僕のこと、ぼくの事を話そうか

はらひろ

文字の大きさ
上 下
2 / 7

〈第一章 僕のこと② 透編〉

しおりを挟む
 夕方、たっぷり遊んだプラテーロは自分から水飲み場へいくと物凄い勢いで、がふがふと水をたらふく飲んだ。玄関脇の足洗い場に設置してある2つの水桶は、あっという間に空になった。僕は桶をざっと洗ってから、新しく水を注いでおく。いつでも好きな時に飲めるようにね。信じられるかい?井戸水ってまだ存在してるんだよ。とても新鮮でどことなく甘いような味なんだ。僕の思い込みかもしれないけどさ。
 僕は土埃だらけのヒヅメを雑巾で拭いてから、プラテーロを家に入れた。早速、彼は壮介の傍に駆け寄り、甘えた様子で晩ご飯をねだり始めた。
 「こらこら、もうすぐだからね。いい子だから邪魔しないで」
 なだめながら頭を撫でる壮介の声は、甘く弾んでおり、僕は何となく不機嫌になっていた。
 「僕がプラテーロにご飯をあげて言い?」
 そう言うなり、僕は壮介が準備している皿を取り上げた。野菜と果物がおもな夕食だった。
 「ロバって飼い葉がご飯じゃないの?」
 僕が素朴な゙疑問を口にすると、「何でも食べるよ」と壮介が笑った。
 「草は日中さんざん食んだからね。ビタミンも取らないと、何でもバランスよく食べる。これは人もロバも同じだよ」
 僕は笑って頷くと、プラテーロのために林檎を切り始めた。でもプラテーロは僕が彼のために作業しているとは、思ってもいないらしく、いつまでも壮介の傍にじゃれついて離れない。エプロンの紐を銜えては引っ張って遊んでいる。僕はだんだんと不愉快になり、夕食の皿に取り除いた林檎の芯を、わざと忍ばせてやった。本当に大人げないとは思うんだけど、何だか妬けちゃってさ。どうして僕は壮介のことになると、こんなに狭量になってしまうんだろう。
 何も知らないプラテーロは、お皿を床に置くとやはり物凄い勢いで、がふがふと食べ始めた。その旺盛な食欲は、彼がまだまだ若いロバであることを示し、昼間たっぷり遊んだ子供のような愛らしさがあった。
 つくん、と僕の胸が痛んだ。プラテーロも幼いうちに家族と引き離され、それどころか余りの小ささに、仲間からも飼い主からも邪険にされていたという。出会ったばかりの頃は、本当に怯えておどおどしていたそうだ。ご飯を用意しても、なかなか口にしようとはせず、隅っこでブルブル震えていたというプラテーロ。壮介に拾ってもらい、やっと幸せを掴んだプラテーロ。
 僕と同じだ。僕が1番君を理解してあげられるのに、僕ときたら卑しい嫉妬で、きみに嫌がらせをするなんて。最低だ。ああ僕は最低野郎だ。ごめんよ、プラテーロ。

 4ヶ月ぶりの壮介の手料理は、僕の好物ばかりだった。壮介特製の手作りハンバーグ、これはソースが抜群に美味しいんだ。それから、クリームチーズ入りのマッシュかぼちゃ。人参の白和えになめこおろし。和洋折衷の一見してバラバラなメニューだけどね。僕の好物を覚えていてくれて、手間のかかる料理をしてくれるって、本当に嬉しいよね。白和えなんて擂り鉢でクルミをごりごりして作ってくれるんだから。壮介は僕に関しては極力手抜きはしないんだ。自分1人の時はカップ麺だったりするのに。疲れてるときは僕もカップ麺でいいのに。無理をしちゃうんだよ。僕は申し訳ないと思いながら、嬉しくて仕方ない。単純なんだけど、それだけで僕は愛されてるって実感するんだ。とても幸福になるんだよ。愛されてる実感って、震えるくらい嬉しいよね。
 だから僕は食事中、プラテーロが壮介の膝に頭をのせて、うとうとしているのを我慢している。何しろ相手は2歳のロバだ。まだ子供のロバなんだからね。いい加減にしろ僕。僕は僕を叱りつけた。
 食事の間中、壮介の僕への質問は尽きない。僕は問われるままに学校のこと授業のこと、寮生活の話をする。
 「ホテルは新しく清潔だけど、可もなく不可もなくって感じかな?ここみたいに生活感ってものはないなあ、無味乾燥な感じでさ。寮の建物がそういう印象を与えるんだよね」
 僕が寮についてそう感想を告げると、壮介は始め怪訝そうな顔で聞いていたが、ふうむと感心したような相槌を打った。
 中学の寮より高校の寮は新しいから、壮介は興味を唆られたみたいだ。
 「寮がホテルとはね。言い得て妙なのかな。昔とは随分と違っているんだなあ」
 「叔父さん。寮に入ってたの?」
 僕は驚いた。壮介と昔風の寮は、いまいち似合わない気がしたしね。
 「ボクの友人が入っていてね。うん高校1年生の頃だった。時々遊びに行ってたんだよ。木造で隙間風だらけのオンボロ寮だった。あの頃でも珍しい昔の寮だったよ。最後の名残だったろうね。風呂なんてないから銭湯通いだったんだよ。トォニィは覚えてないかい?連れていった事があるんだよ。ちょうどボクが君くらいの頃だった」
 「すると僕は1歳くらいだよね。ムリだよ。そんなに小さな頃の記憶なんて」
 僕が呆れて言うと、壮介は見せびらかして僕を連れまわっていたのだと、自慢気に微笑んだ。
 「ボクは小さな天使に夢中だったからね。ハイハイをして、やっとタッチができる頃だった。美術部がぜひモデルにさせてくれって頼んできたけど、もちろん断ったよ。トォニィを人目に晒すなんて、とんでもない事だからね」
 「見せびらかしていたのに?」僕が可笑しそうに茶々をいれると、壮介は片眉をあげてニヤリとした。
 「自慢したいけど、絵という占有物に愛らしい天使を閉じ込められるのは、堪らなく辛かったんだよ。その上、さらに不特定多数の瞳に晒されるなんて、、とんでもない話だ。トォニィはボクだけの天使だからね。今も美しい大切なボクの天使だ」
 これ、壮介は本気で言ってるんだよ。僕はいつも、壮介の賛辞に身の置きどころのない羞恥と、こそばゆい嬉しさを感じるんだ。
 壮介はボクだけの天使と言ってくれるが、実際のところは、僕が壮介以外を拒絶したため、付きっ切りで僕の世話をするしかなかったらしい。これは古参の使用人たちが、口を揃えて教えてくれた。乳児の頃から僕は壮介だけを求めていたんだ。苦労をかけて申し訳ないと思うが、壮介の溺愛ぶりも凄まじかったらしい。誰にも僕を触らせない徹底ぶりだったという。
 壮介なしではいられなかった僕は、駄々をこねて彼の登校を阻み、結果、出席日数の不足を憂いた先生方が、特別に赤ん坊連れの授業参加を認めたという逸話すらある。
 僕はひどく不幸な出自であったが、この上なく幸福な赤ん坊でもあったのだ。
 しかし今、憂うべき事態に直面した。壮介の惜しみない愛情が2分割されつつある。
 プラテーロ、ああ僕は本当にどうかしている。16歳といったら、壮介が僕を育て始めた年齢だというのに。プラテーロと張り合おうとするなんて。僕の精神年齢は未だ幼児なみだ。そのくせ情慾ばかりが肥大し、身体だけが大人になってしまっている。
 そんな僕の煩悩など知らない壮介は、のんびりと食後のお茶を啜っていた。
 「今日は疲れたろう。何せこんな田舎に引っ越してしまったから。お風呂で汗を流しておいで。今日は内風呂を使うからね」
 内風呂?僕は首を傾げた。壮介は穏やかに微笑んで「もう1つお風呂があるんだよ」と、悪戯っぽく眼を輝かせた。
 「でも、それは次回のお楽しみだよ。さあ入っておいで」と僕が追求する前に、ひらりとかわした。
 「荷持は和室に運んであるけど、パジャマも歯ブラシも用意してあるから。荷解きは明日にするといいよ。その間に布団を敷いておくよ。トォニィ、布団で寝るのは初めてだろう?」
 壮介は初めての布団を面白がってから、今度は布団で良く眠れるかな?と心配を始めた。僕は大丈夫だよと、苦笑した。
 「寝付けなかったら、ちゃんと言うんだよ。ベッドを買いに行くから」
 と至極真面目な顔つきで言われ、僕は神妙に頷かざるを得なかった。
 壮介は昔も今も些細なことまで心配する。本気で本当にそうなんだ。だからうっかり迂闊なことは言えない。僕がベッドがいいと言ったら、間違いなく明日には、スプリングのきいた上質のベッドが、和室の一角に設えられることだろう。本が読めるようにライト付きかもしれない。
 僕は壮介に構って貰えるのは嬉しいのだけれど、これ以上子供扱いもされたくはない。その辺が彼は分かっていないんだ。彼はまるで過保護な母親のようなのだから。
 ところで僕は、布団という言葉に心臓がドクンと波打った。あの二間続きの和室に、布団が並べて敷かれるのだろうか。そう考えると居ても立っても居られない。別々の部屋に一組ずつ敷いてくれると、有り難いのだけど。もう高校生だ。大人として扱ってくれるかもしれない。僕はお風呂に向かいながら、祈るような思いだった。
 つい最近まで一緒のベッドで寝ていたのに、急に離れたいと言ったら、壮介はどんな顔をするだろう。傷つくだろうか。寂しがるだろうか。それとも、それとも僕の劣情に気がついて慌てるだろうか。
 僕はもちろん壮介と一緒に寝たい 。だがその意味合いはここ数年で、随分と様変わりしてしまったんだ。そうもちろん一緒に眠りたい。だけど、ただ眠るだけじゃもう満足できないんだ。僕はこの夏、衝動を抑える自信が全くなかった。      

 バスタブに浸かったら、疲労が一気に僕を包んだ。昨夜は気を揉んでいたし、始発の新幹線に飛び乗ったのだから、殆ど寝ていなかった。加えて壮介と逢えた喜びに、心が踊り舞い上がりすぎていたみたいだ。
 僕はやってきた。あの人の傍らにまた戻ることが出来たのだ。
 僕がお風呂からあがると、ダイニングキッチンの明かりは消され、薄暗い間接照明に変わていた。和室も足元にある小さな灯りが、暗がりの中、薄ぼんやりと浮かんでいた。
 台所の片隅から、プラテーロの規則正しい寝息が聴こえてくる。まだ9時だったが、この子のために早目に寝ているのだろう。ロバの寝る時間なら、遅いくらいかもしれないな。
 汗がひくのを待って僕はパジャマに着替えた。壮介は入れ替わりにお風呂に入っている。
 僕は素早く、用意された布団に目を配った。二間続きの片方には、僕が送った荷持が置かれていた。荷持といっても大した量じゃない。勉強道具と着替え程度だ。その部屋は仕事部屋らしく、本棚やパソコンが設置されていた。ダイニングにはプラテーロがいるから、仕事は此処だけで行っているのだろう。彼がじゃれて飛び跳ねたりしたら、散乱すること間違いないからね。
 問題は布団だった。自然と片側の部屋が寝室となるため、6畳の畳の上に二組の布団が敷かれてあった。6畳の部屋に二組の布団。狭い部屋に二組の、、、ぴったりくっついてるようなものだ。僕は頭を抱えずにいられなかった。同室に二組の布団。30センチの隙間が何の役に立つというのか。
 湯船でまどろんでいた身体が、一気に覚醒した。ああ、僕はこの2ヶ月上手くやれるだろうか。忍耐の限界をこえ、事に及んでしまいそうだ。
 ふうっと大きな溜息をつくと、隅で丸くなってるプラテーロを眺めた。始めは怯えてなかなか寝付けなかったというプラテーロ。
 ふいに僕はプラテーロに林檎の芯を与えてしまった事を思い出した。小さなプラテーロがお腹を壊したらどうしよう。だけど、こんな不安、壮介には言えない。僕の卑しい行為を知られたくなかったから。僕は卑怯でずるいヤツだ。 
 でもプラテーロは大丈夫だろうか。冷静に考えれば平気だと思うけれど、育てているのは、あの壮介だ。今日の耽溺ぶりからも、過保護一杯に世話しているだろう。芯なんて食べた事、ないんじゃないか?厳重に保護されて育ったプラテーロの胃袋は、ちょっとした異物に過敏に反応してしまうかもしれない。僕は何て事をしてしまったのだろう。生い立ちの可哀相なプラテーロに。
 僕が悶々と悩んでいると、壮介が腰にタオルを巻いたままの姿で現れた。
 「おや、トォニィ、パジャマの丈が短ったみたいだね。足が長いなあ」
 湯上がりの壮介をまともに見れず、僕はそっと目を逸らした。
 「夏だから涼しくって丁度いいくらいだよ」
 そう言っておかないと、壮介は新しいパジャマを買ってきてしまうからね。本当なんだよ。
 「暗くしてゴメンネ。プラテーロは此処で寝るから電気を消さないと。でも和室の襖を閉めれば、光が漏れないから平気だよ」
 そう言って襖を閉めようとしたので、僕は慌ててその手を止めた。
 6畳和室に二組の布団。そんな所に2人きりなんて危険極まりない。
 「昨日は殆ど寝てないから、もう休むよ。叔父さん先に寝ていて」 
 「そう?それじゃ、これを飲んだら休もうかな」
 壮介は冷蔵庫からポカリと缶ビールを取り出すと、ポカリを僕にわたし、ビールをプシュッっと開けた。
 「ずいぶん健康的だね」
 「そうだね。かなり健康的な生活だよ。実に規則正しい」
 それから壮介は弱めに設定してあったエアコンを止めた。プラテーロが風邪をひくといけないからね、と片目をつぶってみせながら。
 でもクーラーなんて本当に必要ないんだよ。ここは高地で涼しかったから。窓を開ければ夏の健やかな風が吹き抜けて、気持ちが良かった。
 「風がひんやりしてる。爽やかな風だね」
 僕がそういうと、嬉しそうに壮介が抱きしめてきた。まだ湿り気のある僕の髪に両手の指を絡ませて、顔を埋めた。いつもの就寝の儀式だ。だけどその儀式に身体が強張ってしまうのはどうしようもない。
 何も知らない壮介は「逢いたかった。ボクのトォニィ」と、呟いて満足気に僕を抱きしめた。
 この4ヶ月もの僕の不在が、いかに哀しく寂しかったかを嘆いて、僕を大いに喜ばせた。僕も同じ気持ち、いやそれ以上だったからね。
 壮介は僕の実体を十分に確認し堪能すると、さあ休もうかと、布団へと向かった。僕は慌てて「ポカリを飲んだら」とグズグズと言い訳をして、台所の椅子に座った。壮介はふんわりと、お休みと微笑んだ。
 まだ夜の9時だったから、僕が起きていたいと思ったのだろう。
 僕は壮介が和室に去った後、プラテーロを眺めていた。
 彼はとても可愛い。今ここにプラテーロがいてくれて、本当にありがたかった。僕は壮介と2人きりになるのは、嬉しいけど怖かったんだ。僕たちの緩衝役に、上手くなってくれるといいのだけれど。
 僕はプラテーロに近づき規則正しい寝息に安心する。林檎の芯は胃の中で暴れてはいないようだ。だけど油断はできない。
 僕は一瞬ためらった後、毛布を押入れから引っ張り出し、プラテーロの横に敷いた。くるりと身体が冷えないように、毛布を巻き込みながら、プラテーロに身体を寄せる。くく、くうと寝言らしき声を漏らしながら、僕の気配を感じたのか、彼も身体を擦り寄せてきた。
 「きみは誰と間違えているの?」
 親兄弟だろうか、それとも仲間のロバ達?もしかしたら壮介と思っているのかもしれないね。きっとそうだろう。何せきみはたった2歳の子供で、壮介がこんな小さな子を独り寝させる訳がないもの。人肌に慣れていそうな様子から僕は確信する。うん、間違いない。だとしても僕はもう焼き餅なんか妬かないよ。だってきみが居てくれてくれて、嬉しいし助けられているんだもの。それに、、きみはとっても可愛い。可愛いプラテーロ。


     ………………………


 田舎の朝って、こんなにも清々しかったんだ。
 僕は眩しい日差しで目が覚めた。カーテンもブラインドもないダイニングの窓からは、早起きの小鳥達のさえずりと、新しい1日を知らせる眩い光が降り注いでいた。僕は目を擦りながら時計をみる。なんと4時半だった。朝の4時半。こんなに早くから1日の準備が始まっているとは。いったい誰が知り得よう?僕の知っている4時半は、いまだ深夜の種類に属するのだから。
 それがどうだい?ここでは爽やかな早朝なんだ。
 プラテーロも起き出して、鼻ヅラを僕の胸にしきりに押し付けてくる。おはようの挨拶なのかもしれないね。僕も「おはよう」と言って彼の首筋をなでてやる。すると眠り足りたはずのプラテーロが、またうっとりと瞳を閉じた。おやおや。
 懸案事項だった林檎の芯は、プラテーロの胃袋を攻撃しなかったようだ。僕は安堵しつつ身体を起こした。
 藁の上に毛布を敷いて寝るのは初めてだったけど、思ったより寝心地は悪くなかった。というより良かった。藁が適度なクッションとなっているんだ。僕は大きく伸びをすると、タイムカプセルから目覚めた人間みたいに、真新しい生活の1ページを送るべく外に踏み出した。

 「おはようトォニィ。随分と早起きしたんだね」
 壮介がパジャマのまま、まだ眠たそうに近寄ってきた。僕も「おはよう」と応えながら、まだ寝てて良かったのにと笑った。
 「ここに来てから早起きになったんだよ。でも今日は負けちゃったな」
 「ねえ、これは何という花?」
 足元の朝露に揺れる雑草について尋ねた。青い小さな小花がたくさん地面を覆っていた。
 「おおいぬのふぐりだよ。丈夫な草花だ。あっちの白い花がハコベ」
 「プラテーロが食べても平気?」
 昨夜、林檎の芯で散々心配した僕は、何よりその事が気がかりになった。
 「優しいトォニィ、平気だよ。ハコベは鳥もついばむからね。この辺りに毒性のある植物はなかったけど、念のため芝生に変えただけだから。変えたんだけど、、でも柵の向こうから延びてくるんだよなあ。雑草って生命力が強いんだねえ」
 壮介はプラテーロのために、植物図鑑を読み漁ったに違いない。心配性の壮介。彼は食の安全にはとても神経質なんだ。でもそれは自分自身に向けられる事はなく、もっぱら僕専門で(今はプラテーロも入っている)、僕としては自分をもっと大切にして欲しいと心配になってしまう。壮介は自分について、あまりに無頓着すぎるから。
 僕も敷地内に生えている野草について、調べる決意をした。プラテーロは僕達の大切な家族になった。家族の健康を守るのは僕の責任でもある。何もかも壮介に任せきりは、もうしないんだ。もう子供じゃないんだから。
 「昨夜はプラテーロと眠ったんだね。夜泣きはしなかった?」
 「ううん、すやすや眠ってたよ」
 まさか林檎の芯が心配で、付き添っていたとは言えない。
 「夜中に鳴いたりするの?」
 「まだ子供だからね。僕が来るまで、たった独りぼっちで取り残されていたから。食べ物もろくに貰えなくて。きっと心細くなってしまうんだろうね。もっと早くに助けてあげたかった」
 「可哀相なプラテーロ」
 僕が同情をこめて溜息をつくと、「可愛くて優しいトォニィ」と壮介が抱きしめてきた。もちろん僕は嬉しいのだけれど、身体が固まるのは致し方ない。
 「叔父さんが添い寝をしてあげてたの?」
 壮介は悪戯っぽく微笑み、「ボクが側にいたかったんだよ」と白状した。僕の機嫌を損ねないように、抱きしめる腕に力が込められた。
 「分かるだろうトォニィ。君がいなくてボクは寂しくてしょうがなかった。あの子は可愛いうえに、とても小さいし」
 僕は「プラテーロに嫉妬なんてしないよ。する理由ないじゃない」と壮介を少し睨んだ。内心、壮介の鋭さにドキッとしたけど。
 全くもって自分が情けなくなったよ。ロバに対抗意識を持つなんて。それも可哀相な小さなプラテーロに。そんな心の狭い男だったのか、僕ってヤツは。
 「良かったよ。もう仲良しになったんだね」壮介は嬉しそうにしてたけどさ。
 「ボクのほうがプラテーロに嫉妬してしまいそうだなあ。やっと逢えたトォニィを独り占めしちゃうんだから」
と、真面目な顔で言うもんだから、思わず僕は笑ってしまった。
 ああ、なんて似たもの同士の2人なんだろう。でも僕の方がきっと何倍も壮介を想ってる。
 二度寝から目覚めたプラテーロがやってきた。寝坊すけプラテーロ。やれやれ、ロバのきみが僕らより寝坊するなんて。キミにはロバの自覚があるのかい?
 だんだんと目が覚めてきたプラテーロが飛び跳ねながら、柵の内側をぐるぐる回っている。全速力で走ったら、狭いかもしれないな。と無邪気に走り寄ってくる彼の背中を撫でながら、プラテーロが快適に過ごせる環境に考えを巡らせた。僕は壮介に似てきたみたいだ。

 こんな風にして僕の夏休みは始まった。壮介と僕とプラテーロの夏だ。真っ青な眩しい空が、僕の前途を祝ってくれているみたいだった。
 この夏休みは、これまで過ごしたどの夏よりも健康的だ。
 そう、健康的。健康的すぎて僕は16歳という、思春期の強い健康的性衝動を抑えるのに苦労していた。苦労と模索の健康的な夏休み。
 無防備に素肌を晒して、僕の隣で寝転がっている壮介の姿態は、罪以外の何ものでもない。僕は懸命に煩悩と闘っていた。
 そして僕は、、この夏に想いのたけを告白する覚悟を決めた。僕の深い愛情を訴え懇願し、彼に受け入れて欲しかった。
 だってこんな我慢と辛抱を続けられる自信がなかったから。その一方でこのままでいるべきだと、もう一人の僕が警告もしていた。今までの関係が僕の言動や行動で壊れてしまうのを、恐れてもいたから。
 僕の全ては壮介でしかなく、僕は壮介しか要らない。これまでもこれからも。
 だが果たして壮介は、どう思っているのだろうか。僕を愛しているのは間違いない。愛なんて簡単な言葉じゃ表せないくらいに、僕を思ってくれている。それは実感としてある。だけどその思いは母親のようなものに限りなく近いのも事実なのだ。無償の愛には違いないのだか、如何せん、僕との愛の種類が異なるのだ。僕は家族としての愛はもちろんだが、情慾を掻き立てる対象として、彼を愛している。
 いつから愛のベクトルが変わったのだろう。
 問題は、そう問題は壮介の愛が、家族愛でしかないことだ。僕への性欲は少しもないのかな?望みはあるのかな?頑張ってアピールすれば、、壮介の僕を見る目が変わってくれるだろうか。
 僕の年頃にオムツを変えて、その手で育ててきた子だ。自分の子供と呼んでも変わらない。しかも僕は男で同性だ。さらに何度も言うが僕の背は、ぐんぐん伸びている。せめて僕が華奢ななりだったら、僅かでも可能性はあったのかな。大きくならないプラテーロみたいに。でも現実の僕は成長期の真っ盛りで、どれだけ伸びるか分からない。明らかにゲルマンの血が通った身体が、真価を発揮するならば、僕の身長は190センチ位までいくだろう。
 万事休す。詰んだ。
 僕が難しい顔で考えこんでいると、壮介が「どうしたんだい?」と顔を覗き込んできた。
 ああ、顔を近づけないで。
 壮介の唇の感触を思い出してしまうから。そう、白状するなら僕はここに来てから、夜な夜な壮介の唇を盗んでいるのだ。
 壮介の眠りは深いから、少しの事では彼は目を覚まさない。それをいい事に僕は壮介が寝入ってから、いつもそうっと唇を重ねているんだ。
 壮介の唇は以前のような乾いた感触じゃなかった。ここでの規則正しい生活が肌に潤いをもたらしているのかな。柔らかくてしっとりしてるんだ。僕はいつも、うっとりしてしまうんだよ。すごく素敵でさ。最近は、壮介の唇をもっと楽しみたくて、端から端までゆっくりと形をなぞるように押したりしてね。今朝なんて熟睡しているのをいい事に、僕は舌でそっと唇を舐めてみたんだ。そうしたら壮介が、ううんって気持ち良さそうに溜息をついてさ。それで、それで2枚合わせの貝が開いたんだ。ちょっと迷ったけど誘惑には勝てなかった。これは明け方の夢ってことで、僕はおそるおそる舌を差し入れてしまったんだよ。そうしたら壮介が僕の舌に舌を絡ませてきて。
 心臓が飛び出るかと思った。憤死しそうだったよ。いやマジで。
 僕はディープなキスって初めてだったんだけど、あんなに素敵で陶酔的だなんて思いもしなかった。想像を軽く超えていたよ。
 僕は夢中で唇を貪ってしまった。恥ずかしいけど。壮介の漏れ出る喘ぎ声が、僕の情慾を強く刺激してさ。堪らなかった。もう理性なんて飛んでたんじゃないかな?
 プラテーロの「ひん」って寝ぼけ声がなかったら、襲っていたかもしれない。ヤバすぎる。僕は自分の理性がこんなにも弱かったなんて、びっくりしたんだ。
 とにかくこれ以上、壮介の側にいるのは危険すぎた。慌ててプラテーロの処に避難した。プラテーロは薄目をあけて僕を認めると、身体をずらしてくれた。いい子なんだ。
 彼のぽわぽわの毛を触っていると、僕の沸騰した情念が静まるんだ。そして僕は丸くなって眠りに落ちる。朝、壮介に起こされるまで。
 
 「どうしたんだい?トォニィ」
 僕はハッと夢想から覚めた。いけない。最近トリップしている事が多くなっている。そこで思いついた疑問を口にした。
 「当分は、ここで暮らすの?」
 壮介は引っ越し魔だ。気に入れば直ぐに移ってしまう。だけど今回からはプラテーロがいる。簡単には引っ越せないだろうな。
 「そういう事になるね」
 壮介が面白そうに笑った。
 僕は壮介の唇に目が惹きつけられ、彼が今朝のキスを覚えているか表情を探ってみる。
 分からない。どうにも掴めない。
 壮介ってばポーカーフェイスがうまいんだ。お金を持ち逃げするときも、僕を連れ出したときも、会社を潰してしまった時も、誰1人気がつかなかった位だからね。
 でも、ほんのりと頬が上気して見えるのは気のせいかな。僕の願望かな。それとも暑さのせいかな。

 壮介はここ1年、休業中だ。働いてもいないし、株も投資も何もしていない。貯金を潰してぶらぶら暮らしてる。本人いわく「充電中」なのだそうだ。僕としても、ずっと充電中でいてほしい。普通は逆に思うんだろうけど。
 だって壮介だよ。家事全般は万能だけど、商売やお金絡みの事はさっぱりだからね。だから僕は早く大人になって、彼を養い支えてあげたいんだ。だから荒稼ぎをして貯金に励んでる。
 将来、壮介に生活の心配なんてさせるつもりなんてない。そのため僕は学業にも励んでる。
 本音をいえば僕の奥さんになって貰いたい。だから僕は努力は惜しまないよ。学力だって財力だって、人並み以上に持つつもりだ。夏休みだからといって、だらけたりしていない。ここに来てからも、毎日勉強はかかさない。2人の、今は2人と1頭の将来のためだからね。
 「ねえ叔父さん、ここでの暮らしは初めてがたくさんあるね」
 「トォニィがそう言ってくれて嬉しいよ。プラテーロもいるし、とても充実しているな。今度は麓まで遠出をしようか」
 壮介は冒険好きな子供のように、目を輝かせた。


 
 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...