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第6章 契約の見直し
第7話 付け入る隙は与えない
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「おはよう、二人とも」
「おっすー」
「どもでーす」
翌日、健斗は普通に出勤していた。先日から周囲の健斗に対する目線はあまり変わっておらず、二股男を蔑むものばかりだ。しかし玲との計画を胸に秘めている健斗は、それらを全く意に介さない。あまりにも堂々としている彼の様子に、オフィスは若干戸惑いの空気が流れ始めていた。
ふと小里が健斗の手を見る。健斗は普段アクセサリーを身に着けたりしないのだが、とある理由により彼の指に大事に身に着けている物が一つ、オフィスの蛍光灯を反射して輝きを放っていた。小里と聡一は事前に聞いてはいたのだが、実物を見たことでようやく実感を得たようではー、と感嘆の息を漏らす。
「うっわー……、半日でこれって行動力どうなってるんですか。今までのやきもきは何だったんですかほんと」
「今まで本当にじれったくて仕方なかったのになー、俺もビビったぜー……」
「これまで気を使わせ続けて悪かったな。お前らに俺の気持ちはずっと筒抜けだったんだろうし」
「自分の大根役者っぷりをしっかりと自覚したんですねー」
「今もまだ動きが演技臭いぞー」
「いや、今は何も演技していないんだが……」
オフィス内の雰囲気は、どよめきがずっと渦巻いている。しかし当の本人達は全く気にしていない。まるで台風の目の様な穏やかさだった。
「悪いと思っているのなら、例の約束お願いしますよー」
「俺もだぞー、色つけといてくれよー」
「現金主義だなお前ら……」
健斗と玲の間に行われた契約の見直しについては、二人にも既に周知済みである。そして計画の事を理解した上で、別の契約も了承済みである。二人の軽口にやれやれと言いながら、健斗は自分の席についた。
「しっかし、俺たちの知らない内にそんな計画を立てていたとはなー。俺たちも乗るしかない、このビ……」
「佐々木先輩、それもう古いんで今すぐ埋め直して来てください」
「後輩に俺のワードセンスが化石扱いされた!? ……しかし戸村、このネタを拾ったお前も同類だぜ!」
「いやーっ! だから先輩の同類は嫌だーっ!」
玲は在宅勤務のため、騒がしい二人を窘める者はいない。いつもならストッパーとなっている健斗も、今はただ見ているだけだった。
仕事時間が始まってから数時間、健斗は軽く伸びをして立ち上がる。自分の手元を確認して二人から目線を送られているのを感じながら歩きだした。
「ちょっと休憩行ってくる」
「行ってらっしゃーい、ごゆっくりー」
「ほーい、リラックスしていけよー」
「……ああ、ありがとな」
聡一と小里は健斗がこれから何をしに行くか知っている。暗にエールを送ってくれた事に感謝しつつ、休憩室へと向かう。道中に見える経理部の方を見ると、案の定彼女と目が合う。すぐに目を逸らして健斗は歩いていく。休憩室には誰もいなかった。別に誰かがいたところで支障はない。健斗は話をつけるために、敢えて彼女をついてこさせたのである。
「音無さーん」
「岡本さん、やっぱりついて来ましたか」
「そりゃあこれから同じ部の仲間になるんですから、挨拶はしておきたいじゃないですかー」
冷ややかな目を向ける健斗に、実子はやはり動じすに愛嬌たっぷりの笑顔を見せてくる。本性を知っている健斗からすれば寒気ものである。
「今日は冷女さんも来ていないみたいですしー、諦めて私と来てくれる気になってくれたんですねー?」
「岡本さん、あくまで玲さんをその渾名で呼ぶのは止めないんですね。皆呼ぶのを止めていますよ?」
「だって私に対してはずぅーっと冷たいままなんですよー? 酷いと思いませんかー?」
「そうですか、俺にはとっても温かくしてくれるんですけどね」
口調を装いながら玲を貶す彼女の言葉に、健斗は怯まずに返す。実子も笑みを崩さずに健斗との距離を詰めていく。体を密着させて逃げ場を無くし、健斗の左手に指を絡めた所で、何か硬い輪のような物が彼の薬指につけてあることに気が付いた。
「え……? お、音無さん。その指輪は……?」
「え、ああ。結婚指輪の事ですか」
「けっ!?」
初めて、彼女の笑みが崩れた。健斗の左手薬指には、昨日までは付けていなかったはずの結婚指輪だった。それも安物ではなく立派な指輪であり、健斗が大事そうにつけている事から疑いようがない本物である。休憩室にわざわざ実子を誘い込んだ目的は、彼女にこれを見せつけるためだったのだ。流石の実子もこれには動揺している。
「い、いつの間にそんなものを……相手は一体」
「誰なんですか、って? そんなの決まってますよ」
健斗は思い切り息を吸い込み、休憩室の外にも響く大声で宣言した。
「俺は玲さん一筋なんで!」
「っ!?」
これは健斗の二股疑惑を打ち消すための宣言だった。声はオフィスの一部にも届き、数分経たずに話は広まっていった。
「それに婚姻届も記入済みですから。岡本さん、今後はあんな風に既婚の男をベタベタ触っちゃ駄目ですよ?」
「そ、それは……」
社内では評判の高い実子には、既婚の男性を略奪などという真似をすればどうなるかがすぐに理解できた。これ以上健斗に付きまとえば、健斗の評価以前に実子自身の立場が危うくなるだろう。そこまで思い至った彼女は健斗からバッと距離を離した。実子が顔を顰め出したこの状況で、健斗は更に話を続ける。
「あと、俺は経理部には異動しませんよ」
「っ!? な、何を言っているんですか? 異動届はもう受理されているんですよー?」
「もう、その届けは意味が無くなるんですよ」
「い、一体何を言って……」
婚姻届は部署異動についての問題解決にはならない。それに気づいた実子だが、全く物怖じしない健斗の勢いに完全に押されてしまっている。健斗は、玲と交わしたもう一つの契約内容を実子に突き付けた。
「俺と玲さんは近々、この会社を辞めて独立するんですよ。端的に言うと、もう会社辞めるんで」
「……はい?」
もう一つの大事な契約、それは会社から独立するという計画である。健斗が勝手に異動させられてしまう事に対して、二人が出した答えは、どの部にも所属しない、だった。
「おっすー」
「どもでーす」
翌日、健斗は普通に出勤していた。先日から周囲の健斗に対する目線はあまり変わっておらず、二股男を蔑むものばかりだ。しかし玲との計画を胸に秘めている健斗は、それらを全く意に介さない。あまりにも堂々としている彼の様子に、オフィスは若干戸惑いの空気が流れ始めていた。
ふと小里が健斗の手を見る。健斗は普段アクセサリーを身に着けたりしないのだが、とある理由により彼の指に大事に身に着けている物が一つ、オフィスの蛍光灯を反射して輝きを放っていた。小里と聡一は事前に聞いてはいたのだが、実物を見たことでようやく実感を得たようではー、と感嘆の息を漏らす。
「うっわー……、半日でこれって行動力どうなってるんですか。今までのやきもきは何だったんですかほんと」
「今まで本当にじれったくて仕方なかったのになー、俺もビビったぜー……」
「これまで気を使わせ続けて悪かったな。お前らに俺の気持ちはずっと筒抜けだったんだろうし」
「自分の大根役者っぷりをしっかりと自覚したんですねー」
「今もまだ動きが演技臭いぞー」
「いや、今は何も演技していないんだが……」
オフィス内の雰囲気は、どよめきがずっと渦巻いている。しかし当の本人達は全く気にしていない。まるで台風の目の様な穏やかさだった。
「悪いと思っているのなら、例の約束お願いしますよー」
「俺もだぞー、色つけといてくれよー」
「現金主義だなお前ら……」
健斗と玲の間に行われた契約の見直しについては、二人にも既に周知済みである。そして計画の事を理解した上で、別の契約も了承済みである。二人の軽口にやれやれと言いながら、健斗は自分の席についた。
「しっかし、俺たちの知らない内にそんな計画を立てていたとはなー。俺たちも乗るしかない、このビ……」
「佐々木先輩、それもう古いんで今すぐ埋め直して来てください」
「後輩に俺のワードセンスが化石扱いされた!? ……しかし戸村、このネタを拾ったお前も同類だぜ!」
「いやーっ! だから先輩の同類は嫌だーっ!」
玲は在宅勤務のため、騒がしい二人を窘める者はいない。いつもならストッパーとなっている健斗も、今はただ見ているだけだった。
仕事時間が始まってから数時間、健斗は軽く伸びをして立ち上がる。自分の手元を確認して二人から目線を送られているのを感じながら歩きだした。
「ちょっと休憩行ってくる」
「行ってらっしゃーい、ごゆっくりー」
「ほーい、リラックスしていけよー」
「……ああ、ありがとな」
聡一と小里は健斗がこれから何をしに行くか知っている。暗にエールを送ってくれた事に感謝しつつ、休憩室へと向かう。道中に見える経理部の方を見ると、案の定彼女と目が合う。すぐに目を逸らして健斗は歩いていく。休憩室には誰もいなかった。別に誰かがいたところで支障はない。健斗は話をつけるために、敢えて彼女をついてこさせたのである。
「音無さーん」
「岡本さん、やっぱりついて来ましたか」
「そりゃあこれから同じ部の仲間になるんですから、挨拶はしておきたいじゃないですかー」
冷ややかな目を向ける健斗に、実子はやはり動じすに愛嬌たっぷりの笑顔を見せてくる。本性を知っている健斗からすれば寒気ものである。
「今日は冷女さんも来ていないみたいですしー、諦めて私と来てくれる気になってくれたんですねー?」
「岡本さん、あくまで玲さんをその渾名で呼ぶのは止めないんですね。皆呼ぶのを止めていますよ?」
「だって私に対してはずぅーっと冷たいままなんですよー? 酷いと思いませんかー?」
「そうですか、俺にはとっても温かくしてくれるんですけどね」
口調を装いながら玲を貶す彼女の言葉に、健斗は怯まずに返す。実子も笑みを崩さずに健斗との距離を詰めていく。体を密着させて逃げ場を無くし、健斗の左手に指を絡めた所で、何か硬い輪のような物が彼の薬指につけてあることに気が付いた。
「え……? お、音無さん。その指輪は……?」
「え、ああ。結婚指輪の事ですか」
「けっ!?」
初めて、彼女の笑みが崩れた。健斗の左手薬指には、昨日までは付けていなかったはずの結婚指輪だった。それも安物ではなく立派な指輪であり、健斗が大事そうにつけている事から疑いようがない本物である。休憩室にわざわざ実子を誘い込んだ目的は、彼女にこれを見せつけるためだったのだ。流石の実子もこれには動揺している。
「い、いつの間にそんなものを……相手は一体」
「誰なんですか、って? そんなの決まってますよ」
健斗は思い切り息を吸い込み、休憩室の外にも響く大声で宣言した。
「俺は玲さん一筋なんで!」
「っ!?」
これは健斗の二股疑惑を打ち消すための宣言だった。声はオフィスの一部にも届き、数分経たずに話は広まっていった。
「それに婚姻届も記入済みですから。岡本さん、今後はあんな風に既婚の男をベタベタ触っちゃ駄目ですよ?」
「そ、それは……」
社内では評判の高い実子には、既婚の男性を略奪などという真似をすればどうなるかがすぐに理解できた。これ以上健斗に付きまとえば、健斗の評価以前に実子自身の立場が危うくなるだろう。そこまで思い至った彼女は健斗からバッと距離を離した。実子が顔を顰め出したこの状況で、健斗は更に話を続ける。
「あと、俺は経理部には異動しませんよ」
「っ!? な、何を言っているんですか? 異動届はもう受理されているんですよー?」
「もう、その届けは意味が無くなるんですよ」
「い、一体何を言って……」
婚姻届は部署異動についての問題解決にはならない。それに気づいた実子だが、全く物怖じしない健斗の勢いに完全に押されてしまっている。健斗は、玲と交わしたもう一つの契約内容を実子に突き付けた。
「俺と玲さんは近々、この会社を辞めて独立するんですよ。端的に言うと、もう会社辞めるんで」
「……はい?」
もう一つの大事な契約、それは会社から独立するという計画である。健斗が勝手に異動させられてしまう事に対して、二人が出した答えは、どの部にも所属しない、だった。
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