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第3章 玲は冷に非ず
第5話 冷女の所以
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「布団はうちにあった予備のを使ってください」
「ありがとうございます」
彼女の言った一通りの準備には、外泊が必要になった場合の荷物も含まれていた。
「シャワーを借りてしまってもいいのですか?」
「シャワーぐらい遠慮なく使ってください! この状況で入らずに済まされたら俺が困ります!」
「……それでは、使わせていただきますね」
風呂場へと案内された玲は、着替えを持ってそこまで広くない更衣スペースに立つ。振り返ると健斗がそれじゃあ、と更衣スペースのドアを閉めるところだった。彼と目が合うと、笑顔でこう言った。
「ゆっくり入ってきてください、泉さん」
「っ! ……はい」
これまで何度も、彼とは目を合わせてきた。健斗にとっては当たり前の事だが、玲にとっては普通ではないことなのだ。
(やっぱり、音無君だけは違う)
健斗からして玲は特別な存在である。それと同時に、玲にとって健斗もまた特別な存在となってきているのである。
(私は、職場では冷たい女だと思われている。……いえ、敢えてそう思われるように振る舞ってきた)
湯気の出ているシャワーを浴びながら、彼女は今の会社に入ってからの事を思い出していた。玲がまだ入社して間もなく、同期とある程度打ち解けてきた時の事だった。自分と同期の違いに疑問を抱いていた。
(この人たちは、どうして自分の仕事をちゃんとやらないのかしら。人の事を妬んでいる暇があったら、さっさと片づけてしまえばいいのに)
あまり仕事に集中できていない様子が目立つ同期に対して、彼女は憤りを覚えていた。上司たちも軽い注意だけで済ませてしまうために態度が一向に良くならない。その日も同期たちは自席から離れて雑談に花を咲かせていた。
「三人とも、作業は終わったの? あのペースだと定時内に終わらなそうに見えるのだけれど」
「えー? 泉さんかたーい」
「ちょっとくらいいいじゃないですかー、ついでに残業代ももらっちゃえー、的な?」
「あんまり厳しいと、婚期が遠のくよー?」
「……」
注意されているにも関わらず全く反省の色も見えない同期たちに、玲は苛ついていた。上が何も言わないのであれば、私が言うしかない。そう思った玲は拳を握りしめながら三人に近寄った。
「あなた達、いい加減に……」
少しぐらいは厳しく言っておかないといけない。そう思った玲は皆を軽く睨みつけて、感情的にならないよう出来るだけ抑揚の無い声で注意をし始めようとした。すると、周囲の反応は玲の想定と異なるものだった。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃない……! や、やるからその目を向けないでよ!」
「ひぃっ! もうサボらないから許してー!」
「……! 待って、そんなに怒っているわけじゃ……」
玲が言い切る前に、皆逃げるように去って行ってしまった。玲と同期たちとの対等な関係が終わった瞬間だった。その後玲は、同期の間だけに留まらず社内全体に『彼女は仕事をしないと怒ってくる冷たい人』という位置づけがなされたのである。
次の日から玲の気分を害するような人はほとんどいなくなった。自分が誰かに目線を向けると、仕事してますよ、という素振りをして離れていくからだ。これまで普通に話していた人ですら、業務以外の話をしなくなった。けれど玲は、そんな周囲の変化を受け入れた。
(……私が冷たい人で居続ければ、皆仕事するようになってくれるのね)
孤独の日々は、課長に昇格することでより強固なものとなっていく。周囲との溝は深まるばかりで、いつしか敬語でしか話す事も無くなっていた。
(私が心を開かなければ、全て回るようになる。だからこれは、仕方のないこと)
そうしてオフィス内で感情が動くことは無くなっていった。誰に対してもちゃんと働いてくれていたら後はどうでもいいと思ってしまうほどに、彼女は周囲に対して冷ややかになってしまったのである。
「でも、君だけは……」
ブツンッ!
その時、彼女の目の前は真っ暗になった。
「ありがとうございます」
彼女の言った一通りの準備には、外泊が必要になった場合の荷物も含まれていた。
「シャワーを借りてしまってもいいのですか?」
「シャワーぐらい遠慮なく使ってください! この状況で入らずに済まされたら俺が困ります!」
「……それでは、使わせていただきますね」
風呂場へと案内された玲は、着替えを持ってそこまで広くない更衣スペースに立つ。振り返ると健斗がそれじゃあ、と更衣スペースのドアを閉めるところだった。彼と目が合うと、笑顔でこう言った。
「ゆっくり入ってきてください、泉さん」
「っ! ……はい」
これまで何度も、彼とは目を合わせてきた。健斗にとっては当たり前の事だが、玲にとっては普通ではないことなのだ。
(やっぱり、音無君だけは違う)
健斗からして玲は特別な存在である。それと同時に、玲にとって健斗もまた特別な存在となってきているのである。
(私は、職場では冷たい女だと思われている。……いえ、敢えてそう思われるように振る舞ってきた)
湯気の出ているシャワーを浴びながら、彼女は今の会社に入ってからの事を思い出していた。玲がまだ入社して間もなく、同期とある程度打ち解けてきた時の事だった。自分と同期の違いに疑問を抱いていた。
(この人たちは、どうして自分の仕事をちゃんとやらないのかしら。人の事を妬んでいる暇があったら、さっさと片づけてしまえばいいのに)
あまり仕事に集中できていない様子が目立つ同期に対して、彼女は憤りを覚えていた。上司たちも軽い注意だけで済ませてしまうために態度が一向に良くならない。その日も同期たちは自席から離れて雑談に花を咲かせていた。
「三人とも、作業は終わったの? あのペースだと定時内に終わらなそうに見えるのだけれど」
「えー? 泉さんかたーい」
「ちょっとくらいいいじゃないですかー、ついでに残業代ももらっちゃえー、的な?」
「あんまり厳しいと、婚期が遠のくよー?」
「……」
注意されているにも関わらず全く反省の色も見えない同期たちに、玲は苛ついていた。上が何も言わないのであれば、私が言うしかない。そう思った玲は拳を握りしめながら三人に近寄った。
「あなた達、いい加減に……」
少しぐらいは厳しく言っておかないといけない。そう思った玲は皆を軽く睨みつけて、感情的にならないよう出来るだけ抑揚の無い声で注意をし始めようとした。すると、周囲の反応は玲の想定と異なるものだった。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃない……! や、やるからその目を向けないでよ!」
「ひぃっ! もうサボらないから許してー!」
「……! 待って、そんなに怒っているわけじゃ……」
玲が言い切る前に、皆逃げるように去って行ってしまった。玲と同期たちとの対等な関係が終わった瞬間だった。その後玲は、同期の間だけに留まらず社内全体に『彼女は仕事をしないと怒ってくる冷たい人』という位置づけがなされたのである。
次の日から玲の気分を害するような人はほとんどいなくなった。自分が誰かに目線を向けると、仕事してますよ、という素振りをして離れていくからだ。これまで普通に話していた人ですら、業務以外の話をしなくなった。けれど玲は、そんな周囲の変化を受け入れた。
(……私が冷たい人で居続ければ、皆仕事するようになってくれるのね)
孤独の日々は、課長に昇格することでより強固なものとなっていく。周囲との溝は深まるばかりで、いつしか敬語でしか話す事も無くなっていた。
(私が心を開かなければ、全て回るようになる。だからこれは、仕方のないこと)
そうしてオフィス内で感情が動くことは無くなっていった。誰に対してもちゃんと働いてくれていたら後はどうでもいいと思ってしまうほどに、彼女は周囲に対して冷ややかになってしまったのである。
「でも、君だけは……」
ブツンッ!
その時、彼女の目の前は真っ暗になった。
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