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さて、テイラーに平手打ちされたマリアーナは、即座に頭を回転させた。
女性を殴ることは、言うまでもなくとんでもない暴挙であり、紳士にあるまじき卑劣な行為である。それを人気の多い学園の廊下で行うなど、考えが足りないにもほどがある。
よし、とマリアーナは心に決めた。
これを機にテイラーとの婚約を解消し、なおかつ、してもいない虐めの噂で失墜した自分の名誉を回復しよう。
マリアーナはそっと周囲に目を走らせた。
そこにはマリアーナの友人を含めた多くの生徒たちがいて、テイラーの最低な行いに驚き、眉をひそめ、令嬢の中にはあまりのショックに倒れそうになっている者さえ確認できた。
ほとんどの生徒たちが、女性に手を上げたテイラーに非難の目を向けていた。
中には冷ややかな顔でマリアーナを見ている令嬢や、いい気味だと言わんばかりにニヤニヤしている令息もいる。マリアーナのジョゼに対する虐めの噂を信じている生徒たちだろう。
マリアーナはそれらを瞬時に確認すると、今から自分はどういう行動をとるべきかを考え始めた。そして計画が練り上がると、その第一歩として、まずは弱々しい演技を皆の前で披露することにしたのだった。
その理由はマリアーナの見た目の印象が「強い女」だからだ。
マリアーナはかなりの美人ではあるが、少しつり目で勝気な容貌をしている。口調もハキハキとしていて、男性には生意気で可愛げがなく見えるタイプである。
そんないつも強気なマリアーナが泣いてみせたらどうなるか。
人前で涙など絶対に見せそうにないマリアーナの思いがけない弱々しい姿に、皆間違いなく驚くはずだ。それでなくとも殴られた直後である。マリアーナの姿はとても痛ましく、憐れで可哀想な存在に見えるに違いない。
そんな同情心を誘う姿を武器にして、まずは周囲の人間を味方に引き入れようとマリアーナは思った。それに成功すれば、後のことはどうにでもなる。
さて。マリアーナがテイラーに殴られてからこの結論に至るまで約五秒。
考えがまとまったところで、マリアーナは反撃に出ることにした。
「うっ……ひどい……どうしてこんな……」
打たれて赤く腫れた頬が隠れないよう下の方にだけ手を添えると、マリアーナは悲し気な表情でホロホロと涙を流した。
その場にいた者たちが、皆一斉に息を飲んだ。
いつでも凛として品のあるマリアーナが泣いている!
テイラーも驚きのあまり目を大きく見開いた。儚げに泣くマリアーナの悲哀に満ちた姿に動揺して、ただただ唖然とするばかりである。
計画通り、と心の中でほくそ笑みながら、マリアーナは涙声でテイラーに訴えた。
「テイラー様、なぜです。どうしてこんなひどいことを……?」
「あ、いや、それは……」
「まさか、理由もなくわたしを殴ったのですか? こんな公衆の面前で晒し者にするかのように? あんまりだわ。わたしたち、幼い頃からの婚約者じゃないですか……それなのに……ううっ」
両手で顔を覆い、更に激しくマリアーナは泣き始めた。
テイラーはそれを見て更に動揺する。
気の強いマリアーナのことだから、殴られたら怒り狂って怒鳴り返してくるだろうと思っていたのだ。それが言い返すどころか、殴った理由を知りたいとだけ言い、ただただ弱々しく涙を流す。
体を小さく震わせながら悲し気に泣き続けるマリアーナを見ていると、まるで自がとんでもなく極悪非道なことをしているような気がしててきて、テイラーは堪らなく後ろめたい気持ちになった。
けれどもそこでハッと我に返る。
いや違う、そうじゃない、とテイラーは拳を強く握りしめた。
自分は悪くない。悪いのはマリアーナの方だ。
なぜなら先に酷いことをしたのは、ジョゼに嫌がらせや虐めをしたのはマリアーナの方だからだ。
自分は婚約者としてマリアーナに己の罪を認めさせて反省を促し、ジョゼに謝罪させなければならない。それこそが自分のやるべきことなのだ。そうだ、自分は間違っていない。
そんなことをテイラーが考え、自分の正当性を再認識していた時、テイラーの後ろに隠れるようにしていたジョゼがヒョイと顔を出した。そして、マリアーナをキッと睨みつけて言った。
「あたし、マリアーナ様に階段から突き落されました。すごく怖かったし痛かった。テイラーはあたしのために怒ってくれただけです。なにも悪いことなんてしてないわっ、ひどいのはマリアーナ様の方よ!」
「そ、そうだ、ジョゼの言う通りだ」
テイラーはジョゼの肩を優しく抱くと、マリアーナを睨みつけた。
「マリアーナ! 君は俺と仲の良いジョゼに嫉妬して、階段から突き落としたらしいな。幸い軽い怪我ですんだけど、打ち所が悪ければ死んでいたかもしれない。俺がさっき君を殴ったのは、そんなひどいことを平気で行う君の目を覚まさせるためだ! もう弱い者虐めなんてやめるんだ。そして、今すぐジョゼに謝れ!」
「わたしはそんなこと、していません」
マリアーナは涙の浮かんだ瞳でテイラーを悲し気に見つめ、弱々しい声で反論する。
「ジョゼ様を階段から落とすなんて、そんな恐ろしいことしていません。わたしがやった証拠はあるのですか」
「ジョゼがそう言っている。そうだな、ジョゼ? マリアーナから突き落とされたんだよな?」
「そうです、マリアーナ様にやられました! すごく怖かったです。ぐすっ」
包帯を巻いた腕を上げ、ジョゼは皆に見せつけた。
「ほら、見て下さい。落ちた拍子に打って痣になったんです。あの時は死を覚悟しました。本当に怖くて……」
ぐすんぐすんとジョゼは泣く。
しかし、どう見ても彼女の大きな瞳からは涙の一滴も流れてはいない。ただの嘘泣きである。それなのにテイラーはその嘘泣きに気付くことなく、心配で堪らないといった気遣う視線をジョゼに向けた。
女性を殴ることは、言うまでもなくとんでもない暴挙であり、紳士にあるまじき卑劣な行為である。それを人気の多い学園の廊下で行うなど、考えが足りないにもほどがある。
よし、とマリアーナは心に決めた。
これを機にテイラーとの婚約を解消し、なおかつ、してもいない虐めの噂で失墜した自分の名誉を回復しよう。
マリアーナはそっと周囲に目を走らせた。
そこにはマリアーナの友人を含めた多くの生徒たちがいて、テイラーの最低な行いに驚き、眉をひそめ、令嬢の中にはあまりのショックに倒れそうになっている者さえ確認できた。
ほとんどの生徒たちが、女性に手を上げたテイラーに非難の目を向けていた。
中には冷ややかな顔でマリアーナを見ている令嬢や、いい気味だと言わんばかりにニヤニヤしている令息もいる。マリアーナのジョゼに対する虐めの噂を信じている生徒たちだろう。
マリアーナはそれらを瞬時に確認すると、今から自分はどういう行動をとるべきかを考え始めた。そして計画が練り上がると、その第一歩として、まずは弱々しい演技を皆の前で披露することにしたのだった。
その理由はマリアーナの見た目の印象が「強い女」だからだ。
マリアーナはかなりの美人ではあるが、少しつり目で勝気な容貌をしている。口調もハキハキとしていて、男性には生意気で可愛げがなく見えるタイプである。
そんないつも強気なマリアーナが泣いてみせたらどうなるか。
人前で涙など絶対に見せそうにないマリアーナの思いがけない弱々しい姿に、皆間違いなく驚くはずだ。それでなくとも殴られた直後である。マリアーナの姿はとても痛ましく、憐れで可哀想な存在に見えるに違いない。
そんな同情心を誘う姿を武器にして、まずは周囲の人間を味方に引き入れようとマリアーナは思った。それに成功すれば、後のことはどうにでもなる。
さて。マリアーナがテイラーに殴られてからこの結論に至るまで約五秒。
考えがまとまったところで、マリアーナは反撃に出ることにした。
「うっ……ひどい……どうしてこんな……」
打たれて赤く腫れた頬が隠れないよう下の方にだけ手を添えると、マリアーナは悲し気な表情でホロホロと涙を流した。
その場にいた者たちが、皆一斉に息を飲んだ。
いつでも凛として品のあるマリアーナが泣いている!
テイラーも驚きのあまり目を大きく見開いた。儚げに泣くマリアーナの悲哀に満ちた姿に動揺して、ただただ唖然とするばかりである。
計画通り、と心の中でほくそ笑みながら、マリアーナは涙声でテイラーに訴えた。
「テイラー様、なぜです。どうしてこんなひどいことを……?」
「あ、いや、それは……」
「まさか、理由もなくわたしを殴ったのですか? こんな公衆の面前で晒し者にするかのように? あんまりだわ。わたしたち、幼い頃からの婚約者じゃないですか……それなのに……ううっ」
両手で顔を覆い、更に激しくマリアーナは泣き始めた。
テイラーはそれを見て更に動揺する。
気の強いマリアーナのことだから、殴られたら怒り狂って怒鳴り返してくるだろうと思っていたのだ。それが言い返すどころか、殴った理由を知りたいとだけ言い、ただただ弱々しく涙を流す。
体を小さく震わせながら悲し気に泣き続けるマリアーナを見ていると、まるで自がとんでもなく極悪非道なことをしているような気がしててきて、テイラーは堪らなく後ろめたい気持ちになった。
けれどもそこでハッと我に返る。
いや違う、そうじゃない、とテイラーは拳を強く握りしめた。
自分は悪くない。悪いのはマリアーナの方だ。
なぜなら先に酷いことをしたのは、ジョゼに嫌がらせや虐めをしたのはマリアーナの方だからだ。
自分は婚約者としてマリアーナに己の罪を認めさせて反省を促し、ジョゼに謝罪させなければならない。それこそが自分のやるべきことなのだ。そうだ、自分は間違っていない。
そんなことをテイラーが考え、自分の正当性を再認識していた時、テイラーの後ろに隠れるようにしていたジョゼがヒョイと顔を出した。そして、マリアーナをキッと睨みつけて言った。
「あたし、マリアーナ様に階段から突き落されました。すごく怖かったし痛かった。テイラーはあたしのために怒ってくれただけです。なにも悪いことなんてしてないわっ、ひどいのはマリアーナ様の方よ!」
「そ、そうだ、ジョゼの言う通りだ」
テイラーはジョゼの肩を優しく抱くと、マリアーナを睨みつけた。
「マリアーナ! 君は俺と仲の良いジョゼに嫉妬して、階段から突き落としたらしいな。幸い軽い怪我ですんだけど、打ち所が悪ければ死んでいたかもしれない。俺がさっき君を殴ったのは、そんなひどいことを平気で行う君の目を覚まさせるためだ! もう弱い者虐めなんてやめるんだ。そして、今すぐジョゼに謝れ!」
「わたしはそんなこと、していません」
マリアーナは涙の浮かんだ瞳でテイラーを悲し気に見つめ、弱々しい声で反論する。
「ジョゼ様を階段から落とすなんて、そんな恐ろしいことしていません。わたしがやった証拠はあるのですか」
「ジョゼがそう言っている。そうだな、ジョゼ? マリアーナから突き落とされたんだよな?」
「そうです、マリアーナ様にやられました! すごく怖かったです。ぐすっ」
包帯を巻いた腕を上げ、ジョゼは皆に見せつけた。
「ほら、見て下さい。落ちた拍子に打って痣になったんです。あの時は死を覚悟しました。本当に怖くて……」
ぐすんぐすんとジョゼは泣く。
しかし、どう見ても彼女の大きな瞳からは涙の一滴も流れてはいない。ただの嘘泣きである。それなのにテイラーはその嘘泣きに気付くことなく、心配で堪らないといった気遣う視線をジョゼに向けた。
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