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1章:死後の不在証明
1-1 病院で鑑賞会
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世の中の「死なないで生きている」人間には2種類いると私は思う。
一つは生きている事が楽しい人間。
もう一つは死ぬ事が恐ろしい人間。
人それぞれかもしれないが、後者の方が少し多いと私は考えている。死ぬ時の苦痛が恐ろしいし、何よりそんな苦労をして死んでも死後の世界があるかどうかなど分からない。全て虚無になるという結果は皆避けたがるし、怖いものなのだ。
だが仮に、死後の世界があると確信する事が出来たら、その世界が今の世界よりもよっぽど素晴らしいところだったとしたら、人々はどうするだろうか。
きっと、どえらい数の人間が死を選ぶだろう。
私はそれが、救済だと思っている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
じっとりとした雨上がりの芳香が立ちこめる昼過ぎに、僕はとある総合病院へと足を運んでいた。桜木総合病院である。この病院はここ桜木市で最も大きな病院であり、そのベッド数も市内屈指の数を誇っている。何故病人でもない、予約も取っていない僕がこの病院に足を運んでいるのかというと、それはとある目的を遂行するためであった。
病院に入る前、建物にサイレンを鳴らした救急車が入っていくのが見えた。ここは市内で一番大きい病院だ。こういったことも日常茶飯事なのだろう。その様子を横目で見ながら、大きな自動ドアの入り口からエントランスに入った。
入り口から入って左手には診察を待つ為の椅子が並べられており、右手には受付窓口がある。その中間の天井にはテレビが幾つか取り付けられており、無音声の退屈なニュースを垂れ流していた。
僕は受付や椅子には座らず、そのまま奥にあるエレベーターに乗った。ここのエントランスは総合病院だけあって広い。故に、僕が受付に行かなくとも誰もそれには気づかない。
適当に5階のボタンを押し、そこで降りる。特に目的の病室はないが、出来れば誰かに見られたくはないので、廊下に誰もいないうちに無人の病室へと急いで滑り込んだ。
スライド式のドアをそっと閉める。
病室特有の消毒液の香りが鼻をくすぐった。誰もいないのだから当たり前だが、部屋の中はとても殺風景で、ベッドと患者の心拍数を測る為の機器があるだけだった。窓は換気のために少し開けられており、その窓からは特に何もないこれまた殺風景な桜木市内を一望できる。
「さて・・・」
あまりもたもたしていると誰かに発見されてしまうかもしれない。まるで一仕事する前かのように、ひとつ腕まくりをした。
僕は「あること」がきっかけで暫く前にサイコメトリーの能力を得た。そしてその能力に目覚めてからは、ある趣味にも目覚めることになった。
それがこれだ。「死者の記憶を覗き見る事」である。最初はこの能力にやや頭を悩ませた。だが今となってはテレビやスマホに代わる娯楽を僕に提供してくれるものとなった。記憶の中の彼ら彼女らは、僕に様々なドラマを詳細な感情経験と共に体験させてくれる。どんな創作物よりも刺激的な経験を僕に与えてくれるのだ。
趣味が悪い事は分かってはいるが、だからといってこれ以外の使い道は生憎この能力にはない。というのもこのサイコメトリー、死者の遺品にしか使えないのだ。正確には遺品でなくても、このベッドの様に死者が生前使用してた物であれば記憶を読み取ることができる。例えば今目の前にあるこのベッドに触れ、意識を集中させれば「このベッドを使用し、現在何らかの理由で死亡した死者の中で最も強い感情を抱いた死者の記憶」が頭の中に流れ込んでくる。
今までは別の病院でこれを行なっていたが、ここで行うのはこれが初めてである。僕は掌の全体に意識が集中するよう目を瞑った後、無機質なベッドのシーツにおもむろに手を添えた。
心地よいシーツの滑らかさが掌で感じられた後、指先から腕、肩、耳の後ろ、脳内にかけて、濁流の様な荒々しく刺激的な記憶の奔流が僕の体を飲み込み始める。
目を瞑っていても、映像がありありと見えて来る。映像だけではない。その死者が生前感じた感情が、一つの塊となって一気に伝わってくるのだ。
窓から映る殺風景な街の風景、腕に繋がれた点滴、医師の白衣、涙を流す年配の女性、見舞いに来た友人らしき人々、若い女性との談笑、鏡に移る痩せこけた自分、抜け落ちた頭髪、枯れた花瓶の花、静寂と時計の針の音、薄暗い天井、無機質なカーテン、希望、勇気、愛情、諦め、感謝、悲哀、恐怖、自嘲。
一通りの記憶を眺め終わった後、僕はゆっくりとシーツから手を離した。
心にはなんともいえぬ充実感がある。まさしく、一つの物語を読み終えたかの様な達成感と寂寥感である。山頂でするかの様な深呼吸を一つした後、壁に寄りかかり病室の天井をぼんやりと見上げて、その余韻に浸った。
彼もこの天井を眺めていた。そう思うと、何か奇妙な感慨深さを感じる。
暫く経ったので頃合いを見て帰ろうとした時、不意に部屋のドアが開いた。
「わっ」
驚きの表情を浮かべ、大きく目を見開いた看護師と目が合った。これは運が悪い。
あれから、看護師に事情を説明するのに骨がいった。事情、といっても内容は事前に作っておいた作り話であるが。時々、この趣味を続けていると、こういう不運な事故に見舞われる。それを何度か繰り返すと奇行を繰り返す変人として有名になってしまうため、そうなる度に病院を変えてきた。この病院を最後まで取っておいたのは、ここが家や学校から徒歩数十分で通える一番近い病院だからである。近いという事は貴重という事であり、そうそう簡単に食い潰せないという事である。それ故に経験を重ね、慎重を重ね、満を辞してここに入ったのだが、今日は大変に運が悪かった。まさか1回目でこうなってしまうとは。確かに周囲の確認は怠らなかったはずだが、おそらく僕が廊下を見た時にはあの看護師は別の病室に入って作業を行なっていたのだろう。
後2、3人は観ておきたい所だったが、こうなっては仕方がない。僕はため息をついてエレベーターに乗り、エントランスへと戻った。
ふとテレビに目をやると、エントランスでは相変わらず無音声のニュースが垂れ流しにされていた。だが、そのニュース映像に映る建物にははっきりと見覚えがあった。音声がない代わりに字幕が流れる。
「本日午後、桜木高等学校の校舎の屋上から女子生徒が転落したと、桜木高等学校の生徒から通報が入り、警察官が駆けつけましたが、搬送先の病院で死亡が確認されました。」
その映像には確かに僕が現在通っている高校が映っていた。生徒の名前は「芹沢百子」。年齢から見るに僕の2つ上だろうか。
何はともあれチャンスである。僕はほくそ笑んだ。いちいち病院に潜入せずとも鑑賞できる場所が出来たではないか。ここに行かない手はない。
先程のことでやや落ち込み気味であった僕の心は一転、明日に控える鑑賞会で明るくなったのだった。
一つは生きている事が楽しい人間。
もう一つは死ぬ事が恐ろしい人間。
人それぞれかもしれないが、後者の方が少し多いと私は考えている。死ぬ時の苦痛が恐ろしいし、何よりそんな苦労をして死んでも死後の世界があるかどうかなど分からない。全て虚無になるという結果は皆避けたがるし、怖いものなのだ。
だが仮に、死後の世界があると確信する事が出来たら、その世界が今の世界よりもよっぽど素晴らしいところだったとしたら、人々はどうするだろうか。
きっと、どえらい数の人間が死を選ぶだろう。
私はそれが、救済だと思っている。
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じっとりとした雨上がりの芳香が立ちこめる昼過ぎに、僕はとある総合病院へと足を運んでいた。桜木総合病院である。この病院はここ桜木市で最も大きな病院であり、そのベッド数も市内屈指の数を誇っている。何故病人でもない、予約も取っていない僕がこの病院に足を運んでいるのかというと、それはとある目的を遂行するためであった。
病院に入る前、建物にサイレンを鳴らした救急車が入っていくのが見えた。ここは市内で一番大きい病院だ。こういったことも日常茶飯事なのだろう。その様子を横目で見ながら、大きな自動ドアの入り口からエントランスに入った。
入り口から入って左手には診察を待つ為の椅子が並べられており、右手には受付窓口がある。その中間の天井にはテレビが幾つか取り付けられており、無音声の退屈なニュースを垂れ流していた。
僕は受付や椅子には座らず、そのまま奥にあるエレベーターに乗った。ここのエントランスは総合病院だけあって広い。故に、僕が受付に行かなくとも誰もそれには気づかない。
適当に5階のボタンを押し、そこで降りる。特に目的の病室はないが、出来れば誰かに見られたくはないので、廊下に誰もいないうちに無人の病室へと急いで滑り込んだ。
スライド式のドアをそっと閉める。
病室特有の消毒液の香りが鼻をくすぐった。誰もいないのだから当たり前だが、部屋の中はとても殺風景で、ベッドと患者の心拍数を測る為の機器があるだけだった。窓は換気のために少し開けられており、その窓からは特に何もないこれまた殺風景な桜木市内を一望できる。
「さて・・・」
あまりもたもたしていると誰かに発見されてしまうかもしれない。まるで一仕事する前かのように、ひとつ腕まくりをした。
僕は「あること」がきっかけで暫く前にサイコメトリーの能力を得た。そしてその能力に目覚めてからは、ある趣味にも目覚めることになった。
それがこれだ。「死者の記憶を覗き見る事」である。最初はこの能力にやや頭を悩ませた。だが今となってはテレビやスマホに代わる娯楽を僕に提供してくれるものとなった。記憶の中の彼ら彼女らは、僕に様々なドラマを詳細な感情経験と共に体験させてくれる。どんな創作物よりも刺激的な経験を僕に与えてくれるのだ。
趣味が悪い事は分かってはいるが、だからといってこれ以外の使い道は生憎この能力にはない。というのもこのサイコメトリー、死者の遺品にしか使えないのだ。正確には遺品でなくても、このベッドの様に死者が生前使用してた物であれば記憶を読み取ることができる。例えば今目の前にあるこのベッドに触れ、意識を集中させれば「このベッドを使用し、現在何らかの理由で死亡した死者の中で最も強い感情を抱いた死者の記憶」が頭の中に流れ込んでくる。
今までは別の病院でこれを行なっていたが、ここで行うのはこれが初めてである。僕は掌の全体に意識が集中するよう目を瞑った後、無機質なベッドのシーツにおもむろに手を添えた。
心地よいシーツの滑らかさが掌で感じられた後、指先から腕、肩、耳の後ろ、脳内にかけて、濁流の様な荒々しく刺激的な記憶の奔流が僕の体を飲み込み始める。
目を瞑っていても、映像がありありと見えて来る。映像だけではない。その死者が生前感じた感情が、一つの塊となって一気に伝わってくるのだ。
窓から映る殺風景な街の風景、腕に繋がれた点滴、医師の白衣、涙を流す年配の女性、見舞いに来た友人らしき人々、若い女性との談笑、鏡に移る痩せこけた自分、抜け落ちた頭髪、枯れた花瓶の花、静寂と時計の針の音、薄暗い天井、無機質なカーテン、希望、勇気、愛情、諦め、感謝、悲哀、恐怖、自嘲。
一通りの記憶を眺め終わった後、僕はゆっくりとシーツから手を離した。
心にはなんともいえぬ充実感がある。まさしく、一つの物語を読み終えたかの様な達成感と寂寥感である。山頂でするかの様な深呼吸を一つした後、壁に寄りかかり病室の天井をぼんやりと見上げて、その余韻に浸った。
彼もこの天井を眺めていた。そう思うと、何か奇妙な感慨深さを感じる。
暫く経ったので頃合いを見て帰ろうとした時、不意に部屋のドアが開いた。
「わっ」
驚きの表情を浮かべ、大きく目を見開いた看護師と目が合った。これは運が悪い。
あれから、看護師に事情を説明するのに骨がいった。事情、といっても内容は事前に作っておいた作り話であるが。時々、この趣味を続けていると、こういう不運な事故に見舞われる。それを何度か繰り返すと奇行を繰り返す変人として有名になってしまうため、そうなる度に病院を変えてきた。この病院を最後まで取っておいたのは、ここが家や学校から徒歩数十分で通える一番近い病院だからである。近いという事は貴重という事であり、そうそう簡単に食い潰せないという事である。それ故に経験を重ね、慎重を重ね、満を辞してここに入ったのだが、今日は大変に運が悪かった。まさか1回目でこうなってしまうとは。確かに周囲の確認は怠らなかったはずだが、おそらく僕が廊下を見た時にはあの看護師は別の病室に入って作業を行なっていたのだろう。
後2、3人は観ておきたい所だったが、こうなっては仕方がない。僕はため息をついてエレベーターに乗り、エントランスへと戻った。
ふとテレビに目をやると、エントランスでは相変わらず無音声のニュースが垂れ流しにされていた。だが、そのニュース映像に映る建物にははっきりと見覚えがあった。音声がない代わりに字幕が流れる。
「本日午後、桜木高等学校の校舎の屋上から女子生徒が転落したと、桜木高等学校の生徒から通報が入り、警察官が駆けつけましたが、搬送先の病院で死亡が確認されました。」
その映像には確かに僕が現在通っている高校が映っていた。生徒の名前は「芹沢百子」。年齢から見るに僕の2つ上だろうか。
何はともあれチャンスである。僕はほくそ笑んだ。いちいち病院に潜入せずとも鑑賞できる場所が出来たではないか。ここに行かない手はない。
先程のことでやや落ち込み気味であった僕の心は一転、明日に控える鑑賞会で明るくなったのだった。
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