51 / 57
第6章 契約の見直し
第4話 暗雲
しおりを挟む
新たな問題として浮かんできた実子の存在。彼女が健斗に向けた不適な笑いの理由は、翌週に思い知らされる事となった。
(何か、やけに視線を感じる。俺が何かしてしまったのだろうか?)
玲との仲が発覚したときは、かつて無いほどに数奇の目線を浴びることになった。しかし今向けられている目線達はそれとは異なる物だと健斗は感じている。オフィスの空調はちゃんと効いているのに、じっとりと汗をかいてしまうような、嫌な感覚だった。
「なあ、おとな――」
「音無さーん、ちょっといいですかー?」
心配になった聡一が話しかけようとしたところで、背後から抱きつきそうな距離感で現れた実子が遮ってきた。健斗は嫌な気分を顔に出してしまうが、実子は一切気にせず健斗の右腕を抱き止めてしまう。
「……岡本さん、今はちょっと立て込んでて」
「急ぎの件なんです。すぐに済みますからー」
「あ、ちょっと……」
やや強引に腕を引っ張られてしまう。あまり抵抗するのもバツが悪いと思い、仕方なくついていく。健斗としては今の実子を信じることができない。かといってオフィスで振りほどいては印象が悪いので、ここは話を聞いておくことにした。連れられた場所は、お茶くみなどが行われる給湯室だ。
「で、どうしたんですか?」
「音無さん、気づいてますかー? 貴方についての噂が広まっているんですよー」
「ど、どんな?」
次に実子から出てきた言葉は、健斗を驚愕させるには充分過ぎるものだった。
「貴方が二股してるんじゃないか、って」
「は!?」
そう、健斗が二人の女性と親密な関係になっているという噂が広まっていたのである。今朝からオフィス全員の健斗に対する目線が厳しかったのはそれが原因だった。健斗は顔が青ざめて、絶対に違うと慌て始める。
「そんなの、見に覚えがないですよ!」
「いいえ、それがあるんですよー。冷女さんと仲良くしている件と、もう一人は勿論、私です」
「なんでそんな話に……」
「決まってるじゃないですかー、ほら今も、私たちの距離感を見たら皆そうなのかなって思いますよねー?」
「っ!」
オフィスから連れ出される時から、実子は健斗の腕に抱きついたままだった。今も胸を腕に押し付けたままの状態だった事にやっと気づいた健斗はすぐに彼女を離させた。無理矢理離しても、彼女の余裕は崩れない。
「慌てて距離を置いても、今さら遅いですよ。私達の仲睦まじい様子は全員に見られていますから」
「こ、こんなの貴女が勝手に引っ付いてきているだけじゃないですか!」
「そうですね。けれど、皆さんはそう思っていないみたいですよー?」
「え……」
そう言って実子は自分の携帯を取り出して画面を見せてくる。その内容は、実子とその他大勢のチャット画面だった。そこには健斗の仄かな期待を裏切る言葉ばかりだった。
「ほら、私が参加している社内のグループチャットのトーク内容です。皆、逆に音無さんが私を誑かしているんじゃないかって思っているみたいですよー? 発言しているのは大体上のオジさん達ですけどねー」
「う、あ……」
社員の多くを含んでいるこのグループ内に、健斗の味方はいないようだった。健斗の噂を否定するものは、一人もいない。絶望的な状況を目の当たりにした健斗は、自身を支える事が出来なくなり壁にもたれ掛かる。そんな健斗に、実子は更に体を寄せてくる。
「それに噂はもう一つ、あるんですよ」
実子はまだまだ有利であると見せつけるかのように、また健斗の腕に絡み付く。健斗は底知れぬ恐怖に恐れをなしながら、まだあるのかと思い呼吸がしづらくなっていく。
「……それは、なんですか」
「貴方が、経理部に異動になるという話です」
「は!?」
「あ、これは噂じゃなくて確定事項なのでもう覆りませんよー?」
健斗は更なる絶望に叩き落とされた。以前実子が誘ってきた経理部に異動させられる。自分の玲の下で無くなり、実子と同じ部署に飛ばされる。それはつまり、実質的に実子の手中に取り込まれるのと同じ事だ。
「そ、そんなの俺は認めてなんか……」
「手続きを終えた書類もありますよー。ですから……」
チェックメイト、と言わんばかりに実子は健斗の頭を自分の胸に抱き寄せる。もう、彼は逃げられないと思わせるような光景は、幸い誰にも見られていない。
「諦めて、私のモノになってください。音無さん?」
「あ、お、俺は……」
社内の交友関係で頼っていた同僚にも、今は声が届かない。実子を止める術が見当たらない。健斗は完全に追い詰められてしまった。味方の居ない孤独感と、足掻きようの無い絶望感に教われて、健斗はもう抗う事ができない。震えながら、首を縦に振ろうとしたその時だった。
「そんな話に頷いちゃ駄目よ、健斗君!」
「っ!」
彼女の声は、またしても彼を救った。
(何か、やけに視線を感じる。俺が何かしてしまったのだろうか?)
玲との仲が発覚したときは、かつて無いほどに数奇の目線を浴びることになった。しかし今向けられている目線達はそれとは異なる物だと健斗は感じている。オフィスの空調はちゃんと効いているのに、じっとりと汗をかいてしまうような、嫌な感覚だった。
「なあ、おとな――」
「音無さーん、ちょっといいですかー?」
心配になった聡一が話しかけようとしたところで、背後から抱きつきそうな距離感で現れた実子が遮ってきた。健斗は嫌な気分を顔に出してしまうが、実子は一切気にせず健斗の右腕を抱き止めてしまう。
「……岡本さん、今はちょっと立て込んでて」
「急ぎの件なんです。すぐに済みますからー」
「あ、ちょっと……」
やや強引に腕を引っ張られてしまう。あまり抵抗するのもバツが悪いと思い、仕方なくついていく。健斗としては今の実子を信じることができない。かといってオフィスで振りほどいては印象が悪いので、ここは話を聞いておくことにした。連れられた場所は、お茶くみなどが行われる給湯室だ。
「で、どうしたんですか?」
「音無さん、気づいてますかー? 貴方についての噂が広まっているんですよー」
「ど、どんな?」
次に実子から出てきた言葉は、健斗を驚愕させるには充分過ぎるものだった。
「貴方が二股してるんじゃないか、って」
「は!?」
そう、健斗が二人の女性と親密な関係になっているという噂が広まっていたのである。今朝からオフィス全員の健斗に対する目線が厳しかったのはそれが原因だった。健斗は顔が青ざめて、絶対に違うと慌て始める。
「そんなの、見に覚えがないですよ!」
「いいえ、それがあるんですよー。冷女さんと仲良くしている件と、もう一人は勿論、私です」
「なんでそんな話に……」
「決まってるじゃないですかー、ほら今も、私たちの距離感を見たら皆そうなのかなって思いますよねー?」
「っ!」
オフィスから連れ出される時から、実子は健斗の腕に抱きついたままだった。今も胸を腕に押し付けたままの状態だった事にやっと気づいた健斗はすぐに彼女を離させた。無理矢理離しても、彼女の余裕は崩れない。
「慌てて距離を置いても、今さら遅いですよ。私達の仲睦まじい様子は全員に見られていますから」
「こ、こんなの貴女が勝手に引っ付いてきているだけじゃないですか!」
「そうですね。けれど、皆さんはそう思っていないみたいですよー?」
「え……」
そう言って実子は自分の携帯を取り出して画面を見せてくる。その内容は、実子とその他大勢のチャット画面だった。そこには健斗の仄かな期待を裏切る言葉ばかりだった。
「ほら、私が参加している社内のグループチャットのトーク内容です。皆、逆に音無さんが私を誑かしているんじゃないかって思っているみたいですよー? 発言しているのは大体上のオジさん達ですけどねー」
「う、あ……」
社員の多くを含んでいるこのグループ内に、健斗の味方はいないようだった。健斗の噂を否定するものは、一人もいない。絶望的な状況を目の当たりにした健斗は、自身を支える事が出来なくなり壁にもたれ掛かる。そんな健斗に、実子は更に体を寄せてくる。
「それに噂はもう一つ、あるんですよ」
実子はまだまだ有利であると見せつけるかのように、また健斗の腕に絡み付く。健斗は底知れぬ恐怖に恐れをなしながら、まだあるのかと思い呼吸がしづらくなっていく。
「……それは、なんですか」
「貴方が、経理部に異動になるという話です」
「は!?」
「あ、これは噂じゃなくて確定事項なのでもう覆りませんよー?」
健斗は更なる絶望に叩き落とされた。以前実子が誘ってきた経理部に異動させられる。自分の玲の下で無くなり、実子と同じ部署に飛ばされる。それはつまり、実質的に実子の手中に取り込まれるのと同じ事だ。
「そ、そんなの俺は認めてなんか……」
「手続きを終えた書類もありますよー。ですから……」
チェックメイト、と言わんばかりに実子は健斗の頭を自分の胸に抱き寄せる。もう、彼は逃げられないと思わせるような光景は、幸い誰にも見られていない。
「諦めて、私のモノになってください。音無さん?」
「あ、お、俺は……」
社内の交友関係で頼っていた同僚にも、今は声が届かない。実子を止める術が見当たらない。健斗は完全に追い詰められてしまった。味方の居ない孤独感と、足掻きようの無い絶望感に教われて、健斗はもう抗う事ができない。震えながら、首を縦に振ろうとしたその時だった。
「そんな話に頷いちゃ駄目よ、健斗君!」
「っ!」
彼女の声は、またしても彼を救った。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
俺様上司と複雑な関係〜初恋相手で憧れの先輩〜
せいとも
恋愛
高校時代バスケ部のキャプテンとして活躍する蒼空先輩は、マネージャーだった凛花の初恋相手。
当時の蒼空先輩はモテモテにもかかわらず、クールで女子を寄せ付けないオーラを出していた。
凛花は、先輩に一番近い女子だったが恋に発展することなく先輩は卒業してしまう。
IT企業に就職して恋とは縁がないが充実した毎日を送る凛花の元に、なんと蒼空先輩がヘッドハンティングされて上司としてやってきた。
高校の先輩で、上司で、後から入社の後輩⁇
複雑な関係だが、蒼空は凛花に『はじめまして』と挨拶してきた。
知り合いだと知られたくない?
凛花は傷ついたが割り切って上司として蒼空と接する。
蒼空が凛花と同じ会社で働きだして2年経ったある日、突然ふたりの関係が動き出したのだ。
初恋相手の先輩で上司の複雑な関係のふたりはどうなる?
表紙はイラストAC様よりお借りしております。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる