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 その時のシャンクス伯爵令嬢マリアーナは、学園の食堂で仲の良い令嬢たちと昼食をとった後、おしゃべりしながら廊下を歩いているところだった。

「おいっ、待て!!」

 もう少しで教室にたどり着くというところで、怒りを含んだ誰か声がマリアーナの後ろから聞こえてきた。

 学園内のどこであろうと大声を出すことはマナー違反であり、品のない行為とされている。マリアーナは不快を隠そうともせず、眉間にシワを寄せて後ろを振り返った。

 次の瞬間。

 マリアーナは激しい衝撃に襲われた。それと同時に、体が弾かれたように大きく飛ばされて廊下の壁に激突する。

 頬が熱を持ってジンジンしている。
 どうやら平手打ちされたらしいと気付き、マリアーナは驚愕しながら痛む頬を手で押さえた。そのまま自分に暴力をふるった相手に目を向ける。

 見上げた先にはマリアーナの婚約者であるヨハンセン侯爵家の嫡男、テイラーの姿があった。その後ろには最近テイラーが親しくしている男爵令嬢ジョゼの姿も見える。

 ジョゼの口元には意地の悪い笑みが浮かんでいて、それに気付いたマリアーナは確信した。ああ、この騒動はジョゼのはかりごとなんだな、と。


 今年度の新入生として学園に入学してきたジョゼは、ポッカ―男爵家の庶子であり、一年前までは平民として市井で暮らしていた。母親が病気で亡くなったため、仕方なく男爵家が引き取ることになったらしい。

 貴族マナーをほとんど学んでいないジョゼは、表情をころころと変えて喜怒哀楽を表現し、異性に対して過度なスキンシップを平気でとる。そんな淑女らしからぬところが貴族令息たちの目に可愛く映り、気が付けば男子生徒たちの人気者になっていたのだった。

 そしてマリアーナの婚約者であるテイラーも、ジョゼの魅力の虜になった貴族令息の一人だった。

 マリアーナとテイラーは婚約しているが、その結びつきは政略的なものである。二人が婚約したのは六才の時で、以後はずっと仲の良い幼馴染のような関係を続けていた。

 これまでの人生において、マリアーナとテイラーが互いに恋心を持ったことはない。けれども付き合いが長い分、仲は良かったし気心も知れている。愛はなくとも信頼し合える良きパートナーとしての夫婦になれるだろうと、マリアーナはそう思っていた。そしてそれはテイラーも同じだったはず。

「マリアーナ、絶対に大切にする。結婚したら二人で力を合わせ、両家の発展のために尽していこう」

 幼い頃のテイラーは人好きする笑顔をマリアーナに向け、瞳を輝かせながらそんなことを言っていたものだ。マリアーナはそれをこそばゆい気持ちで聞き、笑顔で頷き返していた。

 そんな風に、それなりに上手くいっていた二人の関係がおかしくなったのは、三ヵ月ほど前、ジョゼが学園に入学してきたことがキッカケだった。もう情けないほど呆気なく、テイラーはコロリとジョゼに篭絡されてしまったのである。

 ジョゼに出会って以来、テイラーは変わってしまった。
 暇さえあればジョゼの元に駆け付け、自分を好きになってもらおうと媚びを売る。高価なプレゼントを頻繁に贈り、砂糖よりも甘い言葉を彼女の耳元で囁く。誰のことよりもなによりもジョゼを優先するようになった。

 言うまでもなく、そのようなテイラーの態度は家門に泥を塗る恥ずべき行為である。いずれ彼の伴侶になる者の務めとして、マリアーナはテイラーに何度か苦言を呈した。
 しかしテイラーはそれを受け入れようとはせず、まるで鬱陶しい虫を払うような態度でマリアーナを追い払ったのである。

 それでもマリアーナは待つことにした。その内きっとテイラーは正気に戻る。自分の愚かな行いに気付いてくれる。そう信じて事の成り行きを静観することにしたのだった。

 そうしたら、ますます事態は悪化することになった。なぜかマリアーナがジョゼを虐めているとの噂が、学園中の至るところで囁かれ始めたのである。

 もちろんマリアーナは虐めなどしていない。それどころかジョゼとは話をしたことさえない。
 しかし、テイラーは真偽を確かめることなく、一方的にマリアーナを責め立てた。

「ジョゼが男爵家の庶子であることを馬鹿にして罵ったそうだな! 身分や育ちで人の価値を図るなんて最低だ!」

「マナーの授業中、わざとお茶をジョゼのドレスに零したというのは本当か! 信じられない、なぜそんな酷いことができるんだ!」

「ジョゼの教科書を破り捨てただろう! しらばっくれても無駄だ! 君にやられたとジョゼが言っている。は? やってない? バカを言うな、正直者のジョゼが嘘をつくはずがないだろう!」

 毎日のようにテイラーがやってきて、してもいないことを責め立ててマリアーナを怒鳴りつけるようになったのだ。

 最初の頃はマリアーナも反論した。自分はなにもしていないと訴えた。
 しかし、テイラーは聞く耳を持たず、ジョゼの味方をするばかりである。

 こうなってくると、マリアーナの堪忍袋の緒もさすがに切れる。テイラーとの関係を考え直すべきかもしれないと真剣に考えていた矢先に、今回の事件が起こったのだった。


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