1 / 1
あの夏のカクレンボ
しおりを挟む
第一章 日常の崩壊
その日、彼らの日常が大きく崩れ去る大事件が起きる事を、その時はまだ、彼らは夢にも思っていなかった。
8月15日。
それは夏休みの、ある晴れた日の出来事だった。
この数日の間、どしゃ降りの雨が降り続いていたが、その日は太陽が顔を覗かせていた。
彼らはここ最近家に閉じこもっていたので、久しぶりの晴れ間に、いつもの友達を集めて外で遊ぶ事にしていた。
彼らは小学6年生。
これが最後の夏休み。
一日一日を悔いの残らない様に過ごしたいと思っていた彼らは、この数日雨で遊べなかった分を取り戻したいと張り切っていた。
昼12時00分、正午。
電話で皆に呼びかけ、”例の場所”に集まる事を、彼らは確認した。
昼12時30分。
待ち合わせ場所は、家の近くの裏山。
そこに、友達以外には誰にも内緒の秘密基地があった。
秘密基地は山道から少し外れた藪の中にあり、今はもう誰も住んでいない朽ちかけた小屋を発見後、そこに彼らが私物を少しずつ持ち込んで作られていた。
小屋の入り口には、「ひみつきち・しゅれでぃんがー」と書かれた看板が掛けてある。
「しゅれでぃんがー」がどういう意味なのか彼ら自身知らなかったが、「何か”変身ヒーロー”っぽくてカッコイイ気がする」という理由で、小屋を指す合言葉として彼らは使っていた。
濃い霧の立ち込める中、最初にその秘密基地に現れたのは、一人の少年だった。
名前は永久乃シンジ(トワノシンジ)。
小学6年生としては平均的な身長に平均的な体重、見た感じ大人しそうな感じの、いたってごく普通の男の子だった。
また、秘密基地の名前に「しゅれでぃんがー」はどうだろうと、提案したのは彼である。
これはシンジが自分で考え出した単語ではなく、秘密基地を発見する事になるある日、皆の元へ遊びに行く途中、道の途中ですれ違った見知らぬ女の子が、すれ違いざまにポツリと呟いた言葉だった。
その女の子が、何故そんな単語を呟いたのかは分からなかったが、何となく頭の中に残っていたので、シンジは秘密基地の名前として「しゅれでぃんがー」を提案したのだった。
ちなみにそれ以降、その女の子の姿は、見かける事は無かった。
小屋「しゅれでぃんがー」の中を見て、まだ誰も来ていない事を確認すると、シンジは近くを流れる川を見に行く事にした。
この数日の雨で、川はかなり増水し、勢いよく流れている。
いつもなら川に降りて遊んだりしていたが、今日は無理だとシンジは思った。
(もしこの川に落ちたら死ぬかな…)
ふとそんな事を考える。
シンジのいつもの癖である。
高い建物の屋上にのぼると、(ここから落ちたら死ぬかな)とか、「クマに注意!」の看板を見ると、(クマと戦ったら死ぬかな)とか、そういう妄想遊びが好きなのだ。
そしてその仮定の中で、「どうやったら助かるのか」を考える。
今は増水した川を見ながら、(浮き輪があれば死なないかな…。でも浮き輪なんて普通持ち歩かないし…。じゃあ、空のペットボトルならどうかな…。1.5リットル位の空のペットボトルがあって、それにしがみ付いていれば、何とか助かるかな…。それに、仮に水の中に沈んだとしても、ペットボトルの中の空気を吸う様にしれば、数分位は生きられるかも知れないし…。おお、ペットボトルちょー万能!万が一の時の為に秘密基地に置いておこうかな…)なんて事を考える。
つい先日も、災害時に役に立つかもと、秘密基地の中にロープやガムテープや十徳ナイフを持ち込んで来ていた。
シンジはそうやって、”不測の事態を予測して、万が一それが起こった際に、「こうなる事は分かっていた」と言わんばかりに道具を出し、拍手喝さいを浴びる自分”を想像して悦に浸るのが好きな少年だった。
きもい。
昼12時35分。
シンジがそうやって時間を潰していると、霧の向こうから女の子がやって来た。
「あー、シニタン、川に近付いたら危ないんだよー」
そう言ってシンジに声をかけたのは、同じく小学6年生、箱入ミヤ(ハコイリミヤ)。
黒いサラサラのロングヘアーで、前髪は短くぱっつんと切りそろえられている。
明るく温和な性格で、見ている方も笑顔になる様な、ほんわかした笑顔が特徴的な女の子だ。
「でもミャー、川が危ない事を確認しない方が危なくない?」
シンジが言うと、ミヤは頬を膨らませる。
「もー、シニタン、屁理屈言わない」
「あと、何度も言うけど、”シニタン”というあだ名、止めてくれません?」
「何度も言うけど、止めないよ~」
そう言ってほんわか笑うミヤを見て、シンジは肩を落とした。
(まぁ、分かってはいたけどさ…)
「そろそろ皆来るから、秘密基地で待ってた方が良いと思うんだよー」
ミヤはそう言って、シンジに秘密基地に戻るよう促してくる。
「うん、行こう。ミャー」
そう言うとシンジは、ミヤの後を付いて小屋に戻る。
ちなみに”シニタン”というのはシンジのあだ名で、
「シンジ→シジン→死人(シニン)→シニタン」
という流れから来ている。
元々シンジは霊感が強く、死者の魂が見える事があったので、そっち系のあだ名をどうにか付けられないかと、皆で捻り出したあだ名であった。
ひどす。
また、”ミャー”というのはそのまま、ミヤのあだ名である。
”シニタン”と比べると、大分可愛いあだ名であった。
ひどす。
そして二人は、ぬかるむ足元に気を付けながら、秘密基地へと、濃い霧の中に消える。
しかしこの時ミヤは、この後自分がどんな出来事に見舞われるのか、まだ知る由もなかった。
昼12時40分。
シンジとミヤが秘密基地に戻ると、小屋の前でもう一人の少年が立っていた。
二人を見ると手を挙げて挨拶をする。
「やぁ、お二人さん。フッ、相変わらず仲がいいんだネ」
そう言って、キラリと白い歯を見せて笑う。
爽やかなハンサムフェイスである。
彼の名は白馬オウジ(ハクバオウジ)。
小学6年生ながらにすらりとした長身で、モデルの様に整ったルックス。
成績優秀でスポーツ万能、家は金持ちで趣味は乗馬。
爽やかな見た目と、見た目通りの爽やかな性格で、まるで物語に登場する王子様が、そのまま現実に抜け出してきたかの様な人物であり、学校の女子から絶大な人気を誇っている。
「それほどでもないよ~、えへへ~」
そう言ってミヤは照れる。
「あれ、サムひとり?」
シンジが聞くと、
「ああ、タマちゃんもすぐ来るよ。ここに来る途中に寄って来たんだ。まだ支度していたけど、すぐ終わるって言ってたよ。フッ」
オウジはそう言って、白い歯を見せて笑う。
ちなみに”サム”というのはオウジのあだ名で、ハンサムの”サム”である。
そして3人は、秘密基地の小屋の中で最後の一人を待つ事にした。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の中は四畳半位の広さで、家具は無く、シンジたちが持ち込んだガラクタ(先程言った、ロープやガムテープ、十徳ナイフも)が入っている収納箱が隅に置かれている他は、全身鏡(この小屋を見付けた時から、何故かこれだけが残されていた)が立て掛けられているだけの空間である。
床板の下は直接地面に接していて、開いた穴から雑草が生えているほか、壁の隙間からは風がヒューヒュー吹いてくる。
かろうじて雨がしのげるだけの小屋、それが秘密基地「しゅれでぃんがー」の全てであった。
朝12時45分。
ほどなくして小屋の戸が開いて、一人の少女が入って来る。
「ゴメン皆、お待たせ~!」
息を切らせて入ってきたのは、黒鹿タマコ(クロジカタマコ)という女の子。
真っ白いひらひらの、ゴスロリの服を着ていて、頭にはリボンを付けている。
そのゴスロリに包まれた身体は、この仲良し4人組の中で一番大きく、顔はどことなくゴリラに似ていた。
しかし小学校ではクラス一のお洒落さんで、服装はいつも可愛らしく、笑うととてもチャーミングである。
またとても人当たりの良い性格で、この4人組に限らず、男女問わずクラスで人気があり、リーダーシップを取る事も多い。
「やぁ、タマちゃん。遅かったネ、フフ」
真っ先に声をかけたのは白馬オウジ。
白い歯がキラリと光る。
「ごめんね~、ちょっと手間取っちゃってね~」
タマコが答えた。
「お~今日もタマちゃん、お洒落さんなんだよー」
すかさず箱入ミヤのファッションチェックが入った。
「キャー、ありがとうミャーちゃん、ミャーちゃんも今日も可愛いよ~」
タマコは嬉しそうにお礼を言う。
「でも今日は地面とかぬかるんでいるし、その服で転んだりしちゃったら大変じゃない…?」
そして永久乃シンジが余計なツッコミを入れた。
「シニタン、うるさいー」
ミヤが半眼になって文句を言う。
「だーいじょーうV!この服、表面にビニールを貼ってあるから、多少の泥汚れなんかはすぐに落とせるんだから~!ふふふ、どう?タマコのこの家事スキル!」
そう言ってタマコは得意げに笑う。
自分の事を”私”ではなく”タマコ”と言うのが、タマコのクセだった。
そしてどうやらこのゴスロリ服は、手作りの物らしい。
ちなみにタマコは、裁縫の他に、料理や掃除、洗濯も得意で、小学6年生にして、家事スキルは学校の家庭科の先生をもしのぐレベルである。
「フッ…さすがだネ、タマちゃんは」
オウジが爽やか笑顔でタマコを褒めた。
「ホントだよ~、タマちゃん凄いよー。シニタンも、凄いものは凄いと褒めないとダメだよー」
ミヤがそれに賛同すると、
「すんません」
シンジはすかさず謝った。
「げへへ、タマコ照れるぜ~!」
タマコは頭を掻いて大げさに照れる。
数日ぶりに仲間が4人そろったという嬉しさで、皆いつもよりテンションが高い。
秘密基地の中に穏やかな空気が流れる。
しかし彼らの日常が崩壊してしまう、”その時”が訪れる瞬間が、刻一刻と迫っている事を、彼らはまだ知らなかった。
そう、不測の事態を考えるのが好きなシンジでさえ、まさか”そんな事”が現実に起こるなんて、夢にも思っていなかったのである。
小屋の外では、真っ黒な雲が急速に空を覆い始め、久しぶりの太陽を、再び隠してしまっていた。
「それじゃー今日は何して遊ぶんだぜぇ?」
パン、と手を叩いてタマコが話題を切り替える。
お題は今日の遊ぶ内容だ。
この4人組のまとめ役はいつもタマコだった。
「フッ…ボクは皆の好きな遊びで構わないヨ」
オウジが爽やかにほほ笑んだ。
「ミャーも皆と一緒なら何でもいいなー。シニタンは何したい?」
ミヤがシンジに問いかける。
「いや、僕も別に何でもいいけど…」
シンジは遠慮がちにそう言った。
建設的な意見は出て来ない。
タマコは自分の頭を押さえ、
「てめぇら…。それじゃ話が前に進まねぇだろうがっ!」
と、吠えた。
「いつもいつもいつもいつも!人の意見にイエスかノーを言うだけで!自分の意見はねぇのかよおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって、タマコは伝説の何かに目覚めようとしていた。
「そうだよシニタン。晩御飯何にするか聞かれて、何でも良いって答えるのが一番ダメなんだよ~!」
すかさずミヤが、シンジに責任をなすり付けようとしてくる。
「そ、そんな事急に言われても…。サム、何とか言ってよ…」
シンジがオウジの方に助けを求めると、
(フッ…)
オウジは爽やかな笑みを顔に張り付けたまま、ピクリとも動かない。
(くっ…!完全に気配を消している…!これでは普通の人間は、サムの姿を捉える事は出来ないじゃないかっ…!)
気を消して、スカウターでも無ければ見付けられないオウジを前にシンジは歯がみすると、
「じゃ…じゃあカクレンボで…」
と、これ以上ない普通の提案をした。
「シニタン、普通…」
ミヤが半眼になってシンジを見る。
(何で面白い提案を期待されてるんだ…)
理不尽な仕打ちにシンジはため息をついた。
「おっけー。じゃあまずはカクレンボしよっか!」
タマコはコロッと笑顔になると、皆に向かってそう宣言した。
「フッ…イイネ、カクレンボ。実はボクも、ちょうどカクレンボをしたいと思っていたところなのサ」
気配を戻したオウジが爽やかに白い歯を見せる。
「ん~、でもただカクレンボするだけだとつまらないよ~」
ミヤが言う。
「それじゃあ、負けたら罰ゲームにする?」
タマコが提案した。
「それはちょっと…」
シンジが抗議しようとするも、
「お~イイネ~!負けたら罰ゲームにしよー!」
ミヤが賛同した。
「フッ…それで、どんな罰ゲームにするんだい?」
オウジの白い歯がキラリと光る。
「負けたら好きな人の名前を言うー!」
ミヤが元気よく手を挙げて言った。
「「「!?」」」
一瞬場が固まって。
それから3人は、ゆっくりとお互いに顔を見合わせる。
「…う~ん、2人はどう思う…?」
タマコが聞いた。
「…うん…ボクは別に、それでも良いけどネ、フフ…」
オウジが答える。
「…え~っと、あ~、うん…」
シンジは曖昧に返事する。
「まぁ…皆が良いって言うなら、タマコも構わないけど…」
タマコもそう言って賛同した。
「よし、決まりー!負けたら好きな人の名前を言うんだよー!」
ミヤが嬉しそうに宣言する。
「…うん…そ、それじゃあ…カクレンボの鬼を決めましょうか…?」
そしてタマコが、じゃんけんの合図を取った。
結果、シンジが鬼、ミヤ、オウジ、タマコが隠れる役になった。
ルールはミヤ、オウジ、タマコが隠れ、シンジ(鬼)が探す。
そしてシンジ(鬼)に見つかった人は好きな人の名前を告白する。
全員(3人)見付けられた時はシンジ(鬼)は告白しなくてよいが、全員見付けられなかった時は、見付けられた人とシンジ(鬼)が告白する。
制限時間は1時間30分。
それがこのカクレンボのルールだった。
「負けたら絶対に、”好きな人の名前を言う”事!私、本気だから。絶対の絶対、約束だよー!」
カクレンボを始める時、散り散りになる前に、ミヤ何度もそう念を押していた。
昼13時00分。
「もぉ~い~か~い!」
秘密基地の小屋の壁に、目隠しをする様に寄りかかりながら、シンジが大声で呼びかける。
「まぁ~だ~だよ~!」
どこか遠くから声が返ってくる。
「もぉ~い~か~い!…」
そうやって再び呼びかけながら、シンジは考えていた。
(好きな人の名前を言わなきゃいけないなんて、どうしよう…)
ミヤがそんな事を提案するなんて思わなかった。
また、皆がそれに賛同するとも思わなかった。
これまでこの仲良し4人組の中で、恋愛の話が出る事は無かったから。
このメンバーの中に、恋愛感情が存在しない訳では無いという事は、シンジも気付いていた。
ただ、この4人で楽しく遊べる関係が楽しくて、その関係を壊さないよう、誰も恋愛の話題には触れる事が無かった。
それが皆の、共通の認識だと思っていた。
でも違った。
ミヤもオウジもタマコも、今より関係を深めたいと思っていたのだ。
原因は分かっている。
小学校の卒業だ。
皆小学6年生、来年には学校を卒業し、中学生になる。
そして進む中学校が、シンジとオウジ、ミヤとタマコで別々なのだ。
これが小学生最後の夏休み。
進学後、これまでの様に4人が一緒に遊び続けられるか分からない中で、今の内に想いを伝えたいという思いが、皆の中に広がっていたのだ。
でも、これまで積み重ねてきた”オトモダチ”としての時間が、この関係に”恋愛”を持ち込んではいけないみたいな空気を生み出していた。
だから皆、”きっかけ”が欲しかったのだろう。
好意を、想いを伝える為に、「罰ゲーム」という口実が。
もちろんシンジの中にも”想い”はあった。
ただ、心の準備が出来ていなかった。
いつか”彼女”に告白するんだろうなと思いつつ、しかしこの一緒に居られる時間がいつまでも続く訳では無いという事を、そのチャンスが永遠にある訳では無いという事から目を背け、考えない様にしていた。
いざとなったら、告白する勇気も出るはずだと、その時を先延ばしにしていたのだ。
ラストチャンスは、これがラストチャンスであるという事を、教えてくれはしないというのに。
「もぉ~い~よ~!」
どこか遠くで、声が聞こえた。
シンジは小屋から頭を離し、皆を探し始める。
その頭上では、空を覆う真っ黒な雲から、ゴロゴロと雷の音が響いていて。
その空にシンジはどこか、得体のしれない焦燥感を感じていた。
そして30分後、13時30分。
ぽつぽつと雨が降り始める。
シンジはすでに、オウジとタマコを見付けていたが、まだミヤは見付けていなかった。
「雨が降って来たな…」
シンジが言った。
「最近ずっと大雨続きだったし、この雨もすぐに本降りになるかも…。ミャーちゃん、皆で探した方が良くないかな?」
タマコが言った。
「フッ…そうだネ。残念だけど、カクレンボはこのくらいで終わりにして、今日も家で大人しくしていた方が良いかもしれない」
オウジが言った。
シンジの中にザワザワと得体のしれない不安の様なものが広がっていく。
カクレンボのエリアは、裏山の中でも、秘密基地を中心としたそれほど広くない範囲だ。
霧が一層深くなってきたが、3人で探せばすぐに見付かるだろう。
そう判断したシンジは、
「ミャーを探そう」
2人に向かってそう言った。
「うん」
うなずき合う3人の頭上を、稲妻が切り裂いた。
さらに15分経過、13時45分。
雨はかなり強くなって来ていた。
昼間だというのに、厚い雲と濃い霧のせいで辺りは薄暗い。
もうこの後の天気は、先日までのどしゃ降りの様になる事は間違いないように感じた。
シンジの中に広がる不安は、ますます大きくなっていく。
街の防災スピーカーから、大雨洪水警報が発令されたことがアナウンスされる。
「サム、タマちゃん!ミャーは?見付かった!?」
オウジとタマコの姿を見付けたシンジが駆け寄ってくる。
「いや…見付からないネ…」
オウジが深刻な顔で答える。
「どうしよう…ミャーちゃん…」
タマコが泣きそうになっている。
「小屋の中と周囲は見たし…家にも帰っていなかった…」
シンジが頭を巡らせる。
「他に行きそうな所、シンジは心当たりは無い?」
オウジが聞くと、シンジはハッとして、
「まさか…増水した川に…!」
そこから先は、言葉に出来なかった。
オウジとタマコもハッとした顔をして、3人は急いで秘密基地近くの川に向かった。
14時00分。
雨はどしゃ降りになり、川はこれまで見た事も無いほど増水し、物凄い濁流となって流れていた。
防災スピーカーから繰り返される、大雨洪水、そして土砂災害警報のアナウンス。
空では途切れることなく雷光が走り、バリバリと空が引き裂かれる。
「ミャー!」
「ミヤちゃーん!」
「ミャーちゃーん!」
川沿いで、ミヤに呼びかける3人。
しかしその声は、豪雨と川の濁流、そして雷鳴の音にかき消される。
雨で全身ずぶ濡れになりながら、シンジはオウジとタマコに向かって大声で叫んだ。
「このままじゃ僕たちも危ない!一旦家に帰ろう!」
霧は数メートル先も見えない程濃くなり、足元のぬかるみも酷い。
一歩間違えれば、足を滑らせて自分たちが川に落ちてしまいそうだった。
「でも…ミャーちゃんは!?早く見つけないと…!」
タマコが泣きながら叫んだ。
「もしかしたら、自分の家に帰っているかも知れない!ここからタマちゃんの家が一番近いから、そこからミャーの家に電話をするんだ!」
シンジが指示を出す。
「そうだネ、このままボク達だけで探していても埒が明かない!一度家に帰って、大人を呼んだ方が良いと思うヨ!」
オウジが賛同する。
しかし今は夏休み、皆の両親は共働きで、家にはいない。
すぐに連絡を取れるか分からなかったが、それでも、それ以外に方法は無いように思えた。
「ダメだ…!さっきからずっと、ケータイが圏外のままで、どこにも繋がらないんだ…!何でこんな時に限って繋がらないんだ…!」
唯一携帯電話を持っているオウジがスマホの画面を見ながら悪態をつく。
「繋がらないものは仕方が無い!よし!皆、急いで帰るんだ!とにかく電話!まずミャーの家に電話をかけて、それが繋がらなかったら、警察でもいい、誰か大人を呼ぶんだ!」
シンジが叫んだ。
「よし、行こう!」
オウジが合図をすると、3人は一目散に走り出す。
3人の姿が霧の中に消えた後、雷鳴が鳴り響くと共に、何度目かの大雨洪水、土砂災害警報のアナウンスが流れた。
14時12分。
3人は秘密基地の小屋の前を走り抜ける。
とにかくミヤが無事でいる事を確認する為の電話がしたくて、「小屋の中で休む」という選択肢は、彼らの頭の中には無かった。
一刻も早く、電話のある家へ。
わき目も降らず、走り続ける。
シンジ──。
その時だった。
自分の名前を呼ばれた気がして、シンジは足を止めた。
オウジとタマコはその事に気付かず、そのまま霧の向こうへ走り去って行く。
シンジは一人、来た道を振り返るが、誰もいなかった。
ふと、何か違和感の様なものを覚える。
何か大切な事を見落としている様な──
(そういえば…秘密基地の中、もう確認しなくても良いのか─?)
シンジの頭の中を、疑問がよぎる。
カクレンボが始まった13時、秘密基地の小屋の中は真っ先に確認した。
そして、オウジとタマコを見付けた後、手分けしてミヤを探し始めた13時30分にも確認した。
その2回ともミヤは居なくて、しかしそれ以降、小屋の中は見ていない。
ミヤは、小屋の中には隠れないのだと、そう決めつけていた。
でも──
もしミヤはずっと小屋のそばにいて、鬼の自分から見えない様に、小屋の周りをグルグル回っていだたけなのだとしたら。
(今、小屋の中に避難していても、おかしくないんじゃないか─?)
そんな考えが、頭に浮かぶ。
このまま家に帰って、一刻も早く、ミヤに電話をかけるのか。
それとも、もう一度だけ秘密基地の中を確認してから、家に帰るのか。
しばらく悩んで、シンジはこのまま家に帰る事にした。
きびすを返し、走り出す。
その時だった。
それまでの雷鳴とは異なる轟音が、シンジの後方──秘密基地の、小屋があった方から鳴り響いた。
「───!」
振り返るシンジ。
その目と鼻の先で、土砂崩れが起きていた。
山肌が一斉に崩落し、秘密基地「しゅれでぃんがー」を、土砂が飲み込んでいく。
「───え?」
一瞬にして、秘密基地の小屋は、跡形もなく消え去っていた。
「……」
呆然と立ち尽くすシンジ。
何が起こったのか、理解するのにしばらく時間がかかった。
「あ……」
思わず小屋があった場所へ行こうとして、足を止める。
今土砂の中に足を踏み入れるのは危険だ。
それに何より──秘密基地の中に、ミヤがいたと決まった訳では無いのだ。
(そうさ、ミャーはきっと、今頃家でのんびりしてるはずさ)
シンジは自分にそう言い聞かせると、家に向かって走り出す。
頭上で、ひときわ大きく雷鳴が鳴り響いた。
数分後。
酷く濃い霧が立ち込める中、家路を急ぐシンジは、行く先に女の子の人影を発見する。
「!」
ハッとして足を止めるシンジ。
オウジでも、タマコでも無い女の子の人影。
こんなどしゃ降りの中を、住宅地が近いとはいえ、山道の途中で、傘も差さずに一人佇む女の子が、普通居るだろうか。
雷が光り、数秒遅れて轟音が鳴り響く。
霧の中に浮かぶシルエットに、シンジは見覚えがあった。
得体のしれない期待と不安が湧き上がり、心臓が早鐘を打ち始める。
「……ミャー?」
しゃがれた声で呼び掛け、シンジはゆっくりと歩み寄る。
少女の人影は動かない。
「うっ…!」
地面のぬかるみに足をとられて。
バシャッと大きな音を立てて、何とか踏ん張るシンジ。
するとその音に気が付いたのか、少女の人影は霧の奥へと逃げていく。
「ミャー!」
シンジは大声で呼び掛けると、走って女の子の後を追う。
一瞬見失いかけたが、すぐに女の子に近付いて。
現れた後ろ姿は、紛れもなく箱入ミヤ、その人だった。
「ミャー!」
再びシンジが大声で呼び掛けると、女の子は逃げる足を止めて。
あと数歩の所で、シンジも足を止めた。
そのまま少しばかりの時間が過ぎて──
女の子が、ゆっくりと振り返る。
そして、シンジの顔を見ると照れた様に笑って。
「さすがシニタン、見付かっちゃったよ~」
箱入ミヤが、そこに居た。
「ミャー!今までどこに居たんだ!探したんだぞ!」
ミヤの姿を見て安堵し、心配が解消されると同時に、反動で怒りが込み上げて来るシンジ。
「えへへ~」
笑ってごまかすミヤ。
「いや、もうそんな事はいいんだ。さっき秘密基地が土砂崩れに巻き込まれていたんだ。ここは危ない。今日はもう家に帰ろう、ミャー」
一瞬ミヤを責める様な口調になったが、今はミヤが無事であることが確認出来ただけで充分だと気付き、すぐに訂正するシンジ。
「また明日、皆で遊ぼう」
あえて”明日”と口に出す事で、これからも、皆と一緒に居られるこの時間が続くのだと、そうシンジは自分に言い聞かす。
しかし──
「ごめんね、シニタン」
困った様な顔で、ミヤはそう言った。
雷鳴が、鳴り響いた。
「え……?」
シンジの中で、かき消えたはずの不安が、一瞬で広がっていく。
「な…なんだよ、ゴメンって…?」
混乱する頭で、何かにすがり付くように、必死で言葉を絞り出す。
「……」
ミヤは、何も答えない。
「───!」
そしてシンジは──気付いてしまった。
ミヤの姿の、違和感に。
滝の様に降り続けるどしゃ降りの雨の中で、ミヤの身体は、雨に濡れていなかった。
雨は、ミヤの身体を、すり抜けていた。
──シンジはこれまでも、”雨に濡れない人”の姿を見た事があった。
それはミヤのおじいちゃんだった。
ある日、雨の中、傘も差さずに一人外に佇むミヤのおじいちゃんを見かけたシンジは、いつもの様に挨拶を交わした。
その時ミヤのおじいちゃんは、何故か雨に濡れて無くて。
別れ際、「ミヤの事を、よろしくね」とお願いされたのを、不思議に思いつつ「はい」と答えたのを覚えている。
そしてその後になって、少し前におじいちゃんが亡くなっていたという事を、シンジは知らされたのだった。
そしてその時シンジは、「霊感」というものが存在する事を知り、また、ミヤに”シニタン”というあだ名を付けられたのである。
「ミ…ヤ…?」
かすれた声を出すシンジ。
「カクレンボに負けたから、ミャーは罰ゲームしなきゃだね~」
シンジの不安とは裏腹に、ミヤは底抜けに明るい声を出す。
シンジはカクレンボの罰ゲームなんて、今の今まで忘れていた。
いや、そもそも罰ゲームなんて、今はそんな事をしている場合では無いはずだ。
「それでわ、ミャーはミャーの好きな人の名前を言います!」
「ダメだ!」
ミヤの声を遮る様に、シンジは大声を上げた。
「いや、今は…今は言わなくて良いんだ…。そう、明日…!明日、皆の前で発表しよう…!それでもいいだろ…?その時、ついでに僕も言うからさ、な…?明日にしようぜ…?ミャー…」
ミヤは泣き笑いの様な表情を浮かべて。
「ごめんね、シニタン…」
再びそう繰り返した。
「な…何でだよ…?何で明日じゃダメなんだよ…?別に明日でもいいだろ…?今日じゃなきゃ…?いけない理由なんて、無いんだしさ…」
絶望と恐怖に押しつぶされそうになりながら、わずかな希望を、救いを求めるシンジ。
「……」
黙り込むミヤ。
「っ…!何でっ…何でこんな事になるんだよ…!僕達が、何をしたって言うんだ…!何でミャーが…、ミャーがっ…!」
シンジの目に、涙が溢れる。
その姿を見て、悩みながらも、意を決して口を開くミヤ。
「私…ミャーが、箱入ミヤが好きな人の名前は──」
「やめろ!言うな!」
シンジの叫び声も空しく。
「シニタン…、ううん、永久乃、シンジです。あなたの事が、ずっとずっと、好きでした」
「ミャー…」
ミヤが笑顔を浮かべる。
涙は見えないが、きっと泣いているのだと、シンジは思った。
「…僕も、ミャーが…箱入ミヤの事が、好きです…!ずっとずっと、これからも、ミャーの事が、大好きです!」
ありったけの声で、シンジは叫んだ。
「ほんとう?えへへ、嬉しい!」
ミヤは笑った。
その笑顔が、辛かった。
「何で、どうして、どうしてミャーがこんなことにならなきゃいけないんだっ!」
涙が、言葉が、想いが、止まらない。
そんなシンジの目の前まで、ミヤが歩み寄って。
「泣かないで、シニタン。私、今、幸せだから。シニタンのおかげで、すっごくすっごく、幸せになれたから」
シンジが手を伸ばす。
それでも、ミヤの身体には触れられなかった。
「あ…あぁ…」
自分のせいなのか。
あの時、最後のもう一度だけ、秘密基地の小屋の中を確認していれば、ミヤを助ける事が、出来たのだろうか。
自分が、ミヤを、死なせてしまったのだろうか──
「ありがとうシニタン。私に出逢ってくれて、私を好きになってくれて、ありがとう。ずっとずっと、これからも、大好きだよ──」
ミヤはそう言うと、背伸びをして、シンジに唇を重ねた。
「────!」
しかし感触は何もなく。
気が付いた時、そこにミヤの姿は、無くなっていた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
シンジの慟哭が、霧の中に消えて行った。
第二章 怪奇倶楽部
──あれから4年の歳月が流れて。
永久乃シンジ達は、高校1年生になった。
小学校を卒業後、シンジとオウジは第一中学校に、タマコは第二中学校に進学したが、高校に入って、3人はまた、同じ学校に通う事になった。
ミヤの事があってから、シンジはオウジやタマコとギクシャクする様になっていたが、”高校入学”という環境が大きく変わるという不安と、同じクラスになり、久しぶりに再会したタマコが、積極的に皆の仲を取り持つよう動いた事で、3人は再びグループを組んで遊ぶようになった。
そして高校生活にも馴染み始め、そろそろ夏休みも間近に控えた1学期の終わりに。
シンジ達のクラスに、一人の転校生がやって来た。
「開幾ミスト(カイキミスト)と申します…。皆さま…よろしくお願いいたします…」
担任に連れられ、教室に入ってきた転入生は、黒板に自分の名前を書くと、そう自己紹介した。
血の気の無い色白な肌、長い黒髪をツインテールにし、顔にはそばかす、眠そうに、半開きになっている目はどこか虚ろで。
どことなく、暗く不気味な雰囲気を漂わせる少女が、そこに居た。
「皆、開幾さんと仲良くする様に」
担任の先生が生徒たちにそう促す。
「それじゃあ開幾さん。窓際の一番後ろの席が空いてるから、そこが君の席ね」
窓際の一番後ろ、それはシンジの隣の席だった。
「はい…」
開幾は担任の言葉に小さく返事を返すと、自分の席の方に向かって歩き出す。
音も無く、ゆっくりと。
その様はやはりどこか不気味で、そして不気味さゆえの、美しさがあった。
得体のしれない空気をまとった少女に、自然と皆の注目が集まる。
しんと静まり返る教室。
ふとシンジは、その少女の姿に、どこかで見覚えがある様な気がして。
(いや…気のせいだろうな。小学校にも、こんな娘はいなかったし…)
そう思い直した。
しかし開幾は、シンジの席の前で、ピタリと足を止めて。
シンジの方に、その虚ろな目を向けた。
二人の目が合って。
「……」
生気のない虚ろな目が、シンジの瞳をじっと見つめる。
「あ、あの…何か…?」
シンジが声をかけるも、開幾はそれには答える事無く。
居心地の悪さが、やがて怖さに変わるくらいの時間が経って。
「これから、よろしく…」
ニタリと口元に小さく不気味な笑みを浮かべて。
開幾はシンジにそう挨拶すると、そのまま音も無く自分の席に付いた。
しばらくの静寂。
「よ…よーし、それじゃあ、ホームルームを始めるぞ~!」
そして担任の声を皮切りに、教室に音が蘇る。
いつもと同じ教室のざわめきに、シンジは救われたように息を付いて。
(た…助かった…)
ホッとすると同時に、シンジは全身から、どっと冷や汗が噴き出すのを感じた。
(な…何か、怖い…)
霊感の強いシンジにとって、幽霊は怖い対象ではなかったが、この少女には何故か、幽霊以上に得体の知れない何かを感じていた。
(ま…まぁ、もうすぐ夏休みだ。それまでの我慢…)
席が隣になってしまったが、だからといってどうという事も無いだろうと思い直し、居ずまいを正す。
そう、これからも、これまで通りの、ミャーが居ないという現実が、淡々と続くだけなのだ。
(そうだ。学校生活なんて、どうでもいい事じゃないか。どうせこの先の僕の人生に、幸せなんてものは、ありはしないのだから──)
そう自分に言い聞かせるシンジ。
箱入ミヤを失ってから、もうこれ以上傷つく事が無いように、自分自身にそう染み込ませてきた考え方だった。
しかしシンジは、この時まだ気付いていなかった。
この出逢いが、自分の運命の歯車を、大きく変えてしまったのだという事に。
昼休み。
「開幾さ~ん、良かったら、タマ…私と一緒にご飯食べない?」
授業が終わると同時に、黒鹿タマコは開幾の元へ行き、開口一番食事に誘った。
隣に座るシンジが、ギクリと硬直する。
(そういえば、タマちゃんは社交的な性格だったし、当然誘うよな…)
しかし、シンジ、オウジ、タマコの3人は、学校が終われば一緒につるむこともあるが、学校の中でも常に一緒にいる訳では無い。
むしろタマコは社交的で、クラスの誰とでも話せる人間であり、昼食時間などは女子グループの中に混じってご飯を食べる事が多く、逆に学校でシンジ・オウジと一緒にいる時間はそれほど多くない。
やはり女子は女子、男子は男子でそれとなくグループを作るのだ。
逆にシンジはクラスに友達が少なく、昼食時間は1人か、もしくはオウジと2人でご飯を食べるのみである(オウジは高校に入っても女子に絶大な人気を誇り、様々な女子グループから一緒に食事をしようと誘われる。ただしオウジ本人は、タマコやシンジと一緒に食事がしたい模様…)。
なのでタマコが開幾と友達になったところで、自分と開幾との間に接点が出来る訳でもないだろう、とシンジは自分に言い聞かせる。
そこに、今日はシンジとご飯を食べるつもりなのか、白馬オウジがやって来た。
「フッ、それはいいネ。ボク”たち”も参加させて貰ってもいいかい?」
白い歯を見せて、爽やかフェイスでオウジが言った。
(ほげえええええっ!?)
シンジは心の中で叫んだ。
ボク”たち”──つまり、昼食にシンジが参加する事が、その提案には含まれている。
そういえば、オウジも社交的な性格だった。
開幾はその虚ろな半眼で、タマコ、オウジを見た後、最後にシンジをジーッと凝視し、
「いいわ…。一緒に食事にしましょう…。うふふふふ…」
そう言って、ニタリと不気味な笑顔を浮かべた。
中庭。
屋根とテーブル付きのベンチで、4人は弁当を広げる。
シンジは、購買で買ってきた250円のカレーライス。
オウジは、金持ちらしさが前面に押し出された、キャビアやトリュフやマツタケ等、豪華な食材”だけ”で作られた、逆に美味しいのか良く分からない弁当(ちなみに弁当箱は金色)。
タマコは、その巨体(見た目は小学6年生の頃より、さらにゴリラ度が増している)に似合わず、色とりどりの食材で、可愛らしく盛り付けされた小さな弁当(本人の手作り、料理はべらぼうに上手い)。
そして開幾ミストは、揚げ物、野菜、果物、ご飯とバランスの取れた、しかし重箱3段分のボリュームがある弁当だった。
「改めて自己紹介させて頂戴…。私は開幾ミスト…。ミストって読んで貰えると嬉しいわ…。うふふふふ…」
皆が弁当を広げ終わるのを待って、ミストはそう自己紹介した。
生気を感じない眠そうな目で皆を見回し、笑みを浮かべる。
タマコ、オウジ、そしてシンジも、続けてミストに自己紹介をした(シンジだけ、全身に滝の様に冷や汗をかいていた)。
「よろしく」
皆でそう挨拶すると、各々食事を開始する。
「あなた方は、いつもこうして3人でいるのかしら…?」
ミストが聞いた。
「いつもではないけど、よく一緒に遊ぶわね~。小学校が同じで、タマコ達、子供の頃からの幼馴染だからね」
タマコが答えた。
「そう…。幼馴染がいるって、羨ましいわね…」
ミストはこれでもかと口の中一杯にご飯をかっ込み、モゴモゴと噛んでゴクリと飲み込んでから、ゆったりと喋る。
「フッ…ミストさんは、何でこの高校に転校して来たんだい?」
オウジが、白い歯を光らせて尋ねる。
「ひみつ…うふふふふ…」
不気味な笑みをたたえたまま、ボソリと呟くミスト。
「ま…まぁ初対面でプライベートな質問をするのはマナー違反だったよね、フフ…」
慌てて取り繕うオウジだったが、そんな姿もハンサムだった。
(おお、サムの”ハンサムスマイル”をスルーした…!)
シンジは驚く。
オウジの白い歯から発せられるびーむを目にした女子は、大体4分の1くらいの確率でノックアウトしてしまうのだ。
ミストはあまりハンサメンに興味が無い人なのかな、とシンジは思った。
「皆さんは何か…クラブ活動とかしていらっしゃるのかしら…?」
”皆さん”と言いつつ、シンジの方を凝視しながらミストが聞いてくる。
「…いえ、僕は特に何もしていないですけど…」
ぎこちなくシンジが答える。
「…そう…。それは良かった…」
ミストはほとんど聞き取れないくらい小さな声で、ボソリとそう呟いた。
(な…何が良かったんでございますでしょうか…?)
シンジは不安になる。
「タマコは華道部、茶道部、書道部、手芸部、お料理研究会に入っているわよん♪」
タマコが言った。
(アグレッシブすぎだろ…)
シンジは思った。
「…アグレッシブすぎるわね…」
ミストが感想を洩らす。
「フッ…ボクは馬術部とテニス部に入っているんだ」
白い歯がオウジを光らせ…もとい、オウジが白い歯を光らせる。
「この学校に、馬術部なんてあったっけ?」
シンジが聞くと、
「フッ…無かったよ。だから、学校側に頼んで、作ってもらったのサ。もちろん馬や馬小屋、エサ代や飼育員の給料、そして土地代や馬場を作るもろもろの費用は、全てこちらで用意させてもらったよ」
オウジは事も無げに答えた。
(金の暴力だ…)
シンジは思った。
「金の暴力…」
ミストが呟いた。
(おうふ、何かさっきから僕とミストさんの考えがシンクロしているっ!?)
シンジは動揺する。
「ミストさんは何か部活に入る予定はあるの?」
タマコが聞いた。
「…いいえ…」
ミストは小さく首を振ると、
「私…新しくクラブを作ろうと思っているわ…」
そう言った。
「フッ…どんな部活なんだい?」
オウジが聞くと、
「…”怪奇倶楽部”…」
ミストはそう答えた。
「怪奇倶楽部?」
思わず聞き返すシンジ。
「そう…超常現象や怪奇な出来事を調べるクラブ…」
「超常現象なんて現実には無いんじゃないかな?」
シンジが言うと、
「フッ…霊感が強くて幽霊が見えるとか言っている人間の言葉とは思えないネ」
と、白い歯が突っ込んだ。
「ん~、でも、超常現象や怪奇な出来事を調べるって、具体的に何をするの?タマコ、オカルトはちょっと苦手だずぇ~」
タマコが聞く。
ミストは口一杯にほおばったおかずをお茶で流し込んでから、口を開く。
「…霧(きり)」
「きり?」
「そう…霧」
虚ろな目をまっすぐにシンジに向けながら、呟くように喋るミスト。
「この街には、よく霧が発生するわ…。その霧を、調べるの…」
「う~ん?確かに霧は良く発生するけど、それが超常現象と何か関係があるの?」
タマコが聞くと、
「…バミューダトライアングル」
ミストはそう答えた。
「バミューダトライアングル…?フッ…あの大西洋上にある、”魔の三角地帯”と呼ばれる海域の事かい?」
三角の白い犬歯が、自然な流れで説明をする。
「バミューダトライアングルでは昔、飛行機や船が失踪する事があったって、聞いた事があるな~。原因はもう解明されたんだっけ?解明されてないなら、確かに超常現象っぽいけど、今はどうなんだろう?」
タマコが言う。
「……。バミューダトライアングルでは飛行機や船が失踪する直前に、乗組員から『霧に包まれた』と通信が入ったと聞いた事がある…。けど、まさか…」
シンジの言葉に、ミストはニタリと不気味に笑う。
「そうよ…。その霧の事…。正確には、霧とよく似た”白いモヤの様な何か”──」
シンジは、ミストの目に吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
「その霧──その時、バミューダトライアングル内で発生していた”白いモヤ”は、”次元の歪み”から漏れ出して来ている物よ…。その霧の中では、磁気が狂い、機械を誤作動させてしまう事があるみたい…」
「へぇ~、その”白いモヤ”と同じ物が、この街でも発生しているって言うの…?」
タマコが聞いた。
「そう…。この街の霧は、ただの霧じゃないわ…。魔の三角地帯と同じ物…」
「フッ…それで、この街の霧を調べて、どうするというんだい?」
「霧の最も濃い中心部を探すのよ…。この霧が発生するという事は、そこに”次元の歪み”が存在するという事だから…。そして、霧の最も濃い中心部には、きっと大きな”次元の歪み”が存在するはずだわ…」
「…”次元の歪み”には、何があるの?」
シンジがゴクリと唾を飲み込む。
「”次元の歪み”が存在する所は、時間も空間も歪んでいるわ…。そこでは時として、どこか別の空間と、繋がる事がある…」
「別の空間…?」
「そう…。此処ではないどこかかもしれないし、今ではない時間かもしれない…。”今”、そして”此処”ではないどこかに繋がる”異界の扉”が、霧の震源地に、きっとこの街のどこかに、存在するわ…。それを調査するのが、”怪奇倶楽部”の活動内容よ…」
重箱3段分の弁当を綺麗さっぱり食べ終え、ミストは言った。
「……」
言葉が出ない3人。
「どうかしら…?誰か”怪奇倶楽部”に入ってくれる人はいないかしら…?」
”誰か”と言いつつシンジの目をじっと見ながら提案するミスト。
「でもさ、もし…本当に”異界の扉”なんてものがあったりしたら、近付くのは危険じゃないのかな?…大丈夫だぜ?」
タマコが言った。
「そうね…危険が無いとは言い切れないわ…。バミューダトライアングルに入って、帰って来なかった人はいるから…」
「フッ…開幾さんが危険を冒してまで”異界の扉”を見付けたい理由は何だい?」
オウジが尋ねる。
「別に…興味があるから…。それだけ…。逆に貴方達は、興味は無いのかしら…?」
「それは…ちょっと興味あるけど…」
シンジが答える。
「うふふ…。それに…さっきも言った通り、”次元の歪み”では時間も歪んでいるわ…。だから…”異界の扉”が、別の時間にある空間に繋がる事もあるかも知れない…。そしてその”別の時間”が過去である可能性も、否定できない…」
ミストは、ニタリと不気味に笑った。
「”扉”が過去の空間に繋がる様な事があれば、過去の世界に戻る事も、出来るかもしれないわね…。ねぇ…貴方達には、”もし過去に戻る事が出来たとしたなら、何としてでもやり直したい出来事”なんてものが、あったりはしないのかしら…?うふふふふ…」
ミストの言葉に、ゾクリと、シンジの背中に戦慄が走る。
僅かに、身体が震えるのを感じた。
『あなたの事が、ずっとずっと、好きでした』
(ミャー…)
4年前、箱入ミヤと交わした最後の会話が蘇る。
(過去に…戻れる?)
全身から、ドッと冷や汗が流れ出る。
(ミャーに、逢える…?)
心臓が早鐘を打つ。
(過去を…やり直せる…?)
シンジの中で、色んな感情が錯綜する。
言葉が震えそうになるのを必死で抑えながら、シンジは聞いた。
「本当に…本当に、”異界の扉”なんてものが、存在するのか…?」
「さぁ…?分からないわ…。だからそれを調べようというのよ…。”怪奇倶楽部”でね…うふふふふ…」
半分に開いた眼で、シンジの目をまっすぐに見つめながら、ミストは言った。
「改めて聞くわ…。この中に誰か、”怪奇倶楽部”に入りたい人は居ないかしら…?」
シンジは答えた。
「入るよ、ミストさん。”怪奇倶楽部”に。いや…どうか入らせて欲しい」
その言葉を聞いて、ミストはニタリと不気味にほほ笑んだ。
「もちろん歓迎するわ…シンジ。ようこそ、”怪奇倶楽部”へ…。うふふふふ…」
その様子を見て、オウジとタマコが顔を見合わせる。
何かを決意したように頷いて、
「フッ…シンジが入るなら、ボクも入らない訳にはいかないな…。いや、その言い方は卑怯だったね…。そう、救いたい人を、救おうとしている人がいるんだ。それならぜひ、ボクも仲間に入れて欲しいと思うよ。どうかな?」
「タマコも…!タマコも、”怪奇倶楽部”に入りたい。変えたい過去があるから。例え変えられないものであったとしても、変えられそうな全ての事を、試した後で諦めたいの。だから、ミストさん…!」
2人の、切実な願いのこもった言葉に、ミストは。
「えぇ。もちろん、貴方達も歓迎するわ…。ようこそ、我が”怪奇倶楽部”へ…。うふふふふ…」
相変わらずの、不気味に見えるミストの笑い。
でもこの時シンジには、ミストが仲間が出来た事に、純粋に喜んでいる様に見えた。
不気味で、得体のしれない少女。でも…。
(案外、ちょっと変わっているだけの、普通の女の子なのかもしれない…)
シンジはちょっと、そんな事を思った。
その日の放課後。
旧校舎の一室に、シンジ達は集まっていた。
シンジ達の通う学校には校舎が二つ存在し、普段授業で使っているのが比較的綺麗な新校舎、そしてクラブに部室としてあてがわれているのがオンボロの旧校舎である。
旧校舎は古い木造の建物であり、所々木が腐り、扉の立て付けも悪く、ガラスが割れたままになっている窓もあちこちにあった。
そして今、シンジ達4人がいる教室も例外ではない。
旧校舎の4階、何故か他の教室から離れたところに、一つだけポツンと作られたそこで。
「どうかしら…?ここが我らが”怪奇倶楽部”の部室よ…」
ガラスの割れていない窓も含め、光を遮断する様に全ての窓に目張りがされている、薄暗い、朽ちかけたボロボロの教室の真ん中で、ミストが両手を広げて紹介する。
その教室のオンボロ具合と不気味さは、かつて自分達が秘密基地に使っていた小屋、「しゅれでぃんがー」をシンジに連想させた。
教室の片隅に、何故か全身鏡が立て掛けてある所まで一緒である。
「しゅれでぃんがー」には辛い思い出があるので、あまり思い出したくはなかったが、ただ廃墟の様な寂れた空間自体は元々好きだったので、シンジはこの教室を一目で気に入っていた。
「いいかも…」
ずっと使われてなかったのかかなり埃っぽいが、ちゃんと掃除をすれば問題無いだろう。
ミストはその眠そうな半眼をシンジの方に向けると、
「でしょう…?私も気に入っているわ、シンジ…。うふふふふ…」
相変わらずの不気味な笑顔を浮かべた。
「うわ~…古いわね、この教室…。ボロボロだし、ちょっと不気味…。今にも何か得体のしれないものが出てきそう…。タマコ、幽霊は苦手なんだぜぇ…」
タマコが言った。
「大丈夫だよ。幽霊だって元は人間なんだから。幽霊が見える見えないにかかわらず、礼節をわきまえている人には、幽霊はあんまり攻撃して来ないと思うよ。まぁ、多分だけど…」
「う~、止めてちょんまげ…。そうは言っても怖いものは怖いんだから…」
タマコはゴリラの様な巨体を縮こませる。
「どうしても怖い時は、僕はその場で”黙とう”を捧げる様にしているよ。幽霊さんの冥福を祈っていると、不思議と恐怖が和らぐから…。あと、これだけは確実に言える。”攻撃的な生きた人間より、怖い幽霊は居ない”」
シンジは自信満々に言った。
「全然慰めになってないぜ~?シンジ君…」
ミストの様にジト目になって、シンジを睨むタマコ。
「フッ…しかし良く直ぐに部室が見付かったものだね。確か、他にもいくつかの同好会が、どこか部室が開くのを待っている状態だと聞いたけどネ」
オウジが白い歯を見せるが、教室が薄暗いので、いつもほどの輝きは無かった。
「うふふ…。この教室はずっと、誰にも使われていなかったのよ…」
「フッ…本当かい?部室棟はずっと空きが無い状態だと聞いたんだけど、フレンドが勘違いでもしていたのかな?」
「いいえ…、そのフレンドさんの勘違いではないわ…。確かに、部室棟の教室に空きは無かったのよ…。そう、4階に何故か一つだけ存在する、この教室も含めてね…。うふふふふ…。分かるかしら…?この教室は、今まで”使われてはいなかったけど、開いてもいなかった”のよ…。この意味が、どういう事なのか、分かる…?」
シンジは、何か嫌な予感がした。
「4年前、この教室で、ある”事件”が起きたのよ…。とても悲惨な”事件”がね…。それ以降、誰もここに近寄ろうとはせず、この教室は固く閉ざされ、4階の”開かずの間”となって今まで放置されていたの…」
ミストはニタリと笑う。
薄暗い教室の中で、ミストの虚ろな目だけが、ギラリと明るく光ったような気がした。
「せっかく教室があるのに、使わないなんて勿体ないでしょう…?だから今朝、転入の挨拶をする為に職員室に行った時、先生方に許可を取っておいたのよ…。そしてさっき、こじ開けさせて貰ったってわけ…。うふふふふ…」
「か、開幾さんは凄い度胸があるね…」
オウジの爽やかスマイルも若干引きつっている。
「ちょっと質問してもいい?」
シンジがミストに聞いた。
「ええ、いいわよ…。何でも聞いて頂戴…。答えられる事なら、答えてあげるわ…。答えられる事ならね…。うふふふふ…」
「在校生でも知らないこの教室の存在を、ミストさんはどこで知ったの?あと、許可を取ったのが今朝って事は、僕達が”怪奇倶楽部”に入るかどうかも分からない時に、だよね…?部員が4人集まらないと、同好会の申請も出せないはずだけど…」
ミストの半眼が、キラリと光る。
「ひみつ…。うふふふふ…」
(前言撤回…。絶対、”ちょっと変わっているだけの、普通の女の子”では無いです…。得体が知れない…)
シンジは思った。
(でも…何を考えているか分からない女の子ではあるけれど、人を傷つける様な事をする人間では無い気がする。それは多分、間違いない)
相変わらず不気味ではあったが、その不気味さに、もう恐怖は感じなくなっていた。
シンジは、人を見る目には、自身があったから。
「うふふふふ…。それでは、今この時をもって、”怪奇倶楽部”の発足とするわ…。皆さん、これからよろしくお願いいたしますわ…」
ミストが不気味な笑みを浮かべたまま挨拶をして。
その日から、”怪奇倶楽部”の4人による、”霧”の調査が始まった。
第三章 ”霧”を求めて
「フッ…それで?”次元の歪み”を調べるという事だけど、具体的に、どうやって見付けるんだい?」
長い事使われていなかった教室を、ざっと簡単に掃除して、後ろの方に積まれていた机と椅子を部屋の真ん中で突き合わせて、部室としての体裁を簡単に整えた後。
まるでモデルの様な爽やかハンサムスマイルで、白馬オウジは”怪奇倶楽部”の活動内容の、本題に入った。
「”霧”よ…。”次元の歪み”からは、霧によく似た”白いモヤ”が溢れ出してくる事があるの…。だから、霧の発生している場所へ行って、そこを調べるの…」
血の気の無い真っ白な肌、そして闇の様に真っ黒な長髪をツインテールにしたソバカスの少女、開幾ミストが不気味な笑みを浮かべながらそれに応える。
「その”霧”はどうやって調べたらいいの?タマコは霊感とか無いんだけど、普通の霧と、その”白いモヤ”の区別って、簡単につくの?」
ゴリラの様な顔と身体ながら、可愛らしい声と仕草と髪型のJK、黒鹿タマコがミストに聞いた。
「私が直接確認すれば、”霧”と”白いモヤ”の区別は付くのだけれど…。具体的に何か違いを見ているのではなく、私が直感で「分かる」だけだから、他の人の参考にはならないわね…」
ミストは眠そうな目を遠くに向けて考える。
「そうね…、見た目では殆ど区別は付かないわ…。ただ、”次元の歪み”から漏れ出ている”白いモヤ”の中では、電子機器が誤作動を起こす事がよくあるから、携帯電話を操作してみるのは、霧を区別する手段として有効かもしれないわね…」
ミストが答える。
「あと、”次元の歪み”がそんなに広範囲に広がる事はそう無いから、不自然に規模の小さい霧が発生したら、可能性はより高くなると思うわ…」
「つまり、まずこの街のどこかで”霧”が発生していないかを調べる。次にその霧の中で携帯が誤作動起こさないかを調べて、もし誤作動を起こすようなら、その近くに”次元の歪み”があるかも知れない、という事で大丈夫かな?」
”怪奇倶楽部”の部室の中に居る4人の中で、最も地味な、ギャルゲーで言う所の立ち絵の無い感じのごく普通の少年、永久乃シンジが言った。
「ええ、大体そんな感じでいいわ…。我が部の部員は皆物分かりが良くて助かるわね…。うふふふふ…」
ミストは満足そうに笑う。
「フッ…それで、もし”次元の歪み”を見付けたら、どうしたら良いんだい?」
オウジが尋ねる。
「まず私を呼んでちょうだい…。間違っても単独で、近づきすぎない様に…。”次元の歪み”は、どこか別の空間と繋がっている事もあるわ…。迷い込んだら、帰ってこられなくなる事もあるから、気を付ける事ね…」
ミストの言葉に、3人は息を呑んだ。
そう、彼らがやろうとしている事は、”次元の歪み”を通って、過去へ行けるか確かめる事なのだ。
そして、4年前の夏休みに亡くなった、箱入ミヤを助ける方法を探す事。
ミヤが亡くなったという事実を、変える事。
それが、”怪奇倶楽部”の、少なくともシンジ、オウジ、タマコの、活動目的だった。
そして、時空を越えて、過去を変えようというのだ。
ある程度のリスクは、避けられないのかも知れない。
「うふふ…、怖気づいたかしら…?恐くなったら、いつでも辞めていいわよ…」
ニタリと不気味な笑みを浮かべて、ミストは聞いた。
それでも、彼らの決意は変わらない。
「いいや、やるよ」
シンジは即答する。
「そう…、良かったわ…。うふふふふ…」
ミストはいつもと同じ様に笑ったが、シンジにはそれが、どこかほっとした笑いの様にも見えた。
「うん…でもさ、霧が発生している所を探すだけならさ、案外すぐに”次元の歪み”って、見付かったりするんじゃね?」
タマコが言った。
「どうかしら…?”次元の歪み”は、一つの決まった場所に、常に存在しているという訳では無いわ…。現れるとしても数時間程度、また、いつも同じ場所に現れるとも限らない…。ただ、調べてみると、ある一定の範囲内に発生が集中する事がある、という事が分かっているだけよ…」
「その”霧が集中して発生るする範囲”が、この地域だった、っていう事か…」
シンジが言うと、
「そうよ…。だから、一度この地域をくまなく調べれば、必ず発見出来るというものではないわ…。同じ場所でも、何度も調べる必要がある…。”次元の歪み”を見付けるには、運も必要になってくるという訳ね…」
ミストが言った。
「フッ…運が良ければ直ぐ見付かるかもしれない反面、運が悪ければいつまで経っても見付からないかもしれない、という事かい?」
オウジの問いに、
「そういう事ね…。うふふふふ…」
ミストはいたずらっぽく笑った。
「それじゃあどうやって、その時々で霧が発生している所を見付けるか、ね」
「フッ…スマホでこの街の天気を調べる事と、フレンズに霧が発生している所を見かけたら、メールで教えて貰うよう頼むくらいなら出来るよ」
「そうね、タマコも友達にお願いしてみる。それでもし友達がメールを送ろうとして、携帯が誤作動を起こしたら、当たりの可能性が高いって事だよね」
オウジとタマコが言った。
「うん…トモダチ作戦は、サムとタマちゃんにお願いするよ…」
ビミョーに所在なさげにシンジが呟く。
「…シンジは他に友達が居ないという事かしら…?」
「ぐふっ!?」
ミストの言葉に、シンジは心臓を抑えて机に突っ伏した。
「あらあら可哀想…。でも安心して頂戴…。私は友人の多さで、人を判断したりはしないから…。うふふふふ…」
「アリガトーゴザイマス…」
机に伏せたままお礼を言うシンジ。
「フッ…フレンドというものは、数を競うものでは無いのサ。一緒にいる事が苦痛で無い人が、数人もいれば充分な様なきもするヨ」
友達の多いオウジの言葉には、どこか余裕が感じられた。
「あ~でもさ、”次元の歪み”から出る霧の近くだと、電子機器が誤作動を起こすんでしょ?携帯でメールを送れなくならないんだぜ?」
「大丈夫…。霧から離れたら直ぐに誤作動は収まるから…。そしてそこまで来たら、もうほとんど大当たりね…」
タマコの言葉に、ミストが答える。
「オッケー、分かった。友達に伝えとくべさ~」
タマコはさっそくメールを打ち始める。
「フッ…それで?後は霧の情報が入るまで、この部室に待機するのかい?」
「そうね…。この部室に”次元の歪み”が出現するのを期待して、部室に待機するのも一つの選択肢だけど、自分達で歩いて探すのもいいわ…。何が正解なんてないのだから、その時見付かりそうな”気がする”と思った事を、していくのがいいと思うわ…。そういった”直感”こそが、”次元の歪み”の発見に、一番必要なものかも知れないし…。うふふふふ…」
ミストが笑う。
「どう…?”霧”が発生しそうな”気がする”所、貴方達には無いかしら…?」
ミストが聞いた。
3人はしばらく黙り込み、そしてシンジが口を開く。
「あそこに、自宅近くの裏山に行きたい。あの、秘密基地『しゅれでぃんがー』があった、あの場所に──」
オウジとタマコが顔を見合わせ、ミストは元々半眼だった目を、更に細めた。
「いいわ…、行きましょう…。その、秘密基地『しゅれでぃんがー』があったという、裏山の所へ…」
ミストはニタリと得体のしれない笑みを浮かべた。
夕方、黄昏時。
夏休みを目前に控え、長くなった日が、沈みかける頃。
自宅近くの、裏山のふもとに、シンジ達4人は集まっていた。
「大分日が傾いてきたわね…。霧も発生していないようだし、今日は秘密基地のあった場所を軽く下見するだけにして、暗くなる前に帰りましょう…」
赤く染まった空を見上げながら、ミストは言った。
オウジとタマコは他にも部活があったが、今日が”怪奇倶楽部”の活動初日という事で、こちらの方に最後まで参加する事にして、一緒に来ている。
しばらくの沈黙があって、
「それじゃあ…行こうか…?」
タマコが皆を促した。
ミスト以外の3人は、どこか緊張した様子で、ゆっくりと歩き出す。
急に漂い始める張り詰めた空気に、ミストは少し不安になった。
「皆、大丈夫かしら…?」
「うん…大丈夫…」
憔悴した面持ちで、ゆっくりと歩を進めながらシンジが答える。
山を登る3人の姿を後ろから眺めながら、ミストは何事も無く無事に戻ってこられる様、心の中でそっと祈りを捧げていた。
しかし、前を歩く3人の足取りは重かった。
実は、シンジ、オウジ、タマコの3人は、秘密基地「しゅれでぃんがー」が土砂崩れに遭って以降、この裏山には近付かない様にしていた。
いや、近づけなかった、と言った方が正しいのかも知れない。
ここには、幼い頃の楽しかった思い出が、箱入ミヤと遊んだ思い出が、詰まっているから。
そしてだからこそ、箱入ミヤがもう居なくなってしまったのだという現実を突きつけられて、辛くなるから。
だからもう、足を踏み入れる事が、出来なくなっていた。
特にシンジは、あの事件以降、一歩たりともこの裏山には足を踏み入れていない。
(ミャー…)
そして今、一歩一歩、地面を踏みしめながら、思わず心の中でその名を呼んでしまうシンジ。
楽しかった記憶と、ずっと心の奥に封印していたが悲しみが、再び蘇ってくる。
一歩ごとに、胸が張り裂けそうなあの痛みが、蘇ってくる。
それでもシンジは、確認しなければならなかった。
あの日、この裏山で起こった出来事を。
ハッキリと覚えている。
秘密基地「しゅれでぃんがー」が土砂崩れに遭ったあの日。
そして箱入ミヤが亡くなったあの日。
この裏山一帯には、数メートル先も見えないくらい、濃い霧が立ち込めていたのだ。
そして当時、オウジが持っていた携帯電話も、繋がらなくなっていて。
そして何故か、ずっと得体のしれない焦燥感に駆られた事を、覚えている。
それはきっと、”次元の歪み”が発生していたのが原因ではないのか──何故かシンジには今、そんな風に思えた。
秘密基地が土砂崩れに巻き込まれた後、シンジはミヤの幽霊を目撃している。
そして翌日、秘密基地の小屋の跡からミヤの遺体が発見されて。
だからあの時、確かにミヤは亡くなったのだ。
それはきっと、間違いない。
それでもその時、”次元の歪み”か何かが発生していて、それが何らかの形で作用して、ミヤの生存に繋がってはくれはしないかと、思わずにはいられなかった。
例えそれが、あり得ない事だと分かっていても。
シンジは今、すがり付ける希望が、欲しかった。
だから一歩一歩、かつて秘密基地があった所へ、歩みを進める。
あの日にあった、霧の、”次元の歪み”の、ミヤの生存の、可能性の痕跡を求めて。
そして、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋へ向かう道の途中の、少し開けた場所に4人が出た時だった。
そこは、眼下に広がる街並みを一望出来る、かつてシンジ達のお気に入りの場所だった所で。
『シニタン』
ふと自分の名前を呼ばれた気がして、シンジは顔を上げた。
「───!」
沈む夕日を浴びて、そこに一人の少女が、箱入ミヤが立っていた。
「ミャー──!」
思わず声を上げるシンジ。
その名前に、オウジとタマコも、ハッとした様に顔を上げる。
しかし、皆が見つめるその先に、少女の姿は無かった。
「あ…」
誰もいない空間に向かって、手を伸ばしたまま、シンジは動きを止める。
ミヤの姿は、そこには無かった。
それは、幽霊ですらない、自分の願望が見せた、幻だった。
「シンジ…」「シンちゃん…」
オウジとタマコが、シンジに声をかける。
「いや…ゴメン…。ちょっと、ミャーの声が聞こえた気がしてさ…。はは…」
慌てて取り繕うシンジ。
そして辺りを見回して、ハッとする。
そこは、4年前のあの日、死んだミヤの幽霊と、最後に言葉を交わした場所だった。
「───!」
一瞬で吐き気が込み上げ、道の脇の草むらに、昼に食べたカレーを全てぶちまける。
胃の中にあった全ての食べ物を吐き戻しても、胃の収縮はしばらく治まらず、シンジは空嘔吐に苦しんだ。
「……」
何も言わず、シンジの背中に手を当てるミスト。
シンジは呼吸困難に苦しみながら、涙が止めどなく溢れてきた。
(突き付けられてしまった…。現実を、突き付けられてしまった──!)
箱入ミヤが、もうこの世には居ないという事を、シンジは頭では”知って”いた。
しかし、心で”理解”してはいなかった。
今は遠くに行っていて会えないけれど、いつの日か、「シニタンただいま~!」って、いつもの満開の笑顔で、ひょっこりと顔を現わす時が来るんじゃないかと、心のどこかで思っていた。
この4年間、ミヤが死んだという事実から、ずっと目を背けてきた。
でも、もうその日が来る事は無いのだという現実を、今、突き付けられてしまったのだ。
理解してしまったのだ。
──箱入ミヤに逢う事は、もう、二度とないのだ。
ようやく呼吸が出来る様になった喉からは、嗚咽が漏れてきて。
「あ…あぁ…ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~っ!」
夕焼けの空に、シンジの鳴き声が消えて行った。
1時間後。
裏山の麓で一人休むシンジの元に、ミスト、オウジ、タマコの3人が戻ってきた。
憔悴したシンジをこれ以上進ませるのは良くないだろうという事で、シンジに戻って休むよう伝えると、ミスト、オウジ、タマコの3人は、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋があった場所へ向かったのだった。
「…おかえり…」
少し疲れた様子で、それでも笑顔を作りながら、3人に声をかけるシンジ。
「シンジ…。少し落ち着いたかしら…?大丈夫…?」
ミストがシンジの様子を気遣う。
「うん…、大丈夫。大分落ち着いたから…」
弱々しく答えるシンジ。
「びっくりしたわよ…急に吐くんだもの。…何か飲みたいものとかある?そこの自販機で買ってくるけど」
「いや、いいよ。…大丈夫」
「やっぱり、ミャーちゃんの事、かい?」
「うん…ちょっとね…。色々、思い出しちゃって…」
タマコとオウジが声をかける。
皆の優しさが身に染みて感じられる。
今ここに、この3人が居てくれて良かったと、シンジは心から思った。
「──それで、どうだった…?秘密基地があった場所は…?」
「うん…やっぱりだけど、何も無くなってたな。秘密基地の小屋も、土砂崩れの跡も、何もかも…。まるで初めから、そこに秘密基地なんて無かったみたいに…」
「ああ…。もともと秘密基地は山道から外れた森の中にあったからね。今はすっかり草木に埋もれてしまっていてね…。子供の頃の、一番楽しかった思い出の場所が、今はもう失われてしまったんだという事実を突き付けられたみたいで、辛かったよ…」
タマコとオウジは、それぞれに報告する。
「そうか…」
沈む夕日を見つめながら、ポツリと呟くシンジ。
「話は聞かせてもらったわ…。貴方達が、何故過去を変えたいと思っているのか…。4年前に、ここで何があったのか…」
ミストが夕日を背に、シンジに語り掛ける。
「結論から言うと、今、この裏山周辺に、”次元の歪み”があった痕跡は残っていないわね…。ここ最近に関して言えば、”次元の歪み”から漏れ出る霧も、発生してはいないみたい…」
その言葉に、オウジとタマコが、顔を伏せる。
一方シンジは、逆光で、表情のよく分からないミストの姿を、じっと見つめていた。
「でもだからといって、それが土砂崩れがあったその4年前に、”次元の歪み”がここに存在していなかったという証明になる訳では無いわ…。今はその存在を感じないけれど、昔はあった可能性も考えられる…。4年前、箱入ミヤさんが、ここで”次元の歪み”に接触していた可能性が、0になった訳では無いわ…」
「そうか…」
またポツリと、シンジは呟いた。
「焦らずに行きましょう…。”怪奇倶楽部”の活動は、まだ始まったばかりよ…。もうすぐ夏休みも始まるし、希望を捨てずに頑張りましょう…」
ミストがそう締めくくり、”怪奇倶楽部”の記念すべき第一日目の活動は、こうして終了した。
それから。
シンジは毎日の様に”怪奇倶楽部”に顔を出し、オウジとタマコは他の部活動の合間をぬって、”霧”の発生場所の調査を続けた。
天気予報を毎日頻繁にチェックし、オウジとタマコの広い交友関係(この二人は校外にも友人が多い)を駆使したネットワークで霧の情報を集めては、直接足を運んで調べていった。
しかし、シンジ達の住む街は、元々霧の発生しやすい地域ではあったが、その発生する霧のどれもが電子機器を誤作動させる様な霧ではなく、これといった成果も上げられないまま、ただ時間だけが過ぎて行った。
そして夏休みに入ると、4人はより一層精力的に活動していったが、それでも”次元の歪み”に繋がる様な情報は得られず、それどころか8月に入ると、晴れ間が続き、空気も乾燥しきって、普通の霧すら出なくなってしまった。
週間の天気予報、全て晴れ。
その先も当分、雨が降る見込み無し。
そして。
夏休み、8月6日、昼12時00分、正午。
旧校舎4階、”怪奇倶楽部”の部室で。
シンジ、オウジ、タマコを前に、開幾ミストは開口一番、こう切り出した。
「ごめんなさい…。私は皆に、謝らなければならない事があるわ…」
「…?」
「……」
「……」
顔を見合わせる3人。
全ての窓に目張りがされ、その隙間から漏れる僅かな日差しに照らし出されたミストの顔は、ひどく疲れて見えた。
「…”怪奇倶楽部”を、解散するわ…」
「えっ…?」
突然のミストの言葉に、驚く3人。
「どうして…?」
シンジが最初に質問を口にする。
ミストはしばらくためらった後、意を決したように口を開いた。
「皆も薄々気付いているのではないかしら…?私が、嘘つきだという事に…」
「……」
沈黙が、”怪奇倶楽部”の部室を包む。
どこか遠くで、セミの鳴き声が聞こえる。
「そう…私が今まで話してきた事は、全て嘘だったのよ…。”次元の歪み”の事も、霧の様な”白いモヤ”の事も…」
ポツリポツリと、ミストは絞り出すように言葉を紡ぐ。
「”次元の歪み”なんてこの世には無いし、電子機器を狂わせる”白いモヤ”なんてものもこの世には無いの…。もちろん、”異界の扉”を通って、過去を変える事なんて、絶対に出来ないわ…。そんなもの、この世には無いんだから…」
ミストはうつむきながら、自分のスカートを、力の限り握りしめて。
「全て私の創作の、作り話だったのよ…」
その目に、涙がにじんだ。
「ねぇミストさん…。どうして、どうしてそんな作り話をしたの?」
責める様な口調にならないよう、精一杯優しい声でタマコが聞いた。
「私っ…これまでずっと一人で…友達が、居なかったから…。転校して、新しい環境で、新しい自分になって、友達を作りたかった…。ずっと誰かと、一緒に、遊びたかった…。だから…」
ミストの、小さな肩が震えている。
「フッ…それで、どうして今になって、本当の事を言おうと思ったんだい?」
オウジは優しく微笑んだまま、ミストに問いかける。
「最初は、楽しかった…。霧を探して、街中を歩き回って…。ずっとこんな風に、誰かと過ごしたかったから…。毎日が夢みたいで、その内本当に、”次元の歪み”みたいな夢物語も、現実になるんじゃないかって、そんな気がする様になっていたわ…」
ミストの頬を、涙が伝う。
「でも…8月になって、空気が乾燥して、霧が出なくなって、こうして部室で、何もすることなくジッと時間を過ごさせるようになって、我に返ったわ…。私は、皆の、今しかない貴重な時間を、私の嘘とわがままで、奪い取っているんだって…」
そして涙は、ポタポタと机に落ちた。
「そう思ったら、途端に怖くなったわ…。皆に嘘をついている事も、それで皆の時間を無駄にしている事も…。だから、一刻も早く謝って、この”怪奇倶楽部”を終わらせなきゃって…」
そこから先は、言葉にならなかった。
「……」
沈黙が部室を支配して、ミストの嗚咽だけが響き渡る。
しばらくして、タマコが口を開いた。
「ミストさん、一緒に遊びたかったら、ちゃんと言葉でそう伝えて。貴方が誘ってくれるなら、タマコはこれからも、喜んで一緒に遊ぶから。”怪奇倶楽部”の活動は、貴方と一緒の時間は、本当に楽しかったから。ただ、嘘をつく事だけは止めて頂戴…。タマコも、貴方も、両方傷付いてしまうから…。だからお願い…」
「はい…」
小さく、しかしハッキリと、ミストは答えた。
「フッ…。良く、勇気を出して言ってくれたね。嘘はいけない事だけど、それをちゃんと認め、誤った事は、本当に凄い事だと思うよ。嘘を恥じる気持ちを、どうかこれからも忘れずに居て欲しい。あとボクも、”怪奇倶楽部”で過ごした時間はとても楽しかったから、ぜひまた遊びに誘ってくれると嬉しいな。またこの4人で、一緒に遊ぼう」
爽やかな笑顔で、オウジは言った。
「はい…」
オウジの言葉にミストは返事をすると、図っと俯いていた頭を上げて。
その涙の溢れた虚ろな目で、オウジ、タマコ、そしてシンジを順に見つめると、
「今までありがとう…。そして本当に、ごめんなさい…」
ゆっくりと、そして深々と、その頭を下げた。
2時間後、14時00分。
”怪奇倶楽部”の部室には、シンジとミストだけが残っていた。
あの後しばらくして、オウジとタマコは、最近参加出来ていなかった他の部活に顔を出してくると言って、部室を出て行っていて。
残った2人は、それからずっと、無言のまま部室で床を眺めていた。
お互いに、何を話しかけたらいいのか分からないまま、声をかけるタイミングも見失って。
その気まずささえ、ふと忘れてしまうくらいの時間が経って。
ミストがポツリと呟くように、シンジに聞いた。
「シンジは…家に、帰らないの…?」
普段からゆっくりと、小さな声で話すミストだったが、今の声はそれ以上に弱々しくて。
触れるだけで壊れてしまいそうな、儚さを感じた。
しばらくの沈黙の後。
「うん…。帰ってもする事ないし…」
シンジも自然、小さな声で答えた。
「そう…」
そしてまた、沈黙。
セミの鳴き声と、運動部の掛け声、吹奏楽部の演奏が、遠くの方で聞こえる。
殆ど光が差し込まず、薄暗い教室は、他に何も動く物が無くて。
シンジはふと、旧校舎の4階に、一つだけあるこの教室が、今、世の中の時間の流れから切り離されて、時間が止まってしまったんじゃないかという錯覚を覚える。
(この部室から一歩外に出たら、浦島太郎の様に、周りの時間が何十年も経っていた、なんて事は無いよな…)
ぼんやりと、シンジは冗談半分にそんな事を考える。
すると、ミストがまた声をかけてきた。
「ありがとう…。シンジ…」
少し時間を空けて、答えを返す。
「…?何が…?」
ミストもまた、時間をかけて、返事をする。
「…そばに居てくれて…」
ゆっくりと、時間をかけながら、言葉を交わす。
「気にしないでいいよ…。僕がここに居たかっただけだから…」
一言一言、確かめる様に。
「うん…」
とても静かな、言葉のやり取り。
「…僕も経験があったから…。昔、自分が選択を間違えたせいで…大切な人を亡くして…それで、塞ぎ込んだ事があったんだ…」
ポツリ、ポツリ。
「…その時、誰の顔も見たく無かった…。…でも、誰かに傍に居て欲しかった…」
ミストの赤く腫れた虚ろな目が、シンジの顔を見つめる。
「…どんな言葉も、かけて欲しく無かった…。…ただ無言で、傍に居てくれる誰かが、欲しかった…」
「……」
「…大切な人を、救えなかった…。…その罪滅ぼしがしたかった…。…かつての自分がして欲しかった事を、他の人にする事で、かつての自分が、救われた様な気になりたかった…」
「……」
「…誰かの為じゃないんだ…。…僕は僕を救いたくて、”怪奇倶楽部”に入ったんだ…」
「……」
シンジの独り言の様な言葉を、最後まで聞いて。
「…ありがとう…」
ミストは静かに、お礼を言った。
「…お礼は必要ないよ…」
シンジの言葉にミストは、
「…えぇ。それでも、ありがとう…」
改めて、お礼を言った。
「……」
しばらくの沈黙。
そして。
「ふっ…」
どちらともなく、笑みが零れる。
2人でクスクスと、押し殺すように小さく笑って。
教室内の張り詰めた緊張が、解れていくのを感じた。
込み上げる笑いが収まって、一息ついた後。
大分調子を取り戻した様子で、ミストがシンジに聞いた。
「それで…改めて聞くけど、これからシンジはどうするのかしら…?」
「う~ん、どうしようかな…。”怪奇倶楽部”を止めたら、する事が無いのは事実だし…」
シンジは椅子にもたれかかってしばらく考えると、不意にミストの目をまっすぐに見つめて質問する。
「…ところでさ、ミストさん。さっき”次元の歪み”の話は全部嘘だった、って言っていたけど…本当に全部嘘だったの?」
「───っ!」
ミストはハッと息を呑む。
「実は”次元の歪み”も”白いモヤ”も、そして”異界の扉”を通って過去に行けるという話も、本当は嘘では無かった、なんて事は無いの?」
ミストの半眼の目が、大きく見開かれる。
「ここ最近、日照りが続いて、霧が発生しなくなってしまった。”次元の歪み”の事は本当だったけど、このままではいつ発見できるか分からなくなってしまった。で、このまま皆の時間を無駄にしてしまうのが忍びなくて、皆に嫌われる事を、この関係が壊れる事を覚悟で、”怪奇倶楽部”を解散させようとした──なんて事は、無いの?」
「な…何故、そう思うのかしら…?”次元の歪み”なんておとぎ話が、嘘では無いなんて思う理由は、何…?」
僅かに声を震わせながら、ミストは質問に、質問を返す。
「僕は霊感が強くて、幽霊が見えるんだ。だから、現在の科学で証明されている事が、この世の全てでは無い事を知っている。そしてだからこそ、現在の科学で証明できないという理由だけで、”次元の歪み”を否定する気にはなれないんだ」
シンジは答える。
「そして何より、僕は人を見る目には自信があるつもりなんだ。だから、その人の為人(ひととなり)を判断する時は、他人からの伝聞ではなく、その人の姿や言動が、直接自分の目にどう映ったかで決める様にしている。そして僕の目にミストさん、あなたは、”『自分の目的の為に、他人に嘘をつける様な人』には見えなかった”んだ。信じる理由が必要というなら、僕にはそれだけで十分だよ」
「───!」
その言葉に、ミストの目に再び涙が溢れて。
慌ててシンジに、背を向ける。
「…ありがとう、シンジ…」
本日5度目の、感謝の言葉。
「…だからお礼の言葉は…いや、うん。…どういたしまして、ミストさん」
笑って言うシンジの言葉に、ミストは背を向けながら、小さく頭を下げた。
そして。
ミストは少し考える時間が欲しいと言って、”次元の歪み”の話が本当に作り話だったのかどうかの明言はせず、その日は帰宅する事になった。
3日後、8月9日、昼12時00分、正午。
週間の天気予報では、当分この地域では雨が降る予想はされていなかったが、天気は急変し、その日、雨が降った。
街中が、霧に包まれた。
シンジはミストに、携帯で電話をかける。
「ミストさん、霧が出ている。”怪奇倶楽部”、活動はしないの?」
ミストはしばらくの沈黙の後、
「そうね…。こうやって電話は繋がっているし、今発生している霧は、普通の霧だと思うわ…。とりあえず明日の天気を見て、部活を再開するかどうか決めましょう…」
そう言って、少しおしゃべりをした後、電話を切った。
”次元の歪み”や”白いモヤ”といった話が、改めて「嘘」だとは、言わなかった。
翌日、8月10日、昼12時00分、正午。
雨。
昨日の夜から天気の週間予報は変更され、今後しばらく、雨が続く事が予想されるようになった。
シンジは電話でミストに連絡を取り、2人は”怪奇倶楽部”の部室に集合した。
”次元の歪み”の事を”嘘”だと告白した以上、オウジとタマコを呼ぶ事は出来なかった。
ただ、オウジとタマコは”怪奇倶楽部”以外にもクラブ活動を行っており、呼ばなくても学校に来ている可能性もあったが、確認は取らなかった。
ここ最近、”怪奇倶楽部”の為に、他の部活を休ませてしまっていたから。
そして、薄暗い部室で、シンジとミストは向かい合って。
「じゃあ、行こうか」
「ええ…。行きましょう…」
2人だけの、”怪奇倶楽部”の活動が再開された。
”次元の歪み”が、本当に嘘だったのかどうかなんて、もうシンジは質問しなかったし、ミストも言わなかった。
それから2人で、霧に包まれた街を歩いて回った。
8月11日、昼12時00分、正午。
雨。
霧が、少しずつ濃くなって来ている様に思えた。
いつもの様にミストに電話をかけ、部活の確認をするシンジ。
「今日も”怪奇倶楽部”の活動はするの?」
「ええ…。いつもの様に、30分後、部室に集合しま
プツッ。
電話が切れた。
「……」
しばらくの沈黙。
もう一度ミストに電話を掛け直すため、シンジが携帯の電源ボタンを押すと、同時に電話の呼び出し音が鳴った。
「!」
発信者は『開幾ミスト』。
シンジは携帯の通話ボタンを押すと、通話先のミストに向かって話しかけた。
「ミストさん、今──!」
「…ええ…。電話が、勝手に切れたわ…」
─”次元の歪み”から発生した”白いモヤ”は、電子機器を誤作動させる事がある─
2人は無言で、立ち尽くしていた。
8月12日、昼12時30分。
大雨。
雨は日に日に強さを増していき、それに合わせる様に、携帯電話の電波の通りも悪くなっていった。
シンジとミストは部室にこもり、話し合いをしていた。
「間違いないわ…。今この街中で、”白いモヤ”が発生している…。”次元の歪み”も、この近くにあるかもしれない…」
「調べに行かなくていいの…?」
「学校に来る途中、軽く見て回ったわ…。”白いモヤ”が広範囲に湧きすぎて、逆に場所が特定出来なかった…。でもきっと、この近くにある…」
「そうか…。この近くに…」
「前にも言ったけど、”次元の歪み”は、常に一定の場所に留まっている訳では無くて、場所をかえ、範囲をかえ、常に流動的に動いている…。一度”そこ”を調べて無かったからといって、もう”そこ”を調べなくていい、という事ではないから…」
(まるで、4年前のカクレンボの様だな…)
シンジは思った。
「一か所に留まって、”次元の歪み”が現れるのを待つのが良いのか、それとも霧の中を走り回って、”次元の歪み”を探して回るのが良いのか…。『どちらが正しい』なんて事は、一概には言えないわ…。”次元の歪み”がこの近くにある事は確かだけれど、ここから見付ける事が大変になるわね…」
ミストは言った。
「でも、ここまで規模の大きい”霧”の発生は極めて珍しいの…。もし、この”霧”がこのまま、更に深くなる様な事があったなら…」
シンジは見つめる。
「”異界の扉”が、開くかもしれない──」
8月13日。
どしゃ降りの、雨。
大雨洪水、土砂災害警報が出された。
霧も深く、この状態で外出する事は危険だという事で、”怪奇倶楽部”の活動は休みになった。
携帯電話の電波は、より一層悪くなった。
8月14日。
どしゃ降りの、雨。
昨日に引き続き、大雨洪水、土砂災害警報が発令された。
電波更に悪くなり、通話は出来ず、シンジとミストはメールでやり取りをした。
そして今日も、自宅で待機する事になった。
窓の外に広がる、霧に包まれ、真っ白になった街並みを見て、シンジは思った。
(この光景、昔にも一度、見覚えがある…)
それは、4年前、秘密基地「しゅれでぃんがー」が、土砂崩れに遭う前の日に見た光景だった。
8月15日、昼12時00分、正午。
晴れ。
この数日の間、どしゃ降りの雨が降り続いていたが、その日は太陽が顔を覗かせていた。
4年前をなぞっているかのような、天気の移り変わり。
そう、4年前の今日、8月15日、箱入ミヤは亡くなったのだ。
霧はまだ街を覆っているが、携帯の電波状態は良いようで、シンジはミストに電話を入れた。
「ミストさん、今日だ」
「ええ…。分かっているわ…。いつもの様に、12時30分、部室に集合よ…」
電話を切ると、シンジは”怪奇倶楽部”の部室に向かった。
12時30分。
旧校舎4階、”怪奇倶楽部”の部室。
全ての窓に目張りがされ、中が見えない教室。
シンジが扉を開けると、中ではミスト、オウジ、タマコの3人が待っていた。
シンジは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべると、そのまま中へと入っていく。
久しぶりに、”怪奇倶楽部”の4人がそろって。
「さぁ、我が”怪奇倶楽部”、完全復活よ…!」
ミストが、嬉しそうにそう宣言した。
第四章 あの夏のカクレンボ
昼、12時45分。
旧校舎4階、”怪奇倶楽部”部室。
全ての窓に目張りがされ、薄暗い教室の真ん中に、いくつかの机を突き合わせて出来たテーブルを囲んで、これからするべき事を打ち合わせする4人。
まず最初に、このクラブの発起人である開幾ミストが口を開いた。
「細かい挨拶は抜きにして、すぐに本題に入らせてもらうわ…。もう間もなく、この街のどこかで、”異界の扉”が開くわ…」
オウジもタマコも、そこに疑問の言葉を挟まない。
「”次元の歪み”から溢れた”霧”が、そこら中に充満しているわ…。”歪み”は流動的に動きながら、どんどん広がっている…。それも一つでは無く、いくつも存在しているの…。その”歪み”のどれかが、いつ別の空間に繋がったとしても、不思議では無いわ…。ただ、その繋がった先の空間が、いつ、どこの世界かは分からないけれど…」
ミストの言葉に永久乃シンジが答えた。
「僕は”次元の歪み”がどこか別の空間に繋がるとしたら、4年前の今日の、ミャーやサムやタマちゃんと遊んだ、あの秘密基地「しゅれでぃんがー」がある、裏山のどこかに繋がる可能性は高いと思う」
白馬オウジが、シンジの意見に賛成する。
「フッ…、そうだね。ボクもその可能性は高いと思うよ。この数日のこの街の天候は、4年前をなぞる様に推移しているし、あの時も、濃い霧が発生していて、携帯電話が繋がらなくなっていた。これは、今日と4年前が、”異界の門”で繋がっているからこそ起きた、共通の変動なんじゃないかって思うよ」
そして黒鹿タマコが、一番の問題を口にする。
「うん、タマコも、繋がるとしたら、4年前の裏山の様な気がする。ただ、その”異界の扉”がこの街のどこに出来るのか、そして、”異界の扉”を見付けたとして、そのあとどうするか、というのが難しくない?仮に過去に行けたとして、その後ちゃんと戻ってこられるのかも分かんないんでしょ…?」
「そうね…。でもこればっかりは、話をしていても、埒の開かない事かも知れないわね…。”異界の扉”がどこに開くのかも、また、”異界の扉”が、仮に4年前の、貴方達の秘密基地に繋がったとしても、その時どうするのかが正解なのかも、今は分からないから…」
シンジが言った。
「結局、以前ミストさんが言った通りなんじゃないかな。何が正解なんて分からないんだから、その時正しいという”気がする”事をするしかないんだと思う…。ゆっくり考える余裕なんて、僕達には与えられて無いから…。だからそういった”直感”が、僕達を正解に導いてくれる事を信じて、今出来る”正しいと思える事”をしよう」
その言葉を合図に4人は頷き合うと、”異界の扉”を求めて、”怪奇倶楽部”の部室を後にした。
昼、13時00分。
学校の校門前。
4人が外に出ると、真っ黒な雲が急速に空を覆い始め、久しぶりの太陽を、再び隠してしまっていた。
この天気が4年前をなぞるなら、この後どしゃ降りの雨が降るのだろう。
しかし彼らには、そんな事はどうでも良かった。
「さぁ…、皆で手分けして”異界の扉”を探しましょう…。範囲はこの街のどこか…、町の外に”異界の扉”が開く事は無いと思うわ…。そして貴方達の言う4年前と同じなら、携帯電話も直ぐに繋がら無くなると思うから、そのつもりで…。とりあえず45分後、またここに集合しましょう…。それまでは、仮に”異界の扉”を見付けても、決して中に入らない様に…!」
ミストが最終確認をする。
シンジが言った。
「確証は何も無いんだけど、”異界の扉”が発生する時間は、そんなに長くは無いと思う。制限時間は多分…、今から1時間30分以内だ。そんな”気がする”…」
「…何故1時間半だと思うの…?」
ミストが問いに、シンジは答えた。
「4年前の、カクレンボの制限時間が、今から約1時間半後、14時30分だったから。その時間を過ぎたら、ダメな様な気がするんだ。多分もう2度と、チャンスは来ない」
確たる根拠は何も無かったが、それでも他の3人は、その答えに納得出来た。
今起きている事の、様々な過去との符合から、それは多分間違って無いと、そう思えた。
4年前のあの日、シンジは、それがミヤと話せるラストチャンスである事を、その時は知らなかった。
そしてもしその時それが最後である事を知っていれば、ミャーの為に、他に何かやれる事があったんじゃないかと、ずっと引きずったまま生きてきた。
でも今回は違うのだ。
今がラストチャンスである事を、シンジは知っている。
ラストチャンスに、ラストチャンスである事を知った上で挑める事が、心よりありがたかった。
(これはミャーがくれたチャンスだ。今度こそ、絶対に助ける!)
「よし、皆で手分けして、”異界の扉”を探すんだ!そして45分後、一旦ここに集合しよう!これは4年前の、あのカクレンボの続きだ!今度こそ、皆でミャーを見付けよう!」
「ああ!」
「「ええ!」」
シンジの掛け声と共に、4人一斉に走り出し、その姿は霧の中に消えた。
13時15分。
シンジの家の近くの裏山の麓。
シンジとミストは、そこに立っていた。
かつてこの裏山には、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋があって。
そして4年前の今日、箱入ミヤはここでカクレンボの最中に、土砂崩れに巻き込まれて亡くなったのだ。
「”異界の扉”が開くなら、ここが一番可能性が高い様な気がする」
シンジが言った。
「行きましょう…。霧が濃くなっているし、地面もぬかるんでいるから、足元には気を付けて…」
ミストの言葉を合図に、二人は並んで歩き出した。
その頭上では、空を覆う真っ黒な雲から、ゴロゴロと雷の音が響いていた。
裏山の、秘密基地へ続く道の途中にある、見晴らしのいい広場。
そこは4年前、ミヤの幽霊と、最後のお別れをした場所で。
生前ミヤが、一番気に入っていた場所でもあった。
「…シンジ、大丈夫かしら…?」
ミストがシンジに気を使う。
先月ここへ来た時に、シンジは吐いて具合を悪くしていた。
「うん…、大丈夫」
気が張っているせいか、前回の様な絶望は、まだ襲っては来ない。
「”次元の歪み”は…?ここにはある?」
シンジがミストに聞いた。
「いいえ…。”次元の歪み”はここには無いわ…。”今”は、ここに”異界の門”が開く事は無いわね…」
ミストが答える。
「よし、次へ行こう」
そう言ってシンジは歩き出す。
前回、進む事の出来なかったその先へ。
ずっと先へ続く山道。
その途中で、シンジは道を外れ、藪の中に入っていく。
かつてその藪の先に、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋があったのだ。
霧で見通しが悪い中、4年前の記憶を頼りに進むシンジ。
前回、秘密基地を確認しに来たミストも、ピッタリと後を付いてくる。
そして、ほんの少しだけ、開けた空間に出た。
開けたと言っても、そこだけ木が生えていないというだけで、草木は高々と生い茂っている。
この木の生えていない空間が、かつて秘密基地があった場所であり、そして土砂崩れに巻き込まれた場所なのだろう。
本当に、秘密基地のあった面影は、土砂崩れと4年の歳月によって、全く無くなってしまっていた。
それでもシンジには、感慨に浸っている時間は無かった。
「ミストさん、ここに”次元の歪み”は…?」
ミストは答えた。
「わずかに、”次元の歪み”を感じるわ…。でもとても小さい…。この大きさでは、まだ”異界の扉”は開かないわ…」
「そうか…」
その答えに、シンジは考える。
「”次元の歪み”は流動的で、大きくなる事も、小さくなる事もあるんだよね…?」
「ええ、そうよ…。ここで待っていれば、”次元の歪み”が広がって、”異界の扉”が開く可能性も、0ではないわ…」
シンジは渋面を作る。
どうするのが正しいのか分からない。
待つ事が正解の事も、動く事が正解の事もあるのだ。
(直感で、今の自分に出来る、”正しいと思える事”をしよう)
「この先に川がある…。そこへ行ってみよう…」
シンジは言った。
「えぇ、私も付いていくわ、シンジ…」
「多分この数日の雨で、増水しているはずだ…。充分に気を付けて…」
2人は、茂みをかき分け、更に奥へと進んでいった。
川。
4年前のあの日、ミヤと最初に会った場所。
あの時と同じ様に、川は増水し、濁流となって流れている。
待ち合わせに一番先に来たシンジがここで物思いにふけっていると、箱入ミヤがやって来たのだった。
あの日の、ミヤと関係がある場所といったら、ここで最後だった。
「どう?ここには”次元の歪み”はある?」
シンジは聞いた。
「いいえ…。ここには”次元の歪み”は感じられないわ…。何となく、ここは違う様な気がする…」
ミストは答えた。
『あー、シニタン、川に近付いたら危ないんだよー』
4年前の、ミヤの言葉が不意に蘇る。
「そうか…。うん、僕もここは違うと思う。戻ろう、ミストさん。足元に気を付けて」
シンジは一度だけ川を振り返ると、ミストを連れてそこを後にした。
13時30分。
裏山の麓。
ぽつぽつと雨が降り始める。
「川」から「秘密基地」跡、そして途中の見晴らしのいい「広場」を通って戻ってきたシンジとミスト。
再度確認したところ、「広場」の方に特に変化は無かったが、「秘密基地」跡の方は”次元の歪み”が広がって来ているとミストは言った。
(やっぱり、”異界の門”が開くなら、「秘密基地」跡かも知れない…)
シンジはそんな気がした。
「サムとタマちゃんはどうだったか聞いてみよう」
シンジは携帯電話を取り出したが、電波は圏外になっていた。
ミストの携帯も同様である。
「シンジ、どうするの…?」
ミストは聞いた。
シンジは歯がみすると、
「45分後に集合と伝えたままだ…。一旦校門に戻ろう…」
そう言って2人は走り出した。
13時45分。
校門前。
シンジとミストが走って校門に辿り着くまでに、雨は大降りになっていた。
オウジとタマコは、校門を入ってすぐの所にある屋根付きのベンチで、既に待っていた。
ずぶ濡れになりながら、オウジとタマコの元までやって来たシンジは、息を整える暇も惜しんで2人に話しかける。
「サム、と、タマちゃん、は、どう、だった…?」
シンジが時間を惜しんでいる事を感じたオウジは、あえて気遣いの言葉をかけずに、自分達が調べた結果だけを報告する。
「うん…、ダメだった…。街中が霧に包まれているし、もうどこも携帯は繋がらないんだけど、それ以上の”異常”は見付けられなかったよ」
遅れてやって来たミストに、持って来ていたタオルを貸しながら、タマコも言った。
「そうね…。”異界の門”を見た事が無いからはっきりとは言えないんだけど、多分、無かったと言っていいと思う」
「そうか…。あり、がとう…」
呼吸を整えながら、シンジが口を開く。
「こっち、は、秘密、基地の後に、”次元の歪み”、を、確認した。このまま、広がれば、”異界の、扉”が、開く可能性、も、0じゃない…」
「それじゃあ…!」
「やっぱり…!」
オウジとタマコが表情を変える。
ずぶ濡れになって、膝の上に手をつきながら、ミストが言った。
「それで、どう、するの…?シンジ…。もう、一度、秘密、基地に、行く…?」
一度唾を飲み込んで、大きく息を吐くと、顔を上げ、その虚ろな瞳でまっすぐに、シンジの目を見つめて。
「時間的に、言って、多分これが、最後のチャンスに、なるわ…。良く、考えて…。貴方が戻ると、言うのなら、私は、何度でも走るわ…」
ミストは、そう言った。
そして雨はひときわ強く降り始め。
街の防災スピーカーから、大雨洪水警報が発令された事が、アナウンスされた。
ミストの言葉が、シンジの心に突き刺さっていた。
”多分これが、最後のチャンス”…。
4年前の焦燥感が、シンジの中に蘇る。
(もう、間違えることは出来ない)
シンジは考える。
4年前のあの日、シンジは秘密基地の小屋の中を、2度、確認した。
そしてもう秘密基地の中にミヤは居ないのだと決めつけ、3度目の確認を怠った。
そしてミヤは、秘密基地の中に入ったまま、土砂崩れに巻き込まれてしまった。
あの日の事を教訓とするなら、今から”秘密基地”に向かうのが正解でも、おかしくないのではないか……。
(そうだ。きっとこれが正解なんだ…!よし、もう一度裏山へ!秘密基地「しゅれでぃんがー」の所へ行こう!)
そう決意し、シンジが顔を上げた時だった。
その目線の先、霧に包まれた校庭に、一人の少女がポツンと立っていた。
黒いサラサラのロングヘアーで、前髪は短くぱっつんと切りそろえられた、快活そうな女の子。
ちょうど今から4年前を境に、姿を見る事が出来なくなってしまった女の子。
「ミャー!」
シンジが叫んだ。
雷の閃光が辺りを包み、気が付いた時にはもう、その姿は無かった。
「シンジ…?」
皆がシンジの顔を覗き込む。
バリバリと、空間が引き裂かれる様な轟音が轟く。
(今のは…また、幻…?いや、それとも…)
シンジは慌てて辺りを見回す。
すると、旧校舎の入り口の方に、中に入っていく少女の姿が、見えた様な気がした。
「!」
旧校舎に向かって、走り出すシンジ。
他の3人も、慌てて後に続く。
旧校舎の入り口に立つと、今度は階段を上る少女の姿が、見えた様な気がした。
(まさか…)
「シンジ…?」
ミストが声をかける。
シンジは思い出す。
”怪奇倶楽部”の部室に、初めて来た時に感じた事を。
まるで、”秘密基地「しゅれでぃんがー」”の中の様だと感じた事を。
そして、その部室の中に、”秘密基地”の中に何故か置かれていた物と同じ、”全身鏡”が置かれていた事を。
「……」
シンジは無言で歩き出す。
その様子に只ならぬものを感じ、他の3人も無言で付いていく。
人気の無い旧校舎の中に、シンジ達4人の足音がこだまする。
まるでこの空間が、外の世界と切り離されたような錯覚を覚える。
そして、廊下や階段の角を曲がるたびに、シンジの目には、”怪奇倶楽部”の部室の方へ向かう少女の姿が、見えている様な気がした。
途中から、他の3人も、シンジがどこへ向かおうとしているのか気が付いて。
そして4人が、階段を2階まで登った時の事だった。
上の階から”白いモヤ”が降りて来る。
「これは…!」
「間違いないわ…!この先に、”次元の歪み”が出来ている…!」
ミストが言った。
その言葉を合図に、皆は一斉に走り出す。
4階に上り、先頭を走るシンジが部室前の廊下に出たところで、少女の姿は、”怪奇倶楽部”の部室の中に消えた。
「ミャー!」
シンジが叫ぶ。
ミヤが消えた部室の扉の隙間からは、”白いモヤ”がモクモクと溢れている。
他の3人も、シンジの後に追いついて来て。
「”霧”が、部室の中から出てる…!?」
タマコが言った。
「フッ…、これでもう、間違いないね」
オウジが頷く。
「えぇ…、この中に、”次元の歪み”が生まれているわ…!」
ミストが宣言する。
(…ここできっと、ミャーに逢える)
シンジの中に、確信が広がる。
部室の扉の前に、4人が集まって。
確認する様に、ミストは言った。
「それじゃあ、扉を開けるわ…」
鍵を開け、扉を開く。
その瞬間、教室内に溜まっていた霧が、一斉に溢れ出して。
霧の放出が収まってから、4人は教室の中に入っていく。
中に入ると、全ての窓に目張りのされた教室は、いつもよりも薄暗く感じられて。
しかし、壁に立てかけられた”全身鏡”を見ると、そこから霧と共に、わずかな光が漏れていた。
「鏡の中から、霧と、光が…!?」
オウジが驚きを口にする。
旧校舎の外で、稲妻が空を切り裂き、空間が引きちぎられる音がした。
「まさか…これが”異界の扉”なの…?」
タマコが言った。
「えぇ…。そこの”鏡”が、別の世界の空間に、繋がっているわ…!」
ミストが認める。
そして霧と光りの漏れる鏡を見ながら、シンジは心の底から願った。
(頼む、あの時の、4年前の裏山に、僕を連れて行ってくれ…!)
「……」
息を呑み、4人はゆっくりと、距離を取りながら、”全身鏡”の正面に回り込んでいく。
シンジの鼓動が、早鐘を打つ。
そして。
4人が”全身鏡”の正面に立った時。
そこに映し出された光景は──
かつての秘密基地、「しゅれでぃんがー」の中に一人佇む、箱入ミヤの姿だった。
14時00分。
”怪奇倶楽部”部室内。
「ミャー!」
シンジは叫んで、”全身鏡”にすがり付く。
「ミヤちゃん!」
「ミャーちゃん!」
オウジとタマコも叫び、鏡の前に集まった。
しかし、鏡の向こうのミヤは、その声に何の反応も示さない。
秘密基地の中で、独り言を呟く。
『うわ~また雨降って来ちゃったな~。シニタン大丈夫かな…』
向こうの声は、こちらに届いている。
「ミャー!聞こえないのか、ミャー!」
シンジがあらん限りの声でその名を呼び続ける。
それでも、ミヤは反応を見せなかった。
「ミヤちゃん!ボク達の声が聞こえないのかい!?」
「どうして!?ミャーちゃんの声は聞こえるのに、向こうにだけ私達の声は聞こえていないの!?」
タマコが悲痛な叫びをあげる。
4年前、秘密基地が土砂崩れに巻き込まれた時間は、昼の14時15分~14時20分の間だ。
もし、鏡の向こうの世界の時間が、今シンジ達が居る世界と同じ、昼の14時00分なのだとしたら。
あと15分~20分で、鏡の向こうの秘密基地は、土砂崩れに巻き込まれる事になる。
「ミャー!今すぐそこを出るんだ!聞こえないのか!ミャー!」
シンジが必死で呼び掛ける。
すると。
ミヤは、鏡の方を、シンジの方を向いた。
「ミャー!」
シンジの顔に喜びの表情が広がる。
しかし次の瞬間、一瞬で凍り付いた。
ミヤはシンジの目の前に立つと、シンジの顔をすぐ近くで覗き込みながら、雨に濡れた髪を整えた。
「───!」
シンジの姿は、見えていなかった。
こちらからは、ミヤの姿も声も確認出来るのに、ミヤの方からは、こちらの姿も声も、確認出来ないのだ。
これでは、ミヤに土砂崩れの危険を教える事が出来ない。
「何で!?どうして!?」
タマコが叫ぶ。
「…これは…”異界の扉”が、開いていないの…?」
ミストが言った。
「この鏡を通して、この部室と、4年前の秘密基地が繋がっている…。それは間違いないわ…。ただ、『繋がって』はいるけど、『開いて』はいない、という事なの…?だから、向こうの声は聞こえるのに、こちらの声は、届かない…?」
旧校舎の外で、雷が鳴った。
「そんな!どうしたらいいの!?どうしたらミャーちゃんに、危険を知らせる事が出来るの!?」
タマコがミストにすがり付く。
「分からないわ…。私にもどうしたらいいのか…」
ミストが答える。
「どくんだシンジ!」
オウジはシンジを鏡の前から押しのけると、拳を大きく振りかぶる。
「くそおおおおぉぉぉぉっ!」
「駄目よ!」
ミストが叫び、タマコがその腕にしがみ付いた。
「何で止めるんだ!」
鏡を叩き割る寸前で拳を止められ、オウジが叫んだ。
「鏡を破壊したら、空間の繋がりも切れてしまうわ…!もしそうなったら、もうミヤさんとコンタクトを取れる可能性も、0になってしまう…!」
「じゃあどうしろって言うんだ!こちらの声は届かないっていうのに!このまま秘密基地が土砂に押しつぶされるまで、ただ黙って見ていろって言うのか!」
「何か”鍵”があるはずよ…!”扉”を開く”鍵”が…!それを探すの…!”異界の扉”が開かれれば、きっと向こうの空間に、接触出来る様になる…!」
ミストが言った。
「ミストさん、その”鍵”はどこにあるの!?」
タマコが叫ぶ。
「そ、それは…」
ミストの表情が、曇った時だった。
シンジが突然、口を開いた。
「み~つけた!」
『シニタン!?』
鏡の向こうのミヤが、声を上げた。
「ミヤちゃん!」
「ミャーちゃん!」
オウジとタマコが、鏡の中のミヤを覗き込む。
『え…えええ~~~!?』
ミヤはシンジ達の姿を見ると、驚いて跳び退った。
『か、鏡から急に人が出てきたよ…?え、ええと…どちら様…?』
ミヤは明らかに警戒の色を見せる。
シンジはオウジとタマコを少し下がらせ、鏡の前でかがんでミヤと目線の高さを合わせると、なるべく静かに話しかけた。
「ミャー。僕の声が聞こえる?」
『や、やっぱりシニタン…!?後ろの二人は、サムとタマちゃん…!?か…身体大きくなっちゃってない…?あと、何で鏡の中に…?』
混乱するミヤ。
「ああ。僕はシンジ。後ろがサムとタマちゃんだ」
『え…えええ~~~!?な、何で急に3人とも大人になってるんだよ~!?ミャーびっくりだよ~???』
少し警戒が解けたのか、それとも好奇心からか、少しだけ鏡に近付いてくるミヤ。
「時間が無いから詳しい説明は出来ないけど、どうか落ち着いて聞いて欲しい」
『うん、良いよ~』
ミヤはあの懐かしい、ほんわかした笑顔を浮かべた。
「信じては貰えないかもしれな
『信じるよ』
シンジの言葉を遮る様に、ミヤは言った。
「え…?」
『信じるよ』
ミヤはシンジの目を、まっすぐに見つめて。
『シニタン、いつもミャーの為に頑張ってくれてるの、ミャー知ってるよ?今こうして皆が鏡の中に居るのも、ミャーの為でしょ?このジョーキョーは信じられないけど、皆の事は、シニタンの事は、ミャー信じてるよ』
そう言った後、あのいつもの、ほんわかとした笑顔を浮かべた。
「───!」
思わず溢れそうになる涙を、シンジは必死でこらえる。
今は、泣くべき時じゃない。
泣くのは、全てが終わった後でいい。
「ありがとう、ミャー」
一言だけお礼を言って、すぐに伝えるべき事を、ミヤに伝える。
「…いいか、ミャー。その小屋は危険だ。すぐに外に出て、そのまま家に帰るんだ。僕達の事は心配しなくていい。僕達もこの後すぐに家に帰るから。家で温かくしていたら、その内皆が電話をかけて来るから、皆の無事もすぐに確認出来るはずだ。安心していい。それで全てが、解決するから」
シンジは言った。
『分かった、シニタン。ミャーはこれから家に帰って、温かくして、皆の電話を待つ。それでいいんだよね?』
ミャーが答える。
「ああ、それでいい。明日、天気が晴れたら、このカクレンボの続きをしよう」
『うん、分かった。ありがとう、シニタン』
そう言って、ミヤは小屋の扉へ向かう。
シンジ達は顔を見合わせた。
思わず笑みが零れる。
(良かった、これでミャーは助かった──)
そう思った時だった。
『あれ!?扉が開かないよ!シニタン!』
絶望的な言葉が、鏡の向こうから聞こえてきた。
「そんな!?ウソでしょう!?」
タマコが叫んだ。
鏡の向こうでミヤが、小屋の扉をガチャガチャやっている姿が見えるが、扉は一向に開く気配を見せない。
シンジの記憶では、秘密基地の扉は、そんなに固くは無く、また内開きであったため、外から抑える事は出来ない構造のはずであった。
『何で!?どうしよう、開かないよ、シニタン!』
ミヤが泣きそうな声を上げる。
「ミヤちゃん!」
鏡の向こうの出来事に、叫ぶ事しかできない自分に、オウジは腹が立った。
「ミストさん、これは…?」
シンジがミストに質問する。
「まさか…向こうの秘密基地がこの世界と繋がった事で、逆に秘密基地が、向こうの世界と断絶してしまったというの…?」
絶望的な推測を、ミストが述べる。
「それじゃあ、鏡を割ってこの空間との接続を切れば、秘密基地はまた向こうの世界と繋がって、出られるようになるんじゃないのかい!?」
オウジが言った。
「分からないわ…。鏡を割って、この世界との接続を切っても、秘密基地は向こうの世界と断絶したままの可能性だってあるわ…!」
ミストが答える。
「そんな!」
タマコが言った。
『シニタン!』
泣きそうな顔で、ミヤが駆け寄ってくる。
「ミャー!」
シンジが、鏡に手を触れる。
シンジの手と、ミヤの手が、鏡越しに触れあって──
その時。
鏡から、光りが溢れた。
「───!」
鏡から発せられた光が収まった時、シンジは秘密基地の中に、そしてミヤは、”怪奇倶楽部”の部室の中に居た。
2人の居場所が、入れ替わっていた。
「え───?」
一瞬何が起こったのか理解できず、硬直する一同。
「シンジとミャーちゃんが、入れ替わった──?」
鏡から出てきたミヤと、鏡の中に入ったシンジを見ながら、タマコが言った。
「こ、ここは…?」
辺りを見回しながら、驚くミヤ。そしてすぐに気が付いて、
「そうだ、シニタン!」
鏡の中のシンジに向かってその名を呼んだ。
「よし、シンジ、早くこっちに戻るんだ!」
そう言って、オウジが鏡の中のシンジに向かって手を伸ばす。
『オウジ!』
シンジもこちらに向かって手を伸ばし──
閃光。
すると、シンジが再び”怪奇倶楽部”の部室に戻り、そしてオウジが、代わりに秘密基地の中に入っていた。
「……!」
鏡越しに、位置が入れ替わったお互いを、呆然と見つめるシンジとオウジ。
「ミストさん、これは…?」
タマコが聞いた。
「そう…。そういう事なのね…」
ミストが辛そうに顔を伏せる。
「ミスト…さん、…というのですか?…どういう事、ですか?」
ミヤがミストに聞いた。
「この”怪奇倶楽部”の部室と、秘密基地の小屋は、”異界の扉”によって繋がっているわ…。そして、秘密基地の小屋からは、誰も出る事は出来ない…。でもその代わり、この”怪奇倶楽部”の中の誰かと、入れ替わる事は出来るの…」
外で、雷が鳴った。
「だから、秘密基地には常に誰か1人が残っていなければならないの…。つまり、秘密基地に”その時”が訪れる時、誰を中に残すのか、私達に選べと言っているのよ…。この”異界の扉”は…」
「……」
沈黙が、部室を包んだ。
最初に沈黙を破ったのは、オウジだった。
『フッ…。そんな馬鹿げたルールに、付き合う気はないね。要は、この秘密基地から出られればいいのだろう?』
そう言って、小屋の扉を開きにかかる。
しかし、押しても引いても開かない。
蹴りつけても、体当たりをしても、ビクともしない。
『な…中々やるじゃないか…。フフ…』
オウジは苦笑いをした。
「タマコに代わって!この中で、一番力があるのはタマコだから!」
そう言って、タマコはオウジと入れ替わりで秘密基地の中に入る。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
タマコは獣の様な咆哮を上げて体当たりをしたが、それでも壊れなかった。
元々小屋の木は腐っており、大分脆くなっていたのだ。
それがこれだけ体当たりをしても壊れないという事は、何か不思議な力で守られている事は、確かな様に思えた。
それでもタマコは諦めない。
『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
秘密基地の扉に、壁に何度も何度も体当たりを繰り返す。
肩の服が破れ、血がにじみ出しても。
『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
「タマちゃん、もう止めて!」
ミヤが叫んだ。
『!』
タマコが、動きを止める。
『ミャーちゃん…』
「ありがとう、タマちゃん。もう大丈夫だよ…。もう、充分だから…」
涙を浮かべながら、ミヤが言った。
「ミャー、全部分かったよ…。これから、秘密基地で何が起きるのか…。ミャーが、私が、どうなったのか…」
「……」
「ここに居るシニタン達、未来の人なんだよね…?だから、身体が大きくなってるんだよね…?そして、この場に未来の私が居ないという事は、そして皆が、過去の私を助けに来てくれたって事は、つまり私はこの未来に、来られなかった、って事だよね…」
「……」
「そして今、私を秘密基地から出そうとしてくれているって事は、これから秘密基地が、そういう事になるって事だよね…」
「……」
「その瞬間、誰か1人が秘密基地に残ってなきゃいけないなら、それは私じゃなきゃダメだと思うんだよ…。だってここは、私が居ていい時間じゃないから…」
「……」
「タマちゃん、私と場所を、代わってください」
そう言って、ミヤは鏡に手を付ける。
タマコはしばらくためらった後、観念したように鏡に触れる。
光りが溢れて、ミヤとタマコが入れ替わって。
ミヤは泣きながら、それでもほんわかと、いつもの笑顔を浮かべた。
「どうして、どうしてこんなことになるんだ…!」
泣きながら、オウジが叫んだ。
「結局助けられないのなら、見殺しにするしかないのなら、何故”異界の扉”は開いたんだ!」
「ミャーちゃん!ミャーちゃん!ミャーちゃん!」
タマコが泣き叫ぶ。
『サム、ありがとう。タマちゃん、ありがとう。ちゃんとお別れを言うチャンスが貰えて、私、とっても幸せなんだよ…!』
ボロボロと涙を零しながら、ミヤがオウジとタマコにお別れを言う。
そしてシンジに、顔を向けた。
『シニタン…。このカクレンボの罰ゲーム、覚えてる?鬼に見つかったら、好きな人の名前を言わなきゃいけないんだよ』
「うん、覚えてる…」
そういってシンジは鏡の前に来ると身を屈め、ミヤと視線を合わせた。
(どうしたら良い…?どうしたら救える…?)
シンジは考える。「どうやったら助かるのか」を。
『ミャーの好きな人の名前を言います!』
ミヤはそう言って、シンジに向かって手を伸ばす。
シンジもそれに応える様に、ミヤに手を伸ばした。
光りが溢れ、2人は鏡越しに抱きしめ合う。
その手に感じる、ミヤの温もり。
命の、温かさ。
今、この瞬間、確かにミヤは、生きている。
だからシンジは考える。
(どうしたらこの温もりを、守ることが出来る…?)
皆が、諦めてしまったこの状況で。
『私は、シニタンの事が、永久乃シンジの事が、大好きです。これまでずっとずっと、あなたの事が大好きでした。そしてこれからも、ずっとずっと、あなたの事が大好きです』
まだ年端もいかない少女の、命を懸けた、精一杯の告白。
「ああ、僕もミヤの事が大好きだよ。これからもずっとずっと、大好きだよ…!」
抱きしめる腕に、力を込める。
(まだミャーは生きている…!ラストチャンスは終わっていない…!)
子供の頃からずっと続けてきた、「どうやったら助かるのか」の閃きを。
『本当?えへへ、嬉しいな~!今までで一番嬉しいな~!』
涙と鼻水でぐじゅぐじゅになりながら、ミヤが笑う。
そしてミヤは、そのぐじゅぐじゅの笑顔をミストに顔を向けると、
『ミストさん…、シニタンの事、よろしくお願いします…』
小さな女の子の、大切な人を思う、切ない願い。
(ミャーが生きる、可能性を…!)
「─────!」
そしてシンジの中に、閃光が走る。
ミヤを助ける一筋の光明が──見えた。
ミストは、ミヤの願いにこう答えた。
「まだ、終わっていないわ…」
「え…?」
ミストの言葉に、ミヤは目を見開いて。
シンジは言った。
「皆、”後をお願い”」
ミヤが、オウジが、タマコが、その言葉を理解するより先に。
鏡から、より一層の光が溢れて。
光りが収まった時、シンジは、ミヤと入れ替わる様に、秘密基地の中に入っていた。
「シニタン!」
ミヤが叫ぶ。
「シンジ、何をしている!早く戻るんだ!」
オウジも大声で呼び掛ける。
しかしシンジはその声に耳を貸さず、秘密基地の隅に置かれていた箱を探り出す。
ロープ、ガムテープ、そして…十徳ナイフ。
4年前、何かの役に立つだろうと、シンジが秘密基地に持ち込んだガラクタで。
シンジはその十徳ナイフのナイフ部分を柄から引き出すと、それを逆手に持ちなおす。
「シニタン…?」
そしてシンジは皆の見ている前で、そのナイフを大きく振りかぶると、そのまま自分のお腹に、一思いに突き刺した───!
「ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
シンジのお腹に、激痛が走る。
「シニターーーーーーーーーーーーーーン!」
ミヤが悲鳴を上げる。
「シンジーーーーーーーーーーーーーー!」
「シンジくーーーーーーーーーーーーーーん!」
オウジも、タマコも。
しかしシンジは呼びかけに答えず、そのまま自分のお腹から、自分で突き刺したナイフを引き抜いた。
「ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
再びの、激痛。
お腹から血がどっと溢れ出る。
「シンジ!シンジ!シンジ!シンジ!シンジーーーーーーーー!」
ミヤの絶望の悲鳴を聞きながら、シンジは床に倒れ込む。
やがて意識は、薄れていった。
14時12分。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の外。
どしゃ降りの雨の中を走る、3人の小学生の姿。
オウジ、タマコ、シンジが、秘密基地の小屋の前を走り抜ける。
一刻も早く、電話のある家へ。
今の彼らには、小屋の中で休むという選択肢は無く、脇目も降らず、走り続ける。
そして。
シンジ──。
しばらく進んだ所で、ふと自分の名前を呼ばれた気がして、シンジは足を止めた。
オウジとタマコは何も気づかず、そのまま走り去っていく。
そしてシンジが後ろを振り返ると、そこに一人の男の人が立っていた。
高校の制服を着た、年上の少年。
その顔は、まるで自分がそのまま高校生になったかの様にそっくりな顔で。
そしてその身体は、この土砂降りの中で、雨に濡れて、いなかった。
雨はその身体を、すり抜けていた。
「───!」
シンジは以前にも見た事があった。
”雨に濡れない人”の姿を。
以前ミヤのおじいちゃんが亡くなった後に見た姿を。
(この人はもう、この世には居ない人だ)
そしてシンジは知っている。
(この姿になった人が、こうして姿を現す時は、何か伝えたい思いがある時なんだ)
と。
今シンジは、ミヤの事が気がかりではあったが、もしそれを踏まえた上でこの人が姿を現したのであれば、話を聞く価値はあるかも知れないと思った。
「僕に何か、伝えたい事があるんですか?」
シンジは話しかけた。
するとその高校生の少年は、ポツリと言った。
「ミャーの事を、よろしく頼む」
「!」
それは、かつてミヤのおじいちゃんが亡くなった時に言われたのと、同じ言葉。
「なん───!」
シンジが質問しようとした時だった。
雷の閃光が辺りを包み、気が付いた時にはもう、その姿は無かった。
バリバリと、空間が引き裂かれる様な轟音が轟く。
慌てて周囲を見回すシンジ。
そして、秘密基地「しゅれでぃんがー」がある方向へ向かう霧の奥に、その高校生の少年の姿が、見えた様な気がした。
「!」
シンジは走り出す。
その高校生の少年の姿を追って。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の、小屋の方へ。
14時12分。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の中。
お腹から血を流し、意識を失うシンジ。
「いやああああああああああああああああっ!」
鏡の向こうのシンジの姿を見て、ミヤが悲鳴を上げた。
「シンジーーーーーーーーーーーーーッ!」
「シンジくーーーーーーーーーーーーーーん!」
オウジとタマコも、鏡の向こうのシンジに呼びかける。
しかしシンジは、動かない。
「シニタン!死なないで、シニターーーーーーーン!」
ミヤがそう叫んだ時だった。
秘密基地と”怪奇倶楽部”の部室、両方に置かれた全身鏡が、光を放って。
その光が収まった時、箱入ミヤは、”怪奇倶楽部”の部室ではなく、秘密基地の中に立っていた。
「!」
ミヤは自分が秘密基地の中に居る事、そして自分の足元にシンジが倒れているのを確認すると、すぐにシンジに呼びかける。
『シニタン!』
鏡の向こうの秘密基地で、ミヤがシンジに呼びかける姿を見ながら、タマコが叫んだ。
「何で?シンジは鏡に触れていないのに、何でミャーちゃんが向こうに入っちゃったの!?」
ミストが答えた。
「秘密基地とこちらの人間を入れ替える条件は、”『生きた人間』が、秘密基地内に留まる事”だったからだわ…。秘密基地内のシンジが命を落としたから、交換条件が満たせず、ミヤさんが秘密基地の方に引きずり込まれたのよ…!」
「そんな…!そんな事って…!」
タマコが悲痛な叫び声を上げる。
『シニタン!どうしよう、シニタン息してない!お願い!誰かシニタンを助けて!』
鏡の中で、ミヤが叫んだ。
「シンジをこちらへ!鏡の方へ持ってくるんだ!」
オウジが叫ぶ。
その指示を聞いて、ミヤはぐちゃぐちゃに泣きながらも、シンジを引っ張る。
しかし、小さな女の子の力では、シンジは動かなかった。
「ミヤちゃん、ボクと代わって!ボクが鏡までシンジを運ぶ!」
鏡に手を当て、オウジが叫ぶ。
ミヤがバタバタと走ってきて、鏡越しにオウジと手を合わせる。
しかし、2人が手を合わせても、鏡は光を放たなかった。
「!?」
人が、入れ替わらない。
「なっ…何でだ!?何で向こうへ行けないんだ!?」
”怪奇倶楽部”の部室側で、オウジはミストに向かって叫んだ。
「分からないわ…!秘密基地内で、”土砂崩れ前に人が命を落とす”という歴史に反するイレギュラーが起きたから、もう『生きた人間』同士でも、交換が出来なくなったのかもしれない…!」
「そんな…!何でよ…!何でこんな事になるのよ…!」
タマコが言った。
「くそっ、シンジ!シンジーーーーーーーッ!」
オウジが歯がみする。
『いやああああああああああっ!シニタン!目を覚ましてシニタン!』
鏡の向こうで、ミヤがシンジにすがり付く。
絶望が、秘密基地と”怪奇倶楽部”の部室を包み込んで。
「皆、”後を頼む”」
ミストは皆に向かって静かに言った。
「シンジはさっき、秘密基地の中に入る前に、そう言ったのよ…。だから私達は、今出来る”正しいと思える事”をしましょう…!」
皆が涙に濡れる顔を上げ、ミストを見た。
ミストは鏡越しに秘密基地の中を覗くと、床に転がっているガムテープを指さした。
「ミヤさん、そのガムテープで、シンジのお腹の傷を塞いで頂戴…」
ミヤはハッとガムテープを見ると、素早くそれを手に取った。
そしてシンジの上着をたくし上げ、血の溢れるお腹の傷を手で閉じると、その上からガムテープを張り付けた。
ミヤの視界は涙で滲み、その手は震えていたが、それでもその動きは素早かった。
「いいわ…。次は、そのロープをシンジの腕時計の内側に通して頂戴」
ミヤ素早くロープを取り、そのロープの片側の先端を、シンジの腕時計の内側に通し、そのままロープの両端を、鏡に向かって放り投げた。
ロープは『生きた人間』では無いからか、秘密基地側から”怪奇倶楽部”の部室側へ、鏡を貫いて届いた。
「引いて!」
ミストが指示をするのを聞く間もなく、オウジとタマコがロープを手に取り、引っ張って。
シンジの腕時計をしている左腕が、ロープに引っ張られ、鏡を通って、部室側へ出てきた。
「よし、引くんだ!シンジ!」
オウジとタマコが力を合わせ、シンジの身体を部室側へ引っ張りこむ。
鏡を通り、シンジの全身が部室側へ運ばれる。
「タマコ、心臓マッサージの方をお願い!」
言うが早いか、ミストはシンジの気道を確保し、鼻をつまんで息を吹き込む。
大きく、1回、2回。
そしてタマコがシンジに心臓マッサージを施す。
そして再び、ミストがシンジに息を吹き込む。
ミストとタマコが、心肺蘇生を繰り返す。
何度も、何度も。
その様子を鏡の向こうから、ミヤが泣きはらした顔で見つめ続ける。
『シニタン、お願い、死なないで…!』
14時15分。
どしゃ降りの中を、走るシンジ。
霧の向こうに、消えそうになる高校生の少年の姿を追って、シンジは走り続ける。
深い霧で、道もほとんど分からなくなっていたが、この方角は秘密基地の方だと、シンジは感じていた。
さっきからずっと続く、得体のしれない焦燥感。
何かのタイムリミットが、迫っている様な気がした。
もっと早く、もっと早く。シンジは走る。
そしてその高校生の少年は、山道を外れ、藪の中へ入っていく。
(やっぱりだ──!)
その少年の後を追い、シンジも藪の中へ入っていく。
その先に、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋が見えて来て。
その高校生の少年は、扉をすり抜け、小屋の中へ消えて行った。
シンジは叫んだ。
「ミャーーーーー!ここに居るのか、ミャーーーーーーーーーーーーッ!」
そしてシンジは、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋に辿り着き。
その扉に、手をかけた。
14時15分。
秘密基地「しゅれでぃんがー」と、”怪奇倶楽部”の部室の中。
ミストがシンジに唇を重ね、大きく息を、吹き込んでいく。
その時だった。
ミストはシンジの方から、息が押し戻されるのを感じた。
押し返される様に唇を離すと、シンジが息を吹き返す。
(シンジ、戻った───!)
呼吸が、そして抜け出ていたシンジの『命』が、この身体に戻った事を、ミストは感じた。
『シニタン!』
ミヤが叫ぶ。
ミヤもまた、鏡越しに、シンジの身体に『命』が戻った事を見て取っていた。
そして。
『ミャーーーーー!ここに居るのか、ミャーーーーーーーーーーーーッ!』
秘密基地の外の方から、シンジの声が聞こえて来た。
「「「『!』」」」
ミヤが、オウジが、タマコが、そしてミストが。
皆が一斉に、秘密基地の扉に目を向ける。
秘密基地の中からは、その扉を開く事は出来なかった。
では、秘密基地の外から、その時間軸に居る人間の手によって扉が開かれるのはどうなのか。
ミストは呟いた。
「しゅれでぃんがーの、扉が開く──」
そして。
秘密基地の、扉が開いて。
シンジが言った。
『ミャー、みーーーーーーーーーーーーーつけた!』
第五章 扉は開かれる
1週間後。
8月22日、12時00分、正午、快晴。
とある病院の一室。
永久乃シンジが目を覚ますと、そこに見覚えの無い天井が広がっていた。
まだぼんやりとした頭と目で周囲を見回すと、そこは病室の様だった。
しかし、何故自分が病室に居るのかに思考を巡らせるほど、まだ頭は回っていなかった。
「気が付いたかしら…?シンジ…?」
声のした方に目を向けると、そこには血の気の無い色白の、漆黒の長髪をツインテールにした、虚ろな目のソバカス少女が座っていた。
シンジが寝かされているベッドのすぐ脇で、本を読んでいたようである。
「…ミストさん?」
「なに…?」
シンジの呼びかけに、開幾ミストは優しい声で応える。
「うん…」
しかし何か用があった訳でもないので、シンジはそのまま上を向いた。
しばらくそのまま、ぼーっと天井を見つめる。
すると、少しずつ、記憶が蘇ってきた。
”怪奇倶楽部”の事、”霧”の事、”次元の歪み”の事、”異界の扉”の事、”秘密基地「しゅれでぃんがー」”の事、そして──
「ミャー!そうだ、ミャーはどうなったの?」
シンジはガバッとベッドから起き上がり──
「───っ!」
お腹に激痛を感じて、またベッドに倒れ込む。
「まだ傷は完全に塞がってないわ…。起き上がってはダメよ…」
ミストはシンジの肩に手を当て、安静にするよう注意する。
「ミストさん、あの後、ミヤは───」
「安心して。ミヤさんは、無事だったわ…」
その言葉に、シンジの目に涙が浮かぶ。
「ホントに…?」
「ええ…、本当よ…。あの時、4年前の貴方が秘密基地の扉を開いて、箱入ミヤを助け出したの…。その後土砂崩れが起きたから、間一髪だったわね…」
「そうか…。良かった…。あの世界のミャーは、助かったのか…。本当に良かった…」
シンジの目から、涙がポロポロと零れ落ちる。
開いた窓から、優しい風が吹き付けて、ふわりとカーテンを揺らした。
「そうね…。本当に良かったと思うわ…。でもそれは、本当に貴方が一番望んだ結末と言えるのかしら…?」
ふっと、ミストがそんな事を口にする。
「もちろんだよ…。ミャーが生きて、幸せに生きる世界線が存在する。そしてそれを、僕が知っている。これ以上無い、結末だと思うよ…」
シンジは言った。
「本当かしら…?他に箱入ミヤ生きている世界線があったとしても、この世界線では箱入ミヤは死んだままよ…。それに、箱入ミヤが生きている世界線では、きっと貴方達は、私の”怪奇倶楽部”には入らないわね…。過去を変える必要なんて、無いのだから…」
ミストは言う。
「この世界線では、貴方は私と結ばれ、あの世界線では、貴方はミヤさんと結ばれる。それが貴方の、一番の望み?」
「あれ…?何か今さらっと凄い事を仰りませんでしたか…?」
シンジのツッコミを、ミストはサラッとスルーする。
「違うでしょう…?あなたの一番の望みは、箱入ミヤが生きていて、そのフラグをがっちりキープしつつも、同時に私のフラグもゲットする事のはずよ…。うふふふふ…」
ミストはニタリと、あの不気味な笑みを復活させる。
「違うかしら…?うふふふふ…」
「ノーコメントでお願いします」
シンジは即座に返した。
「でも、過去を変えたから現在が変わるなんて、都合の良い話なんてそうそう無いわよね…。多くの物語でも、過去を変えたら別の世界線が生まれるだけで、現在の世界線に変化がある訳ではないの…。そう、結局、2つの世界線で、願いを半分ずつ叶えるだけ…」
ミストはそう呟く。
(そうだな、確かにそれは、100%の望んだ結末では無いのかもしれない…)
シンジは思った。
(でも、世界がそういう風に出来ているのだから、仕方が無いんじゃないかな…)
だから、今出来る、”正しいと思える事”をするだけなのだ。
そう自分に言い聞かせる。
でも。例え別の世界線でミヤが助かったとしても、この世界の自分は、もうミヤに逢えないのだ。
その寂しさは、一生消える事は無いのだろう。
再び優しい風が吹いて。
「フッ…。も~い~かい?」
病室のドアの外から、オウジの声が聞こえた。
「……」
黙り込むシンジ。
何故か病室の外で、オウジがカクレンボをしている。
外から見たら、大分シュールな絵になっているのではないだろうか。
何だか自分の方が恥ずかしくなってくる。
「ミストさん、何をしているんでしょうか、あれは…?」
傍に居るミストに、小声で聞いてみる。
「ああ、そろそろシンジが目を覚ましそうだったから、私がお願いして病室の外に出て行って貰ったのよ…。カクレンボをお願いしたのも私…。うふふふふ…」
ミストは不気味に笑い続ける。
「な、何で…?」
「もちろん、シンジを驚かせようと思って…。うふふふふ…」
「さ、さいですか…」
(それで、「も~い~よ」って返せばいいのだろうか…)
ちょっとミストたちの意図が掴めず、また何だか恥ずかしいのもあって、シンジはしばらく放置する事にした。
「それで、さっきの話の続きだけど…」
ミストが言った。
「え…?」
「過去を変えたら、世界線が2つ出来るという設定の物語が多いという話…」
ミストが答える。
「確かに、過去を変えたら現在が変わるよりは、過去を変えたら世界線が2つ出来るという設定の方が、物語としての整合性は、取れると思うわ…。でもね、私はこう言いたい気持ちもあるのよ…。”ヨソはヨソ、ウチはウチ”、ってね…。うふふふふ…」
「も~い~かい?」
ドアの外で、タマコの声がした。
「皆が幸せになれる結末があるのなら、話の整合性なんて、私はどうでもいいと思うのよ…。ご都合主義でもね…。例えば私達に起きた出来事で言うと、『4年前、箱入ミヤは助かって、で、何故か私と貴方の関係だけはキープされたまま歴史が改変されて、高校生になった箱入ミヤが、改変される前の記憶を持ったまま、この世界線で生きている』、なんてのはどうかしら…?うふふふふ…」
「めちゃくちゃじゃないですか…?」
シンジは苦笑した。
「というか、そもそも何の話をしているの、ミストさん」
ミストは言った。
「こういう話よ…」
「も~い~かい?」
ドアの外で、オウジでもタマコでも無い、ほんわかとした声がした。
「え…?」
若い、女の子の声。
この4年間、聞いていなかった、そして、ほんの1週間前に、聞いた声。
懐かしい、ずっとずっと聞いていなかった、そしてずっとずっと聞いていたい声。
もう2度と、この世界線では聞けないはずの声。
「どうしたの…?貴方にはかけるべき言葉があるんじゃないかしら…?シンジ…、うふふふふ…」
ミストが言った。
『皆が幸せになれる結末があるのなら、話の整合性なんて、私はどうでもいいと思うのよ──』
シンジは、込み上げる涙をこらえて。
ドアの外にいる女の子に向かって、声をかけた。
「も~い~よ!」
すると、病室のドアが開いて。
「シニタン、み~つけた!そして、ただいま~~~~~~~~~っ!」
高校生の姿になった、箱入ミヤが入ってきた。
あの夏のカクレンボ
完
その日、彼らの日常が大きく崩れ去る大事件が起きる事を、その時はまだ、彼らは夢にも思っていなかった。
8月15日。
それは夏休みの、ある晴れた日の出来事だった。
この数日の間、どしゃ降りの雨が降り続いていたが、その日は太陽が顔を覗かせていた。
彼らはここ最近家に閉じこもっていたので、久しぶりの晴れ間に、いつもの友達を集めて外で遊ぶ事にしていた。
彼らは小学6年生。
これが最後の夏休み。
一日一日を悔いの残らない様に過ごしたいと思っていた彼らは、この数日雨で遊べなかった分を取り戻したいと張り切っていた。
昼12時00分、正午。
電話で皆に呼びかけ、”例の場所”に集まる事を、彼らは確認した。
昼12時30分。
待ち合わせ場所は、家の近くの裏山。
そこに、友達以外には誰にも内緒の秘密基地があった。
秘密基地は山道から少し外れた藪の中にあり、今はもう誰も住んでいない朽ちかけた小屋を発見後、そこに彼らが私物を少しずつ持ち込んで作られていた。
小屋の入り口には、「ひみつきち・しゅれでぃんがー」と書かれた看板が掛けてある。
「しゅれでぃんがー」がどういう意味なのか彼ら自身知らなかったが、「何か”変身ヒーロー”っぽくてカッコイイ気がする」という理由で、小屋を指す合言葉として彼らは使っていた。
濃い霧の立ち込める中、最初にその秘密基地に現れたのは、一人の少年だった。
名前は永久乃シンジ(トワノシンジ)。
小学6年生としては平均的な身長に平均的な体重、見た感じ大人しそうな感じの、いたってごく普通の男の子だった。
また、秘密基地の名前に「しゅれでぃんがー」はどうだろうと、提案したのは彼である。
これはシンジが自分で考え出した単語ではなく、秘密基地を発見する事になるある日、皆の元へ遊びに行く途中、道の途中ですれ違った見知らぬ女の子が、すれ違いざまにポツリと呟いた言葉だった。
その女の子が、何故そんな単語を呟いたのかは分からなかったが、何となく頭の中に残っていたので、シンジは秘密基地の名前として「しゅれでぃんがー」を提案したのだった。
ちなみにそれ以降、その女の子の姿は、見かける事は無かった。
小屋「しゅれでぃんがー」の中を見て、まだ誰も来ていない事を確認すると、シンジは近くを流れる川を見に行く事にした。
この数日の雨で、川はかなり増水し、勢いよく流れている。
いつもなら川に降りて遊んだりしていたが、今日は無理だとシンジは思った。
(もしこの川に落ちたら死ぬかな…)
ふとそんな事を考える。
シンジのいつもの癖である。
高い建物の屋上にのぼると、(ここから落ちたら死ぬかな)とか、「クマに注意!」の看板を見ると、(クマと戦ったら死ぬかな)とか、そういう妄想遊びが好きなのだ。
そしてその仮定の中で、「どうやったら助かるのか」を考える。
今は増水した川を見ながら、(浮き輪があれば死なないかな…。でも浮き輪なんて普通持ち歩かないし…。じゃあ、空のペットボトルならどうかな…。1.5リットル位の空のペットボトルがあって、それにしがみ付いていれば、何とか助かるかな…。それに、仮に水の中に沈んだとしても、ペットボトルの中の空気を吸う様にしれば、数分位は生きられるかも知れないし…。おお、ペットボトルちょー万能!万が一の時の為に秘密基地に置いておこうかな…)なんて事を考える。
つい先日も、災害時に役に立つかもと、秘密基地の中にロープやガムテープや十徳ナイフを持ち込んで来ていた。
シンジはそうやって、”不測の事態を予測して、万が一それが起こった際に、「こうなる事は分かっていた」と言わんばかりに道具を出し、拍手喝さいを浴びる自分”を想像して悦に浸るのが好きな少年だった。
きもい。
昼12時35分。
シンジがそうやって時間を潰していると、霧の向こうから女の子がやって来た。
「あー、シニタン、川に近付いたら危ないんだよー」
そう言ってシンジに声をかけたのは、同じく小学6年生、箱入ミヤ(ハコイリミヤ)。
黒いサラサラのロングヘアーで、前髪は短くぱっつんと切りそろえられている。
明るく温和な性格で、見ている方も笑顔になる様な、ほんわかした笑顔が特徴的な女の子だ。
「でもミャー、川が危ない事を確認しない方が危なくない?」
シンジが言うと、ミヤは頬を膨らませる。
「もー、シニタン、屁理屈言わない」
「あと、何度も言うけど、”シニタン”というあだ名、止めてくれません?」
「何度も言うけど、止めないよ~」
そう言ってほんわか笑うミヤを見て、シンジは肩を落とした。
(まぁ、分かってはいたけどさ…)
「そろそろ皆来るから、秘密基地で待ってた方が良いと思うんだよー」
ミヤはそう言って、シンジに秘密基地に戻るよう促してくる。
「うん、行こう。ミャー」
そう言うとシンジは、ミヤの後を付いて小屋に戻る。
ちなみに”シニタン”というのはシンジのあだ名で、
「シンジ→シジン→死人(シニン)→シニタン」
という流れから来ている。
元々シンジは霊感が強く、死者の魂が見える事があったので、そっち系のあだ名をどうにか付けられないかと、皆で捻り出したあだ名であった。
ひどす。
また、”ミャー”というのはそのまま、ミヤのあだ名である。
”シニタン”と比べると、大分可愛いあだ名であった。
ひどす。
そして二人は、ぬかるむ足元に気を付けながら、秘密基地へと、濃い霧の中に消える。
しかしこの時ミヤは、この後自分がどんな出来事に見舞われるのか、まだ知る由もなかった。
昼12時40分。
シンジとミヤが秘密基地に戻ると、小屋の前でもう一人の少年が立っていた。
二人を見ると手を挙げて挨拶をする。
「やぁ、お二人さん。フッ、相変わらず仲がいいんだネ」
そう言って、キラリと白い歯を見せて笑う。
爽やかなハンサムフェイスである。
彼の名は白馬オウジ(ハクバオウジ)。
小学6年生ながらにすらりとした長身で、モデルの様に整ったルックス。
成績優秀でスポーツ万能、家は金持ちで趣味は乗馬。
爽やかな見た目と、見た目通りの爽やかな性格で、まるで物語に登場する王子様が、そのまま現実に抜け出してきたかの様な人物であり、学校の女子から絶大な人気を誇っている。
「それほどでもないよ~、えへへ~」
そう言ってミヤは照れる。
「あれ、サムひとり?」
シンジが聞くと、
「ああ、タマちゃんもすぐ来るよ。ここに来る途中に寄って来たんだ。まだ支度していたけど、すぐ終わるって言ってたよ。フッ」
オウジはそう言って、白い歯を見せて笑う。
ちなみに”サム”というのはオウジのあだ名で、ハンサムの”サム”である。
そして3人は、秘密基地の小屋の中で最後の一人を待つ事にした。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の中は四畳半位の広さで、家具は無く、シンジたちが持ち込んだガラクタ(先程言った、ロープやガムテープ、十徳ナイフも)が入っている収納箱が隅に置かれている他は、全身鏡(この小屋を見付けた時から、何故かこれだけが残されていた)が立て掛けられているだけの空間である。
床板の下は直接地面に接していて、開いた穴から雑草が生えているほか、壁の隙間からは風がヒューヒュー吹いてくる。
かろうじて雨がしのげるだけの小屋、それが秘密基地「しゅれでぃんがー」の全てであった。
朝12時45分。
ほどなくして小屋の戸が開いて、一人の少女が入って来る。
「ゴメン皆、お待たせ~!」
息を切らせて入ってきたのは、黒鹿タマコ(クロジカタマコ)という女の子。
真っ白いひらひらの、ゴスロリの服を着ていて、頭にはリボンを付けている。
そのゴスロリに包まれた身体は、この仲良し4人組の中で一番大きく、顔はどことなくゴリラに似ていた。
しかし小学校ではクラス一のお洒落さんで、服装はいつも可愛らしく、笑うととてもチャーミングである。
またとても人当たりの良い性格で、この4人組に限らず、男女問わずクラスで人気があり、リーダーシップを取る事も多い。
「やぁ、タマちゃん。遅かったネ、フフ」
真っ先に声をかけたのは白馬オウジ。
白い歯がキラリと光る。
「ごめんね~、ちょっと手間取っちゃってね~」
タマコが答えた。
「お~今日もタマちゃん、お洒落さんなんだよー」
すかさず箱入ミヤのファッションチェックが入った。
「キャー、ありがとうミャーちゃん、ミャーちゃんも今日も可愛いよ~」
タマコは嬉しそうにお礼を言う。
「でも今日は地面とかぬかるんでいるし、その服で転んだりしちゃったら大変じゃない…?」
そして永久乃シンジが余計なツッコミを入れた。
「シニタン、うるさいー」
ミヤが半眼になって文句を言う。
「だーいじょーうV!この服、表面にビニールを貼ってあるから、多少の泥汚れなんかはすぐに落とせるんだから~!ふふふ、どう?タマコのこの家事スキル!」
そう言ってタマコは得意げに笑う。
自分の事を”私”ではなく”タマコ”と言うのが、タマコのクセだった。
そしてどうやらこのゴスロリ服は、手作りの物らしい。
ちなみにタマコは、裁縫の他に、料理や掃除、洗濯も得意で、小学6年生にして、家事スキルは学校の家庭科の先生をもしのぐレベルである。
「フッ…さすがだネ、タマちゃんは」
オウジが爽やか笑顔でタマコを褒めた。
「ホントだよ~、タマちゃん凄いよー。シニタンも、凄いものは凄いと褒めないとダメだよー」
ミヤがそれに賛同すると、
「すんません」
シンジはすかさず謝った。
「げへへ、タマコ照れるぜ~!」
タマコは頭を掻いて大げさに照れる。
数日ぶりに仲間が4人そろったという嬉しさで、皆いつもよりテンションが高い。
秘密基地の中に穏やかな空気が流れる。
しかし彼らの日常が崩壊してしまう、”その時”が訪れる瞬間が、刻一刻と迫っている事を、彼らはまだ知らなかった。
そう、不測の事態を考えるのが好きなシンジでさえ、まさか”そんな事”が現実に起こるなんて、夢にも思っていなかったのである。
小屋の外では、真っ黒な雲が急速に空を覆い始め、久しぶりの太陽を、再び隠してしまっていた。
「それじゃー今日は何して遊ぶんだぜぇ?」
パン、と手を叩いてタマコが話題を切り替える。
お題は今日の遊ぶ内容だ。
この4人組のまとめ役はいつもタマコだった。
「フッ…ボクは皆の好きな遊びで構わないヨ」
オウジが爽やかにほほ笑んだ。
「ミャーも皆と一緒なら何でもいいなー。シニタンは何したい?」
ミヤがシンジに問いかける。
「いや、僕も別に何でもいいけど…」
シンジは遠慮がちにそう言った。
建設的な意見は出て来ない。
タマコは自分の頭を押さえ、
「てめぇら…。それじゃ話が前に進まねぇだろうがっ!」
と、吠えた。
「いつもいつもいつもいつも!人の意見にイエスかノーを言うだけで!自分の意見はねぇのかよおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって、タマコは伝説の何かに目覚めようとしていた。
「そうだよシニタン。晩御飯何にするか聞かれて、何でも良いって答えるのが一番ダメなんだよ~!」
すかさずミヤが、シンジに責任をなすり付けようとしてくる。
「そ、そんな事急に言われても…。サム、何とか言ってよ…」
シンジがオウジの方に助けを求めると、
(フッ…)
オウジは爽やかな笑みを顔に張り付けたまま、ピクリとも動かない。
(くっ…!完全に気配を消している…!これでは普通の人間は、サムの姿を捉える事は出来ないじゃないかっ…!)
気を消して、スカウターでも無ければ見付けられないオウジを前にシンジは歯がみすると、
「じゃ…じゃあカクレンボで…」
と、これ以上ない普通の提案をした。
「シニタン、普通…」
ミヤが半眼になってシンジを見る。
(何で面白い提案を期待されてるんだ…)
理不尽な仕打ちにシンジはため息をついた。
「おっけー。じゃあまずはカクレンボしよっか!」
タマコはコロッと笑顔になると、皆に向かってそう宣言した。
「フッ…イイネ、カクレンボ。実はボクも、ちょうどカクレンボをしたいと思っていたところなのサ」
気配を戻したオウジが爽やかに白い歯を見せる。
「ん~、でもただカクレンボするだけだとつまらないよ~」
ミヤが言う。
「それじゃあ、負けたら罰ゲームにする?」
タマコが提案した。
「それはちょっと…」
シンジが抗議しようとするも、
「お~イイネ~!負けたら罰ゲームにしよー!」
ミヤが賛同した。
「フッ…それで、どんな罰ゲームにするんだい?」
オウジの白い歯がキラリと光る。
「負けたら好きな人の名前を言うー!」
ミヤが元気よく手を挙げて言った。
「「「!?」」」
一瞬場が固まって。
それから3人は、ゆっくりとお互いに顔を見合わせる。
「…う~ん、2人はどう思う…?」
タマコが聞いた。
「…うん…ボクは別に、それでも良いけどネ、フフ…」
オウジが答える。
「…え~っと、あ~、うん…」
シンジは曖昧に返事する。
「まぁ…皆が良いって言うなら、タマコも構わないけど…」
タマコもそう言って賛同した。
「よし、決まりー!負けたら好きな人の名前を言うんだよー!」
ミヤが嬉しそうに宣言する。
「…うん…そ、それじゃあ…カクレンボの鬼を決めましょうか…?」
そしてタマコが、じゃんけんの合図を取った。
結果、シンジが鬼、ミヤ、オウジ、タマコが隠れる役になった。
ルールはミヤ、オウジ、タマコが隠れ、シンジ(鬼)が探す。
そしてシンジ(鬼)に見つかった人は好きな人の名前を告白する。
全員(3人)見付けられた時はシンジ(鬼)は告白しなくてよいが、全員見付けられなかった時は、見付けられた人とシンジ(鬼)が告白する。
制限時間は1時間30分。
それがこのカクレンボのルールだった。
「負けたら絶対に、”好きな人の名前を言う”事!私、本気だから。絶対の絶対、約束だよー!」
カクレンボを始める時、散り散りになる前に、ミヤ何度もそう念を押していた。
昼13時00分。
「もぉ~い~か~い!」
秘密基地の小屋の壁に、目隠しをする様に寄りかかりながら、シンジが大声で呼びかける。
「まぁ~だ~だよ~!」
どこか遠くから声が返ってくる。
「もぉ~い~か~い!…」
そうやって再び呼びかけながら、シンジは考えていた。
(好きな人の名前を言わなきゃいけないなんて、どうしよう…)
ミヤがそんな事を提案するなんて思わなかった。
また、皆がそれに賛同するとも思わなかった。
これまでこの仲良し4人組の中で、恋愛の話が出る事は無かったから。
このメンバーの中に、恋愛感情が存在しない訳では無いという事は、シンジも気付いていた。
ただ、この4人で楽しく遊べる関係が楽しくて、その関係を壊さないよう、誰も恋愛の話題には触れる事が無かった。
それが皆の、共通の認識だと思っていた。
でも違った。
ミヤもオウジもタマコも、今より関係を深めたいと思っていたのだ。
原因は分かっている。
小学校の卒業だ。
皆小学6年生、来年には学校を卒業し、中学生になる。
そして進む中学校が、シンジとオウジ、ミヤとタマコで別々なのだ。
これが小学生最後の夏休み。
進学後、これまでの様に4人が一緒に遊び続けられるか分からない中で、今の内に想いを伝えたいという思いが、皆の中に広がっていたのだ。
でも、これまで積み重ねてきた”オトモダチ”としての時間が、この関係に”恋愛”を持ち込んではいけないみたいな空気を生み出していた。
だから皆、”きっかけ”が欲しかったのだろう。
好意を、想いを伝える為に、「罰ゲーム」という口実が。
もちろんシンジの中にも”想い”はあった。
ただ、心の準備が出来ていなかった。
いつか”彼女”に告白するんだろうなと思いつつ、しかしこの一緒に居られる時間がいつまでも続く訳では無いという事を、そのチャンスが永遠にある訳では無いという事から目を背け、考えない様にしていた。
いざとなったら、告白する勇気も出るはずだと、その時を先延ばしにしていたのだ。
ラストチャンスは、これがラストチャンスであるという事を、教えてくれはしないというのに。
「もぉ~い~よ~!」
どこか遠くで、声が聞こえた。
シンジは小屋から頭を離し、皆を探し始める。
その頭上では、空を覆う真っ黒な雲から、ゴロゴロと雷の音が響いていて。
その空にシンジはどこか、得体のしれない焦燥感を感じていた。
そして30分後、13時30分。
ぽつぽつと雨が降り始める。
シンジはすでに、オウジとタマコを見付けていたが、まだミヤは見付けていなかった。
「雨が降って来たな…」
シンジが言った。
「最近ずっと大雨続きだったし、この雨もすぐに本降りになるかも…。ミャーちゃん、皆で探した方が良くないかな?」
タマコが言った。
「フッ…そうだネ。残念だけど、カクレンボはこのくらいで終わりにして、今日も家で大人しくしていた方が良いかもしれない」
オウジが言った。
シンジの中にザワザワと得体のしれない不安の様なものが広がっていく。
カクレンボのエリアは、裏山の中でも、秘密基地を中心としたそれほど広くない範囲だ。
霧が一層深くなってきたが、3人で探せばすぐに見付かるだろう。
そう判断したシンジは、
「ミャーを探そう」
2人に向かってそう言った。
「うん」
うなずき合う3人の頭上を、稲妻が切り裂いた。
さらに15分経過、13時45分。
雨はかなり強くなって来ていた。
昼間だというのに、厚い雲と濃い霧のせいで辺りは薄暗い。
もうこの後の天気は、先日までのどしゃ降りの様になる事は間違いないように感じた。
シンジの中に広がる不安は、ますます大きくなっていく。
街の防災スピーカーから、大雨洪水警報が発令されたことがアナウンスされる。
「サム、タマちゃん!ミャーは?見付かった!?」
オウジとタマコの姿を見付けたシンジが駆け寄ってくる。
「いや…見付からないネ…」
オウジが深刻な顔で答える。
「どうしよう…ミャーちゃん…」
タマコが泣きそうになっている。
「小屋の中と周囲は見たし…家にも帰っていなかった…」
シンジが頭を巡らせる。
「他に行きそうな所、シンジは心当たりは無い?」
オウジが聞くと、シンジはハッとして、
「まさか…増水した川に…!」
そこから先は、言葉に出来なかった。
オウジとタマコもハッとした顔をして、3人は急いで秘密基地近くの川に向かった。
14時00分。
雨はどしゃ降りになり、川はこれまで見た事も無いほど増水し、物凄い濁流となって流れていた。
防災スピーカーから繰り返される、大雨洪水、そして土砂災害警報のアナウンス。
空では途切れることなく雷光が走り、バリバリと空が引き裂かれる。
「ミャー!」
「ミヤちゃーん!」
「ミャーちゃーん!」
川沿いで、ミヤに呼びかける3人。
しかしその声は、豪雨と川の濁流、そして雷鳴の音にかき消される。
雨で全身ずぶ濡れになりながら、シンジはオウジとタマコに向かって大声で叫んだ。
「このままじゃ僕たちも危ない!一旦家に帰ろう!」
霧は数メートル先も見えない程濃くなり、足元のぬかるみも酷い。
一歩間違えれば、足を滑らせて自分たちが川に落ちてしまいそうだった。
「でも…ミャーちゃんは!?早く見つけないと…!」
タマコが泣きながら叫んだ。
「もしかしたら、自分の家に帰っているかも知れない!ここからタマちゃんの家が一番近いから、そこからミャーの家に電話をするんだ!」
シンジが指示を出す。
「そうだネ、このままボク達だけで探していても埒が明かない!一度家に帰って、大人を呼んだ方が良いと思うヨ!」
オウジが賛同する。
しかし今は夏休み、皆の両親は共働きで、家にはいない。
すぐに連絡を取れるか分からなかったが、それでも、それ以外に方法は無いように思えた。
「ダメだ…!さっきからずっと、ケータイが圏外のままで、どこにも繋がらないんだ…!何でこんな時に限って繋がらないんだ…!」
唯一携帯電話を持っているオウジがスマホの画面を見ながら悪態をつく。
「繋がらないものは仕方が無い!よし!皆、急いで帰るんだ!とにかく電話!まずミャーの家に電話をかけて、それが繋がらなかったら、警察でもいい、誰か大人を呼ぶんだ!」
シンジが叫んだ。
「よし、行こう!」
オウジが合図をすると、3人は一目散に走り出す。
3人の姿が霧の中に消えた後、雷鳴が鳴り響くと共に、何度目かの大雨洪水、土砂災害警報のアナウンスが流れた。
14時12分。
3人は秘密基地の小屋の前を走り抜ける。
とにかくミヤが無事でいる事を確認する為の電話がしたくて、「小屋の中で休む」という選択肢は、彼らの頭の中には無かった。
一刻も早く、電話のある家へ。
わき目も降らず、走り続ける。
シンジ──。
その時だった。
自分の名前を呼ばれた気がして、シンジは足を止めた。
オウジとタマコはその事に気付かず、そのまま霧の向こうへ走り去って行く。
シンジは一人、来た道を振り返るが、誰もいなかった。
ふと、何か違和感の様なものを覚える。
何か大切な事を見落としている様な──
(そういえば…秘密基地の中、もう確認しなくても良いのか─?)
シンジの頭の中を、疑問がよぎる。
カクレンボが始まった13時、秘密基地の小屋の中は真っ先に確認した。
そして、オウジとタマコを見付けた後、手分けしてミヤを探し始めた13時30分にも確認した。
その2回ともミヤは居なくて、しかしそれ以降、小屋の中は見ていない。
ミヤは、小屋の中には隠れないのだと、そう決めつけていた。
でも──
もしミヤはずっと小屋のそばにいて、鬼の自分から見えない様に、小屋の周りをグルグル回っていだたけなのだとしたら。
(今、小屋の中に避難していても、おかしくないんじゃないか─?)
そんな考えが、頭に浮かぶ。
このまま家に帰って、一刻も早く、ミヤに電話をかけるのか。
それとも、もう一度だけ秘密基地の中を確認してから、家に帰るのか。
しばらく悩んで、シンジはこのまま家に帰る事にした。
きびすを返し、走り出す。
その時だった。
それまでの雷鳴とは異なる轟音が、シンジの後方──秘密基地の、小屋があった方から鳴り響いた。
「───!」
振り返るシンジ。
その目と鼻の先で、土砂崩れが起きていた。
山肌が一斉に崩落し、秘密基地「しゅれでぃんがー」を、土砂が飲み込んでいく。
「───え?」
一瞬にして、秘密基地の小屋は、跡形もなく消え去っていた。
「……」
呆然と立ち尽くすシンジ。
何が起こったのか、理解するのにしばらく時間がかかった。
「あ……」
思わず小屋があった場所へ行こうとして、足を止める。
今土砂の中に足を踏み入れるのは危険だ。
それに何より──秘密基地の中に、ミヤがいたと決まった訳では無いのだ。
(そうさ、ミャーはきっと、今頃家でのんびりしてるはずさ)
シンジは自分にそう言い聞かせると、家に向かって走り出す。
頭上で、ひときわ大きく雷鳴が鳴り響いた。
数分後。
酷く濃い霧が立ち込める中、家路を急ぐシンジは、行く先に女の子の人影を発見する。
「!」
ハッとして足を止めるシンジ。
オウジでも、タマコでも無い女の子の人影。
こんなどしゃ降りの中を、住宅地が近いとはいえ、山道の途中で、傘も差さずに一人佇む女の子が、普通居るだろうか。
雷が光り、数秒遅れて轟音が鳴り響く。
霧の中に浮かぶシルエットに、シンジは見覚えがあった。
得体のしれない期待と不安が湧き上がり、心臓が早鐘を打ち始める。
「……ミャー?」
しゃがれた声で呼び掛け、シンジはゆっくりと歩み寄る。
少女の人影は動かない。
「うっ…!」
地面のぬかるみに足をとられて。
バシャッと大きな音を立てて、何とか踏ん張るシンジ。
するとその音に気が付いたのか、少女の人影は霧の奥へと逃げていく。
「ミャー!」
シンジは大声で呼び掛けると、走って女の子の後を追う。
一瞬見失いかけたが、すぐに女の子に近付いて。
現れた後ろ姿は、紛れもなく箱入ミヤ、その人だった。
「ミャー!」
再びシンジが大声で呼び掛けると、女の子は逃げる足を止めて。
あと数歩の所で、シンジも足を止めた。
そのまま少しばかりの時間が過ぎて──
女の子が、ゆっくりと振り返る。
そして、シンジの顔を見ると照れた様に笑って。
「さすがシニタン、見付かっちゃったよ~」
箱入ミヤが、そこに居た。
「ミャー!今までどこに居たんだ!探したんだぞ!」
ミヤの姿を見て安堵し、心配が解消されると同時に、反動で怒りが込み上げて来るシンジ。
「えへへ~」
笑ってごまかすミヤ。
「いや、もうそんな事はいいんだ。さっき秘密基地が土砂崩れに巻き込まれていたんだ。ここは危ない。今日はもう家に帰ろう、ミャー」
一瞬ミヤを責める様な口調になったが、今はミヤが無事であることが確認出来ただけで充分だと気付き、すぐに訂正するシンジ。
「また明日、皆で遊ぼう」
あえて”明日”と口に出す事で、これからも、皆と一緒に居られるこの時間が続くのだと、そうシンジは自分に言い聞かす。
しかし──
「ごめんね、シニタン」
困った様な顔で、ミヤはそう言った。
雷鳴が、鳴り響いた。
「え……?」
シンジの中で、かき消えたはずの不安が、一瞬で広がっていく。
「な…なんだよ、ゴメンって…?」
混乱する頭で、何かにすがり付くように、必死で言葉を絞り出す。
「……」
ミヤは、何も答えない。
「───!」
そしてシンジは──気付いてしまった。
ミヤの姿の、違和感に。
滝の様に降り続けるどしゃ降りの雨の中で、ミヤの身体は、雨に濡れていなかった。
雨は、ミヤの身体を、すり抜けていた。
──シンジはこれまでも、”雨に濡れない人”の姿を見た事があった。
それはミヤのおじいちゃんだった。
ある日、雨の中、傘も差さずに一人外に佇むミヤのおじいちゃんを見かけたシンジは、いつもの様に挨拶を交わした。
その時ミヤのおじいちゃんは、何故か雨に濡れて無くて。
別れ際、「ミヤの事を、よろしくね」とお願いされたのを、不思議に思いつつ「はい」と答えたのを覚えている。
そしてその後になって、少し前におじいちゃんが亡くなっていたという事を、シンジは知らされたのだった。
そしてその時シンジは、「霊感」というものが存在する事を知り、また、ミヤに”シニタン”というあだ名を付けられたのである。
「ミ…ヤ…?」
かすれた声を出すシンジ。
「カクレンボに負けたから、ミャーは罰ゲームしなきゃだね~」
シンジの不安とは裏腹に、ミヤは底抜けに明るい声を出す。
シンジはカクレンボの罰ゲームなんて、今の今まで忘れていた。
いや、そもそも罰ゲームなんて、今はそんな事をしている場合では無いはずだ。
「それでわ、ミャーはミャーの好きな人の名前を言います!」
「ダメだ!」
ミヤの声を遮る様に、シンジは大声を上げた。
「いや、今は…今は言わなくて良いんだ…。そう、明日…!明日、皆の前で発表しよう…!それでもいいだろ…?その時、ついでに僕も言うからさ、な…?明日にしようぜ…?ミャー…」
ミヤは泣き笑いの様な表情を浮かべて。
「ごめんね、シニタン…」
再びそう繰り返した。
「な…何でだよ…?何で明日じゃダメなんだよ…?別に明日でもいいだろ…?今日じゃなきゃ…?いけない理由なんて、無いんだしさ…」
絶望と恐怖に押しつぶされそうになりながら、わずかな希望を、救いを求めるシンジ。
「……」
黙り込むミヤ。
「っ…!何でっ…何でこんな事になるんだよ…!僕達が、何をしたって言うんだ…!何でミャーが…、ミャーがっ…!」
シンジの目に、涙が溢れる。
その姿を見て、悩みながらも、意を決して口を開くミヤ。
「私…ミャーが、箱入ミヤが好きな人の名前は──」
「やめろ!言うな!」
シンジの叫び声も空しく。
「シニタン…、ううん、永久乃、シンジです。あなたの事が、ずっとずっと、好きでした」
「ミャー…」
ミヤが笑顔を浮かべる。
涙は見えないが、きっと泣いているのだと、シンジは思った。
「…僕も、ミャーが…箱入ミヤの事が、好きです…!ずっとずっと、これからも、ミャーの事が、大好きです!」
ありったけの声で、シンジは叫んだ。
「ほんとう?えへへ、嬉しい!」
ミヤは笑った。
その笑顔が、辛かった。
「何で、どうして、どうしてミャーがこんなことにならなきゃいけないんだっ!」
涙が、言葉が、想いが、止まらない。
そんなシンジの目の前まで、ミヤが歩み寄って。
「泣かないで、シニタン。私、今、幸せだから。シニタンのおかげで、すっごくすっごく、幸せになれたから」
シンジが手を伸ばす。
それでも、ミヤの身体には触れられなかった。
「あ…あぁ…」
自分のせいなのか。
あの時、最後のもう一度だけ、秘密基地の小屋の中を確認していれば、ミヤを助ける事が、出来たのだろうか。
自分が、ミヤを、死なせてしまったのだろうか──
「ありがとうシニタン。私に出逢ってくれて、私を好きになってくれて、ありがとう。ずっとずっと、これからも、大好きだよ──」
ミヤはそう言うと、背伸びをして、シンジに唇を重ねた。
「────!」
しかし感触は何もなく。
気が付いた時、そこにミヤの姿は、無くなっていた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
シンジの慟哭が、霧の中に消えて行った。
第二章 怪奇倶楽部
──あれから4年の歳月が流れて。
永久乃シンジ達は、高校1年生になった。
小学校を卒業後、シンジとオウジは第一中学校に、タマコは第二中学校に進学したが、高校に入って、3人はまた、同じ学校に通う事になった。
ミヤの事があってから、シンジはオウジやタマコとギクシャクする様になっていたが、”高校入学”という環境が大きく変わるという不安と、同じクラスになり、久しぶりに再会したタマコが、積極的に皆の仲を取り持つよう動いた事で、3人は再びグループを組んで遊ぶようになった。
そして高校生活にも馴染み始め、そろそろ夏休みも間近に控えた1学期の終わりに。
シンジ達のクラスに、一人の転校生がやって来た。
「開幾ミスト(カイキミスト)と申します…。皆さま…よろしくお願いいたします…」
担任に連れられ、教室に入ってきた転入生は、黒板に自分の名前を書くと、そう自己紹介した。
血の気の無い色白な肌、長い黒髪をツインテールにし、顔にはそばかす、眠そうに、半開きになっている目はどこか虚ろで。
どことなく、暗く不気味な雰囲気を漂わせる少女が、そこに居た。
「皆、開幾さんと仲良くする様に」
担任の先生が生徒たちにそう促す。
「それじゃあ開幾さん。窓際の一番後ろの席が空いてるから、そこが君の席ね」
窓際の一番後ろ、それはシンジの隣の席だった。
「はい…」
開幾は担任の言葉に小さく返事を返すと、自分の席の方に向かって歩き出す。
音も無く、ゆっくりと。
その様はやはりどこか不気味で、そして不気味さゆえの、美しさがあった。
得体のしれない空気をまとった少女に、自然と皆の注目が集まる。
しんと静まり返る教室。
ふとシンジは、その少女の姿に、どこかで見覚えがある様な気がして。
(いや…気のせいだろうな。小学校にも、こんな娘はいなかったし…)
そう思い直した。
しかし開幾は、シンジの席の前で、ピタリと足を止めて。
シンジの方に、その虚ろな目を向けた。
二人の目が合って。
「……」
生気のない虚ろな目が、シンジの瞳をじっと見つめる。
「あ、あの…何か…?」
シンジが声をかけるも、開幾はそれには答える事無く。
居心地の悪さが、やがて怖さに変わるくらいの時間が経って。
「これから、よろしく…」
ニタリと口元に小さく不気味な笑みを浮かべて。
開幾はシンジにそう挨拶すると、そのまま音も無く自分の席に付いた。
しばらくの静寂。
「よ…よーし、それじゃあ、ホームルームを始めるぞ~!」
そして担任の声を皮切りに、教室に音が蘇る。
いつもと同じ教室のざわめきに、シンジは救われたように息を付いて。
(た…助かった…)
ホッとすると同時に、シンジは全身から、どっと冷や汗が噴き出すのを感じた。
(な…何か、怖い…)
霊感の強いシンジにとって、幽霊は怖い対象ではなかったが、この少女には何故か、幽霊以上に得体の知れない何かを感じていた。
(ま…まぁ、もうすぐ夏休みだ。それまでの我慢…)
席が隣になってしまったが、だからといってどうという事も無いだろうと思い直し、居ずまいを正す。
そう、これからも、これまで通りの、ミャーが居ないという現実が、淡々と続くだけなのだ。
(そうだ。学校生活なんて、どうでもいい事じゃないか。どうせこの先の僕の人生に、幸せなんてものは、ありはしないのだから──)
そう自分に言い聞かせるシンジ。
箱入ミヤを失ってから、もうこれ以上傷つく事が無いように、自分自身にそう染み込ませてきた考え方だった。
しかしシンジは、この時まだ気付いていなかった。
この出逢いが、自分の運命の歯車を、大きく変えてしまったのだという事に。
昼休み。
「開幾さ~ん、良かったら、タマ…私と一緒にご飯食べない?」
授業が終わると同時に、黒鹿タマコは開幾の元へ行き、開口一番食事に誘った。
隣に座るシンジが、ギクリと硬直する。
(そういえば、タマちゃんは社交的な性格だったし、当然誘うよな…)
しかし、シンジ、オウジ、タマコの3人は、学校が終われば一緒につるむこともあるが、学校の中でも常に一緒にいる訳では無い。
むしろタマコは社交的で、クラスの誰とでも話せる人間であり、昼食時間などは女子グループの中に混じってご飯を食べる事が多く、逆に学校でシンジ・オウジと一緒にいる時間はそれほど多くない。
やはり女子は女子、男子は男子でそれとなくグループを作るのだ。
逆にシンジはクラスに友達が少なく、昼食時間は1人か、もしくはオウジと2人でご飯を食べるのみである(オウジは高校に入っても女子に絶大な人気を誇り、様々な女子グループから一緒に食事をしようと誘われる。ただしオウジ本人は、タマコやシンジと一緒に食事がしたい模様…)。
なのでタマコが開幾と友達になったところで、自分と開幾との間に接点が出来る訳でもないだろう、とシンジは自分に言い聞かせる。
そこに、今日はシンジとご飯を食べるつもりなのか、白馬オウジがやって来た。
「フッ、それはいいネ。ボク”たち”も参加させて貰ってもいいかい?」
白い歯を見せて、爽やかフェイスでオウジが言った。
(ほげえええええっ!?)
シンジは心の中で叫んだ。
ボク”たち”──つまり、昼食にシンジが参加する事が、その提案には含まれている。
そういえば、オウジも社交的な性格だった。
開幾はその虚ろな半眼で、タマコ、オウジを見た後、最後にシンジをジーッと凝視し、
「いいわ…。一緒に食事にしましょう…。うふふふふ…」
そう言って、ニタリと不気味な笑顔を浮かべた。
中庭。
屋根とテーブル付きのベンチで、4人は弁当を広げる。
シンジは、購買で買ってきた250円のカレーライス。
オウジは、金持ちらしさが前面に押し出された、キャビアやトリュフやマツタケ等、豪華な食材”だけ”で作られた、逆に美味しいのか良く分からない弁当(ちなみに弁当箱は金色)。
タマコは、その巨体(見た目は小学6年生の頃より、さらにゴリラ度が増している)に似合わず、色とりどりの食材で、可愛らしく盛り付けされた小さな弁当(本人の手作り、料理はべらぼうに上手い)。
そして開幾ミストは、揚げ物、野菜、果物、ご飯とバランスの取れた、しかし重箱3段分のボリュームがある弁当だった。
「改めて自己紹介させて頂戴…。私は開幾ミスト…。ミストって読んで貰えると嬉しいわ…。うふふふふ…」
皆が弁当を広げ終わるのを待って、ミストはそう自己紹介した。
生気を感じない眠そうな目で皆を見回し、笑みを浮かべる。
タマコ、オウジ、そしてシンジも、続けてミストに自己紹介をした(シンジだけ、全身に滝の様に冷や汗をかいていた)。
「よろしく」
皆でそう挨拶すると、各々食事を開始する。
「あなた方は、いつもこうして3人でいるのかしら…?」
ミストが聞いた。
「いつもではないけど、よく一緒に遊ぶわね~。小学校が同じで、タマコ達、子供の頃からの幼馴染だからね」
タマコが答えた。
「そう…。幼馴染がいるって、羨ましいわね…」
ミストはこれでもかと口の中一杯にご飯をかっ込み、モゴモゴと噛んでゴクリと飲み込んでから、ゆったりと喋る。
「フッ…ミストさんは、何でこの高校に転校して来たんだい?」
オウジが、白い歯を光らせて尋ねる。
「ひみつ…うふふふふ…」
不気味な笑みをたたえたまま、ボソリと呟くミスト。
「ま…まぁ初対面でプライベートな質問をするのはマナー違反だったよね、フフ…」
慌てて取り繕うオウジだったが、そんな姿もハンサムだった。
(おお、サムの”ハンサムスマイル”をスルーした…!)
シンジは驚く。
オウジの白い歯から発せられるびーむを目にした女子は、大体4分の1くらいの確率でノックアウトしてしまうのだ。
ミストはあまりハンサメンに興味が無い人なのかな、とシンジは思った。
「皆さんは何か…クラブ活動とかしていらっしゃるのかしら…?」
”皆さん”と言いつつ、シンジの方を凝視しながらミストが聞いてくる。
「…いえ、僕は特に何もしていないですけど…」
ぎこちなくシンジが答える。
「…そう…。それは良かった…」
ミストはほとんど聞き取れないくらい小さな声で、ボソリとそう呟いた。
(な…何が良かったんでございますでしょうか…?)
シンジは不安になる。
「タマコは華道部、茶道部、書道部、手芸部、お料理研究会に入っているわよん♪」
タマコが言った。
(アグレッシブすぎだろ…)
シンジは思った。
「…アグレッシブすぎるわね…」
ミストが感想を洩らす。
「フッ…ボクは馬術部とテニス部に入っているんだ」
白い歯がオウジを光らせ…もとい、オウジが白い歯を光らせる。
「この学校に、馬術部なんてあったっけ?」
シンジが聞くと、
「フッ…無かったよ。だから、学校側に頼んで、作ってもらったのサ。もちろん馬や馬小屋、エサ代や飼育員の給料、そして土地代や馬場を作るもろもろの費用は、全てこちらで用意させてもらったよ」
オウジは事も無げに答えた。
(金の暴力だ…)
シンジは思った。
「金の暴力…」
ミストが呟いた。
(おうふ、何かさっきから僕とミストさんの考えがシンクロしているっ!?)
シンジは動揺する。
「ミストさんは何か部活に入る予定はあるの?」
タマコが聞いた。
「…いいえ…」
ミストは小さく首を振ると、
「私…新しくクラブを作ろうと思っているわ…」
そう言った。
「フッ…どんな部活なんだい?」
オウジが聞くと、
「…”怪奇倶楽部”…」
ミストはそう答えた。
「怪奇倶楽部?」
思わず聞き返すシンジ。
「そう…超常現象や怪奇な出来事を調べるクラブ…」
「超常現象なんて現実には無いんじゃないかな?」
シンジが言うと、
「フッ…霊感が強くて幽霊が見えるとか言っている人間の言葉とは思えないネ」
と、白い歯が突っ込んだ。
「ん~、でも、超常現象や怪奇な出来事を調べるって、具体的に何をするの?タマコ、オカルトはちょっと苦手だずぇ~」
タマコが聞く。
ミストは口一杯にほおばったおかずをお茶で流し込んでから、口を開く。
「…霧(きり)」
「きり?」
「そう…霧」
虚ろな目をまっすぐにシンジに向けながら、呟くように喋るミスト。
「この街には、よく霧が発生するわ…。その霧を、調べるの…」
「う~ん?確かに霧は良く発生するけど、それが超常現象と何か関係があるの?」
タマコが聞くと、
「…バミューダトライアングル」
ミストはそう答えた。
「バミューダトライアングル…?フッ…あの大西洋上にある、”魔の三角地帯”と呼ばれる海域の事かい?」
三角の白い犬歯が、自然な流れで説明をする。
「バミューダトライアングルでは昔、飛行機や船が失踪する事があったって、聞いた事があるな~。原因はもう解明されたんだっけ?解明されてないなら、確かに超常現象っぽいけど、今はどうなんだろう?」
タマコが言う。
「……。バミューダトライアングルでは飛行機や船が失踪する直前に、乗組員から『霧に包まれた』と通信が入ったと聞いた事がある…。けど、まさか…」
シンジの言葉に、ミストはニタリと不気味に笑う。
「そうよ…。その霧の事…。正確には、霧とよく似た”白いモヤの様な何か”──」
シンジは、ミストの目に吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
「その霧──その時、バミューダトライアングル内で発生していた”白いモヤ”は、”次元の歪み”から漏れ出して来ている物よ…。その霧の中では、磁気が狂い、機械を誤作動させてしまう事があるみたい…」
「へぇ~、その”白いモヤ”と同じ物が、この街でも発生しているって言うの…?」
タマコが聞いた。
「そう…。この街の霧は、ただの霧じゃないわ…。魔の三角地帯と同じ物…」
「フッ…それで、この街の霧を調べて、どうするというんだい?」
「霧の最も濃い中心部を探すのよ…。この霧が発生するという事は、そこに”次元の歪み”が存在するという事だから…。そして、霧の最も濃い中心部には、きっと大きな”次元の歪み”が存在するはずだわ…」
「…”次元の歪み”には、何があるの?」
シンジがゴクリと唾を飲み込む。
「”次元の歪み”が存在する所は、時間も空間も歪んでいるわ…。そこでは時として、どこか別の空間と、繋がる事がある…」
「別の空間…?」
「そう…。此処ではないどこかかもしれないし、今ではない時間かもしれない…。”今”、そして”此処”ではないどこかに繋がる”異界の扉”が、霧の震源地に、きっとこの街のどこかに、存在するわ…。それを調査するのが、”怪奇倶楽部”の活動内容よ…」
重箱3段分の弁当を綺麗さっぱり食べ終え、ミストは言った。
「……」
言葉が出ない3人。
「どうかしら…?誰か”怪奇倶楽部”に入ってくれる人はいないかしら…?」
”誰か”と言いつつシンジの目をじっと見ながら提案するミスト。
「でもさ、もし…本当に”異界の扉”なんてものがあったりしたら、近付くのは危険じゃないのかな?…大丈夫だぜ?」
タマコが言った。
「そうね…危険が無いとは言い切れないわ…。バミューダトライアングルに入って、帰って来なかった人はいるから…」
「フッ…開幾さんが危険を冒してまで”異界の扉”を見付けたい理由は何だい?」
オウジが尋ねる。
「別に…興味があるから…。それだけ…。逆に貴方達は、興味は無いのかしら…?」
「それは…ちょっと興味あるけど…」
シンジが答える。
「うふふ…。それに…さっきも言った通り、”次元の歪み”では時間も歪んでいるわ…。だから…”異界の扉”が、別の時間にある空間に繋がる事もあるかも知れない…。そしてその”別の時間”が過去である可能性も、否定できない…」
ミストは、ニタリと不気味に笑った。
「”扉”が過去の空間に繋がる様な事があれば、過去の世界に戻る事も、出来るかもしれないわね…。ねぇ…貴方達には、”もし過去に戻る事が出来たとしたなら、何としてでもやり直したい出来事”なんてものが、あったりはしないのかしら…?うふふふふ…」
ミストの言葉に、ゾクリと、シンジの背中に戦慄が走る。
僅かに、身体が震えるのを感じた。
『あなたの事が、ずっとずっと、好きでした』
(ミャー…)
4年前、箱入ミヤと交わした最後の会話が蘇る。
(過去に…戻れる?)
全身から、ドッと冷や汗が流れ出る。
(ミャーに、逢える…?)
心臓が早鐘を打つ。
(過去を…やり直せる…?)
シンジの中で、色んな感情が錯綜する。
言葉が震えそうになるのを必死で抑えながら、シンジは聞いた。
「本当に…本当に、”異界の扉”なんてものが、存在するのか…?」
「さぁ…?分からないわ…。だからそれを調べようというのよ…。”怪奇倶楽部”でね…うふふふふ…」
半分に開いた眼で、シンジの目をまっすぐに見つめながら、ミストは言った。
「改めて聞くわ…。この中に誰か、”怪奇倶楽部”に入りたい人は居ないかしら…?」
シンジは答えた。
「入るよ、ミストさん。”怪奇倶楽部”に。いや…どうか入らせて欲しい」
その言葉を聞いて、ミストはニタリと不気味にほほ笑んだ。
「もちろん歓迎するわ…シンジ。ようこそ、”怪奇倶楽部”へ…。うふふふふ…」
その様子を見て、オウジとタマコが顔を見合わせる。
何かを決意したように頷いて、
「フッ…シンジが入るなら、ボクも入らない訳にはいかないな…。いや、その言い方は卑怯だったね…。そう、救いたい人を、救おうとしている人がいるんだ。それならぜひ、ボクも仲間に入れて欲しいと思うよ。どうかな?」
「タマコも…!タマコも、”怪奇倶楽部”に入りたい。変えたい過去があるから。例え変えられないものであったとしても、変えられそうな全ての事を、試した後で諦めたいの。だから、ミストさん…!」
2人の、切実な願いのこもった言葉に、ミストは。
「えぇ。もちろん、貴方達も歓迎するわ…。ようこそ、我が”怪奇倶楽部”へ…。うふふふふ…」
相変わらずの、不気味に見えるミストの笑い。
でもこの時シンジには、ミストが仲間が出来た事に、純粋に喜んでいる様に見えた。
不気味で、得体のしれない少女。でも…。
(案外、ちょっと変わっているだけの、普通の女の子なのかもしれない…)
シンジはちょっと、そんな事を思った。
その日の放課後。
旧校舎の一室に、シンジ達は集まっていた。
シンジ達の通う学校には校舎が二つ存在し、普段授業で使っているのが比較的綺麗な新校舎、そしてクラブに部室としてあてがわれているのがオンボロの旧校舎である。
旧校舎は古い木造の建物であり、所々木が腐り、扉の立て付けも悪く、ガラスが割れたままになっている窓もあちこちにあった。
そして今、シンジ達4人がいる教室も例外ではない。
旧校舎の4階、何故か他の教室から離れたところに、一つだけポツンと作られたそこで。
「どうかしら…?ここが我らが”怪奇倶楽部”の部室よ…」
ガラスの割れていない窓も含め、光を遮断する様に全ての窓に目張りがされている、薄暗い、朽ちかけたボロボロの教室の真ん中で、ミストが両手を広げて紹介する。
その教室のオンボロ具合と不気味さは、かつて自分達が秘密基地に使っていた小屋、「しゅれでぃんがー」をシンジに連想させた。
教室の片隅に、何故か全身鏡が立て掛けてある所まで一緒である。
「しゅれでぃんがー」には辛い思い出があるので、あまり思い出したくはなかったが、ただ廃墟の様な寂れた空間自体は元々好きだったので、シンジはこの教室を一目で気に入っていた。
「いいかも…」
ずっと使われてなかったのかかなり埃っぽいが、ちゃんと掃除をすれば問題無いだろう。
ミストはその眠そうな半眼をシンジの方に向けると、
「でしょう…?私も気に入っているわ、シンジ…。うふふふふ…」
相変わらずの不気味な笑顔を浮かべた。
「うわ~…古いわね、この教室…。ボロボロだし、ちょっと不気味…。今にも何か得体のしれないものが出てきそう…。タマコ、幽霊は苦手なんだぜぇ…」
タマコが言った。
「大丈夫だよ。幽霊だって元は人間なんだから。幽霊が見える見えないにかかわらず、礼節をわきまえている人には、幽霊はあんまり攻撃して来ないと思うよ。まぁ、多分だけど…」
「う~、止めてちょんまげ…。そうは言っても怖いものは怖いんだから…」
タマコはゴリラの様な巨体を縮こませる。
「どうしても怖い時は、僕はその場で”黙とう”を捧げる様にしているよ。幽霊さんの冥福を祈っていると、不思議と恐怖が和らぐから…。あと、これだけは確実に言える。”攻撃的な生きた人間より、怖い幽霊は居ない”」
シンジは自信満々に言った。
「全然慰めになってないぜ~?シンジ君…」
ミストの様にジト目になって、シンジを睨むタマコ。
「フッ…しかし良く直ぐに部室が見付かったものだね。確か、他にもいくつかの同好会が、どこか部室が開くのを待っている状態だと聞いたけどネ」
オウジが白い歯を見せるが、教室が薄暗いので、いつもほどの輝きは無かった。
「うふふ…。この教室はずっと、誰にも使われていなかったのよ…」
「フッ…本当かい?部室棟はずっと空きが無い状態だと聞いたんだけど、フレンドが勘違いでもしていたのかな?」
「いいえ…、そのフレンドさんの勘違いではないわ…。確かに、部室棟の教室に空きは無かったのよ…。そう、4階に何故か一つだけ存在する、この教室も含めてね…。うふふふふ…。分かるかしら…?この教室は、今まで”使われてはいなかったけど、開いてもいなかった”のよ…。この意味が、どういう事なのか、分かる…?」
シンジは、何か嫌な予感がした。
「4年前、この教室で、ある”事件”が起きたのよ…。とても悲惨な”事件”がね…。それ以降、誰もここに近寄ろうとはせず、この教室は固く閉ざされ、4階の”開かずの間”となって今まで放置されていたの…」
ミストはニタリと笑う。
薄暗い教室の中で、ミストの虚ろな目だけが、ギラリと明るく光ったような気がした。
「せっかく教室があるのに、使わないなんて勿体ないでしょう…?だから今朝、転入の挨拶をする為に職員室に行った時、先生方に許可を取っておいたのよ…。そしてさっき、こじ開けさせて貰ったってわけ…。うふふふふ…」
「か、開幾さんは凄い度胸があるね…」
オウジの爽やかスマイルも若干引きつっている。
「ちょっと質問してもいい?」
シンジがミストに聞いた。
「ええ、いいわよ…。何でも聞いて頂戴…。答えられる事なら、答えてあげるわ…。答えられる事ならね…。うふふふふ…」
「在校生でも知らないこの教室の存在を、ミストさんはどこで知ったの?あと、許可を取ったのが今朝って事は、僕達が”怪奇倶楽部”に入るかどうかも分からない時に、だよね…?部員が4人集まらないと、同好会の申請も出せないはずだけど…」
ミストの半眼が、キラリと光る。
「ひみつ…。うふふふふ…」
(前言撤回…。絶対、”ちょっと変わっているだけの、普通の女の子”では無いです…。得体が知れない…)
シンジは思った。
(でも…何を考えているか分からない女の子ではあるけれど、人を傷つける様な事をする人間では無い気がする。それは多分、間違いない)
相変わらず不気味ではあったが、その不気味さに、もう恐怖は感じなくなっていた。
シンジは、人を見る目には、自身があったから。
「うふふふふ…。それでは、今この時をもって、”怪奇倶楽部”の発足とするわ…。皆さん、これからよろしくお願いいたしますわ…」
ミストが不気味な笑みを浮かべたまま挨拶をして。
その日から、”怪奇倶楽部”の4人による、”霧”の調査が始まった。
第三章 ”霧”を求めて
「フッ…それで?”次元の歪み”を調べるという事だけど、具体的に、どうやって見付けるんだい?」
長い事使われていなかった教室を、ざっと簡単に掃除して、後ろの方に積まれていた机と椅子を部屋の真ん中で突き合わせて、部室としての体裁を簡単に整えた後。
まるでモデルの様な爽やかハンサムスマイルで、白馬オウジは”怪奇倶楽部”の活動内容の、本題に入った。
「”霧”よ…。”次元の歪み”からは、霧によく似た”白いモヤ”が溢れ出してくる事があるの…。だから、霧の発生している場所へ行って、そこを調べるの…」
血の気の無い真っ白な肌、そして闇の様に真っ黒な長髪をツインテールにしたソバカスの少女、開幾ミストが不気味な笑みを浮かべながらそれに応える。
「その”霧”はどうやって調べたらいいの?タマコは霊感とか無いんだけど、普通の霧と、その”白いモヤ”の区別って、簡単につくの?」
ゴリラの様な顔と身体ながら、可愛らしい声と仕草と髪型のJK、黒鹿タマコがミストに聞いた。
「私が直接確認すれば、”霧”と”白いモヤ”の区別は付くのだけれど…。具体的に何か違いを見ているのではなく、私が直感で「分かる」だけだから、他の人の参考にはならないわね…」
ミストは眠そうな目を遠くに向けて考える。
「そうね…、見た目では殆ど区別は付かないわ…。ただ、”次元の歪み”から漏れ出ている”白いモヤ”の中では、電子機器が誤作動を起こす事がよくあるから、携帯電話を操作してみるのは、霧を区別する手段として有効かもしれないわね…」
ミストが答える。
「あと、”次元の歪み”がそんなに広範囲に広がる事はそう無いから、不自然に規模の小さい霧が発生したら、可能性はより高くなると思うわ…」
「つまり、まずこの街のどこかで”霧”が発生していないかを調べる。次にその霧の中で携帯が誤作動起こさないかを調べて、もし誤作動を起こすようなら、その近くに”次元の歪み”があるかも知れない、という事で大丈夫かな?」
”怪奇倶楽部”の部室の中に居る4人の中で、最も地味な、ギャルゲーで言う所の立ち絵の無い感じのごく普通の少年、永久乃シンジが言った。
「ええ、大体そんな感じでいいわ…。我が部の部員は皆物分かりが良くて助かるわね…。うふふふふ…」
ミストは満足そうに笑う。
「フッ…それで、もし”次元の歪み”を見付けたら、どうしたら良いんだい?」
オウジが尋ねる。
「まず私を呼んでちょうだい…。間違っても単独で、近づきすぎない様に…。”次元の歪み”は、どこか別の空間と繋がっている事もあるわ…。迷い込んだら、帰ってこられなくなる事もあるから、気を付ける事ね…」
ミストの言葉に、3人は息を呑んだ。
そう、彼らがやろうとしている事は、”次元の歪み”を通って、過去へ行けるか確かめる事なのだ。
そして、4年前の夏休みに亡くなった、箱入ミヤを助ける方法を探す事。
ミヤが亡くなったという事実を、変える事。
それが、”怪奇倶楽部”の、少なくともシンジ、オウジ、タマコの、活動目的だった。
そして、時空を越えて、過去を変えようというのだ。
ある程度のリスクは、避けられないのかも知れない。
「うふふ…、怖気づいたかしら…?恐くなったら、いつでも辞めていいわよ…」
ニタリと不気味な笑みを浮かべて、ミストは聞いた。
それでも、彼らの決意は変わらない。
「いいや、やるよ」
シンジは即答する。
「そう…、良かったわ…。うふふふふ…」
ミストはいつもと同じ様に笑ったが、シンジにはそれが、どこかほっとした笑いの様にも見えた。
「うん…でもさ、霧が発生している所を探すだけならさ、案外すぐに”次元の歪み”って、見付かったりするんじゃね?」
タマコが言った。
「どうかしら…?”次元の歪み”は、一つの決まった場所に、常に存在しているという訳では無いわ…。現れるとしても数時間程度、また、いつも同じ場所に現れるとも限らない…。ただ、調べてみると、ある一定の範囲内に発生が集中する事がある、という事が分かっているだけよ…」
「その”霧が集中して発生るする範囲”が、この地域だった、っていう事か…」
シンジが言うと、
「そうよ…。だから、一度この地域をくまなく調べれば、必ず発見出来るというものではないわ…。同じ場所でも、何度も調べる必要がある…。”次元の歪み”を見付けるには、運も必要になってくるという訳ね…」
ミストが言った。
「フッ…運が良ければ直ぐ見付かるかもしれない反面、運が悪ければいつまで経っても見付からないかもしれない、という事かい?」
オウジの問いに、
「そういう事ね…。うふふふふ…」
ミストはいたずらっぽく笑った。
「それじゃあどうやって、その時々で霧が発生している所を見付けるか、ね」
「フッ…スマホでこの街の天気を調べる事と、フレンズに霧が発生している所を見かけたら、メールで教えて貰うよう頼むくらいなら出来るよ」
「そうね、タマコも友達にお願いしてみる。それでもし友達がメールを送ろうとして、携帯が誤作動を起こしたら、当たりの可能性が高いって事だよね」
オウジとタマコが言った。
「うん…トモダチ作戦は、サムとタマちゃんにお願いするよ…」
ビミョーに所在なさげにシンジが呟く。
「…シンジは他に友達が居ないという事かしら…?」
「ぐふっ!?」
ミストの言葉に、シンジは心臓を抑えて机に突っ伏した。
「あらあら可哀想…。でも安心して頂戴…。私は友人の多さで、人を判断したりはしないから…。うふふふふ…」
「アリガトーゴザイマス…」
机に伏せたままお礼を言うシンジ。
「フッ…フレンドというものは、数を競うものでは無いのサ。一緒にいる事が苦痛で無い人が、数人もいれば充分な様なきもするヨ」
友達の多いオウジの言葉には、どこか余裕が感じられた。
「あ~でもさ、”次元の歪み”から出る霧の近くだと、電子機器が誤作動を起こすんでしょ?携帯でメールを送れなくならないんだぜ?」
「大丈夫…。霧から離れたら直ぐに誤作動は収まるから…。そしてそこまで来たら、もうほとんど大当たりね…」
タマコの言葉に、ミストが答える。
「オッケー、分かった。友達に伝えとくべさ~」
タマコはさっそくメールを打ち始める。
「フッ…それで?後は霧の情報が入るまで、この部室に待機するのかい?」
「そうね…。この部室に”次元の歪み”が出現するのを期待して、部室に待機するのも一つの選択肢だけど、自分達で歩いて探すのもいいわ…。何が正解なんてないのだから、その時見付かりそうな”気がする”と思った事を、していくのがいいと思うわ…。そういった”直感”こそが、”次元の歪み”の発見に、一番必要なものかも知れないし…。うふふふふ…」
ミストが笑う。
「どう…?”霧”が発生しそうな”気がする”所、貴方達には無いかしら…?」
ミストが聞いた。
3人はしばらく黙り込み、そしてシンジが口を開く。
「あそこに、自宅近くの裏山に行きたい。あの、秘密基地『しゅれでぃんがー』があった、あの場所に──」
オウジとタマコが顔を見合わせ、ミストは元々半眼だった目を、更に細めた。
「いいわ…、行きましょう…。その、秘密基地『しゅれでぃんがー』があったという、裏山の所へ…」
ミストはニタリと得体のしれない笑みを浮かべた。
夕方、黄昏時。
夏休みを目前に控え、長くなった日が、沈みかける頃。
自宅近くの、裏山のふもとに、シンジ達4人は集まっていた。
「大分日が傾いてきたわね…。霧も発生していないようだし、今日は秘密基地のあった場所を軽く下見するだけにして、暗くなる前に帰りましょう…」
赤く染まった空を見上げながら、ミストは言った。
オウジとタマコは他にも部活があったが、今日が”怪奇倶楽部”の活動初日という事で、こちらの方に最後まで参加する事にして、一緒に来ている。
しばらくの沈黙があって、
「それじゃあ…行こうか…?」
タマコが皆を促した。
ミスト以外の3人は、どこか緊張した様子で、ゆっくりと歩き出す。
急に漂い始める張り詰めた空気に、ミストは少し不安になった。
「皆、大丈夫かしら…?」
「うん…大丈夫…」
憔悴した面持ちで、ゆっくりと歩を進めながらシンジが答える。
山を登る3人の姿を後ろから眺めながら、ミストは何事も無く無事に戻ってこられる様、心の中でそっと祈りを捧げていた。
しかし、前を歩く3人の足取りは重かった。
実は、シンジ、オウジ、タマコの3人は、秘密基地「しゅれでぃんがー」が土砂崩れに遭って以降、この裏山には近付かない様にしていた。
いや、近づけなかった、と言った方が正しいのかも知れない。
ここには、幼い頃の楽しかった思い出が、箱入ミヤと遊んだ思い出が、詰まっているから。
そしてだからこそ、箱入ミヤがもう居なくなってしまったのだという現実を突きつけられて、辛くなるから。
だからもう、足を踏み入れる事が、出来なくなっていた。
特にシンジは、あの事件以降、一歩たりともこの裏山には足を踏み入れていない。
(ミャー…)
そして今、一歩一歩、地面を踏みしめながら、思わず心の中でその名を呼んでしまうシンジ。
楽しかった記憶と、ずっと心の奥に封印していたが悲しみが、再び蘇ってくる。
一歩ごとに、胸が張り裂けそうなあの痛みが、蘇ってくる。
それでもシンジは、確認しなければならなかった。
あの日、この裏山で起こった出来事を。
ハッキリと覚えている。
秘密基地「しゅれでぃんがー」が土砂崩れに遭ったあの日。
そして箱入ミヤが亡くなったあの日。
この裏山一帯には、数メートル先も見えないくらい、濃い霧が立ち込めていたのだ。
そして当時、オウジが持っていた携帯電話も、繋がらなくなっていて。
そして何故か、ずっと得体のしれない焦燥感に駆られた事を、覚えている。
それはきっと、”次元の歪み”が発生していたのが原因ではないのか──何故かシンジには今、そんな風に思えた。
秘密基地が土砂崩れに巻き込まれた後、シンジはミヤの幽霊を目撃している。
そして翌日、秘密基地の小屋の跡からミヤの遺体が発見されて。
だからあの時、確かにミヤは亡くなったのだ。
それはきっと、間違いない。
それでもその時、”次元の歪み”か何かが発生していて、それが何らかの形で作用して、ミヤの生存に繋がってはくれはしないかと、思わずにはいられなかった。
例えそれが、あり得ない事だと分かっていても。
シンジは今、すがり付ける希望が、欲しかった。
だから一歩一歩、かつて秘密基地があった所へ、歩みを進める。
あの日にあった、霧の、”次元の歪み”の、ミヤの生存の、可能性の痕跡を求めて。
そして、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋へ向かう道の途中の、少し開けた場所に4人が出た時だった。
そこは、眼下に広がる街並みを一望出来る、かつてシンジ達のお気に入りの場所だった所で。
『シニタン』
ふと自分の名前を呼ばれた気がして、シンジは顔を上げた。
「───!」
沈む夕日を浴びて、そこに一人の少女が、箱入ミヤが立っていた。
「ミャー──!」
思わず声を上げるシンジ。
その名前に、オウジとタマコも、ハッとした様に顔を上げる。
しかし、皆が見つめるその先に、少女の姿は無かった。
「あ…」
誰もいない空間に向かって、手を伸ばしたまま、シンジは動きを止める。
ミヤの姿は、そこには無かった。
それは、幽霊ですらない、自分の願望が見せた、幻だった。
「シンジ…」「シンちゃん…」
オウジとタマコが、シンジに声をかける。
「いや…ゴメン…。ちょっと、ミャーの声が聞こえた気がしてさ…。はは…」
慌てて取り繕うシンジ。
そして辺りを見回して、ハッとする。
そこは、4年前のあの日、死んだミヤの幽霊と、最後に言葉を交わした場所だった。
「───!」
一瞬で吐き気が込み上げ、道の脇の草むらに、昼に食べたカレーを全てぶちまける。
胃の中にあった全ての食べ物を吐き戻しても、胃の収縮はしばらく治まらず、シンジは空嘔吐に苦しんだ。
「……」
何も言わず、シンジの背中に手を当てるミスト。
シンジは呼吸困難に苦しみながら、涙が止めどなく溢れてきた。
(突き付けられてしまった…。現実を、突き付けられてしまった──!)
箱入ミヤが、もうこの世には居ないという事を、シンジは頭では”知って”いた。
しかし、心で”理解”してはいなかった。
今は遠くに行っていて会えないけれど、いつの日か、「シニタンただいま~!」って、いつもの満開の笑顔で、ひょっこりと顔を現わす時が来るんじゃないかと、心のどこかで思っていた。
この4年間、ミヤが死んだという事実から、ずっと目を背けてきた。
でも、もうその日が来る事は無いのだという現実を、今、突き付けられてしまったのだ。
理解してしまったのだ。
──箱入ミヤに逢う事は、もう、二度とないのだ。
ようやく呼吸が出来る様になった喉からは、嗚咽が漏れてきて。
「あ…あぁ…ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~っ!」
夕焼けの空に、シンジの鳴き声が消えて行った。
1時間後。
裏山の麓で一人休むシンジの元に、ミスト、オウジ、タマコの3人が戻ってきた。
憔悴したシンジをこれ以上進ませるのは良くないだろうという事で、シンジに戻って休むよう伝えると、ミスト、オウジ、タマコの3人は、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋があった場所へ向かったのだった。
「…おかえり…」
少し疲れた様子で、それでも笑顔を作りながら、3人に声をかけるシンジ。
「シンジ…。少し落ち着いたかしら…?大丈夫…?」
ミストがシンジの様子を気遣う。
「うん…、大丈夫。大分落ち着いたから…」
弱々しく答えるシンジ。
「びっくりしたわよ…急に吐くんだもの。…何か飲みたいものとかある?そこの自販機で買ってくるけど」
「いや、いいよ。…大丈夫」
「やっぱり、ミャーちゃんの事、かい?」
「うん…ちょっとね…。色々、思い出しちゃって…」
タマコとオウジが声をかける。
皆の優しさが身に染みて感じられる。
今ここに、この3人が居てくれて良かったと、シンジは心から思った。
「──それで、どうだった…?秘密基地があった場所は…?」
「うん…やっぱりだけど、何も無くなってたな。秘密基地の小屋も、土砂崩れの跡も、何もかも…。まるで初めから、そこに秘密基地なんて無かったみたいに…」
「ああ…。もともと秘密基地は山道から外れた森の中にあったからね。今はすっかり草木に埋もれてしまっていてね…。子供の頃の、一番楽しかった思い出の場所が、今はもう失われてしまったんだという事実を突き付けられたみたいで、辛かったよ…」
タマコとオウジは、それぞれに報告する。
「そうか…」
沈む夕日を見つめながら、ポツリと呟くシンジ。
「話は聞かせてもらったわ…。貴方達が、何故過去を変えたいと思っているのか…。4年前に、ここで何があったのか…」
ミストが夕日を背に、シンジに語り掛ける。
「結論から言うと、今、この裏山周辺に、”次元の歪み”があった痕跡は残っていないわね…。ここ最近に関して言えば、”次元の歪み”から漏れ出る霧も、発生してはいないみたい…」
その言葉に、オウジとタマコが、顔を伏せる。
一方シンジは、逆光で、表情のよく分からないミストの姿を、じっと見つめていた。
「でもだからといって、それが土砂崩れがあったその4年前に、”次元の歪み”がここに存在していなかったという証明になる訳では無いわ…。今はその存在を感じないけれど、昔はあった可能性も考えられる…。4年前、箱入ミヤさんが、ここで”次元の歪み”に接触していた可能性が、0になった訳では無いわ…」
「そうか…」
またポツリと、シンジは呟いた。
「焦らずに行きましょう…。”怪奇倶楽部”の活動は、まだ始まったばかりよ…。もうすぐ夏休みも始まるし、希望を捨てずに頑張りましょう…」
ミストがそう締めくくり、”怪奇倶楽部”の記念すべき第一日目の活動は、こうして終了した。
それから。
シンジは毎日の様に”怪奇倶楽部”に顔を出し、オウジとタマコは他の部活動の合間をぬって、”霧”の発生場所の調査を続けた。
天気予報を毎日頻繁にチェックし、オウジとタマコの広い交友関係(この二人は校外にも友人が多い)を駆使したネットワークで霧の情報を集めては、直接足を運んで調べていった。
しかし、シンジ達の住む街は、元々霧の発生しやすい地域ではあったが、その発生する霧のどれもが電子機器を誤作動させる様な霧ではなく、これといった成果も上げられないまま、ただ時間だけが過ぎて行った。
そして夏休みに入ると、4人はより一層精力的に活動していったが、それでも”次元の歪み”に繋がる様な情報は得られず、それどころか8月に入ると、晴れ間が続き、空気も乾燥しきって、普通の霧すら出なくなってしまった。
週間の天気予報、全て晴れ。
その先も当分、雨が降る見込み無し。
そして。
夏休み、8月6日、昼12時00分、正午。
旧校舎4階、”怪奇倶楽部”の部室で。
シンジ、オウジ、タマコを前に、開幾ミストは開口一番、こう切り出した。
「ごめんなさい…。私は皆に、謝らなければならない事があるわ…」
「…?」
「……」
「……」
顔を見合わせる3人。
全ての窓に目張りがされ、その隙間から漏れる僅かな日差しに照らし出されたミストの顔は、ひどく疲れて見えた。
「…”怪奇倶楽部”を、解散するわ…」
「えっ…?」
突然のミストの言葉に、驚く3人。
「どうして…?」
シンジが最初に質問を口にする。
ミストはしばらくためらった後、意を決したように口を開いた。
「皆も薄々気付いているのではないかしら…?私が、嘘つきだという事に…」
「……」
沈黙が、”怪奇倶楽部”の部室を包む。
どこか遠くで、セミの鳴き声が聞こえる。
「そう…私が今まで話してきた事は、全て嘘だったのよ…。”次元の歪み”の事も、霧の様な”白いモヤ”の事も…」
ポツリポツリと、ミストは絞り出すように言葉を紡ぐ。
「”次元の歪み”なんてこの世には無いし、電子機器を狂わせる”白いモヤ”なんてものもこの世には無いの…。もちろん、”異界の扉”を通って、過去を変える事なんて、絶対に出来ないわ…。そんなもの、この世には無いんだから…」
ミストはうつむきながら、自分のスカートを、力の限り握りしめて。
「全て私の創作の、作り話だったのよ…」
その目に、涙がにじんだ。
「ねぇミストさん…。どうして、どうしてそんな作り話をしたの?」
責める様な口調にならないよう、精一杯優しい声でタマコが聞いた。
「私っ…これまでずっと一人で…友達が、居なかったから…。転校して、新しい環境で、新しい自分になって、友達を作りたかった…。ずっと誰かと、一緒に、遊びたかった…。だから…」
ミストの、小さな肩が震えている。
「フッ…それで、どうして今になって、本当の事を言おうと思ったんだい?」
オウジは優しく微笑んだまま、ミストに問いかける。
「最初は、楽しかった…。霧を探して、街中を歩き回って…。ずっとこんな風に、誰かと過ごしたかったから…。毎日が夢みたいで、その内本当に、”次元の歪み”みたいな夢物語も、現実になるんじゃないかって、そんな気がする様になっていたわ…」
ミストの頬を、涙が伝う。
「でも…8月になって、空気が乾燥して、霧が出なくなって、こうして部室で、何もすることなくジッと時間を過ごさせるようになって、我に返ったわ…。私は、皆の、今しかない貴重な時間を、私の嘘とわがままで、奪い取っているんだって…」
そして涙は、ポタポタと机に落ちた。
「そう思ったら、途端に怖くなったわ…。皆に嘘をついている事も、それで皆の時間を無駄にしている事も…。だから、一刻も早く謝って、この”怪奇倶楽部”を終わらせなきゃって…」
そこから先は、言葉にならなかった。
「……」
沈黙が部室を支配して、ミストの嗚咽だけが響き渡る。
しばらくして、タマコが口を開いた。
「ミストさん、一緒に遊びたかったら、ちゃんと言葉でそう伝えて。貴方が誘ってくれるなら、タマコはこれからも、喜んで一緒に遊ぶから。”怪奇倶楽部”の活動は、貴方と一緒の時間は、本当に楽しかったから。ただ、嘘をつく事だけは止めて頂戴…。タマコも、貴方も、両方傷付いてしまうから…。だからお願い…」
「はい…」
小さく、しかしハッキリと、ミストは答えた。
「フッ…。良く、勇気を出して言ってくれたね。嘘はいけない事だけど、それをちゃんと認め、誤った事は、本当に凄い事だと思うよ。嘘を恥じる気持ちを、どうかこれからも忘れずに居て欲しい。あとボクも、”怪奇倶楽部”で過ごした時間はとても楽しかったから、ぜひまた遊びに誘ってくれると嬉しいな。またこの4人で、一緒に遊ぼう」
爽やかな笑顔で、オウジは言った。
「はい…」
オウジの言葉にミストは返事をすると、図っと俯いていた頭を上げて。
その涙の溢れた虚ろな目で、オウジ、タマコ、そしてシンジを順に見つめると、
「今までありがとう…。そして本当に、ごめんなさい…」
ゆっくりと、そして深々と、その頭を下げた。
2時間後、14時00分。
”怪奇倶楽部”の部室には、シンジとミストだけが残っていた。
あの後しばらくして、オウジとタマコは、最近参加出来ていなかった他の部活に顔を出してくると言って、部室を出て行っていて。
残った2人は、それからずっと、無言のまま部室で床を眺めていた。
お互いに、何を話しかけたらいいのか分からないまま、声をかけるタイミングも見失って。
その気まずささえ、ふと忘れてしまうくらいの時間が経って。
ミストがポツリと呟くように、シンジに聞いた。
「シンジは…家に、帰らないの…?」
普段からゆっくりと、小さな声で話すミストだったが、今の声はそれ以上に弱々しくて。
触れるだけで壊れてしまいそうな、儚さを感じた。
しばらくの沈黙の後。
「うん…。帰ってもする事ないし…」
シンジも自然、小さな声で答えた。
「そう…」
そしてまた、沈黙。
セミの鳴き声と、運動部の掛け声、吹奏楽部の演奏が、遠くの方で聞こえる。
殆ど光が差し込まず、薄暗い教室は、他に何も動く物が無くて。
シンジはふと、旧校舎の4階に、一つだけあるこの教室が、今、世の中の時間の流れから切り離されて、時間が止まってしまったんじゃないかという錯覚を覚える。
(この部室から一歩外に出たら、浦島太郎の様に、周りの時間が何十年も経っていた、なんて事は無いよな…)
ぼんやりと、シンジは冗談半分にそんな事を考える。
すると、ミストがまた声をかけてきた。
「ありがとう…。シンジ…」
少し時間を空けて、答えを返す。
「…?何が…?」
ミストもまた、時間をかけて、返事をする。
「…そばに居てくれて…」
ゆっくりと、時間をかけながら、言葉を交わす。
「気にしないでいいよ…。僕がここに居たかっただけだから…」
一言一言、確かめる様に。
「うん…」
とても静かな、言葉のやり取り。
「…僕も経験があったから…。昔、自分が選択を間違えたせいで…大切な人を亡くして…それで、塞ぎ込んだ事があったんだ…」
ポツリ、ポツリ。
「…その時、誰の顔も見たく無かった…。…でも、誰かに傍に居て欲しかった…」
ミストの赤く腫れた虚ろな目が、シンジの顔を見つめる。
「…どんな言葉も、かけて欲しく無かった…。…ただ無言で、傍に居てくれる誰かが、欲しかった…」
「……」
「…大切な人を、救えなかった…。…その罪滅ぼしがしたかった…。…かつての自分がして欲しかった事を、他の人にする事で、かつての自分が、救われた様な気になりたかった…」
「……」
「…誰かの為じゃないんだ…。…僕は僕を救いたくて、”怪奇倶楽部”に入ったんだ…」
「……」
シンジの独り言の様な言葉を、最後まで聞いて。
「…ありがとう…」
ミストは静かに、お礼を言った。
「…お礼は必要ないよ…」
シンジの言葉にミストは、
「…えぇ。それでも、ありがとう…」
改めて、お礼を言った。
「……」
しばらくの沈黙。
そして。
「ふっ…」
どちらともなく、笑みが零れる。
2人でクスクスと、押し殺すように小さく笑って。
教室内の張り詰めた緊張が、解れていくのを感じた。
込み上げる笑いが収まって、一息ついた後。
大分調子を取り戻した様子で、ミストがシンジに聞いた。
「それで…改めて聞くけど、これからシンジはどうするのかしら…?」
「う~ん、どうしようかな…。”怪奇倶楽部”を止めたら、する事が無いのは事実だし…」
シンジは椅子にもたれかかってしばらく考えると、不意にミストの目をまっすぐに見つめて質問する。
「…ところでさ、ミストさん。さっき”次元の歪み”の話は全部嘘だった、って言っていたけど…本当に全部嘘だったの?」
「───っ!」
ミストはハッと息を呑む。
「実は”次元の歪み”も”白いモヤ”も、そして”異界の扉”を通って過去に行けるという話も、本当は嘘では無かった、なんて事は無いの?」
ミストの半眼の目が、大きく見開かれる。
「ここ最近、日照りが続いて、霧が発生しなくなってしまった。”次元の歪み”の事は本当だったけど、このままではいつ発見できるか分からなくなってしまった。で、このまま皆の時間を無駄にしてしまうのが忍びなくて、皆に嫌われる事を、この関係が壊れる事を覚悟で、”怪奇倶楽部”を解散させようとした──なんて事は、無いの?」
「な…何故、そう思うのかしら…?”次元の歪み”なんておとぎ話が、嘘では無いなんて思う理由は、何…?」
僅かに声を震わせながら、ミストは質問に、質問を返す。
「僕は霊感が強くて、幽霊が見えるんだ。だから、現在の科学で証明されている事が、この世の全てでは無い事を知っている。そしてだからこそ、現在の科学で証明できないという理由だけで、”次元の歪み”を否定する気にはなれないんだ」
シンジは答える。
「そして何より、僕は人を見る目には自信があるつもりなんだ。だから、その人の為人(ひととなり)を判断する時は、他人からの伝聞ではなく、その人の姿や言動が、直接自分の目にどう映ったかで決める様にしている。そして僕の目にミストさん、あなたは、”『自分の目的の為に、他人に嘘をつける様な人』には見えなかった”んだ。信じる理由が必要というなら、僕にはそれだけで十分だよ」
「───!」
その言葉に、ミストの目に再び涙が溢れて。
慌ててシンジに、背を向ける。
「…ありがとう、シンジ…」
本日5度目の、感謝の言葉。
「…だからお礼の言葉は…いや、うん。…どういたしまして、ミストさん」
笑って言うシンジの言葉に、ミストは背を向けながら、小さく頭を下げた。
そして。
ミストは少し考える時間が欲しいと言って、”次元の歪み”の話が本当に作り話だったのかどうかの明言はせず、その日は帰宅する事になった。
3日後、8月9日、昼12時00分、正午。
週間の天気予報では、当分この地域では雨が降る予想はされていなかったが、天気は急変し、その日、雨が降った。
街中が、霧に包まれた。
シンジはミストに、携帯で電話をかける。
「ミストさん、霧が出ている。”怪奇倶楽部”、活動はしないの?」
ミストはしばらくの沈黙の後、
「そうね…。こうやって電話は繋がっているし、今発生している霧は、普通の霧だと思うわ…。とりあえず明日の天気を見て、部活を再開するかどうか決めましょう…」
そう言って、少しおしゃべりをした後、電話を切った。
”次元の歪み”や”白いモヤ”といった話が、改めて「嘘」だとは、言わなかった。
翌日、8月10日、昼12時00分、正午。
雨。
昨日の夜から天気の週間予報は変更され、今後しばらく、雨が続く事が予想されるようになった。
シンジは電話でミストに連絡を取り、2人は”怪奇倶楽部”の部室に集合した。
”次元の歪み”の事を”嘘”だと告白した以上、オウジとタマコを呼ぶ事は出来なかった。
ただ、オウジとタマコは”怪奇倶楽部”以外にもクラブ活動を行っており、呼ばなくても学校に来ている可能性もあったが、確認は取らなかった。
ここ最近、”怪奇倶楽部”の為に、他の部活を休ませてしまっていたから。
そして、薄暗い部室で、シンジとミストは向かい合って。
「じゃあ、行こうか」
「ええ…。行きましょう…」
2人だけの、”怪奇倶楽部”の活動が再開された。
”次元の歪み”が、本当に嘘だったのかどうかなんて、もうシンジは質問しなかったし、ミストも言わなかった。
それから2人で、霧に包まれた街を歩いて回った。
8月11日、昼12時00分、正午。
雨。
霧が、少しずつ濃くなって来ている様に思えた。
いつもの様にミストに電話をかけ、部活の確認をするシンジ。
「今日も”怪奇倶楽部”の活動はするの?」
「ええ…。いつもの様に、30分後、部室に集合しま
プツッ。
電話が切れた。
「……」
しばらくの沈黙。
もう一度ミストに電話を掛け直すため、シンジが携帯の電源ボタンを押すと、同時に電話の呼び出し音が鳴った。
「!」
発信者は『開幾ミスト』。
シンジは携帯の通話ボタンを押すと、通話先のミストに向かって話しかけた。
「ミストさん、今──!」
「…ええ…。電話が、勝手に切れたわ…」
─”次元の歪み”から発生した”白いモヤ”は、電子機器を誤作動させる事がある─
2人は無言で、立ち尽くしていた。
8月12日、昼12時30分。
大雨。
雨は日に日に強さを増していき、それに合わせる様に、携帯電話の電波の通りも悪くなっていった。
シンジとミストは部室にこもり、話し合いをしていた。
「間違いないわ…。今この街中で、”白いモヤ”が発生している…。”次元の歪み”も、この近くにあるかもしれない…」
「調べに行かなくていいの…?」
「学校に来る途中、軽く見て回ったわ…。”白いモヤ”が広範囲に湧きすぎて、逆に場所が特定出来なかった…。でもきっと、この近くにある…」
「そうか…。この近くに…」
「前にも言ったけど、”次元の歪み”は、常に一定の場所に留まっている訳では無くて、場所をかえ、範囲をかえ、常に流動的に動いている…。一度”そこ”を調べて無かったからといって、もう”そこ”を調べなくていい、という事ではないから…」
(まるで、4年前のカクレンボの様だな…)
シンジは思った。
「一か所に留まって、”次元の歪み”が現れるのを待つのが良いのか、それとも霧の中を走り回って、”次元の歪み”を探して回るのが良いのか…。『どちらが正しい』なんて事は、一概には言えないわ…。”次元の歪み”がこの近くにある事は確かだけれど、ここから見付ける事が大変になるわね…」
ミストは言った。
「でも、ここまで規模の大きい”霧”の発生は極めて珍しいの…。もし、この”霧”がこのまま、更に深くなる様な事があったなら…」
シンジは見つめる。
「”異界の扉”が、開くかもしれない──」
8月13日。
どしゃ降りの、雨。
大雨洪水、土砂災害警報が出された。
霧も深く、この状態で外出する事は危険だという事で、”怪奇倶楽部”の活動は休みになった。
携帯電話の電波は、より一層悪くなった。
8月14日。
どしゃ降りの、雨。
昨日に引き続き、大雨洪水、土砂災害警報が発令された。
電波更に悪くなり、通話は出来ず、シンジとミストはメールでやり取りをした。
そして今日も、自宅で待機する事になった。
窓の外に広がる、霧に包まれ、真っ白になった街並みを見て、シンジは思った。
(この光景、昔にも一度、見覚えがある…)
それは、4年前、秘密基地「しゅれでぃんがー」が、土砂崩れに遭う前の日に見た光景だった。
8月15日、昼12時00分、正午。
晴れ。
この数日の間、どしゃ降りの雨が降り続いていたが、その日は太陽が顔を覗かせていた。
4年前をなぞっているかのような、天気の移り変わり。
そう、4年前の今日、8月15日、箱入ミヤは亡くなったのだ。
霧はまだ街を覆っているが、携帯の電波状態は良いようで、シンジはミストに電話を入れた。
「ミストさん、今日だ」
「ええ…。分かっているわ…。いつもの様に、12時30分、部室に集合よ…」
電話を切ると、シンジは”怪奇倶楽部”の部室に向かった。
12時30分。
旧校舎4階、”怪奇倶楽部”の部室。
全ての窓に目張りがされ、中が見えない教室。
シンジが扉を開けると、中ではミスト、オウジ、タマコの3人が待っていた。
シンジは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべると、そのまま中へと入っていく。
久しぶりに、”怪奇倶楽部”の4人がそろって。
「さぁ、我が”怪奇倶楽部”、完全復活よ…!」
ミストが、嬉しそうにそう宣言した。
第四章 あの夏のカクレンボ
昼、12時45分。
旧校舎4階、”怪奇倶楽部”部室。
全ての窓に目張りがされ、薄暗い教室の真ん中に、いくつかの机を突き合わせて出来たテーブルを囲んで、これからするべき事を打ち合わせする4人。
まず最初に、このクラブの発起人である開幾ミストが口を開いた。
「細かい挨拶は抜きにして、すぐに本題に入らせてもらうわ…。もう間もなく、この街のどこかで、”異界の扉”が開くわ…」
オウジもタマコも、そこに疑問の言葉を挟まない。
「”次元の歪み”から溢れた”霧”が、そこら中に充満しているわ…。”歪み”は流動的に動きながら、どんどん広がっている…。それも一つでは無く、いくつも存在しているの…。その”歪み”のどれかが、いつ別の空間に繋がったとしても、不思議では無いわ…。ただ、その繋がった先の空間が、いつ、どこの世界かは分からないけれど…」
ミストの言葉に永久乃シンジが答えた。
「僕は”次元の歪み”がどこか別の空間に繋がるとしたら、4年前の今日の、ミャーやサムやタマちゃんと遊んだ、あの秘密基地「しゅれでぃんがー」がある、裏山のどこかに繋がる可能性は高いと思う」
白馬オウジが、シンジの意見に賛成する。
「フッ…、そうだね。ボクもその可能性は高いと思うよ。この数日のこの街の天候は、4年前をなぞる様に推移しているし、あの時も、濃い霧が発生していて、携帯電話が繋がらなくなっていた。これは、今日と4年前が、”異界の門”で繋がっているからこそ起きた、共通の変動なんじゃないかって思うよ」
そして黒鹿タマコが、一番の問題を口にする。
「うん、タマコも、繋がるとしたら、4年前の裏山の様な気がする。ただ、その”異界の扉”がこの街のどこに出来るのか、そして、”異界の扉”を見付けたとして、そのあとどうするか、というのが難しくない?仮に過去に行けたとして、その後ちゃんと戻ってこられるのかも分かんないんでしょ…?」
「そうね…。でもこればっかりは、話をしていても、埒の開かない事かも知れないわね…。”異界の扉”がどこに開くのかも、また、”異界の扉”が、仮に4年前の、貴方達の秘密基地に繋がったとしても、その時どうするのかが正解なのかも、今は分からないから…」
シンジが言った。
「結局、以前ミストさんが言った通りなんじゃないかな。何が正解なんて分からないんだから、その時正しいという”気がする”事をするしかないんだと思う…。ゆっくり考える余裕なんて、僕達には与えられて無いから…。だからそういった”直感”が、僕達を正解に導いてくれる事を信じて、今出来る”正しいと思える事”をしよう」
その言葉を合図に4人は頷き合うと、”異界の扉”を求めて、”怪奇倶楽部”の部室を後にした。
昼、13時00分。
学校の校門前。
4人が外に出ると、真っ黒な雲が急速に空を覆い始め、久しぶりの太陽を、再び隠してしまっていた。
この天気が4年前をなぞるなら、この後どしゃ降りの雨が降るのだろう。
しかし彼らには、そんな事はどうでも良かった。
「さぁ…、皆で手分けして”異界の扉”を探しましょう…。範囲はこの街のどこか…、町の外に”異界の扉”が開く事は無いと思うわ…。そして貴方達の言う4年前と同じなら、携帯電話も直ぐに繋がら無くなると思うから、そのつもりで…。とりあえず45分後、またここに集合しましょう…。それまでは、仮に”異界の扉”を見付けても、決して中に入らない様に…!」
ミストが最終確認をする。
シンジが言った。
「確証は何も無いんだけど、”異界の扉”が発生する時間は、そんなに長くは無いと思う。制限時間は多分…、今から1時間30分以内だ。そんな”気がする”…」
「…何故1時間半だと思うの…?」
ミストが問いに、シンジは答えた。
「4年前の、カクレンボの制限時間が、今から約1時間半後、14時30分だったから。その時間を過ぎたら、ダメな様な気がするんだ。多分もう2度と、チャンスは来ない」
確たる根拠は何も無かったが、それでも他の3人は、その答えに納得出来た。
今起きている事の、様々な過去との符合から、それは多分間違って無いと、そう思えた。
4年前のあの日、シンジは、それがミヤと話せるラストチャンスである事を、その時は知らなかった。
そしてもしその時それが最後である事を知っていれば、ミャーの為に、他に何かやれる事があったんじゃないかと、ずっと引きずったまま生きてきた。
でも今回は違うのだ。
今がラストチャンスである事を、シンジは知っている。
ラストチャンスに、ラストチャンスである事を知った上で挑める事が、心よりありがたかった。
(これはミャーがくれたチャンスだ。今度こそ、絶対に助ける!)
「よし、皆で手分けして、”異界の扉”を探すんだ!そして45分後、一旦ここに集合しよう!これは4年前の、あのカクレンボの続きだ!今度こそ、皆でミャーを見付けよう!」
「ああ!」
「「ええ!」」
シンジの掛け声と共に、4人一斉に走り出し、その姿は霧の中に消えた。
13時15分。
シンジの家の近くの裏山の麓。
シンジとミストは、そこに立っていた。
かつてこの裏山には、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋があって。
そして4年前の今日、箱入ミヤはここでカクレンボの最中に、土砂崩れに巻き込まれて亡くなったのだ。
「”異界の扉”が開くなら、ここが一番可能性が高い様な気がする」
シンジが言った。
「行きましょう…。霧が濃くなっているし、地面もぬかるんでいるから、足元には気を付けて…」
ミストの言葉を合図に、二人は並んで歩き出した。
その頭上では、空を覆う真っ黒な雲から、ゴロゴロと雷の音が響いていた。
裏山の、秘密基地へ続く道の途中にある、見晴らしのいい広場。
そこは4年前、ミヤの幽霊と、最後のお別れをした場所で。
生前ミヤが、一番気に入っていた場所でもあった。
「…シンジ、大丈夫かしら…?」
ミストがシンジに気を使う。
先月ここへ来た時に、シンジは吐いて具合を悪くしていた。
「うん…、大丈夫」
気が張っているせいか、前回の様な絶望は、まだ襲っては来ない。
「”次元の歪み”は…?ここにはある?」
シンジがミストに聞いた。
「いいえ…。”次元の歪み”はここには無いわ…。”今”は、ここに”異界の門”が開く事は無いわね…」
ミストが答える。
「よし、次へ行こう」
そう言ってシンジは歩き出す。
前回、進む事の出来なかったその先へ。
ずっと先へ続く山道。
その途中で、シンジは道を外れ、藪の中に入っていく。
かつてその藪の先に、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋があったのだ。
霧で見通しが悪い中、4年前の記憶を頼りに進むシンジ。
前回、秘密基地を確認しに来たミストも、ピッタリと後を付いてくる。
そして、ほんの少しだけ、開けた空間に出た。
開けたと言っても、そこだけ木が生えていないというだけで、草木は高々と生い茂っている。
この木の生えていない空間が、かつて秘密基地があった場所であり、そして土砂崩れに巻き込まれた場所なのだろう。
本当に、秘密基地のあった面影は、土砂崩れと4年の歳月によって、全く無くなってしまっていた。
それでもシンジには、感慨に浸っている時間は無かった。
「ミストさん、ここに”次元の歪み”は…?」
ミストは答えた。
「わずかに、”次元の歪み”を感じるわ…。でもとても小さい…。この大きさでは、まだ”異界の扉”は開かないわ…」
「そうか…」
その答えに、シンジは考える。
「”次元の歪み”は流動的で、大きくなる事も、小さくなる事もあるんだよね…?」
「ええ、そうよ…。ここで待っていれば、”次元の歪み”が広がって、”異界の扉”が開く可能性も、0ではないわ…」
シンジは渋面を作る。
どうするのが正しいのか分からない。
待つ事が正解の事も、動く事が正解の事もあるのだ。
(直感で、今の自分に出来る、”正しいと思える事”をしよう)
「この先に川がある…。そこへ行ってみよう…」
シンジは言った。
「えぇ、私も付いていくわ、シンジ…」
「多分この数日の雨で、増水しているはずだ…。充分に気を付けて…」
2人は、茂みをかき分け、更に奥へと進んでいった。
川。
4年前のあの日、ミヤと最初に会った場所。
あの時と同じ様に、川は増水し、濁流となって流れている。
待ち合わせに一番先に来たシンジがここで物思いにふけっていると、箱入ミヤがやって来たのだった。
あの日の、ミヤと関係がある場所といったら、ここで最後だった。
「どう?ここには”次元の歪み”はある?」
シンジは聞いた。
「いいえ…。ここには”次元の歪み”は感じられないわ…。何となく、ここは違う様な気がする…」
ミストは答えた。
『あー、シニタン、川に近付いたら危ないんだよー』
4年前の、ミヤの言葉が不意に蘇る。
「そうか…。うん、僕もここは違うと思う。戻ろう、ミストさん。足元に気を付けて」
シンジは一度だけ川を振り返ると、ミストを連れてそこを後にした。
13時30分。
裏山の麓。
ぽつぽつと雨が降り始める。
「川」から「秘密基地」跡、そして途中の見晴らしのいい「広場」を通って戻ってきたシンジとミスト。
再度確認したところ、「広場」の方に特に変化は無かったが、「秘密基地」跡の方は”次元の歪み”が広がって来ているとミストは言った。
(やっぱり、”異界の門”が開くなら、「秘密基地」跡かも知れない…)
シンジはそんな気がした。
「サムとタマちゃんはどうだったか聞いてみよう」
シンジは携帯電話を取り出したが、電波は圏外になっていた。
ミストの携帯も同様である。
「シンジ、どうするの…?」
ミストは聞いた。
シンジは歯がみすると、
「45分後に集合と伝えたままだ…。一旦校門に戻ろう…」
そう言って2人は走り出した。
13時45分。
校門前。
シンジとミストが走って校門に辿り着くまでに、雨は大降りになっていた。
オウジとタマコは、校門を入ってすぐの所にある屋根付きのベンチで、既に待っていた。
ずぶ濡れになりながら、オウジとタマコの元までやって来たシンジは、息を整える暇も惜しんで2人に話しかける。
「サム、と、タマちゃん、は、どう、だった…?」
シンジが時間を惜しんでいる事を感じたオウジは、あえて気遣いの言葉をかけずに、自分達が調べた結果だけを報告する。
「うん…、ダメだった…。街中が霧に包まれているし、もうどこも携帯は繋がらないんだけど、それ以上の”異常”は見付けられなかったよ」
遅れてやって来たミストに、持って来ていたタオルを貸しながら、タマコも言った。
「そうね…。”異界の門”を見た事が無いからはっきりとは言えないんだけど、多分、無かったと言っていいと思う」
「そうか…。あり、がとう…」
呼吸を整えながら、シンジが口を開く。
「こっち、は、秘密、基地の後に、”次元の歪み”、を、確認した。このまま、広がれば、”異界の、扉”が、開く可能性、も、0じゃない…」
「それじゃあ…!」
「やっぱり…!」
オウジとタマコが表情を変える。
ずぶ濡れになって、膝の上に手をつきながら、ミストが言った。
「それで、どう、するの…?シンジ…。もう、一度、秘密、基地に、行く…?」
一度唾を飲み込んで、大きく息を吐くと、顔を上げ、その虚ろな瞳でまっすぐに、シンジの目を見つめて。
「時間的に、言って、多分これが、最後のチャンスに、なるわ…。良く、考えて…。貴方が戻ると、言うのなら、私は、何度でも走るわ…」
ミストは、そう言った。
そして雨はひときわ強く降り始め。
街の防災スピーカーから、大雨洪水警報が発令された事が、アナウンスされた。
ミストの言葉が、シンジの心に突き刺さっていた。
”多分これが、最後のチャンス”…。
4年前の焦燥感が、シンジの中に蘇る。
(もう、間違えることは出来ない)
シンジは考える。
4年前のあの日、シンジは秘密基地の小屋の中を、2度、確認した。
そしてもう秘密基地の中にミヤは居ないのだと決めつけ、3度目の確認を怠った。
そしてミヤは、秘密基地の中に入ったまま、土砂崩れに巻き込まれてしまった。
あの日の事を教訓とするなら、今から”秘密基地”に向かうのが正解でも、おかしくないのではないか……。
(そうだ。きっとこれが正解なんだ…!よし、もう一度裏山へ!秘密基地「しゅれでぃんがー」の所へ行こう!)
そう決意し、シンジが顔を上げた時だった。
その目線の先、霧に包まれた校庭に、一人の少女がポツンと立っていた。
黒いサラサラのロングヘアーで、前髪は短くぱっつんと切りそろえられた、快活そうな女の子。
ちょうど今から4年前を境に、姿を見る事が出来なくなってしまった女の子。
「ミャー!」
シンジが叫んだ。
雷の閃光が辺りを包み、気が付いた時にはもう、その姿は無かった。
「シンジ…?」
皆がシンジの顔を覗き込む。
バリバリと、空間が引き裂かれる様な轟音が轟く。
(今のは…また、幻…?いや、それとも…)
シンジは慌てて辺りを見回す。
すると、旧校舎の入り口の方に、中に入っていく少女の姿が、見えた様な気がした。
「!」
旧校舎に向かって、走り出すシンジ。
他の3人も、慌てて後に続く。
旧校舎の入り口に立つと、今度は階段を上る少女の姿が、見えた様な気がした。
(まさか…)
「シンジ…?」
ミストが声をかける。
シンジは思い出す。
”怪奇倶楽部”の部室に、初めて来た時に感じた事を。
まるで、”秘密基地「しゅれでぃんがー」”の中の様だと感じた事を。
そして、その部室の中に、”秘密基地”の中に何故か置かれていた物と同じ、”全身鏡”が置かれていた事を。
「……」
シンジは無言で歩き出す。
その様子に只ならぬものを感じ、他の3人も無言で付いていく。
人気の無い旧校舎の中に、シンジ達4人の足音がこだまする。
まるでこの空間が、外の世界と切り離されたような錯覚を覚える。
そして、廊下や階段の角を曲がるたびに、シンジの目には、”怪奇倶楽部”の部室の方へ向かう少女の姿が、見えている様な気がした。
途中から、他の3人も、シンジがどこへ向かおうとしているのか気が付いて。
そして4人が、階段を2階まで登った時の事だった。
上の階から”白いモヤ”が降りて来る。
「これは…!」
「間違いないわ…!この先に、”次元の歪み”が出来ている…!」
ミストが言った。
その言葉を合図に、皆は一斉に走り出す。
4階に上り、先頭を走るシンジが部室前の廊下に出たところで、少女の姿は、”怪奇倶楽部”の部室の中に消えた。
「ミャー!」
シンジが叫ぶ。
ミヤが消えた部室の扉の隙間からは、”白いモヤ”がモクモクと溢れている。
他の3人も、シンジの後に追いついて来て。
「”霧”が、部室の中から出てる…!?」
タマコが言った。
「フッ…、これでもう、間違いないね」
オウジが頷く。
「えぇ…、この中に、”次元の歪み”が生まれているわ…!」
ミストが宣言する。
(…ここできっと、ミャーに逢える)
シンジの中に、確信が広がる。
部室の扉の前に、4人が集まって。
確認する様に、ミストは言った。
「それじゃあ、扉を開けるわ…」
鍵を開け、扉を開く。
その瞬間、教室内に溜まっていた霧が、一斉に溢れ出して。
霧の放出が収まってから、4人は教室の中に入っていく。
中に入ると、全ての窓に目張りのされた教室は、いつもよりも薄暗く感じられて。
しかし、壁に立てかけられた”全身鏡”を見ると、そこから霧と共に、わずかな光が漏れていた。
「鏡の中から、霧と、光が…!?」
オウジが驚きを口にする。
旧校舎の外で、稲妻が空を切り裂き、空間が引きちぎられる音がした。
「まさか…これが”異界の扉”なの…?」
タマコが言った。
「えぇ…。そこの”鏡”が、別の世界の空間に、繋がっているわ…!」
ミストが認める。
そして霧と光りの漏れる鏡を見ながら、シンジは心の底から願った。
(頼む、あの時の、4年前の裏山に、僕を連れて行ってくれ…!)
「……」
息を呑み、4人はゆっくりと、距離を取りながら、”全身鏡”の正面に回り込んでいく。
シンジの鼓動が、早鐘を打つ。
そして。
4人が”全身鏡”の正面に立った時。
そこに映し出された光景は──
かつての秘密基地、「しゅれでぃんがー」の中に一人佇む、箱入ミヤの姿だった。
14時00分。
”怪奇倶楽部”部室内。
「ミャー!」
シンジは叫んで、”全身鏡”にすがり付く。
「ミヤちゃん!」
「ミャーちゃん!」
オウジとタマコも叫び、鏡の前に集まった。
しかし、鏡の向こうのミヤは、その声に何の反応も示さない。
秘密基地の中で、独り言を呟く。
『うわ~また雨降って来ちゃったな~。シニタン大丈夫かな…』
向こうの声は、こちらに届いている。
「ミャー!聞こえないのか、ミャー!」
シンジがあらん限りの声でその名を呼び続ける。
それでも、ミヤは反応を見せなかった。
「ミヤちゃん!ボク達の声が聞こえないのかい!?」
「どうして!?ミャーちゃんの声は聞こえるのに、向こうにだけ私達の声は聞こえていないの!?」
タマコが悲痛な叫びをあげる。
4年前、秘密基地が土砂崩れに巻き込まれた時間は、昼の14時15分~14時20分の間だ。
もし、鏡の向こうの世界の時間が、今シンジ達が居る世界と同じ、昼の14時00分なのだとしたら。
あと15分~20分で、鏡の向こうの秘密基地は、土砂崩れに巻き込まれる事になる。
「ミャー!今すぐそこを出るんだ!聞こえないのか!ミャー!」
シンジが必死で呼び掛ける。
すると。
ミヤは、鏡の方を、シンジの方を向いた。
「ミャー!」
シンジの顔に喜びの表情が広がる。
しかし次の瞬間、一瞬で凍り付いた。
ミヤはシンジの目の前に立つと、シンジの顔をすぐ近くで覗き込みながら、雨に濡れた髪を整えた。
「───!」
シンジの姿は、見えていなかった。
こちらからは、ミヤの姿も声も確認出来るのに、ミヤの方からは、こちらの姿も声も、確認出来ないのだ。
これでは、ミヤに土砂崩れの危険を教える事が出来ない。
「何で!?どうして!?」
タマコが叫ぶ。
「…これは…”異界の扉”が、開いていないの…?」
ミストが言った。
「この鏡を通して、この部室と、4年前の秘密基地が繋がっている…。それは間違いないわ…。ただ、『繋がって』はいるけど、『開いて』はいない、という事なの…?だから、向こうの声は聞こえるのに、こちらの声は、届かない…?」
旧校舎の外で、雷が鳴った。
「そんな!どうしたらいいの!?どうしたらミャーちゃんに、危険を知らせる事が出来るの!?」
タマコがミストにすがり付く。
「分からないわ…。私にもどうしたらいいのか…」
ミストが答える。
「どくんだシンジ!」
オウジはシンジを鏡の前から押しのけると、拳を大きく振りかぶる。
「くそおおおおぉぉぉぉっ!」
「駄目よ!」
ミストが叫び、タマコがその腕にしがみ付いた。
「何で止めるんだ!」
鏡を叩き割る寸前で拳を止められ、オウジが叫んだ。
「鏡を破壊したら、空間の繋がりも切れてしまうわ…!もしそうなったら、もうミヤさんとコンタクトを取れる可能性も、0になってしまう…!」
「じゃあどうしろって言うんだ!こちらの声は届かないっていうのに!このまま秘密基地が土砂に押しつぶされるまで、ただ黙って見ていろって言うのか!」
「何か”鍵”があるはずよ…!”扉”を開く”鍵”が…!それを探すの…!”異界の扉”が開かれれば、きっと向こうの空間に、接触出来る様になる…!」
ミストが言った。
「ミストさん、その”鍵”はどこにあるの!?」
タマコが叫ぶ。
「そ、それは…」
ミストの表情が、曇った時だった。
シンジが突然、口を開いた。
「み~つけた!」
『シニタン!?』
鏡の向こうのミヤが、声を上げた。
「ミヤちゃん!」
「ミャーちゃん!」
オウジとタマコが、鏡の中のミヤを覗き込む。
『え…えええ~~~!?』
ミヤはシンジ達の姿を見ると、驚いて跳び退った。
『か、鏡から急に人が出てきたよ…?え、ええと…どちら様…?』
ミヤは明らかに警戒の色を見せる。
シンジはオウジとタマコを少し下がらせ、鏡の前でかがんでミヤと目線の高さを合わせると、なるべく静かに話しかけた。
「ミャー。僕の声が聞こえる?」
『や、やっぱりシニタン…!?後ろの二人は、サムとタマちゃん…!?か…身体大きくなっちゃってない…?あと、何で鏡の中に…?』
混乱するミヤ。
「ああ。僕はシンジ。後ろがサムとタマちゃんだ」
『え…えええ~~~!?な、何で急に3人とも大人になってるんだよ~!?ミャーびっくりだよ~???』
少し警戒が解けたのか、それとも好奇心からか、少しだけ鏡に近付いてくるミヤ。
「時間が無いから詳しい説明は出来ないけど、どうか落ち着いて聞いて欲しい」
『うん、良いよ~』
ミヤはあの懐かしい、ほんわかした笑顔を浮かべた。
「信じては貰えないかもしれな
『信じるよ』
シンジの言葉を遮る様に、ミヤは言った。
「え…?」
『信じるよ』
ミヤはシンジの目を、まっすぐに見つめて。
『シニタン、いつもミャーの為に頑張ってくれてるの、ミャー知ってるよ?今こうして皆が鏡の中に居るのも、ミャーの為でしょ?このジョーキョーは信じられないけど、皆の事は、シニタンの事は、ミャー信じてるよ』
そう言った後、あのいつもの、ほんわかとした笑顔を浮かべた。
「───!」
思わず溢れそうになる涙を、シンジは必死でこらえる。
今は、泣くべき時じゃない。
泣くのは、全てが終わった後でいい。
「ありがとう、ミャー」
一言だけお礼を言って、すぐに伝えるべき事を、ミヤに伝える。
「…いいか、ミャー。その小屋は危険だ。すぐに外に出て、そのまま家に帰るんだ。僕達の事は心配しなくていい。僕達もこの後すぐに家に帰るから。家で温かくしていたら、その内皆が電話をかけて来るから、皆の無事もすぐに確認出来るはずだ。安心していい。それで全てが、解決するから」
シンジは言った。
『分かった、シニタン。ミャーはこれから家に帰って、温かくして、皆の電話を待つ。それでいいんだよね?』
ミャーが答える。
「ああ、それでいい。明日、天気が晴れたら、このカクレンボの続きをしよう」
『うん、分かった。ありがとう、シニタン』
そう言って、ミヤは小屋の扉へ向かう。
シンジ達は顔を見合わせた。
思わず笑みが零れる。
(良かった、これでミャーは助かった──)
そう思った時だった。
『あれ!?扉が開かないよ!シニタン!』
絶望的な言葉が、鏡の向こうから聞こえてきた。
「そんな!?ウソでしょう!?」
タマコが叫んだ。
鏡の向こうでミヤが、小屋の扉をガチャガチャやっている姿が見えるが、扉は一向に開く気配を見せない。
シンジの記憶では、秘密基地の扉は、そんなに固くは無く、また内開きであったため、外から抑える事は出来ない構造のはずであった。
『何で!?どうしよう、開かないよ、シニタン!』
ミヤが泣きそうな声を上げる。
「ミヤちゃん!」
鏡の向こうの出来事に、叫ぶ事しかできない自分に、オウジは腹が立った。
「ミストさん、これは…?」
シンジがミストに質問する。
「まさか…向こうの秘密基地がこの世界と繋がった事で、逆に秘密基地が、向こうの世界と断絶してしまったというの…?」
絶望的な推測を、ミストが述べる。
「それじゃあ、鏡を割ってこの空間との接続を切れば、秘密基地はまた向こうの世界と繋がって、出られるようになるんじゃないのかい!?」
オウジが言った。
「分からないわ…。鏡を割って、この世界との接続を切っても、秘密基地は向こうの世界と断絶したままの可能性だってあるわ…!」
ミストが答える。
「そんな!」
タマコが言った。
『シニタン!』
泣きそうな顔で、ミヤが駆け寄ってくる。
「ミャー!」
シンジが、鏡に手を触れる。
シンジの手と、ミヤの手が、鏡越しに触れあって──
その時。
鏡から、光りが溢れた。
「───!」
鏡から発せられた光が収まった時、シンジは秘密基地の中に、そしてミヤは、”怪奇倶楽部”の部室の中に居た。
2人の居場所が、入れ替わっていた。
「え───?」
一瞬何が起こったのか理解できず、硬直する一同。
「シンジとミャーちゃんが、入れ替わった──?」
鏡から出てきたミヤと、鏡の中に入ったシンジを見ながら、タマコが言った。
「こ、ここは…?」
辺りを見回しながら、驚くミヤ。そしてすぐに気が付いて、
「そうだ、シニタン!」
鏡の中のシンジに向かってその名を呼んだ。
「よし、シンジ、早くこっちに戻るんだ!」
そう言って、オウジが鏡の中のシンジに向かって手を伸ばす。
『オウジ!』
シンジもこちらに向かって手を伸ばし──
閃光。
すると、シンジが再び”怪奇倶楽部”の部室に戻り、そしてオウジが、代わりに秘密基地の中に入っていた。
「……!」
鏡越しに、位置が入れ替わったお互いを、呆然と見つめるシンジとオウジ。
「ミストさん、これは…?」
タマコが聞いた。
「そう…。そういう事なのね…」
ミストが辛そうに顔を伏せる。
「ミスト…さん、…というのですか?…どういう事、ですか?」
ミヤがミストに聞いた。
「この”怪奇倶楽部”の部室と、秘密基地の小屋は、”異界の扉”によって繋がっているわ…。そして、秘密基地の小屋からは、誰も出る事は出来ない…。でもその代わり、この”怪奇倶楽部”の中の誰かと、入れ替わる事は出来るの…」
外で、雷が鳴った。
「だから、秘密基地には常に誰か1人が残っていなければならないの…。つまり、秘密基地に”その時”が訪れる時、誰を中に残すのか、私達に選べと言っているのよ…。この”異界の扉”は…」
「……」
沈黙が、部室を包んだ。
最初に沈黙を破ったのは、オウジだった。
『フッ…。そんな馬鹿げたルールに、付き合う気はないね。要は、この秘密基地から出られればいいのだろう?』
そう言って、小屋の扉を開きにかかる。
しかし、押しても引いても開かない。
蹴りつけても、体当たりをしても、ビクともしない。
『な…中々やるじゃないか…。フフ…』
オウジは苦笑いをした。
「タマコに代わって!この中で、一番力があるのはタマコだから!」
そう言って、タマコはオウジと入れ替わりで秘密基地の中に入る。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
タマコは獣の様な咆哮を上げて体当たりをしたが、それでも壊れなかった。
元々小屋の木は腐っており、大分脆くなっていたのだ。
それがこれだけ体当たりをしても壊れないという事は、何か不思議な力で守られている事は、確かな様に思えた。
それでもタマコは諦めない。
『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
秘密基地の扉に、壁に何度も何度も体当たりを繰り返す。
肩の服が破れ、血がにじみ出しても。
『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
「タマちゃん、もう止めて!」
ミヤが叫んだ。
『!』
タマコが、動きを止める。
『ミャーちゃん…』
「ありがとう、タマちゃん。もう大丈夫だよ…。もう、充分だから…」
涙を浮かべながら、ミヤが言った。
「ミャー、全部分かったよ…。これから、秘密基地で何が起きるのか…。ミャーが、私が、どうなったのか…」
「……」
「ここに居るシニタン達、未来の人なんだよね…?だから、身体が大きくなってるんだよね…?そして、この場に未来の私が居ないという事は、そして皆が、過去の私を助けに来てくれたって事は、つまり私はこの未来に、来られなかった、って事だよね…」
「……」
「そして今、私を秘密基地から出そうとしてくれているって事は、これから秘密基地が、そういう事になるって事だよね…」
「……」
「その瞬間、誰か1人が秘密基地に残ってなきゃいけないなら、それは私じゃなきゃダメだと思うんだよ…。だってここは、私が居ていい時間じゃないから…」
「……」
「タマちゃん、私と場所を、代わってください」
そう言って、ミヤは鏡に手を付ける。
タマコはしばらくためらった後、観念したように鏡に触れる。
光りが溢れて、ミヤとタマコが入れ替わって。
ミヤは泣きながら、それでもほんわかと、いつもの笑顔を浮かべた。
「どうして、どうしてこんなことになるんだ…!」
泣きながら、オウジが叫んだ。
「結局助けられないのなら、見殺しにするしかないのなら、何故”異界の扉”は開いたんだ!」
「ミャーちゃん!ミャーちゃん!ミャーちゃん!」
タマコが泣き叫ぶ。
『サム、ありがとう。タマちゃん、ありがとう。ちゃんとお別れを言うチャンスが貰えて、私、とっても幸せなんだよ…!』
ボロボロと涙を零しながら、ミヤがオウジとタマコにお別れを言う。
そしてシンジに、顔を向けた。
『シニタン…。このカクレンボの罰ゲーム、覚えてる?鬼に見つかったら、好きな人の名前を言わなきゃいけないんだよ』
「うん、覚えてる…」
そういってシンジは鏡の前に来ると身を屈め、ミヤと視線を合わせた。
(どうしたら良い…?どうしたら救える…?)
シンジは考える。「どうやったら助かるのか」を。
『ミャーの好きな人の名前を言います!』
ミヤはそう言って、シンジに向かって手を伸ばす。
シンジもそれに応える様に、ミヤに手を伸ばした。
光りが溢れ、2人は鏡越しに抱きしめ合う。
その手に感じる、ミヤの温もり。
命の、温かさ。
今、この瞬間、確かにミヤは、生きている。
だからシンジは考える。
(どうしたらこの温もりを、守ることが出来る…?)
皆が、諦めてしまったこの状況で。
『私は、シニタンの事が、永久乃シンジの事が、大好きです。これまでずっとずっと、あなたの事が大好きでした。そしてこれからも、ずっとずっと、あなたの事が大好きです』
まだ年端もいかない少女の、命を懸けた、精一杯の告白。
「ああ、僕もミヤの事が大好きだよ。これからもずっとずっと、大好きだよ…!」
抱きしめる腕に、力を込める。
(まだミャーは生きている…!ラストチャンスは終わっていない…!)
子供の頃からずっと続けてきた、「どうやったら助かるのか」の閃きを。
『本当?えへへ、嬉しいな~!今までで一番嬉しいな~!』
涙と鼻水でぐじゅぐじゅになりながら、ミヤが笑う。
そしてミヤは、そのぐじゅぐじゅの笑顔をミストに顔を向けると、
『ミストさん…、シニタンの事、よろしくお願いします…』
小さな女の子の、大切な人を思う、切ない願い。
(ミャーが生きる、可能性を…!)
「─────!」
そしてシンジの中に、閃光が走る。
ミヤを助ける一筋の光明が──見えた。
ミストは、ミヤの願いにこう答えた。
「まだ、終わっていないわ…」
「え…?」
ミストの言葉に、ミヤは目を見開いて。
シンジは言った。
「皆、”後をお願い”」
ミヤが、オウジが、タマコが、その言葉を理解するより先に。
鏡から、より一層の光が溢れて。
光りが収まった時、シンジは、ミヤと入れ替わる様に、秘密基地の中に入っていた。
「シニタン!」
ミヤが叫ぶ。
「シンジ、何をしている!早く戻るんだ!」
オウジも大声で呼び掛ける。
しかしシンジはその声に耳を貸さず、秘密基地の隅に置かれていた箱を探り出す。
ロープ、ガムテープ、そして…十徳ナイフ。
4年前、何かの役に立つだろうと、シンジが秘密基地に持ち込んだガラクタで。
シンジはその十徳ナイフのナイフ部分を柄から引き出すと、それを逆手に持ちなおす。
「シニタン…?」
そしてシンジは皆の見ている前で、そのナイフを大きく振りかぶると、そのまま自分のお腹に、一思いに突き刺した───!
「ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
シンジのお腹に、激痛が走る。
「シニターーーーーーーーーーーーーーン!」
ミヤが悲鳴を上げる。
「シンジーーーーーーーーーーーーーー!」
「シンジくーーーーーーーーーーーーーーん!」
オウジも、タマコも。
しかしシンジは呼びかけに答えず、そのまま自分のお腹から、自分で突き刺したナイフを引き抜いた。
「ーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
再びの、激痛。
お腹から血がどっと溢れ出る。
「シンジ!シンジ!シンジ!シンジ!シンジーーーーーーーー!」
ミヤの絶望の悲鳴を聞きながら、シンジは床に倒れ込む。
やがて意識は、薄れていった。
14時12分。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の外。
どしゃ降りの雨の中を走る、3人の小学生の姿。
オウジ、タマコ、シンジが、秘密基地の小屋の前を走り抜ける。
一刻も早く、電話のある家へ。
今の彼らには、小屋の中で休むという選択肢は無く、脇目も降らず、走り続ける。
そして。
シンジ──。
しばらく進んだ所で、ふと自分の名前を呼ばれた気がして、シンジは足を止めた。
オウジとタマコは何も気づかず、そのまま走り去っていく。
そしてシンジが後ろを振り返ると、そこに一人の男の人が立っていた。
高校の制服を着た、年上の少年。
その顔は、まるで自分がそのまま高校生になったかの様にそっくりな顔で。
そしてその身体は、この土砂降りの中で、雨に濡れて、いなかった。
雨はその身体を、すり抜けていた。
「───!」
シンジは以前にも見た事があった。
”雨に濡れない人”の姿を。
以前ミヤのおじいちゃんが亡くなった後に見た姿を。
(この人はもう、この世には居ない人だ)
そしてシンジは知っている。
(この姿になった人が、こうして姿を現す時は、何か伝えたい思いがある時なんだ)
と。
今シンジは、ミヤの事が気がかりではあったが、もしそれを踏まえた上でこの人が姿を現したのであれば、話を聞く価値はあるかも知れないと思った。
「僕に何か、伝えたい事があるんですか?」
シンジは話しかけた。
するとその高校生の少年は、ポツリと言った。
「ミャーの事を、よろしく頼む」
「!」
それは、かつてミヤのおじいちゃんが亡くなった時に言われたのと、同じ言葉。
「なん───!」
シンジが質問しようとした時だった。
雷の閃光が辺りを包み、気が付いた時にはもう、その姿は無かった。
バリバリと、空間が引き裂かれる様な轟音が轟く。
慌てて周囲を見回すシンジ。
そして、秘密基地「しゅれでぃんがー」がある方向へ向かう霧の奥に、その高校生の少年の姿が、見えた様な気がした。
「!」
シンジは走り出す。
その高校生の少年の姿を追って。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の、小屋の方へ。
14時12分。
秘密基地「しゅれでぃんがー」の中。
お腹から血を流し、意識を失うシンジ。
「いやああああああああああああああああっ!」
鏡の向こうのシンジの姿を見て、ミヤが悲鳴を上げた。
「シンジーーーーーーーーーーーーーッ!」
「シンジくーーーーーーーーーーーーーーん!」
オウジとタマコも、鏡の向こうのシンジに呼びかける。
しかしシンジは、動かない。
「シニタン!死なないで、シニターーーーーーーン!」
ミヤがそう叫んだ時だった。
秘密基地と”怪奇倶楽部”の部室、両方に置かれた全身鏡が、光を放って。
その光が収まった時、箱入ミヤは、”怪奇倶楽部”の部室ではなく、秘密基地の中に立っていた。
「!」
ミヤは自分が秘密基地の中に居る事、そして自分の足元にシンジが倒れているのを確認すると、すぐにシンジに呼びかける。
『シニタン!』
鏡の向こうの秘密基地で、ミヤがシンジに呼びかける姿を見ながら、タマコが叫んだ。
「何で?シンジは鏡に触れていないのに、何でミャーちゃんが向こうに入っちゃったの!?」
ミストが答えた。
「秘密基地とこちらの人間を入れ替える条件は、”『生きた人間』が、秘密基地内に留まる事”だったからだわ…。秘密基地内のシンジが命を落としたから、交換条件が満たせず、ミヤさんが秘密基地の方に引きずり込まれたのよ…!」
「そんな…!そんな事って…!」
タマコが悲痛な叫び声を上げる。
『シニタン!どうしよう、シニタン息してない!お願い!誰かシニタンを助けて!』
鏡の中で、ミヤが叫んだ。
「シンジをこちらへ!鏡の方へ持ってくるんだ!」
オウジが叫ぶ。
その指示を聞いて、ミヤはぐちゃぐちゃに泣きながらも、シンジを引っ張る。
しかし、小さな女の子の力では、シンジは動かなかった。
「ミヤちゃん、ボクと代わって!ボクが鏡までシンジを運ぶ!」
鏡に手を当て、オウジが叫ぶ。
ミヤがバタバタと走ってきて、鏡越しにオウジと手を合わせる。
しかし、2人が手を合わせても、鏡は光を放たなかった。
「!?」
人が、入れ替わらない。
「なっ…何でだ!?何で向こうへ行けないんだ!?」
”怪奇倶楽部”の部室側で、オウジはミストに向かって叫んだ。
「分からないわ…!秘密基地内で、”土砂崩れ前に人が命を落とす”という歴史に反するイレギュラーが起きたから、もう『生きた人間』同士でも、交換が出来なくなったのかもしれない…!」
「そんな…!何でよ…!何でこんな事になるのよ…!」
タマコが言った。
「くそっ、シンジ!シンジーーーーーーーッ!」
オウジが歯がみする。
『いやああああああああああっ!シニタン!目を覚ましてシニタン!』
鏡の向こうで、ミヤがシンジにすがり付く。
絶望が、秘密基地と”怪奇倶楽部”の部室を包み込んで。
「皆、”後を頼む”」
ミストは皆に向かって静かに言った。
「シンジはさっき、秘密基地の中に入る前に、そう言ったのよ…。だから私達は、今出来る”正しいと思える事”をしましょう…!」
皆が涙に濡れる顔を上げ、ミストを見た。
ミストは鏡越しに秘密基地の中を覗くと、床に転がっているガムテープを指さした。
「ミヤさん、そのガムテープで、シンジのお腹の傷を塞いで頂戴…」
ミヤはハッとガムテープを見ると、素早くそれを手に取った。
そしてシンジの上着をたくし上げ、血の溢れるお腹の傷を手で閉じると、その上からガムテープを張り付けた。
ミヤの視界は涙で滲み、その手は震えていたが、それでもその動きは素早かった。
「いいわ…。次は、そのロープをシンジの腕時計の内側に通して頂戴」
ミヤ素早くロープを取り、そのロープの片側の先端を、シンジの腕時計の内側に通し、そのままロープの両端を、鏡に向かって放り投げた。
ロープは『生きた人間』では無いからか、秘密基地側から”怪奇倶楽部”の部室側へ、鏡を貫いて届いた。
「引いて!」
ミストが指示をするのを聞く間もなく、オウジとタマコがロープを手に取り、引っ張って。
シンジの腕時計をしている左腕が、ロープに引っ張られ、鏡を通って、部室側へ出てきた。
「よし、引くんだ!シンジ!」
オウジとタマコが力を合わせ、シンジの身体を部室側へ引っ張りこむ。
鏡を通り、シンジの全身が部室側へ運ばれる。
「タマコ、心臓マッサージの方をお願い!」
言うが早いか、ミストはシンジの気道を確保し、鼻をつまんで息を吹き込む。
大きく、1回、2回。
そしてタマコがシンジに心臓マッサージを施す。
そして再び、ミストがシンジに息を吹き込む。
ミストとタマコが、心肺蘇生を繰り返す。
何度も、何度も。
その様子を鏡の向こうから、ミヤが泣きはらした顔で見つめ続ける。
『シニタン、お願い、死なないで…!』
14時15分。
どしゃ降りの中を、走るシンジ。
霧の向こうに、消えそうになる高校生の少年の姿を追って、シンジは走り続ける。
深い霧で、道もほとんど分からなくなっていたが、この方角は秘密基地の方だと、シンジは感じていた。
さっきからずっと続く、得体のしれない焦燥感。
何かのタイムリミットが、迫っている様な気がした。
もっと早く、もっと早く。シンジは走る。
そしてその高校生の少年は、山道を外れ、藪の中へ入っていく。
(やっぱりだ──!)
その少年の後を追い、シンジも藪の中へ入っていく。
その先に、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋が見えて来て。
その高校生の少年は、扉をすり抜け、小屋の中へ消えて行った。
シンジは叫んだ。
「ミャーーーーー!ここに居るのか、ミャーーーーーーーーーーーーッ!」
そしてシンジは、秘密基地「しゅれでぃんがー」の小屋に辿り着き。
その扉に、手をかけた。
14時15分。
秘密基地「しゅれでぃんがー」と、”怪奇倶楽部”の部室の中。
ミストがシンジに唇を重ね、大きく息を、吹き込んでいく。
その時だった。
ミストはシンジの方から、息が押し戻されるのを感じた。
押し返される様に唇を離すと、シンジが息を吹き返す。
(シンジ、戻った───!)
呼吸が、そして抜け出ていたシンジの『命』が、この身体に戻った事を、ミストは感じた。
『シニタン!』
ミヤが叫ぶ。
ミヤもまた、鏡越しに、シンジの身体に『命』が戻った事を見て取っていた。
そして。
『ミャーーーーー!ここに居るのか、ミャーーーーーーーーーーーーッ!』
秘密基地の外の方から、シンジの声が聞こえて来た。
「「「『!』」」」
ミヤが、オウジが、タマコが、そしてミストが。
皆が一斉に、秘密基地の扉に目を向ける。
秘密基地の中からは、その扉を開く事は出来なかった。
では、秘密基地の外から、その時間軸に居る人間の手によって扉が開かれるのはどうなのか。
ミストは呟いた。
「しゅれでぃんがーの、扉が開く──」
そして。
秘密基地の、扉が開いて。
シンジが言った。
『ミャー、みーーーーーーーーーーーーーつけた!』
第五章 扉は開かれる
1週間後。
8月22日、12時00分、正午、快晴。
とある病院の一室。
永久乃シンジが目を覚ますと、そこに見覚えの無い天井が広がっていた。
まだぼんやりとした頭と目で周囲を見回すと、そこは病室の様だった。
しかし、何故自分が病室に居るのかに思考を巡らせるほど、まだ頭は回っていなかった。
「気が付いたかしら…?シンジ…?」
声のした方に目を向けると、そこには血の気の無い色白の、漆黒の長髪をツインテールにした、虚ろな目のソバカス少女が座っていた。
シンジが寝かされているベッドのすぐ脇で、本を読んでいたようである。
「…ミストさん?」
「なに…?」
シンジの呼びかけに、開幾ミストは優しい声で応える。
「うん…」
しかし何か用があった訳でもないので、シンジはそのまま上を向いた。
しばらくそのまま、ぼーっと天井を見つめる。
すると、少しずつ、記憶が蘇ってきた。
”怪奇倶楽部”の事、”霧”の事、”次元の歪み”の事、”異界の扉”の事、”秘密基地「しゅれでぃんがー」”の事、そして──
「ミャー!そうだ、ミャーはどうなったの?」
シンジはガバッとベッドから起き上がり──
「───っ!」
お腹に激痛を感じて、またベッドに倒れ込む。
「まだ傷は完全に塞がってないわ…。起き上がってはダメよ…」
ミストはシンジの肩に手を当て、安静にするよう注意する。
「ミストさん、あの後、ミヤは───」
「安心して。ミヤさんは、無事だったわ…」
その言葉に、シンジの目に涙が浮かぶ。
「ホントに…?」
「ええ…、本当よ…。あの時、4年前の貴方が秘密基地の扉を開いて、箱入ミヤを助け出したの…。その後土砂崩れが起きたから、間一髪だったわね…」
「そうか…。良かった…。あの世界のミャーは、助かったのか…。本当に良かった…」
シンジの目から、涙がポロポロと零れ落ちる。
開いた窓から、優しい風が吹き付けて、ふわりとカーテンを揺らした。
「そうね…。本当に良かったと思うわ…。でもそれは、本当に貴方が一番望んだ結末と言えるのかしら…?」
ふっと、ミストがそんな事を口にする。
「もちろんだよ…。ミャーが生きて、幸せに生きる世界線が存在する。そしてそれを、僕が知っている。これ以上無い、結末だと思うよ…」
シンジは言った。
「本当かしら…?他に箱入ミヤ生きている世界線があったとしても、この世界線では箱入ミヤは死んだままよ…。それに、箱入ミヤが生きている世界線では、きっと貴方達は、私の”怪奇倶楽部”には入らないわね…。過去を変える必要なんて、無いのだから…」
ミストは言う。
「この世界線では、貴方は私と結ばれ、あの世界線では、貴方はミヤさんと結ばれる。それが貴方の、一番の望み?」
「あれ…?何か今さらっと凄い事を仰りませんでしたか…?」
シンジのツッコミを、ミストはサラッとスルーする。
「違うでしょう…?あなたの一番の望みは、箱入ミヤが生きていて、そのフラグをがっちりキープしつつも、同時に私のフラグもゲットする事のはずよ…。うふふふふ…」
ミストはニタリと、あの不気味な笑みを復活させる。
「違うかしら…?うふふふふ…」
「ノーコメントでお願いします」
シンジは即座に返した。
「でも、過去を変えたから現在が変わるなんて、都合の良い話なんてそうそう無いわよね…。多くの物語でも、過去を変えたら別の世界線が生まれるだけで、現在の世界線に変化がある訳ではないの…。そう、結局、2つの世界線で、願いを半分ずつ叶えるだけ…」
ミストはそう呟く。
(そうだな、確かにそれは、100%の望んだ結末では無いのかもしれない…)
シンジは思った。
(でも、世界がそういう風に出来ているのだから、仕方が無いんじゃないかな…)
だから、今出来る、”正しいと思える事”をするだけなのだ。
そう自分に言い聞かせる。
でも。例え別の世界線でミヤが助かったとしても、この世界の自分は、もうミヤに逢えないのだ。
その寂しさは、一生消える事は無いのだろう。
再び優しい風が吹いて。
「フッ…。も~い~かい?」
病室のドアの外から、オウジの声が聞こえた。
「……」
黙り込むシンジ。
何故か病室の外で、オウジがカクレンボをしている。
外から見たら、大分シュールな絵になっているのではないだろうか。
何だか自分の方が恥ずかしくなってくる。
「ミストさん、何をしているんでしょうか、あれは…?」
傍に居るミストに、小声で聞いてみる。
「ああ、そろそろシンジが目を覚ましそうだったから、私がお願いして病室の外に出て行って貰ったのよ…。カクレンボをお願いしたのも私…。うふふふふ…」
ミストは不気味に笑い続ける。
「な、何で…?」
「もちろん、シンジを驚かせようと思って…。うふふふふ…」
「さ、さいですか…」
(それで、「も~い~よ」って返せばいいのだろうか…)
ちょっとミストたちの意図が掴めず、また何だか恥ずかしいのもあって、シンジはしばらく放置する事にした。
「それで、さっきの話の続きだけど…」
ミストが言った。
「え…?」
「過去を変えたら、世界線が2つ出来るという設定の物語が多いという話…」
ミストが答える。
「確かに、過去を変えたら現在が変わるよりは、過去を変えたら世界線が2つ出来るという設定の方が、物語としての整合性は、取れると思うわ…。でもね、私はこう言いたい気持ちもあるのよ…。”ヨソはヨソ、ウチはウチ”、ってね…。うふふふふ…」
「も~い~かい?」
ドアの外で、タマコの声がした。
「皆が幸せになれる結末があるのなら、話の整合性なんて、私はどうでもいいと思うのよ…。ご都合主義でもね…。例えば私達に起きた出来事で言うと、『4年前、箱入ミヤは助かって、で、何故か私と貴方の関係だけはキープされたまま歴史が改変されて、高校生になった箱入ミヤが、改変される前の記憶を持ったまま、この世界線で生きている』、なんてのはどうかしら…?うふふふふ…」
「めちゃくちゃじゃないですか…?」
シンジは苦笑した。
「というか、そもそも何の話をしているの、ミストさん」
ミストは言った。
「こういう話よ…」
「も~い~かい?」
ドアの外で、オウジでもタマコでも無い、ほんわかとした声がした。
「え…?」
若い、女の子の声。
この4年間、聞いていなかった、そして、ほんの1週間前に、聞いた声。
懐かしい、ずっとずっと聞いていなかった、そしてずっとずっと聞いていたい声。
もう2度と、この世界線では聞けないはずの声。
「どうしたの…?貴方にはかけるべき言葉があるんじゃないかしら…?シンジ…、うふふふふ…」
ミストが言った。
『皆が幸せになれる結末があるのなら、話の整合性なんて、私はどうでもいいと思うのよ──』
シンジは、込み上げる涙をこらえて。
ドアの外にいる女の子に向かって、声をかけた。
「も~い~よ!」
すると、病室のドアが開いて。
「シニタン、み~つけた!そして、ただいま~~~~~~~~~っ!」
高校生の姿になった、箱入ミヤが入ってきた。
あの夏のカクレンボ
完
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
あやかし屋敷の離れでスムージー屋さん始めました~生きていくにはビタミンが必要です~
橘 ゆず
キャラ文芸
石段をあがった丘の上にある古びた屋敷──通称「青柳御殿」
専門学校を卒業し、カフェで働いていた水瀬雫は、ある日突然、音信普通になっていた父方の祖父がのこしたというその屋敷を受け継ぐことになる。
ところがそこは、あやかしたちの住む幽世へと繋がる不思議な場所だった。
そこで待っていたのは雫を「許嫁」と呼ぶ仙狐の青年、柊をはじめとする個性ゆたかなあやかしたち。
「いまどき祖父の決めた許嫁だとかありえないから! しかもリアルで狐に嫁入りとか絶対無理!」
断固拒否しようとした雫だが、帰る場所も他になく、新しく部屋を借りる元手もない。
仕方なく同居を承諾した雫は、愛が重ための柊の束縛に悩まされながら屋敷の離れで「ビタミンCafe」を開業することにする。
現代を舞台にした、ちょっと不思議な和風ファンタジーです。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
貸本屋七本三八の譚めぐり
茶柱まちこ
キャラ文芸
【書籍化しました】
【第4回キャラ文芸大賞 奨励賞受賞】
舞台は東端の大国・大陽本帝国(おおひのもとていこく)。
産業、医療、文化の発展により『本』の進化が叫ばれ、『術本』が急激に発展していく一方で、
人の想い、思想、経験、空想を核とした『譚本』は人々の手から離れつつあった、激動の大昌時代。
『譚本』専門の貸本屋・七本屋を営む、無類の本好き店主・七本三八(ななもとみや)が、本に見いられた人々の『譚』を読み解いていく、幻想ミステリー。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる