明晰夢

赤花雪夜

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春の訪れ

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春爛漫。
暖かな陽の光を浴びた桜の花達は顔を出す。
優しい風に揺れながら美しい桃色の花弁が中を舞い、道路や通学路に桃色の絨毯を作る。
そして未だに舞い続ける花弁は住宅街にまで届く。
何処にでもある住宅街。
一軒家が密集しゴミをゴミ捨て場に捨てに行く近所の人達は挨拶を交わし長話しをする。
何処にでもある日常風景。
そんな密集した住宅街にある一つのニ階建ての一軒家の屋根に桜の花弁が落ちる。
エプロンを着た女性がゴミ捨てから帰り家の玄関を開けて中に入るとテーブルに置かれている朝食に目を向けてため息をついた。
すぐさま階段を上がり奥にある部屋の扉にノックせずに中に入るとカーテンは締めているのか中は暗かった。
だが、女性は何度も入ったことがあるのかカーテンの所に行きカーテンを開けると、陽の光が部屋全体を明るくした。
部屋の中は女部屋だった。デスクの上に雑に置かれている勉強用のノートと筆記用具に電源がオフになっているが開きっぱなしのノートパソコン。綺麗にハンガーに掛けてある制服。小さく可愛らしいテーブル。恋愛小説やアニメ化された小説が並ぶ本棚。そして小さなジンベエザメやピンクの熊のぬいぐるみとそれを抱き締めてベットに眠っている少女。
陽の光に当てられ少女は眩しかったのか毛布の中に入り唸る。
それを女性が見てはため息を吐きながら毛布を引っ剥がした。
「愛、早く起きないと遅刻してしまうよ。遅刻は嫌いでしょ」
毛布を取られ諦めたのか愛と呼ばれた少女は目を擦りながら上半身を起こしたが腕の中にはジンベエザメと熊のぬいぐるみを抱き締めたままだった。
「ママ、おはよう」
「おはよう。朝御飯は出来てるけど、もう冷めているよ。早く食べなさい」
愛の母はそう言い残し部屋を出た。部屋に取り残された愛は怠そうにベットから降りて部屋の窓を全開に開けると暖かな風と桜の花が部屋に入る。
軽く深呼吸をして、愛はハンガーに掛けてある制服に手を伸ばした。

着替えが終わり学校用の鞄を持って階段を下りると台所に立っている愛の母がいた。
「外、桜が満開だった。春だね」
「そうだね」
「この時期はママの時期だね」
「名前が一緒なだけでしょ」
春、それが愛の母の名前であった。
毎年この時期になると愛は必ず母の時期だと言っていた。
愛は冷めた朝ご飯を急いで食べ片付けを母である春に任し、スクールバックを持って玄関に向かった。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。車に気を付けるんだよ」
頷いた愛はドアノブに手を掛け軽い力で捻り玄関を開けた。暖かな風と太陽の陽射しを浴びながら一歩歩いて外に出る。
桜の花が踊るかのようにゆらゆらと揺れ新学期の学生や新しいランドセルを背負う小学生達を祝っているかのように桜は花弁を降らした。
その身を削り、桜の花弁が尽きるまで、花が落ちる迄、桜は風と共に揺れ踊った。
愛は行く道を生きゆうゆうと歩いていた。
風が吹くと愛の軽い黒く長い髪が靡き、まるで風が愛の髪を奪うかのように吹き荒れる。
そんなことも知らない愛は髪を耳に掛け又歩く。
一人の女子高生が愛を後ろから抱きつき挨拶をして隣を歩いた。愛はその女子高生を瞳と言い、瞳と共に他愛のない話をしながら学校迄歩いた。
学校に着けばお互い同じクラスであることに喜ぶが席が離れている事に残念そうに肩を竦め落ち込んだりし、新たな教室で新たな同級生達に挨拶して回り、半日を終えた。愛と瞳は途中迄共に帰り朝と同じ場所で別れて二人は一人となって家に帰った。
愛は今日の土産話を母である春にどんな風に話そうかと胸を踊らせながら歩く足を少し早めて帰る。
いつもの帰宅路が少し早い時間に到着し玄関の鍵穴にお気に入りの白兎のストラップが付いている鍵に差し込み回して扉を開ける。
少し早い帰宅に帰ってきた愛を春は出迎える。
「おかえり。返ってくるのが早いね」
「今日の事、早く話したくて。早足で帰った」
春は「手洗いとうがいしてきなさい」と言われ愛は伸ばしながら「はーい」と脱いだ靴を綺麗に並べて洗面所に向かった。
手洗いとうがいを終えスクールバッグを持って部屋に行き身軽な部屋着に着替えてリビングに向かおうとすると優しく甘い匂いが愛の鼻を擽る。
愛は甘い匂いを嗅いで小走りで急ぎ、階段を少し音を立ててリビングに向かうと春の手には今にも皿から溢れてしまいそうなシンプルなクッキーと少し湯気がゆらゆらと揺れていて色違いのマグカップが二つ、盆の上に乗せて持っていた。
春は急いで来た愛を見て少し呆れた顔をする。
「もう少しゆっくり降りてきなさい。滑って怪我したらどうするの」
「気をつけるね。ママのクッキーの匂いがしたから居ても立っても居られなくて」
春は照れたような顔をして「まったくこの子は」と小さな声で呟いた。
二人はソファーがあるのにも関わらずソファーと小さなテーブルの間に座りソファーを背もたれにしながら愛はテレビをつけた。春はテーブルに盆を置いて赤いマグカップを愛に渡し、春はオレンジ色のマグカップを片手で持ち砂糖もミルクも入っていない、真っ黒なブラックコーヒーを飲んだ。
愛は少し熱そうにマグカップに入ってるミルクティーを見てからテーブルに置きクッキーを一つ手に取り口に入れた。
テレビ番組を見ながら愛は学校の事を楽しそうに話していた。
親友と同じクラスになれたこと、席が少し離れて残念だったこと、クラスの同級生達と仲良くなれそうなこと、話しながらクッキーを一枚一枚食べると口の中が乾いたのか少し冷めたミルクティーを半分飲んでまたクッキーを食べ始めた。
春はクッキーを一口も食べずブラックコーヒーを飲みながら愛の話を只々聞いていた。
「楽しそうだね」
「うん、楽しくなりそう」
愛も笑い、春も笑う。
それから愛は喋るのを一旦止めテレビ番組からニュースに切り替わったテレビを見ていた。
そのニュースは桜が満開を知らせるニュースだった。
「桜、満開だって」
愛は独り言を呟くように春にそう告げた。
春は愛の返答を少し遅れて返した。
「じゃあ、今度の土曜日に三人でお花見に行こうか」
愛は目を見開いた。目玉が飛び出てしまいそうなくらいに、大きく見開いていた。
「本当?」
「えぇ、本当よ」
愛は高校生になっても、子供のようにはしゃぎながら家族でお花見に行くのを喜んでいた。
去年の春時。愛は家族で花見に行くのを楽しみにしていたが天候が急に崩れ季節外れの嵐が起こり満開だった桜の花達は一瞬で散ってしまう。
愛は拗ねに拗ね母と姉を困らせたのを今でも昨日のように鮮明に覚えている。
去年行けなかった花見が今年行けるとなると愛は「何を着ていこう」「ママのお弁当が楽しみ」等遠足前の小学生のように言っていた。
「今日は火曜日。土曜日迄、まだ四日はあるよ」
「じゃあ、その間に何着るか決めないと。お姉ちゃんが帰って来たら言わないと。喜ぶかな?」
「喜ぶよ。雪も去年花見に行けなかったの残念そうにしてたし。愛みたいに小学生みたいにはしゃぎはしないが、きっと喜ぶよ」
愛は先程は喜びに満ちた顔をしていたが急に真顔になり少し拗ねるように春に背を向けた。
「どうせ私の心は小学生のままですよ」
どうやら春が“小学生みたいに”と言われたのが不機嫌の原因だったようだ。
高校生になっても母親の事を「ママ」と呼び尚且つ家族にまだ甘えてる一面がある。
傍から見たら小学生と言われても無理はない。
春は不機嫌になった愛を後ろから抱きしめ頭を撫でた。
「ごめんね。そんなつもりはないよ」
「……ママはこんな私、嫌?」
春は間も開けず直ぐに返答した。
「嫌じゃない。愛も雪も私の可愛い娘だよ。雪は小さい頃からしっかりしていて頼もしかったけど、中々甘えてくれなくてね。母である私をちっとも頼ってくれなくて寂しかったんだ。でも、愛は自分の気持ちを素直に私に言ってくれて嬉しいんだ。だから、愛は今のままでも私は大好きだよ」
強く、優しく、愛を未だに抱き締める腕は温もりをおびており、頭を撫でる手はとても優しいものだった。
愛は下を向き「ハンバーグ」と小さく口にした。
少し聞き取れなかった春は「ん? ごめんね、なんて言ったのかもう一回言って」と言う。
「今日の夜ご飯、私のハンバーグ大きいやつにして。そしたら許す」
なんとも小さく、軽い要求。
そんな小さな要求に春は笑った。くすくすと小さく笑った。ここでバカ笑いをするとまた娘に拗ねられると思い笑いを必死に堪えていた。
「わかった。愛のハンバーグだけ特別に大きいやつにするよ」
愛の目は星を宿しているかのようにキラキラと輝き、やはり子供のようにはしゃいだ。
春はそう思っても口にすることは無く「じゃあ、買い物に行こうか」と薄い上着と財布を持つ。
愛は少し慌てて二階の自分の部屋に行き半袖の上着を着て下に向かった。
玄関の近くには既に春が靴を履いて愛を待っていた。愛はお気に入りのサンダルを履いて春と共に手を繋ぎ家を出た。
リビングに残されたのは食べかけのクッキーと冷めたブラックコーヒーだけだった。
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