっと行って、ササッと帰ってこようよ。プラテーロもいるんだしさ」
毎年の誘いを無下にも断れないと思ったのだろう。トォニィは妥協案を提示してきた。そうした心遣いが出来るようになったのかと、ボクはしみじみと嬉しくなった。
実家に顔出しする日も、そう遠くはないかもしれない。いつまでも絶縁めいた状態はトォニィのために良くない。勘当されているボクとは違い、彼にはちゃんとした家族がいるのだから。
「本家に行く気はないよ」
ボクの心情を察したのか、トォニィが冷淡に言い放った。
トォニィは父親のいる実家を本家と呼び、ボクの住処を実家と区別している。
ボクも彼のいう本家には、無理に連れて行こうとは思っていない。彼らがトォニィに与えた仕打ちは許せないからだ。そうせざるを得ない心境は分からなくもないが、小さなトォニィに絶対行ってはならない事だったから。
だから自然に任せておこうと思うのだが、溝は深まるばかりで絶望的な気持ちになってしまう。
勘当されたボクが両者の仲介など出来る筈もなく、どうしたものかと悩むだけの実情だ。
尚悪いことに、トォニィはボクの勘当を羨ましく思っている。あんな家と縁が切れるのはいいばかりだと、むしろ絶縁したがっている。
ボクが黙りこんでしまったので、トォニィが先程の声音の鋭さを詫びるように、ボクの首に腕を絡めてきた。
昔からの戯れた仕草だが、ボクは少しばかり緊張してしまった。ボクの身体の強張りを敏感に察したのか、トォニィはすぐに腕をほどき、コーヒーを入れにキッチンに向かった。
「ねぇ叔父さん、不思議なんだけど、どうしていつも招待状なのかな?電話やメールじゃなくて」
ボクは肩透かしをくらったような思いをしていた。トォニィがすぐに離れてしまったから。寂しく感じたんだ。それでいい筈なのに、寂しいだなんて、どうかしている。
「伊集院は演出好きだから、なにかと大仰にしたがるんだよ。小さなトォニィをレースで埋もれさせた事件を覚えているかい?」
まだ1歳に満たない頃の事件だ。もちろん記憶にはないだろうが、ボクが事あるごとに話していたから、事件の内容は知っている。
「僕の写真を何かの賞に応募しようとしたんだよね?」
「そうだ。〈天使の休日〉とかいうタイトルまで準備していた。花とレースでふわふわの箱に入れられたキミは、危うく溺れかけたんだよ。レースの海で!」
トォニィは可笑しそうにくすくす笑っているが、全く冗談ではすまされない。まだ高校1年の、それも赤ん坊を触ったこともない無骨な男共に、トォニィを拐われた恐ろしさといったら、、筆舌に尽くし難い。
それもあろう事か賞金狙いで!
敷き詰められた真綿やレースに埋もれているトォニィを発見したときは、僕の心臓は止まっていたに違いない。
後にも先にも人をぶったのは、この時が初めてだった。
以来、ボクは極力、伊集院達とトォニィの接触を避けるようにしてきたのだ。当然の処置だろう?
「行ったら、プラテーロは外か、納屋?みたいな所に繋がれちゃうよね、、」
「一緒の部屋に泊めるから心配いらないよ」
「でも、、伊集院さんは認めてくれても奥さんは嫌がるんじゃない?こんなことでプラテーロを嫌われたくないよ。そうだ。僕はテントでプラテーロと寝るよ」
「駄目だよ。どうしてもと言うなら、ボクがテントで寝るから」
トォニィはふふっと笑って、膝に顔を預けているプラテーロの頭を撫でた。
「どうせ叔父さん達は飲み会になるだろう?どっちみち僕とプラテーロだけになっちゃうし。でしょ?さあ、キャンプだぞ。プラテーロ」
トォニィと、彼の胸元に鼻を寄せているプラテーロを見やりながら、ボクは言い表し難い感情に襲われていた。彼らに抱きつきたい、抱きしめたい、その衝動をどうにか堪えていた。少し前のボクなら、躊躇なく行えていたはずなのに。
理由は分かっている。
トォニィとの接触により、言いようのない身体と感情の震えが生じるからだ。
その震えの正体も朧げながら悟ってもいた。それは過去に幾人かの女性との交際において感じたものと、同じ種類のものだった。
だからボクは戸惑ってしまうんだ。
ボクの懊悩など知らないトォニィが、呑気に尋ねてくる。
「二、三日で帰ったら失礼かなあ?」
汗ばんでるトォニィの首筋から、慌てて目を逸らすと、ボクは早口で言った。
「事前に約束していた訳じゃないから構わないだろう。プラテーロもいるし。夏休みも終盤だから宿題を持ち出せば、、そうだ。宿題はどうなってるの?どのくらい残ってる?」
「ご心配なく。とっくにおわしてるよ。毎日僕が勉強してるの見てるでしょ?」
可笑しそうに笑う良くできたトォニィは、ボクにオロオロ心配する保護者づらもさせてくれない。
「それより荷造りして、さっさと御勤めを終わらせちゃおうよ。叔父さん!」
その夜、ボクは伊集院に二泊させて貰うと連絡した。予想通り「たったの二泊?」とひどくがっかりして、「せめて三泊」と食い下がってきたのだが、ボクはトォニィの夏休みの課題と、新しく家族になったペットくんを持ち出して、やんわりと延泊を拒否した。伊集院はペットについては関心はないようで、犬か猫か鳥かうさぎかも尋ねはしなかった。驚くがいい。伊集院。
それでもずっと無沙汰だったトォニィの顔が見れると、大層喜んでくれ、ボクはトォニィを独占していた事に、些か胸が痛んだ。
そうだよね。ボクは長期休みには必ず会えるけど、彼らはもう何年も会ってないんだもんね。毎年、誘いを断ってきたから。それでも気にかけてくれていた気持ちが、とても嬉しかった。ごめん。反省しているよ。伊集院。
別荘の誘いを受けたのは、長年のご無沙汰を詫びる思いの他に、別の理由も絡んでいた。トォニィとの間に流れる甘やかな雰囲気が、この短い旅行で変わるかもしれないと期待したからだ。とても甘やかで、何かしら一触触発の危機をはらむ雰囲気の密度が、日増しに強くなっていたから。
早速、明日からお邪魔することになり、ボクとトォニィは荷造りをした。けど、わずか二泊だ。あっという間に荷造りは終わり、ボクらは明日の何時間もの運転に備えて、いつもより早目に寝ることにした。
早寝にすっかり慣れたボクの身体を、早速睡魔がそろそろと襲ってきた。まどろみながらボクはまだ、睡魔に囚われるわけにいかないと、意識の何処かが起きていた。
正直に告白するならば、ボクは期待して待っていたのだ。その甘美な時を気付かずに眠ってしまわないようにと。ボクはほとんど眠りに落ちながら待っていた。彼の唇を。
するり、とトォニィが静かに身を起こす気配がした。ボクは無意識に彼を迎え入れやすい方向へと、寝返りをうっていた。トォニィが指先でボクの前髪をいじってから、徐ろに唇を重ねてきた。これは毎晩のトォニィとボクの儀式になっていた。
初めは躊躇いがちだったトォニィだが、この頃は迷わずに唇付けを繰り返すのが常になった。小鳥のような軽く喋むようなキスに、ボクの方が物足りなくなり先に焦れてしまう。それを察したトォニィがやっと舌を差し入れてきて、深く舌を絡め合うのだ。
いけない!
と思いながらも、手足はもとより身体が痺れたように動かせないのだ。
ボクは寝たふりを装って、、そうしなければ、とても受け入れ難いキスに恍惚となってしまう。角度を変えて口づけされる度に、ぞくりと肌が泡立つ。幾度も幾度も繰り返される口づけは、回をおうごとに深さがまし、ボクは官能の灯火を抑えるのに必死になってしまう。
トォニィはとうに気付いている筈だ。ボクが起きていることを。でも眠っている間のことにして貰いたいんだ。ボク達は全く血の繋がりの無い他人とはいえ、世間的には叔父と甥で、その上、男同士なのだから。
ボクが僅かに身じろいで、ささやかな抵抗を示すと、敏感に察したトォニィが名残惜しそうに離れていった。
すこん!と急にボクは置いてきぼりにされたような寂しさに包まれた。自ら遠のけて置きながら、、本当にボクは身勝手だ。
だがそれすらもトォニィは察してくれて、ボクを両手できつく抱きしめてくれた。それから掠れた声で「おやすみ」と囁くのだ。
今さら寝たふりを止める事もできないボクは、ただただトォニィに身を委ねる他なかった。抱きしめられている心地良さにうっとりしていると、トォニィがふっと微笑むのを感じた。目を瞑っていてもボクにはわかる。少し切なく何処か切羽詰まったような大人びた微笑み。時折、日向の中でその瞳に出くわすと、ボクはどぎまぎしてしまうよ。それから如何してそんな眼差しでボクを見つめるのかと、胸が詰まってしまうのだ。
綺麗で成績も性格も良いトォニィ。キミは何か勘違いをしているだけなんだ。キミ程魅力的な男の子は、そうざらにはいないよ。間違いなくね。だからボクなんかにかまけているのは、一時の気の迷いにすぎないんだよ。いずれ分かる時がくるだろう。キミは自分の魅力や才覚についての認識が低すぎる。その気になれば、素晴らしい美人も才気に溢れる素敵な女性をも惹きつけられるというのに。キミはその事に全く気づいてもいない。
それは、、ボクがキミを縛り付けてしまったから?ボクがキミを手放せずにいるから?だとしたら、、ああ、ボクは、、どうしたら、、
最後に軽く触れるだけのキスを残して、トォニィは毛布を持ってプラテーロの隣へと移動した。ここに来てからの全ての夜を、トォニィはプラテーロの側で過ごしていた。
本来ならボクがそうすべきなのだろうが、こうした手順が出来上がってしまうと、それを覆す上手い口実が見つからない。その手順のなかには、ボクがトォニィの唇を待ち望んでいるどうしようもない事実があって、、、
一体どこで歯車が狂ってしまったのだろうかと、途方にくれてしまう。
続く
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